三島由紀夫『豊穣の海』の一解釈
――「見る者」と「見られる者」の物語として――
井上 聡
はじめに――結末への疑問
「その清顕松枝さんという方はどういうお人やした?」本多は呆然と目を瞠いた。
耳が遠いと云っても、聴き損ねる言葉ではなかった。しかし門跡のこの言葉の意味は幻聴としか思われぬほど理を外れていた。
「は?」
と本多はことさら反問した。もう一度門跡に同じ言葉を言わせようと思ったのである。しかし全く同じ言葉を繰り返す門跡の顏には、いささかの衒いも韜晦もなく、むしろ童女のようなあどけない好奇心さえ窺われて、静かな微笑が底に絶え間なく流れていた。
「その松枝清顕さんという方はどういうお人やした?」1
三島由紀夫(1925-1970)の畢生の大作『豊穣の海』は全四巻からなっている。第一巻『春の雪』の主人公は恋に生き、恋に死ぬ美青年、松枝清顕。第二巻『奔馬』の主人公は雄々しき右翼テロリスト、勲飯沼。第三巻『暁の寺』の主人公はタイの美しき王女ジン・ジャン。第四巻『天人五衰』は無線通信士の安永透が主人公である。そして清顕→勲→ジン・ジャン→透の順で一つの魂が生まれ変わっていくという構成である。輪廻転生の証は、四人ともに左の乳のかたわらに三つの黒子があることである。そして『豊穣の海』全巻を通して第一巻の主人公清顕の親友の本多繁邦が輪廻転生の様を目撃するという構成になっている。先の引用は物語の終わりに、その昔、清顕の命懸けの恋の相手だったが、その後出家した門跡=綾倉聡子の元を本多が訪れた場面である。
「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば」と本多は雲霧をさまよう心地がして、今ここで門跡と会っていることも半ば夢のように思われ
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1『天人五衰』(豊穣の海・第四巻)三島由紀夫全集 第 19 巻 p.644. 1973 年 新潮社、単行本としての初刊は 1971 年。なお、本論考において、三島由紀夫全集の本文の旧字体は全て新字体に改めた。
てきて、あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去ってゆくように失われてゆく自分を呼びさまそうと思わず叫んだ。「それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」2
三島は『豊饒の海』を読めば自分の全てがわかると言っていたそうである 3。だとすると、この結末をどう捉えればいいだろうか。彼の最後の著作を何もかもが幻想だったとして片付けてよいものだろうか。題名の「豊穣の海」は、三島自身が書いているように
4 月の海のラテン名の一つ Mare
Foecunditatis の邦訳である。「月の海」ということは、月に本当の海はないはずなので、「豊穣の海」とは「豊穣なる虚無」といったところだろうか。するとこんな疑問が提出できるだろう。なぜ「豊穣」なものが「虚無」へ転じるのか。なぜ大正から昭和初期、戦中、戦後が描かれた壮大な物語が、何もかもが幻想であるかのような結末に至ったのか。このような疑問である。この問いに対して、第一巻の清顕に始まる輪廻転生を信じる、物語全体の隠れた主人公、本多繁邦に注目することで一つの解答を提示したいと思う。以下、本多繁邦を中心に『豊穣の海』を捉えて読解してみたい。
1.見る者と見られる者
第一巻『春の雪』の一場面、時は大正二年、学習院高等科の最上級生にして、大審院判事の息子、本多繁邦は家の書生と一緒に、地方裁判所の刑事事件の傍聴に出かけた。
こうした気の滅入りは、傍聴席の椅子に座ってからもなおつづいていて、気の早い書生は、はやばやとここへ彼を連れてきながら、自分は先生の息子の存在も忘れたように、携えてきた判例集に目を落としたままでいるのを、本多はちらとうとましく眺め、裁判官席、検事席、証人台、弁護士席などの空白の椅子が、雨気に湿っているさまを、今度は自分の心の空しさの絵姿のように眺め出した。
この若さで、彼はただ眺めていた!まるで眺めることが、生まれながらの使
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2『天人五衰』前掲書 p.646.
3「文武両道の砂漠―三島由紀夫論」入江隆則 『新潮』69(12) p.153. 1972
年
4『春の雪』(豊穣の海・第一巻)三島由紀夫全集 第 18 巻 p.394. 1973 年 新潮社、単行本としての初刊は 1969 年
命のように。5
第一巻に限らず、本多は「眺める者」=「見る者」として描写されている。
「見る者」とはどういう性質を持った人間だろうか。この傍聴の三日前、親友の清顕から、皇族の婚約者である綾倉聡子と逢瀬を重ねていることを打ち明けられた。親友が激しい情念の炎に焼かれ、悲劇に突き進んでいく中、本多は刑事裁判の傍聴を終え、殺人事件の刑事被告人のような、また、清顕のような「赤い溶岩のような情念とは、ついに触れ合わない自分
6」を発見するのだった。清顕の子供を身ごもった聡子は周囲の者どもから堕胎を命じられ、世間をはばかって奈良の月修寺に身を隠すも、そのまま剃髪してしまう。清顕は寒風さめやらぬ中、何度も寺の門を叩くが、聡子には会わせてもらえない。とうとう清顕は体を病んでしまう。そこで清顕は本多に取り次いでもらおうと彼を奈良へ呼ぶ。
本多がこれほど清顕の脳裏にあるものを、決して自分のものにすることができないと、痛切に感じたことはなかった。清顕の体は目前に横たわっているが、その魂は疾駆していた。ときどき夢うつつに聡子の名を呼ぶらしい紅潮した顏は、少しも憔悴したように見えず、むしろふだんよりも活々として、象牙の内側に火を置いたように美しかった。しかしその内部へ、指一本触れることはできないのを本多は知っていた。どうしても自分がそれに化身できない情念というものがある。いや、自分はどんな情念にも化身することができないのでないか。内部へそういうものの浸透を許す資質が、自分には欠けている。友情にも富み、涙をも知っているつもりであるが、本当に「感じる」ためには何かが欠けている。どうして自分は、整然とした秩序を外にも内にも保つことに專念し、清顕のように、火や風や水や土、あの不定形な四大を体内に宿すことがないのだろうか。7
「見る」とは対象と距離をとり、対象の性質を理解しようとし、また対象によって自らの中に引き起こされる情念の火を自分でも知らぬまに消してしまうことである。ひとたび炎のような情念にとりつかれたら、対象を冷静に観察して、理解することなどできない。ここでは情念の虜になって恋にひた走る清顕に接することで、自分には情念を原動力とした「行動」は出来ないこと、つまり自分は清
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5 同上 p.211.
6『春の雪』前掲書 p.220.
7 同上 pp.383-384.
顕のようには「見られる者」にはなれないことを本多は若くして悟るのである。ここで、「見られる」という言葉を出したのは、清顕はじめ輪廻転生の主体者達が、本多によって「見られる」という小説の構造もあるが、『豊饒の海』第一巻、二巻とほぼ同時期に書かれた三島の自伝『太陽と鉄』に次のような言葉があるからである。三島本人がボクシングや剣道を通して得た経験を論じた箇所である。
拳の一閃、竹刀の一打の彼方にひそんでいるものが、言語表現と対極にあることは、それこそは何かきはめて具体的なもののエッセンス、実在の精髄と感じられることからもわかった。(中略)そこにこそ行動の精髄、力の精髄がひそんでいると思はれたが、それといふのも、その実在はごく簡単に「敵」と呼ばれたていたからである。
敵と私とは同じ世界の住人であり、私が見るときには敵は見られ、敵が見るときには私が見られ、しかも何ら想像力の媒介なしに対し合い、相互に行動と力の世界、すなはち「見られる」世界に属していた。8
そして、三島は「敵」とは究極的には「死」だと言う 9。第一巻『春の雪』の清顕の恋も「死」を覚悟した性質のものだった。この『太陽と鉄』の文言を意識して、『豊饒の海』において、清顕はじめ輪廻転生の主体者達と本多を対比し、清顕達を「見られる」世界に属する者とみなし、本多の属する世界を「見る」世界として考えて行きたい。すると、「見る」世界とはどのようなものになるだろうか。それは清顕のように世間、時代などの「敵」のいない世界である。『太陽と鉄』の「見られる」世界の定義を逆さまにすると、「見る」世界の定義が得られるだろう。
彼と私とは異なる世界の住人であり、私が見るときには彼が見られているとは限らず、彼が見るときは私が見られているとは限らず、だから想像力の媒介に頼らなくては対し合うことができず、相互に言葉と折り合いの世界、すなわち「見る」世界に属していた。
「言葉と折り合いの世界」に住む本多の仲介も甲斐なく、清顕は聡子に逢うことは出来ず、二十歳で病で死に、本多は東大法学部を卒業し、裁判官になる。裁判
...
官とは他人の罪を裁く職業である。
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8『太陽と鐵』三島由紀夫全集第 32 巻 pp.85-86. 新潮社 1975 年、初刊は 1968 年
9 同上 p.89.
