2018-04-13

竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記 - Wikipedia

竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記 - Wikipedia

竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記

竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記
So Far from the Bamboo Grove
著者ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
訳者都竹恵子
発行日アメリカ合衆国の旗1986年1987年1994年など
大韓民国の旗2005年
日本の旗2013年
発行元アメリカ合衆国の旗William Morrow & Co., Puffin, HarperCollins, Perfection Learningなど
大韓民国の旗문학동네
日本の旗ハート出版
ジャンル自伝戦争文学歴史小説
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国大韓民国の旗 韓国日本の旗 日本
言語英語韓国語日本語
ページ数183(英語版)
294(韓国語版)
236(日本語版)
次作My Brother, My Sister, and I
コードISBN 9780688061104(英語版:Lothrop, Lee & Shepard)
ISBN 9780140323856(英語版:Puffin Books)
ISBN 9780688131159(英語版:HarperCollins)
ISBN 9780780740525(英語版:HarperTrophy)
ISBN 9788982819490(韓国語版)
ISBN 9784892959219(日本語版)
Wikidata-logo-en.svg ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示
竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』 (たけばやしはるかとおく-にほんじんしょうじょヨーコのせんそうたいけんき、So Far from the Bamboo Grove) は、日系米国人作家ヨーコ・カワシマ・ワトキンズによる自伝小説1986年 (昭和61年) にアメリカで出版された。
作者のヨーコ自身が11歳だった第二次世界大戦終戦時に体験した朝鮮半島北部の羅南らなんから京城けいじょう釜山ふざんを経て日本へ帰国する際の、朝鮮半島を縦断する決死の体験や、引揚後の苦労が描かれている。戦争の悲惨さを訴える資料として、また、中学校用の副教材として多くの学校で使用されている。
一方、加害者国家である日本の背景を一切語らずに一部朝鮮人の非道暴行を描写するなどの点で、韓国系アメリカ人による反発・使用禁止運動を受け、また韓国メディアも批判し、史実誤謬の指摘に発して捏造論まで提唱されている。

訳本[編集]

韓国では2005年 (平成17年) に『요코 이야기 (ヨーコ・イヤギ、"ヨーコ物語")』として訳出され[1]、当初はまずまずの評価だったが、後に「ヨーコ物語論争」が炎上したため版元は発売中止した[2][3]
遅れて日本語版『竹林はるか遠く──日本人少女ヨーコの戦争体験記』は2013年 (平成25年) 7月19日にハート出版より発売[4][注 1]。続編の、My Brother, My Sister, and I は2015年に続・竹林はるか遠く-兄と姉とヨーコの戦後物語という邦題でハート出版から発売された。

著者について[編集]

本書の著者ヨーコ・カワシマ・ワトキンズは、1933年 (昭和8年) 青森で生まれた。生後六ヶ月で南満州鉄道 (満鉄) に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南 (現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市) に移住。朝鮮咸鏡北道で11歳まで過ごす。1945年 (昭和20年) 日本の敗戦が濃厚になると、母親と姉とともに避難を開始し、京城けいじょうを経由して日本へ逃れる。離れ離れになったとも後に再会を果たす。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。1976年 (昭和51年) になってヨーコは当時の逃避の詳細を兄に問い、その様子を1986年 (昭和61年) に本書にまとめた[6]。この物語の続編にMy Brother, My Sister, and I がある。

あらすじ[編集]

