2017-09-19

木内みどり告白!!「左翼の職業運動家たちに「客寄せパンダ」にされていた。」|流じゅーざの『日韓・朝韓』

木内みどり告白!!「左翼の職業運動家たちに「客寄せパンダ」にされていた。」|流じゅーざの『日韓・朝韓』

2016-11-19 12:00:00
テーマ:
木内みどりIN客寄せパンダ♪

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バンコク在住のじゅーざです。

  脱原発のマドンナ(笑)だった木内みどり


  ほとほと左翼運動家に愛想が尽きて運動辞めたそうです♪


「「そんなことやったからでしょうね、市民運動家って言われるようになって。気持ちの上では、運動家じゃないんです、女優ですと言いたいんですが……」とため息をつくのは木内みどりサン(66)。実は彼女、集会で頻繁に司会を務めることから、脱原発のマドンナ的存在になっていた。が、その胸中は意外なことに……。

 ***

「海外の俳優さんが時に社会的な発言をするでしょ。あれと同じなんですけどね」

彼女が“脱原発”に関わる契機は、2011年3月に起きた東日本大震災と原発事故だった。

「私自身人生が変わったという思いがありまして。で、何かをしなくてはと思い立って、事故から4カ月ほど経った頃、明治公園から代々木公園まで練り歩くデモに初めて参加しました。知り合いもいないし、ただ独りで俯いて歩くだけでした。

そのうち“木内みどりさんでは?”とばれてしまい、『グループに入って』『呼びかけ人になって』と声をかけられるように。『私は団体行動ができないから』と断っていたんですが……」

それでも断りきれなくなり、“司会ぐらいなら”と引き受けることに。

「でも、だんだん“嫌だなあ”と感じることが多くなってきました。例えば、

  集会にはそれが仕事の人がいますよね。専従の人。

こういう人って、いつも同じことしかしなくて、新しいことを提案しても受け付けてくれないんです。『英語の看板を設置しましょう』『ツイッターやフェイスブックを使って情報を発信しましょう』と言っても、メール打つのがやっとで対応できないとかね。で、やるのは、

  昔ながらのアジビラ。ハンドスピーカーで『原発やめろ』って怒鳴ってもね。時代とずれてるんですよ。

『こういう風にしゃべって』と、自分たちの流儀を押し付けてきたときは、さすがに私、言ったんです。『私は無償で、私の思いだけでやっているんです。義務はないんです。もし命令されたり、指示されたりするのなら、帰ります。もう来ません』って。そしたら、その人大慌てで。きっと私に帰られたら、自分の責任になると思ったんでしょうね」

  「市民運動ってね、ホント、面倒くさいんですよ」

と語り続ける彼女がほとほとウンザリしたのは、今年9月に代々木公園で行われた集会直前だった。

「『さようなら原発1000万人アクション』と言って、その司会をここ4年くらい続けてきました。9月の集会も半年前に私が司会をやることに決まっていたんですが、数日前になって『他の人になったから』と。主催団体の中でも力関係があってそうなったらしいんですが、気分の良いものではありません。

そのくせ、『木内さんが全く出なくなると、“何があったんだ”と騒ぎになる』から“ゲストスピーカー”になってくれと。でも私は、皆さんの前で意見を述べるほどの政治的主張もない。だから、断ったんですよ。そしたらね、

  『木内さんがいないと寄付の集まりが悪くなる』

ですって。こういうのって自民党がやってる“客寄せパンダ”と同じじゃないかしら。私は単に利用されてるだけなのかなって、そこで本当に嫌になっちゃったんです」

実は彼女、先の参院選の際、市民団体から出馬の誘いがあったそうで、

  「『私には人生賭けて政治をやる覚悟なんてない』といくら断っても、『これだけ頼んでるんだから出るべきだ』と。そんなに候補がいないのか、っていうね――」

市民団体諸君、“脱原発”前に“脱木内”を。」


うちは父親が労働組合の若手のリーダーだったこともあり、家でとっている新聞も昔は「赤旗」のみ。赤旗祭りにも連れて行ってもらって、沖縄の方から来ている出店で売ってるサトウキビの切ったのを口に入れて甘みを味わうのが好きでした。

そんなオレは元々高校時代に

  受験勉強をほったらかしにして中国史の勉強をしてました。

学校にあった中国史の関係の本を◎△コピーするとか、してたんですが(もう30年位前です)、で、

  入学した大学でも当然、東洋史専攻で、

  部活もその大学に「中国研究会」(中研)というのがあったので入部したんですが…


  そこが左翼団体への勧誘の場でもあったんですな。

当時の3つ上の先輩がそういう活動をしていて、オレも誘われ、なんやかやで

  マルクスだ、エンゲルスだ、毛沢東選集だ、と読まされました。

しかし当時は既に、中国は鄧小平が深圳に特区を作って部分的な経済開放を始め、万元戸(年収が1万元になる家)が出始めた頃です。

だから大躍進だの四人組とかも勉強しましたが、当時すでに一応大躍進は量的にはともかく、質的に問題があったって感じで話をしていた記憶があります。
 
で、

大学2年生の時に日中友好協会の中国人が来て会食をした際に、ちょうどその少し前に読売新聞に小さく載っていた

  チベットでの暴動

の話を

  「実態はどうだったんですか?」

と聞いたら、4年生の先輩がいきなり遮って

  「中共には民族問題なんてないよ!チベットは中国の固有の領土なんだから!」

と言い出したんですな。

中国史は五胡十六国から南北朝がメインだったとはいえ、一応通史は全部勉強していたんで

  チベットのどこが固有の領土なんだろう??

という不満が芽生え、疑問が大きくなってその団体を離れました。(中研には残ってましたが)

  これがオレが共産系左派から離れたきっかけ(実話)でした。

その後、チェ・ゲバラの自伝読んだり、大杉栄から始まって無政府主義系の本を読んだり、AA(アジアアフリカ)の思想家の本を読んだり、心理学にはまったり、油絵をやったり、と横道にそれました。

その当時はまだ右寄りではなかったんですが、卒業後の社会人となってタイに赴任し、しばらくしたら

  立派に中道保守(はたから見ると右?)になりました( ̄∀ ̄)

タイのように四方陸続きの国では軍隊が無かったら領土はどんどん削られてしまいますからね。近隣諸国の反政府ゲリラをかくまったり、外交の手練手管も駆使しなければ国を守れないと自覚した訳で。

やっぱり日本は四方が海に囲まれており、また以前は中国が海軍力がなかったですからね。そして日米安保条約の力。

それが通用しなかったら、日本独自で軍事力を持って対抗しなければ領土領海なんて守れるわけはない。まあ

  そんな自然の道理を理解した訳で。

オレは元々自分のことでもどこか冷めた目で見ている部分があるから左翼組織にずっぽりはまらずに済んだんだと思いますけどね。

  木内みどりさんもきっかけはどうあれ無事足抜けが出来たようでよかったですね♪

こんかい終わり


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