14件中1 - 10件目のレビューを表示
2019年3月21日
1.内容
1939年から1945年までに、大日本帝国下で、朝鮮半島の民衆が、いかに強制的に働かせられ、その原因がどこにあるかを、史料を用いて探求した本。そしてその探求が、外国人労働者の受け入れが政治課題になっている現在の参考になる話でもある(初版は2012年、レビューは2019年)。
2.評価
レビュアーは、いわゆる朝鮮人強制連行には、大日本帝国や臣民の差別意識が深く関わっているものと思っていたが(それがないわけではない。p207参照)、そんな単純な話ではなく、「日本帝国における民族差別や人権抑圧」(p12)を「日本帝国の政策担当者も望んでいたわけではないこと」(同)だったり、動員計画がずさんなことも一因で朝鮮人に過酷な生活を強いたこと、官斡旋と国民徴用令による徴用が違うこと(前者ゆえにしかるべき補償が受けられなかったこと。p192参照)、朝鮮人労働者全員が官憲に日本内地に連れられたわけではないこと(だからといって強制がないとは言えない。レビュアーの要約)などがわかり、有益な本だと思った。従って星5つ。本書は新書なので廉価だから、いわゆる朝鮮人強制連行について知りたい時に初めに読むのがいいかもしれない。
1939年から1945年までに、大日本帝国下で、朝鮮半島の民衆が、いかに強制的に働かせられ、その原因がどこにあるかを、史料を用いて探求した本。そしてその探求が、外国人労働者の受け入れが政治課題になっている現在の参考になる話でもある(初版は2012年、レビューは2019年)。
2.評価
レビュアーは、いわゆる朝鮮人強制連行には、大日本帝国や臣民の差別意識が深く関わっているものと思っていたが(それがないわけではない。p207参照)、そんな単純な話ではなく、「日本帝国における民族差別や人権抑圧」(p12)を「日本帝国の政策担当者も望んでいたわけではないこと」(同)だったり、動員計画がずさんなことも一因で朝鮮人に過酷な生活を強いたこと、官斡旋と国民徴用令による徴用が違うこと(前者ゆえにしかるべき補償が受けられなかったこと。p192参照)、朝鮮人労働者全員が官憲に日本内地に連れられたわけではないこと(だからといって強制がないとは言えない。レビュアーの要約)などがわかり、有益な本だと思った。従って星5つ。本書は新書なので廉価だから、いわゆる朝鮮人強制連行について知りたい時に初めに読むのがいいかもしれない。
2018年4月13日
「朝鮮人強制連行」という用語は不適切であるとする見方をよく耳にするようになった。
ひとつは「経済格差や朝鮮での生活の困難さから日本内地事業所への就労希望者は当時相当いた」という認識。
もうひとつは、「戦時下の日本政府の計画に基づく動員は朝鮮人に限定されているわけではな」く日本人の方がむしろ多く動員されたという認識にもとづく(3)。
著者はこうした見方を否定はしないが、実態を詳細に検討した結果、著者独自の見方にもとづいてこの用語を使うことは妥当と考えて本のタイトルにもしたようだ。同じように読者は、この本を一読してこの用語が妥当かどうかを自分で判断することができる。
著者はまた「民族差別や人権抑圧の過酷さ〔……〕の批判はあってしかるべきだが〔……〕日本帝国にとっての理想は、被動員者が喜んで動員先に赴き意欲的に生産活動に尽くすという状態だった」ということにも注目すべきだとしている(12)。
これについては、日本政府、朝鮮総督府、受け入れ先の事業所、朝鮮人それぞれの思惑の違いから関連法ができていく過程や、実際にその法がどのように適用されていくのかという実態も詳しく描かれている。
朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、渡航を希望する朝鮮人は多かった。朝鮮人は縁故を頼って条件の良い内地の職場に入ろうとする。日本政府は労働力が絶対的に不足している炭鉱などに労働者を配置したいが、長く居座られると日本社会が不安定になるので必要な期間だけに限定して雇いたい。業者は、仕事に慣れてきた人を長く雇い続けたい。総督府は日本内地ではなく朝鮮内で労働者の不足している場所で働かせたい。
こうした思惑の違いをうまく調整して、労働者に気持ちよく働いてもらえる環境を整えるような余裕が現実には国にも企業にもまったくなかった。結果として劣悪な労働環境に、弱い立場の人が無理やり送り込まれることになった。
著者は、こうした実態を検討しながら、現代の外国人労働者問題との共通性にも注目する。戦前のひどさを強調してそれを特別視することが逆に、現在の問題を実態よりも軽く見ることにつながる危険性もある。
逆に、相違点よりも共通点に注目することで、戦前と現在の外国人労働者の問題のどちらについてもより深く理解することができるようになる。その問題独自の特徴を見失ってはいけないが、共通性に注目して一般化・普遍化させることで見えてくることもある。相違点と共通点を往復しながら考えることで理解を深めていくという方法は色々な場面で有効だろう。
著者はこうした見方を否定はしないが、実態を詳細に検討した結果、著者独自の見方にもとづいてこの用語を使うことは妥当と考えて本のタイトルにもしたようだ。同じように読者は、この本を一読してこの用語が妥当かどうかを自分で判断することができる。
著者はまた「民族差別や人権抑圧の過酷さ〔……〕の批判はあってしかるべきだが〔……〕日本帝国にとっての理想は、被動員者が喜んで動員先に赴き意欲的に生産活動に尽くすという状態だった」ということにも注目すべきだとしている(12)。
これについては、日本政府、朝鮮総督府、受け入れ先の事業所、朝鮮人それぞれの思惑の違いから関連法ができていく過程や、実際にその法がどのように適用されていくのかという実態も詳しく描かれている。
朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、渡航を希望する朝鮮人は多かった。朝鮮人は縁故を頼って条件の良い内地の職場に入ろうとする。日本政府は労働力が絶対的に不足している炭鉱などに労働者を配置したいが、長く居座られると日本社会が不安定になるので必要な期間だけに限定して雇いたい。業者は、仕事に慣れてきた人を長く雇い続けたい。総督府は日本内地ではなく朝鮮内で労働者の不足している場所で働かせたい。
こうした思惑の違いをうまく調整して、労働者に気持ちよく働いてもらえる環境を整えるような余裕が現実には国にも企業にもまったくなかった。結果として劣悪な労働環境に、弱い立場の人が無理やり送り込まれることになった。
著者は、こうした実態を検討しながら、現代の外国人労働者問題との共通性にも注目する。戦前のひどさを強調してそれを特別視することが逆に、現在の問題を実態よりも軽く見ることにつながる危険性もある。
逆に、相違点よりも共通点に注目することで、戦前と現在の外国人労働者の問題のどちらについてもより深く理解することができるようになる。その問題独自の特徴を見失ってはいけないが、共通性に注目して一般化・普遍化させることで見えてくることもある。相違点と共通点を往復しながら考えることで理解を深めていくという方法は色々な場面で有効だろう。
2019年2月26日
筆者は序章で「朝鮮人強制連行という用語を使うことには近年若干の議論がある」と自ら書いている。
韓国政府がつくった究明委員会などよっても「朝鮮人強制連行の全体像を明らかにするような報告」は出されていないとも。 なのに、この書物(2012年)のタイトルは、学者による研究を世に問うものとして、これでよいのか。かたや「植民地朝鮮と日本」(岩波新書、2013年)で趙景達氏は「一般に『強制連行』といわれる労働動員は…」(207㌻)と客観的に記述している。
韓国政府がつくった究明委員会などよっても「朝鮮人強制連行の全体像を明らかにするような報告」は出されていないとも。 なのに、この書物(2012年)のタイトルは、学者による研究を世に問うものとして、これでよいのか。かたや「植民地朝鮮と日本」(岩波新書、2013年)で趙景達氏は「一般に『強制連行』といわれる労働動員は…」(207㌻)と客観的に記述している。
2017年8月22日
学者先生が書くと、結局こうなるのかなという印象。研究者は決して小説家ではないので。
最後の最後、結論の章にたどり着くまでに時系列で列挙された史料に基づく数字の羅列(それ自体、体系的な調査や集約はされていなかったのが実情のよう)が、読みづらいものにしてますね。その上で所謂「強制連行」があった事実を述べていますが、それもあくまで感情論として非常に多くの被害者の「人」に寄り添うのではなく、歴史的事実として客観的に述べるに留まって。
しかも、日本人が加害者として反省すべきという視点を超えて、その先の「こういう事実があった事を史実として精査し後世に残すべき」という論調で終わっているので、何か拍子抜け。そこで、冒頭の感想に帰結。
以下のような研究会も民間で組織されているようですが、この件はやはり、日本軍の研究とも比較にならない程、まず資料・史料が限られていて、被害者や直接加害者の証言記録も少ないようで、勉強しようにも一筋縄で行かないと感じました。
「強制動員真相究明ネットワーク」http://www.ksyc.jp/sinsou-net/
ただ、繰り返しますが事実として、(希望して渡日した人も多かったとはいえ、)強制的な朝鮮人の動員(事実上の拉致)が何十万人単位であり、朝鮮に残された女性や老人達の困窮があり、日本の戦争遂行に協力させられた被害者である、朝鮮人労働者に対する感謝がないどころか差別や偏見が当時の日本人にあった事が裏付けられています。
そして、戦後その事実が、召集や連行した直接の当事者が同じ朝鮮人官吏だった事もあってか、その人たちが復讐される一方で命令者だった日本人はシラを切り、多くの事実が語られないまま今に至っていると認識しました。連行された朝鮮人労働者の多くが、農村出身で文盲だった事、またその後の朝鮮戦争も、記録や証言が残らない原因になったと推察しました。
最後の最後、結論の章にたどり着くまでに時系列で列挙された史料に基づく数字の羅列(それ自体、体系的な調査や集約はされていなかったのが実情のよう)が、読みづらいものにしてますね。その上で所謂「強制連行」があった事実を述べていますが、それもあくまで感情論として非常に多くの被害者の「人」に寄り添うのではなく、歴史的事実として客観的に述べるに留まって。
しかも、日本人が加害者として反省すべきという視点を超えて、その先の「こういう事実があった事を史実として精査し後世に残すべき」という論調で終わっているので、何か拍子抜け。そこで、冒頭の感想に帰結。
以下のような研究会も民間で組織されているようですが、この件はやはり、日本軍の研究とも比較にならない程、まず資料・史料が限られていて、被害者や直接加害者の証言記録も少ないようで、勉強しようにも一筋縄で行かないと感じました。
「強制動員真相究明ネットワーク」http://www.ksyc.jp/sinsou-net/
ただ、繰り返しますが事実として、(希望して渡日した人も多かったとはいえ、)強制的な朝鮮人の動員(事実上の拉致)が何十万人単位であり、朝鮮に残された女性や老人達の困窮があり、日本の戦争遂行に協力させられた被害者である、朝鮮人労働者に対する感謝がないどころか差別や偏見が当時の日本人にあった事が裏付けられています。
そして、戦後その事実が、召集や連行した直接の当事者が同じ朝鮮人官吏だった事もあってか、その人たちが復讐される一方で命令者だった日本人はシラを切り、多くの事実が語られないまま今に至っていると認識しました。連行された朝鮮人労働者の多くが、農村出身で文盲だった事、またその後の朝鮮戦争も、記録や証言が残らない原因になったと推察しました。
2015年4月29日
朝鮮人強制連行に疑問を抱くいわゆる右派の人にも本書は読まれて欲しい(序章と終章だけでも)ので、もうちょっと別のタイトルがあり得なかったのだろうかと思う。
朝鮮人強制連行だけでなく、帝国政府による戦中の数々の愚行は、そのとき国家が置かれた状況や国内の構造が解きほぐされて初めて、我々が知る意味を持つ。糾弾で得られるカタルシスは未来へ何かを残すことはできない。
조선인 강제 연행뿐만 아니라 제국 정부에 의한 전시 중의 수많은 어리 석음은 그 때 국가가 처한 상황과 국내의 구조가 풀어 헤쳐 처음 우리가 알고 의미를 갖는다. 규탄 얻을 수있는 카타르시스는 미래에 뭔가를 떠날 수 없다.
総力戦の時代は終わったとはいえ、少子化がすすむ日本は今後多かれ少なかれ移民を迎えることになるだろう。今のところ、その理由が『ホスト社会のマジョリティが忌避する職場で就労させるため』である点は、戦中も現代も同じである。
イデオロギーを問わず今後の日本が向かい合わなくてはならない少子化問題について、これからもっと広く議論されなくてはならない。そこでは外国人の処遇について、綺麗事だけでは済まされない事態が生じることになるだろう。日本政府、ひいては日本国民が何らかの決断、選択を迫られているという点では戦前戦中と同じである。
そうした観点からも、本書は広く読まれるべきであると思った。
重要な点はレビュアーの朝さんがすべて言い切ってくれているのでそちらを。
タイトルの「朝鮮人強制連行」は大きな誤解を生むタイトルである。
タイトルの「朝鮮人強制連行」は大きな誤解を生むタイトルである。
朝鮮人強制連行に疑問を抱くいわゆる右派の人にも本書は読まれて欲しい(序章と終章だけでも)ので、もうちょっと別のタイトルがあり得なかったのだろうかと思う。
朝鮮人強制連行だけでなく、帝国政府による戦中の数々の愚行は、そのとき国家が置かれた状況や国内の構造が解きほぐされて初めて、我々が知る意味を持つ。糾弾で得られるカタルシスは未来へ何かを残すことはできない。
조선인 강제 연행뿐만 아니라 제국 정부에 의한 전시 중의 수많은 어리 석음은 그 때 국가가 처한 상황과 국내의 구조가 풀어 헤쳐 처음 우리가 알고 의미를 갖는다. 규탄 얻을 수있는 카타르시스는 미래에 뭔가를 떠날 수 없다.
総力戦の時代は終わったとはいえ、少子化がすすむ日本は今後多かれ少なかれ移民を迎えることになるだろう。今のところ、その理由が『ホスト社会のマジョリティが忌避する職場で就労させるため』である点は、戦中も現代も同じである。
イデオロギーを問わず今後の日本が向かい合わなくてはならない少子化問題について、これからもっと広く議論されなくてはならない。そこでは外国人の処遇について、綺麗事だけでは済まされない事態が生じることになるだろう。日本政府、ひいては日本国民が何らかの決断、選択を迫られているという点では戦前戦中と同じである。
そうした観点からも、本書は広く読まれるべきであると思った。
2014年9月7日
まえおきー読みとばし可
本書は著者が研究者として出発するために用意した
ラボリアスな研究にも基づいている。
物理学や数学の研究は、結局のところ自然の法則
をどれほど把握したかによって理性的に評価される。
これに対して、社会事象や政治現象、あるいは歴史
は理性的に評価されるものながら人間がかかわる
現象なので理性だけでなく感情も判断に入ること
になる。
一般的にいえば理性と感情はぶつかることがある。
それに理性や感情は何によって育てられるかというと、
これは個々人の生まれた環境、親たちの思想、教育
また読書と思考などによるものだろう。
余計なことだが、A某首相などは、おじいさんの思
想によって育ったようだ。
カントによれば、理性は未発達のままのばあいもある
といわれる。
また、世の中にはジョージ・オーエルが書いたように
物事を判断するとき、はじめにもうイエス、ノーを
きめてしまい、あとから判断を論証するといった逆論
法を使う人がいる。
最近の様子を見ると、こういう傾向は、社会的に規定
されている自己を普遍社会の個人と同一視している
人に多いようだ。
ボクは日本人だ、日本人でよかった、とか。
サルトルは個々人の本質とは社会的に規定された「
身分」だと言っているそうだが、同時に本来人間は
いろいろに変われる存在だ、ともいっているそうだ。
内閣人事の問題で、前幹事長のI某氏は首相との
会見の後、首相の考えに従う、なんとなれば私は「組
織人」だから、といったが、かれは身分で考えるので
あって、自分が世界史の中の個人だとは考えない。
世の中には、人間であることと彼が日本人であること
を同一視する人もいる。
世界史における類としての存在は、日本人だというこ
ととはちがう。
(留保:もっとも、日本人にもいろいろいるのだが。)
そして一般には、感情と理性は対立するし特殊日本人
としての存在と普遍的な人間存在も対立する場合があ
る。
やっとはじめに戻るが、こういう「強制連行」という課
題は感情的な、日本人としての」の判断は、理性的な判断
とは乖離する可能性が大きい。
そして、この矛盾を解決する方法は、といえば、これは
問題を第一次資料にまでさかのぼって思索するほかにな
い、
と思われる。実際の出来事を資料が代理するのだから。
本書はその試みである。
非理性的判断の例)読み飛ばし可
今年夏7月、新聞評論欄に東大の政治学?の先生が
あのA某首相の矢継ぎ早の閣議決定は法の手続きに沿
って行われている、という(たぶん)論文が載った。
8月には、朝日新聞の慰安婦問題での誤報事件につい
ての記事のなか、高名な専門家のH 氏は、チェジュ
島での強制連行の証拠がないならば、朝鮮での強制連
行はなかったと判断してよい、との趣旨の記事を書い
ている。
そもそも慰安婦たちは自由に買い物にいけたし兵隊の
給与の何倍もの収入を得ていた、と書いていた。
天下泰平と、いうべきか。
さて9月はじめ夜のラジオ番組で、これを受けてJ党
政調会長の女性代議士は、これで世界の誤解が解け、
「日本の名誉が回復される」と語った。
時代はこのように迷路のピットホールに落ち込んだか
のようだ。
トラックが夜影にまぎれて近づき、人を拉致した証拠
ががなければ、あのアジア太平洋戦争の核心たる強制連行
はない、というのだから。
レビュー(ここから)
本書は、こうした、「拉致があったかどうか」、「動員の
数はいくらか」、「虐殺の人数は何人か」といった、
枝葉末節を越えて、強制連行が、社会のシステムの
核心から起こったことを論証する。
詳細は本書を見るとして、グランドデザインは、総力
戦争の必要の中で現れた、戦争資源の強制割り当
ての一環として行われたことである。
資源は東南アジア・満蒙から、労働者の獲得・配分は
中国、朝鮮から、日本政府・日本軍の閣議決定の正当な
法律に基づいて、「合法的に」行われたことである。
人々の自由な決定に基づく契約としてでなく、国家プラン
により不本意にリクルートされたのだ。
国家計画」が本書における「強制連行」の定義である。
もっともな概念であろう。
朝鮮の場合は、「朝鮮人移入法」を閣議決定して、
動員数を朝鮮総督府に通達する、これを地方の町村の
調達数に分割して、役場が警察と協力して動員するの
である。
これは、内地の徴兵の仕方を見習ったもので、これこ
そ強制連行なのだ。
この強制連行の具体形が、中国での捕虜の獲得、
農村住民の徴用であり、朝鮮からの慰安婦たちの動員
なのである。
本書は上記の歴史学者のH先生などの「一斑をもって
全豹」を判断する方法とは異なり、原資料の全体的渉猟に
基づくラディカルな研究だといえる。
本書は著者が研究者として出発するために用意した
ラボリアスな研究にも基づいている。
物理学や数学の研究は、結局のところ自然の法則
をどれほど把握したかによって理性的に評価される。
これに対して、社会事象や政治現象、あるいは歴史
は理性的に評価されるものながら人間がかかわる
現象なので理性だけでなく感情も判断に入ること
になる。
一般的にいえば理性と感情はぶつかることがある。
それに理性や感情は何によって育てられるかというと、
これは個々人の生まれた環境、親たちの思想、教育
また読書と思考などによるものだろう。
余計なことだが、A某首相などは、おじいさんの思
想によって育ったようだ。
カントによれば、理性は未発達のままのばあいもある
といわれる。
また、世の中にはジョージ・オーエルが書いたように
物事を判断するとき、はじめにもうイエス、ノーを
きめてしまい、あとから判断を論証するといった逆論
法を使う人がいる。
最近の様子を見ると、こういう傾向は、社会的に規定
されている自己を普遍社会の個人と同一視している
人に多いようだ。
ボクは日本人だ、日本人でよかった、とか。
サルトルは個々人の本質とは社会的に規定された「
身分」だと言っているそうだが、同時に本来人間は
いろいろに変われる存在だ、ともいっているそうだ。
内閣人事の問題で、前幹事長のI某氏は首相との
会見の後、首相の考えに従う、なんとなれば私は「組
織人」だから、といったが、かれは身分で考えるので
あって、自分が世界史の中の個人だとは考えない。
世の中には、人間であることと彼が日本人であること
を同一視する人もいる。
世界史における類としての存在は、日本人だというこ
ととはちがう。
(留保:もっとも、日本人にもいろいろいるのだが。)
そして一般には、感情と理性は対立するし特殊日本人
としての存在と普遍的な人間存在も対立する場合があ
る。
やっとはじめに戻るが、こういう「強制連行」という課
題は感情的な、日本人としての」の判断は、理性的な判断
とは乖離する可能性が大きい。
そして、この矛盾を解決する方法は、といえば、これは
問題を第一次資料にまでさかのぼって思索するほかにな
い、
と思われる。実際の出来事を資料が代理するのだから。
本書はその試みである。
非理性的判断の例)読み飛ばし可
今年夏7月、新聞評論欄に東大の政治学?の先生が
あのA某首相の矢継ぎ早の閣議決定は法の手続きに沿
って行われている、という(たぶん)論文が載った。
8月には、朝日新聞の慰安婦問題での誤報事件につい
ての記事のなか、高名な専門家のH 氏は、チェジュ
島での強制連行の証拠がないならば、朝鮮での強制連
行はなかったと判断してよい、との趣旨の記事を書い
ている。
そもそも慰安婦たちは自由に買い物にいけたし兵隊の
給与の何倍もの収入を得ていた、と書いていた。
天下泰平と、いうべきか。
さて9月はじめ夜のラジオ番組で、これを受けてJ党
政調会長の女性代議士は、これで世界の誤解が解け、
「日本の名誉が回復される」と語った。
時代はこのように迷路のピットホールに落ち込んだか
のようだ。
トラックが夜影にまぎれて近づき、人を拉致した証拠
