2016-04-12

5] 減刑運動の効果



5] 減刑運動の効果

   一、反乱罪の効果

 例の五・一五事件の軍部被告と民間被告とで、罪名を別にするしないという件で、軍部乃至軍検察当局と司法当局との対立が問題になったことを、私はかつて述べた。民間では人を殺した者は殺人罪にするに反して、軍部では殺人罪ではなくて反乱罪で処断するのは変ではないかというのであった。
 併し之が別に何等対立を意味するものではないということは当時司法当局の声明によって一遍で明白になって了ったことで、男の児に太郎という名をつけることと、女の児にお花という名をつけることとは、無論対立でも何でもないということが、その後段々判って来たのである。
 法律家でない一般人、少くとも私などは、法律のこの種の使いわけは甚だ尤もで、多分之を強力に主張したのは軍部側だろうが、流石は軍部だけあって、峻厳な英断を敢行するものだな、と感心したものである。
 〔66字削除〕 果せる哉、軍検察当局は重刑を以て臨むというような意向を洩していたのである。
 こうして軍部の論告求刑の日は近づいて来た。凡ての疑問は解決されて了ったから、あとはただその日を待つばかりになったわけである。
 処が問題は或る意味で蒸し返されざるを得ないことになった。陸海軍法務局当局は、どう思ったか陸軍側の論告求刑の日である八月十四日に先立ち、大審院に林検事総長を訪い、軍部民間の五・一五被告全部に対する論告求刑に就いて協議を遂げ、その結果陸軍側の論告に加筆するために十四日の開廷を十九日に延期する旨を発表したのである。
 男の児と女の児とに同じ名前をつけられやしないかと、曽つてヤッキになって心配した向が、今度は、男の児の命名と女の児の命名とが協議されることを、甚だ頭痛に病み始めたのは無理ではない。陸軍側弁護人達は海軍側弁護士団と呼応して、軍法会議の本質を指摘し、法務局主脳部の軽卒・軍検察権独立の危機・検事総長の××干犯を強調し始めたのである。
 之に対して大審院側は、三省会議で量刑上の打ち合わせなどしたというのは×××××で、単に事務上の協議をしたものに過ぎないといって軽くあしらったし、陸海軍両大臣は「軍検察権は断じて他の干犯を受くることなく独自の権威を以って事件に処するものである」という意味の言明をあっさりと与えたので、一同はそのまま引き下って了った。結果はややアッケないが、とに角司法当局も軍検察当局(之も反作用的に同罪たるべきものだが)も、××干犯をわずかに免れ得たのは大慶の至りである。
 第一師団軍法会議はかくて目出度論告求刑のために開廷の運びになった。二十五歳を頭に二十三歳迄の十一名の元士官候補生が、例の恐るべき反乱罪の名の下に求刑される十九日が来た。一定の便宜のためにデッち上げられた非科学的なイデオロギーのため×××たこの十一名の無心な霊魂のために、私の心は痛んだ。こういう理由で彼等の不幸を嘆いたものは、恐らく私だけではなかっただろう。――然るに心ない新聞記者や雑誌編集者が、彼等をマルで見世物みたいに囃し立てたのは心外である。一体彼等被告は「転向」したのでも何でもないのだ。不幸にして彼等には転向美談はないのだ。だのにジャーナリスト諸君はどういう積りであんなに騒ぎ立てたのか?
