2018-06-15

東本高志氏への反論 : 私にも話させて



東本高志氏への反論 : 私にも話させて



2010年 03月 30日


東本高志氏への反論

1.

前回記事「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題」に対して、東本高志氏よりご批判をいただいた(「金光翔さんの朝鮮学校排除問題についての論攷について」)。東本氏は、朝鮮学校排除問題をブログで熱心に取り上げておられ、各種声明・発言の紹介などの参考になる情報を集めて下さっている(前回記事で、そのうちの一つの声明へのリンクを貼らせていただいた)。その活動に敬意を表するとともに、東本氏はこの批判を、自己のブログだけでなく、各種メーリングリストにも投稿しているようであり、一定の影響力があると思われるので、その批判が根拠のないものであることを指摘しておく。

以下で取り上げる東本氏の批判文は、CMLというメーリングリストに投稿されたものに依拠している。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-March/003439.html


2.

まず、東本氏は以下のように主張している。


「上記の金さんの論攷の指摘には肯えるところも少なくありません。が、金さんが左記の指摘をする問題提起の作法、あるいは論文の書き方の作法といってよいものに私は少なくない違和感を持ちます。

「日本人リベラル・左派」の朝鮮学校排除問題についての論の欠落点を指摘する上記の金さんの論攷は400字詰め原稿用紙にしておよそ16枚分ほどになり、ブログ記事としてはいささか長文です。しかし、長文であること自体が別に問題なのではありません。冗長ということでもない限り、自身の論の展開に必要ということであればどんなに長くなってもよいわけです。問題は、「日本人リベラル・左派」の論とはこういうものではないか、と自らが仮定したいわば架空の論でしかない論を「こうした『戦略』は、何重にも間違っている」などとして、その長文の大半、というよりほとんど全文を費やして反論、批判する金さんの執筆姿勢です。

金光翔さんは、「日本人リベラル・左派」が見落としている/欠落させている論点は「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」という視点であるとした上で、その「日本人リベラル・左派」の見落とし、あるいは欠落させている視点が仮に「意図的(「戦略」的)なものであるならば、それは極めて問題である」、として持論を展開していきます。金さんはその論攷の最後で「歴史的経緯に触れずに外国人の一般的権利の問題として捉える反対論が、意図的な(「戦略」的な)ものではなかったことを願う」という但し書きを挿入してはいます。が、仮定の「日本人リベラル・左派」の視点の欠落がある論を前提にした上で、その論をほとんど全文に渡って批判していく、という論文の書き方の作法は、マッチポンプ的な論文作法として強く批判されなければならない姿勢だろう、と私は思います。」


実は、東本氏が何をもって「強く批判されなければならない姿勢」と言っているのか今ひとつよく理解しがたいのだが、「マッチポンプ的な論文作法」という語句に留意すれば、恐らく、金がありもしない「「日本人リベラル・左派」の視点の欠落がある論」を想定した上で、それを批判する作業を行っていることが問題だ、と言っているのだと思われる。この解釈で正しければ、朝鮮学校排除への反対論において、私が指摘したような「「日本人リベラル・左派」の視点の欠落」が実際に存在すれば、「強く批判されなければならない姿勢」ではないということになる。

東本氏の文章の引用を続けよう。


「そして、私の見るところ、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」の問題についての視点の欠落が、金さんが「仮定」として指摘するように「日本人リベラル・左派」の側の「有力な反対論のほとんど」が「意図的(「戦略」的)なもの」である、ともいえないように思います。また、金さんの左記の認識は事実としても誤っているようにも思います。」


東本氏は、「「日本人リベラル・左派」の側の「有力な反対論のほとんど」が「意図的(「戦略」的)なもの」である、ともいえないように思います。」と言うが、そのように言う根拠を示していない。いずれにせよ、東本氏は「金さんの左記の認識は事実としても誤っているようにも思います。」とも述べているので、「事実として」誤っていることが示されれば、「意図的(「戦略」的)なもの」云々はそもそも問題として成立しない。したがって、ここでの争点はやはり、日本の「有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない」という私の指摘が、「事実として」誤っているかどうかである。


3.