ががなければ、あのアジア太平洋戦争の核心たる強制連行
はない、というのだから。
レビュー(ここから)
本書は、こうした、「拉致があったかどうか」、「動員の
数はいくらか」、「虐殺の人数は何人か」といった、
枝葉末節を越えて、強制連行が、社会のシステムの
核心から起こったことを論証する。
詳細は本書を見るとして、グランドデザインは、総力
戦争の必要の中で現れた、戦争資源の強制割り当
ての一環として行われたことである。
資源は東南アジア・満蒙から、労働者の獲得・配分は
中国、朝鮮から、日本政府・日本軍の閣議決定の正当な
法律に基づいて、「合法的に」行われたことである。
人々の自由な決定に基づく契約としてでなく、国家プラン
により不本意にリクルートされたのだ。
国家計画」が本書における「強制連行」の定義である。
もっともな概念であろう。
朝鮮の場合は、「朝鮮人移入法」を閣議決定して、
動員数を朝鮮総督府に通達する、これを地方の町村の
調達数に分割して、役場が警察と協力して動員するの
である。
これは、内地の徴兵の仕方を見習ったもので、これこ
そ強制連行なのだ。
この強制連行の具体形が、中国での捕虜の獲得、
農村住民の徴用であり、朝鮮からの慰安婦たちの動員
なのである。
本書は上記の歴史学者のH先生などの「一斑をもって
全豹」を判断する方法とは異なり、原資料の全体的渉猟に
基づくラディカルな研究だといえる。
2015年11月1日
2015年5月23日
(強制連行といえるものは5000人程度、大部分は戦後帰国し「帰国できるにも関わらず自発的に残った」のは245人。60万人の韓国人朝鮮人は自らの意志で日本に来ている。)
歴史家の努力の例は、最後に書いた。古代日本の歴史学は、何を主張してもよい。それは、いま生きている人間の善悪に直接繋がらないから。しかし、歴史家は、自己の説が本等に正しいか、自説を唱えるとき、徹底的な調査をしその上でさらに批判を謙虚に待つ。歴史家とは程遠い外村太先生は、歴史家の1/100の努力もない。ファシストだろう。
古代史とは異なり、近代史、特に、強制連行や、慰安婦は歴史家以上の徹底的な検証を要求される。検証なき立論は、ヘイトスピーチであり、流言飛語であり、間違い、検証不足では済まない。これを理解しない者はファシストである。
検証にどのくらいの手間を掛けるものか、またs客観性の確保にどう言う手を尽くすのかは、最後の***** 歴史家の人間技と思えないほどの努力の例に書いたので参考にしてください。この外村大先生は、ほとんど虐殺者まがいであろう。
====
『朝鮮人強制連行』の著者外村大は、鄭 大均、「在日・強制連行の神話」 2004年を批判しているが、在日半島人61万人のうち強制連行は245人にしか過ぎない。例えば、漁船や輸送船はほとんど、徴用され、そのほとんどが乗組員とともに、海に沈んだ。何人、死んだのか。鄭 大均への外村の批判で、外村の限界が見え、踏むべき基本が抜けていることが解る。以下の要約は、最後に記すサイトによる。
鄭大均の主張と外村の批判
(a) ほとんどの在日韓国・朝鮮人のルーツが強制連行では無い(第2章、第3章)
日本に残った総計61万人のうち、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人
● 外村氏はこれを認め、鄭氏の主張に同意
(b) 在日韓国・朝鮮人は強制連行のために日本に移住したとする論者や文章が多い(第1章)、
(日本に残留した韓国朝鮮人60万人は245人を除き自発的に日本に来ているのだから、強制連行を主張する根拠はない。)
● 外村氏の反論はない
(c) 強制連行は在日1.5世と2世の言論によって発生した誤解による(第4章)。
● 外村氏はこの不正確な点に全く触れていない。
(d) 「在日朝鮮人は強制連行を強調し被害者性をアイデンティティの核にし」、【被害者性を売り物にしている】(第5章)。
● 外村氏は、【被害者性を売り物にしている】のは事実に反すると言う。 【】は解りやすいように私が書き加えた。
【被害者性を売り物にする】例、朴慶植氏、梁石日氏、姜尚中氏、辛淑玉氏は、在日韓国・朝鮮人は強制連行されて日本にいると主張。
以上(a)~(d)は、次のサイトから。「在日朝鮮人問題の専門家、外村大を批判する」
反論●は、外村 大『朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味』における、論駁から。
=== 外村氏とその著書は、恣意的と言えようか。信頼性に問題がある。
以下、一般的な批判。
==== 外村の主張補足
強制徴用を60万人とするらしい。これは、1939年列島で施行された国民徴用令が、半島でも1943年9月に施行された物を言うのだと思われる。日本に連れて来られたものは、列島にもともといたものを含め、5000人程度。半島は不明である。基本的に徴兵と同じ制度である。強制連行の名に値するものは、問題になっている炭鉱など数百人と思われるが、私には調査する時間がない。いずれにしても、徹底的な検証を、外村がしたとは思えない。
歴史家は、責任がある。1万点に及ぶ調査をするという本を読んだことがあり、レビ=ストロースや、フーコーは、あらゆる資料をすべて読みつくす。神話学は南米の神話1000件、北米の神話数千件を読み、民族学調査もほとんど読んでいる。自身、南米で数年に渡るフィールド調査をやる。フーコーは、書いた時代の全医学論文を読んだという。読み残しがあれば、恥ずべきことだという。それだけのことを、自己の義務として課している。
まして、この問題は正義を争う、政治イシューである。検証にどれだけの責務を伴うか、この外村は解っているのか。ウェーバーはすべてを調べ、その外回りの構造を調べつくし、完全な理解と、その結果責任を踏まえた立論をしないと、数十年、時には永遠に消えない問題を残すと述べている。この外村は、ウェーバーを読んだことがあるのだろうか。歴史への責任を自覚して、死ぬほどの調査をしているのか。
私の読んだ歴史家は、1万点に及ぶ調査で、気が狂いそうになったと述べている。ウェーバーはあなたにとって研究とはなにかと聞かれ、私がどれだけそれに耐えられるかですと答えている。これだけが原因ではないが、ウェーバーは精神をやんで、大学の教授を辞している。
ウェーバーは、人が特定の価値にしか立てないこと、しかし、それにも関わらず、客観性を要請した。特定の価値により、事項を分析するのは良い。しかし、分析が、客観性を満たすには、分析対象のメカニズにに関する全てを記述しなければならない。この記述が抜けると、恣意的な分析に陥り、グロテスクな、ファナティシズムに陥る。もっと簡単にいえば、ヘイトスピーチである。歴史上、このファナティシズムは、共産主義や、皇国史観として、悲劇を生んだ。ウェーバーの分析、プロテスタンティズムなどの分析は、関連する必要事項を、前提として書き、その上で分析している。
地球規模、国家間レベル、国家、地域、制度、経済、思想、人などの、総合的な記述を待って、その上で特定事項を分析しなければ、これはもはや客観性を満たさず、学問でないのはもちろん、ファナティックな、ヘイトスピーチにしか過ぎない。価値自由についても、書かねばならないが、長くなるので止める。
以下は、この著書に欠落する、事実と言う構造枠のほんの一部を追加しておく。歴史学者は、ウェーバーを理解せず、物を分析する。それが、奇妙な正義感のファナティックなヘイトスピーチにしかならないことを理解できずに。
以下の事実を、踏まえているとは思えない、この著者。
● 列島の国家予算の10%以上(一人あたりでは、列島も半島も、同額の予算になる。ネットのみの調査)を赤字の充填に費やし、道路・橋・灌漑・水力発電にあてた(以下、学者の本)。教育や農業工業技術援助。水田の田植え二毛作の指導などで、農業生産性は2倍。(李氏朝鮮では、農業生産性は、江戸時代の1/2~1/3)。これが大幅に向上した。どこが帝国主義か。
要するに、半島から上がる税収が殆ど無く、列島に住む住人の納税された税金を費やした。それが、予算の10%超。
半島の人口は、日本列島の人口の1/4程度だったから、1人あたりでは、日本の国家予算の半分だった。
統治中期に、完成品の移出・輸出が5%から45%に増える。技術力は顕著に上がり、また、完成品の輸入も大幅に上がる。この完成品の輸入の顕著な増加により、半島の生活水準が大幅に向上したことを伺わせる。
====
