2019-09-20

조경달 植民地朝鮮と日本 (岩波新書)

Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 植民地朝鮮と日本 (岩波新書)
9件中1 - 9件目のレビューを表示
2019年2月26日
植民地時代の三十五年間を通史として概説しているため、具体的な史実に頁を割く限界がある、と見える。
1920年から32年に小作農が急増した理由に水利組合費を挙げているが、なぜこの時期なのか。
民族運動団体に何々会ができて、さらに何々会となった。官憲の監視をかいくぐって何をやって何を残したか。
のちの何につながったか。など、列挙すればきりがない。
知識人(=旧両班?)の自負する「儒教的民本主義」は筆者の造語であるが意味の説明がなく、火田民は何をして生活をしていたのかの説明もない。また「民乱」の作法というのも、わかるようでわからない。

読者は日本史を中学・高校の教科書並みに知っていることを前提に、正しい歴史認識を啓蒙する意図があった、と思われる。朝鮮総督府による弾圧、強要や日本人による差別や偏見にさらされても、執念深くしたたかに抵抗をつづけた歴史というのは、植民地時代のおもに韓国での理解であろう。

しかし日本人ならこれをどう理解するか、という問題がある。厳しい欧米植民地競争の時代に日本は朝鮮の近代化を助けてやった、という考えが強くなってきているが、実態として植民地社会をとらえられていないためである。
現代の日本人から見て縁遠い世界であり、植民地時代の歴史の前に現代韓国人の反日感情が立ちはだかっている。目に入るのはブロンズの慰安婦像であって、慰安婦にされた少女たちではない。政治的な感情論ではなく、歴史的な実態を知りたいのである。
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2014年3月11日
 帝国日本による朝鮮侵略と民衆の抵抗の歴史的事実と社会思想史。『近代朝鮮と日本』に続き1910年の韓国併合から1945年の解放までを描く。
 知っていただろうか?「朝鮮人には武器に類する刀剣の所持を規制する一方で、威嚇と身分標識の装置として、憲兵警察だけでなく一般の官吏や教員までもが制服の着用とサーベルの帯剣を義務付けられていた。宴会の席などでは、実業家や名望あるものであっても、体験した憲兵や官吏の末席に座ることが慣習化された」。いまの日本人は日本と世界の歴史についてそれなりに知っていて韓国併合について知識を持っていても、こういった実相については案外知らないのではないだろうか。殴られたものはいつまでも覚えているのに、殴ったものはすっかり忘れてしまうように。
 朝鮮の儒教的民本主義に着目した社会思想史を縦糸に、帝国日本の侵略と朝鮮民衆の抵抗の事実を横糸に織り上げている。現代の韓国人が日本人とのかかわりの歴史をどうとらえているか、コンパクトに理解を獲得できる。「これからの朝鮮半島と日本の関係が良好なものになっていくかどうかは、ひとえに歴史認識問題から目を背けない姿勢をとれるかどうかにかかっている」。同感である。
 なお、末尾で儒教的民本主義の展開で現代の韓国と北朝鮮の政治支配の思想的状況を説明している点はユニークであり興味深い。
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2014年2月27日
本書は、『近代朝鮮と日本』の続編として、日本統治下の朝鮮の歴史を概観するものである。

 「まえがき」
 第1章「日本の軍事支配」
 第2章「三・一運動」
 第3章「文化政治への転換」
 第4章「民族運動の展開」
 第5章「植民地の近代」
 第6章「文化政治の終焉と日本人」
 第7章「戦時体制と朝鮮」
 第8章「戦争と解放」
 「おわりに」

