2020-01-26
柳宗悦の思いを継ぐ 中野晃
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Yashima Shuji is with Park Yuha.
43 mins ·
昨日 仕事を終えてから 11号館で開かれていた、
『歴史の司法化 慰安婦問題を中心に』に行った。
来日中の朴裕河先生を迎えて、日本の研究者達が参加した討論会しか出られなかったが、双方の問題点と克服すべき道を示唆された充実したセミナーだった。
今朝の朝日新聞を開くと、こんな記事があった。
私の朝鮮半島の歴史は 浅川巧 という美術家の視点が出発点となっていたので、この記事に共感するものがあり、今の日韓関係の和解への示唆もあるように思えた。
-------------------- 2020.1.26 朝日新聞 -----------------------------
(社説余滴)柳宗悦の思いを継ぐ 中野晃
民芸の思想家、柳宗悦(やなぎむねよし)に尋ねてみたい。100年後の状況をどう評しますか。
1920年、柳は「朝鮮の友に贈る書」を雑誌『改造』に発表する。前年、日本が支配する植民地朝鮮で武断統治に抗議する「三・一独立運動」が広がった。
「私にさえ誠心があるならば、それは吾々の距離を近づけるにちがいない。もし近づき得ないなら、それは貴方がたの罪ではなく、なおも私の誠心が足りないからだ」。朝鮮を「奴隷」にし、同化政策をとる日本の姿勢を問うた。
柳は20回余り朝鮮を旅した。浅川伯教(あさかわのりたか)・巧(たくみ)兄弟とともに、白磁をはじめ民衆の暮らしに根ざした工芸の魅力を広め、旧王宮に「朝鮮民族美術館」を開設するなど文化の保護に尽力した。
今、隣国を見下し、支配の歴史に背を向けんとする言説があふれかえるのを見て、柳はどう思うか。
一方、重い過去をつなごうと模索する人々もいる。
京都市の大学院生、野々村ゆかりさん(57)は、日本支配下の朝鮮半島北部で生まれ育った実母(83)からの聞き取りを続ける。
曽祖父、祖父とも朝鮮総督府所属官署で要職を務めた。「日本の侵略に関わっていたと思うと複雑な気持ち」と振り返る母。日本人のみの鉄道局官舎で暮らし、幹部の娘だった母は戦争中も白米やカステラを口にしていた。朝鮮人の子どもとの交流は記憶にない。
裕福な生活は45年夏の日本の敗戦で一変。翌春、北緯38度線を越える逃避行の末、日本に引き揚げた。
その後、祖父は朝鮮での出来事に口を閉ざし、復職も拒んだ。ただ、敗戦前の満州(中国東北部)への出張に触れ、「あの時書類を焼かなければ、自分も含めて大勢の人が戦犯になっていた」と漏らしたという。
祖父や母が体験したことに迫りたいと、野々村さんは、朝鮮からの引き揚げ者も加わる「京都戦争体験を語り継ぐ会」に参加。この夏も戦争や植民地の実相を若い世代に伝えるイベントを開く準備を進めている。
8月は「韓国併合」から110年、日本の敗戦による朝鮮解放から75年になる。歴史と向き合い、継承する取り組みがある限り、柳が望んだ「朝鮮と日本との間に心からの友情が交される時」は来ると信じたい。
(なかのあきら 社会社説担当)
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2Park Yuha and Aiji Fujiwara
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Park Yuha 昨日は長時間お疲れ様でした。会場からの質問用紙の内容が聞けなくてちょっと残念でした。頂いたイチゴ今朝の朝食にします。^_^
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Park Yuha いい記事ですね。ただ柳はちょっと問題があります。同情的で対等には思わなかった。文化を愛したけれど政治に参加するのはやめたほうがいいようなことを言ってます。昔論文で書いたことがあります。
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