こういう事実を無視して、自分い都合のいいことだけを書くのか。
歴史家として問題だろう。
ユダヤ人は、大戦中、我々が死を賭して戦っている時、金儲けをしていた。こんな話を流す輩と、どこが違うのだ。
この話を書くのも、ドイツの知人を思うと、心が痛む。
● この著者は、心が傷まないのか。心が傷まないから、こう言う著書を書くのであろう。
***** 歴史家の人間技と思えないほどの努力の例。
いま、近代史をやる歴史家の、本を読んでいる。内省と自己の歴史家としての、方法、自分史を書く。
かれは、近代の日本が、欧米と違い、国内で資本を得るため、その綻びが、インドやアフリカでなく、国内、農民にしわ寄せが行ったとして、大久保などの政治家を含めた、近代史を書いた。その資料の読み方は、探し方は、以下のようであった。政治家はあまりに研究が多く、自分では無理である。また、経済情勢の分析も無理である。(しかし、経済の構造分析も、2章を費やす)。ではどうしたかというと、明治天皇の側近の日記、残っている80冊程度を中心に、政治家の動きを書いた(政府要人や、板垣ら野党)、そして、主人公を、若くして死んだ北村透谷とした。時代精神を移すものとして。読んだ本のノートは、2000に及んだという。この内の、1割を使い本を書いている。
どのくらいの量の資料を読んだかといえば、中心となる農民の動きの分析のため、農民資料を1万件くらい調べたという。開いた土蔵の数は、100位になるという。それは催事から、農耕にまで及ぶ。これらを分類して行き、価値観を持たないと、資料の山に押しつぶされ、狂気になるという。ある資料を読むと、その関連運動はもちろん、その人の生立ち、家族、周りの人間、地域からすべてを調べまくったという。
ウェーバーの言うように、価値、立場ビ立たなければ、ものを書くことはできない。この本でウェーバ0が出てくる訳ではないが、歴史家とはどのようなものか、人間業をほとんど超えた、その努力を示している。いかに、歴史像を作り出すかを。歴史家とはこういうものかと。
価値観だけで、本を像するのではない。不得意な、経済分析も二章を費やし、政治家の問題も、明治の天皇に使えた側近の日記から描き出している。もちろん、榎本武揚らの政治家の資料も駆使している。明治天皇の北陸行幸から筆を進める。そして、農民を中心に、背景に、時代精神としての北村透谷を書いていく。その背景に、1万点に及ぶ、農民資料の調査がある。
時代的な、政治的な、価値観で、だけで、物を書いているのではない。客観性を確保するため、どれだけの調査をしているのか。自分の不得意な、経済分析まで行っている。不得意と言っても、歴史家なのだから、経済構造分析の本も大学時代、何冊も読んでいるだろう。あらゆる資料を調べまくり、その資料の関連を追求し、それが1万点に及ぶ。それも、冠婚葬祭にまで及ぶのだ。政治家の資料も読みこなしている。そのメモが2000点に及ぶ。
背景から何から、すべて、調べ、客観情勢を示す、基石、道程も、経済分析も書き込む。切り口は主観である。しかし、客観を確保するため、社会的な情勢、条件を確保し、農民を書くのに、その背景から何から、調べられることは調べつくして、書いている。時代精神の象徴も慎重に選んでいる。
この作者はどうなのか。
*****
日本は悪だと言い募るのが、この外村の志なのだろう。可哀想に。
2012年6月9日
朝鮮人強制連行なんて、いまさら左派も口にしない
在日本大韓民国民団などの団体も公式に強制連行を否定している。
最近でも、国会答弁で徴用等で日本に来た人で、日本に留まっている人は二百人程度だったことが認められている。
すでに結論が出た議論ですけどね
ちなみにこの二百人程度の大半は重犯罪者で刑務所に服役していた人たちだそうです。
後のこの中の何人かを、韓国側は李承晩ラインで不当に抑留された日本人を開放する条件として釈放を要求し
日本政府はやむなく釈放しました。
韓国が主張する強制連行ですが。韓国政府が、世界文化遺産登録に関して、朝鮮人が徴用された施設だと反発したが
問題の施設に関しても、政府の調査の結果、徴用された人たちの大半は内地からであり
朝鮮半島から徴用された人は確認されなかったそうだ。
政府見解が絶対に正しいとは私も思わないが
こうした事が間違いがあると指摘するのであれば、最低限、それを覆すだけの資料を用意するべきだが
韓国政府も徴用されたと主張する団体も一度として出したことはなかった。
こうした経緯もあり、日本側からは遺産登録に反対する韓国側の主張は、言いがかりとの反発が大きかった。
この外村大氏の本に書かれている内容を見ても、韓国の国定教科書などからの出典ばかりであり
当時の記録など、一次資料がほとんどなかった。
これは学術資料としての評価が著しく低いとしか言いようがないな
韓国政府や北朝鮮政府の主張に添った内容の本としか言いようがないが
まあ、もっともさすがに韓国や北朝鮮の主張を、そのまま掲載するのはまずいと思ったのか
韓国側が主張するように、強制連行の被害者が一千万を超えるとか。
北朝鮮の主張するように八百万にも達するとか。そこまでは書いていませんでしたけどね
外村氏の本の中身は、こんな事を主張する国の教科書などを丸写ししたようなものばかりですよ
在日本大韓民国民団などの団体も公式に強制連行を否定している。
最近でも、国会答弁で徴用等で日本に来た人で、日本に留まっている人は二百人程度だったことが認められている。
すでに結論が出た議論ですけどね
ちなみにこの二百人程度の大半は重犯罪者で刑務所に服役していた人たちだそうです。
後のこの中の何人かを、韓国側は李承晩ラインで不当に抑留された日本人を開放する条件として釈放を要求し
日本政府はやむなく釈放しました。
韓国が主張する強制連行ですが。韓国政府が、世界文化遺産登録に関して、朝鮮人が徴用された施設だと反発したが
問題の施設に関しても、政府の調査の結果、徴用された人たちの大半は内地からであり
朝鮮半島から徴用された人は確認されなかったそうだ。
政府見解が絶対に正しいとは私も思わないが
こうした事が間違いがあると指摘するのであれば、最低限、それを覆すだけの資料を用意するべきだが
韓国政府も徴用されたと主張する団体も一度として出したことはなかった。
こうした経緯もあり、日本側からは遺産登録に反対する韓国側の主張は、言いがかりとの反発が大きかった。
この外村大氏の本に書かれている内容を見ても、韓国の国定教科書などからの出典ばかりであり
当時の記録など、一次資料がほとんどなかった。
これは学術資料としての評価が著しく低いとしか言いようがないな
韓国政府や北朝鮮政府の主張に添った内容の本としか言いようがないが
まあ、もっともさすがに韓国や北朝鮮の主張を、そのまま掲載するのはまずいと思ったのか
韓国側が主張するように、強制連行の被害者が一千万を超えるとか。
北朝鮮の主張するように八百万にも達するとか。そこまでは書いていませんでしたけどね
外村氏の本の中身は、こんな事を主張する国の教科書などを丸写ししたようなものばかりですよ
「一次資料」の定義、書いてよ。
「一次資料」であれ「一次史料」であれ、それだけで正しくなるわけじゃないんだよなぁ。
2019年3月21日追加
「当時の記録など、一次資料がほとんどなかった」って、正気か?表(ひょう)に「典拠」ってあるけど(一例:p43「典拠 企画院(略)1939年6月20日)、それって一次史料(公文書)なんだけど。
やっぱり、「資料」と「史料」を確認して書き直したほうがいいと思う。
「一次資料」であれ「一次史料」であれ、それだけで正しくなるわけじゃないんだよなぁ。
2019年3月21日追加
「当時の記録など、一次資料がほとんどなかった」って、正気か?表(ひょう)に「典拠」ってあるけど(一例:p43「典拠 企画院(略)1939年6月20日)、それって一次史料(公文書)なんだけど。
やっぱり、「資料」と「史料」を確認して書き直したほうがいいと思う。
三次四次資料など、アテにはならない。ちゃんと当時の一次資料を用意して出してごらん。
カイロ宣言など、そんなものは連合国のヒステリックな宣言に過ぎず。その後、出されたポツダム宣言も含め
日本が主権を回復した後は何の効力も発揮しないよ
こんなこと国際法の初歩の初歩だ
カイロ宣言など、そんなものは連合国のヒステリックな宣言に過ぎず。その後、出されたポツダム宣言も含め
日本が主権を回復した後は何の効力も発揮しないよ
こんなこと国際法の初歩の初歩だ
>低賃金や重労働というが、その時代の日本人と比較してどうなのよ?
