1949年の大東亜共栄圏: 自主防衛への終わらざる戦い (新潮新書) (Japanese) Tankobon Hardcover – June 16, 2014
by 有馬 哲夫 (著)
4.8 out of 5 stars 8 ratings
発掘資料をもとに描く、戦後の裏面史。敗戦後も、大本営参謀、軍人、児玉誉士夫らは「理想」のために戦い続けていた。反共活動、再軍備、政界工作……その活動はいつしか東アジア全体へと波及していく。
Product description
内容(「BOOK」データベースより)
一九四九年、中国・山西省でまだ日本兵たちは戦っていた。彼らだけではない。帰国した大本営参謀、軍人や児玉誉士夫らは、「理想」の実現を諦めずに戦い続けていたのである。ある者はアメリカと手を結んで反共活動に身を捧げ、ある者は日本軍復活のために奔走し、ある者は政界工作に突き進んだ。その活動はいつしか、東アジア全体へと波及していく。CIA文書など発掘資料をふんだんに使いながら描く、戦後の裏面史。
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
有馬/哲夫
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科教授(メディア論)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。93年ミズーリ大学客員教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Product Details
Publisher : 新潮社 (June 16, 2014)
Publication date : June 16, 2014
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Customer reviews
4.8 out of 5 stars
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Friedrich 7516
5.0 out of 5 stars 新たな戦後昭和史の視点
Reviewed in Japan on March 10, 2017
Verified Purchase
戦後と言われ、戦前との断絶を意識させられた教育を受けたが、この本によって深層的には連続性を持った
戦後昭和を築かせてくれる。
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磯野波平
5.0 out of 5 stars 『終戦=1億総懺悔』の影で祖国復活のために暗躍していた人々
Reviewed in Japan on April 26, 2020
通り一辺倒の戦後史教育では知ることができなかった日本軍人や政商らの自主防衛への動き~アメリカの統治下にありながらも欧米支配の先を見据えた自主防衛力の復活や、防諜組織の作成を画策した人々の動きとGHQ、そして日本政府、国会議員らとの絡み合いは、 “非常事態よりも個人の人権を重視” し “自国の防衛を米国という他国にまかせきり” そして“スパイ防止法も制定できず”に “自国の領土が外国人に制限なく買われつつあることを許し” “国家観なき経済偏重思想にとりつかれている” 現在の日本を生きる我々に警鐘を与えてくれる。逆に終戦直後だったからある意味正当な国家意識を持つことができたのか? 平和の真っただ中にある現在の日本の政治家、特に与党の面々は、なぜ憲法改正の論議さえ許さない怠惰な野党の面々の主張や行動を面罵できないのか?筆者も述べていたが、終戦直後のあのような人々が現在の日本で活躍することができていたなら、少しは現在の閉塞感からは解放されていたような気がする。また門田隆将氏の『この命、義に捧ぐ』の主人公・根本元陸軍中将の台湾渡航について、その動き自体は彼自身の単独行動ではあったが、本著ではこれと同調するように中国共産党と対峙する日本軍人の救出作戦も画策されていたことも興味深かった。“命を義に捧ぐ” 志をもった人は、何も根本将軍ただ一人だけではなかったのである。