川嶋一家5人は朝鮮半島東北部の町・羅南らなんで、戦時下ではあるが、それなりに平和に暮らしていた。1945年(昭和20年) のある日 (4月以降)、擁子ようここうは慰問に訪れた軍病院で、負傷兵松村まつむら伍長と知り合う。数週間後、松村伍長は川嶋家をお礼に訪れ、その後もたびたび訪れ、川嶋一家と親密となる。この頃、朝鮮半島北部にもB-29爆撃に時々現れ、また、日本敗北の気配を読み取って、半島内に反日朝鮮人[要曖昧さ回避]共産主義同盟、朝鮮共産党軍が組織されつつあった。
1945年7月29日深夜、松村伍長がソ連軍が侵攻してくることを一家に伝え、すぐに町を脱出することを勧める。父と淑世ひでよは不在だったが、ソ連軍は既に近くに迫っており、2人に連絡する時間はもはやなく、書置きを残して、母と擁子と好の三人は最低限の荷物と財産を持って、松村伍長の勧めどおり赤十字列車に乗って羅南を脱出した。列車はその後京城けいじょうまで70キロの地点で爆撃に遭い、機関車が破壊されたので、三人は列車を降り、徒歩にて京城を目指す。しかし半島内は既に、ソ連軍と呼応した、朝鮮共産党軍の兵士によって、北から南へ逃走中の日本人は片っ端から殺害され、日本人の遺体金歯を引き抜かれ身ぐるみ剥がされ、日本人の土地家屋財産などが奪われ、日本人の若い女を見つけると草むらや路地裏に引きずってでも強姦されていた。しかし、彼らを怒らせたら他の日本人が集まる避難所を攻撃されるとされ、周囲にいた日本人難民は反撃できないで、悲鳴を聞いても黙って耐えるという地獄絵図と化していた。
擁子達三人は、釜山ふざんまで列車で移動し、衣食住は極貧であったが、赤十字病院やアメリカ軍の残した残飯を漁ったり、髪を切り男装したりと知恵を絞り、何とか無事に生き残り、秋に連絡船で福岡に帰国する。 ところが、帰国後も彼女たちを待ち受けたのは、夢に見た美しい祖国ではなかった。 唯一、空襲を受けずに済んだ京都へ出向くが、期待していた父母両方の祖父母が、青森で空襲で死亡したことが分かり、京都駅で母が病死する。 孤児となった擁子と好は、必死で残飯をあさり、駅で野宿して生き延びる。 母の願いで、学校にだけは通いつづけるが、そこでは貧しい擁子に心無い言葉を浴びせる裕福な子供達が待ち受けていた。
しかし、親切な増田ますだ夫妻と、再会した松村伍長の支えで、姉妹で働きながら何とか生活基盤を整えて行った。父と兄が生きていることだけを信じて、毎週末舞鶴港で、朝鮮からの避難民の中から兄を探した。松村伍長の計らいで、ラジオで探し人として、父と兄の名前が呼ばれた。 そんなある春の日、朝鮮風の格好をした男性が、彼女達の家をたずねて来た…。

登場人物[編集]

川嶋 擁子かわしま ようこ
この物語の主人公にして作者。11歳の少女。ヨーコとも記される。あだ名は「小っちゃいの」。
川嶋 好かわしま こう
擁子の姉、淑世の妹。女学生。16歳。勝気なしっかり者。頼りない母をえる。
川嶋 淑世かわしま ひでよ
擁子と好の兄。18歳。予科練を希望するも筆記試験に落ち、代わりに週6日、家から離れた兵器工場で住み込みで働く。その時にソ連軍が朝鮮半島に侵攻し、家族と離れ離れになる。
川嶋 良夫かわしま よしお
父親。南満州鉄道社員。ソ連軍侵攻時は家に不在で、家族と離れ離れになる。その後6年間シベリア抑留される。職業柄、一家は裕福な方で、子供たちにも書道や日本舞踊など習い事をさせることができた。出身は青森
ソ連軍侵攻時、擁子と好を連れ、京城けいじょうを目指し、満州国境から80キロの朝鮮東北部の町・羅南を脱出する。出身は青森。
松村まつむら伍長
負傷兵。擁子と好が慰問の演劇のために訪れた軍病院で知り合う。その後、一家にソ連軍侵攻をいち早く伝え、脱出の機会を与える。日本では絹織物業を営む富裕な身分。
浅田あさだ先生
擁子の通う京都の女子学校の担任教師。
内藤ないどうさん
学校の用務員。吃音がある。学校での擁子の唯一の話し相手。貧しい擁子に何かと手を貸す。
増田ますださん
京都下駄工場の奥さん。京都駅で、朝鮮からの避難民として姪が戻るのを待ち続けている際、母が病死し二人きりとなった擁子と好に同情して、住む場所として工場の倉庫を貸し与える。

韓国での当初の反応[編集]

2005年、『ヨーコ・イヤギ』("ヨーコ物語")が出版されたとき、「なぜ日本と中国ではこの本の出版が禁止されたのか」というキャッチコピーの効果もあり、好調な売れ行きであり、目立った社会的反動も起こらなかった[3][7]
この時期の韓国の書評も、作品を肯定的に受けとめ、あるものでは反戦的さらには植民地政策に批判的とまで解釈して紹介している [8][9]
しかし2007年にもなると、英語の原作がアメリカの教科で使用されていることに対する韓国系の父兄の反発が顕著化し、この「ヨーコ物語論争」に加わった韓国メディアも、批判的に転じた。作者の「自伝」は捏造と論じられ、事実の歪曲とする点が追求された。果ては作者の父親の戦犯論まで浮上し、訳本の出版社も販売を中止した[10]

韓国人・韓国系アメリカ人による反発[編集]

この本には、終戦直後に避難民と化した日本人女性性的暴行を行った朝鮮人の記述があったため、韓国系アメリカ人の生徒や父兄の反発を買い、2006年 (平成19年)9月頃をかわきりに、禁止運動に発展した。
作者の地元ボストンの近郊地区[注 2]では、2006年11月、いったん使用停止処分となっている。ボストンの地元紙では、韓国系アメリカ人の生徒の保護者全体として「人種差別的かつ露骨な性描写」と要約した。同じひとりの父親の発言として、韓国人の男性は女性暴行するものだという先入観が生まれてしまう危惧と、この年齢層にレイプ内容は刺激的すぎるという批判が掲載されている[11]。他方、作品を非常に評価する韓国系生徒の発言もあった[12]。また一般の生徒の母親や教師からは、作品や作者の招請講義を強く支持する意見も出た[11]。委員会は全員一致で教材使用を停止したが、委員長は、作品の発禁処分ではなく、史観の偏りをただす補足説明時間の工面困難という、実践上不可能判断だ、と説明した[11]。その後、2007年1月の学校協議会で再検討がされ、この地区では授業を修正したうえで教材としての使用が再開された[13][14]
韓国系の児童保護者によるこの本の教材使用禁止運動は、同時にニューヨークなどで起こっており[12]、ある学校では、ひとりの生徒が「誤った記述」の本が学習させられていると登校拒否の抗議にでると、2006年9月の時点で即刻、教材を撤回した[注 3][15][14]。また、訴えを受けて韓国領事館も介入し、政界や出版業界に是正要請の接触を図り、米教育当局へ嘆願書を提出するなど、活発なロビー活動が行われた[12]
また、韓国系アメリカ人からは、この小説は終戦間際の本当の体験談ではなく、捏造ではないかと疑問視する声が聞こえ始め、同意見の声も一部の教育者側に表れ始めた。史実の歪曲を理由に、マサチューセッツ州ボストン近郊カトリック系の学校と私立校の2校がこの本の教材使用を停止している[注 4][15][14]。この私立校の教師はこの教科書問題についての論文を発表しており、The English Journal 誌に掲載されている[16]
しかし韓国国内にも、(作品の後半部分は日本帰国後の苦しみを記述していることもあり) 戦争の悲惨さを訴えている作品であり、あえて朝鮮人のみを悪く言っているわけではない、という意見が新聞で報じられている[17]

捏造論[編集]

一部の韓国紙や、在米韓国系の学生・保護者は[14]、この体験談は捏造であると示唆・主張し、その根拠として辻褄の合わない歴史的誤謬があるとする。具体的には (1) ヨーコが住んでいた町に竹は生えない[19]、(2) 米軍の韓国爆撃は1945年7月・8月時点では開始されていない[20]、(3) 朝鮮の共産党兵が突入したのは1945年9月初頭以降[21][14]、などを挙げている。

竹林[編集]

英語の"bamboo"という語は、実際は「竹」に限らず「笹」も含まれる。そして笹は竹より寒冷地でも自生する[注 5]。作者は韓国紙に「どちらかといえば笹(bamboo grass)」だったと説明したが意思疎通せず、前言を一部翻したように報道された[注 6][23]

米軍爆撃機[編集]

日本語の書籍には、この期間に朝鮮北部にB-29機が上空飛行し機雷投下など活動をおこなっていたことが記録されている[注 7][24]。なので、ヨーコがこれを7月の時点で目撃した(「エノモトさん」にその機種だと教わる)という作中の記述[25]時代錯誤にならない。韓国メディアの取材では、これは米国が爆撃開始した時期でない(歴史家の言質)と疑問を投げかけられたが、作者は、見たのは爆撃機の姿であって爆撃ではない、と誤読である旨の反論をしている[20]
赤十字列車の停車は、空爆によるものだったが、作中では頭上に飛行機が聞こえたとあり米軍機と指定はされない[26]。にも拘わらず、某紙では列車が米軍機の爆撃を受けたというのは時代錯誤と報じている[27]。この空爆の日付は作中では不詳である。場所はソウルに到達するまであと45マイル(70km)の地点だった[26]

抗日共産軍の介在[編集]

作者は避難中に遭遇した朝鮮人の武装兵のことを「朝鮮人の共産兵」( "Korean Communist soldiers")として登場させている[25]。しかし強いて問われれば、それらが絶対に共産兵であるとは断定しきれない事は認めている。後にした区域はすでに共産主義者の掌中にあると周囲からは言われたことと符合して、そのように合点したものだ、と釈明する[28]
また、序章では[注 8]、筆者は母親から「抗日共産軍」( "Anti-Japanese Communist Army")を形成している、と教わっている[29]。この「抗日共産軍」という表現は、じつはソビエト軍やこれと呼応・合流した朝鮮人よりも、他では中国共産党人民解放軍やそれを援護する現地武装兵力(マレー半島等では華僑で構成。満州では朝鮮系も含まれる。)に対して使われる呼称なので、これと特定したひとつの組織を指すとはいえない。
しかし英語の原文では"Communist"という記述になっているため(頭文字が大文字なので)固有名詞とされ、これは朝鮮人民軍としか解釈の余地がなく、1945年にはまだ正式に組織されていない目撃談は歴史の歪曲という論調が張られ、そうした報道や作者への尋問がされる[30]
ヨーコが目撃した朝鮮人の戦闘員については、例えばハーバード大学のカーター・エッカート教授も、正式に組織された共産軍はこの頃はないはずだ とするが、羅南あたりにも地域に分散した共産党分子は活動していたかもしれない、と、完全否定はしていない[注 9][21]
エッカートは、もし「抗日共産軍」がいたとすれば、ソ連傘下で満州に待機していたキム・イルソン率いるゲリラ部隊であるが、これが朝鮮入りしたのは9月初頭であるという認識を示している[注 10][21]。しかしこれは日本側資料と食い違うのであって、例えばソ連が8月8日に宣戦布告したその日のうちに、朝鮮兵約80名がソ連の快速艇に乗って到来し、土里で警察署を襲撃した事件が報告されている。ソ連領土から、豆満江わたって土里までほんの"指呼"の距離しかない[31][注 11]
「朝鮮共産党軍の兵士」("Korean Communist soldiers"なので「朝鮮人共産軍兵」ともとれる)の死体からは軍服がはぎとられ、ヨーコと母・姉は変装に使用している[注 12][25]が、この点についても、韓国メディアは「人民解放軍」以外の解釈はできないとし、組織されていない軍のユニフォームなど当時は存在しないので虚偽である、という報道をしている[27]

731部隊疑惑[編集]

この抗議活動の渦中、韓国の聯合ニュース発でヨーコの父親の731部隊の幹部疑惑まで報道された[32]。ヨーコは、その父親の職業について「満洲で働く高級官僚」といいつつ、続編では「外交官」としており、その仕事内容は不透明なままである。しかしそれはソ連軍に命を狙われるような満州の利権がらみの仕事という松村伍長の言及より[注 13]、その仕事とは731細菌兵器部隊所属の任務に違いないという憶測する。ヨーコの父親は「カワシマ・ヨシオ」あり、「カワシマ」姓は731部隊にいたから合致し[32]、いずれとも「長期のシベリア抑留を受けていた」経歴があるのは更なる追加証拠である[32][33]。また、ヨーコはAmazon.comの販売ページに示された略歴で1933年旧満州奉天生まれとされた(現在確認不可能)のが真の生誕地であるが[注 14]、奉天は731部隊が所在した場所で(素性が発覚してしまう恐れがあるので)、小説の続編では日本の青森生まれとした、と論じられる[32]
作者自身は、これを否定し、父親は満鉄社員であると証言している[注 15][2][20]

受賞歴[編集]

この著作により作者は1998年(平成10年)、ボストン公共図書館の推奨児童文学者(Literary Lights for Children)に選定され[34]、アメリカの平和団体「ピース・アビー(Peace Abbey)財団」から「The Courage of Conscience Award」を受賞している[35]

書誌情報[編集]

英語版[編集]

日本語版[編集]

韓国語版[編集]

  • ヨーコ・カワシマ・ワトキンス [요코 가와시마 왓킨스]; ユン・ヒョンジュ [윤현주]訳 (朝鮮語) 『요코 이야기』 文学洞内 [문학동네]、2005年4月29日ISBN 89-8281-949-5

続編[編集]

動画[編集]

関連文献[編集]

  • Yoko Kawashima Watkins (1996-01-01). So Far From the Bamboo Grove: Novel-Ties Study Guide. Learning Links. p. 28. ISBN 1-56982-654-4. - 原作者による読書案内。
  • MCDOUGAL LITTEL (1996-09-09). McDougal Littell Literature Connections: Student Edition So Far from the Bamboo Grove (Paperback ed.). MCDOUGAL LITTEL. p. 192. ISBN 0-395-77138-2. - MCDOUGAL LITTELによる学生版。
  • Novel Units, Inc. (2007-03-01). So Far from the Bamboo Grove - Teacher Guide. Novel Units, Inc.. p. 32. ISBN 978-1-58130-578-4. - 学校の教材として使うときの教師への手引き。
  • GLENCOE (2000-03-03). So Far Bamboo Grove Related Readings Gr7. The Glencoe literature library (Hardcover ed.). McGraw-Hill Inc.. p. 133. ISBN 0-02-818009-7.
  • BookRags (2012-04-17). So Far from the Bamboo Grove Lesson Plans (Kindle Edition ed.). Amazon Digital Services, Inc.. ASIN B007V9X0OQ. - 教師への手引きのキンドル電子書籍版。

注釈[編集]

  1. ^ 同年6月7日の時点で Amazon.co.jp のベストセラーになった。[5]
  2. ^ ドーバー・シェルボーン教育区。
  3. ^ ライ・カントリー・デイ校
  4. ^ カトリックメモリアル中学校とフレンドシップアカデミー。
  5. ^ スズタケ Sasa borealisは朝鮮半島のいたるところみられ、コウライザサ S. coreanaは北朝鮮に分布する。チシマザサ S. kurilensisは、鬱陵島ウルルンとうに限定される[22]
  6. ^ 質疑に対し、"Bamboo grove (竹林)"というか、"thin and narrow but tall bamboo grasses (細くて背の高い笹)" だったと回答した. 笹は"Bamboo grass"とも言うのである。
  7. ^ 引用:「[二十年]七月十二日以後、沖縄を基地とするアメリカのB29は、ほとんど隔日に、しかもきまって午後十一時ごろ、東北鮮の羅津雄基に来襲し、そのつど多数の機雷を港内に投下していた。それ以前には、三月下旬に米軍機一機が上空を飛んでいったことがあっただけであった。"」[24]
  8. ^ 軍人病院を拡張するため農地を接収したことから地元の朝鮮人の反感を買っていると母親から説明されたおり。
  9. ^ エッカートはしかし、この頃の共産党員(共産主義者)というのは抗日の名のもとに決起した人たちなので、もちろん暴行は許容できないが、共産主義者を一様に悪者仕立てにするのは不当であると批判する
  10. ^ エッカートの引用:" There was no organized "Anti-Japanese Communist Army" of Korean soldiers, except for Kim Il Sung (later the leader of North Korea) and his guerrilla partisans in Manchuria, but they did not arrive in Korea until early September 1945, long after the events described in the book. "
  11. ^ 韓国の記事ではヨーコの村は豆満江の近くと書かれていたが[17]、土里と羅南の距離は100kmほどある。
  12. ^ このエピソードが起きたのは、下車した地点から、線路沿いに幾夜か移動した分、よりソウルに近づいた場所。
  13. ^ 松村負傷兵は、そのように言って緊迫状態を伝え避難を承知させている。
  14. ^ 小説のなかでは、日本は見たこともないとしており大陸生まれは明らかである。
  15. ^ 姓名の異なる721部隊の軍医少将川島清とは別人であるとしている[18]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 왓킨 & 스2005
  2. a b 黒田 (2007) 産経新聞2007-02-03
  3. a b 李恵慶 (2014), p. 38.
  4. ^ ワトキンス 2013
  5. ^ Amazon.co.jp ベストセラー: 本 の中で最も人気のある商品です”. Archive.is (2013年6月7日). 2013年8月18日閲覧。
  6. ^ So Far from the Bamboo Grove by Yoko Kawashima Watkins BookRags (英語)
  7. ^ Kim, Michael (December 2010). “The Lost Memories of Empire and the Korean Return from Manchuria, 1945-1950: Conceptualizing Manchuria in Modern Korean History”Seoul Journal of Korean Studies 23 (11): 195–223.
  8. ^ Choi, Hyeon-mi (최현미) (2005-05-09), “日소녀가 본 日패망 풍경 : ‘요코 이야기’… 식민정책 비판 등 담아”文化日報 (朝鮮語)
  9. ^ 聯合ニュース書評、2005年3月3日。Kim (M.), p. 197, n5で引用。
  10. ^ 李恵慶 (2014), pp. 38–39.
  11. a b c Lisa Kocian (2006年11月12日). “Ban book from class, panel says”(英語). ボストン・グローブオリジナル2012年10月22日時点によるアーカイブ。
  12. a b c 朝鮮日報 2007-01-18b
  13. ^ 朝鮮日報 2007-01-18a
  14. a b c d e Park Chung-a (2007年1月23日). “US: More American schools stop textbook falsifying Korea” (英語). Korea Times. オリジナル2012年3月22日時点によるアーカイブ。 (AsiaMedia Archive、UCLA アジア研究所にてアーカイブ化)
  15. a b 中央日報 2007-02-03a
  16. ^ Walach, Stephen (January 2008), “So Far from the Bamboo Grove: Multiculturalism, Historical Context, and Close Reading”The English Journal 97 (3) JSTOR 30046824
  17. a b 中央日報 2007-01-27
  18. a b 中央日報2007-02-16
  19. ^ 韓国紙から作者に対し竹は本当にあったのかという質疑や釈明要求がされている[18]
  20. a b c Park Soo-mee; Sohn Min-ho (2007年2月2日). “Controversial author stands by story of her war ordeal”. Korea JoongAng Daily / JoongAng Ilbo.オリジナル2011年7月18日時点によるアーカイブ。 (英語)
  21. a b c Eckert, Carter (2006年12月16日). “A Matter of Context”Boston Globeオリジナルの2009-0910時点によるアーカイブ。
  22. ^ Cho, Soyeon; Lee, Beomjun; Choung, Yeonsook (2017年8月). “Rare nationwide synchronized massive flowering and decline event of Sasa borealis (Hack.) Makino in South Korea”Journal of Plant Biology 60 (4): pp. 423–430
  23. ^ “Author of controversial U.S. book slightly changes account of questioned parts”Hankyoreh. Yonhap News. (2007年2月5日)
  24. a b 森田芳夫 『朝鮮終戦の記錄: 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚』 巌南堂書店1964年
  25. a b c Watkins (1994), Chapter 3.
  26. a b Watkins (1994), Chapter 2.
  27. a b “Korean Parents Angry over "Distorted" U.S. School Book”. Chosunilbo. (2007年1月18日)
  28. ^ “Controversial author stands by story of her war ordeal”. JoongAng Daily. (2007年2月2日). オリジナル2011年7月18日時点によるアーカイブ。
  29. ^ Watkins (1994), p. 9.
  30. ^ 中央日報2007-02-03b
  31. ^ 森田 (1964), pp. 28–29
  32. a b c d 聯合ニュース 2007-01-18
  33. ^ 中央日報 2007-02-17
  34. ^ Literary Lights for Children-past 1998”. The Boston Public Library. 2014年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月20日閲覧。
  35. ^ Courage of Conscience Award Recipients→75”. The Peace Abbey. 2014年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月20日閲覧。

参考文献[編集]

記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

No comments: