2025-08-14

旧日本兵が苦しんだ「PTSD」戦後80年 語られなかった真実 国による初の実態調査【ワイド!スクランブル】(2025年8月13日)


旧日本兵が苦しんだ「PTSD」戦後80年 語られなかった真実 国による初の実態調査【ワイド!スクランブル】(2025年8月13日)

ANNnewsCH
48,952 views  Aug 13, 2025
 戦争で兵士が負った心の傷。終戦から80年が経ち、旧日本兵が苦しんだ、PTSD=心的外傷後ストレス障害の実態調査が行われています。

■勇敢な兵士の面影が消えた父

1988年 黒井秋夫さん撮影映像
「おじいちゃんピースしてくれ!早くしてくれよ。早くピースしてくれ!早く!」

 祖父に呼び掛ける孫…しかし、祖父の黒井慶次郎さん(当時75)はにこりともせず、ただ一点を見つめるのみ。

慶次郎さんの息子 黒井秋夫さん
「これが父親ですね。21歳の時の父親」

 慶次郎さんは満州事変の翌年の1932年、召集令状が届き20歳で入隊。中国での戦闘に2年間加わった。

 その後、太平洋戦争が始まる1941年に再び召集され、中国戦線に投入された。当時、慶次郎さんが記していた日記には…。

慶次郎さんの日記
「荒れ狂う北満の寒風のなか、砲煙弾雨の中を物ともせず堂々と進む我が戦車の偉容」

 使命感が表れた勇ましい言葉が並んでいた。

黒井さん
「父親は当時にしてはすごく出世して、二等兵、一等兵、上等兵、兵長、伍長、陸軍軍曹までなっていて、召集された兵士としてはほぼ登り詰めたんじゃないかと思います。だから優秀な兵士だった」

 しかし、戦地から戻った慶次郎さんには、優しい父親・勇敢な兵士といった面影はなかった。

「私の父親はしゃべらない、笑わない。それから隣、近所とのちゃんとしたお付き合いもできない。ちゃんと働くこともできない」

 定職に就かず、家にこもりがちになった父。家族が話しかけても返事もしない父を煩わしいとさえ思うようになってしまったという。

「すべて悪いのは、ダメなのは父親が情けないからだと。父親が亡くなった時はひとつも涙すら流していないです。ただ死んだっていう」

■旧日本兵が苦しんだPTSD

 慶次郎さんは1990年、77歳で亡くなった。悲しみはなかったという黒井さんだが、ある出来事が父への思いを一変させた。

「ベトナムに行ったアメリカの海兵隊のアレン・ネルソンさんのDVDを見てトラウマ、PTSDが治っていない。それで家族からも見放され、『え?』っと思って。私の父親と重なった…」

 1965年からベトナム戦争に本格的に参戦したアメリカでは戦地から帰還した兵士たちの多くが、精神障害を発症した。

 その後の研究でアメリカ精神医学会が、PTSD=心的外傷後ストレス障害という病気の実態を発表した。

 自分の父親もPTSDだったのでは…そう考えた時、黒井さんの胸に込み上げてきたのは、後悔の念だった。

「あんな死に方をさせてしまった。何の援助も、子どもらしい思いやりとか、そういう言葉さえ掛けることができなかった。自分がダメだったと。気づいてから10年ですけど、この間は父親と向き合いながら10年を私は過ごしている」

■日本兵のPTSDが知られなかった理由

 黒井さんは自宅の一角に資料館を作り、日本兵のPTSDについて語り合う集いを開催しながら、この問題を広める活動を続けている。

 戦時中からの日本兵を診察したカルテにも、PTSDと思われる症状が記されていた。

「幻聴ありて、銃声聞こゆという」

「自分が寝ている時も誰か自分を殺しに来る気がしてどうしても寝られなかった」

 幻聴が聞こえ、悪夢に悩まされる。感情が乏しくなり、人との交流を避けるような症状もあった。しかし、日本兵のPTSDは戦後、長い間知られることがなかった。

 その理由について、長年この問題を研究している上智大学の中村江里准教授はこう話す。

「当事者というか兵士自身が戦争について語らなかったって方が多い。世界最強の軍隊には心を病むような兵士はいないと(国が)盛んに言っていた」

 これは、1939年発行の新聞記事。そこには「大戦名物の砲弾病 皇軍には皆無」。日本兵に心を病んでいる兵士は一人もいないのだと、記されていた。

「国家による否認と、精神疾患に対する非常に強い差別、これがダブルでかかっていると思う」

 戦争により壊れてしまった家族が、自分以外にもいる。黒井さんは仲間を募り、国に対し、戦争によるPTSDの調査と公開を呼び掛けてきた。

■国による初の実態調査

 そしてついに先月、戦後、国が調査した資料が公開された。兵士たちがPTSDにより苦しんでいた歴史を国が認めた一つの転換点だ。

黒井さん
「この方はもういないわけですよね。今、この問題はないのかというと決してそうではなくて。子どもたちに連鎖して。子どもたちが殴ったり蹴ったりされたり、面前DVを受けて心壊した我々の仲間は大勢いるわけだから」
「本当に人生をPTSDで棒に振ったんだから、我々の父親のような、祖父のような兵士を生まない。つまり戦争をしない、なんとしても日本の世論になるように声を仲間と一緒に出し続けていきたい」

■兵士以外にも 深刻な問題

 慶次郎さんのように、戦争が終わっても心の傷を抱えたまま人生が大きく変わってしまった兵士が少なくないということなんですが、こうしたPTSDに関する問題は、終戦から80年が経ってもまだまだ課題が残されているようです。

 太平洋戦争でPTSDを患った人の調査対象について厚労省は、戦争が原因で精神疾患を発症し、政府が「戦傷病者」と認定した旧日本兵などに限られるとしています。

 黒井慶次郎さんは当時、精神疾患などの診断を受けていないため、今回の厚労省の調査対象には当たらないといいます。

 また厚労省は、戦争でPTSDを患った人は旧日本兵だけでなく、その家族や空襲にあった人、被爆者など民間人も多岐に渡るという認識を示しながらも、調査の対象にはしない方針です。

 その理由について、PTSDの調査を行う学芸員が所属する「しょうけい館」が「戦傷病者」を対象にした施設のためだとしています。

 旧日本兵のPTSDの実態などを研究している上智大学の中村准教授は、兵士以外の問題も深刻だと指摘しています。

「戦争が原因でPTSDを患ったとされる親から子どものころに虐待を受け、現在もトラウマに苦しんでいるという遺族がいる。その方たちにとって、終戦から80年経った現在も、戦争は終わっていないのではないか」

(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年8月12日放送分より)
[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp
Transcript
Follow along using the transcript.


Transcript


おい、おじいちゃんスしてくれ。早くしてくれよ。早くピースしてくれ。
[音楽]
早く
祖父に呼びかける孫。しかし祖父の黒い刑次郎さんはニコりともせずただ
1点を見つめるのみ。
これはま、私の父親ですね。あ、はい。
21
歳の時の父親で治郎さんは満州編の翌年の
[音楽]
1932年小霊上城が届き、
20十歳で入退。中国での戦闘に
[音楽]
2年間加わった。
その後太栄戦争が始まる1941年に再び
招集され中国戦線に投入された。当時
慶次郎さんが記していた日記には
アレクルー北のカ封の中法
公園ダウの中を物ともせず堂々と進む我が
戦車の異様
使命官が現れたいましい言葉が並んでいた
父親は当時にしてはすごい出世して2頭兵
1等兵上兵
5
えっと、離軍曹までなっていて、あの、軍人っていうか招集されたあの兵士としてはほぼ登り詰めたんじゃないかと思いますね。だから優秀な兵士だった。
[音楽]
しかし船地から戻った刑次郎さんには優しい父親、勇敢な兵士と言ったおかげはなかった。
[音楽]
ま、例えば私の父は喋らない、笑わない、それから、え、隣近所とのちゃんとした付き合いもできない。え、ちゃんとし働くこともできない。
定職につかず
家にこもりがちになった父。家族が話しかけても返事もしない父を患らわしいとさえ思うようになってしまったという。
[音楽]
全て悪いのは基本的に全てダメなのはみんな親が情けないからやと。がなくなった時はあの本当に
[音楽]
1
つもの涙したら流していないっていうね。ただ死んだっていう。
[音楽]
け次郎さんは
1990年77歳で亡くなった。
悲しみはなかったという黒いさんだが、ある出来事が父への思いを一ぺさせた。
ベタムに行ってアメリカの開兵隊のあれソンさんっていう人の
DVDを見てトロマ
PTS
は治ってないという風にそれであの家族家族からも見放されと思って私の父親と重なった。
1965年からベトナム戦争に本格的に
参戦したアメリカでは地から帰還した兵士
たちの多くが精神障害を発症した。その後
の研究でアメリカ精神医学会がPTSD
新的外償ストレス障害という病気の実態を
発表した。
自分の父親も
PTSD
だったのけ。そう考えた時、黒井さんの胸に込み上げてきたのは後悔の念だった。
あの、あんな死ね方をさせてしまった。あの、何のその援助もね、その子供らしい思いやりとかあ、そういう言葉さすらかけることができなかった。
その自分がダメだったんだと気づいたからちょうど
10
年ですけどね。今そのこの間は本当に千と向き合いながらその
10年を私が今過ごしているっていうね。
黒井さんは自宅の一角に資料感を作り、
日本兵のPTSDについて
語り合う都いを開催しながらこの問題を広める活動を続けている。
戦治中からの日本兵を診察したカルテにも
PTSDと思われる症状が記されていた。
現長ありて銃声聞こえという。
自分が寝ている時も誰か自分を殺しに来る
気がしてどうしても寝られなかった。
[音楽]
現長が聞こえ悪夢に悩まされる。感情が
乏しくなり人との交流を避けるような症状
もあった。しかし日本兵のPTSDは戦後
長い間知られることがなかった。
その理由について長年この問題を研究して
いる常の中村里純教授
ま、そもそもね、あの当事者というかあの
兵士自身がほとんど戦争について語ら
なかったって方が多いですよね。
世界最強の軍隊にはですね、あの、心を止むような兵士っていうのはいないんだっていうことを、あの、ま、坂にこう言ってたわけですね。これは
[音楽]
1939
年発校の新聞記事。そこには対戦名物の砲弾病、軍にはカ日本兵に心を病んでいる兵士は
[音楽]
[音楽]
1人もないのだとされていた。
[音楽]
この国家におる非妊っていうことと、ま、その精神疾vad疾患に対する非常に強い差別うん。これがかなりダブルでうん。かかってるかなと思います。はい。
[音楽]
戦争により壊れてしまった家族が自分以外にもいる。ク井さんは仲間を募り、国に対し戦争による
[音楽]
PTSDの調査と開を呼びかけてきた。
[音楽]
そしてついに先月
戦後国が調査した資料が公開された。
兵士たちがPTSDにより苦しんでいた
歴史を国が認めた1つの点だ。
あいような方はもうもういないわけだから
。うん。
だから今じゃあこの問題ないのかって言えば決してそうではなくってその子供たちに結局連鎖連鎖というか子供たちがあの殴ったり蹴ったりうん
[音楽]
されたり面前線デブ受けて心壊した我々の仲間を大勢いるわけだから
本当人生あれで棒に振ったんだから我々の父親のような祖父のような兵士を生まないつまり戦争しないそのことを何としてもあの日本のセ論になるよう
[音楽]
にあの声を仲間と一緒に出し続けていきたいなと。
[音楽]
黒井さんのように戦争が終わっても心の傷を抱えたまま人生が大きく変わってしまった兵士が少なくないということなんですが、こうした
PTSDに関する問題は終戦から
80
年が経ってもまだまだ課題が残されているようです。
太平洋戦争でPTSDを患らった人の調査
対象について厚労省は戦争が原因で精神
疾患を発症し政府が先者と認定した旧日本
兵などに限られるとしています。VTRで
ご紹介した黒井慶次郎さんは当時精神疾患
などの診断を受けていないため今回の厚労
省の調査対象には当たらないと言います。
また厚労省は戦争でPTSDを患った人は
旧日本兵だけでなくその家族や空にあった
人被爆者など民間人も滝に渡るという認識
を示しながらも調査の対象にはしない方針
です。その理由についてPTSDの調査を
行う学芸院が所属する消計官が先を対象に
した施設のためだとしています。
旧日本兵のPTSDの実態などを研究して
いる常智大学の中村里準教授は兵士以外の
問題も深刻だと指摘しています。
戦争が原因でPTSDを患らったとされる
親から子供の頃に虐待を受け現在
もトラウマに苦しんでいるという遺族が
いる。その方たちにとって終戦から
80
年経った現在も戦争は終わっていないのではないかと話しています。
はい。
末信さんは戦地での取材経験もありますけれども、そういう状況はやはりありましたか?
あの、ま、当時の人権も何も認められない。
こんな厳しいのとは比べられないんです
けど、あの初めて戦場しでワンガ戦争8
ヶ月ぐらいずっとスクワットミサイルの
中継したり地雷限ったりとか1番大きいの
はアメリカ軍兵者を間違ってスクワット
ミサイルがヒットした時かなり早く現場に
入れちゃってこの遺体の上を歩いたりし
ながら取ってたんですね。その匂いも
すごかったですが、そういう生活をして
ニューヨーク気にした後ね、非常にその
ものに反応しなくなるってこう無器力なっ
て、ま、恥ずかしいからちょっと内緒にし
てたんだけど、あの、セラピーとこに通っ
たりとかしながらあの、ちょっと普通では
なかったです。で、やっぱりつまり戦争
行くと言うと同じチームの中でもね、
危ないとこ行こうとする判断するんですよ
、自分が。その時に無口になんですよ、
みんな。つまり怖がってるとお互いに思わ
れたくないっていう。だから突っ込んで
いくんですけども。で、入ってしまったら
今度はうまく取りたいからそういうもの
だけを探していくんですよ。で、ましして
兵士の場合、当時の人権とかね、関係ない
もうも物ですよ。それでだから日常の常識
っていうのは非常識になるし、非常識な
ことが常識になっていく。つまり殺し合う
わけですからそのことは命令によって運を
やさやる。で、それやらなきゃ軍法会議な
わけ。ですからね。で、やっぱりそういう
当時の医学も精神的なものもあの発達して
ないし、それからなぜこの問題がずっと
伸びるかって今の話にもあるようにこれ国
は予算の問題とかもあるから原爆症の場合
もそうですが範囲を広げると予算がすごく
広がるっていうところでそこなるべく狭く
しようとする部分もあるんです。だ、そこ
はね、あの、医学とかいろんなその
メンタルな部分まで病気と認定できるよう
になった今ね、改めて見直すそのきっかけ
には僕はしてほしい。で、やっぱね、あの
、あの程度の湾ンガン戦争ぐらいの近代的
な戦争であってもね、やっぱりその人間の
バランスっていうのは戦争状態はやっぱ
来るんだなっていうのをですね、あの、実
は未だにそのことはね、そう気にして思、
それは自信とかね、そういう大雨の被害と
日常性を打ち破る非常識
が転換してしまった時に
はい。
人間はそういうことが起きるっていうのは、あの、ちょっと、ま、認識しといた方がいいんだろうっていう風に思います。
はい。ま、多くの方が調査対象外ということのようですけれども、吉田さん、
もちろんその、あの、兵士ばかりではなくて、毎日空爆にさらされていた、あの、一般の人らと同じことだと思いますよね。で、あの、戦争ってどれだけひどいことかって言うと、その皆さん、その兵を人はそれまでの間本当に平和に暮らしてるわけですよ。
仕事をして家族を愛してっていう。それは人を殺しちゃいけないっていう世界の中で生きてきてでそれが戦争に行ってきなり打てって言われた時にもうほとんど
90何%の人は空を打つんだそうです。
相手に向かって打てないってこれが人間なんですよね。で、それをあのどんどん人間に近いようなものを作りながらそこでその突撃させてあの結局マインドコントロールをしていくっていうことだと思うんですね。
で、その中で今度戦争終わりましたって
言ったら、そのマインドコントロールを
解かないまま普通に戻れって言われても
やっぱりそれはそんな人間って簡単なもん
じゃないわけで、だからこうやって苦しん
でいくわけです。で、で、アメリカは
ベトナム戦争でPTSDっていうことを
きちっとその認めて、その後、ま、対策を
取るなりにしてると思うんですけれども
日本はそれは全然認めてこなかったという
ことですね。TSA
って言葉が初めてもられたのは阪神大震災からだったと思
50
年遅れてるわけですよね。戦争からね。
いや、本当にあのこれが戦争だっていうことて今ウクライナでも一般人も兵士も含めて
PTSD
を発症してる方がものすごい利量で増えてきていると。ま、もちろんロシア兵も
10万人以上がPTSD
に苦しんでるということなんですね。これがいかに戦争というのが人間を壊すことかていうことをやっぱりここからちゃんと受け止めなきゃいけないなと思います。
の人後出てくれる
[音楽]
[拍手]

Show transcript

No comments: