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忘却のための「和解」 ―― 『帝国の慰安婦』と日本の責任 [mbdb_book]
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3月28日、「『慰安婦』問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」と題した究集会が東京大学駒場キャンパスで開かれた。「朴裕河氏の論著について異なる見解を持つ論者たちが、意見を表明した上で対話する」ことを目的に呼びかけられた研究者や市民活動家、ジャーナリストら約150名が約5時間半にわたって意見交換した。
『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)は日本近代文学専攻の世宗大学校教授である朴裕河氏が「慰安婦」問題について書いた本である。
私は「慰安婦」問題サイトFightfor Justice運営委員やニコン裁判支援などをとおして「慰安婦」問題に関わっている。この間、日本では同書を裁判報道で知る人が多いと思う。しかし、裁判報道には、原告・「慰安婦」被害者たちがなぜ名誉毀損で告訴するという苦渋の選択をとるにいたったのか、その声に耳を傾け、詳しい事実関係や経緯を検証しようとする姿勢は見られない。それ
どころか歴史研究者を中心に事実関係の誤りが指摘されている同書への、リベラルと言われる日本の知識人やマスメディアの絶賛の声は鳴り止まない。なぜか。それを解き明かすことは、なぜいまだに当事者が望む解決が実現できないのかを考えることであり、当事者不在の日韓「合意」が強行されようとしている今、重要な課題の一つである。そんな思いで参加した一人として報告する。
まず、同書をめぐる事態について左頁の関連年表を参照しながら簡単に整理しておきたい。
同書は2013年に韓国で刊行された(プリワイパリ社)が、翌14年6月、「ナヌムの家」に暮らす9名の日本軍「慰安婦」被害者が、朝鮮人「慰安婦」を日本軍と「同志」的関係であり戦争の「協力者」などと表現した記述が名誉毀損だとして①出版等禁止と被害者らとの接近禁止の仮処分②名誉毀損による損害賠償(民事)③名誉毀損(刑事)を提訴した。仮処分の審理は3回開かれ、
被害者は参席したが、朴氏は一回も参席しなかった。そんな最中、同書日本語版が刊行されたのだ(*1)。日本では同書を「不動の恒星」と絶賛した作家・高橋源一郎氏をはじめリベラルとされる知識人やマスメディアが評価し、第27回アジア・太平洋賞特別賞、第一五回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞した。
一方韓国では、2015年2月、34ヵ所(*2)の記述削除の仮処分決定。6月、34カ所を伏せ字にした韓国語版第二版出版。11月、ソウル東部地方検察庁は名誉毀損罪で被告を在宅起訴。日本のマスメディアはこぞって「韓国の言論弾圧」として報道しはじめた。しかし韓国では名誉毀損は刑法で裁かれる。当事者が検察に刑事告訴し、検察が捜査する制度だ(*3)。しかも在宅起訴前に調停の機会があったことを指摘しておく。
日米の学者ら54人は「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧」「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず」とする「朴裕河の起訴に対する抗議声明」を発表(以下「54人声明」)。韓国の学者191人も起訴反対声明を出す。これらと異なる見解も出た。韓国内外の研究者・活動家ら380人が「充分な学問的裏付けのない叙述によって被害者たちに苦痛を与える本」であり学問的議論が必要とする「『帝国の慰安婦』事態に対する立場」★リンク貼る(今日入稿したもの)を発表した。2016年1月、ソウル東部地裁は被害者一人あたり一千万ウォン、計九千万ウォン(約八六五万円)の支払いを命じた(被告側は控訴)。現在も裁判係争中。
こうした事態の中で開催されたのが標題の研究集会である。外村大氏(東京大学)の発案で、金富子(キム・プジャ)氏(東京外国語大学)、中野敏男氏(当時・東京外国語大学)、西成彦氏
(立命館大学)、本橋哲也氏(東京経済大学)が実行委員となり呼びかけた。
同書に肯定的な「西・本橋推薦枠」から西氏、岩崎稔氏(東京外国語大学)、浅野豊美氏(早稲田大学)、同書に批判的な「金・中野推薦枠」から鄭栄桓(チョン・ヨンファン)氏(明治学院大学)、梁澄子氏(「慰安婦」問題解決全国運動共同代表)小野沢あかね氏(立教大学)が報告をした。
その後、指定発言者各5名、西・本橋推薦枠=木宮正史氏(東京大学)、太田昌国氏(評論家)、上野千鶴子氏(東京大学)、李順愛(イ・スネ)氏(研究者)、千田有紀氏(武蔵大学)、金・中野推薦枠=吉見義明氏(中央大学)、金昌禄(キム・チャンノク)氏(慶北大学校)、北原みのり氏(作家)金富子氏、中西新太郎氏(元横浜市立大学)が意見を延べ総合討論が行われた。司会は板垣竜太氏(同志社大学)、蘭信三氏(上智大学)。参加者は事前登録制を取った。
結論から言うと、集会の趣旨である同書の内容評価、論点の検証について十分な議論にならず噛み合わないまま終わった。すでにいくつかの報告記事(*4)があり、集会全記録・動画は準備中とのことなので、ここでは同書の主要な論点・具体的記述について言及した論者を中心に整理してみたい。
●新たな認識か誤用・誤読か
まず同書への全体的評価について、西氏と鄭氏の発言をみてみよう。
同書を高く評価する西氏は、「韓国内の『民族主義的な暴言』を抑制するための工夫に満ちた著作」で、「『加害者と被害者』『協力者と抵抗者』といった二項対立に「日本人と韓国・朝鮮人」を対応させてしまうことで、不可視化されてしまう部分を問おうとした」とし、最も重要な箇所として「そのような記憶を無化させ忘却するのは、彼女たちの体験を、民族の裏切り者の意味である
「親日」と指さすのと同じくらい、暴力的なことだ。そして、そのような自家撞着的な状態に陥れたのは言うまでもなく〈帝国〉である」を引き「解放後にサバイバーを押し黙らせた『偏見』が彼女らを『民族の裏切り者』とみなし、『記憶を無化させ忘却する』方向に働いたかもしれない戦後史全体を批判の対象に据えようとした」と絶賛した。
一方、鄭氏は、「慰安婦」たちを日本軍の協力者であるとみなす主張をする同書に対し、日本の言論界での評価が異様に高すぎるとし、同書の論旨への評価が分裂する理由は、矛盾する記述という同書の欠陥に由来すると分析した。具体的には、論証の手続きにおいて、史料・証言の恣意的引用・操作、概念・言葉の解釈修正、史料の誤読などが全編にわたって散見されると例をあげ指摘し
