映画『蒼のシンフォニー』鑑賞記
4月24日の朝に『蒼(そらいろ)のシンフォニー』を観ました。平日夜と土日の朝という、育児中の身にはたいへん辛いタイムスケジュールに原稿仕事も重なり、ようやく最終日に観覧できましたが、頑張って観に行って良かったと思える、良質のドキュメンタリー映画でした。
朝鮮学校のことになると、日頃リベラル的・左派的な発言をしている人も含めて、ありのままを真っ直ぐに見る意思のない日本人から「洗脳教育」とか「閉鎖的な学校」とかいう揶揄が聞こえてきますし、それを無条件に信じて近づこうともしない人も少なくありません。しかし、確信的・意図的にプロパガンダを吐く人には何を言っても無駄でしょうが(そういう人は、この映画で何が描かれていようと、「卒業式に金日成・金正日の肖像画が掲げられていた」とか、そういう粗ばかり必死で探しまわるのでしょう。『60万回のトライ』に引き続き「ご出演」の橋下徹氏のように)、かかる言説を信じて固定的なイメージを抱いているだけの一般の日本人にこそ―『ウリハッキョ』とともに―この映画をもっと観てほしいものだと思います。そこに描かれる、ありのままの人と人との出会いに、感じるものはきっとあるはずです。
【修学旅行シーン―人間的な出会いと絆の温かさ】
映画で中心的に描かれていたのは、茨城朝鮮高級学校3年生(当時)11人の修学旅行でした。在日朝鮮人の若者にとって「祖国」とか「アイデンティティ」に対する想いはそれぞれでしょうが、日本で生まれ育ち、多く(この11人の場合は全員)がそのルーツを朝鮮半島の南側に持つ朝鮮学校の若者の心に、「祖国」DPRKが何をもたらし、どんな意味を持ってくるのか、それがこの映画の主旋律なのだと思いました。
金明俊監督の『ウリハッキョ』でも修学旅行のシーンが描かれますが、韓国民でDPRKへの修学旅行に同行できない監督の代わりに生徒のハンディヴィデオによる映像で綴られた修学旅行のシーンは素晴らしかったものの、どうしても充分に描き切ったものにはなりません(そのシーンと、監督自身が撮影した他のシーンとの「落差」自体が『ウリハッキョ』の価値をさらに高めているのではありますが)。その点『蒼のシンフォニー』は、朴英二監督自身が生徒たちと共に渡航して密着撮影している分だけ、生徒たちとDPRKで出会った人々との生の交流が、その息遣いまでじっくりと伝わってきました。プログラムに「朝鮮学校出身で、今は保護者でもある“在日同胞”朴監督によってこそ、“朝鮮学校物語”は完結版を得た」という金明俊監督の言葉が載っていましたが、的確なコメントだと思います。
余談ですが、この修学旅行では、『ウリハッキョ』の舞台となった北海道朝鮮学校の3年生も同じバスで動いていました。映画に登場する茨城の崔寅泰校長先生は、『ウリハッキョ』の北海道の校長先生と同一人物。お姿を一目見て、お会いしたこともないのに懐かしく思いました。そういえば『ウリハッキョ』のエピローグで「茨城のウリハッキョに転勤されたチェ・インテ校長先生・・・」というナレーションがありました。『ウリハッキョ』がこんな形で『蒼のシンフォニー』につながっているのも楽しいところ。
「蒼のシンフォニー」に登場するDPRKの人たちは、とても温かでした。
きびきびとした優しい案内員の女性、公演指導がやたらとアツい“D.P.R.K.Rap”の音楽指導員さん、生徒の話そっちのけで喋る床屋のおじさん(平壌で外から見た理容室ってあんな感じなのね)、3年前の出会いを覚えていた平壌ホテルの女性従業員さん、とてもはにかみ屋さんの開城子男山ホテルの女性従業員さん(妙香山の香山ホテルのレストランで出会った従業員さんを思い出した)、一緒にゲームをしたりプレゼント交換したり楽しそうに交流する姉妹校の少年少女たち、カメラに向かって満点の笑顔を見せる幼い子どもたち(子どもはどこの国に行ってもカワイイですね。ミッキーマウスのリュックが印象的)、プールで女子生徒を「ナンパ?(予告編より)」してくる若者(一方で、ある男子生徒さんも現地の女性従業員さんに「フタマタ」してましたが・笑)、等々・・・。
そこには確かに、生き生きとして温かい息遣いがありました。とても人間らしい笑顔や涙と、人と人との優しい触れ合いがありました。