1) 本書は、朝鮮の政治文化である「儒教的民本主義」に着目しつつ歴史を叙述する。ここでの政治文化とは、「政治や抗争が行われる際に、その内容や展開のあり方を規定する、イデオロギー、伝統、観念、信仰、迷信、願望、慣行、行動規範などの、政治過程に関わる一切の文化」と定義される。一貫した視点から描かれており、読みやすい。概説通史として十分であると思う。
2) 総督府による武断政治期の限界と三・一運動の原因として、朝鮮と共有の政治文化をもとうとしなかった点を強調し、朝鮮と共有しうる政治文化を創出するものとして文化政治期を解釈する。そして、文化政治期の終焉を、満州事変や日中戦争などではなく、心田開発運動に求める。
3) 儒教的民本主義について、本書よりも前著『近代朝鮮と日本』の方が詳しいが、どちらも<政治文化>そのものについては論じていない。本書によれば、政治文化は人々の心性を規定しているが故に長期波動的に測定され、示威運動から民族解放まで連続的に見出せるという。では、朝鮮の歴史において革新は無かったのか。あるいは、朝鮮は一度も近代であったたことはなかったのか。文化とは均一なものなのか。いわゆる心性史と同様に、連続と断絶のパラドックスの問題が本書にも当てはまるように思う。
4) また本書における政治文化は、中国や日本との関係について述べてはいるが、基本的にナショナルな枠内で語られている。それゆえ、武断政治から文化政治への転換を一義的に政治文化の観点から説明し、直接統治から間接統治(イギリス)、あるいは同化主義政策から協同主義政策(フランス)といった植民地統治の国際的な変化とその影響について論じていない。つまり、従来のナショナル・ヒストリーの枠内にとどまっており、同時代のグローバルな潮流について看過しているように思う。
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2014年2月18日
ネット上でよく、ゴミ溜めみたいな李朝時代と綺麗に整備された日本統治時代のソウルを比較した写真を見る。日本人の植民地肯定論者はその写真を根拠に、「日本支配で朝鮮は近代化された。植民地統治は悪いことばかりではない」という論理を使う。しかし、それが自分たちの無償の労働奉仕の産物だとしたら、どうだろう。ソウルは分からないが、朝鮮のインフラは現地住民の労働徴発で建設された。無理やりに自分たちが作られたものを、他人の手柄として見せられたら嬉しいものだろうか。朝鮮系の著者は本書で、そうしたロジックで、「近代化の恩恵」論を徹底的に批判している。

本書には統計数値はあまり出ない。心情までは語らない統計は、日本による近代化を支持ざるをえないからだ。しかし、本書のロジックは強固だ。「日本による文化・政策の押し付け、内鮮差別」という見方である。日韓併合時、朝鮮はすでに高度な文化を確立していた。日本は大反発を受けながらも、明治維新による近代化の過程で髷や刀を自主的に捨てたが、反発は強かった。文化を否定され、近代化を押し付けられた朝鮮は尚更である。支配下で伝統衣装である白衣結髪を無理やり切られたり、同一労働同一役職にも関わらず内鮮で賃金に大きな格差があったりした。日本人でも未だに「押し付け憲法論」が根強い支持を得ている。まして、あの自民族愛に満ちた朝鮮人への「近代化の押し付け」「固有文化の否定」は強い反発を生むのは必然だったのかもしれない。そして日本と朝鮮の関係は植民地支配というより、ロシアのポーランド支配、英国のアイルランド支配に近いものだったのかもしれない。

ネットでは「日帝で500万人虐殺」「慰安婦30万人」的な韓国側の主張が面白おかしく取り上げられているが、このような荒唐無稽な歴史観ばかりではない。植民地支配否定論もしっかりした議論を構築していることを理解した。また、ネット上で見る植民地支配肯定論の根拠の多くに本書は反論している。当時の朝鮮の実情を知らない日本人が、データだけで安易に朝鮮支配を肯定することは危険だ。余談だが、歴史問題のホットイシューである「慰安婦」問題は1ページほどでスルーされていた。炎上案件に手を突っ込みたくなかったか、実証的に論じるにはやはり筋悪案件なのか……深読みしてしまった。