た。同書が過度に絶賛されるのは、兵士たちの目線、大日本帝国の論理から語られてきた80年代以前の「慰安婦」像を求めている日本社会、言論界の欲望に問題があり、その思想風土全体の自己点検が必要だと述べた。(詳しくは鄭栄桓著『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』世織書房刊参照)。
次に、同書の主要な論点に具体的に言及された部分を整理する。
①「同志的関係」「愛国」「自発性」
西氏は、同書で最も問題視される「朝鮮人慰安婦と日本人兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての〈同志的関係〉だったからである」という個所を引き、これは、「被害者」だったはずの「慰安婦」の方々を「協力者」のように見せかけてしまう「構造」を生み出したのが「帝国日本」の暴力性だという論旨であると説明。日本兵と朝鮮人「慰安婦」の〈同志的関係〉という一種
の幻想や錯覚に関する箇所では、現場で束の間の「恋」があったかのような事例を、文学作品を含む日韓両側の叙述を用い「再構成」しているというのだ。これを朴氏が強調するのは「日韓・日朝対立のパラダイム」を超え、日本軍の「協力者」と者』といった二項対立に「日本人と韓国・朝鮮人」を対応させてしまうことで、不可視化されてしまう部分を問おうとした」とし、最も重要な箇所として「そのような記憶を無化させ忘却するのは、彼女たちの体験を、民族の裏切り者の意味である「親日」と指さすのと同じくらい、暴力的なことだ。そして、そのような自家撞着的な状態に陥れたのは言うまでもなく〈帝国〉である」を引き「解放後にサバイバーを押し黙らせた『偏見』が彼女らを『民族の裏切り者』とみなし、『記憶を無化させ忘却する』方向に働いたかもしれない戦後史全体を批判の対象に据えようとした」と絶賛した。
一方、鄭氏は、「慰安婦」たちを日本軍の協力者であるとみなす主張をする同書に対し、日本の言論界での評価が異様に高すぎるとし、同書の論旨への評価が分裂する理由は、矛盾する記述という同書の欠陥に由来すると分析した。具体的には、論証の手続きにおいて、史料・証言の恣意的引用・操作、概念・言葉の解釈修正、史料の誤読などが全編にわたって散見されると例をあげ指摘し
た。同書が過度に絶賛されるのは、しての役割を強いられた男女が「被害者」であったかもしれないという、新しい認識の可能性を視野に入れるためだと解釈した。
これに対して鄭氏は、「愛国」的存在や「同志意識」「同志的関係」を論じる部分について、証言や史料の読解があまりに恣意的だとして、初歩的な読み方の誤りの例をいくつかあげた。たとえば、朴氏が朝鮮人「慰安婦」が「愛国」的存在である根拠にしている千田夏光著『従軍慰安婦』には実際はそうした主張はない。古山高麗雄の小説からも兵士の言葉を女性の側の意識を読み解く言
葉として解釈する操作が行われていることを検証。被害者の証言についても同様の操作があると批判した。
小野沢氏は、同書は〈からゆきさん=日本人「慰安婦」=朝鮮人「慰安婦」〉という前提に立ち、森崎和江著『からゆきさん』や朝鮮人「慰安婦」の証言を恣意的に引用し、朝鮮人「慰安婦」にも「愛国」「自発性」「同志的関係」があったと解釈していることを批判した。さらに、それが性奴隷制概念への批判や売春婦差別批判につながっていく点も問題だとした。
② 業者の責任/日本軍・日本政府の法的責任
西氏は、同書は「慰安婦」の動員や移送、搾取、虐待にも関与した「業者」の中に韓国人・朝鮮人がいたことをくり返し強調した。それは、韓国・朝鮮人は「被害者」「抵抗者」のカテゴリーに属さなければならないという考え方を一旦は「宙吊り」にし、そうした二項対立的思考では捕捉できない部分こそ、帝国日本の植民地支配をその内部にまで分け入って究明するために避けて通れない要素だと言うためという。
鄭氏は、同書は業者にのみ責任を指摘し、日本軍については、兵士たちが性的欲望をもつという「需要」を作り出し、制度を「発想」し、業者の犯罪的な人身売買を「黙認」した責任のみで、法的責任は問えないと明確に指摘しており、業者主犯説に立っていると主張した。
この点に関し上野氏は「業者主犯説、軍従犯説という読みはまったく誤読」と述べた。
しかし吉見氏は、同書が業者に法的責任はあるが日本軍・日本政府には法的責任は問えないという朴氏の主張を読むと、朴氏は戦時の構造的性暴力について構造的認識ができていないと批判した。
③植民地支配責任について
上野氏は、同書の「最も評価すべき点は、植民地支配の罪ということを突きつけたところ」だと評価した。
これに対し金富子氏は、同書は、朝鮮人「慰安婦」には未成年が多かったというこれまでの歴史研究を否定し、成人が多かったというまったく別の「慰安婦」像を主張している。日本人の場合と異なり朝鮮で未成年が徴集されたのは、植民地支配と民族差別を土台にした国際法の植民地除外や、性病対策などを理由にした「日本政府・軍の意志」である。つまり、朴氏の主張自体が、「植民地支配の罪」の否定につながっていると反証した。しかも「致命的なのはありもしない証拠をつくりだしていること」で、「学術的な評価の対象に値しない」と指摘した。
④記憶の選別・隠蔽について
岩崎氏は、同書の「植民地支配に抗する主体の記憶の選別やモデル化、範例化が起こっているという批判」は聞くべき指摘だと評価した。
一方、長年被害者支援をしてきた梁氏は、同書には朴氏が聞き取った被害者証言はなく、韓国の挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が編纂した証言集6冊から、日本人にとって受け入れやすい「楽しかった思い出」や「軍人への憐憫の情」「恋愛感情」などを「取捨選択」していると指摘。同書は、記憶を隠蔽してきたのは挺対協だという論旨を展開しているが、挺対協の編纂した証言
集にありのままに記録されているからこそ引用できたはずと批判した。
⑤被害者の声を聴くとは
小野沢氏は「証言がその元々の文脈から切り離されて引用され利用されている」とし、北原氏は「朴氏の選ぶ言葉からは、人間の痛みというものに対する共感はまったく感じられない」「日本軍と「慰安婦」との関係、日韓の関係、帝国主義とその支配下にあった人々との関係は、痛みの伴う身体ではなくエロス的身体として描かれている点がいちばん気になった」と語った。
浅野氏は討論のとき突然「ハルモニたち(「慰安婦」被害者)に自由に会えるようにしてくださいよ!」と会場に向かって叫んだ。被害者の「主体性」を運動が操作していると言いたいのだろう。しかしたとえば約20年前の「慰安婦」被害者たちを記録したドキュメタリー『記憶と生きる』(土井敏邦監督)を観るだけでも、彼女たちに「主体性」がないかのような発言はできないはずだ。
梁氏は、「慰安婦」にされるという体験をした人が抱える闇は、普通の経験しかしたことのない者には到底わかり得ないことであり、それを意識してはじめて被害者たちの経験を謙虚に想像することができる。朴氏の被害者証言解釈に決定的に欠けているのはその謙虚さだと指摘した。
●知識人・メディアの責任は?
