2019-08-05

歴史の「恨み」を人類和解の平和思想へ(5日の日記) (22)


Kaoru Ohmae 日本人として南京に住むのはどうかと思っていました。でもそこで"愛によって日中関係を作りたい"という青年たちに会いました。南京は日本語学習熱が高く、"南京だからこそ日本語を学ぶ"という青年達が多かったです。
1
Delete or hide this


Like
· Reply
· See translation
· 3h

Kaoru Ohmae 直接は存じませんが、江蘇省社会科学院の李昕副研究員(哲学専門)の考え方にも感銘を受けました。

人間の「恨み」の記憶は「怒り」「反抗」の感情を誘発し、抗議行動や抵抗運動の原点になるポジティブな性格があるいっぼう、「報復」「復讐」の感情を誘発し、権力者によって敵対的、排他的なナショナリズムの煽動に利用されるというネガティブな性格をもっている。
これからの中国の歴史教育に求められるのは、南京大虐殺の記憶にともなう「恨み」の感情を理性化して、正しい歴史観、世界観を確立し、人類が再びそのような残虐行為を起こさないように、平和を守る目標にむかって努力するような意識に誘導することと考えていらっしゃるようです。

恐らくこういった考えに触れた青年達が"愛によって日中関係を作りたい"と実践しているのではないかと思います。

南京で素晴らしい時間をお過ごしください。





2017年12月05日


歴史の「恨み」を人類和解の平和思想へ(5日の日記) (22)
https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201712040000/

テーマ:ニュース(76821)
カテゴリ:ニュース

中国では南京事件を記念する日を制定したが、その目的は悲惨な事件を二度と起こさない平和な社会を実現するためであること、戦争の歴史を正しく認識し抗日映画のような単なる娯楽とせずに、平和実現へ意識を誘導する努力が必要であるというような報告もあったと、南京事件80周年シンポジウムに出席した笠原十九司氏が報告している;



 (5)南京事件とアメリカ社会 楊夏鳴・江蘇行政学院教授が、得意の英語力を駆使して、アメリカの史料を渉猟して分析した「日本軍の南京暴行とアメリカの日本商品排斥運動」は、私の報告で述べた日本の海軍航空隊による南京爆撃の惨状がアメリカで報道されたことに始まり、欧米の記者による南京事件の報道がアメリカ国民に大きな衝撃をあたえ、さらに南京事件の渦中にいたアメリカ人宣教師ジョージ・フィッチが帰国して講演活動をしたり、南京安全区国際委員会のアメリカ人宣教師たちが本国へ手紙を送ったりしたことなどにより、南京事件の実相が広く報道されて、アメリカ市民の義憤を喚起し、日本商品ボイコット運動が展開されるようになった経緯を整理、さらに同運動の直接、間接の効果をアメリカの文献を引用しながらまとめた報告である。

 香港大学博士の肩書をもつ張平凡氏は、アメリカ生まれの中国系アメリカ人作家
哈金の英文小説『南京のレクイエム』(2011年)と同じく中国系アメリカ人の林永特の英文詩集『南京大虐殺詩抄』(2013年)を取り上げて、南京大虐殺のトラウマと記憶を共有する華人のアイデンティティを分析した報告をおこなった。

 (6)日本占領下の南京社会 日本占領下の南京社会についての報告が二つあり、一つは南京事件後、日本は中支那派遣軍の工作により中華民国維新政府を設立し、小学校・中学校・職業教育学校を復活させるが、中国人にとって「奴隷化教育」と評価される学校教育の実態を紹介した。もう一つの報告は、日本軍が南京の社会秩序を安定させるために、南京特務機関がおこなつた医療「宣撫」と傀儡(かいらい)政府をつうじて実施させた衛生行政体制についてその実態を紹介した。

