韓国における歴史歪曲の代価について
首都大学東京特任教授 鄭大均
「日帝強占期」の由来1910年、日本は大韓帝国(1897~1910年)を併合、1945年までの35年間、この地を支配した。この35年間を、近年、韓国では「日帝強占期(イルチェカンジョムギ)」と呼ぶ。「日本帝国主義がわが国を強制的に占領した時期」の意である。以前には「日帝時代」や「植民地時代」の呼称があり、更に前には「倭政時代」や「日政時代」の呼称もあった。それが今では、韓国のワープロで「日帝時代」とか「植民地時代」と打つと、自動的に「日帝強占期」に転換されたり、赤い下線が表示される。それは政治的に正しくない言葉ですよという警告である。
これではまるでジョージ・オーウェルの『1984年』みたいだなと思うが、しかしそれが北朝鮮の歴史観の反映であることを知ったのは最近のことである。ここには韓国における反日主義の複雑さがあり、そんなことにも気が付かないまま、「日帝強占期」の呼称はけしからんなどと考えていた自分の無知を思い知らされる。
端的にいえば、「日帝強占期」とは、北朝鮮の「人民民主主義的」な史観によって眺められた韓国史の時代区分であり、「日帝強占期」の後にくるのは「美帝強占期」である。つまり、今日の韓国はアメリカ帝国主義の占領下にあるというのが北朝鮮的な韓国史への眺めということになるが、この呼称を公的に使うものはいない。そんなことをしたら、「日帝強占期」の呼称が北朝鮮流の時代区分であることがすぐにばれてしまう。
とまれ、これは韓国の教育やメディアにおける北朝鮮の影響力を物語る事例であり、斯くして、今日の韓国人は日韓併合期をナチス・ドイツによるフランス占領のごとき「軽さ」で考えるとともに、その関心はますます戦時期の「慰安婦」や「強制徴用」の問題に集中、韓国人は日本人の戦争にかり出された一方的被害者であるという意識ばかりが刷り込まれる昨今である。
だが、「日帝強占期」の呼称は歴史を歪めるものである。そもそもこの時代の朝鮮は日本帝国に編入されていたのであって、占領状態にあったのではない。ナチス・ドイツによるフランス占領が4年間に過ぎなかったとしたら、日本による朝鮮支配は35年間も続いたのであり、韓国が外交権を失い、日本の保護国に転落した1905年から数えると、それは更に長くなる。またナチス・ドイツによるフランス占領期のフランスにはヴィシー政権があり、独立が維持されていたとすると、この時期の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、日本は自らの法や制度や言語を朝鮮の地に移植し、朝鮮人の日本人化を試みた。だから、レジスタンスや連合軍によって解放されたとき、フランスが4年前の国家と社会体制に復帰することができたのに対し、連合軍の勝利によって解放された朝鮮の地には、復帰するにも、大韓帝国の王朝や社会はもはや存在していなかった。こうしてみると、「日帝強占期」の呼称が韓国史の歪曲であるのは明らかであろう。それは韓国人の歴史観を益々空想的なものにし、自己責任の精神から乖離したものに仕立てあげているのである。
だが、これは韓国という国を部外者の目で眺めたときの議論である。その内側にいるものからすれば、日本による朝鮮統治とは違法であり、無効であり、従って我々が日本帝国の一員であったことはないということになる。韓国憲法の前文には「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓民国は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し」という一文がある。つまり今日の大韓民国は大韓帝国の正統性を継承する国家であって、日韓併合の時代など、存在しなかったということである。「日帝強占期」の呼称はこの憲法の精神と折り合いがよい。
