山中峯太郎
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山中 峯太郎(やまなか みねたろう、1885年(明治18年)12月15日 - 1966年(昭和41年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、小説家、翻訳家。陸士19期・陸大退校(25期相当)、最終階級は陸軍歩兵中尉(依願免官)。
山中未成、大窪逸人、石上欣哉、三条信子などのペンネームも用いた。
経歴
幼年期 - 陸軍将校時代
大阪府で[1]呉服商を営んでいた馬淵浅太郎(旧・彦根藩士)の次男として生まれる[2]。幼少時に[1]、陸軍一等軍医(大尉相当官)山中恒斎の婿養子となり、のちに恒斎の娘の「みゆき」を娶った[2]。大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)、天王寺中学(現・大阪府立天王寺高等学校)を経て、1901年(明治33年)、大阪陸軍地方幼年学校(大幼)に入校[2]。大幼を卒業して陸軍中央幼年学校本科(中幼本科)に進み[2]、1904年(明治37年)に中幼本科(18期)を次席(総員265名)で卒業して恩賜の銀時計を拝受し[3]、明治天皇に対し御前講演を行った[1]。原隊となる近衛歩兵第3連隊(近歩三)での隊付勤務を経て[1]、陸軍士官学校(18期[2])に進んだが、脚気を患って自宅療養を命じられ、大阪の山中家に戻った(養父の山中恒斎は、山中が小学校に入る前に現役を退いて大阪に戻り、医院を営んでいた[1])[1]。
養父の医院は経営状態が思わしくなかった[1]。中幼本科に在校中から、休日には東京・麹町の大橋図書館(現・三康図書館の前身)に通って読書にふけっていた山中は、苦しい家計の一助になればと、処女作となる小説『真澄大尉』を執筆し、大阪毎日新聞に持ち込んだところ、高く評価されて同紙の連載小説に採用された[1]。『真澄大尉』は、主人公である真澄大尉がシベリアで3年間にわたって民間人に身をやつし、軍事探偵として挺身したことを描いたものであり、真澄大尉は、山中の後年の代表作『亜細亜の曙』などで同じく軍事探偵として活躍する本郷義昭少佐の原型といえる[1]。
本来は陸士18期であった山中であるが、自宅療養のために陸士卒業が1期遅れ(延期生[4])、1907年(明治40年)5月に卒業(19期[2]、12番/1,068名)[注釈 1]、近衛歩兵第3連隊附。陸士19期は一般に「中学組のみで、陸幼組を含まない」とされるが[3][5]、山中は陸幼組でありながら19期となったレアケース[1]。陸士在校中に、清国からの留学生と交流を深めた[1]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官[2]。
東條英機(陸士17期、陸軍大将、内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長)は山中と同じく原隊が近歩三であり[6]、同じ時期に近歩三で隊附勤務をしており[6]、晩年まで親しい仲であった[1][7][注釈 2]。1941年(昭和16年)に東條が陸軍大臣に就任すると、高名な作家となっていた山中は東條の「私的顧問」の役割を引き受け、例えば1942年(昭和17年)に刊行された『東條首相声明録 一億の陣頭に立ちて』(東條の訓示や演説をまとめた書)は「山中峯太郎 編述」となっている[1]。なお山中は東條より陸士の2期後輩であるが、陸大は山中が明治43年12月入校[2](25期相当[10])、東條が大正元年12月入校[6](27期[10])であり、山中の方が2年早く入校している。
1910年(明治43年)11月、陸軍歩兵中尉に進級[2]。同年12月、陸軍大学校に入校[2](陸大25期相当[10])。陸大は陸士同期生の1割程度しか入校できない難関であり[11]、何度目かの受験で中尉になってからようやく合格するのが当たり前であったが[1]、山中は少尉で受験しての「一発合格」を果たした[1]。山中は陸士19期(卒業者1,068名[12])で最初に陸大入校を果たし、かつ陸大25期の中で陸士19期は山中のみであった[13][注釈 3]。
山中が陸大に入校した翌年の1911年(明治44年)に辛亥革命が起きた。1913年(大正2年)7月に、辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制に反対する青年将校たち(その多くが、陸士で山中と交流を深めた清国からの留学生であった[1])によって第二革命が起きた[1]。
旧知の中国青年将校らの動きを知った山中は[1]、故意に陸大から退校させられるように振舞い[1]、同年[2][注釈 4]、退校処分となって近衛歩兵第三連隊附に戻った[2]。
帝国陸軍において陸大卒業の履歴は進級・補職に大きく影響し、陸大卒業の履歴を持たずに陸軍中央三官衙[15](陸軍省・参謀本部・教育総監部)で勤務し、あるいは高級指揮官(総軍司令官、方面軍司令官、軍司令官、師団長など)となることは困難であった[16]。
