2019-02-16
蒼氓(そうぼう) 石川達三
蒼氓(そうぼう) (秋田魁新報社) by石川達三
内容紹介
第1回芥川賞受賞作を復刊。秋田県横手市生まれの石川達三(1905~85年)が著した「蒼氓」は、社会派作家として知られた石川の原点ともいえる作品です。昭和初期のブラジル移民として全国から神戸の国立海外移民収容所に集まった民衆が、不安と期待の中で過ごす出港までの8日間を描き、35(昭和10)年創設の芥川賞に太宰治らの作品を抑えて輝きました。その後、移民船内を描いた「南海航路」、辛苦に耐えながらたくましく働きだす「声無き民」を加えた3部作の長編として39年に発表、多くの人に読まれてきました。現在は絶版となっていますが、いま一度多くの人にこの名作に触れてもらおうと復刊。久米正雄らによる選評や菊池寛の賛辞を再録した「芥川賞経緯」のほか、日本ペンクラブ会長も務めた石川の足跡や略年譜を収載しています。
Product details
単行本: 288 pages
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Showing 1-10 of 10 reviews
Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars拍手👏September 10, 2017
Format: 単行本Verified Purchase
三年も前に蒼氓の三部作が一冊の単行本にまとめて再刊されていたなんてうかつにも知りませんでした。たまたまアマゾンのサイトを見ていて発見した次第です。このような復刊事業を成し遂げた秋田魁新報社に拍手喝采。装丁も上品でいい感じです。もう在庫が少ないようでまだの人は早い者勝ちですね。
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ウッキー
5.0 out of 5 starsきれいな本October 21, 2014
Format: 文庫Verified Purchase
以前から読みたかったこの本、書店に尋ねたところすでに廃刊になっていると言われ、アマゾンで検索してこちらで中古を購入しました。まるで中古とは思えないきれいな状態で届きました。内容も期待通り面白くて、大満足です
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Jean
5.0 out of 5 stars海外移住と文化の交流センター(神戸)に行かれることもお薦めしますJanuary 25, 2016
Format: 単行本Verified Purchase
これは第一回の芥川賞受賞作でもあるが、それは措いておく。
昭和の初頭にブラジルへの移民が送り出された。
彼らは神戸にある移民収容所に集められて、1000人近い一団が一月半の航海でブラジルへと運ばれる。
その移民船に監督として同行した石川達三が、蒼氓で東北の細民たちが移民という名の下で棄民される様を描いた。
初期の作品なので荒削りなところがあるが、真心のこもった文章だと感じた。
神戸には海外移住と文化の交流センターがある。移民収容所の建物がそのまま残っていて、部屋割りだとか、神戸の街との位置関係など、そこを訪れると蒼氓の世界がなお一層わかりやすいだろう。
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Naoya
5.0 out of 5 stars大作April 19, 2014
Format: 文庫Verified Purchase
大作であった。
舞台は1930年代の日本。ブラジルへ移住する日本人移住者の模様が描かれた作品である。
本作を読むまで学んで来たこの当時の日本の生活習慣、これから戦禍に包まれ世界から孤立して行く社会情勢が表の歴史だとすれば、本作に描かれた物語は裏の歴史であろうか。
物語の主人公として描かれている移民の大半が東北の農民達で、農家の作物が冷害によって育たなくなりその結果による貧困を打開するために当時日本が人口増加対策として掲げていたブラジル移住計画に参加した事がきっかけで物語は始まって行く。
まずこの物語から感じられたのはブラジルへ行けば新天地があり、大金を掴めて成功できるの言うプロバカンダによりほぼ騙された形で土地も家をも捨ててブラジルへ移住して行った無知さと、移住したブラジルで、親類、知人、言葉の通じない異国で働き生活し、家族を増やし一生を過ごして行った動物的バイタリティの凄さ。この二つではないだろうか。
