読みかつ考える「読書日記」
『打ちのめされるようなすごい本』 (米原万里 著)
文: 斎藤 美奈子 (文芸評論家)
2006.10.20
私と米原万里さんの間に直接的な面識はない。ただ、米原さんは新著が出ると送ってくれたし、私も米原さんには新著を送ってきた。彼女は拙著『読者は踊る』(文春文庫)の解説を書いてくれ、私は『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)の解説を書かせてもらった。そのときも担当編集者を介してやりとりしただけである。私たちは(という言い方をあえてさせてもらうけど)互いの読者だっただけである。そして、そんな関係(というのもおこがましいのだけど)が気に入っていた。米原さんもたぶんそうだったと思う。
米原万里と私の接点をもうひとつあげれば、同じ時期に別の新聞や別の雑誌で書評を書いていたことだろう。とかいうといかにも「好敵手」っぽいのだが、そもそもの教養がこちらは遠く及ばない上、彼女のは正面きった誠実な書評(たとえば「週刊文春」連載の「私の読書日記」)、私のはやや斜に構えたインチキ書評(たとえば「週刊朝日」連載の「誤読日記」)。とうてい勝負になるはずもなく、私は彼女の書評を純粋に楽しんできた。ときには、
〈「斎藤美奈子の本は全部読んでる」と自慢したら、友人に、「だって四冊しかないじゃん」と馬鹿にされてしまった〉
なんていう記述に出会い「ヨ、ヨネハラさん(汗)」と思ったこともあったけど。
さて、ワタクシ事はこのくらいにして、本書『打ちのめされるようなすごい本』は一九九五年四月から二〇〇六年五月までの米原万里の「全書評」を集めた本である。半分がくだんの「週刊文春」に載った「私の読書日記」、残りの半分が読書委員を務めていた読売新聞はじめさまざまな媒体に発表された書評と文庫解説だ。
忘れもしない、私がロシア語同時通訳者としてではない、エッセイストとしてでもない、読書人としての米原万里に刮目したのは次の文章を読んだときだった。
〈食べるのと歩くのと読むのは、かなり早い。(中略)ここ二〇年ほど一日平均七冊を維持してきた〉
刮目とは「目をこすってよく見ること」の意味だそうだが、文字通り、私は目をこすったのだった。一日七冊ぅぅ!? 嘘だ嘘だ、そんなの絶対に嘘だっ。本書にも収められているこの文章は九六年五月の「週刊朝日」に載ったもので、エッセイはこの後〈ところが〉と続き、〈二・〇を誇っていた視力がガタリと落ち〉〈読むスピードも急減速していた。悔しい。認めたくない〉という風に展開するのだけれども(そして数年後には私自身も同じことを痛感するのだが)、一日七冊の衝撃は大きく、まさに「打ちのめされた」のであった。
しかし、一日七冊×二十年(毎日七冊とはいっていないのが救いといえば救いである)のバックボーンが、書評家・米原万里の底力だったということに、この本を読むと改めて気づかされる。とりわけ二〇〇一年一月から二〇〇六年五月まで書き続けられた「私の読書日記」は、書評であると同時にすぐれた社会時評であり、読みかつ考え、読みかつ行動する彼女の人生が、そこには凝縮されているといってもいい。
十二歳くらいまでに世界的古典とされる文学作品は『三銃士』はじめ、あれもこれもそれも(悔しいので書名は略す)読破したという彼女だけあって、文学への造詣が深いのはもちろんだが、歴史や地理から政治経済、生物、言語、建築、スポーツ、そして書評欄には珍しい実用書まで、カバーする範囲は森羅万象に及ぶ。が、それ以上に注目すべきは、彼女の書評がいつも「いま」とリンクしていることだ。
ご承知のように〇一年~〇六年は自民党小泉政権と重なる時期であり、米国同時多発テロからイラクへの自衛隊派遣まで、あるいは北朝鮮問題や歴史認識問題など、どう考えるべきか迷う頭の痛い事案が目白押しだった。米原万里はそこにクサビを打ち込むような本を選び、ときには牽強付会ともいうべき手でもって読書ガイドとニュース解説を同時にやってしまうのだ。
そうして読みかつ考える姿勢は〈入院中に発注した癌本が届いていたので片っ端から読む〉日にも当然のように貫かれ、ついには書評と闘病記のドッキングという新手のワザまで開発する。「癌治療本を我が身を以て検証」と題された最後の三回は、連載当時ファンをハラハラさせたのだったが、いま読むと、それが自らの体験を惜しみなく披瀝した迫真のドキュメンタリーであり、医療現場への痛烈な批評であり、読者へのサービス精神にみちたブックガイドになっていることに舌を巻く。
書評とはひっきょうサービス業であることを米原万里はよく知っていた。そして一日七冊とは、こうやって読むことなのだと改めて教えられるのである。
打ちのめされるようなすごい本
米原万里・著
定価:本体790円+税 発売日:2009年05月08日
詳しい内容はこちら
米原 万里 斎藤 美奈子
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5.0 out of 5 stars愛の人。
By朝犬on February 24, 2012
Format: 文庫
二部構成になっています。
一部が、週刊文春に連載されていた『わたしの読書日記』(2001/1-2006/5)の全文収録。
日記と書評が混ざったようなスタイルのエッセイです。
二部が、1995-2005にかけて新聞に書かれた短めの書評や文庫本の解説などを年代順に並べたもの。
こちらはストレートな書評。
井上ひさしの解説によれば、合わせて米原万里の全書評が収められているそうです。
ソ連・ロシアおよびその周辺の東欧・中央アジア関係への目配りが厚い。
現地人の作品も日本人の著作も、学術的なものからジャーナリズム作品、ガイドブック、小説まで、幅広く取り上げています。
巻末には索引までついています。スラヴ世界に興味のある人は持っておいて損はないんじゃないかな。文庫ならわずか820円。
井上ひさし曰く「旧ソ連やロシアに関する項目を拾い読みするだけでもう、ソ連・ロシア現代史を一冊読んだくらいの知識を得ることができる」。
この分野、おそらく商売にならないだろうに、命がけで取材する人がいて、優れた本を見つけて翻訳する人がいて、出版する人がいて、そしてその良さを伝えようとする人がいる。
自分の知らないそうした気概の鉱脈を垣間見させてもらったようで、ぐっときました。
知ってる人にとってはなにを今さらでしょうが、長勢了治(露語翻訳家)、仲村哲(医師)、岩田昌征(学者)、岩上安身(フリージャーナリスト)など、興味を抱かずにはいられない仕事をなさっている方が何人紹介されていることか。
むろん読書の分野はロシアだけでなく、文学、科学、歴史、社会、政治など多岐に渡っています。
わたしは今回はじめて米原作品を読みましたが、その精神活動の旺盛さに圧倒されました。
知的好奇心、諧謔精神、批評精神、そして愛。姉さん、一人でいったい何人分生きとるんや!
アメリカ同時多発テロからアフガン空爆、イラク戦争と人間の暴力性がよりあらわになった時代。
ご自身は癌に侵されるという状況。
それでも本を読み思索し、怒り泣き笑うさまが描かれています。
そして最後に死。
とても書評という枠で読める文章ではありません。
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5.0 out of 5 starsやはり「すごい本」
By白河夜舟on November 22, 2016
Format: 文庫
本書の標題は第一部の「私の読書日記」の一項目の題のように見える。しかし、そこでは「すごい本」ではなく「すごい小説」となっていてそれは具体的には丸谷才一の『笹まくら』をさしている。だからこの標題の「すごい本」は米原の著書そのものをさしている。もちろんそれを決めたのは著者ではなく、商才に富んだ出版社の機転である。著者は2006年5月、56歳でその才能を惜しまれながら亡くなっているが、本書の出版は同年の10月だからである。
それではこの本はどれだけ「すごい本」だろうか。米原は1950年生まれ、59年から64年までプラハのソビエト学校で学び、64年の11月に帰国したいわば帰国子女である。もちろんそれだけで日本一のロシア語通訳になれるわけではないし、読者を唸らせる評論や小説を書けるはずもない。帰国後も中学生時代にドストエフスキーを何冊も原書で読破するほどの並外れた才能を持っていた。
本書は前半の「私の読書日記」に続いて、後半が「書評1995~2005」の二部よりなるが記述の連続している前半の方が読みやすいし焦点もすっきりして見える。ロシア・東欧の専門家の著書らしく、本書には西欧に偏重している日本の論壇からは得難い知見に満ちている。しかも語り口は明快であいまいさがない。アレクサンドル・ゲルツェンの『過去と思索』を、読み出したら止まらなくなる「自分史」と評し、その膨大な分量のせいか論評されることの少ない『ゴルバチョフ回想録』はその構成力、筆力が尋常のものでないことを教えてくれる。この二冊への言及は600頁に及ぼうという本書の冒頭40頁ほどの間にある。その余は追って知るべしである。
著者はやがて癌におかされるがそれでも書く手を止めない。最後の三項目は「癌治療本を我が身を以て検証」と題するもので、死に至る直前まで、あらゆる癌治療本に集中する。健気な筆運びからそうと感じさせないままで本書は悲劇に終る。彼女は生きたかった。本書は「打ちのめされる」かどうかは人によるとしても、「すごい本」であることには間違いない。
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5.0 out of 5 stars米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」とは、いったいどんな本だ
By榎戸 誠TOP 500 REVIEWERon August 25, 2017
Format: 文庫
パワフルな書評家・米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」とはどういう本なのか興味津々で、書評集『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里著、文春文庫)を手にした次第です。