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河童の川流れ
TOP 500 REVIEWER
3.0 out of 5 stars 戦後の東アジアの歴史を知ることができる書でもある。
Reviewed in Japan on October 24, 2016
日本敗戦後の中国では蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党軍とが対峙した内戦の状態であったが、蒋介石を支持していたアメリカ政府は戦争拡大を危惧し、1946年1月に、マーシャル使節団を派遣して国民党代表の張群、共産党代表の周恩来とアメリカ代表はマーシャルによる「軍事三人委員会」を成立させ「国共停戦協定」が調印された。
が、そんな停戦条約など無かったように国共両軍の衝突はやまなかった。
1946年12月トルーマン大統領は、中国の内戦に巻き込まれることを避け、マーシャル将軍の召喚と中国内戦からアメリカ兵力の撤退を表明した。(ソ連の欧州における脅威などを考慮してのことだろう)
ソ連が介入した場合は考慮するという条件付きだったが、このアメリカ政府の決断が後に蒋介石の国民党軍の衰亡を齎した遠因だったことは間違いないだろう。
本書に登場する旧日本軍の名だたる将軍や将官たちがGHQの支援のもとで防共インテリジェンスで暗躍したり、蒋介石を支援する白軍など派遣しても歴史の大きな流れに逆らうことはできなかった。(朝鮮戦争勃発など)
戦後日本の荒廃を俯瞰すれば、「大東亜共栄圏」を成し遂げることなど当時の国力を冷静に鑑みれば不可能なことだったのではなかろうか。
占領下から主権回復後も首相をやっていた吉田茂が、自衛隊の前身の警察予備隊、保安隊で、服部卓四郎など旧軍本流の採用に異様なまでに拒否を貫いたことは理解できる。
現実と「想念」の分別が定かでない思考の劣化した旧軍本流の排除こそが吉田の本意だったのだろうと思う。
児玉などがその強大な資金力をもって鳩山政権を擁立させ独立自衛の軍事力を持った国家再建を果たそうとしたが、鳩山は政権の座につくとソ連と講和条約を結び児玉を裏ぎることになった。
本書で戦争の責任を強く感じた海軍軍令部次長だった大西瀧次郎中将が、・・・<前文略>特攻機で死んでいってくれた部下やその家族にたいしては、腹を切ったぐらいでは申し訳にならんのだが、しかしこの場合それ以外にお詫びのしようがない。・・・(P82)
大西がこのように語って頸部切創(占領軍文書による記録)で自死したことを本書で読みながら、こんな軍人もいたのだと感じ入りながら読んでしまった。
「再び繁栄した強国として世界の舞台に登場する」ことにかまけて、同じくらい大切な「主権の回復」することに執着しなくなった。戦後のめざましい経済発展の過程で、日本人は「主権の回復」をどこかに置き忘れてきてしまった。」
と、著者の有馬氏が本書を書き終えていた。
が、昔どこかの政治家が、日本列島はアメリカの「不沈空母」と云ったことがあるが、アメリカの不沈空母だけにはなりたくないと思いながら本書を読み終えたのです。
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INAVI
5.0 out of 5 stars 終わらない大東亜戦争-帝国軍人の描いた集団的自衛権
Reviewed in Japan on July 4, 2014
本書は、著者の旧作である「大本営参謀は戦後何と戦ったのか」でも描かれた高位の帝国軍人たちの敗戦後の軍事活動・策謀を、軍人メインで描いた作品であり、「児玉誉士夫 巨魁の昭和史」での研究もいかされている。
一言で云えば、「実に面白く読めた」
4枚の絵と著者が評する、山西省で国民党軍と共に中共軍と戦った将校、辻政信に関わる人々、宇垣大将を頂点とした人々、そして、児玉誉士夫を重ねていくことで浮き彫りとなる、敗戦が決して終戦(戦いの終わり)ではない帝国軍人の意識や活動力は、ともすれば悪人・愚者と単純に切り捨てられることの多い彼らの知られざる姿を実に得心させる。一方で門田隆将の力作「この命 義に捧ぐ」でスポットの当たった根本博中将についても、大局から彼の活動を再評価しており興味深い。