以上のような論点について、これ以上議論が深まることはなかった。同書を肯定する論者からは、事実関係の誤りについて具体的な反証はなく、「増補改訂版とか出るときにはできるだけ直してもらえるよう助言をしていきたい」(西)、「実証研究のレベルで多くの問題をはらんでいる」(本橋)、「脇が甘いというか、これでは誤読を招く」(上野)、「史料の扱いが丁寧であるとは思わない」(千田)など、同書に欠陥があることを認めるコメントが続いた。
当日参加していた朝日新聞記者・OBの皆さんはどう思ったのだろうか。歴史研究の蓄積からみても見過ごすことのできない欠陥がある同書を容認したまま高い評価を与え、賞を与え、言論・出版界に流通・普及させてしまったことについて、「知識人の責任」「メディアの責任」はないのか。朝日新聞出版の責任も重い。同社青木康社長は自社サイトで〈「確かな情報に基づいた一冊か」を
自らに問いかけ、いい本、いい雑誌をつくろうと努力してまいります〉と述べているが、同書は「確かな情報に基づいた一冊」なのか?
史料や証言の誤用や恣意的引用にもとづいた記述によって「慰安婦」被害者を傷つけ、日本の法的責任は問えないとする同書を〈『日韓(日朝)』といった二項対立の克服〉(西)という新しい問題提起として前向きに議論すべきと言われても、「間違ったテキスト前提に議論を深めることはできない」(北原)のだ。
日韓の政治決着による日韓関係の改善のために有効な本であり、批判する人や運動は「日本だけを悪者にして」(木宮)おり「日韓関係の改善」にとって障害になるという発言まであったのには耳を疑った。
●「レッテル貼り」が分断招く
議論の中で、同書を評価する登壇者から「慰安婦」問題解決運動への根拠を示さない「レッテル貼り」「バッシング」が繰り返されたのはもう一つの驚きだった。「一枚岩」「同じトーン」「感情的」「政治文化の自家中毒」「内輪もめ」「潰し合い」「糾弾していばる」など(岩崎氏、浅野
氏、太田氏、上野氏)。
運動批判はあってよい。が、根拠もあげず「上から目線」で運動批判をするとは、「学問の自由」を標榜する知識人がすることだろうか。こうした言動こそ分断を招き、傍観している人々に消費されるだけだ(*5)。一方的な「レッテル貼り」や運動経験のルサンチマンではなく、具体的な論拠をあげ検証した上で批判すべきである。そうすれば梁氏が言ったとおり運動の側は真摯に受け止める。
●訴えた被害女性たちの思い
上野氏は「刑事告訴をしたのは、韓国の司法、検察」と発言し、会場から「違う!」と声があがり騒然とした。『帝国の慰安婦』裁判=「韓国の国家権力による言論弾圧」というイメージはこうして再生産(*6)されている。朴氏を名誉毀損で告訴したのは「慰安婦」被害者たち本人である。上野氏の発言は、結局、性暴力被害当事者の主体性を否定することだ。
上野氏は何度も「刑事告訴はだめ」という合意を求めた。しかし、被害者たちを告訴せざるをえない状況に追い込んだものは何か、それこそが言論の劣化・知識人の責任だ、と鄭氏も北原氏も指摘しているのだ。日本のアカデミズムやジャーナリズムの主流には、刑事告訴に抗議する前にやるべきことがあるだろう。
いま改めて、「学問」の対象とされている日本軍「慰安婦」サバイバーの女性たちのことを考える。朴氏の研究対象とされたハルモニたちが同書の内容に傷ついたと言っているのに「言論には言論で」(「54人声明」)という暴力性(*7)。
「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず」という「54人声明」に署名した西氏は、この一文を「あえて主張せざるを得なかったのは、同書が「慰安婦」サバイバーの方々の『名誉を傷つけるものである』という判断を固定化させるようなジャーナリズムや知識人の動きが原告の告訴を後押ししているのではないかという疑いから自由ではなかったから」と説明した。
しかし、現実はむしろ逆だ。日本のマスメディアによるこの裁判報道で原告・被害者の声を取材した記事を私は読んだことがない。一方、被告・朴氏の言葉やインタビューは溢れている。たとえば朝日新聞は起訴以降相当な頻度で被告側の意向を伝える記事を載せ、「54人声明」も電子版に全文掲載した(紙面・電子版あわせて3ヵ月で21回、24,842文字、筆者調べ*8)。北原氏はこの一文について「少なくとも性暴力被害者に向けた言葉としては誤りだったと認めてほしい」と訴えた。「54人声明」に署名した本橋氏は『サバルタンは語ることができるか』(スピヴァク)を引用しつつ、北原氏や梁氏の指摘を受け「この一節がある限りにおいて署名すべきではなかった」と撤回の意思を明らかにする一幕もあった。
議論が噛み合わなかったとはいえ、この日、誤用、恣意的引用、論拠なき記述が具体的に指摘されたのだから、同書に「新しい/重要な問題提起」があると評価する知識人、マスメディアおよび出版社、何より著者はまずは歴史的事実と被害者の証言に謙虚に向き合い、テキストの根本的な検証をすべきである。そこからしか議論を深めることはできない。
岡本有佳(編集者)
登録2016年6月30日
*1 日本語版は大幅な加筆修正が行なわれている。その違いについては、鄭栄桓「戦後日本」肯定の欲望と『帝国の慰安婦』――韓国語版・日本語版の異同から見えてくるもの)」参照。『Q&A‘위안부’문제와 식민지지배책임』(삶창)に収録。日本語は日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編、金富子・板垣竜太責任編集『Fight for Justiceブックレット3 Q&A朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任 あなたの疑問に答えます』(御茶ノ水書房)増補版に収録予定。
*2 「『帝国の慰安婦』出版禁止箇所(34ヶ所)と日本語版の表現」鄭栄桓著『忘却のための「和解」:『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)参照。
*3 韓国では名誉毀損は刑法で裁かれる。つまり、当事者が検察に刑事告訴し、検察が捜査する制度になっている。イ・ナヨン氏インタビュー「戦時性暴力システムを問う」『世界』2016年4月号参照。
*4 土田修「朴裕河氏の「帝国の慰安婦」をめぐり擁護と批判で初の討論会」『ハンギョレ新聞』日本語版2016年4月23日、本誌取材班「激論!『帝国の慰安婦』をめぐるシンポジウム」『週刊金曜日』2016年4月22日(1085号) 、竹内絢「『帝国の慰安婦』をめぐり研究集会」『女たちの21世紀』86号(2016年6月)、李杏理「『帝国の慰安婦』をめぐる研究集会・参加報告」『バウラック通信』9号(2016年6月)、能川元一ブログ★リンク
* 5 驚くことに、つい最近も朝日新聞のWEBRONZAで中沢けい氏が「被害を訴える社会運動に不利に働くからという理由で朴裕河氏の著作を排除しようとする人々」という根拠を示さないレッテル貼りをしている(2016年4月20日アクセス)。
*6 「原告=挺対協説」という誤報がメディアや識者に広がっていることは筆者の3/28研究集会当日資料で指摘した。BS朝日ニュース番組『いま世界は』(2015年6月14日放映)、第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞理由(ホルバート・アンドリュー元日本外国特派員協会会長執筆)に誤報があり、指摘したところ、BS朝日は訂正を放送で流し、早稲田ジャーナリズム賞はサイトからその部分を削除した。
*7 戦後思想・戦後文学の名編集者・松本昌次氏は「54人声明」について、「『学問・言論の自由』を唱えていればコトが済むと思っている方たちよ、まずみずからの『感受性の欠落』を見つめ、『犠牲者への愛』を学問・言論の根底に据えて欲しいと願います」「さらに愕然としたのは、朴氏の起訴に対し、日米の知識人65人が、「学問や言論の自由」を看板に、抗議声明を出したことです。その中にはわたしの存じ上げている方もいて、ユーウツですが、ここに名を連ねた一人である大江健三郎氏はかつて、柳美里氏の『石に泳ぐ魚』の出版禁止事件の折、「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまで尊重されねばなりません。」と表明したとのことです。今回の抗議声明への加担とは、全く逆ではないでしょうか。」と書いている。そのとおりである。レイバーネット連載「松本昌次のいま、よみつぎたいもの」第7回 2016年4月1日。
*8 2016年4月7日に、韓国ソウルの中央大学で開かれた日韓共同シンポジウム「日本軍「慰安婦」問題・Fight for Justice」で筆者の発表「日韓「合意」後、日本の「慰安婦」言論状況を考える〜「合意」、少女像、『帝国の慰安婦』〜マスメディアから、街頭まで」に収録。
• 本稿は、『放送レポート』(リンク:http://mediasokenorg/broadcast_report/viewphp?id=131&title_p=)261号(20167・8)(メディア総合研究所編、大月書店)に掲載されたものに若干加筆修正し、紙幅の都合で割愛した注の追加をしたものである(2016年6月30日)。発売中の雑誌にもかかわらず、再録を許諾していただいたことに感謝します。
声明:『帝国の慰安婦』事態に対する立場 [page]
http://fightforjustice.info/?page_id=4412&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27日本軍「慰安婦」問題について深く考えこの問題の正当な解決のために努力してきた私たちは、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』に関連する一連の事態に対して実に遺憾に思っています。
2013年に出版された『帝国の慰安婦』に関連して、2014年6月に日本軍「慰安婦」被害者9 名が朴裕河教授を名誉毀損の疑いで韓国検察に告訴し、去る11月18日に朴裕河教授が在宅起訴されました。これに対し、韓国の一部の学界や言論界から学問 と表現の自由に対する抑圧であるという憂慮の声が出ており、日本では11月26日に日本とアメリカの知識人54名が抗議声明を発表しました。
私たちは原則的には研究者の著作に対して法廷で刑事責任を問うという方式で断罪することは適切でないと考えます。しかし、私たちは学問の自由と表現の自由 という観点からのみ『帝国の慰安婦』に関する一連の事態にアプローチする態度については深く憂慮せざるをえません。日本軍「慰安婦」問題が日本の国家機関 の関与のもと本人の意思に反して連行された女性たちに「性奴隷」になることを強いた、極めて反人道的かつ醜悪な犯罪行為に関するものであるという事実、そ の犯罪行為によって実に深刻な人権侵害を受けた被害者たちが今この瞬間にも終わることのない苦痛に耐えながら生きているという事実こそが、何よりも深刻に 認識されなければなりません。
その犯罪行為について日本は今、 国家的次元で謝罪と賠償をし歴史教 育をしなければならないということが国際社会の法的常識です。しかし、日本政府は1965年にはその存在自体を認めなかったため議論さえ行われなかった問 題について1965年に解決されたと強弁する不条理に固執しています。日本軍「慰安婦」被害者たちはその不条理に対し毎週水曜日にすでに1200回以上も 「水曜デモ」を開催しており、高齢の身をおして全世界を回りながら「正義の解決」を切実に訴えています。私たちは、これらの重い事実を度外視した研究は決 して学問的でありえないと考えます。
私たちは、『帝国の慰安 婦』が事実関係、論点の理解、論拠の 提示、叙述の均衡、論理の一貫性などさまざまな面において多くの問題を孕んだ本であると思います。既存の研究成果や国際社会の法的常識によって確認された ように、日本軍「慰安婦」問題の核心は日本という国家の責任です。それにもかかわらず『帝国の慰安婦』は、責任の主体は「業者」であるという前提に基づい ています。法的な争点に対する理解の水準はきわめて低いのに比べて、主張の水位はあまりにも高いものです。充分な論拠の提示をせずに、日本軍「慰安婦」被 害者たちが「自発的に行った売春婦」であり、「日本帝国に対する『愛国』」のために「軍人と『同志』的な関係」にあったと規定することは、「被害の救済」 を切実に訴えている被害者たちに更なる深刻な苦痛を与えるものであるといわざるをえません。このように、私たちは『帝国の慰安婦』が充分な学問的裏付けの ない叙述によって被害者たちに苦痛を与える本であると判断します。ゆえに、私たちは日本の知識社会が「多様性」を全面に押し出して『帝国の慰安婦』を積極 的に評価しているという事実に接して、果たしてその評価が厳密な学問的検討を経たものなのかについて実に多くの疑問を持たざるをえません。
私たちは、この事態を何よりも学問的な議論の中で解決しなければならないと考えます。韓国と日本と世界の研究者たちが問題について議論し、その議論の中で 問題の実態を確認し解決方法を見つけるために、ともに知恵を出し合うことが必要であると思います。そこで、私たちは研究者たちが主体になる長期的かつ持続 的な議論の場を作ることを提案します。また、その一環として、まず朴裕河教授や『帝国の慰安婦』を支持する研究者たちに、可能な限り近いうちに公開討論を 開催することを提案します。
最後に、私たちは名誉棄損に対する 損害賠償請求と告訴という法的な手 段に訴えねばならなかった日本軍「慰安婦」被害者らの痛みを深く反芻し、日本軍「慰安婦」被害者たちにさらなる苦痛を与えるこのような事態に陥るまで私た ちの思考と努力が果たして十分であったのかどうか深く反省します。また、外交的・政治的・社会的な現実によってではなく、正義の女神の秤が正に水平になる ような方法で日本軍「慰安婦」問題が解決されるよう、更なる努力を重ねていくことを誓います。
2015122.