↑この答えはここに↓。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data2/data2-2.html
要するに朝鮮人は当時の日本人よりもはるかに劣悪な環境下で酷使され、多くの人が死に至らされたわけですよ。朝鮮人は「モノ」扱いだったのです。
教科書にもこう書いてある。(山川出版社、日本史B教科書用語集、2014年版)
http://imgur.com/TJP2c92
http://imgur.com/jtdK2M0
まあ俺のじいちゃんも、「当時の朝鮮人は、男はドカタで強制労働、女は慰安婦。奴隷扱いだったんだよ」と言っている。カイロ宣言にも「奴隷状態ナル朝鮮ノ人々」の文言がある。当時の日本は朝鮮人を人間扱いせず、男女ともにひどい扱いをしていたのですよ。歴史学界ではとっくに結論が出てることですけどね。外村さんは20年間も朝鮮人強制連行を追及し続け、今では東大教授をやっているそうだ。ちなみに自分は祖父の証言サイト http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/ というのを作ってます。良かったら読んでみてください。では。
↑この答えはここに↓。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data2/data2-2.html
要するに朝鮮人は当時の日本人よりもはるかに劣悪な環境下で酷使され、多くの人が死に至らされたわけですよ。朝鮮人は「モノ」扱いだったのです。
教科書にもこう書いてある。(山川出版社、日本史B教科書用語集、2014年版)
http://imgur.com/TJP2c92
http://imgur.com/jtdK2M0
まあ俺のじいちゃんも、「当時の朝鮮人は、男はドカタで強制労働、女は慰安婦。奴隷扱いだったんだよ」と言っている。カイロ宣言にも「奴隷状態ナル朝鮮ノ人々」の文言がある。当時の日本は朝鮮人を人間扱いせず、男女ともにひどい扱いをしていたのですよ。歴史学界ではとっくに結論が出てることですけどね。外村さんは20年間も朝鮮人強制連行を追及し続け、今では東大教授をやっているそうだ。ちなみに自分は祖父の証言サイト http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/ というのを作ってます。良かったら読んでみてください。では。
低賃金や重労働というが、その時代の日本人と比較してどうなのよ?
殊更、朝鮮人だからと言って、悪環境での労働を行われたのならともかく
当時の日本人の労働環境も極めて悪かった。
私の祖父から聞いた話だが、祖父も会社を経営していたが。
住み込みの職人たちには、宿と食事以外には報酬などほとんどなかったそうだ。
勤務して数年はそうだったそうだよ
また、当時、祖父の会社の職人たちからも話を聞いたが、誰も祖父を恨むような事は言わなかったよ
当時は当たり前だったで終わりだ。
軍艦島のそれでも問題となっているけど、それは当時の事だから低賃金で重労働だったでしょう
しかし当時の日本本土の人間と比較して著しく不利益を被っていたのかと言われたら、誰も答えてはくれないのですね
あとさ、官斡旋はあくまで斡旋であり、徴用や強制連行ではない
当時、日本本土と朝鮮半島では所得格差が大きい。現在でも東京と沖縄では四倍の所得格差があるし
地方と都市部では所得格差があるように、資本主義社会ではどうしても起こる事だ。
その所得格差から、わざわざ強制しなくても、幾らでも日本に働きたがる人間はいた。
また、戦争後期に人材不足がいよいよ激しくなり。徴用が朝鮮半島で行われましたが
その徴用にしても、そもそも戦時下での徴用は国際法でも認められた事であり、強制連行とは別問題のことだよ
当時の日本人でも学徒動員などの徴用で仕事に従事させられていた。
その事実を忘れているのではないかね
殊更、朝鮮人だからと言って、悪環境での労働を行われたのならともかく
当時の日本人の労働環境も極めて悪かった。
私の祖父から聞いた話だが、祖父も会社を経営していたが。
住み込みの職人たちには、宿と食事以外には報酬などほとんどなかったそうだ。
勤務して数年はそうだったそうだよ
また、当時、祖父の会社の職人たちからも話を聞いたが、誰も祖父を恨むような事は言わなかったよ
当時は当たり前だったで終わりだ。
軍艦島のそれでも問題となっているけど、それは当時の事だから低賃金で重労働だったでしょう
しかし当時の日本本土の人間と比較して著しく不利益を被っていたのかと言われたら、誰も答えてはくれないのですね
あとさ、官斡旋はあくまで斡旋であり、徴用や強制連行ではない
当時、日本本土と朝鮮半島では所得格差が大きい。現在でも東京と沖縄では四倍の所得格差があるし
地方と都市部では所得格差があるように、資本主義社会ではどうしても起こる事だ。
その所得格差から、わざわざ強制しなくても、幾らでも日本に働きたがる人間はいた。
また、戦争後期に人材不足がいよいよ激しくなり。徴用が朝鮮半島で行われましたが
その徴用にしても、そもそも戦時下での徴用は国際法でも認められた事であり、強制連行とは別問題のことだよ
当時の日本人でも学徒動員などの徴用で仕事に従事させられていた。
その事実を忘れているのではないかね
39年~45年までに官斡旋やら徴用やらで強制連行された朝鮮人は約72万人ですよ
(資料:大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史調査』通巻第10冊朝鮮篇第9分冊、1947年 より)
これは、山川出版社の高校生用歴史教科書にもちゃんと載ってます。
で、低賃金、重労働の過酷な環境で多くの人が酷使されたのも「事実」です。
で、戦後に帰還事業などが行われて、日本に残った人が245人、そういう事なのです。
というかこの外務省発表は、当時から問題視されていたようですよ
http://wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-abduction.html
山口県宇部地区だけでも245人いたそうです。眉唾ですよ。
(資料:大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史調査』通巻第10冊朝鮮篇第9分冊、1947年 より)
これは、山川出版社の高校生用歴史教科書にもちゃんと載ってます。
で、低賃金、重労働の過酷な環境で多くの人が酷使されたのも「事実」です。
で、戦後に帰還事業などが行われて、日本に残った人が245人、そういう事なのです。
というかこの外務省発表は、当時から問題視されていたようですよ
http://wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-abduction.html
山口県宇部地区だけでも245人いたそうです。眉唾ですよ。
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「朝鮮人強制連行」というタイトルからは、朝鮮人の労務動員に強制性はあったのか、あったとしたら、何人くらいの朝鮮人が強制的に連行されたのか、という内容が中心になると予想してしまうだろう。
私もそういう内容の本だと思って購入したが、実際の内容はずいぶん違った。 本書の内容は、1939年に開始され終戦まで続けられた、内地人をも含む戦時労務動員全体の中に朝鮮人の労務動員を位置付けることで、同じ日本帝国の支配領域でありながら(そしてそこで支配されているのは同じ帝国臣民でありながら)、内地と朝鮮の間でいかに労務動員にまつわる法制度や勅令に違いがあったかということや、その背景にある官僚や財界人らの植民地認識の実態(より具体的には総力戦遂行のための植民地の利用の仕方)を明らかにしている。
それを通して、
1、朝鮮人に対する労務動員の制度や手続きの体系が内地人に対するそれと比べて著しく前近代的で非効率なものに留まっていたこと。
2、朝鮮人の労務動員が内地の労務動員よりも、労働環境や福利厚生の面ではるかに肉体的にも精神的にも過酷なものであり、労働意欲を損なうものであったということ。
3、そしてその労務動員は、当時の内地と異なり農業が産業の中心を占めていた植民地朝鮮及びそこに住む朝鮮人にとって、労働力の多大な喪失を伴う点で、大きな負担になったということ。
4、それでも、嫌がる朝鮮人を無理やり内地に連れ込もうとして強制的な動員が行われたこと。
5、以上4点が植民地朝鮮を大きく疲弊させたのはもちろん、総力戦の合理的遂行とそのための植民地の有効活用をも妨げていたということ。
以上の点を明らかにしている。そして、内地人労働者も、朝鮮人よりはましだったとはいえ、過酷な労働を強いられたのである。著者が一番言いたいことは、 朝鮮人強制連行は人道的観点から問題なだけではなく、日本帝国の総力戦遂行を妨げていた点でも問題だったということだと思う。つまり、日本帝国の労務動員がいかにいい加減でお粗末なものであったかということである。評価できる点:朝鮮人強制連行を単なる人道的問題として見るのではなく、日本帝国の総力戦遂行全体の中に位置づけることで、多角的な考察ができていると思った。朝鮮人の労務動員を日本人の労務動員と関連づける視点がこうした考察を可能にしているものと思われる(類書ではあまり見られない視点)。
残念な点:
1、「〜だろう」「〜はず」などの、推定表現がやや目についた(その推定に根拠がないわけではないが)。
2、やや日本語として読みにくい箇所が少なくなかった(特に前半)。
3、タイトルと内容に落差があるような気がする。
タイトルは「日本帝国における労務動員と朝鮮人」くらいがちょうどよかったのではないか。
객관성의 기준을 충족 하는가? 만족하지 않는다. 이 저자는 마음이 상하지 않는 가
歴史家の努力の例と、客観性の確保。外村の調査のずさん。在日60万人、強制連行245人。
(強制連行といえるものは5000人程度、大部分は戦後帰国し「帰国できるにも関わらず自発的に残った」のは245人。60万人の韓国人朝鮮人は自らの意志で日本に来ている。)
歴史家の努力の例は、最後に書いた。古代日本の歴史学は、何を主張してもよい。それは、いま生きている人間の善悪に直接繋がらないから。しかし、歴史家は、自己の説が本等に正しいか、自説を唱えるとき、徹底的な調査をしその上でさらに批判を謙虚に待つ。歴史家とは程遠い外村太先生は、歴史家の1/100の努力もない。ファシストだろう。
古代史とは異なり、近代史、特に、強制連行や、慰安婦は歴史家以上の徹底的な検証を要求される。検証なき立論は、ヘイトスピーチであり、流言飛語であり、間違い、検証不足では済まない。これを理解しない者はファシストである。
検証にどのくらいの手間を掛けるものか、またs客観性の確保にどう言う手を尽くすのかは、最後の***** 歴史家の人間技と思えないほどの努力の例に書いたので参考にしてください。この外村大先生は、ほとんど虐殺者まがいであろう。
====
『朝鮮人強制連行』の著者外村大は、鄭 大均、「在日・強制連行の神話」 2004年を批判しているが、在日半島人61万人のうち強制連行は245人にしか過ぎない。例えば、漁船や輸送船はほとんど、徴用され、そのほとんどが乗組員とともに、海に沈んだ。何人、死んだのか。鄭 大均への外村の批判で、外村の限界が見え、踏むべき基本が抜けていることが解る。以下の要約は、最後に記すサイトによる。
鄭大均の主張と外村の批判
(a) ほとんどの在日韓国・朝鮮人のルーツが強制連行では無い(第2章、第3章)
日本に残った総計61万人のうち、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人
● 外村氏はこれを認め、鄭氏の主張に同意
(b) 在日韓国・朝鮮人は強制連行のために日本に移住したとする論者や文章が多い(第1章)、
(日本に残留した韓国朝鮮人60万人は245人を除き自発的に日本に来ているのだから、強制連行を主張する根拠はない。)
● 外村氏の反論はない
(c) 強制連行は在日1.5世と2世の言論によって発生した誤解による(第4章)。
● 外村氏はこの不正確な点に全く触れていない。
(d) 「在日朝鮮人は強制連行を強調し被害者性をアイデンティティの核にし」、【被害者性を売り物にしている】(第5章)。
● 外村氏は、【被害者性を売り物にしている】のは事実に反すると言う。 【】は解りやすいように私が書き加えた。
【被害者性を売り物にする】例、朴慶植氏、梁石日氏、姜尚中氏、辛淑玉氏は、在日韓国・朝鮮人は強制連行されて日本にいると主張。
以上(a)~(d)は、次のサイトから。「在日朝鮮人問題の専門家、外村大を批判する」
反論●は、外村 大『朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味』における、論駁から。
=== 外村氏とその著書は、恣意的と言えようか。信頼性に問題がある。
以下、一般的な批判。
==== 外村の主張補足
強制徴用を60万人とするらしい。これは、1939年列島で施行された国民徴用令が、半島でも1943年9月に施行された物を言うのだと思われる。日本に連れて来られたものは、列島にもともといたものを含め、5000人程度。半島は不明である。基本的に徴兵と同じ制度である。強制連行の名に値するものは、問題になっている炭鉱など数百人と思われるが、私には調査する時間がない。いずれにしても、徹底的な検証を、外村がしたとは思えない。
歴史家は、責任がある。1万点に及ぶ調査をするという本を読んだことがあり、レビ=ストロースや、フーコーは、あらゆる資料をすべて読みつくす。神話学は南米の神話1000件、北米の神話数千件を読み、民族学調査もほとんど読んでいる。自身、南米で数年に渡るフィールド調査をやる。フーコーは、書いた時代の全医学論文を読んだという。読み残しがあれば、恥ずべきことだという。それだけのことを、自己の義務として課している。
まして、この問題は正義を争う、政治イシューである。検証にどれだけの責務を伴うか、この外村は解っているのか。ウェーバーはすべてを調べ、その外回りの構造を調べつくし、完全な理解と、その結果責任を踏まえた立論をしないと、数十年、時には永遠に消えない問題を残すと述べている。この外村は、ウェーバーを読んだことがあるのだろうか。歴史への責任を自覚して、死ぬほどの調査をしているのか。
私の読んだ歴史家は、1万点に及ぶ調査で、気が狂いそうになったと述べている。ウェーバーはあなたにとって研究とはなにかと聞かれ、私がどれだけそれに耐えられるかですと答えている。これだけが原因ではないが、ウェーバーは精神をやんで、大学の教授を辞している。
ウェーバーは、人が特定の価値にしか立てないこと、しかし、それにも関わらず、客観性を要請した。特定の価値により、事項を分析するのは良い。しかし、分析が、客観性を満たすには、分析対象のメカニズにに関する全てを記述しなければならない。この記述が抜けると、恣意的な分析に陥り、グロテスクな、ファナティシズムに陥る。もっと簡単にいえば、ヘイトスピーチである。歴史上、このファナティシズムは、共産主義や、皇国史観として、悲劇を生んだ。ウェーバーの分析、プロテスタンティズムなどの分析は、関連する必要事項を、前提として書き、その上で分析している。
地球規模、国家間レベル、国家、地域、制度、経済、思想、人などの、総合的な記述を待って、その上で特定事項を分析しなければ、これはもはや客観性を満たさず、学問でないのはもちろん、ファナティックな、ヘイトスピーチにしか過ぎない。価値自由についても、書かねばならないが、長くなるので止める。
以下は、この著書に欠落する、事実と言う構造枠のほんの一部を追加しておく。歴史学者は、ウェーバーを理解せず、物を分析する。それが、奇妙な正義感のファナティックなヘイトスピーチにしかならないことを理解できずに。
以下の事実を、踏まえているとは思えない、この著者。
● 列島の国家予算の10%以上(一人あたりでは、列島も半島も、同額の予算になる。ネットのみの調査)を赤字の充填に費やし、道路・橋・灌漑・水力発電にあてた(以下、学者の本)。教育や農業工業技術援助。水田の田植え二毛作の指導などで、農業生産性は2倍。(李氏朝鮮では、農業生産性は、江戸時代の1/2~1/3)。これが大幅に向上した。どこが帝国主義か。
要するに、半島から上がる税収が殆ど無く、列島に住む住人の納税された税金を費やした。それが、予算の10%超。
半島の人口は、日本列島の人口の1/4程度だったから、1人あたりでは、日本の国家予算の半分だった。
統治中期に、完成品の移出・輸出が5%から45%に増える。技術力は顕著に上がり、また、完成品の輸入も大幅に上がる。この完成品の輸入の顕著な増加により、半島の生活水準が大幅に向上したことを伺わせる。
====
こういう事実を無視して、自分い都合のいいことだけを書くのか。
歴史家として問題だろう。
ユダヤ人は、大戦中、我々が死を賭して戦っている時、金儲けをしていた。こんな話を流す輩と、どこが違うのだ。
この話を書くのも、ドイツの知人を思うと、心が痛む。
● この著者は、心が傷まないのか。心が傷まないから、こう言う著書を書くのであろう。
***** 歴史家の人間技と思えないほどの努力の例。
いま、近代史をやる歴史家の、本を読んでいる。内省と自己の歴史家としての、方法、自分史を書く。
かれは、近代の日本が、欧米と違い、国内で資本を得るため、その綻びが、インドやアフリカでなく、国内、農民にしわ寄せが行ったとして、大久保などの政治家を含めた、近代史を書いた。その資料の読み方は、探し方は、以下のようであった。政治家はあまりに研究が多く、自分では無理である。また、経済情勢の分析も無理である。(しかし、経済の構造分析も、2章を費やす)。ではどうしたかというと、明治天皇の側近の日記、残っている80冊程度を中心に、政治家の動きを書いた(政府要人や、板垣ら野党)、そして、主人公を、若くして死んだ北村透谷とした。時代精神を移すものとして。読んだ本のノートは、2000に及んだという。この内の、1割を使い本を書いている。
どのくらいの量の資料を読んだかといえば、中心となる農民の動きの分析のため、農民資料を1万件くらい調べたという。開いた土蔵の数は、100位になるという。それは催事から、農耕にまで及ぶ。これらを分類して行き、価値観を持たないと、資料の山に押しつぶされ、狂気になるという。ある資料を読むと、その関連運動はもちろん、その人の生立ち、家族、周りの人間、地域からすべてを調べまくったという。
ウェーバーの言うように、価値、立場ビ立たなければ、ものを書くことはできない。この本でウェーバ0が出てくる訳ではないが、歴史家とはどのようなものか、人間業をほとんど超えた、その努力を示している。いかに、歴史像を作り出すかを。歴史家とはこういうものかと。
価値観だけで、本を像するのではない。不得意な、経済分析も二章を費やし、政治家の問題も、明治の天皇に使えた側近の日記から描き出している。もちろん、榎本武揚らの政治家の資料も駆使している。明治天皇の北陸行幸から筆を進める。そして、農民を中心に、背景に、時代精神としての北村透谷を書いていく。その背景に、1万点に及ぶ、農民資料の調査がある。
時代的な、政治的な、価値観で、だけで、物を書いているのではない。客観性を確保するため、どれだけの調査をしているのか。自分の不得意な、経済分析まで行っている。不得意と言っても、歴史家なのだから、経済構造分析の本も大学時代、何冊も読んでいるだろう。あらゆる資料を調べまくり、その資料の関連を追求し、それが1万点に及ぶ。それも、冠婚葬祭にまで及ぶのだ。政治家の資料も読みこなしている。そのメモが2000点に及ぶ。
背景から何から、すべて、調べ、客観情勢を示す、基石、道程も、経済分析も書き込む。切り口は主観である。しかし、客観を確保するため、社会的な情勢、条件を確保し、農民を書くのに、その背景から何から、調べられることは調べつくして、書いている。時代精神の象徴も慎重に選んでいる。
この作者はどうなのか。
*****
日本は悪だと言い募るのが、この外村の志なのだろう。可哀想に。
「日本は悪だと言い募るのが、この外村の志なのだろう」→しょうがないんじゃないの?徴用であれ官斡旋であれ、それをしたにもかかわらず戦争に勝てなかったんだもん。引用したような批判がおかしいよね。
39年~45年までに官斡旋やら徴用やらで強制連行された朝鮮人は約72万人ですよ
(資料:大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史調査』通巻第10冊朝鮮篇第9分冊、1947年 より)
これは、山川出版社の高校生用歴史教科書にもちゃんと載ってます。
で、低賃金、重労働の過酷な環境で多くの人が酷使されたのも「事実」です。
で、戦後に帰還事業などが行われて、日本に残った人が245人、そういう事なのです。
というかこの外務省発表は、当時から問題視されていたようですよ
http://wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-abduction.html
山口県宇部地区だけでも245人いたそうです。眉唾ですよ。
(資料:大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史調査』通巻第10冊朝鮮篇第9分冊、1947年 より)
これは、山川出版社の高校生用歴史教科書にもちゃんと載ってます。
で、低賃金、重労働の過酷な環境で多くの人が酷使されたのも「事実」です。
で、戦後に帰還事業などが行われて、日本に残った人が245人、そういう事なのです。
というかこの外務省発表は、当時から問題視されていたようですよ
http://wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-abduction.html
山口県宇部地区だけでも245人いたそうです。眉唾ですよ。
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第二次大戦は、日本の周辺国に甚大な被害をもたらしたが、旧植民地(朝鮮)や中国からの労働力の強制的な調達はそのひとつである。本書は、1966年生まれの若手研究者が、日本帝国や朝鮮総督府の公的記録を丹念に辿り、実証的に朝鮮人強制連行の全体像を明らかにしたものである(なお、中国人の問題は本書では言及されていない)。この問題にどのような政治的な立場をとるにせよ、まずこのような実証的な研究を出発点にすべきではないだろうか。
本書によれば、戦時動員により朝鮮から日本に送出された労働者の数は約70万人に達する。これらの人々すべてが強制的に徴用されて日本に来たわけではないが、様々な現地動員の記録によれば暴力的に徴用された人々も相当数にのぼる。また、主として配置された炭鉱の労働条件は悲惨な場合がほとんどで、脱走や暴動も頻出した。さらに、戦後から現在に至るまで、日本からの公式謝罪はなく、不払い賃金や謝罪を巡って訴訟が起こされている。
旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な演説に「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」という言葉がある通り、たとえ不愉快であろうが、過去を客観的に振り返らない限り近隣諸国との友好的な発展はない。この意味で、戦後世代の研究者が実証的な研究を行い、本書のように世の中に広めていくことを歓迎したい。
本書によれば、戦時動員により朝鮮から日本に送出された労働者の数は約70万人に達する。これらの人々すべてが強制的に徴用されて日本に来たわけではないが、様々な現地動員の記録によれば暴力的に徴用された人々も相当数にのぼる。また、主として配置された炭鉱の労働条件は悲惨な場合がほとんどで、脱走や暴動も頻出した。さらに、戦後から現在に至るまで、日本からの公式謝罪はなく、不払い賃金や謝罪を巡って訴訟が起こされている。
旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な演説に「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」という言葉がある通り、たとえ不愉快であろうが、過去を客観的に振り返らない限り近隣諸国との友好的な発展はない。この意味で、戦後世代の研究者が実証的な研究を行い、本書のように世の中に広めていくことを歓迎したい。
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