2016-04-12

博士ダンピングへ

博士ダンピングへ

   一、医学博士の家元制度

 下関の或る開業医が、長崎医科大学学長を相手取って、自分が同大学へ提出しておいた学位請求論文を審査すべからずという仮処分方を、裁判所に申請した事件があった。結果に於て同医師の申請は却下されたが、この風変りの訴訟に対して世間の注意深い人達は一寸奇異の感を懐かざるを得なかっただろう。「博士濫造」という廉でかねがね世間から胡散臭いものと見られている医学博士に関することだから、どうせ何か裏に変なことが潜んでいるのだろうと思っていると、果してこの事件をキッカケに、長崎医大の「学位売買事件」なるものが展開して来たのである。何と云っても「医学博士」には散々苦しめられて来ている世間の大衆は、それこそ江戸の仇を長崎で討ったように、私かに、やや見当違いな溜飲を下げているものもいるようである。
 事件の真相は無論まだ判らないが、長大の勝矢教授が弟子を博士にしてやる毎に数百円ずつの金を取っており、又その他様々な収賄をやっていたということが判ったらしく、これに就いて贈賄者として四五名程の同博士門下生の博士達がいるのだそうで、この六名は遂に強制収容の上起訴されて了った。収賄の嫌疑濃厚なものは少くとも他に二名の教授を数えることが出来、また贈賄の容疑者は全国に及ぶかも知れないということである。それからこの問題は単に独り長崎医大だけの問題ではなく、全国医科大学乃至は医学部にも拡大するかも知れないと云われている。そうなると又、単に医科や医学部ばかりではなく他学部にも飛火するのではないかと心配する向きさえあるようである。
 長崎医大では、当の勝矢博士の弟で矢張医学部教授をしている人が、大学の不潔を潔しとしないで辞職するし、学生は勝矢博士以下三教授の試験を受けないと主張するし、学生、卒業生、助手、助教授達は大学浄化の運動を巻き起こそうとしている。確かにこれは祓い潔めの儀式としては甚だ当を得た行動だと思うが、儀式は要するに儀式に過ぎない、「医学博士」の本質はそうむやみに祓い潔めることの出来るものではないのだ。
 世間では医学博士の濫造を盛んに気にしている。あまり多数に製造すると博士の価値を落しはしないかという心配であるらしい。だがどんなに沢山医学博士を造っても、それによって博士の価値が下るとは受け取れない。生産過剰で博士がアブレたり、ダンピングで博士が安くなったりするのは明らかだが、それは博士の価格が下落することで誠にあり難いことだが、それは必ずしも博士の価値を下げることにはならぬ。価値と価格とどう違うのかというなら、まずマルクスの資本論の初めの部分でも読んで貰うことにしておく。
 なる程医学「博士」は濫造されている。今日全国の博士約九千人の内、医学博士は約六千八百人。一日平均三人三分の割で製造されているということだ。某帝大医学部では、或る年の博士製造高が同年の同学部の卒業生(即ち医学士)の数を遙かに超過したという珍現象をさえ惹き起した。だが医学博士の数が多いということは、日本の医学の発達の証拠にこそなれ少しも恥しいことではない。第一官立の医学部乃至医科大学だけでも、他の学部乃至単科大学に較べて、その数が非常に多いということを忘れてはならぬ。その多い各大学から卒業する医学士の数は又、決して文学部や農学部の比ではないのだ。而もこの卒業生の大多数が、副手や助手として、又大学院学生として、研究室に残る。研究室に這入ったが最後、特に先生と喧嘩でもしない限り、多分大して贈賄しなくたって研究室に掛っている札の順序に、右から自然に博士になって行く。
 大学を出なくたって、どこかの医専でも出てすぐ大学の研究室の研究生になって、ドイツ語の勉強傍々やって行けば、非常に早く医学博士になれる。之なら二十六七歳で大丈夫博士になれる。但しあまり良い処へ就職の世話はして貰えないという覚悟が必要だが開業にはさし閊えない。