山中は陸大25期として1913年(大正2年)11月に陸大を卒業する予定であったが[10]、半年あまりの在校期間を残して自ら陸大を去り、帝国陸軍での栄達を放棄する決断をした。これは、一日でも早く休職して中国に渡り、第二革命に参加して同志たる中国の青年将校たちを助けたい一心からであった[1]。
1913年(大正2年)6月[2]、山中は東京朝日新聞通信員となって上海に渡り[1]、第二革命に身を投じた。同年7月に始まった第二革命は失敗に終わり、8月には終息した。山中は、日本に亡命する同志の中国青年将校らと共に日本に戻った(山中が帰国したのは同年9月[2])[1]。
同年12月には再び上海に渡り、翌年の1914年(大正3年)2月に帰国して近衛歩兵第三連隊附となり、軽謹慎1週間の懲罰を受け、依願免官[注釈 5]となって軍歴を閉じた[2]。
新聞記者・作家
陸軍を辞めた山中は、半年ほど経った9月に東京朝日新聞記者となった(1917年(大正6年)4月まで在職)[2]。
その後も第三革命にも関与するが、一方、「中央公論」「東方時論」「新小説」などに評論や読み物、小説を発表。1917年、淡路丸偽電事件の首謀者として逮捕され東京朝日新聞を退社、下獄。1919年出獄後、自らの宗教的告白『我れ爾を救ふ』を出版。一燈園の西田天香と交流する。この頃から「婦人倶楽部」「主婦之友」などの婦人雑誌に家庭小説や宗教小説を執筆するようになる。さらに倶楽部雑誌、少年少女雑誌でも活躍するようになり、講談社の雑誌が主舞台となる。1927年(昭和2年)から「少年倶楽部」に登場、1930年の『敵中横断三百里』で人気を博す(戦後に監督森一生、脚本黒澤明により「日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里」として映画化)。また『亜細亜の曙』『大東の鉄人』などの本郷義昭シリーズも広く知られる。
戦後は公職追放となり[18]、『実録・アジアの曙』など自伝的回想を発表している。
名探偵ホームズ全集
戦後になり、山中の戦前の諸作品が多く復刊されていたものの、山中が新作を発表する機会は激減していた[1]。
そのような中、ポプラ社が、海外の推理小説(当時の呼称は探偵小説)・冒険小説を、少年少女向けに読みやすく翻案した叢書『世界名作探偵文庫』を企画し、1953年(昭和28年)に山中にシャーロック・ホームズシリーズなどの執筆を依頼し、山中は快諾した[1]。本叢書の執筆陣には、山中に加えて江戸川乱歩、南洋一郎らが顔を揃えていた[1]。
『世界名作探偵文庫』は1954年(昭和29年)に刊行が開始され、第1回配本の3巻は、いずれも山中による第1巻『深夜の謎』(一般的なタイトルは『緋色の研究』、以下同じ)・第2巻『恐怖の谷』・第3巻『怪盗の宝』(『四つの署名』)であった[1]。当初の『世界名作探偵文庫』の企画では、同叢書に収録するシャーロック・ホームズシリーズはこの3点のみとする予定であり、同じく山中が執筆した第4巻『魔人博士』(サックス・ローマー著)と第5巻『灰色の怪人』(バロネス・オルツィ著)の2冊が続けて刊行された[1]。
しかし、ホームズもの3冊が圧倒的な売れ行きを示したため、ポプラ社は山中の執筆によるホームズものを『名探偵ホームズ全集』として独立させ、全20巻の叢書として完結させることに方針を変更した[1]。ポプラ社の担当編集者の後年の回想によると、自らが丹精を込めて翻案したホームズものがベストセラーになったことについて、戦後に髀肉の嘆をかこっていた山中の喜びは大きく、「ホームズもの全部を訳させて欲しいと言ってきた」という[1]。各巻は原稿用紙300枚近かったが、山中は毎月一冊のペースで書き進め、『名探偵ホームズ全集』(全20巻)は1956年(昭和31年)末までに完結し、2年間で100万部近くの部数に達した[1]。
山中は各巻の冒頭に載せた序文において、シャーロックホームズ・シリーズの翻案の趣旨を、読者たる少年少女に分かりやすい言葉で述べている。第1巻『深夜の謎』の序文から引用する。
ところが、なにしろ英国の作家だから、その小説には、当然に、英国人の古い習わし、風俗、わからないことばなどが、多分にふくまれていて、上手な訳文でも、日本のことに少年少女にはぴったりしない点、たいくつするところがすくなくない。そこで、この本は、『緋色の研究』を翻案して、日本の少年少女に、もっともおもしろいように、すっかり、書きなおしたのである。— 山中峯太郎、[19]
シャーロキアンである(日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員[20]、ベイカー・ストリート・イレギュラーズ会員[20])平山雄一は、山中の『名探偵ホームズ全集』を下記のように評している[1]。
- コナン・ドイルが執筆したシャーロックホームズシリーズの記述には、前後の辻褄が合わない、現実にはありえない描写など、多くの矛盾が存在する(「シャーロキアン#研究ごっこ」を参照)。