現代の様な情報が溢れ過ぎてる中では「ブラジルへ行けば成功できる」と言う謳い文句だけを鵜呑みにし土地も家も全てを捨てて移民となって移り住む感覚が理解出来ない所にその当時の日本の息が詰まる様な閉塞的な生き方と現代日本とのギャップを感じずにはいられない。言わば日本にいても、生まれ育った土地で農家をしていても生活が出来ない限界点にまで達した人物ばかりであり、現代日本でも貧しい人と言うのは存在するが、この当時の貧しさと今の日本の貧しさとは意味合いが全く違う。当時は明日食べる物も保証されない生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた農民達の貧しさの打開策がブラジルへ移住することしか手段がなかった。
言わば職業選択の自由もなければ、生活の補填としてアルバイトが出来る様な雇用先もなかった、現代日本では考えられない位の封建的な社会であった。
かと言って他に何か選択肢がなかったかと言えば疑問ではあるが、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた農民達の心情とブラジル移住計画が謳う大義名分が合致した所に農民達の生きるバイタリティ、極端な生き方が表れている。
現代日本では少子高齢化が進み、数十年先の近未来に於ける日本の人口分布は都市部にしか人が住まわなくなり、その空いた農村部には人が住まわなくなるこの現状を移民として飛び立った当時の日本人がもし知ったとしたら、そしてもう一つの人口減少対策として、日本へ海外から移民として定住する外国人が増えている現代の移民国家日本をこの作品に描かれたブラジル移住者達が見たらどう思うだろうか。
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Amazon カスタマー
5.0 out of 5 starsとても気に入りましたDecember 16, 2015
Format: 文庫Verified Purchase
以前から読みたいと思っていた本でしたが、絶版物で手に入りませんでした。
購入できてとてもうれしいです。
迅速な対応、ありがとうございました。
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carin
4.0 out of 5 stars綺麗な装丁の単行本September 15, 2015
Format: 単行本Verified Purchase
作品自体については「長い」「描写が浅い」「引き込まれない」と私は好きになれませんでした。
作者の新人の頃の作品だから仕方ないかと割り切りました。
本作は第一回芥川賞の受賞作です。太宰治が喉から手が出るほど欲しがったと言われる例の賞です。
巻末に選考委員による選評があることは、そんな背景に思いを巡らしつつ、この作品の文学史的な位置付けを考えることにもなるでしょう。
また、作者の年表もあり石川達三がどんな人物だったのかよくわかりました。
文庫本の巻末はこれほど充実しているのでしょうか。
文庫本は廃盤で値段も安くはないですし、いっそ新品で文字も大きいこちらの本をお勧めします。
装丁もきれいで愛着がわきます。
なお、タツローに同名の曲がありこの本の題名からとったらしいです。
…大きな成功は望むべくもないが、それでもなんとか生きる希望とその意味は見つかるかもしれない。
この本と曲とほぼ同じメッセージが伝わって来ました。読みながら曲が頭の中を流れて来ることはなかったのですが、この本が元になってると確信することができました。
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hit4papa
TOP 1000 REVIEWER
4.0 out of 5 stars諦念という境地February 24, 2013
Format: 文庫
芥川賞の対象作は『蒼氓』は、同時収録の『南海航路』、『声無き民』によって三部作を構成しており、国策としてブラジル移民が奨励されていた1930年が時代背景となっている。 『蒼氓』はブラジル移民たちの出航前夜を、『南海航路』は船中の情景を、『声無き民』はブラジル到着後が描かれる。
当時のブラジル移民は、貧農といわれる人々が主で、ブラジルでの豊かな暮らしを夢見ている。なけなしの田畑を売り、縋るように移民に賭ける姿が『蒼氓』では活写されていく。
九百余名の移民たちは、神戸の海外移民収容所で共同生活を営み、準備を進めるわけだが、戻る場所を失った彼らの後悔、希望、不安が人いきれの中で渦巻くのだ。
独身者が渡航できないため家族を偽装するものがいる。ブラジル入国を禁止されているトラホームや脚気を隠すものがいる。息も絶え絶えの赤子を抱えるものがいる。審査失格となり失意のもとに収容所を後にするものがいる。何より、移民たちの無知蒙昧さが痛々しい。