日本軍「慰安婦」被害者たちの痛みに深く共感し
「慰安婦」問題の正当な解決のために活動する研究者・活動家一同
『帝国の慰安婦』事態関連クロニクル [page]
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---|---|---|
2013 | 『帝国の慰安婦』韓国のプリワイパリ社より刊行される。 | |
2014.6 | 「ナヌムの家」に暮らす9名の日本軍「慰安婦」被害者が、本書の記述が名誉棄損にあたるとして告訴状を提出(刑事)。出版差し止めの仮処分、「慰安婦」被害者への接近禁止を申請。著者と出版社に損害賠償訴訟を提起(民事)。(注1) | |
2014.7〜11 | この間、仮処分の審理が3回開かれ、「慰安婦」被害者は参席したが、朴氏は1回も参席しなかった。 | |
2014.11 | 日本語版が朝日新聞出版より刊行される。 | |
2015.2 | ソウル東部地方裁判所は、出版差し止め仮処分申請の一部を認め、34ヵ所の記述(注2)が名誉毀損だとし、削除を命じる。 | |
2015.6 | 削除を命じられた34ヵ所を伏せ字(○○と表示)にした韓国語第2版がプリワイパリ社より刊行される。 | |
2015.8〜9 | 検察は刑事起訴前に、調停を提案。原告側は、著者の謝罪、韓国語版第2版の伏せ字表現の是正、他国での出版における同個所の削除を求めたが不成立。 | |
2015.10 | 『帝国の慰安婦』日本語版が第27回アジア・太平洋賞特別賞(毎日新聞社主催)受賞。第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(早稲田大学主催)受賞。 | |
2015.11 | 日本の学者ら54人が「朴裕河の起訴に対する抗議声明」発表。 | ソウル東部地方検察庁は、名誉毀損の罪で朴裕河を在宅起訴した。(「出版物等による名誉毀損罪」ではなく、一般名誉毀損罪のうち虚偽事実の公表の罪で起訴)。 |
2015.12 | 韓国の知識人194人が「『帝国の慰安婦』の刑事起訴に対する知識人声明」発表。 韓国内外の研究者・活動家ら380人が「『帝国の慰安婦』事態に対する立場」発表(注3)。 | |
2016.1 | ソウル東部地裁は被害者一人あたり1千万ウォン、計9千万ウォンを支払うよう命じた(被告側は控訴)。 | |
2016.2 | 朴氏が『帝国の慰安婦』韓国語第二版をインターネットで無料公開。 | ソウル東部地裁が損害賠償金の差し押さえを認めたことを受け、世宗大学が朴氏の給与の一部差し押さえを通知。2〜3月の給与の一部差し押さえ。 |
2016.3 | 研究集会「『慰安婦』問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」が東京大学キャンパスにて開催される(注4)。 | 仮処分異議申請裁判開始。ソウル高裁は朴氏による強制執行停止申請を認め、賠償金の半額の4500万ウォンの供託金を裁判所に預けるよう命じ、朴氏は同額を預ける。 |
2016.5 | 現在も裁判係争中。朴氏は「国民参与裁判」の実施を申請中。 |
注1)韓国では名誉毀損は刑法で裁かれる。つまり、当事者が検察に刑事告訴し、検察が捜査する制度になっている。イ・ナヨン氏インタビュー「戦時性暴力システムを問う」『世界』2016年4月号、岩波書店参照。
注2)「『帝国の慰安婦』出版禁止箇所(34ヶ所)と日本語版の表現」鄭栄桓著『忘却のための「和解」:『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)参照。
注3)前田ブログ http://maeda-akirablogspotjp/2015/12/blog-post_10html など参照。
注4)2016年3月28日開催。外村大氏(東京大学教授)の発案で、金富子氏(キム・プジャ/東京外国語大学教授)、中野敏男氏(東京外国語大学教授・当時)、西成彦氏(立命館大学教授)、本橋哲也氏(東京経済大学教授)が実行委員となり呼びかけた。まず、同書に肯定的な「西・本橋推薦枠」から西氏、岩崎稔氏(東京外国語大学教授)、浅野豊美氏(早稲田大学教授)、同書に批判的な「金・中野推薦枠」から鄭栄桓氏(チョン・ヨンファン/明治学院大学准教授)、梁澄子氏(ヤン・チンジャ/「慰安婦」問題解決全国運動共同代表)、小野沢あかね氏(立教大学教授)が報告をした。その後、双方より指定された発言者各5名、西・本橋推薦枠:木宮正史氏(東京大学教授)、太田昌国氏(評論家)、上野千鶴子氏(東京大学名誉教授)、李順愛氏(イ・スネ 研究者)、千田有紀氏(武蔵大学教授)、金・中野推薦枠:吉見義明氏(中央大大学教授)、金昌禄(キム・チャノク/慶北大学校教授)、北原みのり(作家)、金富子氏、中西新太郎氏(元横浜市立大学教授)が意見を延べ、総合討論が行なわれた。
研究集会についての記事として現在のところ以下のようなものがある。
・土田修「朴裕河氏の「帝国の慰安婦」をめぐり擁護と批判で初の討論会」『ハンギョレ新聞』日本語版2016年4月23日、同、韓国語版 http://wwwhanicokr/arti/international/japan/740933html
・本誌取材班「激論!『帝国の慰安婦』をめぐるシンポジウム」『週刊金曜日』2016年4月22日(1085号)
・ 岡本有佳「問われているのは日本社会だ〜『帝国の慰安婦』をめぐる議論から」『放送レポート』(2016年6月号、メディア総合研究所)
・竹内絢「朴裕河『帝国の慰安婦』めぐり討論集会」『女たちの21世紀』86号(2016年6月号、アジア女性資料センター)など。
なお、全記録を実行委員会で準備中とのことである。
(作成:岡本有佳)【2016年6月7日更新】
被害者の声に耳を傾けているか? 〜朴裕河『帝国の慰安婦』批判 [page]
http://fightforjustice.info/?page_id=4361&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27梁澄子
朴裕河(パク・ユハ)著『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)は、多角的で総合的な批判を加える必要がありますが、ここではその被害者認識のみ取り上げます。
日本で発売されて以来、いわゆるリベラル派のメディアや知識人に賞賛されていることに危惧を感じています。評価する論調としては、①「慰安婦」にされた女性たち「一人一人の様々な、異なった声に耳を傾け」ている、②自国(韓国)のナショナリズムに「公平に」向き合った「孤独な」仕事である、といったものです。
まず、①に関わる本書の記述です。
「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。
私は、こうした考え方には全面的に同意できます。私を含め被害者支援をしてきた人たちは、みなこういう気持ちで被害者に接してきたと思います。
ですから、朴裕河さんが、「その声が、支援者たちには無視された」、「慰安婦たちの〈記憶〉を取捨選択してきた」と書いていることには同意できません。
さらに、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての〈同志的関係〉だった」という「彼女たちには大切だったはずのその記憶は、彼女たち自身によって『全部捨て』られるようになる。その理由は、(それを)『持ってると問題になるかもしれないから』」だと。「その記憶を隠蔽しようとしたのは、まずは当事者たち—彼女たち自身だった」とし、「そのような記憶を無化させ忘却させるのは、……暴力的なことだ」と言います。そして、「慰安婦」をめぐる韓国における集団記憶を形成し固めてきたのは韓国の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」であるとしています。
ここで、「朝鮮人慰安婦と日本兵士の関係が同志的関係だったという彼女たちにとっては大切だったはずの記憶」という解釈については受け入れることはできませんが、被害者自身が語らなくなった記憶があることについては、そのとおりだと思います。その原因は無理解な社会の抑圧でした。そして、それを一番悲しみ、あなたの体験はありのままに語っていい体験なのだと、身近で語りかけてきたのは、支援団体の人たちでした。
●被害証言の暴力的な取捨選択・読み方
朴さんは、朝鮮人慰安婦はほかの占領地の被害者とは違って、「帝国の慰安婦」として、日本兵と「同志的関係」を結んでいたと主張するために、小説などを引用するとともに、批判対象としている挺対協と挺身隊研究会が編纂・出版した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(*1)から多くの引用をしています。
挺対協は、被害者の証言を六冊にわたり真摯に聞き取って、ありのままに伝えようとしてきました。だからこそ、朴さんはこの証言集から、「慰安婦」には日本兵に恋愛感情を持った人がいたとか、軍人と平和なひとときを過ごすこともあったといった部分を取り出せたわけです。『帝国の慰安婦』のカバーには、「元慰安婦たちの証言を丹念に拾い」と書かれていますが、まさにこの証言集から自らの主張に合う部分を「丹念に拾った」のが『帝国の慰安婦』なのです。これは、彼女の言葉を借りれば、被害者の証言を「取捨選択」しているのであり、これこそが「暴力的」ではないかと思います。
証言の拾い方だけでなく、その読み方も暴力的です。朴さんは、文学作品を読んで評論するかのような手法で、この証言集を読み解こうとしていますが、想像力の欠如と読解力の拙さを露呈しています。
●アニメ『少女の物語』の証言は「自発性」の消去?
一つ例をあげましょう。日本でも出版された、被害者チョン・ソウンさんの肉声を用いた3Dアニメ『少女の物語』(*2)です。朴さんは、「自分から」行ったとチョンさんは証言しているのに、その音声がアニメでは故意に消されていると指摘していますが、誤りです。
原作アニメでは″그래가지고 내가 자청을 해서 간기라”(それで私が自分から行くと言って行ったんだよ)という音声が入り、韓国語字幕もついています。日本語字幕は「行くって言ってしまったんだよ」と簡略化されていますが、音声は同じで消されていません。
しかも、この証言の経緯は、真鍮の食器の拠出に抵抗した父親が捕まり、娘のチョンさんが工場に働きに行けば父親を釈放してあげると言われたから、それを信じて自分から行くと言った、という話です。これを「自発的に行った」と読み取る感覚が理解できません。
また、本人の自発性の有無によって被害に違いが出るという考え方こそ、被害者たちが本当のことを言えないようにした無言の圧力でした。国家が、女性の性を戦争遂行のための道具として利用するという重大な人権侵害が「慰安婦」問題の本質です。仮に、当事者が自分で決めて行ったとしても、たとえ「慰安婦」にされることをわかったうえで行ったとしても、国はその女性に対していっさい免罪はされないのです。それが、日本軍「慰安婦」問題解決運動が四半世紀にわたる運動のなかで見いだしてきた事実です。
●阿片をめぐる証言への驚くべき解釈
さて、このアニメに関する記述では、以下の部分が韓国の裁判(*3)で削除すべきという決定が出た部分です。
「阿片は、一日一日の痛みを忘れるための手段だっただろう。しかし、証言によると、ほとんどは「主人」や商人を通じた直接使用だった。軍人と一緒に使用した場合は、むしろ楽しむためのものであったと見なければならない」
私は初めて韓国語版を読んだとき驚愕しました。こうした表現を知って、「ナヌムの家」のハルモニたちが提訴という手段に訴えたのも、無理のないことだと思いました。日本語版でも、「阿片は、身体の痛みをやわらげる一方で、時には性的快楽を倍加するためにも使われていた」とあります。
朴さんはその根拠として、先の証言集から二つの記述をあげていますが、そのなかで、「阿片は軍人と一緒に使用した場合には楽しむためのものだった」、「性的快楽を倍加するために使われていた」という記述の根拠になっていると思われるのは、唯一、以下の部分です。
「軍人たちがこっそり打ってくれたんだけど。一緒に阿片を打ってあれをやると、すごくいいって言いながら、女にも打って、自分たちにも打って、そうしたんです。」。
これは、明らかに軍人の視点、軍人が何を言いながら「慰安婦」女性に阿片を打っていたのかを語っている証言です。これを、「慰安婦」被害女性が一緒に楽しむために阿片を打っていたと読むのは、慰安所というものをあまりにも牧歌的にとらえる幻想から出るものだと思います。直接、被害者の証言を聞いたことがないからというだけでは説明できません。被害者の証言を、それを語るときの苦渋にみちた表情を含めて聞き取ってきた私たちからすれば、驚くべき解釈です。
最近、いまだに自らの体験をなかなか言葉にできない方の証言を聴きました。彼女がいた慰安所は三部屋で「慰安婦」四人、平日は三人だが、週末は四人がフル回転する、「三部屋しかないのに」と尋ねると、「だから全部見えるんだよ」と苦しそうに顔をゆがめました。つまり、一番若かった彼女がいつも二人部屋を割り当てられ、仕切りもなく、すぐ横でもう一人の「慰安婦」が軍人の相手をさせられていたというのです。その情景に私は絶句しました。
そんな彼女が唯一顔をほころばせて語ったのは、正月に部隊で行なわれた餅つきです。そのお餅がこの世のものとは思えないくらい美味しかったと。数年におよぶ「慰安婦」生活でたった一度だけの楽しい思い出を語るときの笑顔の背後にある地獄のような日々を思わずにはおられませんでした。こういう記憶を「楽しい餅つきの思い出」として切り取ることは、通常ならできないはずです。
「戦後日本」肯定の欲望と『帝国の慰安婦』――韓国語版・日本語版の異同から見えてくるもの [page]
http://fightforjustice.info/?page_id=4317&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27鄭栄桓
朴裕河『帝国の慰安婦』の特徴は、日本軍「慰安婦」制度について、秦郁彦に代表される「日本軍無実論」と同様の主張を前提とする一方で、戦後日本がいかに植民地支配を向き合ってきたかを強調するところにある。「戦後史」の肯定を欲するナショナリズムに即応するこうした本書の主張が、日本の右派のみならずいわゆる「リベラル」に高く評価された理由であると考えられるが、日本語版ではとりわけこうした観点が強調されている。
一例をあげよう。植民地支配に対する日本の謝罪について、韓国語版には次のような記述がある。
いわば日本は1945年に「帝国」が崩壊する以前に「植民地化」した国家に対し、実際には公式に謝罪・補償しなかった。朝鮮朝廷の要請を受けたというが、植民地化過程での東学軍の鎮圧に対しても、1919年の独立運動当時、収監/殺害された人々に対しても、関東大震災当時殺害された数多くの人々に対しも、その他に「帝国日本」の政策に従わないという理由で投獄されたり過酷な拷問の末に生命を失った人々に対しても、公式的にはただの一度も、具体的に言及したことはないのである。そして「朝鮮人慰安婦」らは国民動員の一形態とみることができるが、帝国の維持のための動員の犠牲者という点で、この人々と同じく植民地支配の犠牲者である。(韓、262頁)
東学の鎮圧や関東大震災時の朝鮮人殺害が「帝国の維持のための動員の犠牲者」と位置付けることは明らかに歴史的事実と異なっているが、ひとまず著者が何を主張したいかはわかる。日本は朝鮮人「慰安婦」を含む植民地支配に関連する加害について、一度も公式に謝罪したことがない、という主旨であろう。これに、だからといって「韓日条約自体を壊し再協商するのがただちに最善の解決策ではない」という主張が続く。
この箇所は日本語版では次のように修正されている(下線部は追加された文章である)。
「その意味では、日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない。両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきたし、そのことはもっと韓国に知られるべきだが、それは実にあいまいな言葉によるものでしかなかった。一九一九年の独立運動の際に殺された人たちに対しても、関東大震災のとき「朝鮮人」であるという理由だけで殺された人々に対しても、そして帝国日本の方針に従わないという理由だけで監獄に入れられ、過酷な拷問の末に命を落とした人々に対しても、一度も公式には具体的に触れる機会のないまま今日まで来たのである。
もっとも、同じような境遇に処された日本人もまた、そのような謝罪や補償の対象にはならなかった。もちろんそれは治安維持法など、当時の体制批判を取り締まれる法律に則ってなされたものだから、少なくとも〈法的〉には責任がないことになる。」(日、251頁)
両者を比較すると、日本語版では大きく二つの点で強調点が修正されていることがわかる。
まず、治安維持法による日本人への弾圧が「同じような境遇に処された」ものとする文が追加されたことにより、三一運動や関東大震災時の朝鮮人虐殺とあわせて「帝国日本」による弾圧として一括りにされ、植民地支配に関連する加害の固有性が希釈化されていることである。韓国語版だけを読む限りでは、植民地支配に起因する被害の一つとして朝鮮人「慰安婦」をとらえているように読めるが、日本語版の追加の記述により、実際には「帝国日本」のもとでの日本人の被害と同質の問題と著者が捉えていることがわかる。
本書の基本的な主張は、朝鮮人「慰安婦」は日本人と同じ「帝国の慰安婦」であり、中国や東南アジアなど「敵国」の女性たちと日本軍との基本的な関係において異なる、というところにあることを考えると、三一運動への弾圧と治安維持法による日本人への弾圧を「同じような境遇」ととらえる日本語版のほうが、著者の「論旨」に沿っていると考えられるだろう。
次に、日本語版の読者に向けられた修正として注目すべきポイントとして、日本の植民地支配への「謝罪」についての認識が変化していることがあげられる。韓国語版では日本政府は植民地化について「公式に謝罪・補償しなかった」とのみ記されていたのに対し、日本語版では「両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきた」ことが追加されている。これにより「公式に」の意味が、事実として謝罪したが、「あいまい」な言葉であったため韓国に伝わりづらかった、という意味に修正されている。
日本の植民地支配への「謝罪」が世界史的にいかなる意味を持つかについても同様である。韓国語版では次のように書かれている。
日本は個人に対する「法的責任」は果たした。しかしそれは「戦争後処理」であって「植民地支配」に対するものではなかった。だとすれば、韓日条約の時代的限界を考えて補完することは、他の前「帝国」国家よりも日本が一歩前に出て過去の植民地化への反省を表明する機会になりうる。戦争のみならず強大国による他国の支配は「正義」に反することであると率先して表明することになりうる。その表明は世界史的に意味のあることになるだろう。(韓、263頁)
少なくとももし植民地支配への反省を表明すれば、他の「前「帝国」国家よりも」先んじることになり、世界史的な意味がある、との主張である。この文を読む限りは、日本はまだそうした「世界史的に意味のある」表明をしていない、と著者が理解していると考えられよう(なお、日韓協定に基づく「経済協力」が「戦後補償」であった、という著者の主張の誤りについて本書の拙稿を参照していただきたい)。
しかし日本語版では次のように、植民地支配への日本の謝罪は旧植民地宗主国の間で最も具体的であったと、まったく逆の評価がなされている。
もっとも、日本も、あいまいではあっても植民地支配に対する天皇や首相の謝罪はあった。そのうえ慰安婦問題に限ってではあったが補償もしたのだから、日本の〈植民地支配謝罪〉は本当は元帝国のうち、もっとも具体的だったとも言えるだろう。アジア女性基金は、オランダなどに対しては法的に終わっている戦後処理をさらに補ったものであり、韓国に対しても実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つものだった。(日、253頁)
韓国語版では「「法的責任」は果たした」とされているが、日本語版では当時は「あくまでも「戦後処理」(しかも法的にはしなくていいこと)と考えられ、慰安婦問題をめぐる「謝罪と補償」が〈植民地支配後処理〉であることを明確にしなかった」ため、「過去への謝罪が韓国人に記憶される機会もそこでは失われていた」(253頁)とされ、そもそも法的責任自体が存在しないという主張に修正されている。そのうえで、問題が謝罪の有無ではなく、それを明確にするかどうかという表現方法の次元へとおきかえられている。
韓国語版・日本語版の変化からは、著者が日本の読者に向けて何を語りたかったが見えてくる。両者はいずれも「実際には公式に謝罪・補償しなかった」という前提から始まるものの、日本語版では「会うたびに謝罪」したが、「あいまい」であったという意味に修正され戦後日本の歴史は「謝罪・補償」してきた歴史として語り直される。このため問題の所在が、世界史的にみてもっとも具体的であった謝罪と補償を知らず「記憶」しなかった韓国の側にあることが強調されることになる。その意味で『帝国の慰安婦』の核心的主張は、日本語版を読まなければわからないともいえよう。
『帝国の慰安婦』の数多くの事実認識の誤りや矛盾、論理の飛躍については、近刊の拙著『忘却のための「和解」—— 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、朝鮮語版は푸른역사)を参照していただきたいが、本を書き終えての私の結論は、『帝国の慰安婦』への日本の論壇の礼賛現象は、1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点である、というものである。本書の分析を通じてわかったことは、著者がもっとも神経を使ったのが「「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」(日本、10頁)ではなく、日本社会がいかなる自己イメージを欲しているかを探り、これに合致する「慰安婦」論を提示することであったということだ。日本語版における「謝罪」に関する強調点の修正は、こうした著者の意図を端的にあらわしている。本書への批判のみならず、これを礼賛した日本社会への批判的な分析が求められるゆえんである。【2016年6月7日更新】
※本稿は、FFJブックレット3韓国版に追加されたコラムです。日本語版にも増補予定です。
特集:『帝国の慰安婦』事態を考える [page]
http://fightforjustice.info/?page_id=4367&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27【出版記念書評セミナー】鄭栄桓著『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房) [post]
http://fightforjustice.info/?p=4306&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27【出版記念書評セミナー】
鄭栄桓著『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)
2014年から2015年、日韓を駆け抜けた『帝国の慰安婦』事態とは何か? この問いに正面から挑んだ著作・鄭栄桓『忘却のための「和解」『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年)が、この度世織書房より出版されました。在日朝鮮人史研究者の鄭氏は、『帝国の慰安婦』の問題点とその背景を検証し、日本軍「慰安婦」制度についての日本軍の責任の矮小化、被害者たちの「声」の恣意的な利用、日本の「戦後補償」への誤った根拠に基づく高い評価などの致命的な問題があるにもかかわらず、なぜ『帝国の慰安婦』はこれほどまでに絶賛されたのかについて考察し、日本の言論界の知的頽落について警鐘を鳴らしています。
今回、同書の出版を記念して、著者とともに『帝国の慰安婦』事態の歴史的・思想的背景を探り、日本軍「慰安婦」問題の真の解決とは何かを考えるセミナーを開催いたします。評者には、日本の歴史修正主義言説への批判的検討を続けてきた能川元一さん、近代日本の公娼制の研究者であり、近年は日本人「慰安婦」についての先駆的な研究を発表されている小野沢あかねさん、朝鮮近代社会史研究の立場から植民地支配責任の問題について積極的に発言している板垣竜太さんをお招きしました。
『帝国の慰安婦』のみならず、広く日本の歴史修正主義や戦争責任・植民地支配責任の問題を考える有益な議論が展開されるものと思われます。ぜひご参加ください。
●登壇者:鄭栄桓、能川元一、小野沢あかね、板垣竜太
日 時:2016年4月17日(日)13:30開場~、14:00開始~
場 所:立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区池袋) タッカーホール講堂8号館 8201
http://wwwrikkyoacjp/access/ikebukuro/campusmap/
資料代:1000円(一般)、700円(学生・非正規)
主催:日韓相互理解研究会
協力:日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会
連絡先:mail:sd132005@ghit-uacjp
世織書房のページ:
http://bitly/1SHNzDA
著者:鄭 栄桓 明治学院大学准教授 歴史学、朝鮮近現代史、在日朝鮮人史 一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士、2010年3月)。青山学院大学非常勤講師、立命館大学コリア研究センター専任研究員を経て現職。 著書に『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局、2013年)、共著『植民地朝鮮ーその現実と解放への道』(趙景達編、東京堂出版)、共著『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任: あなたの疑問に答えます』(日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編、金富子・板垣竜太責任編集、御茶の水書房)、共訳書に金東椿『朝鮮戦争の社会史 避難・占領・虐殺』 (平凡社、2008年)など。
●書評者
*能川 元一:大学非常勤講師(哲学)
<主要研究業績> 共著『憎悪の広告―右派オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系 譜』合同出版、2015年、「千田夏光『従軍慰安婦』は『帝国の慰安 婦』においてどのように援用されたか」、『季刊 戦争責任研究』 第85号(2015年冬季号)「右派のイデオロギーにおけるネット右翼の位置づけ—道徳概念システム論による分析の試み」、『レイシズ ムと外国人嫌悪』(駒井洋監修・ 小林真生編著、明石書店、2013年)所収など
*小野沢あかね:立教大学文学部教授 日本近現代史
<主要研究業績> 『近代日本社会と公娼制度―民衆史と国際関係史の視点から―』吉川弘文館、2010年。共編著「戦争と女性への暴力」リサーチ・アク ションセンター編『「慰安婦」 バッシングを越えて―「河野談 話」と日本の責任―』大月書店、 2013年。第5回女性学研究国際奨励賞受賞(2000年)第6回女性史学賞受賞(女性史学賞選考委員会)(2012年)
*板垣竜太:同志社大学社会学部教授 朝鮮近現代社会史文化人類学
<主要研究業績> 『朝鮮近代の歴史民族誌』 (明石書店)、共著『東アジアの記憶の場』(河出書房新社)『日韓新たな始まりのための20章』(岩波書 店)、『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任: あなたの疑問に答えます (FFJブックレット)
●関連記事
・日朝国交「正常化」と植民地支配責任 : 【宣伝】『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年)
http://kscykscyexblogjp/25512248/
・『朝鮮新報』:【講演】「『帝国の慰安婦』事態と日本の知識人」/鄭栄桓
http://chosonsinbocom/jp/2016/03/03suk-3/
・『ハンギョレ』:日本のリベラル陣営でも「帝国の慰安婦」めぐり激論
http://japanhanicokr/arti/international/23733html
・アマゾン購入ページ
http://amznto/1SHDd6P
新刊案内『忘却のための「和解」〜『帝国の慰安婦』と日本の責任』 [post]
http://fightforjustice.info/?p=4285&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27近刊案内:鄭栄桓著『忘却のための「和解」〜『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年)
3/19シンポジウムにて販売開始!
http://kscykscyexblogjp/25512248/
『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』増補版出版記念シンポジウム-いまあらためて日本軍「慰安婦」問題の責任を考える [post]
http://fightforjustice.info/?p=5016&hilite=%27%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%27
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Fight for Justice『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』増補版出版記念
シンポジウム いまあらためて日本軍「慰安婦」問題の責任を考える
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日時:2018年7月27日(金) 18:30~20:30(18:00開場)
場所:同志社大学今出川キャンパス 明徳館M1教室
- 京都市営地下鉄・烏丸線「今出川駅」下車、徒歩3分
- http://wwwdoshishaacjp/information/campus/imadegawa/imadegawahtml?meitokukan_building#campusmap
入場料:無料 申込:不要
講演:
- 板垣竜太(同志社大学)「加害責任を問うことの現代的意義」
- 金富子(東京外国語大学)「日本政府・メディアはなぜ〈平和の少女像〉を嫌うのか」
*導入発言:岡本有佳(編集者、Fight for Justice運営委員)「5分で分かる〈少女像〉問題」
発言:
庵逧由香(立命館大学)、永井和(京都橘大学)、日本軍「慰安婦」問題を記憶・継承する会・京都 ほか
司会:
岡本有佳
趣旨:
日本軍「慰安婦」問題は、被害当事者の頭越しにおこなわれた2015年12月の日韓政府間の「合意」によって、「最終解決」を見たのでしょうか。大韓民国ではその後、「合意」を推進した大統領が弾劾され、新たに誕生した文在寅政権はこの問題の検証を進め、昨年暮れ、その報告書を公開しました。また、朝鮮民主主義人民共和国をめぐる情勢が今年になって急展開し、日朝のあいだでも再び歴史問題に向き合うべきときが来ています。
このタイミングで、『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』(金富子・板垣竜太責任編集、御茶の水書房、2015年)の増補新版が出ることになりました(7月下旬発売予定)。その出版記念を兼ねて、いまあらためて日本軍「慰安婦」問題の責任を考えるシンポジウムを開催します。ふるってご参加ください。
主催・連絡先:同志社コリア研究センター
電子メール rc-korea@maildoshishaacjp
電話 075-251-3868
—–新刊案内—————-
Fight for Justiceブックレット3
『増補版 Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任〜あなたの疑問に答えます』
御茶の水書房 7月25日刊行 A5判224頁 本体1700円+税
日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編
金富子 板垣竜太 責任編集
金富子 板垣竜太 吉見義明 西野瑠美子 林博史 吉澤文寿 愼蒼宇 鄭栄桓
梁澄子 宋連玉 松本武祝 小川原宏幸 外村大 加藤圭木 岡本有佳 土井敏邦
[増補部分]
第4章 Q&A 日韓「合意」以降編
Q 25 日韓「合意」は「1ミリ」も動かすべきでない?
Q 26 日韓「合意」をめぐる日本のマスコミ報道はこれでいいの?
Q 27 〈平和の少女像〉は、なぜ海外でも広がり続けるの?
◆コラム:「戦後日本」肯定の欲望と『帝国の慰安婦』~朝鮮語版・日本語版の異同から見えてくるもの
◆コラム:「なぜ『慰安婦問題』は終わらないのか
[追加資料]
○日韓両外相共同記者発表 ○韓・日 日本軍慰安婦被害者問題合意検討結果報告書(抜粋)
○韓国政府の新方針 康京和外相の発表文
○平和の碑/平和の少女像等建立リスト(最新)
***(以上)***
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