- 山中はそうした矛盾にいち早く気づき、さまざまな修正や加筆を行って矛盾を解消し、物語としての完成度を高めている。
- 『名探偵ホームズ全集』を注意深く読むと、各国のシャーロキアンが難解な論文で述べていることに既に山中が気づいていた例、さらには、今までにどのシャーロキアンも気づかなかった矛盾点が山中によって見いだされている例が多く見つかり、山中の独自性・先進性に驚かされる。
- 陸軍中央幼年学校本科卒業時に恩賜の銀時計を拝受し[3]、陸士19期の先頭で陸大入校を果たした[13]、当時の秀才を選りすぐった陸軍将校の中でも[21]、とりわけ頭脳明晰で知られていた山中ならではの業績であり、山中は日本で最初の「シャーロキアン研究家」といえよう[注釈 6]。
平山は、山中が自ら説明している「日本の少年少女がより楽しめるようにするための翻案」に成功して好評を博し[1][注釈 7]、それに加えて独自にシャーロックホームズ・シリーズを高いレベルで研究し、その成果を『名探偵ホームズ全集』に反映したのだと指摘している。
今村均による若き日の山中
山中と陸士19期の同期生である今村均が、回顧録で若き日の山中について詳しく述べている。
山中は陸士に18期として入校したが[2]、脚気を病んで自宅療養を余儀なくされ[1]、1期遅れの19期となった[2]。しかし、今村によると、19期が陸士に入校した時期の山中はすっかり健康を回復しており、大柄な体躯で良く肥えており[注釈 8]、丸顔で、度が強い近視の眼鏡を常用していた[13]。
今村によると、山中は大阪陸軍幼年学校・陸軍中央幼年学校本科の双方を首席卒業した俊英であり[注釈 9]、ドイツ人の教官と対等に会話できるほどの独語力を持ち[注釈 10]、陸士19期の入校初日から、候補生たちの注目の的であった[13]。
陸士の教育課程について行くためには、規定の自習時間には、時間を惜しんで教科書を勉強せねばならない状況であるのに、山中は自習時間に常にドイツ語の本を開いて何かをせっせと書いていた[13]。陸士の自習室で、今村は山中と席が近く、山中の様子を見ることができたのであるが、同期生たちは山中がドイツ語の本を読んで何を書いているのか不思議に思っていたという[13]。そして、山中がペンネームを使って大阪毎日新聞の懸賞小説(今日の小説新人賞)に翻訳小説を応募して第1位を獲得したことが候補生たちに知れ渡った[13]。その直後、今村は、山中のベッドの藁布団(マットレス)がひっくり返され、何冊かのドイツ語の本が発見・没収されたという話を聞き、山中が自習室でせっせと書いていたのは、くだんの翻訳小説であったのだろう、と理解した[13]。この件について山中が処罰を受けることはなく、山中の行動には何の変化もなかった[13]。
今村は下記のように記している[13]。
山中は、毎日の夕食後、陸士の校庭で30分ほど、キリスト教の説教をしており、何人かの候補生が常連となっていた[13]。当時の陸軍には、キリスト教を白眼視する雰囲気があった[13]。それなのに、規則づくめの陸士の中で、他の候補生にキリスト教を説く山中の勇気に、今村は感嘆した[13]。今村は山中の人となりに関心を強め、山中とじっくり話をしてみたいと願ったが、陸士を卒業するまで山中と話す機会を得なかったという[13]。
陸士では教官・中隊長・区隊長が候補生たちの教育にあたっていたが、候補生ともっとも近いのが区隊長(陸士の卒業成績が上位で、5年から6年の隊附勤務を経た青年将校が任じられる)であった[13]。区隊長は、担当する候補生について約1/3の科目の採点を行い、候補生の陸士卒業成績(陸軍将校としての将来、特に「陸大受験の機会を得られるか否か」を左右する[15])に対し、最大の影響力を有していた[13]。そのため、区隊長の一部には「職務権限」を濫用し、担当する候補生に威圧的に接し、些細な理由で暴力を振るう者がいた[13]。
成績優秀な山中は、担当の区隊長であるN中尉[注釈 11]に当初は一目置かれていたものの、次第に疎んじられるようになった[13]。陸士を卒業する1か月ほど前、教練の最中にN中尉と山中の間で諍いが起き、他の者が見ている前でN中尉が山中を殴る事件が起きた[13]。ただし、隠していたドイツ語の本を発見・没収された時と同様、山中が処罰されることはなかった[13]。
今村が「小学校以来首席をはずしたことがないと云われる秀才[13]」と評した山中は、陸士卒業の際は恩賜を逃した[12][13][注釈 12]。しかし山中は、陸士19期の先陣を切って、ただ一人、少尉で陸大入校を果たした[13]。
1968年(昭和43年)に死去した今村は、1966年(昭和41年)に死去した山中と晩年まで親しく交際していたが、山中が陸大を退校させられ、陸軍を去った経緯については、下記のように記している[13][注釈 13]。
陸大27期首席の栄誉に輝き[10]、陸士19期の出世頭として[14]、現役の陸軍大将・第8方面軍司令官で昭和20年の敗戦を迎えた今村が[14]、山中の頭脳に畏敬の念を持っていたことが分かる。
主な著作