満州事変以前からの対支、そして対ソ、対米と広がる日本軍の戦略には多様な視点があるが、ソ連・支那そして米国と対峙する小国日本の生き残りとして、国民党また朝鮮半島を糾合してこそ生き残れるとの発想は、現代では完全に否定されることが多いが他方で多くの将官が念頭に置いた基本戦略でもあった。この方針を完遂すべく、戦後の一変する国際情勢を踏まえて活動する彼ら、そして、彼らを踏み越えて戦後日本(要するに米国の傘の下に追従しての復興・成長だ)を描く人々、さらには中華人民共和国の成立から朝鮮戦争の中で自国国益のために両者を巧みに動かす米国という構図は実にダイナミックで、単純化された戦後史に新たな重要な視点を与えている。
「大本営参謀は戦後何と戦ったのか」ではボリューム過多で未消化の感もあった軍人達の説明も、ポイントを絞ったことでかなり分かりやすくなっている。本書を起点にして、過去の作品や個々の人々を扱った著書へと読み進めるのもいいだろう。
左派が騒ぐところの「戦争をする国」「国防軍」そうしたものを意図しながらも、対米追従とは異なる集団的自衛を追求した彼らが、いまの状況をみたら一体何を思い、そして何を企み行動しただろうか?そういう重ね方もまた楽しい。
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閑居人
HALL OF FAME
5.0 out of 5 stars 「終わらざる戦いーー大東亜共栄圏の夢」
Reviewed in Japan on July 4, 2014
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かつて、「大東亜共栄圏」という一つの「夢」があった。単なる「夢」でなかったことは、昭和十八年十一月、東京で開催された「大東亜会議」に満洲国、中華民国南京政府、フィリピン、タイ、ミャンマーが参加したことで分かる。また、インドは加盟が予定されていなかったため、チャンドラ・ボースが「オブザーバー」として参加した。
大東亜共栄圏については、欧米の植民地帝国主義とソビエト・コミンテルンを仮想敵としつつ、「日満支ブロック構想」という日本帝国拡大のための隠れ蓑だという批判がある。しかし、戦後の英・仏・蘭・米の旧宗主国の植民地復帰を跳ね返す大きな要因となった。「白人優越の人種主義」と「キリスト教文明神話」をぶちこわした。程度の差はあれ、多くの日本軍人たちがこの理念を信じていたことも間違いない。
ところで、1945年8月、日本の敗戦で、全ての戦場で無事に戦闘が停止したわけではない。ソビエトは降伏調印が行われていないことを理由に、9月2日まで、満洲、朝鮮、樺太、千島に襲いかかった。日本軍の司令官には、現実に合った適切な判断を求められた。
駐蒙軍(内モンゴル)司令官根本博は、終戦後も攻撃をやめないソビエト軍と八路軍から張家口付近にいた四万人の日本人民間人を守るために「抗命罪」を覚悟で白兵戦を戦い、天津まで帰還列車を防御し、食料・衣服を提供して帰還させた。そして、駐蒙・北支方面軍司令官として、翌年夏35万人の日本軍の日本帰還が終了するのを見届けて帰国した。
これは、恐らく、根本の軍人としての本能で行ったことだが、欧米植民地主義からの解放、共産主義の脅威との戦いを柱とする「大東亜共栄圏」の理念が、日本軍人たちの胸中から簡単に消えてなくなるようなものでは無かっただろう。
本書は、その軍人たちが戦後、国共内戦に苦しむ国民党の日本軍の支援を受けたい打算と要請、GHQ内部の諜報機関と結んで、いかに未完の戦いを戦い続けようとしたのか、そして、「日本の再軍備」まで目論んだその志がいかに挫折させられたのかを明らかにしようとする。
著者は、この軍人たちの戦後の行動の底にあった秘めたる思念と構想を理解するには、四枚の「絵」が必要であるという。
その一枚は、終戦直後の「山西省」でのできごとである。支那派遣軍の総司令官は岡村寧次であり、南京にいた。彼は、降伏し武器・資産を国民党に渡すように各地の司令部に下達した。共産軍は、ソビエト支配下にあり、あくまで降伏する相手は国民党でなければならなかった。
山西の司令部にいたのは、澄田らい四郎である。澄田のもとにやってきたのは、閻錫山で、日本の陸軍士官学校出身、大の日本びいきで、日本軍も山西省では密かに閻錫山の共産軍討伐に協力してきた経緯があった。