こう書くと、「案内員とかホテル関係者とか姉妹校とか、セットされた出会いばかり」「《北朝鮮》のいいところばかり描いている」という反応が、物事をありのままに見ようとしない日本人からただちに聞こえてきそうです。
確かに限られた出会いであることは事実でしょう。しかし、自由気ままな旅ならともかく(それが出来ないのはDPRKの難点ではありますが)、ツアーで海外に行く人なら、どこに行っても出会いは同じように限られているでしょう。案内員だって人間です。それぞれの想いがあり、人格があり、生活があるのです(私のDPRK旅行でも、案内員の人たちとの会話、下ネタを含むジョーク、一挙手一投足は思い出深いものです)。出会った相手とどのようなつながりを結び、何を得るのかは、訪れた人次第なのです。
「朝鮮の負の部分についてはあえて扱っていない」ことは監督自身も認めるところです。しかし「日本や韓国のメディアでは負の部分しか扱わず、真偽のほどもわからないネガティブな情報もあふれています。そこでは描かれない部分を描く方がよっぽど価値あるなって思ったんです」という朴監督の言葉は全くその通りだと思います(引用はプログラムより)。DPRKや朝鮮学校に対する否定的な(時には非常にいい加減な)情報ばかり氾濫させておきながら、肯定的な側面を描く者にばかり「公平に負の部分も描け」と強要するのはフェアな態度ではありません。今回のような映画があっても、日本における情報バランスはまだまだ圧倒的にマイナスの方に寄っているくらいなのですから。何より、この映画の目的は「DPRKの実情を抉り出す」ことにあるのではなく、「祖国」における人々との出会いが朝鮮学校の生徒たちの心にもたらす意味を描くことにあるのです。
マスゲームや集団行進の映像(私だってそんなものに心は動きません)ばかり見慣れている人には、この映画に映し出されるかの国の人々、子どもたちの姿や表情を、虚心に見てほしいと思います。国とか体制に関わりなく、ひとは確かに生きているということを、感じ取れるはず。
私も―日本の立ち位置そっちのけのようですが―「この人たちに幸あれ」と思えました。それほど人々の温かさ、触れ合いの優しさが、伝わってきたのでした。
一方で、生徒の一人リョンファさん(とっても素敵な女性!)は修学旅行の機会に「帰国」した親族たちと面会します。たぶん限られた時間の面会なので多くを描けなかったのだと思いますが、感無量の表情で言葉を交わし、プレゼントを交換するシーンも心温まるものです。この映画や『ウリハッキョ』とは性質が違いますが、ヤン・ヨンヒ監督の『ディア・ピョンヤン』や『愛しきソナ』に描かれる「帰国」親族一家との交流や想いを併せて見ると、補完的に理解していけるように思います。
『ウリハッキョ』でも『60万回のトライ』でもそうでしたが、「祖国」への修学旅行シーンはどれも温かいもので、生徒たちが心の底から楽しみ、心を解放され、別れがたい出会いと絆を心に抱いて日本に戻ってきたことが分かります。実際に永住してしまえばまた違うことも見えるだろうけれど、いずれにしても宝物のような記憶として一生残ることは容易に窺われます。
「君たちは間違った教育を受けている」とか上から目線で説教するばかりか、朝鮮人ヘイトが蔓延し、DPRK制裁を口実に露骨な朝鮮学校・「朝鮮籍」排斥政策を強める、生まれ育った地・日本。朝鮮学校を「敵の洗脳教育機関」だと決めつけ、韓国籍に変えた在日同胞に「朝鮮学校に子どもを通わせるな」と迫るばかりの、ルーツの地・韓国。一度、「祖国」DPRKで人間的な絆を得た生徒たちの心に、自分たちを少しも守ってくれず自己都合ばかり押し付ける日本や韓国からの「お説教」が、響くはずもないのは当然です。
たぶん、そうした要素を和らげるために、中川一成さんや長谷川和男さん、『ウリハッキョ』でもお馴染みの藤代隆介先生ら、多くのインタヴューが織り込まれているのだと思いますが、「映画表現」という意味では、必ずしもなくても良かったのではないかとも感じました。それぞれの言葉はとても素晴らしいものですが、これがあるために前半がどうも「ニュースドキュメンタリー」的に感じられました。日本人の理解者が語る百の言葉よりも、生徒たちの言葉や表情、DPRKの人々との交流のシーンの方が、ずっと「映画」としてのテーマを人々に伝えることができると思います。韓国のモンダンヨンピルからの支援と、それに驚きを感じたという生徒や保護者のコメントを採用すれば充分だったのでは・・・。日本人のコメントはプログラムにも収録されていますし。
【「分断」がもたらす「立ち位置」の違い】
私にとって、この映画で最も強烈に印象づけられたのが、「分断」がコリアンの人々にもたらす「立ち位置」の違いでした。胸を締め付けられるような思いでした。
劇中にもインタヴュー等で登場する『ウリハッキョ』の金明俊監督は、韓国民であるがゆえに、すっかり仲良くなった北海道朝鮮学校生たちのDPRK修学旅行に同行できず、(当時はまだ就航していた)万景峰号を断腸の思いで見送るしかありませんでした。
生徒の一人リョンファさん(おそらく彼女一人ではないでしょう)は、「朝鮮籍」であるがゆえにルーツである韓国に行くことができず(李明博政権以降の「朝鮮籍」者入国禁止への逆戻りについてナレーションが解説します)、板門店の北側からじっと南側を見つめることしかできません。
(その南側では、外国人観光客たちが見世物を見るように北側を眺め指さしたりしています。相変わらず大仰に緊張感を演出する韓国側兵士の姿も見えます。その人たちには、北側「板門閣」のテラスからこちらを見つめている若者はどのように見えているのだろう?日本からわざわざ北京をぐるりと経由してやって来た《在日朝鮮人》の若者がそこにいると、気づいているのだろうか?)
朴監督自身は韓国籍の在日コリアンであるために、金明俊監督が同行できなかったDPRKへの修学旅行に同行し、リョンファさんが思い描くことしかできない韓国に足を運んで板門店南側の映像も撮ることができます。
これはもちろん、朴監督が「恵まれた立場」だと言いたくて書いているわけではありません。朴監督がその「立ち位置」に自覚的であることは、南側を見つめるリョンファさんを映した映像からしっかり感じ取れます。『ウリハッキョ』の修学旅行シーンが生徒のハンディヴィデオ映像を借りたものである一方で、『蒼のシンフォニー』の修学旅行シーンは監督自身がじっくりと撮った映像である―そのこと自体に、「分断」が、「政治」が、「国籍」が人々の自由な旅と出会いを妨げている悲劇的な現実が表れているのです。
朝鮮半島を植民地支配し、朝鮮戦争に加担し、分断国家の一方のみ国家承認し、在日コリアンにも登録による分断を迫る(それは今や朝鮮籍への「アパルトヘイト」の域にすら達しつつある)日本が、他人事として見ていることの許されない悲劇です。何しろ私たち日本人は、韓国はもちろん、意思とお金さえあればDPRKにも好きに旅行できるのですから(別紙ヴィザを必要とすることに国家承認していない現実を感じさせられる程度です)。
【その他もろもろ】
以上2点がとりわけ印象強かった点ですが、その他に印象に残ったことを書きます。
* 過去にDPRKへ短期ながら3度ほど旅行したことのある身としては、懐かしい風景がたくさん登場してきたのが楽しかったです。一方で、遊園地(ひょっとして最近整備されたというあの遊園地?)とかボウリング場とか、全く行かなかった場所の風景は興味深いものでした。開城の子男山ホテルも側を通っただけでしたが、初めて様子の一端を見ることができました(開城に宿泊するなら民俗旅館がいいなとは思う反面、あの従業員さんにも会ってみたいもの)。平壌には2007年に行ったきりですが、車がずいぶん増え、停電が起こるにせよ電力事情も良くなったように見えました(私が行ったころは車はおろか自転車も少なかったし、夜は銅像周辺と主体思想塔以外にライトアップしている様子がなく、市内でも星空が見えるほどだったので)。もちろん、私が行った当時にも平壌との格差が歴然と見えた地方の様子は分かりませんが。
* 毎日パソコン入力コンクール6回優勝というジェホン君、子どものころから神業のような演算、すごい!朝鮮学校に注目を集めたいとの思いから高校就学支援金支給除外の責任者の職名を冠した「文部科学大臣賞」に挑み、見事にそれを勝ち取ったド根性には敬服するばかりです。政治家や文科官僚に見てほしいシーン。
* プログラムによると11名のほとんどは朝鮮大学校に進学したそうですが、2名は日本の大学に、1名は専門学校に進学したそうです。その一人キョンミさんが、大学で「名前はどうしますか?」と聞かれたとか。いまだにそんなことをいちいち尋ねてくるという「朝鮮名だったら困るんじゃない?」的な「善意」こそが、日本で生まれ育った彼女たちの心に日本社会との距離を生んできたのだと感じます。
映画の内容とは何の関係もない余談ですが、最も印象的な生徒さんだったリョンファさん(東北朝鮮学校出身)のお母様で映画にも登場する任寧淑さんとは、まさかFBでつながっている方?!私のつながっている任さんはプロフィールによると仙台在住なので、きっとそうではないかと思うのですが。他にもエンドクレジットを見ていて、FB上でつながっている方の名前をたくさんお見かけしました。これだけの方が私とつながってくれ、私の書くことを受け入れてくださっていることに、とてもうれしい気持ちになりました。カムサハムニダ。
【むすび】
朝鮮学校の生徒さんたちにとって、また在日コリアンの人々にとって、今の日本はどんよりと重い曇天のように思える状況だと思います。
そんな中、「蒼のシンフォニー」に登場する生徒さんたちは(のみならず過去の朝鮮学校映画に登場した生徒さんたちも)、「祖国」という異郷における人々との触れ合いを通じて、雲の合間から青空が見えるような気持ちをもらったことでしょう。
映画の来場者に在日コリアンの方々が多かったことは周囲で交わされる会話から察せられましたが、映画の間、あちこちから笑い声ばかりでなく、すすり泣きが聞こえてきました。生徒たちが感じた「祖国」を「青空」を我が事のように感じられるからだろうと思います(その点、やはり私は「日本人」としてこの映画を観ているんだなあと感じました)。
日本社会の曇天を払い、生徒たちが見出した「そらいろ」を快晴の空にしていく役目は、私たちにあります。
この映画が各地でのロードショーを終えてDVD化されたら、ぜひ地域での自主上映会とかやりたいものです。
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Comments
Yongchol
Lee ここまで丹念に観ていただき、内在的な批評と、生徒たちや朝鮮学校によりそったご感想、感謝いたします!監督はもちろん、私も制作スタッフの一人として感激です。ありがとうございました!See Translation
Takabayashi
Toshiyuki 先生、恐れ入ります。こちらこそ素晴らしい映画を世に送り出してくれた皆様に感謝です。See Translation
ホ サンホ
お忙しい中、最終日に来て頂き誠に有難うございます。
鑑賞記も本当に的確で、スタッフの一員としてとても考えさせられました。See Translation
鑑賞記も本当に的確で、スタッフの一員としてとても考えさせられました。See Translation
ノムラ チョコ
映画観たくなりました。いつか自主上映したい映画になりました。See Translation
Yeongi
Park 素晴らしい感想ありがとうございます‼︎読んでいてもう一度映画を観てみたくなりました(笑)
自主上映の時に是非、ゲストトークお願いしたいです!
※その時は一番良い時間で上映しましょう(^-^)/See Translation
自主上映の時に是非、ゲストトークお願いしたいです!
※その時は一番良い時間で上映しましょう(^-^)/See Translation
朴裕美
高林先生シェアさせていただきます(^^)vSee Translation
Imu
Nyongsuku 高林先生。
素晴らしいご感想ありがとうございます。
ウリハッキョに通う子供たちを不憫に思ったことは一度もありません。...See MoreSee Translation
素晴らしいご感想ありがとうございます。
ウリハッキョに通う子供たちを不憫に思ったことは一度もありません。...See MoreSee Translation
Songe
Lee TSUTAYAに時期でますか?
보고 싶습니다 🌱See Translation
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Takabayashi
Toshiyuki 後から少しばかり加筆しています。読み直すといろいろ気になるところが出るものでして・・・。See Translation
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