以下で『→』が挟まるのは、雑誌掲載後に単行本化された作品で、『→』の左が掲載雑誌、右が単行本の出版社である。著作権は終了している。
- 『我れ爾を救ふ』全6冊、覚醒社書店(1920.11 - 1922.3)
- 『自舒伝 否』、覚醒社書店(1921.10)
- 『敵中横断三百里』、少年倶楽部(1930.4 - 9) → 大日本雄弁会講談社(1931.3)
- 『亜細亜の曙』、少年倶楽部(1931.1 - 1932.11) → 大日本雄弁会講談社(1932.9) → 河出書房新社(2018.12)
- 『大東の鉄人』、少年倶楽部(1932.8 - 1933.12) → 大日本雄弁会講談社(1934.6)→ 国書刊行会「熱血少年文学館」(1985)
- 『万国の王城』、少女倶楽部(1931.6 - 1932.12) → 大日本雄弁会講談社(1933.3)
- 『見えない飛行機』、幼年倶楽部(1935.4 - 1936.3) → 大日本雄弁会講談社(1936.3)→ 国書刊行会「熱血少年文学館」(1985)
- 『世界無敵弾』、幼年倶楽部(1936.4 - 1937.7) → 大日本雄弁会講談社(1937.6)
- 『覚(ボダイ)に生きる』、二見書房(1941.11)
- 『日本的人間』、錦城出版社(1942)→ 経営科学出版(2025、電子書籍も刊)- GHQ発禁図書での復刻
- 『決戦小説・神兵奇兵』、月刊 機械化(1943.11)
- 『実録・アジアの曙』、月刊文藝春秋(1962.2 - 10)→ 文藝春秋新社 (1962.10)
- 『実録・アジアの曙 第三革命の真相』、文藝春秋新社(1963.11)
- 『山中峯太郎集 少年小説大系3』三一書房(1991)
外国文学
- 「名探偵ホームズ全集」(全20巻)ポプラ社。1956年~1957年。各冊B6型。
(このシリーズは内容の順番と巻数表示が殆ど合致していないと云われている。<>内は内容による順序。) (「長編」と記載してあるもの以外は、短編集)
- <5>スパイ王者(黄色い顔、謎の自転車、スパイ王者) 1956年3月10日初版
- <8>火の地獄船(火の地獄船、奇人先生の最後、床下に秘密機械)1956年3月10日初版
- <13>獅子の爪 (試験前の問題、写真と煙、獅子の爪、断崖の最期)1956年3月25日初版
- <9>鍵と地下鉄 (歯の男とギリシャ人、鍵と地下鉄、二人強盗ホームズとワトソン)1956年3月31日初版
- <1>深夜の謎(長編。原題「緋色の研究」)1956年4月20日初版
- <14>踊る人形(虎狩りモーラン、耳の小包、踊る人形)1956年4月25日初版
- <3>怪盗の宝(長編。原題「四つの署名」)1956年4月25日初版
- <4>まだらの紐 (六つのナポレオン、口のまがった男、まだらの紐)1956年5月30日初版
- <2>恐怖の谷(長編)1956年7月5日初版
- <11>王冠の謎 (王冠の謎、サンペドロの虎、無かった指紋)1956年5月25日初版
- <15>悪魔の足 (悪魔の足、死ぬ前の名探偵、美しい自転車乗り、アンバリ老人の金庫室)1956年6月25日初版
- <10>夜光怪獣(長編。原題「バスカヴィル家の犬」)
- <6>銀星号事件 (銀星号事件、怪女の鼻目がね、魔術師ホームズ)
- <7>謎屋敷の怪 (青い紅玉、黒ジャック団、謎屋敷の怪)1956年6月20日初版
- <12>閃光暗号 (閃光暗号、銀行王の謎、トンネルの怪盗)
- <16>黒蛇紳士 (一体二面の謎、怪スパイの巣、猿の秘薬、黒蛇紳士、パイ君は正直だ)1956年8月5日初版
- <17>謎の手品師 (技師の親指、花嫁の奇運、怪談秘帳、謎の手品師)1956年8月30日初版
- <18>土人の毒矢 (金山王夫人、土人の毒矢、悲しみの選手、一人二体の芸当)1956年10月1日初版
- <19>消えた蝋面 (消えた蝋面、バカな毒婦、博士の左耳、犯人と握手して)1956年12月10日初版
- <20>黒い魔船 (黒い魔船、疑問の「十二時十五分」、オレンジの種五つ、ライオンのたてがみ)1957年3月10日初版
全集の前身は「世界名作探偵文庫」(1954年~。各冊B6型)であり(内容による順序<1>「深夜の謎」~<12>「閃光暗号」が収録されていた)、この「世界名作探偵文庫」の中でホームズものの売行きが突出して良いので、「名探偵ホームズ全集」が刊行される事になったが、「世界名作探偵文庫」版の在庫があったために「世界名作探偵文庫」版が品切になった巻や「世界名作探偵文庫」版に未収の巻で原稿ができあがった巻から刊行していったために内容の順序と巻数表示が一致していないという。また、度々装丁が変更され表紙画も途中で変更されているのは価格変更した際に古い価格の本と間違えないためだとされているが(北原尚彦『こどもの古本』ちくま文庫。p.36による)、同一価格で装幀が異なるものも発見されているので他の理由も存在すると思われる。
- 「名探偵ホームズ」ポプラ社文庫(全10冊)、各・1976年12月。新書サイズ(番号は文庫の整理番号。「長篇」と記載してあるもの以外は、短篇集)
- 21.深夜の謎「長篇」