付言するが、部分的に肯定する被支配経験者の韓国人は少なくない。「文庫 若き将軍の朝鮮戦争 (草思社文庫)」では、「日本語教育に反発することはなく、学ぶ喜びを実感した」「軍事教練で軍人を志した面もある」と経験者の率直かつ客観的な感想が語られている。本書とは考えが相容れないだろう。ただ、「『なんでも法治主義』は韓国で通用しない」「文化の押し付けが韓国人の反発を生んだ」という指摘が両書に共通していたのは印象的だった。
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2017年1月10日
これは批評ではなく、読もうかと思案中の人にも向けた個人的報告、参考意見、呼びかけです。
動機は、特に、それまで知らなかった著者の姿勢や著書の内容に対して、時間をかけわかろうとして読むのではなく、凝り固まった「信念」と違うか対立すると感じられると即対応して、嘘だデマだと繰り返し、著者の背景などを暴きわめき立て、著作そのものを全否定しようとする人々の言うことに惑わされず、手に取って読んでほしいからで、まず事実を知ろう、と伝えたいことだ。
今までは全く知らなかった日本統治下の様々な事情を知り、なにより、無知を思い知らされた。統治に質が違う三つの時期があったこと、それが日本側の試行錯誤というか、おそらくかなり慌てた、結局は実効のなかった対応であり、その下で独立というよりは主権回復へと動く朝鮮の人々、弾圧、挫折、そして(やむを得ない)迎合などを、かなり細かく教えられた。(素人には、少し細かすぎて、読み進めるのが大変だった。文字どおり意余って紙幅足らずだとは思うが、文体にも窮屈で読みにくいところも。それで、ひとまず、星一つ減点。)
中でも記憶に残るのは「儒教的民本主義」と「民乱」だ。この2点を理解せずに朝鮮に立ち向かえば、民族文化を見ずに、こちらの見方を当てはめて、「普遍的な」基準によって判断しているとする独りよがりになると感じている。
その意味で、慰安婦少女像をめぐる現時点(2017年1月)の紛糾には考えさせられる。
そもそも、慰安婦であった女性たちに見舞金を出すのは良いとしても、政治決着というご都合主義で「不可逆的解決」という「壁」を押し立ててあらかじめ「和解」を封じ込めたのではなかったか。
残虐な植民地支配も、それをないことにする欺瞞もないとする「歴史認識」に基づき、政治的外交的「ルール」で綺麗ごとを塗りたてて、「未来志向」などと言う決まり文句をいかにも軽々しく振り回しているのが自民党政権(現在の党総裁、首相は安倍晋三)だ。
頼まれもしないお先棒を担いで、真剣な研究者の探求を根拠もなく否定したり、その語ることに目を瞑るのでなければ、これは知るに足る情報をたくさん提供し、読むに値する本、基本図書だ。しかし、これが最終的な「真実」だなどという必要はない。
まず、知らないことがあることを認めよう。そして、自分とは違う考えに心を、知を開きたい。「和解」に向けて。
「和解」とごく近いところにあるのが「共存」だが、共存とは同じ考えをしているもの同士にはあてはまらない、それは「迎合」でしかない。共存とは、考えが合わないもの同士ががそのことを知りながら、そのことにより生まれる齟齬を生き、共にあることなのだ、と読んだことがある。そんな自信を持ちたい。持てるようになりたい。
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ベスト1000レビュアー
2014年2月13日
 この本を買ったきっかけは、昨年読んだ、「The New Korea」に触発されたからである。「The New Korea」は、イギリス人の眼から見た日本人の植民地経営の成功を客観的に述べただけで、植民地下の朝鮮人の感想は述べられていないし、日本人による植民地経営の自画自賛も述べられていない。そういう面からは意義のある書籍ではあったが、その反面、植民地下の朝鮮の人たちの考えを知りたいと思い、本屋でこの本、「植民地朝鮮と日本」を見つけたので読んだのである。

 内容は、日本の植民地化で虐げられてきた朝鮮の人々について述べたものである。著者は日本で生まれた韓国人で、現在は千葉大学文学部教授として、朝鮮近代史・近代日朝比較思想史、を専門としている。その専門性を生かして、この本では朝鮮が植民地となった1910年以降の、朝鮮の庶民の様子や大日本帝国に対して反抗していた人々の社会運動を述べている。
 