そして、東本氏は、以下のような理由を挙げ、「事実として」誤っていると主張している。
便宜上、挙げられている資料に、番号を振らせていただく。


「たしかに日弁連、また単位弁護士会や地方自治体議会などの要請書には散見した限りにおいて「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」の問題は触れられていないようです。しかし、左記は、議会や弁護士会という組織としての声明の性質によるものというべきでしょう。私のブログにまとめている「朝鮮学校排除問題」のリストの声明や見解を一覧しても「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」の問題について言及しているものは少なくありません。たとえば、

■(※①)「資料:朝鮮学校無償化除外問題(2) 師岡康子弁護士インタビュー」
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/199945.html
「彼女(筆者中:師岡弁護士)は《在日朝鮮人に対する日本政府の差別及び日本社会の差別的態度を見ると、北朝鮮に対する外交問題という「仮面」をかぶっているが、本質的には植民地時代から続いている植民地主義に根を置いた民族差別だ》と言った」

■(※②)「資料:朝鮮学校無償化除外問題(10) 「子どもはお国のためにあるんじゃない!」市民連絡会声明」
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/204827.html「言うまでもないことですが、戦後日本政府は朝鮮半島出身者を「朝鮮籍」としました。祖国が分断された後も、「どちらかを選ぶことはできない」と、韓国籍を取得せず、朝鮮籍のままでいる方も多くいます」

■(※③)「資料:朝鮮学校無償化除外問題(12) 外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク要請書」
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/213010.html「朝鮮学校は、戦後直後に、日本の植民地支配下で民族の言葉を奪われた在日コリアンが子どもたちにその言葉を伝えるべく、極貧の生活の中から自力で立ち上げたものです」

■(※④)「資料:朝鮮学校無償化除外問題(14) 「韓国併合」100年 日韓市民ネットワーク・関東要請書」
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/213337.html「また、今年2010年は、「韓国併合」100年に当たる年です。鳩山首相は、昨年11月にシンガポールで開催されたAPECで、「この地域では、ほかならぬ日本が、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた後、60年以上がたった今もなお、真の和解が達成されたとは必ずしも考えられていない」と演説されました。(略)そうであるならば、なおのこと高校授業料無償化政策から朝鮮学校の生徒を除外するなどということがあってはならないと考えます」

■(※⑤)資料:朝鮮学校無償化除外問題(29) 文科省申入れ報告と要請書 「韓国併合」100年-2010年運動(2010年3月20日)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/611612.html「「韓国併合」から100年を迎える時点に、日本政府は朝鮮半島との不正常な関係を正し、過去を清算して和解・平和・友好関係を築くよう積極的に取り組むべきでしょう。それを真に望む朝鮮半島の人々は、今回の高校無償化法案をその試金石として注視しています」

など。

各声明や見解におけるこの問題についての指摘は上記に見たとおり短いものですが、これもやはり声明や要請書という文書の性質によるものというべきだろうと思います。金さんが「日本の任意の反対声明を、韓国の『真実と未来、国恥100年事業共同推進委員会声明』と比べてみれば」、日本の反対声明が在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていないことは「明らかであろう」という韓国の声明(※⑥)の該当部分も「日本が朝鮮を強制併合して100年を迎える時点に、日本政府はアジアでの過去清算に先立ち、内部的な過去清算に積極的に取り組むべきだろう。植民主義清算を真に望む世界の人々は、今回の高校授業料無償化政策をその試金石として注視している」という短いもので、日本の声明や見解が特に短いというわけでもないように私は思います。やはり声明や要請書という文書の性質がそうさせるのだろう、と私は思います。」


東本氏が挙げている資料のうち、①はそもそも韓国の京郷新聞に掲載されたものであって、日本の反対論とは言えない。②に関して東本氏が引用している文章は、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」とは関係がない。③に関して東本氏が引用している文章も、植民地支配と在日朝鮮人(社会)の形成の関係に言及しているものではないから、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」について言及しているとは言えない。④も、表現が漠然としており、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」について述べているとは言えない。唯一、⑤が「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」と関連しているように読める表現となっているが、これもやや漠然としていて、言わんとすることは一般の人々には伝わりにくいだろう。

したがって、①~⑤を⑥と比較すれば、やはり、違いは「明らか」と言わざるを得ないだろう。⑥に関して東本氏が挙げる「該当部分」は、短いものであるが、⑥の「該当部分」はここだけではない。⑥に関して、私見に基づく「該当部分」を引用する(原文は、http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=1303 。以下は私の訳だが、私の趣味で、なるべく元の漢字語を残した。なお、東本氏の訳が悪いと言っているわけでは全く無く、私の見た限りでは正確な訳である)。


「日本政府は敗戦直後から在日朝鮮人の民族教育を露骨に抑圧したが、朝鮮学校の構成員たちは抵抗を放棄しなかった。その結果、28の都道府県で各種学校として認可を受け、今も民族教育を行っている。朝鮮学校は日本の制度に合わせた学制を取っているし、私立学校施行規則による各種の行政的な義務も充足している。さらに、民族の言葉と文および歴史科目以外は、日本の正規学校(1条校)と違いのない内容を教えている。それだけでなく、日本の国立大学を含めた大学が、朝鮮高級学校の卒業生に受験資格を付与しており、卒業生の進学率は 60% 以上に達している。

このような状況で、高校無償化対象に含まれる 10余個の朝鮮高級学校に対して支援をしないことは、朝鮮学校の学生たちを日本の構成員と認めないとする、そして在日朝鮮人に関する歴史性と現実性をみな無視する、差別的な仕打ちにほかならない。私たちは日本総理や政府の一角のこのような矛盾した発言を見るにつけて、このような試みが、現在果てしなく墜落している政府与党の支持率を引き上げようとする安易な考えから始まったのではないかと疑わざるを得ない。また、鳩山総理の発言は、植民地民族差別時代に逆行する発言と言えるものであり、鳩山総理が公言している過去事清算と東アジア共同体論議に関する真正性さえ否定されざるを得ない。

日本が朝鮮を強制併合してから100年を迎える時点で、日本政府は、アジアでの過去清算に先んじて、内部的な過去清算に積極的に踏み出すべきであろう。植民主義清算を心から望む世界の人々は、今回の高校授業料無償化政策を、その試金石として鋭意注視している。朝鮮学校を高校授業料無償化対象に直ちに含めることを、日本政府に促しかつ求める。」


⑥が、今回の問題を植民地支配という歴史的経緯の観点から捉えていることは明らかであろう。また、今回の排除問題と密接に関連する、戦後一貫した民族教育への抑圧にも言及している。⑥にもまだ足りない点はいろいろあろうし(「東アジア共同体」云々も余計だが)、短さの点では日本も韓国も同じ、などとして共通点を見ようとするよりも、むしろ、率直に相違点を見る方が生産的なのではないか。

また、東本氏は上の引用文中で、「たしかに日弁連、また単位弁護士会や地方自治体議会などの要請書には散見した限りにおいて「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」の問題は触れられていないようです。しかし、左記は、議会や弁護士会という組織としての声明の性質によるものというべきでしょう。」と述べているが、「日弁連、また単位弁護士会や地方自治体議会などの要請書」は、社会的影響から鑑みて、私が問題にしている「有力な反対論」である。東本氏は、「しかし、左記は、議会や弁護士会という組織としての声明の性質によるものというべきでしょう。」と、これらの声明や要請書をあまり問題にしていないようであるが、なぜこの理由であれば問題にならないのかわからない。むしろ、「議会や弁護士会」のような、社会的影響力が大きい「組織」の「声明」ならば、より「有力」と言うべきであろう。東本氏が、このような社会的影響力の強い声明については等閑視した上で、遺憾ながらそれらに比べればはるかに「有力」ではない団体等の発言を引いてきて「事実としても誤っている」などとわざわざ主張すること自体が理に合わない。

後述の理由で具体的な名前は挙げないが(挙げること自体は簡単である)、多くの反対論が、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていないことはこの問題に関心を持っている人間には明らかである(東本氏も部分的に認めている)。そして、東本氏は、日本の「有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない」という私の指摘を否定するに足るほどの、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利」に言及している日本の反対論を示し得ていない。


4.

以上から、東本氏が挙げる根拠によっては、日本の「有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない」という私の指摘が、「事実として」誤っているとは言えないということを示し得たと考える。したがって、私の東本氏の文章への理解が正しければ、私の記事について、「マッチポンプ的な論文作法として強く批判されなければならない姿勢」であるとは到底言えないだろう。

念のために書いておくが、前回記事でも書いたように、私は、植民地主義の問題が触れられていないから駄目だ、と言っているのではなく、反対声明の表明等の行為については一定の敬意を払っている。また、前回記事で何度も強調したように、この問題を、外国人の一般的権利の侵害として捉えること自体は正当である。

そもそも朝鮮学校排除への反対論自体が、社会的に見れば大変貴重な状況である中で、私としては批判的と取られるような発言をあまりしたくないのであるが、東本氏のような批判があれば、私も自身の主張の正当性を示さざるを得ない。東本氏の私の主張への批判が、「日本の市民運動・左派は悪くない。間違っていない」という動機に基づいたものでないことを願う。

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