2019-02-16

蒼氓


蒼氓
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『蒼氓』(そうぼう)は、石川達三の小説。第1回芥川賞受賞作であるが、受賞したのはその第1部で、以後続きが書かれて長篇小説となった。戦前の貧しい農民たちが夢を抱いてブラジルに渡り、厳しい現実に打ちのめされながらも、その地に根をおろそうと決意するまでを詳細に描いた作品で、第1部「蒼氓」、第2部「南海航路」、第3部「声無き民」の3部構成になった。「氓」は流浪する民を意味する[1]


目次
1概要
2らぷらた丸
3映画
3.1スタッフ
3.2キャスト
4脚注
概要[編集]

第1部は移民収容所から神戸出港までを描いたもので、1932年に雑誌『改造』の懸賞小説募集に応募するも選外佳作となり、翌年加筆して再度発表する予定が、掲載予定だった雑誌が廃刊となって日の目を見ずにいたところ、1935年4月に、新早稲田文学の同人によって創刊された同人誌『星座』に編集長の独断で石川の知らぬ間に掲載され、それが新設の芥川賞の対象作品となり、8月に第1回芥川賞を受賞した[2]。1930年、石川がブラジル移民として渡伯した時のことを描いたもので、題名は民衆を意味する。石川は当時無名の新人だったが、受賞によって一躍人気作家となった[3]。同年単行本として改造社より刊行され、1939年『蒼氓 三部作』として新潮社から刊行、1951年新潮文庫に入り長く読み継がれた。

第2部は船内の様子、第3部はブラジル到着後が描かれ、渡航した移民たちが、現地に根をおろそうと決意するところで終わっているが、作者の石川は半年ほどで帰国している。

1937年、熊谷久虎監督により映画化されている。
らぷらた丸[編集]

作者の石川は、移民促進のための国策会社「海外興業株式会社」が発行する雑誌『植民』編集部で働いたことがあり、1930年には、ブラジルまでの船賃「三等 200 円」の補助金の出る「政府補助単独移民」として移民船「らぷらた丸」で渡伯した[4][2]。作家志望だったがまだ自信もなく、放浪のつもりでブラジル行きを決めたが、移民志願者が集まる神戸の海外移民収容所で、「国家が養い切れずに、仕方なしに外国へ奉公にやられる人々の悲しい現実」を目の当たりにして衝撃を受け、いつかこれを書かなければならないと思ったという[2][4]。他の移民たちとともに45日間の船旅ののち、「サント・アントニオ農場」にコロノ(契約移民)として入植し、1か月ほどで農場を去ってサンパウロに滞在し、リオデジャネイロから北米を回って帰国した[2]。『蒼氓』に先立ち紀行文『最近南米往来記』を上梓し、移民政策を棄民と糾弾し、収容所を「国家の無力を物語る国辱的建築物」と表現した[3]
映画[編集]

1937年2月18日公開。製作は日活
スタッフ[編集]
監督:熊谷久虎
脚本:倉田文人
キャスト[編集]
佐藤夏:黒田記代
孫市:伊沢一郎
門馬勝治:星ひかる
義三:中村英雄
くら:阪東三江紫
大泉:島耕二
大泉の女房:沢村貞子
村松:広瀬恒美
小水:見明凡太郎
本倉:鈴木三右衛門
本倉の女房:稲田春子
榊原:小杉凡作
麦原:菊池良一
麦原の女房:紅沢葉子
お常:桜美代子
黒川:大虎福太郎
黒川の女房:須藤恒子
中津川:山本礼三郎
中津川の女房:滝花久子
勝田:上代勇吉
勝田の女房:近松里子
勝田の娘:和歌浦小浪
勝田の婿:竹石京一
勝田の息子:潮万太郎
大阪者:西部春彦
堀内:吉井康
坂口:冬木映彦
坂口の女房:鹿島萩子
三浦:河野憲治
三浦の女房:戸田春子
吉田:金子春吉
吉田の女房:水町容子
堀川:中田弘二
脚注[編集]

^ 白水社中国語辞典
^ a b c d ブラジル日系移民小説論守屋貴嗣、法政大学、‎2011
^ a b 石川達三「蒼氓」読売オンライン、2017年09月19日
^ a b 日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (108)=筆禍事件起こした石川達三=実は『植民』編集部に勤務ニッケイ新聞、2014年1月22日

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