「打ちのめされるようなすごい小説」として、友人の若き小説家から薦められた『夜の記憶』(トマス・H・クック著、村松潔訳、文春文庫)が挙げられているので、これが凄い本なのかと納得しかけてしまいました。ところが、次に読んだクックの『心の砕ける音』の佳境に差し掛かったところで、「もっと打ちのめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを」思い出したというのです。その小説は、『笹まくら』(丸谷才一著、新潮文庫)なのですが、米原に、「情景や登場人物たちの微妙な心理の綾やその空気までが伝わってくる。と同時に、国家と個人というマクロな主題が全編を貫いている。徴兵忌避に実際に踏み切る直前まで逡巡し思索を重ねた(主人公の)浜田が到達した結論『国家の目的は戦争だ』は、世紀を隔てた今も切実に響く。作品全体を通して日本と日本人の戦後が、冷静に穏やかに洞察される」とまで言われては、『笹まくら』を読まないで済ますわけにはいきません。早速、私の「読むべき本」のリストに加えました。
このような道案内をするとは、書評家としての米原は、自然体のようでいて、なかなかの策士かもしれません。
米原の薦め上手のおかげで、『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(高田里惠子著、ちくま文庫)、『趣味は読書。』(斎藤美奈子著、平凡社)、『魏志倭人伝の考古学』(佐原真著、岩波現代文庫)、『恋と女の日本文学](丸谷才一著、講談社文庫)、『ピョートル大帝の妃――洗濯女から女帝エカチェリーナ一世へ』(河島みどり著、草思社)も、読みたくなってしまいました。
巻末の井上ひさしの解説は、書評の本質を喝破しています。「ここに一冊の書物があり、だれかがそれを読む。書物の芯棒になっている考えやその中味を上手に掬い出すのが要約であり、この要約というのもだいじな仕事だが、書評にはその上に、評者の精神の輝きがどうしても必要になってくる。評者と書物とが華々しく斬り結び、劇しくぶつかって、それまで存在しなかった新しい知見が生まれるとき、それは良い書評になる。・・・すぐれた書評家というものは、いま読み進めている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜ合わせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家なのだ」。著者と評者とが衝突して放つ思索の火花の美しさに読者は酔うのだというのです。
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5.0 out of 5 stars本好きによるチェーン
By韓国の龍on January 2, 2017
Format: 文庫
米原さんはおそらく通訳をやめたあとだろうけれど、1日に7冊の本を読んだという。その米原さんが書評した本の集大成がこの本。全部で165冊ほどが紹介されている。
無類の本好きによる書評は私のような小本好きにも興味をかきたてる。ここに紹介されている本のうち32冊をいつか読んでみたいと思い、頁を折った。
本好きはよい本やよい著者を紹介してくれ、その本がまた知らない本や著者を紹介してくれる。本好きによる無限のチェーン。幸せを感じる。
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5.0 out of 5 stars書評自体も素晴らしいが、多読によって得られる知識や想像力とは何かを教えてくれる本
Byfk9704aon February 20, 2017
Format: Kindle版|Verified Purchase
ロシア文学の翻訳で有名な著者による書評集。週刊文春の寄稿が半分。残りは、その他の書評の寄せ集め。
寄せ集めと書くとあれだが、膨大な量の読書を経る事で、これだけ知識と想像力が広がるものかと、自分が打ちのめされると同時に、感動すら覚えた。
米原さんの紹介で手に取った本も数冊。大量の本を読むことは、自分にも多くの可能性を与えてくれるのだという事もわかり、勇気が出てきた。
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5.0 out of 5 stars良書
Bynaomixieon January 15, 2017
Format: 文庫|Verified Purchase
色々なジャンルの本が紹介されていて、読みたい本が増えていくばかりです。
自分で探して読むより、米原さんが紹介してるもの読んだほうが当たりが多いです。米原さんの本の感想も深くて勉強になります。買って良かったです。こんな聡明な人が早逝されたことは大変惜しいです。
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5.0 out of 5 stars時事、歴史、癌…幅広い読書に打ちのめされる
ByYasukoNon August 16, 2016
Format: Kindle版|Verified Purchase
作者の読書日記の形なので、読みたいと思う本が沢山増えるのは言わずもがな、その日記がテーマ別に何冊かの本を交えて書かれているのでとても勉強になる。特に時事問題、今の時代についてもリアルタイムで連載を読めたらとてもおもしろかったと思うので、もう亡くなられていてとても残念。少なくとも、2000年代中盤の時事ネタをこの本を通して振り返ることは、現在の世界情勢に深く繋がっている事象を復習することになるのでとても役に立つ。
絶妙に心に響く部分があらゆる本から沢山引用されているため、著者の深い読解能力、選択センスに手助けしてもらいながら数々の本の重要部分を知ることができるのがとても贅沢。
紹介されているのが古い本だったりあまり大衆的でない本だったりするため、読みたくなってもKindleで見つからないのが海外在住でKindle依存者にとってはやや歯痒いところ。
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4.0 out of 5 starsだれも死を直視できない がん民間療法を静かに告発する本
Byyasqon July 16, 2016
Format: Kindle版|Verified Purchase
書評集なのではあるが、リアルタイムで才媛米原万里が「がん」と格闘しながらついには死に至る・・・その記録にもなっており読むのが苦しくなる。死を前にして、いかな才媛といえども、それを受け入れられず(当たり前だが)、さまざまな怪しいがん治療本を読み、実際にその治療法を受け続ける。おそらく、その過程で多くのお金をつぎ込んでしまったであろう。その意味では、巷に広がる末期がんの患者をターゲットとした怪しい(民間)療法を静かに告発しているとも言える。こうした「藁をもつかむ思い」の患者に藁にもならないデタラメな治療をほどこし金をむしり取る業界の存在はたしかにあるだろう。この本は、どんなに知的に優れるひとでも「死を直視することはできない」ということをあらためて気づかせてくれるとともに、そのような業界の存在を静かに告発している。
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5.0 out of 5 stars見習いたくなるようなすごい読書家
Byyour paceon October 15, 2015
Format: 文庫
このところ毎晩ねむる前に本書を少しずつ読んでいる。類稀なる読書家だった著者が執筆当時読んでいた本を次々と紹介(または批判)してくれるのだが、それが実に適切で、文章もすこぶる魅力的なのだ。おかげで、すでに何冊の本を買ってしまったことか。
著者はロシア語の通訳をしていた(執筆当時はやや休眠中)だけあって、ロシア関係の本が紹介されることも多いのだが、それ以外にも驚くほど様々な分野の本について語られている。文学あり歴史あり政治ありサイエンスありエッセイあり。
それは一つには、通訳という仕事が、多岐にわたる知識を要求するという職業上の理由もあるらしい。依頼があってから知識を仕入れようと本を探していては遅いのだ。それゆえ、たとえば事典と名のつく本は、とりあえず必要が無くても、つい買ってしまうとのこと。現に某サッカー事典をめぐる顛末が本書で述べられており、ネット購入したこの本は内容的にハズレで大いに批判されるのだが、間もなく実際にワールドカップのサッカー(日本で開催)観戦にロシアのVIPがやってきて、通訳を依頼されるオチがつく。とにかく、この著者の読書の幅広さと量には圧倒される。
また、通訳の資質としてもう一つ求められるのは、現場での集中力だろう。相手の言うことをその瞬間に聴き取り咀嚼して翻訳しなければならない。そのためもあってか、著者の本の読み方は基本的に一気読み。書庫でふと手にとった本の書き出しに惹かれ、そのまま腰を下ろして一息に読み終えてしまう、というのはザラにある。もちろん、うっかり明け方を迎えてしまうことも。私は、この著者が本を紹介する素晴らしい文章を見習いたいと思うことしきりだが、本書を毎夜少しずつ読んでいるようではまだまだ道は遠そうだ。
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5.0 out of 5 starsこの本自体がすごい本
ByきのこTOP 500 REVIEWERon February 24, 2016
Format: 文庫
550頁を超える厚い文庫本だけど、一気に読めます。
2006年に56歳の若さで癌との闘病生活の末に亡くなられた、とてもエネルギッシュで言語や文学についての素養もあり才能のある著者による書評集です。
著者がロシア語講師、同時通訳、翻訳などをされていたことからロシアとして東欧に関する書評が充実していますが(イヌネコ好きな著者のため犬猫に関する書評も多かったり、癌との闘病に関する本も多かったりします)、どの本に対しても根っからの本好きの視点からいいところは絶賛し、ダメなところもズバッと指摘して、それでも本や人間に対する愛のある文章で、読んでいて気持ちがいいです。この本を読むと、絶賛されている数々の本を読みたくなります。
著者が書評において絶賛している丸谷才一さんが解説を書いていますが、その解説までもとても面白いです。
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