本多繁邦を中心にして『豊穣の海』を読む時、第二巻の『奔馬』はやや例外的な位置にある。三十八歳になって裁判官として社会的にも成功し、子宝には恵まれないものの、妻と仲睦まじく暮らす本多だが、いつまでも清顕のことが忘れられない。ある日、控訴院長の代理で参観した神前奉納剣道試合で、飯沼勲という青年が個人優勝する。本多はその青年の雄々しさに惹かれる。宮司から神社の御神体である三輪山に登らないかと誘われた本多は、山中の滝の下で身を清めている飯沼青年の姿を見て戦慄する。裸の勲の左の乳の脇には清顕と同じく三つの黒子がある。そして清顕の最後の言葉は「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。10」だった。こうして本多は勲が清顕の生まれ変わりであることを確信する。そして「見る者」としての本多の冷静な理性は危機に瀕する。この点が第二巻『奔馬』の本多の例外さである。
すでにわがものと化していた法律的正義の、目もくらむほどの高みに営んでいた鷲の巣が、よもやここへ来て夢の洪水、詩の浸潤におびやかされようとは!それだけならまだしものこと、事態がさらに怖ろしいのは、そういう夢の襲撃が、今まで本多の信じていた人間理性の先験性と、現象よりも法則の方に近く住むという誇らしい欣びを根元から破壊するのではなくて、むしろこれを強め、これを高め、地上の法則の裏にそびえ立つもっと高くもっと峻厳な白い法則の塀を垣間見せたからであり、一度それを見たら最後、二度とのどかな日常性の信仰へ戻っては来られなくなるような、究極の環のかがやきを瞥見させたからである。これは実に退歩ではなくて前進であり、回顧ではなくて先見だった。勲が清顕のたしかな転生であるということは、彼にとってはすでに一種の法を超える法的な真理に見えてきていた。11
輪廻転生という超俗的な認識に目覚めた本多は『豊穣の海』全編の中でたった一度「行動」と呼ぶに値する行いをする。清顕の生まれ変わりである勲は「神風連史話」を愛する右翼青年であった。時代は血盟団事件、五・一五事件のあった
1932 年、昭和七年のことである。日本は昭和恐慌に襲われ、農村はむごたらしい貧窮に悲鳴を上げていた。世を憂う勲は農村の困窮の原因を政治の腐敗と考え、さらに政治の腐敗の原因を、腐敗から利益をむさぼる財閥階級にあると判断し、同士を集め、財界人の暗殺を決意し、準備するも、なんと自分の父親の密告で未然に逮捕されるのである。
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10『春の雪』前掲書 p.394.
11『奔馬』三島由紀夫全集第 18 巻 p.699. 新潮社 1973 年、初刊は 1968 年
本多の心はさわいでいたのである。清顕を救おうとして救いえなかったことが、本多の青春の最大の遺恨であったのなら、今度こそは救わなければならなかった。12
こう思った本多は裁判官の職を辞し、弁護士として勲の弁護を買って出るのである。これが本多の「行動」であった。しかしその「行動」は清顕や勲のような、
「死」に至るまでの純粋な情念、勲の場合、天皇への忠義という情念の赴くまま「奔馬」のように一直線に駆け抜け、対象をも突き抜ける「行動」ではなく、勲という他人の認識を操作しようという性質のものだった。
勲は自分の世界を信じすぎていた。それを壊してやらねばならぬ。なぜならそれはもっとも危険な確信であり、彼の生を危うくするものだからである。13
本多はこのように考え、勲の恋人の槙子を証言台に立たせ、彼女をして「勲に決行の意思はなかった。計画だけが一人歩きして、誰にも実行の勇気はないのに、お互いに始末のつけようがなくて困っていると、勲に相談された」という内容の偽の証言をさせるのである。本多の弁護の甲斐あって、勲は刑を免除され、釈放されるが、それは勲にとって地上の救済にすぎなかった。釈放後、勲は単身ある財界の大物の別荘に忍び込み、彼を殺し、腹を切って自分も死ぬ。本多が輪廻転生という超俗的な認識をもって勲に対しても、それが認識である限り、その認識は勲という行動者の情念の核には届かない。勲も、清顕と同じく、『太陽と鉄』にある「相互に行動と力の世界」、すなわち「見られる」世界の住人だったと言ってよいだろう。「見る者」は「見られる者」に到達し得ない、「見る世界」と「見られる世界」には埋められない距離がある、ということを第二巻からもまた読み取ることができるように思う。
2.文化の生命の連続性
三島によれば、第三巻『暁の寺』の当時の文壇による評価は惨憺たるものだったようである
14。しかし、第三巻の理解が『豊饒の海』を読解する上で要になる
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12
同上 p.701.
13
同上 p.780.
14『三島由紀夫未発表書簡 ドナルド・キーン氏宛の 97 通』1998 年 中央公論社
と思われる。考える起点にしたいことは、輪廻転生の主体が「タイの王女」という設定である意味は何かということだ。第一巻『春の雪』でも、第二巻『奔馬』でも、第四巻『天人五衰』でも、清顕・勲・安永透というように、輪廻転生の主体は日本人の男である。第三巻『暁の寺』だけ「女」である。そして、なぜ「タイ人」、つまり「外国人」なのだろうか。さらに第三巻『暁の寺』だけが、全四巻の中で、第
1 部と第 2 部に別れている。それも特異だ。輪廻転生の主体が「女」だというのは、簡単に答えが出せる。第三巻では、「見る者」本多の醜悪な側面が暴かれる。本多は「覗き魔」に転落するのである。
隣室の妻が寝静まってから、かなりの時が経った。本多は書斎の灯火を消し、ゲスト・ルームの壁沿いの書棚へ歩み寄った。何冊かの洋書をそっと抜き出し、床に重ねた。彼が客観性の病気と名付けるところのもの。その病気にとらわれた瞬間に、今まですべて自分の味方だった社会を敵に廻さざるを
えなくさせる頑なな強制力。
..何故だろう。それも亦、彼が永年法檀の上から、又、弁護人席から、客観
..的に眺めてきた人間の諸相の一部にすぎない。しかし何故、ああして眺めることが法に則り、こうして眺めることが法に背くのだ。ああして眺めることが人々の尊崇の的になり、こうして眺めることが人々の軽蔑や非難を浴びることになるのだ。……もしそれが罪であるとすれば、快いから罪なのであろうが、裁判官としての経験上、本多は私心を去った心境の澄んだ快さも知っている。もしその快さには胸のときめきがないから崇高であったのだとすれば、罪の本質はときめきにあるのだろうか。15
そして五十八歳の本多は書棚に空けた穴からゲストルームに泊まっている自分の別荘の招待客の情事を覗き見するのである。ここで三島は「見る」ことに特化し、「覗き魔」になってしまった哀れな人間を戯画的に描いているが、「見る」ことを純化させようとするなら、自分の姿は「見られ」ないことは当然の自己防衛でもある。すなわち、「見る」こと、理解すること、認識することは、「覗き」という態度に転落する危険性を常に孕んでいることが示唆されてもいるのである。
「行動と力」の世界=「見られる」世界の対極は「覗き」の世界だ、というように『豊穣の海』では描かれている。清顕、勲と続く三番目の輪廻転生の主体は美しきタイの王女ジン・ジャンであった。本多はジン・ジャンに恋するが、もっぱ
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p.206.
15『暁の寺』(豊穣の海・第三巻)三島由紀夫全集第 19 巻 p.198. 新潮社 1973 年、初刊は 1970 年
らジン・ジャンの裸を別荘の覗き穴から覗こうとあれこれと画策する。ついに「覗き」に成功するが、ジン・ジャンは慶子という本多の知り合いの女性と交わっている最中であり、ジン・ジャンが同性愛者であることが発覚し、本多の恋が不可能であることが判明する。そして本多の豪壮な別荘は招待客の火の不始末で消失し、ジン・ジャンはタイに帰ってコブラに噛まれて死ぬ。第三巻で輪廻転生の主体を「女」にしたのは、「見る者」=本多を「覗き魔」として描き出し、本多の精神構造にスポットライトを与えるための舞台装置であったと言えると思う。輪廻転生の主体者でなく、その観察者=本多に焦点が合わされると、読者は第一巻から続く物語の流れに何らかの「断絶」感を感じるのではないか。それはどのような性質の「断絶」だろうか。
「覗き魔」としての本多が中心である物語は、清顕の恋の至純を描いた第一巻『春の雪』とも、勲の天皇への忠義の純粋を描いた第二巻『奔馬』とも打って変わって、ともすれば読む者に嫌悪感を催させるような不健康さを備えている。『春の雪』では清顕の恋心が大正の貴族社会に刺さった棘のように優雅に輝き、
『奔馬』では絶対の忠義を胸に宿した勲の「行動」は昭和初期の暗雲立ち込める世相を突き抜けて飛翔しているのに、この『暁の寺』では、本多を中心とする、末梢神経的な快楽を追求する有閑階級の雰囲気にジン・ジャンは埋没している。なぜ三島はこのように描いたのだろうか。それが先ほどの残りの疑問とつながっている。
すなわち、なぜ三島は第三巻『暁の寺』で、輪廻転生の主体を「外国人」にしたのか、という疑問である。さらに、第三巻『暁の寺』は『豊穣の海』全四巻のなかでただ一巻だけ、第一部と第二部に分かれているのはなぜか。これは物語全体がここで大きな切れ目を持つことを意味しているに違いない。第一部と第二部の間に何があったかというと大東亜・太平洋戦争の敗戦がそれである。第一部は戦間期、第二部がサンフランシスコ講和条約が発効し、アメリカ軍の占領が解除された直後の日本が舞台である。「覗き魔」としての本多が浮上し、物語全体がある種の美的調和を失うのは第二部、占領解除後からである。ここから敗戦と占領によって、何かが変わったことを三島が描こうとしたことに気づかされる。
第三巻で「覗き」その他の緊張感のない快楽の追求の描写を読めば、第一巻、第二巻の、清顕と勲の生き様と死に様を、美しいものとして想起せずにはいられない。物語が進めば進むほど、清顕や勲のような純粋な「情念」や「行動」、またはその「情念」を中心にした周辺の登場人物達の立体性や躍動性からくる緊張感は見られなくなっていくからである。そこで、読者は清顕と勲の美しさとは何だったのだろうと考えるよう促される。すると、第三巻の表面上の主人公が「外国人」であることが一つのヒントになって、第一巻の清顕と第二巻の勲の美しさの性質には、「日本的」という形容詞を付けることができるのではないかと読者をして思わせる。第三巻の輪廻転生の主体を「覗かれる外国人の美女」にしたのは、決して「外国人」自体を醜く描くことなく、「日本文化」の独自性や優秀性を誇示するためでもなかった。そうではなく、第三巻の物語の色調そのものを混濁させて、その中に美しい女性を一人登場させ、その人が「外国人」であってみれば、第一巻、第二巻の物語そのものの美しさの核には「日本的」と言ってよい何かが潜んでいたに違いない、と読む者をして思わせる作者の工夫だったのでないだろうか。こう理解すると、第一巻と第二巻で描かれた恋心と忠義という一見別の感情は、ともに「日本的」色彩と音色を帯びているのだという著者の暗示を読み取ることが出来るように思う。このように解釈すると、雅な恋に生きた清顕から壮烈な忠義に走った勲への輪廻転生が、三島の日本文化論と接続していると言えるように思う。
1968 年に書かれた『文化防衛論』で、三島は当時の日本の問題を「創造力の涸渇」と、「文化主義」の蔓延という二つの事態によって特徴付けた。「創造力」は
「文化」の母胎である「生命や生殖行為」の流れと一致して初めて「豊かな音色」を奏でる。ところが、「文化主義」は「文化」を出来上がった「モノ」とみなし、「生命や生殖行為」と切り離してその「人間主義的成果」を礼賛する、と言う。彼は、『文化防衛論』で、アメリカの占領政策について次のように言う。
そこには次のような、文化の水利政策がとられていた。すなわち、文化を生む生命の源泉とその連続性を、種々の法律や政策でダムに押し込め、これを発電や灌漑にだけ有効なものとし、その氾濫を封じることだった。すなわち「菊と刀」の連環を断ち切って、市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧することだった。16
三島の発想では、「文化」の本来の流れにおいては、「菊と刀」が循環するのであった。『豊穣の海』にこの議論を引き寄せると、「菊」とは皇族の婚約者に恋をした清顕、「刀」とは忠義に燃えた勲になぞらえることができるだろう。ともに「市民道徳」にとって「有害」な者でもあった。さらに二人とも「文化を生む生命の源泉とその連続性」にとらえられていた。例えば、清顕の、恋人聡子への思いは次のようなものだった。
今彼が抱いているのは本物の感情だった。それは彼がかつて想像していた
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16『文化防衛論』三島由紀夫全集第 33 巻 p.367. 新潮社 1976 年、初刊は 1969 年
あらゆる恋の感情と比べても、粗雑で、趣がなく、荒れ果てて、真っ黒な、およそ都雅からはほど遠い感情だった。どうしても和歌になりそうではなかった。彼がこんなに、原料の醜さをわがものにしたのははじめてだった。17
「和歌」とい形式になる以前、「人間主義的成果」あるいは「モノ」になる以前のマグマのような源、「文化を生む生命の源泉とその連続性」にとらわれた清顕や勲は「有害」な者であった。秩序だった「市民道徳」から溢れ出す危険性を秘めているからである。そして、『豊穣の海』において、第三巻で「外国人」の輪廻転生者を「登場」させることで、清顕や勲が掘り当てた「文化を生む生命の源泉とその連続性」を「日本文化」と呼ぶように三島は促したのだと思われる。輪廻転生という大筋の中に、近代における「日本文化」の「連続性」というテーマを三島は挿入したのではないか。それに気づかせる仕掛けが、第三巻の主人公を「外国人」にしたということでなかったろうか。三島にとって、清顕や勲のように「文化を生む生命の源泉」に触れた者、つまり純粋に「日本的」な者は危険なのであった。日本人にとって「日本文化」とは危うさを孕むものであるという意識が三島には少なからずあった。三島は、日本人自身が「日本文化」に対して、一定の距離をとった「文化主義」的な態度を取らざるをえなくなったと解した。再び『豊饒の海』の本文に戻ろう。太平洋戦争開戦前の段階で、タイで弁護士の仕事をしていた本多は次のように思う。
思えば、民族のもっとも純粋な要素には必ず血の匂いがし、野蛮の影が射している筈だった。世界中の動物愛護家の非難をものともせず、国技の闘牛を保存したスペインとちがって、日本は明治の文明開化で、あらゆる「蛮風」を払拭しようと望んだのである。その結果、民族のもっとも生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその兇暴な力を揮って、ますます人の忌み怖れるところとなった。いかに怖ろしい面貌であらわれようと、それらはもともと純白な魂であった。タイのような国へ来てみると、祖国の文物の清らかさ、簡素、単純、川底の小石さえ数まえられる川水の澄みやかさ、神道の儀式の清明さなどは、いよいよ本多の目に明らかになった。しかし本多はそれと共に生きるのではなく、大多数の日本人がそうしているように、それを無視し、あたかもないかのように振舞って、むしろそれからのがれることによって生きのびて来たのであった。あのあまりにも簡勁素朴な第一義的なもの、あの白絹、あの真清水、あの微風に揺れる幣の潔白、あの鳥居が区切る単純
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17『春の雪』前掲書 p.287.
な空間、あの沖津磐倉、あの山々、あの大わたつみ、あの日本刀、その光輝、その純粋、その鋭利から、終身身を躱して生きてきたのである。本多ばかりでなく、すでに大方の西欧化した日本人は、日本の烈しい元素に耐えられなくなっていた。18
すでに戦前から遠ざけられていたところの、清顕や勲に代表されるような、純粋に「日本的なもの」は敗戦とアメリカによる占領を経て、その「生命の連続性」が断ち切られてしまったというように三島は描いたのではないか。「日本文化」は一度なくなった。そこで敗戦後も舞台となる『暁の寺』では、その象徴として、輪廻転生の主体が「外国人」にされているのだと解釈出来る。三島は、輪廻転生という魂の連続を描きながら、「日本文化」の「断絶」をも表現したように思う。これが第三巻『暁の寺』の構造だと思われる。ちなみに第三巻の主人公ジン・ジャンの祖国タイは、近代を通じて欧米諸列強からの独立を守り通したアジアの中で数少ない国の一つであるというのも示唆的である。
現代にも続く戦後世界を描いた『豊穣の海』最終巻『天人五衰』では、「文化を生む生命の源泉とその連続性」にとらわれる者、「死」によって「見られる者」、清顕や勲のように、人を「死」に追いやるような、とめどない情念の奔流に襲われて葛藤し、そこから「行動」に打って出ようとする者は現れない。輪廻転生の第四の主体として登場するのは安永透という純粋な認識者、ただ「見る者」、つまり物語全体の観察者、本多と同じ精神構造を持つ若者である。
安永透は 16 歳の孤児で、無線通信士として港に出入りする船を見張っていた。
彼は凍ったように青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。しかし眺めることの幸福は知っていた。天賦の目がそれを教えた。何も創り出さないで、ただじっと眺めて、目がこれ以上明晰になりえず、認識がこれ以上透徹しないという堺の、見えざる水平線は、見える水平線よりもはるか彼方にあった。19
すべては自明、すべては既知、認識のよろこびは海のかなたの見えない水平線にしかなかった。20
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18『暁の寺』 前掲書 pp.34-35
19『天人五衰』(豊穣の海・第四巻)三島由紀夫全集第 19 巻 p.376. 新潮社 1973 年、初刊は 1971 年
20 同上 p378
透は自分の「見る」能力、認識能力を天賦の才と考え、自分は選ばれた特別な存在だと思い、ありとあらゆる他人を軽蔑していた。昭和四十五年のある日、七十八歳の本多は友人の慶子と偶然に透の仕事場にやって来た。そこで本多は透から強い印象を受ける。
本多と少年の目が会った。その時本多は少年の裡に、自分と全く同じ機構の歯車が同じ冷ややかな微動を以って、正確無比に同じ速度で廻っているのを直感した。どんな小さな部品にいたるまで本多と相似形で、雲一つない虚空へ向かって放たれたような、その機構の完全な目的の欠如まで同じであった。顔も年齢もこれほどちがうのに、硬度も透明度も寸分たがわず、この少年の精密さは、本多が人々に壊されるのを怖れてもっとも深部に蔵い込んでいるものの精密さと瓜二つだった。こうして目をとおして、本多は刹那のうちに、少年の内部の磨き上げられた荒涼とした無人の工場を見たのである。それこそは本多の自意識の雛形だった。21
ここで言う本多の「自意識」とは「見る」ものを処理する内的機構のことであろう。その自分と同じメカニズムを本多は透の中に発見したのである。そして透のランニングの脇から例の黒子を発見し、妻に先立たれ、子供もいない本多は透を養子にし、赤の他人をいきなり養子にするという本多の行為に驚く友人の慶子に、輪廻転生の物語を話してきかせる。しかし、ある疑惑は拭えない。
本多が慶子に言わなかったことが一つある。それは今日見た少年が、今までの三人とは明らかにちがうということである。あの少年の自意識の機械仕掛けが、硝子をはっきり透かして見るようにはっきり見えた。それは清顕にも、勲にも、ジン・ジャンにも、本多が嘗て見なかったものだ。(中略)ひょっとすると、あの少年は、はじめて本多の前に現れた精巧な贋物なのではあるまいか。22
この疑いを持ちつつも、本多は透を高校に入れ、東大に入学させるべく家庭教師もつけてやる。ところが、今まで大人しかった透は二十歳になって大学生になると本性をあらわし、養父である本多に暴力を振るいはじめる。本多の「自意識」=「認識」=「見る」ことは「覗き」という背徳に転ずる可能性をもってい
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21『天人五衰』前掲書 p.434.
22 同上 p.452.
たが、透のそれは対象を冷酷に処理する、愛の欠如、酷薄という性質があった。透の卑劣ぶりに本多は彼の死を願う。透が清顕、勲、ジン・ジャンの生まれ変わりだとすると、二十歳のうちに死ぬはずだと本多は考えたからである。疲弊した本多は夜の広場で恋人達が愛し合う様を「覗き」しているところを傷害犯人と間違われ、警察に尋問され、「覗き屋」として週刊誌にスクープされる。これを機に透は養父の本多を準禁治産者にして、財産を奪おうとする。そこで本多の友人の慶子が透の存在を揺さぶるべく、彼に輪廻転生の物語を聞かせ、透はその贋物であると言うのである。
「…見ていて私は、あなたに半年のうちに死ぬ運命が具わっているようには思えない。あなたには必然性もなければ、誰の目にも喪ったら惜しいと思わせるようなものが、何一つないんですもの。(中略)本多さんが探している生まれ変わりは、自然が自分の創造ったものに嫉妬せずにはいられぬような、そういう生物なんですもの。」23
「…松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは一体何につかまれていたの?自分は人とはちがうという、何の根拠もない認識だけにでしょう?」24
ここで慶子による透への批判は本多にも当てはまることを見落としてはならない。透と本多は二人とも「見る者」=認識者の世界に属しているからである。さらに大正の清顕から昭和初期の勲にかけての輪廻転生が「日本文化」の「連続性」を象徴し、占領期のジン・ジャンの「登場」が「日本文化」の「断絶」を意味するとすれば、透は「戦後日本文化」を象徴する人間ということになるだろう。ジン・ジャンの魂が透に転生しているなら、清顕、勲の「日本的」魂も「断絶」の地下水脈を通って、戦後に受け継がれているということになるのではないか。果たして透は輪廻転生の主体なのだろうか。これは後で考えてみる。
慶子の話を聞いてしばらくして透は服毒自殺をはかるも、果たさず、「失明」する。つまりこれは彼が「見る者」=認識者でなくなったことを意味している。同時に本多は透から、「見られる」ことが決してなくなった、本多は物語全体を通して、最後まで「見る者」であり続け、「見られる者」として「行動」に踏み切ることなく、「言葉と折り合い」の世界に生き続けたことを意味している。こ
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23『天人五衰』pp.610-611.
24 同上 p.612.
のような本多が第四巻の物語の終わりに第一巻『春の雪』で清顕の恋人だった老門跡=聡子の元を訪れるのである。それが本論考の最初の引用の場面である。彼女は言う。
「そんなお方[=清顕]は、もともとあらっしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありあませんか?…」25
こう言われて本多がどう思うかというと、冒頭にも引用したように、
「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば」「それなら勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。」(*)
あらためて考えてみると、高校時代の親友が存在しないと言われて自分の記憶が根底からゆらぐことなど一般にはない。なぜ本多の記憶は揺すぶられるのだろう。それは、論じて来たように、本多は純粋な認識者=「見る者」だからである。本多は自意識の檻の中から世界を眺め続けて一生を送ってきた男として描かれている。彼は、対象とからみつくような情念も直感も所有したことのない人物である。だから他者から別の認識を突きつけられれば、頭の中で作り上げられた世界は崩壊する。彼が鋭い直感、強い情熱、勇敢な「行動」と切り離せない記憶を所有していたら、門跡に何を言われても、輪廻転生の物語は揺らがなかったろう。つまり「豊穣」なる物語が「虚無」に、「月の海」に流れ込むのは、本多がただ「見る者」であったからである。つまり「見られる」こと=「行為」=「行動」の欠落した認識は、相対性という「虚無」の刻印を押されているというのが『豊饒の海』の重要な帰結なのだと言えると思う。
結論――猫になろうとした鼠の寓話
しかし、まだ問題が残されている。透である。(*)の引用をよく見て欲しい。透の名前だけ出てこないことに気づかれるだろうか。つまり、本多にとって、透が輪廻転生の主体であることが疑われているとしても、物語全体としては透の存在は確実なのである。本多が家に帰れば失明した透が待っているのである。透は幻ではないのだ。だから、もし透が輪廻転生の主体だとすると、(*)の引用の論
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25 同上 p.645.
理を裏返すことが出来る。
すなわち、「最終的に透がいるのだから、ジン・ジャンはいたことになる。勲もいたことになる。清顕君もやっぱりいたことになる。」が成立する。この論理が成立すれば、門跡によって物語全体にかぶされた幻想のヴェールを破ることが出来るのではないか。さらに、透が輪廻転生の主体であるかどうかは、危うくも美しい「日本文化」の生命が「戦後日本」に流れ着いたのかどうかという点について、三島がどう感じていたのかを考える上でも重要な問題である。透は失明するも、二十一歳の誕生日を過ぎても生きていた。二十歳で死んだ清顕、勲、ジン・ジャンとは異なる。しかし、この一事をもって透は輪廻転生の主体でないと言い切れない。左胸の脇にある三つの黒子、この珍しい肉体的特徴が輪廻転生の一番の特徴だからである。
この問題を考えるヒントとして、最終巻『天人五衰』では物語の中盤で、まだ高校生である透の、家庭教師の一人の口からある寓話が語られる。それは自分を猫であると信じる鼠の話である。その鼠はある時、本物の猫に出会って喰われそうになるが、洗剤の湧き立つ洗濯物の盥の中に飛び込んで自殺する。家庭教師は言う。
「この鼠の自殺が、僕のいう自己正当化の自殺だよ。しかし自殺によって別段、自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するときの鼠にも、それくらいのことはわかっていたにちがいない。が、鼠は勇敢で賢明で自尊心に充ちていた。彼は鼠に二つの属性があることを見抜いた。一次的にはあらゆる点で肉体的に鼠であること、二次的には従って猫にとって喰うに値するものであること、この二つだ。この一次的な属性については彼はすぐ諦めた。思想が肉体を軽視した報いが来たのだ。しかし、二次的な属性については希望があった。第一に、自分が猫の前で猫に喰われないで死んだということ、第二に、自分を『とても喰えたものじゃない』存在に仕立て上げたこと、この二点で、少なくとも彼は、自分を『鼠ではなかった』と証明することができる。『鼠』ではなかった以上、『猫だった』と証明することはずっと容易になる。なぜなら鼠の形をしているものがもし鼠でなかったなら、もう他の何者でもありうるからだ。こうして鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思う?」26
この家庭教師は過激派左翼の政治活動に従事しており、彼の意図ではこの寓話
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26『天人五衰』前掲書 pp.501-502.
は、猫=権力者、鼠=権力への抵抗者であったが、第四巻『天神五衰』全体の中でこの寓話の持つ意味を考えてみると解釈は変わってくる。それは透が輪廻転生の主体であるのかどうかという疑問へのヒントとして、この寓話を読んでみることである。慶子から「あなたには光るものが何もない。自意識の塊に過ぎない。輪廻転生の主体であるわけはない。二十歳のうちに死ぬわけはない。」という趣旨の批難を受けた透は二十一の誕生日を迎える前に服毒自殺を図るのだった。ここで透は自分が輪廻転生の主体=猫であることを証明しようとした鼠=輪廻転生の主体でない者である。輪廻転生の主体=猫とは清顕、勲のように情念の奔流に襲われ、他者に、集団に、社会に、世界に、究極的には「死」によって「見られる者」であった。あるいはタイの王女ジン・ジャンも自ら引き起こした結果ではないが、蛇に噛まれ、美しさの絶頂で宿命的に死んだ。猫とは「見られる者」である。では輪廻転生の主体でない者=鼠とはどのような者だろう。それはこの物語では、輪廻転生の様を眺める人物、本多に代表される「見る者」である。それは世界から一歩引いて世界を眺め、世界の中に入り込んで「行動」することのない者である。鼠とは「見る者」のことである。さて透も「見る者」であったが、服毒によって「失明」した。これらのことを踏まえて、「見る者」=透=鼠が自殺を決行することで、「見られる者」=猫になろうとした物語として読めるように思う。上の寓話の結論部を書き換えてみよう。
第一に、失明した自分は『見られる者』の前で、『見られる者』を「見る」ことが出来ないということ、第二に、自分を『とてもこいつに俺の人生を見せられたもんじゃない』存在に仕立て上げたこと、この二点で、少なくとも彼は、自分を〈『見る者』ではなかった〉と証明することができる。〈『見る者』でなかった〉以上、〈『見られる者』だった〉と証明することはずっと容易になる。なぜなら『見る者』の精神構造を備えたものがもし『見る者』でなかったとなったら、もう他の何者でもありうるからだ。こうしてこの『見る者』の自殺未遂は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思う?
「見る者」とは、輪廻転生の主体でない者のことであった。この書き替えた寓
......
話から導き出せることは、「透を、輪廻転生の主体でない者とは言えない」ということである。これが認識の相対性を描いた『豊饒の海』から導き出せる帰結だと思う。またここから読み取れる重要な比喩は、清顕や勲に象徴されるような
「日本文化」の「生命の連続性」という川の流れは、敗戦と占領という壮絶な
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「断絶」を経たために、戦後日本には流れ着いていない、とは言えないということである。
『豊穣の海』最終巻『天人五衰』の最後のページ
27 には「昭和四十五年十一月二十五日」と日付が打ってある。三島の最後のあの行動が、日本の文化を体現し
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た行動ではない、とは言えないことを暗示しているように思う。
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27『天人五衰』前掲書 p.647.
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