 (7)新史料の発掘 陳希亮南京図書館研究員は、杭州で発行され、中国の東南沿岸部の多くの省と日本軍の占領地域で強い影響力をもった国民党の公式メディアであった『東南日報』の南京大虐殺報道を史料として発掘する重要性と批判的検討の必要性を報告した。経盛鴻南京師範大学教授は、「中国刊行物で最も早期に南京大虐殺について発表したニュース評論」と題して、『武漢日報』(1937年12月25日)と『大公報(漢口版)』(1937年12月28日)の評論記事について論じた。

◆南京を世界に平和を発信する平和都市へ

 中国側の報告のなかで注目されたのは、南京大学平和学研究所所長の劉成教授の「平和学の視点における南京の国際的な平和都市を作り上げるための思考」と題する報告であった。

 2016年12月、国際連合総会において平和に生きる権利をすべての人に認める「平和への権利宣言」が採択された。国家が関与する戦争や紛争にたいして、個人が「人権侵害」であると反対できる根拠となる宣言で、日本国憲法の理念が反映されたものであった。中国は賛成したが、日本はアメリカとイギリスとともに反対した。

 劉成教授の報告は、国連の「平和への権利宣言」に積極的に対応して、南京が中国において最初となる「国際平和都市」宣言をおこない、全世界の166の都市が加盟している「国際平和都市連盟」の一員となろうという提言であった。それは、スペイン内戦時代にドイツ空軍の爆撃にさらされたゲルニカや第二次世界大戦時にドイツ空軍の爆撃で破壊されたイギリスのコヴエントリー、さらに世界で最初に原爆を投下された日本の広島などの先進的な平和都市建設に学びながら、南京も国際平和都市宣言をおこない、戦争被害遺跡の保存をおこなうとともに、平和教育を重視し、世界へ向けて平和思想と運動を発信していこうという積極的な提言であった。

 南京市社会科学院文化研究所副所長の付啓元研究員の「国家公祭、平和文化と平和都市イメージの伝播(でんぱ)」と題する報告は、以下のように具体的に国際平和都市南京の建設を提言したものであった。

 2014年から中国は12月13日を南京大虐殺の犠牲者を追悼するための国家記念日に定めたが、それは南京大虐殺および日本の中国侵略戦争において殺戮された犠牲者を追悼するとともに、中国人民が侵略戦争に反対し、人類の尊厳を守り、世界平和を維持する立場を世界に表明するためであった。前述のように2005年に国連で1月27日を「国際ホロコースト記念日」とする決議を採択したが、ドイツでは毎年1月27日に官庁は半旗を掲げ、ドイツ連邦議会ではナチドイツに殺戮された犠牲者を追悼する行事をおこなつているのと同じ趣旨である。日本でも8月6日に広島で8月9日に長崎で、首相や衆参両院議長らが参列して原爆の被害者を追悼し、世界に非核と平和を訴える記念行事を行っている。南京も広島や長崎と同じように、戦争犠牲者を追悼するとともに、再び戦争の悲劇を繰りかえさないための世界へ平和の実現を訴えていく必要がある。それには、国際平和都市南京を建設する計画を推進し、南京に平和施設、平和舞台を建設し、平和学研究を発展させ、各国との平和外交を進め、平和文化を世界に広めていくことが必要である、などという積極的な提言をおこなった。

◆歴史の「恨み」を人類和解の平和思想へ

 報告のなかで最も注目したのは、江蘇省社会科学院の李昕副研究員(哲学専門)の「感情と記憶-南京大虐殺についての歴史教育における感情誘導」と題する報告であった。それは、南京大虐殺記念館を見学した多くの中国人の感想が、日本軍あるいは日本人にたいして「恨み」の感情を抱いたというものであるが、そうした素朴な「恨み」の記憶と感情を歴史教育においてどう理性的なものに誘導すべきかについて、課題を提起したものである。生物学上、人間の「恨み」の記憶は「怒り」「反抗」の感情を誘発し、抗議行動や抵抗運動の原点になるポジティブな性格があるいっぼう、「報復」「復讐」の感情を誘発し、権力者によって敵対的、排他的なナショナリズムの煽動に利用されるというネガティブな性格をもっている。これからの中国の歴史教育に求められるのは、南京大虐殺の記憶にともなう「恨み」の感情を理性化して、正しい歴史観、世界観を確立し、人類が再びそのような残虐行為を起こさないように、平和を守る目標にむかって努力するような意識に誘導することである、と課題を述べて報告が結ばれた。