後々、澄田と閻のやりとりが問題になるが、山西省の残留日本兵の問題は、共産軍との戦闘に精強な日本軍を活用したい閻錫山の打算と、戦後の米ソの冷戦を必至とみて、山西を拠点に日本軍の復活を夢見た日本側参謀たちとの思惑がシンクロしたところに起きたことだろう。
あくまで「志願兵」ということを建前に、一方では「誰かが残らなければ、他の兵は帰還できない」という恫喝の下に、国民党軍とは別に日本軍の「特務団」が組織された。この動きを、国民党、GHQは支持し、岡村寧次は戦犯を問う南京の法廷で無罪とされて、代わりに、帰国後、日本での「国際義勇軍」結成に奔走させられることになる。1949年4月まで、六千人の特務団が共産軍と戦った。死者は、550名。400名余りは、戦犯収容所に送られて共産党の苛烈な取り調べを受け、架空の調書にサインさせられたり、洗脳を受けたりして、昭和30年以降帰国した。2005年、映画化されて話題を呼んだ「蟻の兵隊」である。
二枚目の「絵」は、国民党の参謀となった「辻政信」に代表される「留用者」たちの存在である。
辻は、敗戦をタイで迎えた。辻は、シンガポール華僑虐殺事件の責任で捕らえられれば間違いなく死刑になっただろう。辻は、自殺を装い、中国に潜行して、重慶に行き、国民党の対ソビエト・インテリジェンス機関の担当者になった。
辻は、日本の敗北後、直ぐに頭を切り換えて、本来師と仰ぐ石原完爾の「東亜連盟構想」の実現を図ろうと考えた。石原の構想は、満洲、朝鮮などを植民地とするのではなく、独立を援助し、独立国間の「東亜連盟」を結成し、日本がその盟主としてアジアの平和と繁栄を図ろうとするものである。
国民党にとって、日本は敵であったが、ソ連と共産党の脅威に対しては同志である。辻の経験は、十分に活用できるものだった。同じように国民党に請われて、軍事部門の責任者になっていた「留用軍人」は、他にも多数いた。興味深いことに密かに帰国した辻の消息をCIC(GHQの共産党係)は把捉していても黙認したことである。
三枚目の「絵」は、GHQ支配下の戦後日本の首相最有力候補だった宇垣一成とその配下の動きである。宇垣とGHQとの間に密約が成立し、GHQの援助の下に河辺機関、有末機関、服部機関などが作られた。G2のウィロビーが彼等を保護した。
1948年頃から、宇垣は国防軍構想に着手したが、新憲法との関係から当初は「義勇軍構想」で始めるしかなかった。この構想は、河辺等の動きと連動していた。このことを著者は以下のように述べる。
「『義勇新軍』を治安維持隊、対外インテリジェンス機関、国防軍再建という分野において予備的に実践し、将来の国防軍の準備をするというのが、三つの秘密機関の役割だった」(72p)
ここで、この頃ようやく帰国した岡村、澄田の弱体の国民党を義勇軍で支援しようという運動と、有末機関のインテリジェンス活動とが繋がってくる。有末が岡村らを迎えたのである。そして、彼等の本心は、やがて「日本国防軍」を作ってアメリカとは独立した第三極を形成することにあった。アメリカは当然ながらこの動きを最も警戒した。
※ なお、ティム・ワーナーは、「CIA秘録」で、有末や河辺をアメリカから資金を騙し取ったと非難しているが、著者は、それは全くあたらないと否定している。
四枚目の「絵」は、国粋主義者たちの祖国再建という問題である。
児玉誉士夫は、タングステンなどの戦略物資とダイヤモンドや貴金属という形で資産を蓄えていた。その金は、児玉機関員の退職金や鳩山の政治資金になったがまだ余力はあった。密貿易によって新たな資金源を確保していたからである。
1949年、児玉は李しょう源という台湾人と知り合う。李は、台湾総督明石元二郎の息子、明石元長の援助を受けて、アメリカの勢力下に「台湾独立」の工作を行っていた。しかし、日本側で台湾独立の現実性を信ずる者は少なく、国民党を支援することが唯一の方策であると考えられた。
張家口の日本人を救った根本博は、釣り竿一本持って宮崎から台湾に密入国し、国民党の将軍として金門島の戦いで共産軍を撃退した。そして岡村の斡旋もあって「白団」という日本軍高級軍人たちの参謀集団が国民党のために台湾で戦うという構図ができあがる。国民党はこの日本の支援を秘密にした。しかし、日本人は自ら戦いの場に向かった。
それは最近刊行された書物のように「ラストバタリオン(ナチスの最終部隊)」などと根底に侮蔑をしのばせて語れるものなのか?
(評者は、元台北特派員が書いたこの本を多少の期待を持って読んだが、読後感の悪さは、著者がそもそも高齢をおして取材に協力してくれた旧軍人たちに本質的に共感がないことに尽きるだろう。共感がないならないで、正直に旧軍人たちと議論をして、批判的に書けば良かったことだろう。)
実は、本当の物語はここから始まる。「国防軍構想」がどのように潰れていくか、これは現在まで繋がる問題である。辰巳栄一や服部卓四郎の戦後の動きも参考になる。
著者が丹念に調べているこの分野は、もっと注目されて良い。なぜなら、戦前から戦後への「日本人の思念の連続性」、或いは、「人間が理念と行動という領域で、いかなる生き方を選ぶのか」という本源的な問いかけを、著者は現代に生きる我々に投げかけているからである。
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akrtmd
TOP 1000 REVIEWER
5.0 out of 5 stars 日中戦争はコミンテルンの陰謀
Reviewed in Japan on October 14, 2016
日本は中国、ソ連や米国との戦争はいかに挑発されようとも隠忍自重して避けようとしていた。 しかし国民党内に浸透していた共産軍は通州事件や第2次上海事変などを意図的に誘発して日中衝突を企画していた。国共合作に反対していた蒋介石は西安事件後反共から反日に切り替える。 ソ連のコミンテルンや米国からの支援を受けて日本と全面戦争を行う。戦後国共内戦が勃発すると蒋介石は敵軍であった日本軍人に助けを求める。マッカーサーも旧日本軍人からなる義勇兵を結成して台湾から中国本土に送り出そうとする。ウィロビーは元陸軍参謀たちを結集して日本の再軍備を始める。陸軍嫌いの吉田は陸軍主導の再軍備に反対する。辻は東亜連盟に共鳴して日中は戦わず共同してアジアの盟主になるべきと主張した。日本を盟主とするアジアの新秩序を唱える東條から排撃された。日本の真の独立には中国と連携して初めて可能で欧米と対決してゆける。蒋介石も同様の考えを持っていた。なぜ彼は日本との戦争に踏み切ったのか。 国民党内にコミンテルンのスパイがいたのである。
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倉橋望
5.0 out of 5 stars 大変良い オススメだ
Reviewed in Japan on May 16, 2020
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敗戦後、自主防衛を目指して奮闘した旧軍人や民族主義者達の歩みをビビッドに描いており、今日の国防を考えるにあたっても大変役に立つ。
オススメである。
確かに、忘れてはならないのは、そもそも自民党の党是が、自主憲法制定、自主防衛、駐留軍撤退だということである。
本書の主人公である旧軍幹部達は、この方向に向かって奮闘したのだが、結局、吉田茂、GHQのリッジウエーらに潰されてしまった。
その上、その後も民族主義者達は頑張ったものの、自民党は議会で2/3の議席をとれないまま今日に至っている。
思うに、これは、結局、吉田茂やリッジウエーに潰されたというだけではなく、総体たる国民自体が憲法改正等を望んでいなかったということに尽きる。
それはそうだ。
国民は大東亜戦争で塗炭の苦しみを舐め尽くしたのだから。
こんな惨状に追い込んだ軍国主義者達に国防を任せるわけにはいかないと思うのも無理はない。
現に、服部卓四郎などに至っては、懲りもせず、戦争前の領土を回復して、もって広域防衛態勢をとろうと考えていたというのだから、どうかしている。
朝鮮半島や台湾を領土に戻そうとすれば、その行動自体が他国との軋轢を高め、再び、袋叩きに遭うという論理がわからないのだろうか。
つまり、広域防衛態勢を取る前にやられてしまうのだ。
そういう意味では、戦後の日本国民や吉田茂の方が正気であったように思う。
しかし、それと引き替えに失った代償も大きかったというほかない。
戦後70年以上もの間、自分の国は自分で守るという独立自尊の精神を失った国民は、誰かが日本を守ってくれるという幻想に浸ってしまっている。
そもそも米国は日本が好きだから駐留しているのではない。
あくまで米国の国益のため、駐留しているに過ぎないのであって、苦しくなった朝鮮戦争時には、身勝手にも日本に出兵を要求したりしているし、服部が45万人の国防軍を作ろうとすると、多すぎるとして却下している。
つまり、米国は、日本が大きくなりすぎて米国の脅威にならないように徹底的に管理しつつ、その上で、うまく米国に役立てようとしているだけであることは明らかなのである。
だから、今後、軍事大国化した中国との紛争では、米国が一方的に撤退しかねないことも頭に入れなければならない。
日本は米国にとってあくまで前進基地にすぎないのであって、いざとなったら、本土まで引いた防衛体制を敷くおそれも十分にあるのである。
この点、著者は、「今はアメリカ軍の撤退を願うのではなく、むしろ、関与を続けることを求めなければならない。」としているが、単にそれだけでは危うく、日本も核武装しないと、自国を守り切れないのではないか。
そもそも、核大国同士は危なくて本気では戦えない。
つまり、本気を出せるのは、相手が非核国である場合だけだから、米国が中国に核戦争を覚悟してまで本気で戦うわけがないのだ。
なのに、我が国が核武装もせず、米国側の先鋒となって戦いを挑むことになれば、日本は、再び、核攻撃を喰らいかねない。
しかし、それでも、米国は日本の核武装を許さないだろう。
このように、現在の日本は、米中によって完全に袋小路に追い込まれてしまっているのではないか。
羹に懲りて膾を吹く
本書を読んで以上のようなことを考えた。
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