 この本を読んで、朝鮮の人々が置かれた立場を知り、日本人が反省し、自戒しなければならない部分があった、ということについては評価したいし読んでよかったと思っている。一方で、著者は、植民地時代の朝鮮を一面的にしか書いていない、と思った。大日本帝国が近代化のために実施したすべての政策に異議を唱えることには、読んでいて反発を覚えた。たとえば、「樹木の自由な伐採を禁じたのでオンドルに使う薪がなくなって朝鮮人が困窮した」などは、李王朝時代の乱伐を戒めて植林という方針を取った朝鮮総督府の意向があったことには触れていない。「植民地になってからの朝鮮総督府による徴税の過酷さに対する記述」にも、李王朝時代に税を取り立てていた役人の方が柔軟に対応してくれた、などと賄賂につながるような制度を許容するような記述である。

 朝鮮の人々が、植民地化される前の李王朝時代の状況をどのように考えていたのか、現代に生きる韓国の人たちは、日本が日清戦争或は日露戦争に負けて、日本ではなく、それぞれの国の植民地となっていたかもしれない、ということを考えたことがあるのか、などの記述が無いことも奥行きのない内容だと思った。朝鮮総督府の政策の下で自分たちを啓発し、植民地から脱却しようとする人々の居たことは書かれてはいるのだが、その気概が感じられず、泣き言の歴史のように見えた。これらが今の韓国の人々の日本批判に通じるものだとしたら、歴史的に深みの無い批判ではないのだろうか。
 
 読書はよいことであるが、この本だけを読んで植民地時代の朝鮮を理解したつもりでいたら危険である。
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2014年1月12日
ある種独断的で鋭い文明・社会批評で有名で教育者でもあるブロガーが「朝鮮半島は植民地ではなく日本の一部」という主張をし、その理由として「教育を整備しハングルを普及させた」「京城帝国大学を設置した」「戸籍制度を整備」「選挙権・被選挙権も日本人同様であった」等と列挙していた。果たして本当かなという疑問から最新刊の本書をひも解いた。

本書のキーワードは「儒教的民本主義」という聞きなれないもので戦前日本の近代化路線と対比して植民地支配に起因する葛藤や屈服や懊悩を抉り出し本質的な暴力を論ずるもので「気軽に読んでいただければ幸いである」(まえがきii)とはいかない内容である。

先述の疑問点についてだが、(1)教育制度は初代統監伊藤博文の肝いりで学制が施行されたが日本国内とは別枠で義務教育制度は1945年に至るも実施されなかった(p19、62、190)。20年経った1930年でも文盲率は78%であった(p143)。(2)京城帝大は朝鮮での民立大学設立運動に対抗するもので1924年に創立されたが、国内の帝大が文部省管轄なのに対し朝鮮総督府管轄。受験は日本語が鉄則で朝鮮人学生を過半としない不文律があった(p71)。(3)戸籍制度の導入は前近代的な李王朝の下の伝統を否定するものだが日本戸籍とは全く別建て(p175)。国籍と言う点では台湾・樺太とも異なり日本国籍法は不適用のままであった(p21)。(4)国政に関する選挙権・被選挙権は在朝日本人にも与えられず内地居住の者(男子)のみという奇妙な扱いであった(p176)。(5)ハングル綴字法の統一は総督府の側では近代化=皇民化の手段であったが朝鮮側も「東亜日報」「朝鮮日報」などの新聞や朝鮮語研究会など双方向からの努力の成果であり一面的に断定はできない(p149)。

というわけで疑問はずい分解消されたのだが、「兵営化された朝鮮半島にはどこにも逃げ場はなかった」p19とか「全土は号泣の坩堝と化した」p37などの形容は違和感を覚える。関東大震災時の朝鮮人殺害が「数千名から6000名」p85と記しているのは初歩的な間違いであろう。また往時の社会主義・コミンテルンの評価はあまりにも古典的なもので最新の研究成果をとりいれて再論されてよいのではないか。このあたりで一点減点させていただく。
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2014年3月11日
著者の思い込みだけで書いている印象。なぜかというと、引用している文献がすべて1960年代以降のものであること。歴史書を書くのであれば、同時代の文献を引用すべきであることは、必須ではないか。当事者の発言等は、すべて孫引きであり、朝鮮の植民地時代はそう古いことでもないのに、原典に当たっていない。それだけで読んでがっかりした。
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2013年12月31日
朝鮮は植民地化されたのではない。併合されたからこそ現在の韓国があるのです。今の若いひとには植民地化も併合も同義語なのかもしれない。
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