 日本のメディアは、中国の愛国主義教育、歴史教育においては南京大虐殺の残虐性を強調あるいは誇張して教え、中国の若者にことさら「反日感情」「反日意識」を抱かせるように教育し、その結果、「反日デモ」「反日暴動」が惹起されたかのように報道してきたが、李昕氏の報告は、現在の中国の歴史教育にたいして、「恨み」の感情記憶を人類史的視点から理性化する課題を提起しているのである。

 南京で開催された国際シンポの参加記の本稿を終わるにあたって、上海で出版されている『社会科学報』(2015年6月)に掲載された、王暁華深訓大学教授の「抗日詩歌における悲しみと愛」と題した、戦後の中国人に日本兵ひいては日本人にたいする「恨み」の感情記憶を喚起させる役割をはたした戦争文芸を批判した一文を、少し長くなるが紹介したい。戦争文芸に限らず、現在の中国の映画やテレビ番組などで、広く放映されている抗日映画、抗日ドラマなどについてもあてはまる批判である。上記に紹介した李昕氏の報告をさらに深めて、「恨み」を人類愛に昇華させようという思考が公表されるようになった中国社会に注目し、歓迎したいからである。



 敵もまた人である。侵入者になった瞬間、彼らは確かに最初の罪を犯したことになり、相応の懲罰を受けなければならない。しかし、これによって、彼らがモノに変質したわけではない。人類の一員として、彼らもまた、同じように暴力の犠牲になったのだ。彼らの苦しみは、人類が感じるものであり、彼らの壊滅は人類の損失である。そうした観点で、盛んに放映されている神がかり的な抗日ドラマを見ると、真の欠点が簡単にわかる。ワンパターンばかりといったことではない。そこに、人道主義精神がないことだ。こうした作品では、敵は、モノや野獣に単純化される。生きている人間らしさはなくなっている。大体が、どいつもこいつも愚かで、できそこないで、滑稽で、お決まりの滅亡の運命を迎えるしかない。こんな類いのものを広めれば、一部の視聴者の笑いは取れよう。しかし、人類の究極的な贖罪の道を塞いでしまうかもしれない。

 民族を越えた悲しみや愛を広め、育てることだけが、第二次世界大戦のような悲劇の再発を防げる。さもなければ、人類が悪循環から脱するのは難しいだろう。もし人類が和解の道を見つけ出そうとするなら、キーワードは必ずや愛になる。愛と恨みはいずれも増やしていけるが、その結果は正反対になる。真に過去を振り返る精神を備えた戦争文芸は、恨みの論理を超越し、災禍をなくそうとする正しい道を求めなくてはならない。

 結局のところ、我々が抵抗するのは、特定の個体ではなく、人間性の中に潜む悪なのだ。闘争を避けるすべは、永遠にないのかもしれない。だが、必ず、人類愛の方が優位になくてはならない。この角度からすれば、恨みを広めるだけの抗戦文芸は、もうおしまいにしてもいい。


(注2) 笠原十九司「慮溝橋事件80年・南京事件80年にあたり、海軍の日中戦争責任と問う」(『季論21』第38号、2017年秋季号、本の泉社)は、私の報告とほぼ重なる内容なので、参照されたい。

(かさはら・とくし)


月刊「世界」 2017年12月号 「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」
147~150ページから引用

 「民族を越えた悲しみや愛を広め、育てることだけが、第二次世界大戦のような悲劇の再発を防げる」という考えは、素晴らしいと思います。アヘン戦争でイギリス帝国主義に敗北して以来、低迷を続けた中国が、ここに来てようやく本来の大国としての「自信」を取り戻しつつある様子を垣間見たような気がしました。

No comments: