流言蜚語とエリートパニック 『九月、東京の路上で』
今回ぼくの本の出版を勧めてくれた「ころから」さんから、明日3月11日付で発売される新刊『九月、東京の路上でー1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹著)を送っていただいた。
あの日の生々しい証言と記録に、改めて衝撃を受けた。
なぜ日本の普通の民衆があれほど残虐な行為が出来たのか、この本は見事に解き明かしている。==
朝鮮人が井戸に毒を入れている、放火している、爆弾を投げている、こうしたデマ、流言蜚語が、なぜこうも易々と信じられたのか。
この本の秀逸なところは、それが未曾有の震災によってパニックになった民衆の前に、政府、警察、軍、新聞など「エリート」が最初にパニックに陥っていたことを、その理由とともに解明しているところである。==
「エリートパニック」が元凶であると。==
日本政府、軍は、植民地支配を断行する過程で、朝鮮人の抵抗を弾圧し取り締まりながら、その抵抗を常に野蛮な暴徒の如く喧伝し、メディアもそれを煽っていた。
その過程でまず日本の民衆に朝鮮人への野蛮という蔑視、怖いという偏見つまり差別意識が植え付けられた。
さらに、1919年の三一独立運動に対する報道が、非暴力の抵抗運動を捻じ曲げ、またも野蛮な暴徒の、それも日本人を憎んでいるというイメージを浸透させた。
それらの集約的表現が「不逞鮮人」という言葉であった。
この言葉は朝鮮にかんする報道でもっとも頻繁に使用された言葉だったという。
支配と弾圧の先頭に立っている警察や軍にとって、朝鮮人は常に治安の対象であり、危険集団である。
彼らが真っ先にパニックにおちいり、流言蜚語まで流して民衆を煽ったのは必然だったと言えよう。==
こうして民衆のなかに植え付けられた野蛮、怖い、不逞鮮人といった差別と偏見、蔑視に火が付けられたのである。
それも瞬間着火剤のごとく。
しかも、それは過去のことではなく、ヘイトスピーチとして現代に蘇りつつあると。
だからこそ決して忘れてはならないと。
3月11日を発刊日に選んだ由縁だろう。
もし今東京で大震災が起こったら、またも繰り返す恐れがリアルにあると、本書は警鐘を鳴らしているのだ。==
それにしても、この本を読みながら学生時代、寺田寅彦の関東大震災と流言蜚語について書かれた随筆に大きな違和感を感じたことを思い出した。
寺田寅彦は、流言蜚語の伝播には科学的常識を持たない市民にも責任があるという。しかも半分、ことによると9割以上も。==
「大地震、大火事の最中に、暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする。その場合に、市民の大多数が、仮りに次のような事を考えてみたとしたら、どうだろう。==
例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量きょくりょうを推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。いずれにしても、暴徒は、地震前からかなり大きな毒薬のストックをもっていたと考えなければならない。そういう事は有り得ない事ではないかもしれないが、少しおかしい事である。==
仮りにそれだけの用意があったと仮定したところで、それからさきがなかなか大変である。何百人、あるいは何千人の暴徒に一々部署を定めて、毒薬を渡して、各方面に派遣しなければならない。これがなかなか時間を要する仕事である。さてそれが出来たとする。そうして一人一人に授けられた缶を背負って出掛けた上で、自分の受持方面の井戸の在所ありかを捜して歩かなければならない。井戸を見付けて、それから人の見ない機会をねらって、いよいよ投下する。しかし有効にやるためにはおおよその井戸水の分量を見積ってその上で投入の分量を加減しなければならない。そうして、それを投入した上で、よく溶解し混和するようにかき交ぜなければならない。考えてみるとこれはなかなか大変な仕事である。==
こんな事を考えてみれば、毒薬の流言を、全然信じないとまでは行かなくとも、少なくも銘々の自宅の井戸についての恐ろしさはいくらか減じはしないだろうか。」
あの未曾有の大震災とパニックに陥り易い状況の中で、こんな冷静な分析ができる人がどれだけいるだろう。==
たとえば、この本に紹介されている、殺されかけた朝鮮人留学生李性求イ・ソングは、東京物理学校(現・東京理科大学)の学生であったが、彼でさえ、「近所の人から(李くん、井戸に薬を入れるとか言って、朝鮮人をみな殺しにしているから行くな」と止められた。(そんな人なら殺されてもしかたがない。私はそんなことしないから)と言って忠告を聞かなかったのがまちがいだった。」という回顧をしているが、科学的に考えてありえないとは思わなかったのである。==
寺田寅彦が良心的な知識人であり、科学を市民の手に届くように努力していた秀れた科学者であることは疑わない。==
しかし、植民地支配に関する朝鮮報道を新聞などで読んでいたはずの寺田寅彦が、差別、偏見、蔑視の危険性にはまったく想像が及んでいないようにみえることには、違和感を禁じ得ないのである。==
官民上げて明らかな差別、偏見、蔑視の不当性については一言も語られていないのだ。
それが、政府、軍、警察の責任を見えなくさせる危険を孕んでいるから、なおさら危ういと言わざるをえないのである。==
責任の9割以上は市民ではなく、政府、軍、警察にあることは明白だ。
この本はそのことを明らかにして、日本の市民と朝鮮人をはじめとするマイノリティとの連帯の可能性と必要性も語っている。==
どんなパニック状態のなかでも人間性の輝きを見せてくれた、朝鮮人を命がけで助けた日本人も紹介しながら。==
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