しかし、それでは現実との間に辻褄の合わないことが起きてしまう。例えば1936年、ベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎(ソンキジョン)を、時の東亜日報はその胸にある日章旗を太極旗に換えて報道し、東亜日報はそれゆえ総督府から厳しい処罰を受けた。いわゆる「日章旗抹消事件」であるが、これは今でも勇気ある行動として称賛されている。また戦後の韓国には、ベルリンにあるオリンピック施設に赴き、孫選手の国籍を日本から韓国に書き換えようとした国会議員もいた。国家は消えてなくなることだってある。韓国はそれを経験したのだから、屈辱的であっても、それを認めた上で歴史を語ればよいと思うのだが、今日の韓国に見てとれるのは、あの時代に「韓国」や「朝鮮」という国家が世界地図から消えたことを認知したくないという感情や態度に寧ろ正統性を付与するという態度である。
二つの欲望
かつて人類学者のクリフォード・ギアーツが言っていたことだが、第二次世界大戦以後に独立した「新興国」に生きる人々には、二つの欲望に同時に駆り立てられる状況があって、両者の間に良い緊張関係が維持されるとき、国家は発展の推進力を得るが、二つの欲望はしばしば対立し、国家の発展を妨げる最大の障害になるものでもある。
一方が国際政治の舞台で一人前の存在として認められたいとか影響力を持つ国になりたいという欲望であるとしたら、他方は有能で活力ある現代国家を建設したいという欲望であり、前者が「自尊」を動機とするなら、後者は国民生活を向上させ、より良い政治体制を構築し、社会正義を拡大したいという実用的な欲望である。
「統合的革命」(『文化の解釈学』岩波現代選書所収)と題するこの論考で、ギアーツが念頭においていたのは多民族、多言語のアジア・アフリカ諸国であり、それらの国々において、人々の自己意識がともすれば血や人種や地域、宗教といった原初的(primordial)な紐帯の感覚と結びつきやすいものになることはよく知られている。そしてこの点で、韓国は、「新興国」の中では例外的に民族的同質性や言語的同質性を特徴とする国であり、また二つの欲望間によい緊張関係が維持されていた国でもあった。
その韓国に原初的紐帯の感覚が台頭するようになったのは80年代後半の民主化以後のことであろうか。この時期は韓国が「反共ナショナリズム」の国から「民族ナショナリズム」の国へとその国家アイデンティティを変容させた時期であり、それをもたらしたのは民主化の体験であろう。「反共ナショナリズム」が北朝鮮との異質性を重視する態度であるとしたら、「民族ナショナリズム」は寧ろその同質性を重視する。「反共ナショナリズム」が北に対する南の優越性、つまり民主主義や思想・信条の自由や市場経済を重視するとしたら、「民族ナショナリズム」は「統一」を重視する態度で、金日成の「抗日武装闘争」を評価するとか、アメリカに依存する自国の正統性に疑念を抱くというものもいる。
「民族ナショナリズム」の国へ
「反共ナショナリズム」と「民族ナショナリズム」のせめぎあいは韓国の歴史であり、それは大まかに親米・反北朝鮮の保守派と反米・親北朝鮮の進歩派のカテゴリーに重なるが、長い間優位の立場にあったのは「反共ナショナリズム」の側である。しかしこの時期にきて、変化が生じたのは何故なのか。故田中明氏が言うように、1948年以後の韓国において、「反共ナショナリズム」は「反共法」によって庇護されたイデオロギーであり、それは北朝鮮に対する脅威の感覚が健在の時代には安泰であったが、やがて北の脅威が減退すると、「反共ナショナリズム」は動員力を失ったということであろう。80年代後半は韓国が豊かな国、強い国になった時期である。民主化の過程で左翼解禁が進んだとき、その影響を受けた息子や娘たちの議論に対抗できる見解を親たちが準備していなかったという視点も重要であろう(田中明『韓国はなぜ北朝鮮に弱いのか』晩聲社、2004年)。
93年大統領に就任した金泳三はその就任演説で、「いかなる同盟国、思想、理念よりも民族が重要である」と述べて「民族ナショナリズム」の国への転換の歌を歌った。これは「民族ナショナリズム国家宣言」とでも言うべきスピーチであったが、この政権の対北政策には実のところ矛盾が少なくない。その意味で、本格的な民族ナショナリズムの国への転換がなされたのは、その後の金大中政権(1998~2003年)の時期と考えたほうがよい。今日の韓国に見てとれる、「同じ民族」である北の否定性には寛大であれという態度を国民に刷り込んだのは、この政権とそれを継承する盧武鉉政権(2003~2008年)であった。学校教科書に「日帝強占期(イルチェカンジョムギ)」を挿入させたのも金大中政権のときである。
その後の韓国に見てとれるのは、「民族ナショナリズム」という原初的感情に身を任せることを規範的とするような状況であるが、これは韓国にとって好ましいことなのだろうか。二つの理由で否である。第一に、原初的共同体を志向する「民族ナショナリズム」には、「反共ナショナリズム」の時代に韓国人が維持してきたナショナリズムに対するある種の自己抑制の態度が欠けているからであり、第二に、「民族ナショナリズム」の優勢は北朝鮮の国家犯罪や人権犯罪を幇助するからである。
とはいっても、筆者は「反共ナショナリズム」の時代の韓国を単純に称賛しているわけではない。「反共ナショナリスト」の時代の韓国は軍人が跋扈する時代であり、「反共ナショナリズム」の教育には、一卵性双生児の片割れである北朝鮮を敵と思えと教えるような非道徳性があった。
それでも、「反共ナショナリズム」には、韓国人のナショナリズムにある種のハンデの感覚を与え、その原初的感情が燃え盛ることを抑制することによって、「新興国」として出発した韓国が、合理的で活力ある現代国家として成長することを可能にした功績があるのだということは記憶されてよい。言い換えると、民族と国家を一致させようとする「民族ナショナリズム」には「新興国」をワナに陥れる危うさがある。韓国ナショナリズムがその民族分断というハンデ故に「半人前国家」としての欲求不満を味わったことには同情するとしても、韓国ナショナリズムはそれ故に原初的感情のフル稼働を断念せざるを得なかったのであり、それは韓国にとっては幸いなことであった。
加えて言えば、「民族ナショナリズム」の優位という状況は、「反共ナショナリズム」の時代に維持されていた「反共」と「反日」の均衡を切り崩すものでもあった。「反共」には「反日」を抑制する機能があったのであり、「反共」が後退すると、それは「反日」の活性化を生みだし、日本との関係を葛藤多きものにすると同時に、この国を政治的に引き裂かれた国にしたのである。
韓国は長い間、反日を標榜しつつも、活力ある現代国家建設のために日本をうまく利用してきた国であり、それはこの国が二つの欲望間の均衡を維持する秘訣でもあった。韓国は「反日的」という印象を与えながらも、その発展や繁栄に必要なモノやヒトや技術を日本から旺盛に取り入れていたのであり、それは「自尊の欲望」を抑止する力にもなっていたのである。
対日歴史戦の宣言
「日帝強占期」の呼称が金大中政権時に教科書に登場したことは先に記したが、より重要なのは2005年3月の盧武鉉大統領による対日歴史戦(対日外交戦争)の宣言であろう。これは政府自らが反日を主導することを公言したもので、大統領は「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫こうとする(日本の)意図をこれ以上放置することはできない」と述べ、巨費を投じて東北アジア歴史財団を設置する一方、「竹島」や「慰安婦」をテーマに日本非難の外交戦を始め、それは現在の朴槿恵政権になって、より先鋭化している。
2000年代といえば、対日歴史戦の前年、2004年3月に公布された「日帝強占下反民族行為真相糾明特別法」は近代法における「法の不遡及の禁止」の原則を簡単に放棄してみせた例であり、2011年の元従軍慰安婦の個人請求権放棄が違憲という憲法裁判所判決、更には2013年以後に相次ぐ「強制徴用工」に対する賠償金支払い判決は、「恨(ハン)解き(プリ)」という原初的感覚を近代法に融合させ、またそれを国際条約に優先させた例である。
多くの新興国に見られるのは、多民族、多言語、多宗教という条件が人心の不一致を生み出し、それが「自尊の欲望」と「実用的欲望」間の乖離を生み出す要因になるという状況である。ギアーツが言うように、「一人前の存在として認められたいという自己主張と、現代的で活力あるものとして存在したいという意志は、それぞれ別の方向へ進みがちであり、新興国の政治過程の多くは、それらを何とか同じ方向に向けておこうとする努力を中心に回転している」のである。しかし韓国の場合は、その民族的同質性の故に人心の一致が生み出されやすく、それが反日という原初的紐帯の感覚の暴走を助けるのである。
同語反復の精神を
近年、戦時期の朝鮮人の被害者性にまつわる韓国からの批判が繰り返されているのは何故か。その最も重要な要因は、彼らがかつては日本国民だったということを忘却しているという状況ではないかと筆者は考える。今日の韓国には、学校で教えられた「日帝強占期」の「悪意」や「悪政」が博物館や記念館に展示され、テレビで「再現」される過程で、ある種のリアリティを獲得するという状況があり、それは韓国人がかつて日本帝国の一員であったという記憶が国民的に忘却されてゆくにつれて、本質的な感情として語られるという状況がある。日本人が彼らの戦争に我々韓国人を「慰安婦」や「徴用工」として狩り出したのはけしからんという自他認識がそれで、それは国内的に有力な批判を受けることがないというだけではなく、国際社会においても違和感なく受け入れられることが多い故に、歯止めがきかないのである。このことに日本はどのように対処したらよいのだろうか。
何よりも、日本政府はこの時代の戦争に朝鮮人は日本帝国の一員として参加していたのだということを繰り返し語る必要がある。戦時期には「内地人」も「朝鮮人」も戦争にかり出されていたのであり、従って、韓国人の被害者性を特権的に語る態度はおかしいのである。同語反復を日本人は嫌うかもしれないが、それをしなかったら、韓国人が問題に気が付くことはないし、アメリカ人やその他の人々が韓国の議論のおかしさに気が付くこともない。「慰安婦」という言葉を聞いたとき、アメリカ人が連想するのは日本人の戦争にかり出され、傷ついた朝鮮人女性のことであろう。しかし戦場には、それ以上の数の日本人慰安婦がいたのであり、朝鮮人慰安婦は「内地人」のみならず「朝鮮人」をも相手にしていたのである。
しかしそうした議論を歴史戦のフロントにいる外務省の役人がきちんとやれるのかというと、そこには不安がある。彼らは知的で洞察力ある人間たちであろうが、それだけで韓国人と互角に戦えるわけではない。同じ秀才でも、韓国の役人たちには戦意の高さがあり、また日本との戦いは、国民やメディアによってバックアップされるとともに、人によっては、所属する教会の信徒たちの熱烈な祈祷に支えられている。
日本側は明らかに劣勢であり、韓国による日本いじめはこれからも続くだろう。1965年の日韓基本条約とともに法的に解決済みとなっているはずの日韓請求権協定に対する見直しの議論も提起されるだろう。「戦後補償」問題の原型は、70年代から80年代にかけて日本で議論されたことで、1984年全斗煥大統領が来日したときには、日本による朝鮮統治が過酷な帝国主義的支配であったことを認める「国会決議」をすべきという主張もあった。それを推進した日本の勢力は健在であり、今、韓国の左派や市民運動と共闘して日本批判を実践しているのは彼らである。日本には韓国の主張に連帯する「友」がいるのに対し、日本が隣国にそのような「友」をもつことができないのも苦しいところである。
それでも日本はいくつかのメッセージを韓国に伝える必要があると思う。第一に、日本による朝鮮統治が韓国人に屈辱の感情を与えているのは事実だとしても、戦後の韓国はその感情をバネにして復興を遂げ、豊かな国を作りあげたのであり、それに日本も協力したのである。これは、かつての侵略者と被侵略者が戦後に達成した類稀な成果と考えてよいのではないか。
第二に、韓国側が見せてくれる無垢な被害者というアイデンティティは、韓国という国を益々明るい国にすると同時に益々陰影の欠けた国にしているのではないか。影の無い国は怖い。韓国はそれでも、一卵性双生児の片割れである北に比べると、陰影に満ちた国ではあるが、それでも明るくなりすぎたのは韓流ドラマだけではないだろう。歴史歪曲の代価は決して小さくないのである。
鄭大均(てい たいきん)
首都大学東京特任教授。1948年岩手県生。専門はエスニック研究、日韓関係。著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)。最近の編書に『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)がある。
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한국의 역사 왜곡의 대가에 대해
수도대학교 도쿄특임교수 정대균
'일제강점기'의 유래 1910년 일본은 대한제국(1897~1910년)을 병합, 1945년까지 35년간 이 땅을 지배했다. 최근에는 한국에서는 ‘일제강점기(일제강점기)’라고 부른다. '나 '식민지 시대'의 호칭이 있고, 더욱이 전에는 '왜정 시대'나 '닛세이 시대'의 호칭도 있었다 . 그런데 조지 오웰의 '1984년' 같다고 생각하지만, 그것이 북한의 역사관의 반영임을 알게 된 것은 최근의 일이다. 단적으로 말하자면 '일제강점기'란 북한의 '인민민주주의적' 사관에 의해 바라본 한국사의 시대 구분이며 '일제강점기' 뒤에 오는 것은 '미제강점기'이다. 즉 한국은 미국 제국주의의 점령이다. 호칭을 공적으로 사용하는 것은 없다. 그런 일을 하면, 「일제 강점기」의 호칭이 북한류의 시대 구분인 것이 곧바로 버려져 버리고, 이것은 한국의 교육이나 미디어에 있어서의 북한의 영향력을 이야기하는 사례이며, 이와 같이 오늘의 한국인은 「가벼움」으로 생각하는 것과 동시에, 그 관심은 점점 전시기의 「위안부」나 「강제징용」의 문제에 집중, 한국인은 일본인의 전쟁에 걸린 일방적 피해자라는 의식만이 쇄도되는 요즘이다. 하지만 「일제 강점기」 의 나치스·독일에 의한 프랑스 점령이 4년에 불과했다면, 일본에 의한 조선 지배는 35년간 계속되었고, 한국이 외교권을 잃고, 일본의 보호국으로 전락한 1905년부터 세면, 그것은 더 길어진다. 점령기 프랑스에는 비시 정권이 있어 독립이 유지되었다고 하면 이 시기의 조선은 일본 제국의 일부를 구성하고 있었고, 일본은 스스로의 법이나 제도나 언어를 조선의 땅에 이식해 조선인의 일본인화를 시도했기 때문에 레지스탕스나 연합군에 의해 해방되었을 때 프랑스가 체제에 복귀할 수 있었던 것에 대해, 연합군의 승리에 의해 해방된 조선의 땅에는, 복귀하기에도, 한국제국의 왕조나 사회는 더 이상 존재하지 않았다. 하나님으로부터 괴리한 것에 지어주고 있는 것이다. 하지만 이것은 한국이라는 나라를 외국인의 눈으로 바라보았을 때의 논의이다. 라고 전통에 빛나는 우리 대한민국은 3·1운동에 의해 건립된 대한민국 임시정부의 법통 및 불의에 항거한 4·19민주이념을 계승한다”는 한 문장이 있다. 이 헌법의 정신과 접히는 것이 좋다. 그러나, 그러면 현실과의 사이에 갈등이 맞지 않는 것이 일어나 버린다 예를 들면 1936년, 베를린 올림픽의 마라톤에서 우 이긴 손기종을 때의 동아일보는 그 가슴에 있는 일장기를 태극기로 바꾸어 보도했고 동아일보는 그러므로 총독부로부터 엄격한 처벌을 받았다. 이른바 ‘일장기 말소 사건’이지만, 지금도 용기 있는 행동으로 칭찬받고 있다. 있어도, 그것을 인정한 뒤 역사를 말하면 좋다고 생각하지만, 오늘의 한국에서 볼 수 있는 것은, 그 시대에 「한국」이나 「조선」이라고 하는 국가가 세계 지도로부터 사라진 것을 인지하고 싶지 않다는 감정이나 태도에 의지하여 정통성을 부여한다고 하는 태도
이다 . 하지만 제2차 세계대전 이후 독립한 '신흥국'에 사는 사람들에게는 두 가지 욕망에 동시에 몰려드는 상황이 있어 양자 사이에 좋은 긴장관계가 유지될 때 국가는 발전의 추진력을 얻지만 두 욕망은 흔히 대립하고 국가의 발전을 막는다 . 대에서 1인분의 존재로 인정받고 싶다든가 영향력을 가진 나라가 되고 싶다는 욕망이라면, 다른 쪽은 유능하고 활력 있는 현대국가를 건설하고 싶다는 욕망이며, 전자가 '자존'을 동기로 한다면, 후자는 국민생활을 향상시키고, 보다 좋은 정치체제를 구축하고, 사회정의를 욕망하고자 하는 실용. 「통합적 혁명」(「문화의 해석학」이와나미 현대선서소수)이라는 제목의 이 논고에서, 기어츠가 염두에 두고 있던 것은 다민족, 다언어의 아시아·아프리카 제국이며, 그 나라들에서, 사람들의 자기 의식이 함께하면 피나 인종이나 지역, 종교라고 하는 원초적(pri mordial)한 끈대의 감각과 연결되기 쉬운 것이 되는 것은 잘 알려져 있다 그리고 이 점에서, 한국은, 「신흥국」중에서는 예외적으로 민족적 동질성이나 언어적 동질성을 특징으로 하는 나라이며, 또 두개의 욕망간에 좋은 긴장 관계가 유지되고 있던 나라이기도 했다. 그 한국에 원초적 끈대의 감각이 대두하게 된 것은 80년대 후반의 민주화 이후의 일일까. 무의 나라로 그 국가 아이덴티티를 변용시킨 시기이며, 그것을 가져온 것은 민주화의 체험일 것이다. 그렇다면 '민족 내셔널리즘'은 영원히 그 동질성을 중시한다. 그렇다면 '민족 내셔널리즘'은 '통일'을 중시하는 태도로 김일성의 '항일무장투쟁'을 평가하거나 미국에 의존하는 자국의 정통성에 의심을 안고 있다는 것도 있다.
'민족 내셔널리즘'의 나라에 '반공 내셔널리즘'과 '민족 내셔널리즘'의 모습은 한국의 역사이며, 대략 친미·반북한의 보수파와 반미·친북한의 진보파의 카테고리에 겹치지만 오랫동안 우위의 입장 에 있었던 것은 「반공 내셔널리즘」의 측이다. 그러나 이 시기에 와서, 변화가 생긴 것은 왜일까. 로기이며, 그것은 북한에 대한 위협의 감각이 건재한 시대에는 안태였지만, 이윽고 북한의 위협이 감퇴하면 '반공 내셔널리즘'은 동원력을 잃었다는 것이다. 기다. 민주화 과정에서 좌익 해금이 진행되었을 때 그 영향을 받은 아들과 딸들의 논의에 대항할 수 있는 견해를 부모들이 준비하지 않았다는 시점도 중요할 것이다(다나카 아키라 '한국은 왜 북한에 약한가' 만찬사, 2004년). 93년 대통령에 취임한 김영삼은 그 취임 연설에서 “어떤 동맹국, 사상, 이념보다 민족이 중요하다”고 말해 “민족 내셔널리즘”의 나라로 전환의 노래를 불렀다. 이것은 “민족 내셔널리즘 국가 선언”이라도 말해야 할 연설이었지만, 이 정권의 대북 정책에는 사실 모순이 적지 않다. 편이 좋다. 오늘날 한국에서 볼 수 있는 '같은 민족'인 북한의 부정성에는 관대하다는 태도를 국민에게 담은 것은 이 정권과 그것을 계승하는 노무현 정권(2003~2008년)이었다. 제강점기(일체강점기)를 삽입시킨 것도 김대중 정권 때다 . 한국에 있어서 바람직한 것일까. 두 가지 이유로 부인이다. 첫째, 원초적 공동체를 지향하는 「민족 내셔널리즘」에는, 「반공 내셔널리즘」의 시대에 한국인이 유지해 온 내셔널리즘에 대한 어떤 종류 의 자기억제의 태도가 부족하기 때문이며, 둘째, '민족 내셔널리즘'의 우세는 북한의 국가범죄와 인권범죄를 환조하기 때문이다 . 는 아니지만 '반공 내셔널리스트' 시대의 한국은 군인이 뛰는 시대이며 '반공 내셔널리즘'의 교육에는 일란성 쌍둥이의 한 균열인 북한을 적이라고 생각하는 가르침 같은 비도덕성이 있었다 . '반공 내셔널리즘'에는 한국인의 내셔널리즘에 어떤 종류의 핸디의 감각을 주고 그 원초적 감정이 불타는 것을 억제함으로써 '신흥국'으로 출발한 한국이 합리적이고 활력 있는 현대국가로 성장한다. 하는 것을 가능하게 한 공적이 있다는 것은 기억해도 좋다. 분단이라는 핸디에 '반인전 국가'로서의 욕구 불만을 맛본 것에 동정한다고 해도, 한국 내셔널리즘은 그러므로 원초적 감정의 풀 가동을 포기하지 않을 수 없었던 것이며, 그것은 한국에 있어서는 다행이다 게다가 말하면, 「민족 내셔널리즘」의 우위라는 상황은, 「반공 내셔널리즘」의 시대에 유지되고 있던 「반공」과 「반일」의 균형을 끊는 것이기도 했다 . ‘반공’이 후퇴하자, 그것은 ‘반일’의 활성화를 낳고 일본과의 관계를 갈등 많이 하는 것과 동시에 이 나라를 정치적으로 찢어진 나라로 한 것이다. 한국은 오랫동안 반일을 표방하면서도 활력 하는 현대국가 건설을 위해 일본을 잘 이용해 온 나라이며, 그것은 이 나라가 두 욕망 간의 균형을 유지하는 비결이기도 했다.
책에서 왕성하게 도입하고 있었고, 그것은 '자존의 욕망'을 억지하는 힘이 되어 있었던 것이다 . 2005년 3월 노무현 대통령에 의한 대일역사전(대일외교전쟁)의 선언일 것이다. 의도를 더 이상 방치할 수는 없다”고 말해 거비를 던져 동북아역사재단을 설치하는 한편, '다케시마'와 '위안부'를 테마로 일본 비난의 외교전을 시작해 그것은 현재의 박근혜 정권이 되어 더욱 선예화되고 있다. 2000년대라고 하면, 대일 역사전의 전년, 2004년 3월에 공포된 「일제 강점하 반민족 행위 진상규명 특별법」은 근대법에 있어서의 「법의 불소급의 금지」의 원칙을 간단히 포기해 보인 예이며, 2011년의 전 종군 위안부 청구권 포기가 위헌이라는 헌법재판소 판결, 게다가 2013년 이후 잇따르는 ‘강제징용공’에 대한 배상금 지급판결은 ‘원(解)’이라는 원초적 감각을 근대법에 융합시켜 또 그것을 국제조약에 우선시한 예이다. 많은 신흥국에서 볼 수 있는 것은 다민족, 다언어, 다종교라는 조건이 인심의 불일치를 낳고 그것이 '자존의 욕망'과 '실용적 욕망' 사이의 괴리를 낳는 요인이 되는 상황이다. 주장과 현대적이고 활력 있는 것으로 존재하고 싶다는 의지는, 각각 다른 방향으로 진행되기 쉽고, 신흥국의 정치 과정의 대부분은, 그들을 어떻게든 같은 방향으로 향하고자 하는 노력을 중심으로 회전하고 있다.」 그러나 한국의 경우는, 그 민족적 동질성의 그러므로 인심의 일치
가 만들어지기 쉽고, 그것이 반일이라는 원초적 끈대의 감각의 폭주를 돕는 것이다 . 그렇다는 것을 망각하고 있다는 상황이 아닐까 필자는 생각한다. 오늘의 한국에는, 학교에서 가르쳐진 「일제 강점기」의 「악의」나 「악정」이 박물관이나 기념관에 전시되어 텔레비전에서 「재현」되는 과정에서, 어떤 종류의 리얼리티를 획득한다고 하는 상황이 있어 , 그것은 한국인이 한때 일본 제국의 일원이었다는 기억이 국민적으로 망각되어 가면서, 본질적인 감정으로 말할 수 있는 상황이 있다. 그래서 그것은 국내적으로 유력한 비판을 받는 일이 없을 뿐 아니라 국제사회에서도 위화감 없이 받아들여지는 경우가 많아서 이를 막지 못하는 것이다 . 의 전쟁에 조선인은 일본 제국의 일원으로서 참가하고 있었다는 것을 반복해서 이야기할 필요가 있다. 싫을지도 모르지만, 그것을 하지 않았다면 한국인이 문제를 깨닫지 못하고 미국인과 다른 사람들이 한국의 논란의 이상함을 깨닫지 못한다. 한 조선인 여성일 것이다. 그러나 전장에는 그 이상의 수의 일본인 위안부가 있었고, 조선인 위안부는 「내지인」뿐만 아니라 「조선인」도 상대하고 있었던 것이다 . 그렇다면 거기에는 불안이 있다. 그들은 지적이고 통찰력 있는 인간들이겠지만, 그것만으로 한국인과 호각으로 싸울 수 있는 것은 아니다. , 사람에 따라서는, 소속하는 교회의 신도들의 열렬한 기도에 지지되고 있다 일본측은 분명히 열세이며, 한국에 의한 일본 괴롭힘은 앞으로도 계속될 것이다. 논의도 제기될 것이다.「전후 보상」문제의 원형은, 70년대부터 80년대에 걸쳐 일본에서 논의된 것으로, 1984년 전두환 대통령이 일본에 왔을 때에는, 일본에 의한 조선통치가 가혹한 제국주의적 지배였다는 것을 인정하는 「국회결의 또 있었다. 그것을 추진한 일본의 세력은 건재하고, 지금, 한국의 좌파나 시민 운동과 공투해 일본 비판을 실천하고 있는 것은 그들이다. 그럼에도 일본은 몇 가지 메시지를 한국에 전할 필요가 있다고 생각한다. 일본도 협력한 것이다. 이는 한때 침략자와 피침략자가 전후에 달성한 희귀한 성과라고 생각해도 좋을까 . 하고 있는 것은 아닐까. 그림자가 없는 나라는 무서운
. 타이킨) 수도 대학 도쿄 특임 교수.1948년 이와테현생.전문은 에스닉 연구, 일한 관계.저서에 「한국의 이미지」(중공 신서), 「재일·강제 연행의 신화」
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