 だから医学博士が多いということは、日本の医学がこれ程までに組織的に発達していることの証拠であって、大いに慶賀すべきことでなくてはならぬ。大学を出てから三年間も夜間診療程度の内職は別にして何の職業にもつかずに、朝から晩まで研究室で研究すれば大抵の馬鹿な人間でも一人前の研究結果は纒まるもので、それだけ学資も掛る代りには、専門家としての勉強も自然とせざるを得ないわけだし、又一般的な常識も多少は進歩するだろうから、立派に学位に値するだけのものはあるのである。卒業生にアルバイトの意識が低く、教授に年の功を以て学問を計ろうとする癖があるような、他の専門に較べれば、日本の医学はたしかに進歩しているし又進歩するように出来ている。
 だが何だってこんなに日本の医学は「進歩」して了ったのかということになると、夫は又別問題だ。即ち、何だってこんなに沢山の人間が医学博士になりたがるのかは別問題だ、それは云うまでもなく医学博士というのが博士の内で最も高価な価格を約束するレッテルだからである。散々使った上で医学博士の学位を返上しようとした人もいたが、夫は又逆手であって、普通には医学博士のレッテルを手に入れるためにはみんな一族の資産を傾けて命がけの努力をするのだ。だから医学博士は凡て立志伝中の人物と思えば間違いはない。医学博士にボラれたとか医学博士には近よることさえ出来ないとか、不平を云っている意気地のない中間層や労農大衆の方が間違っているので医学博士にどんなに大資本が掛っているかを知らないから愚痴が出るのだ。医学は労農大衆や勤労大衆とは無関係に「発達」して行くのである。
 医学博士製造は、こうした仲々年数もかかり価格も大きい投資の結果であるのだが、それも養狐場や養魚場のように、一目瞭然とした装置の下に行われると、誰も誤解をしないのだが研究室や教授会やと云った荘厳な[#「荘厳な」は底本では「壮厳な」]カムフラージの下で行われるから、世間はこの神聖な取り引きの目的をウッカリ見落して了うのである。そうかと云ってお花やお茶のように、内容のない無意味なキマリや型を伝授するごとに金を請求するのだとまだ判りがいいが、不幸にして医学はお茶や花より少しは科学的であるために、医学の家元は、そうした秘伝を授けることが出来ないので、その代りに研究のテーマを分譲したり、研究論文を審査したりするのである。だが、それにした処が、医学博士の家元である教授達が、お礼やつけとどけを受け取るのに何の不都合もないわけで、例えばお花の奥の許しを五十円で売買したと云って今更騒ぎ立てるのが変なら医学博士を五百円で売買した処で大して驚くこともあるまい。なぜなら、お花の師匠の招牌に較べたら、医学博士の招牌の方はたしかに十倍の価格には相当するだろうからだ。医学博士はインチキだというが、決してインチキ処ではない、実はこんなに実質があるのだ。
 苟くも年俸や講座料や審査料を貰っている官立大学の教授たる以上、お花やお茶の師匠と同じである筈はないじゃないか、と世間の人は云うかも知れない、併し不幸にして医学部の研究室(独り医学部には限らないのだが)は人の想像するような合理的な処ではないのである。現に研究室は厳密な一種の封建制度の下に置かれている。研究室と研究室とは、二つの領主の領地と領地とのように対立し、外、学閥や時には閨閥のために尚武的攻主同盟を形成し内師弟関係の利害感情によって家庭的淳風を馴致している。「わが君様」の身辺にはお家の一大事に馳せ参ずる多数の内臣外臣が控えており、わが君様の教授会に於ける器量の如何によって、又その時々の御機嫌の如何によって「医学博士」はこの家臣達の頭上に落ちて来たり、はずれたりしようというものである。だからバカ殿様の道楽が釣りであれば釣り、刀剣であれば刀剣がその研究室を風靡するのだ。
「医学博士」の売買は全く、資本主義医学に於ける投資現象の一つに外ならないのだが、夫がこうした尚武的で淳朴な封建的デリカシーを以て蔽われているから、益々甘い商売なのだ。ただ長崎医大のように、封建領主間に学閥の対立があまりに尚武的であり過ぎると「医学博士売買」が切角被っていた淳朴な人情味タップリのデリカシーの皮がむけて、思わず勝矢博士如きのお家の一大事に及ぶわけで、これは決して他人事ではなく、他の医大や医学部もこんな思わぬヘマをしないように今後も益々用心しなければいけないのである。

   二、華族の平民化

 宮内省は六年目に宗秩寮審議会を開かなければならなくなった。竹内良一が岡田嘉子と出奔して華族の礼遇を停止されて以来六年目なのだが、今度の審議の内容はその量から云っても質から云っても、ずっと進歩している吉井勇伯夫人徳子(『中央公論』一月号に於ける直木三十五の紹介によると通称「おどん」)吉井勇伯自身、引いて柳原義光伯、近藤滋弥男令弟夫妻、久我通保男嗣子等々、舞台に登る役者の数も大分多いが「華族の体面」のけがし方も亦「おどん」氏の如き仲々尖端的で平民大衆共には一寸真似の出来ないものさえあるようだ。
 だがよく考えて見ると、之等下情に通じた貴族達も別に大したことをしたのではなくて精々が、ブルジョア有閑分子や又は没落ブルジョアの定石を踏んだまでで、ただ華族の位置に止まりながら敢えてそれをやったということが変っているだけなのだから、宗秩寮の審議の結果、華族の礼遇を停止されたり、又は隠居させたりすれば話しは片づくのであまりに平民の(?)下情に通じ過ぎた者は、平民に払い下げるのが、何より適宜な処置だということは云うまでもない。
 ただ心外なのは、こうやってどしどし「不良華族」の捨て場にされる平民が、宗秩寮によって箸にも棒にもかからないロクでなしと見做されたということだが、尤も同じく平民と云ってもブルジョアもあれば、プロレタリアもあるので、一概には云えないのだから、その点は安心だとして、併し何より心配なのは、こうやってどしどし「不良」でない華族が減って行きはしないかという点だ。
 それでなくても華族一代制と云ったような消極的な思想が横行している世の中であり、最近武藤元帥の遺族の如きは男の相続人がないのを理由として、この思想を実行した程だから「不良」でない華族は段々減って行く危険に曝されている。一体これは華族社会から見て、まことに悲しむべき現象ではないか。
 華族は普通の人間とは違った点があればこそ特別な礼遇を、即ち平たく云えば特権を持っているのであって、それも無線電信を発明したとか何とかいう普通人間の持ちそうな特異性によって普通の人間から区別されているのではないのだから、一体普通の人間がやるようなことをやったのでは、その特権の手前色々困る関係が出て来るのは当然だ。だのに心ない華族の或る者は彼等が元来藩屏であって普通の人間ではないことを忘れて、普通の人間であるかのような錯覚を起こす。誠に憂慮に耐えない傾向と云わねばならぬ。
 今日普通の人間世界ではエロティシズムの全盛である。夫が嘘なら最近着々として発禁になりながら而も着々として殖えて行く各種の「実話」雑誌の大勢を見るが好い。処がこういう「唯物思想」(?)の他方の片割れである「赤」はどうか。赤の陣営が全滅したということを耳にするが、そういう声は昔から何遍でも聞いたものである。之も嘘だと思うなら和仁大審院長以下七名が部下から赤い司法官を輩出した廉で最近懲戒訓告の処分を喰っているのを思い出して欲しい。
 処で不良華族のエロティシズムと平行して赤い華族が出始めた。即ちこの点でも亦、華族は普通の人間世界の真似を始めたのである。そこで治安維持法で起訴されるだろう華族の三子弟に対しては、例の宗秩寮審議会は除族乃至位記返上の処分を発表するだろうし、転向を誓って釈放された六名の者に対しては訓戒を加えるだろうと報じられている。読売新聞(十二月二十二日付)によると「これは今回の『華族の体面を汚辱する失行ありたる者』という単なる華族の素行上の問題とは異り、いやしくも皇室の藩屏として御信任厚き身でありながら、国体を否定する如き思想、行動に入ったという処にその問題の重大性が」あるのだというのである。華族が突飛な真似をすることが如何にいけないことかということが、この問題になると愈々明らかになって来ただろう。
 一体世間ではどうもまだ治安維持法に触れるということが本当に道徳的に悪いことだということを得心していないようで、全く困ったものである。どこここの官立大学の学生が治安維持法違反の嫌疑で検挙されたとか、召喚されたとか、甚しいのになると御丁寧にも検挙される予定だとかいう、事実記事や予報記事までがあまりデカデカと新聞に載り過ぎるので、世間ではそんなものは日常茶飯事だというように思い込んで了う。
 併し本当を云うと、治安維持法に触れるということは、道徳上最も悪いことなのだ、その理由は云わなくても判っているだろう、普通の人間世界ですでにそうなのである、平民にしてからがそうである。それに華族ともあろう者が何か普通の人間の真似をするにも程というものがあるのだ。「不良華族」の除名によって華族らしい華族の数が減って行くばかりではなく「赤色華族」によって華族の質が変って行くようになりはしないかを、私は心細く思わざるを得ない。
 だが最後に、この憂鬱な傾向に、一条の光明を齎らした処の、一つの美談をつけ加えておかなければならぬ。例の起訴された三人の華族の子弟の一人公爵岩倉具栄氏の令妹靖子嬢は保釈中自宅の寝室でいたましくも剃刀自殺を遂げたのである。新聞が報道する処によると、名門の名をけがした自責の念の余り「反逆の血」を死を以て清算したのであって、華族界に対する一服の清涼剤として当局も意義深く感じつつ死そのものに対してはむしろ同情しているそうである(読売新聞十二月二十三日付から引用)。之によると案外にも、まだまだ安心の出来るようなしっかりした人物がいるらしく、そう心配することはあるまい。

   三、武士道と百姓道

 荒木大将(当時は中将)が陸軍大臣になった時、最も興味のあるエピソードの一つだったのは閣下がいつもサーベル(指揮刀)ではなしに軍刀を腰にしているという話しだった。之は武士道を片時も忘れないという意味だそうで、即ち治に居て乱を忘れない精神の現われだそうである。もっと正確に云うと、一九三二、三年頃から一九三五、六年のことを考えているという精神であって、即ち非常時精神の表現なのである。
 尤も非常時と云っても、初めは右翼思想団の直接テロ行動が頻発して困るという時代相を指すのかと思っていると、実はそれよりも待ちに待たれる一九三五、六年が近いということを意味するらしいので、こうなると一体非常時というものは善いものなのか悪いものなのかは判らなくなるのだが、その善し悪しには関係なく兎に角非常時は非常時なので、それが荒木陸相の真剣なる軍刀となって現われたのである。
 その後東洋哲学が誠に急速な進歩を遂げると共に、陸相の軍刀が象徴するものは、もはや単なる武士道ではなくて、実はもっとブロック性を持った王道であることが明らかになって来た、併し何にせよ王道は武士道の進化したものであることに間違いはないようである。
 武士道=王道の権化である荒木陸相は云うまでもなく現内閣第一の花形である。予算会議に於て、又所謂「内政会議」に於て陸相はいつも中心人物になっている、処が先年の終頃から内政会議にはもう一人の花形が現われ始めた。後藤農林大臣が夫である。
 元来内政会議は農村対策問題が中心になって来ているもので、後藤農相の中心人物振りは寧ろ当然であるのだが、現内閣の持論である農村の自力更生主義の上に立って、後藤農相の内政会議は農村精神作興案なるものを採用したのである。之ならばあまり予算も掛らないし、それに凡ては精神が基礎で外の物質的な事情などはどれも精神の発動した結果に外ならないので、精神作興がいつも最も根本的な政策であるから、之程正しくて安上りな農村対策の出発点はない筈だ。而も恰も「愛国愛土の精神」こそ後藤農相の持論なのである。
 そこで農相は「百姓道場案」なるものを提示した。それによると、全国の各府県のうち適当な地方に中心人物養成所とも称すべき百姓道場を設ける(例えば茨城県などが最も適当)。政府及び地方庁は之に若干の建設補助を与えるが、経費は自給自足でやらせる。入所すべき人物は地方で折紙づきの篤農家候補を厳選する(貧農は御免蒙ることにする)。約二カ年間窮乏に耐えたスパルタ式訓練をなす、即ちなるべく未墾の荒蕪地を選んで開拓させる。こうやっていつしか愛国愛土の百姓が完成し、それが銘々の村に帰って夫々の中心人物となって百姓道を作興しようというのである。
 之が後藤農相の農村対策第一歩としての、「具体案」だそうだが、農相はマサカ例の愛郷塾のようなものを考えているわけではあるまい、もしそうだとこの際一寸問題だ。そうかと云って武者小路の「新しい村」のようなものでもないようだ。何しろ百姓道を体得した恐るべき百姓を造り出そうというのだから前代未聞の痛快事だと云わねばならぬ。「造士館」とか「健児の社」というのは昔聞いたことがあるが「百姓道場」は全く独創的だ。
 私は之が空想だとか何とかとは考えない。皆が真面目にやる気にさえなったら、いつでも出来る至極手軽なプランだからだ。だが第一に肝心の内政会議に出席した閣僚自身が気乗り薄だというから如何にお手軽でも実行されないかも知れない。ただ、如何に之が実行出来てもおあつらえ向きの百姓が出来るかどうかは問題だし、ましてそうした百姓が農村問題を解決する鍵になるかどうかも、今ここで保証の限りではない。
 だが問題はこれが目的を果せるかどうかにあるのではない。問題は、荒木陸相の武士道が後藤農相の手によって「百姓道」にまで下落して来て了ったという痛恨事にあるのだ。軍事予算だろうが、軍縮会議だろうが、愛軍思想(?)だろうが、反軍思想取り締りだろうが、もはや×××では云うことを聞かなくなって了ったらしいのである。何しろ戦争に出るものは主として貧窮した地方農民自身なのだから、百姓は如何に軍服を被せても百姓なので、武士道は被服に達しても容易に骨肉には達しないのは尤もだろう。だから武士道の代りに百姓道が今日絶対に必要になったのだ。
 後藤農相は他方に於て農村の工業化の方針を持っている。その意味は実は、工業の農村化なのだそうである。工業を都会に集中しないで農村に移植しようというらしい、少くともそういう結果になりそうなのである。こういう工業の農村化と例の百姓道とどういう必然的な連絡があるか、一寸吾々には判らないが、夫はとに角として、どうしても農村化し得ない工業があるということは農相と雖も否定出来まい。そういう工業があるどころではない、元来が工業というものがそういうものなのだ。処で問題がここまで来ると、今度は多分、中島商工大臣あたりが登場して来なければならなくなる番だろう。併し耕地の換算や国粋建築にとって仇敵のようなメートル法を振り翳す商相のことだから、問題の調子は大分変って来るに違いない。商工大臣が何かの間違いで有力になどなると、百姓道の代りにプロレタリア道などがのさばり出すかも知れない、そうなっては日本もお終いだ、ブルジョア道はこの頃すっかり評判を悪くしているから安心だが心配なのは百姓道が今度は労働者道などにまで下落して来わしないかということである。(一九三四・一・七)
(一九三四・二)
[#改段]

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