 併し、案ずるよりは産むが易いとやらで、蓋を開けて見ると、十一名が十一名とも、禁錮八カ年の求刑に過ぎない。反乱罪の条項でも、「首魁」でないことは云うまでもなく、「謀議に参与したる者」でもなければ「群集を指揮したる者」でもない彼等は、単に「その他諸般の職務に従事したる者」に外ならないというのである。求刑がこうならば、判決は多分もっと軽くなるのだろう。それに××当時「諸般の職務に従事した」(?)者の先例もあるから、仮出獄も容易かも知れない、反乱罪というものの規定をよくも知らずにスッカリ心配していた吾々は、全く無駄な心配をしたものである。
 求刑に対する諸家の感想が新聞に出ている処を見ると、甚だ重すぎるという意見と甚だ軽すぎるという意見とが対立しているようである。一体神聖なる日本の裁判事項に対してみだりに私議すべきでは[#「私議すべきでは」は底本では「私議すべでは」]ないだろうが、多少の重軽が問題になるならとに角、甚だ重いと甚だ軽いという両極端が対立するのはどうした現象だろう。こういう事件になると社会の通念もあまり当てにはならぬものらしい。併しとに角、思ったよりも軽かったということは一安心だが。処で前々からの心配が無駄になったのはどうして呉れるかと問う向きもあるかも知れない。
 之に対しては匂坂検察官の、痒い処へ手が届いたような論告が、弁明している。曰く「被告人等の行為が前述反乱罪の外更に殺人・殺人未遂・及爆発物取締罰則違反等の罪名に触るるや否やにつき案ずるに、反乱罪は党を結び兵器を取り、反乱をなすにより成立するものにして、即ち兵器をとり反乱をなすことを以て犯罪構成条件の一となすものなるが故に、その反乱行為により人又は物に対し殺傷又は損壊を加うることあるべきは勿論、兵器にぞくする爆発物を使用するが如きは当然予想せざるべからざることにぞくし、又反乱罪は治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的に出でたるものをも包含すること論を俟たざるが故に、反乱行為自体が殺人・殺人未遂又は爆発物取締罰則違反等の態様を有する場合と雖も、これ等は反乱罪の罪体に包括せらるるものにして別に他の罪名に触るるものとなすべきに非ず。」
 殺人でも傷害でも何でもかでも、反乱罪にさえぞくしていれば殺人事件、傷害事件等そのものとしては罰せられないわけである。之によると事実上反乱罪は殺人罪ほど恐ろしい罪ではないようである。――で私は今まで全く飛んでもない思い違いをしていたことが初めて判ったのである。民間で殺人罪を適用するよりも軍人に反乱罪を適用する方が、刑が重いのかと思っていたが、実は正にその反対だったのである。
 こう思って顧みて見ると、罪名問題による司法軍部の例の対立・司法当局と軍検察当局との協議に対する軍被告側の憤慨・等々という一連の動向に対する疑問が、一遍に心持よく氷解するのを覚える。私はここで初めてホットしたのである。一切の疑問は綺麗に解けた。後は最後の審判の日を待つだけのようである。

   二、××救援会

 処が又も一つ問題が始まる。云い忘れたが、例の十一人の青年のために心配したのは私だけではなくて、実は日本国中で、公判開始以来ずっと「減刑運動」が行われていたのである。世間では、法廷に於ける被告の態度や答弁や見解が、細々しく新聞紙によって報道された結果だとも云っているが、もしそれが本当ならば、「減刑運動」を宣伝し煽動した功績は殆んど専ら新聞紙に帰するわけだ。何かの意味に於て同情するもののために(或る弁護人は「大乗的に肯定する」と云っているが東洋には中々ウマい言葉がある)刑を軽くして欲しいという意志を正直に発表することは、ウッカリ物など云わない方がいいと云ったような知恵が専ら行われている現在の日本では、それ自身推賞すべき道徳で、立派なことであるのは云うまでもないが、併し裁判は大権にぞくすることで、量刑の問題に就いて人民は容喙してはならないのが立前だ。軍部と司法当局とが公判事務上の打ち合わせをしても、大権干犯の疑いを生じる世の中だから「減刑運動」は一般的に云えば、同じ疑いを招かずには措くまい。けれども「大衆」(?)はなぜか調子に乗ってこの×××減刑運動の計画を進めることを止めない。
 朝日新聞「鉄箒」欄(八月十七日付)で河野通保弁護士が法律家の立場から、所謂減刑運動に対して警告を発しているのは時節柄注目に値する。減刑の主張を理由づけるためには当然、被告を賞恤・救護したり、犯罪を曲庇したりしたくなるわけだが、第一にそうした目的を持つ集会・出版・報道は法律上禁じられていること、それから第二に、裁判に関する事項に付いては請願をなすことを得ないということが、指摘された。残された方法は歎願の形式だけだというのである。
 請願はいけないが歎願はいいということになるらしいが、請願と歎願と法律上どう違うかは問題外としても、二つのものが実際上どれだけ区別されるものであるかを吾々は知らない。歎願でも例えば判事の論告の内に取り上げられれば実際上は極めて大きな効果があるので請願でなかったことを悲しむ理由はどこにもないだろう。最近そうした処置を合法化した判例もあるとかという話しだ。
 そこで歎願の形式を持った減刑要請は、二十四日の陸軍側公判廷に提出されたものを見るとすでに七万人の署名の下に行われている。その後更に東京付近だけで一万六千人の署名がある。減刑歎願書一万人署名が完了した際などには、明治神宮や靖国神社へ行って祝詞を奏したり被告の武運長久の祈願をこめたりしている。但し対手は神様なのだから之は被告賞恤や減刑請願になる心配はないので疑いもなく歎願だから心配しなくてもいい。
 関西の軍需品製造の某資本家は、陸軍被告家族一同に対する慰問金として、陸相あて金壱百円也を寄贈した処、当局から早速家族にその旨通知すると、家族達は事件当日首相官邸で殺された某警官の遺族に之を譲ったそうである。時ならぬ減刑美談ではあるが、救援活動も×××ものになると、情を知っていようがいまいが、××で済むものもあるらしい。
 減刑運動はこう云う次第でかく取り扱いにくい。之には警察当局も痛し痒しで、その取り締りの程度に迷って了う。何しろ相手は×××背景にもっているのだからウッカリしたことは出来ないのだ。そこで警保局は緊急対策を慎重協議の揚句、あたらずさわらずの方針をヤット確立することにしたのである。それによると歎願書署名運動のような「純真」なものは徒らに抑圧してはいけない、単に不純な意図や不純な方法によって行われるものだけを、取り締りさえすればよい。凡そ苟くも本運動を抑圧するかのような誤解を民衆に起こさせてはならぬ。そういう通牒を地方長官へ向け内務省は発している。
 弾圧されはしないかと思って尻ごみしている人間は、よろしくそんな誤解はすてて、ドシドシ減刑運動をなさい、決して弾圧などはしませんから、ということに、これはよく考えて見るとなるのである。
 減刑運動は遂に内務省の知らず知らず××する処となった。今や減刑運動は完全に合法性を獲得した。でこれから先どうなるのだろうか。時に「非常時」党の諸君! 一つ××救援会でも組織して見たらばどうか?
 この問題が解決しないと、五・一五の裁判も何か奥歯に物が挟ったようで、まだまだホットするのに早過ぎる。