石川達三自身が、監督官としてブラジルへ渡航した経験があるからこそ、本作品は、真に迫っているのだろう。
本作品は、誰か特定の人物を主役に据えているわけではないが、弟のため恋人と別れて偽装結婚し、流されるまま移民となった佐藤夏にスポットがあたっている。ある夜、佐藤夏は、移民監督助手から陵辱を受けてしまう。しかし、佐藤夏は、これさえもさえも甘んじてしまうのだ。このイノセントとも言える精神は、受難の人として、ブラジル移民を象徴しているように思えてくる。
移民たちが、45日に及ぶ苦難の航海を経て(『南海航路』)、新天地ブラジルで見出したものは何か(『声無き民』)。私は、この三部作を通して、”諦念”という語を連想した。決して明るい未来があるわけではない。しかし、その中で人生を見出していく術はあるのだ。ラストの、ブラジルの風景に溶けていくような佐藤夏の姿には、希望を拭い去ったがゆえの芯の強さを見ることができる。
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ヤマヤン
5.0 out of 5 starsエネルギーをもらった。September 9, 2007
Format: 文庫
冒頭の、雨の神戸の描写に、暗い小説かと思いながら読み始めました。
1930年の、ブラジルへ渡る移民たちを描いた三部作です。
田畑や家財一切合財を手放して出てきたのに、病気で渡航を許されない家族、思う人と
別れて船に乗る娘、煙管を握りしめて、周りに心を開かない婆さん……酒を飲んで景気
よく踊ったり歌ったりしている男たちでさえ、どこか暗く見えてくる。
それなのに、一気に読みきってしまいました。日が経つにつれ、幸も不幸もひっくるめ
て現実を受け入れていく登場人物たちの姿の、そのエネルギッシュなこと。
そして、第三部のラストの、ブラジルの日差しをあびる移民たちの姿。
階級社会、人間のもつずるい一面など、考えさせられる部分も多くありましたが、なに
よりも、生きていくエネルギーをもらえる、そんな小説でした。
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(ひらひら)ブラジル移民・石川達三「蒼氓」クリップ追加
2017/10/28(土) 午後 7:09
『キリストの御形』『日毎の聖句』『全世界』『イエスの御霊』『資料事典』『福音書』
蒼氓 (そうぼう)
石川 達三
第一部 蒼氓
「何と向こうは陽気だな」孫市はそう言って小声でついて唄いながら買って来た労働服を着て見ようとして帯を解いた。大泉さんが「こっちゃも一つやっかな!」と、アルミニュームのコップ酒を左手に危うく持ったまま女房をかえりみて笑うと、大きな肩をゆらゆらとゆすりながらうたった。
ハア秋田名物八盛雷魚、男鹿ではおが鰤コ
すると勝治も孫市と一緒になって唄った。
能代春慶、檜山納豆、大館曲げわっぱ!
女房達まで混じって皆でどっと笑った。大泉さんの女房は、大変御機嫌なことどねは!と言って夫の崩れるような笑い顔を眺めた。
声が段々高くなって、新聞を叩いて一度弁じたところで堀内さんは、やはり背に毛布を引っかけたまま、例のおっとりした調子で、「わしゃなあ」と岡山弁で言い出した。
「移民言うものは、こりゃあ、まあ、落葉あみた様なもんじゃと思うとりますわい。つまり村で生きて居れるだけ生きてなあ、葉の青え中は・・・。どうにも生きられん様になった者あ枯れて落ちる。落ちたところでまあ、此処へ集うて来るんじゃと、なぁ。つまり収容所言うものあ落葉の吹き溜りですらあ。それがブラジルに行ったらまた何とか落葉から芽が出てなあ」
「ふむ」と勝田さんは言った。そして(俺はその落葉の中ではない)と思った。
万歳の合唱が起る。怒涛のような万歳である。何を叫んでいるとも分からないような叫びである。舷側と突堤との間のテープの網は刻々に細かい網目になって行った。
門馬さんのお婆さんは息子達に守られて立っていた。勝治が一本のテープを母に持たせたけれども母は一向に浮き立たなかった。勝田さんの息子達はなるべくテープを遠くへ投げようと言うので、やッやッと叫んでは競争で投げていた。
楽隊が鳴り始めた。すると突堤にびっしりと並んだ小学生達が、今まで巻いていた小旗を一斉に開いた。日章旗であった。それを打ち振り打ち振り楽隊に合わせて歌い出した。
行けや同胞海越えて
南の国やブラジルの・・・
未開の富を拓くべき
これぞ雄々しき開拓者・・・
渺茫ひろき大海や
万里はてなき大陸や
何れか宝庫ならざらん
君成功の日は近し
万歳、万歳、万々歳!
飄々と鳴る海風の中、歌声は美しい大きなどよめきとなって鉄の船腹を上って来る。すると移民たちは一斉に万歳を叫びだす。ただ無茶苦茶に叫びだす。
第二部 南海航路
航海の最初の夜がふけて、丸窓の外には暗い海がひろがっていた。水平線が銀色に光って、月が浮いたところであった。月を左舷船尾に見るからには、紀淡海峡を抜けて四国の南にむかおうとするところであろう。ディーゼルエンジンの響きが枕に伝わってきて、移民たちには寝苦しい夜であった。A室の暗い隅では大泉さんが船酔いもしらずに高い鼾を立てていた。
小水君は例によってハッチの上に立ち、一同に向かって訓辞をのべた。今日はお彼岸の中日であること、先祖の霊をまつる日であること。
「皆さんは今日はお寺詣りも出来ませんから、ここで唯今から三分間の黙祷をいたしましょう」
黙祷を終ると前から交渉してあった山田君のハモニカを合図にして国歌二回合唱。それから体操に入った。すると上の一等デッキで見ていた一等運転士が降りてきて体操の群れに加わったので、青年たちは急に元気づいた。波のはるかの果に夕陽が沈んで行き、夕焼けが海面をまっ赤に塗りつぶした。燃え立つ雲の色と朱を流した水の色とが美しくて、凪ぎわたった海であった。もう随分と日が長いようであった。気温は一日ごとに高まり、体操の群は汗をかいていた。今夜は毛布なしでも眠れそうであった。
鹿沼覚太郎は言うのである。
「そりゃ嘘じゃありますまい。だけどその位の事で逃げ帰るようでは移民が務まりますかいな。どの国だって好景気もあれば不景気もあります。どこへ行ったって楽をして百姓が食って行ける所なんて有りゃしません。逃げて戻るような奴は日本にいたって百姓の出来るやつじぁありませんな。今は誰も向こうを知らんから色々と気を廻して心配しとりますが、行って見れば何もそう慌てる事はねえです。みんなが楽をしようと思っているから不平も言うし不安にもなるんでね、日本で百姓していた時と同じ苦労するつもりなら、なあに、ブラジルの方が結構楽ですよ。税金だのつきあいだので苦しめられることが無いだけでもええですよ。なあ堀内さん、そうでしょう」
「左様々々。万事覚悟一つですな」
そこで村松はこの二人の意見を三枚つづりのら・ぷらた時報に印刷して、その日のうちに全家族に配布した。それと同時に監督は、君成功の日は近しという風に、移民たちをあまりにも深い夢のなかに迷いこませるような宣伝方法は考えものだと思わないではいられなかった。彼自身が会社の宣伝部にいて、今まではそういう夢を製造していたのではあったけれども。
第三部 声無き民
最後の夜が来た。五十幾日を一緒にすごし、同じ運命を背負い同じ目的を追うて来た九百余の移民たちが、いよいよ団体を解いて各自の労働につくべき時が来た。ここで別れたが最後、いつまた会えるかもわからない島流しの身の上であったから、今夜は本当の別れの夜であった。親しかった者同士との温かい心を寄せあって、お互いの健闘を祝し手を握りあうのであった。
「さ!もう一杯飲んでくれや、三浦さん、これでお別れだ。だけど、手紙だけはきっと続けようなあ。お互いに様子さえわかっておれば、また会えるよ。永え一生だ。きっと会えるよ。なあ!」
ほの暗い電燈の下で真剣な顔をつきあわせ、こういう言葉を囁きあう人たちの姿は、郷国を失った感情のさびしさにみちて、暗い陰を背負うていた。
昨夜山焼きの火の見えたあたりから、朝日が昇るところであった。目の下につづく一帯の沼地は真白に霧が立ち込めて、海のようであった。サント・アントニオ農場は西側に連続した小丘をつらね、東向きのゆるい斜面に小さい部落をもて、部落のあたり一面にカフェ樹の海であった。隣の農場の部落までは、近いところで三里もあり、その間にが一軒の家もないカフェ樹と赤土の丘とであった。
門馬たち五人は、マナベの家で朝のパンとカフェを御馳走になり、大泉さんたちは米良さんの家で御馳走になった。真鍋さんの家は六畳ほどの土間に彼の寝台をおき、枕元に農具をおき、一方の隅には油樽の風呂があり、カマの足許には鶏の止まり木があった。物置きも風呂場も鶏小舎も寝室も一緒である。しかしマナベは愉快そうで健康で、大きな声でよくしゃべった。近頃の日本の様子はほとんど知らないと言っていろいろ質問したりした。ここには新聞雑誌はおろか、部落以外の事件は何一つ伝わって来ない。部落の一つが絶海の島国のように孤立していた。
それから新移民たちは大工道具を借りて木を伐りに行った。マナベやメラは物凄い匕首(ヒシュ)を腰に下げていた。部落の人は皆そうしていた。ファゼンダから外へ出るときはピストルも持って行くのである。それほど不用心な場所である。
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