   三、監置主義と治療主義

 東京府立松沢病院は日本に於ける最も代表的な精神病院である。処がここで、昨年看護人が患者を殴り殺したという事件が起きて世人を憤慨させたのは有名であるが、今度は一狂人が他の狂人を殴り殺したという事件が起きた。次は多分、狂人が看護人を殴り殺す番だろう。
 病院側の不埒な点を挙げると、狂暴性の患者を二名同室せしめたこと、致命的な傷を受けるまで放置しておいたこと、更に事件以後三日目に死亡するまで患者の家庭はいうまでもなく院内の駐在所へさえ知らせなかったこと、等々のようである。
 これで見ると一体精神病院というものは病院なのか懲治監なのか判らなくなるだろう。何しろ相手が狂人だから何をしたって解らないし、各家庭の者が検べに行っても適当に会わせたり会わせなかったりすれば好いわけで、その上私立病院などならば食費その他だけでも相当患者を絞れる可能性さえあるだろう。事件は一松沢病院だけの問題でもなく、又殺人患者池田某だけの問題でもない。精神病者の社会的取り扱いの上の根本問題でなければならない。
 この問題に関係があるのか無いのかハッキリしないが、それから時日がしばらく経って、内務省は精神病院主・院長・会議に於て、精神病院法並びに精神病者看護法改正に関する希望を諮問している。というのは従来の監置主義を治療主義に改める必要を感じたからだそうである。
 なる程この改正方針から見ると、従来の精神病院は治療所であるよりも寧ろ監置場であるのを面目としていたらしいから、一種の×××か×××のようなもので元来病院ではなかったわけだから、患者の一人や二人××××れるということも大して異とするに足りないわけだ。今度から監置主義の代りに治療主義になったとしたら、従来の精神「病院」という名前の代りに、何という名を付けたら好いかが恐らく大問題になるだろう。
 精神病院は監置主義を捨てて治療主義になるそうだ。処が癩病院も亦、この頃監置主義・隔離主義を捨てる方針らしい。大阪にある外島保養院(之は二府十県の連合経営のものだから之亦最も代表的な癩病院だ)で、院長と患者とそれに関係の警部某とが共謀して、二十名程の患者を院外へ追放した、という奇怪な事件が発生した。検べて見るとこの二十名程のものは赤いレプラ患者だったというので、当局は色々な意味で狼狽しているのだが、なぜ又責任ある院長が衛生上こんなに無茶な処置を大胆にも取る気になったかは、一寸奇怪に思われてなるまい。
 併し事「赤」に関する限り、衛生学も医学も科学も消し飛んで了うのが現代の風俗なのだから、大して驚くには当らないのである。院長は多分、一パシ世間並の立派な処置を取った積りだったのだろう。傷ましいのはいずれにしても患者達である。
 精神病では治療主義の採用へ、癩病でさえ監置主義の抛擲へ、向って来るようだが、マルクス主義もどうやら一種の病気として取り扱われ始めたらしい。なぜなら、ここでもこの頃矢張治療主義(?)が、改悛主義が、流行するらしいからである。ただこの際、場合によって治療主義即監置主義になるという特色を注目しなければならないのである。
 最近の新聞によると、七月末までの「転向」者は五百五十名、未決囚で三〇・三パーセント、既決囚で三五・七五パーセントに当るそうである。それはどうでもいいとして、転向の動機の分類が中々振っている。「民族的自覚によるもの」とか、「時局の重大性に反省せるもの」とか云ったような××××な動機や(流石に之はあまり多くない)、「家庭愛によるもの」とか「教誨指導によるもの」とかいう×××××なのを初めとして、色々尤もらしく挙げられているが、今問題になるのは、「××による反省者」未決一〇四名、既決二七名という項目である。
 ××と云っても併し何も×××生活だけを考えてはならない。それに先立つ非合法的で非衛生的な往々数カ月に及ぶ×××生活を、まず考えて貰わなければならないのだ。結局何でもないことで一月位は××される。
 処分なら裁判を仰ぐことも出来なくないが(それも大抵間に合わないが)、××の連日蒸し返しでは、手も足も出ない。三畳程の部屋に十数人も押し込められて眠ることも出来ないでいる内に、いつか勤め先は首になっているという始末で、こういう××は、なる程「反省」させるのに充分効果的かも知れない。そこで××によって反省させるという、人を×××世間を××××た手段が考察される。転向すれば出してやる、転向しないなら××までも出して××××という×が之である。
 精神病院や癩病院に、こうした治療法のないのは誠に遺憾である。これがないばかりに、狂人殺人事件やレプラ患者追放事件なども起きねばならなかったわけである。

   四、教育幼年学校

 私が某連隊へ入営して半年も経たない内に、連隊の将校の内で、どれが中学校出身で、どれが幼年学校出かということを、他人から聞かない中から見分けがつくようになった。(下士上りはもっと判然と判るが)。馬鹿に糞真面目でユーモアが足りなくて、世間的に非常識で、思い込みが多くて、僧侶や牧師のように大人びていて、生れつき一種の特権貴族であったような気持ちで部下に臨む癖があるのは大抵幼年学校出である。之に反してヅボラで感情が多少とも複雑で、少しは世間と軍隊とを比較することを知っており、物判りが割合早く、茶目気があるのは、大方中学校出身者である。全く之は早期の職業教育の相違から来るのである。
 早期の職業教育は、固定した職業意識によってイデオロギーの自由な発展を束縛する。――師範学校も亦一種の幼年学校に外ならない。一体将来に対する未知の可能性を多分に蔵している溌剌とした少年に、一人に号令することを教えることが、人間を馬鹿にする結果になるのと同様に、そういう少年に人を教えることを教えるのは、人間をヒネコビたケチなものにして了う。(幼年学校の生徒が大体中産階級以上の出で、師範学校の生徒が大体無産階級の出だということは今の場合問題にならないことは明らかだろう。)師範教育はそれ自身非教育的なやり方なのである。
 処が教育と云えば学校教育のことで、学校教育と云えば師範教育を代表とする処の、日本の教育界では、この胴長な小人を養成する師範教育が教育の精華となっているのである。で、教育を何か改革するには、師範教育を改革する外はなく、そして師範教育を改革するには、その早期に於ける職業教育を、もっと時期を遅らせて行う外はないわけである。
 鳩山文相は、師範学校の修業年限を三カ年とし、中学校及びこれと同等以上の学力を有する者を入学せしめよう、という案を立てさせているそうだが、之によると師範学校も大体今日の専門学校乃至高等学校程度になるので、それだけ早期の職業教育は延期されるわけだから、文部省としては珍しく実のある学制改革案だと批評してもいいだろう。
 処が多少誠実のありそうな改革案には必ず愚劣な故障が伴うもので、現在の師範学校長の処置に困るとか、僅か一年修業年限が多いだけで中学教員の資格を得られる高等師範学校との関係をどうするかとか、そうすれば文理科大学を師範大学として高等師範を止めにしなければならないではないかとか、師範教育令なる勅令を改正せねばならぬとか、却って地方財政の負担が多くなりはせぬかとか、色々の難関が待ち受けている。一寸は実行出来ないプランであるらしい。
 実業補習学校と青年訓練所とを一緒にしようという「青年学校」案を、××××に一蹴された腹癒せとしては、出来すぎた案だと思ったのに、之は又老教育専門家達によって、一蹴されそうである。まことに同情に耐えない次第である。
 だが、文部大臣がこの改革案を工夫した目的を聞くと、折角の同情も、あまり急いではならないことが判る。文相は近時「小学校教員の思想事件」が頻発するに鑑み、小学校教員の素質を向上させるために、この案を立てたというのである。処が、小学校の××教員達というのは、その潜在的な勢力の圧力によって、例の幼年学校式師範教育の束縛を断ち切った連中ではなかったか。早期教員職業教育から来る、人格主義や先生意識を突き破って、もっと真理のある世界に頭を出したのが彼等だったのだ。
 師範学校を専門学校程度にすることによって得るものは、なる程、本当に云って現在よりも数等優秀な小学校教員だろう。(併し実を云えば大学を出たものの方がもっと好いのだが。)併し彼等は恐らく、文相が考えているような「素質の向上」した先生にはなりたがるまい。師範学校を専門学校程度にすることによって、教育幼年学校としての素質に下落するだろうことは、今から保証してもいい。
 師範学校を教育幼年学校として向上させる唯一の途は、之を小学校程度に引き下げる外にないのである。
 中学ではこの四月から作業科と実業科とが加えられ、之を主とする第一種の生徒は、学校を出たらすぐ実社会で働けるようになるということであるが、今日のブルジョア社会ではこうした職業教育は[#「職業教育は」は底本では「職業数育は」]普通教育(即ち人間教育)とは分裂しているから、この現象は職業教育の早期化に外ならない。中学さえ早期職業教育化されるのである。師範教育を専門学校程度などにして晩期化すことが、如何に間違っているか判るではないか。
 単に中学校だけではない、高等学校は今後出来る限り収容人員を減少させることになっている。それだけ社会に於ける早期職業教育の量的比重を増すことになるわけだが、之も亦師範学校を小学程度にする方向と一致しているだろう。では大学はどうなるか。教育が一般に早期職業教育化されるから、大学は教育の外にはみ出すことになる。或いは教育の外に残される。京大学生代表達に云わせると文相は大学を「浪花節大学」にする企てを持っているそうだが、果せる哉、鳩山一郎氏は最近「酒井雲後援会」の会長となったのである。
(一九三二・九・八)
[#改段]

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