- 22.怪盗の宝「長篇」
- 23.スパイ王者(黄色い顔、謎の自転車、スパイ王者)
- 24.火の地獄船(火の地獄船、奇人先生の最後、断崖の最期) *上掲の同題書と収録短編が異なる。
- 25.踊る人形(虎狩りモーラン、耳の小包、踊る人形)
- 26.鍵と地下鉄(歯の男とギリシャ人、鍵と地下鉄、二人強盗ホームズとワトソン)
- 27.夜光怪獣「長篇」
- 28.銀星号事件 (銀星号事件、怪女の鼻目がね、魔術師ホームズ)
- 29.謎の手品師(花嫁の奇運、トンネルの怪盗、謎の手品師) *上掲の同題書と収録短編が異なる。
- 30.恐怖の谷「長篇」
- 上掲の全集のものと文章が異なる部分がある。また、山中峯太郎の序文はすべて省略され巻末に中島河太郎氏の解説が付されている。
- 「名探偵ホームズ全集」全3巻、作品社(2017年1月・4月・7月)、各冊A5型。
(上記全集版を内容の順番に合わせて合冊復刻(すべて新組版))したもの。挿絵や表紙画は省略されている。平山雄一が詳細な註と解説を付している。
- 深夜の謎/恐怖の谷/怪盗の宝/まだらの紐 (六つのナポレオン、口のまがった男、まだらの紐)/スパイ王者 (黄色い顔、謎の自転車、スパイ王者)/銀星号事件 (銀星号事件、怪女の鼻目がね、魔術師ホームズ)/謎屋敷の怪 (青い紅玉、黒ジャック団、謎屋敷の怪)
- 火の地獄船 (火の地獄船、奇人先生の最後、床下に秘密機械)/鍵と地下鉄 (歯の男とギリシャ人、鍵と地下鉄、二人強盗ホームズとワトソン)/夜光怪獣/王冠の謎 (王冠の謎、サンペドロの虎、無かった指紋)/閃光暗号 (閃光暗号、銀行王の謎、トンネルの怪盗)/獅子の爪 (試験前の問題、写真と煙、獅子の爪、断崖の最期)/踊る人形(虎狩りモーラン、耳の小包、踊る人形)
- 悪魔の足 (悪魔の足、死ぬ前の名探偵、美しい自転車乗り、アンバリ老人の金庫室)/黒蛇紳士 (一体二面の謎、怪スパイの巣、猿の秘薬、黒蛇紳士、パイ君は正直だ)/謎の手品師 (技師の親指、花嫁の奇運、怪談秘帳、謎の手品師)/土人の毒矢 (金山王夫人、土人の毒矢、悲しみの選手、一人二体の芸当)/消えた蝋面 (消えた蝋面、バカな毒婦、博士の左耳、犯人と握手して)/黒い魔船 (黒い魔船、疑問の「十二時十五分」、オレンジの種五つ、ライオンのたてがみ)
- 「ポー推理小説文庫」ポプラ社。1962年(全5巻だが既刊3巻で中絶)
- モルグ街の怪声 1962年3月 - モルグ街の殺人
- 盗まれた秘密書 1962年3月 - 盗まれた手紙
- 黒猫 1962年5月
- セーヌ川の怪事件 続刊予定(不刊)- マリー・ロージェの迷宮事件
- 黄金虫 続刊(不刊)
- 「世界名作探偵小説選」(作品社、2019年1月、平山雄一解説)、新編での作品集成
- ポー「モルグ街の怪声」「黒猫」「盗まれた秘密書」
- バロネス・オルツィ「灰色の怪人」、サックス・ローマー「魔人博士」「変装アラビア王」
映像化作品
- 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里 (1957)
- アジアの曙 (1964-1965) テレビドラマ[注釈 14]
脚注
注釈
- ^ 「秦 2005, p. 167, 第1部 主要陸海軍人の履歴-陸軍-山中峯太郎」には、山中が陸士に18期として入校し、19期として卒業したことが明記されている。
- ^ 陸士の卒業期が2期違いであり、かつ原隊が同じであると、まず「上級生が見習士官、下級生が士官候補生」として、次いで「上級生が少尉、下級生が見習士官」として二度にわたって同時に隊附勤務をする巡り合わせとなるため、生涯にわたり、何でも相談できる「先輩・後輩」の間柄となることが多かった[8]。帝国陸軍の人事異動は概ね2年おきであり[8]、陸軍人事当局は業務の継続性を保つ観点から後任者の選定について前任者の意見を尊重したため[9]、「自分が良いポストに就くと、後任に親しい後輩を推薦する」ことも珍しくなかった[8]。
- ^ 陸大25期卒業者(55名)は陸士14期から陸士18期までで構成されており、陸士19期はいない[10]。陸大25期で唯一の陸士19期であった山中が退校処分となったため。陸士19期の出世頭となった今村均(昭和20年の敗戦時に現役の陸軍大将・第8方面軍司令官)は[14]、陸大27期(首席)であり[10]、山中は陸大入校で今村より2年先んじていた。
- ^ 陸大退校処分の時期は「大正2年」とのみ出典に記載されている[2]。
- ^ 「秦 2005, p. 167, 第1部 主要陸海軍人の履歴-陸軍-山中峯太郎」には「大正3年2月予備役」ではなく「大正3年2月依願免官」と記載されている。すなわち山中は、終身官(予備役、後備役、退役となっても、肩書が生涯にわたって消えることがない)である帝国陸軍将校としての地位[17]を完全に放棄したことになる。
- ^ 日本におけるシャーロキアンの草分けとされるのは長沼弘毅であるが、長沼は海外のシャーロキアンの研究を日本に紹介することに熱心であったものの、長沼自身による研究は少ない[1]。
- ^ 山中の『名探偵ホームズ全集』は昭和31年に完結してベストセラーとなり、昭和50年代まで版を重ねた[1]。2017年現在の日本で文筆活動を行うシャーロキアンである植田弘隆、日暮雅道、北原尚彦の3名は、いずれも山中の『名探偵ホームズ全集』を好意的に評価している[1]。
- ^ 偏った食生活、不健康な生活による肥満が問題とならなかった明治時代の日本では、「肥えている」という表現にネガティブな意味はなかった。
- ^ 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典(第二版)』によると、山中は、大阪陸軍幼年学校18期(明治36年10月卒業)では恩賜に入らず[22]、陸軍中央幼年学校本科18期(明治37年11月卒業)で恩賜(次席)[3]。今村の記憶違いか。
- ^ 陸士19期は、山中のような「延期生」を除いて全員が中学組であるため、基本的に英語しか学んでいない。陸幼ではドイツ語、フランス語、ロシア語のいずれかを履修したが(昭和に入ってから陸幼で履修できる外国語に英語が加わった[23])[23]、山中は陸幼でドイツ語を履修したものと思われる。
- ^ 出典に「N中尉」と記載されている。
- ^ 今村が記すように、候補生の陸士卒業成績に最大の影響力を持つのは担当の区隊長であり、山中は担当の区隊長であるN中尉に疎んじられていた。
- ^ 「平山 2017, pp. 601–608, 解説 『名探偵ホームズ全集』について-山中峯太郎について」によると、山中の陸大退校処分は、中国の第二革命に参加するために山中が自ら望んだもの。
- ^ 本郷義昭を主人公とする小説『亜細亜の曙』ではなく、戦後に刊行された自伝的回想『実録・アジアの曙』(1907年から1916年にかけての物語)のドラマ化。演出は大島渚。山中に相当する主人公・中山峯太郎は御木本伸介が演じた。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 今村 1980b, pp. 364–368, 第三部 追憶-士官候補生時代-同期生
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関連項目
- 日本の小説家一覧
- 冒険小説
- 森川久美:『南京路に花吹雪』などの著作で本郷義昭やその中国人名・黄子満の名前を使った(ただしこちらでは「本郷義明」)。
- 荒巻義雄:『紺碧の艦隊』・『旭日の艦隊』シリーズにおいて本郷義昭を登場させたり登場兵器のモチーフに取り上げている。
- 睦月影郎:ならやたかし名義で発表した『ケンペーくん』において主人公・南部十四郎憲兵大尉の上官および武道の師匠として本郷義昭を登場させた。
- 『シルバー假面』:リメイク作品の主人公として本郷義昭が登場。
- 『ルパン三世 PART6(2021年)』:前後編の5、6話にて次元大介と瓜二つな人物として本郷義昭が登場。(正体と名前が明かされるのは後編)
参考文献
- 石井正紀『陸軍員外学生』潮書房光人社(光人社NF文庫)、2014年。
- 今村均『続・今村均回顧録』芙蓉書房出版、1980b年。
- 尾崎秀樹『評伝山中峯太郎 夢いまだ成らず』(中公文庫、1995年、ISBN 4-12-202441-2)
- 北原尚彦『発掘!子どもの古本』(ちくま文庫、2007年、ISBN 978-4-480-423054)所収「原作より面白い?ポプラ社版『名探偵ホームズ」SS.30-39.
- 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。
- 半藤一利 他『歴代陸軍大将全覧 【昭和編】太平洋戦争期』(Amazon Kindle)中央公論新社、2013年。
- 平山雄一(解説・註作成)『名探偵ホームズ全集(コナン・ドイル 著、山中峯太郎 訳著)』 第一、作品社、2017a年。
- 平山雄一(解説・註作成)『名探偵ホームズ全集(コナン・ドイル 著、山中峯太郎 訳著)』 第二、作品社、2017b年。
- 平山雄一(解説・註作成)『名探偵ホームズ全集(コナン・ドイル 著、山中峯太郎 訳著)』 第三、作品社、2017c年。
- 藤井非三四『陸軍派閥』潮書房光人新社(光人社NF文庫)、2018年。
- 堀元美『造船士官の回想(上)』朝日ソノラマ(文庫版新戦史シリーズ)、1994年。
- 山口宗之『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』(増補)清文堂、2005年。
外部リンク
야마나카 미네타로
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야마나카 미네타로 (야마나카 미네타로, 1885년 ( 메이지 18년) 12월 15일 - 1966년 ( 쇼와 41년) 4월 28일 )는 일본의 육군 군인 , 소설가 , 번역가 . 육사 19기 · 육대 퇴교( 25기 상당), 최종계급은 육군 보병 중위 (의원 면관).
야마나카 미나리, 오쿠보 일인, 이시가미 기야, 산조 노부코 등의 펜네임도 사용했다.
경력
어린 시절 - 육군 장교 시대
오사카부 에서 [ 1 ] 오복 상을 운영하고 있던 마부치 아사타로(구· 히코네 번사 )의 차남으로서 태어난 [ 2 ] . 어린 시절 [ 1 ] , 육군 일등 군의 ( 대위 상당관) 야마나카 항사이의 사위양자가 되고, 나중에 항사이의 딸의 「미유키」를 받았다 [ 2 ] . 오사카 효행사 부속 초등학교(현· 추수문 학원 초등학교 ), 텐노지 중학(현· 오사카 부립 텐노지 고등학교 )을 거쳐 1901년 (메이지 33년), 오사카 육군 지방 유년학교 (대소)에 입교 [ 2 ] . 대소를 졸업하고 육군 중앙유년학교 본과(중유본과)로 가서 [ 2 ] , 1904년(메이지 37년)에 중유본과(18기)를 차석(총원 265명)에서 졸업하고 은사의 은시계 를 배수하고 [ 3 ] , 메이지 천황 에 대해 어전 강연을 실시했다 . 원대가 되는 근위보병 제3연대 (긴호3)에서의 대부근무를 거쳐 [ 1 ] , 육군사관학교(18기 [ 2 ]) )로 나아갔지만, 각기를 앓고 자택 요양을 명령받아 오사카의 야마나카가에 돌아왔다(양부의 야마나카 항사이는, 야마나카가 초등학교에 들어가기 전에 현역을 물러나 오사카로 돌아가, 의원을 영위하고 있었다 [ 1 ] ) [ 1 ] .
양부의 의원은 경영상태가 생각되지 않았다 [ 1 ] . 중유 본과에 재교중부터, 휴일에는 도쿄· 코지마치 의 오하시 도서관(현· 미야스 도서관 의 전신)에 다니고 독서에 빠져 있던 야마나카는, 괴로운 가계의 도움이 되면, 처녀작이 되는 소설 “마스미 대위”를 집필해, 오사카 매일 신문 에 반입 1 ] . 『마스미 대위』는 주인공인 마스미 대위가 시베리아에서 3년간 민간인에게 몸을 짓고 군사 탐정 으로 정신을 그렸다. 물건이며, 마스미 대위는, 야마나카의 후년의 대표작 「아세아의 눈물」등에서 같이 군사 탐정으로서 활약하는 혼고 요시아키 소령의 원형이라고 할 수 있다 [ 1 ] .
본래는 육사 18기였던 산중이지만, 자택 요양 때문에 육사 졸업이 1기 지연(연기생 [ 4 ] ), 1907년(메이지 40년) 5월에 졸업(19기 [ 2 ] , 12번/1,068명) [ 주석 1 ] , 근위보병. 육사 19기는 일반적으로 「중학조만으로, 육유조를 포함하지 않는다」라고 되지만 [ 3 ] [ 5 ] , 산중은 육유조이면서 19기가 된 레어 케이스 [ 1 ] . 육사 재교 중에 청국 으로부터의 유학생과 교류를 깊게 했다 [ 1 ] . 같은 해 12월, 육군 보병 소위 에 임관 [ 2 ] .
동조영기 (육사 17기, 육군 대장 , 내각총리대신 , 육군대신 , 참모총장 )는 야마나카와 마찬가지로 원대가 긴호3이며 [ 6 ] , 같은 시기에 긴호3에서 대부근무를 하고 있으며 [ 6 ] , 만년 까지 친한 사이 였다 [ 1 ] . 1941년(쇼와 16년)에 도죠가 육군 대신에 취임하면, 고명한 작가가 되고 있던 야마나카는 도죠의 「사적 고문」의 역할을 맡아, 예를 들면 1942년(쇼와 17년)에 간행된 「도죠 수상 성명록」 1억의 진두에 서서」(도조의 훈시나 연설을 정리한 서)는 「야마나카 미네타로 편술」이 되고 있다 [ 1 ] . 덧붙여 야마나카는 도죠보다 육사의 2기 후배이지만, 육대는 야마나카가 메이지 43년 12월 입교 [ 2 ] (25기 상당 [ 10 ] ), 토죠가 다이쇼 원년 12월 입교 [ 6 ] (27기 [ 10 ] )이며, 야마나카의
1910년(메이지 43년) 11월, 육군 보병 중위에 진급 [ 2 ] . 같은 해 12월, 육군대학교 에 입교 [ 2 ] (육대 25기 상당 [ 10 ] ). 육대는 육사 동기생의 1할 정도밖에 입교할 수 없는 난관이며 [ 11 ] , 몇번째의 수험으로 중위가 되고 나서 드디어 합격하는 것이 당연했지만 [ 1 ] , 야마나카는 소위로 수험하고의 「일발 합격」을 완수했다 [ 1 ] . 야마나카는 육사 19기(졸업자 1,068명 [ 12 ] )에서 최초로 육대 입교를 했고, 또한 육대 25기 중 육사 19기는 야마나카만이었다 [ 13 ] [ 주석 3 ] .
야마나카가 육대에 입학한 다음 해인 1911년(메이지 44년)에 신돼 혁명이 일어났다. 1913년(다이쇼 2년) 7월에 辛亥혁명 후에 손문 으로부터 정권을 빼앗은袁世凱의 전제에 반대하는 청년 장교들(그 대부분이 육사에서 산중과 교류를 깊은 청국으로부터의 유학생이었다 [ 1 ] )에 의해 제2혁명이 일어났다 [ 1 ] .
구지의 중국 청년 장교들의 움직임을 알게 된 야마나카는 [ 1 ] , 고의로 육대로부터 퇴교시킬 수 있도록 행동 [ 1 ] , 같은 해 [ 2 ] [ 주석 4 ] , 퇴교 처분이 되어 근위 보병 제3 연대 부에 돌아왔다 [ 2 ] .
제국 육군에 있어서 육대 졸업의 이력은 진급·보직에 크게 영향을 주고, 육대 졸업의 이력을 가지지 않고 육군 중앙 삼관담 [ 15 ] ( 육군성 · 참모 본부 · 교육 총감부 ) 에서 근무해, 혹은 고급 지휘관 (총군 사령관, 방면군 사령관, 군사령관 , 사단 )
야마나카는 육대 25기로서 1913년(타이쇼 2년) 11월에 육대를 졸업할 예정이었지만 [ 10 ] , 반년 넘는 재교 기간을 남기고 스스로 육대를 떠나, 제국 육군에서의 영들을 포기하는 결단을 했다. 이것은 하루라도 빨리 휴직하고 중국에 건너, 제2혁명에 참가해 동지인 중국의 청년 장교들을 돕고 싶은 일심으로부터였다 [ 1 ] .
1913년(타이쇼 2년) 6월 [ 2 ] , 야마나카는 도쿄 아사히 신문 통신원이 되어 상하이 에 건너 [ 1 ] , 제2혁명에 몸을 던졌다. 같은 해 7월에 시작된 두 번째 혁명은 실패로 끝나고 8월에는 종식했다. 야마나카는, 일본에 망명하는 동지의 중국 청년 장교들과 함께 일본에 돌아왔다(야마나카가 귀국한 것은 같은 해 9월 [ 2 ] ) [ 1 ] .
같은 해 12월에는 다시 상하이로 건너가 이듬해인 1914년(다이쇼 3년) 2월에 귀국해 근위보병 제3연대 부가 되어 경근신 1주일의 징벌을 받아 요청면관 [ 주석 5 ] 이 되어 군력을 닫았다 [ 2 ] .
신문 기자·작가
육군을 그만둔 야마나카는 반년 정도 지난 9월에 도쿄 아사히 신문 기자가 되었다(1917년(다이쇼 6년) 4월까지 재직) [ 2 ] .
그 후도 제3혁명에도 관여하지만, 한편, 「중앙공론」 「동방시론」 「신소설」등에 평론이나 독서, 소설을 발표. 1917년, 아와지마루 위전 사건 의 수모자로서 체포되어 도쿄 아사히 신문을 퇴사, 하옥. 1919년 출옥 후 스스로의 종교적 고백 『우리아를 구하』를 출판. 일등원 의 니시다 아마카와 교류한다. 이 무렵부터 ' 부인 클럽 ', ' 주부노유 ' 등 부인잡지에 가정소설과 종교소설을 집필하게 된다. 한층 더 클럽 잡지, 소년 소녀 잡지에서도 활약하게 되어, 코단샤 의 잡지가 주무대가 된다. 1927년(쇼와 2년)부터 ' 소년 클럽 '에 등장, 1930년 ' 적중 횡단 삼백리 '로 인기를 얻는다(전후 감독 모리 일생 , 각본 쿠로사와 아키라 에 의해 ' 일러 전쟁 승리의 비사 적중 횡단 300 리 '로 영화화). 또 『아세아의 눈물』 『대동의 철인』 등의 혼고 요시아키 시리즈도 널리 알려져 있다.
전후에는 공직추방이 되어 [ 18 ] , '실록·아시아의 눈물' 등 자전적 회상을 발표하고 있다.
명탐정 홈즈 전집
전후가 되어, 야마나카의 전전의 여러 작품이 많이 복간되고 있었지만, 야마나카가 신작을 발표할 기회는 격감하고 있었다 [ 1 ] .
그런 가운데, 포플러사가 해외의 추리소설(당시의 호칭은 탐정소설)·모험소설을, 소년소녀용으로 읽기 쉽게 농안한 叢書『세계명작탐정문고』를 기획해, 1953 년 ( 쇼와 28년)에 산중에 셜록 ·홈즈 시리즈 등 의 집필을 본총서의 집필진에는, 산중에 더해 에도 가와란호 , 난요이치로 등이 얼굴을 갖추었다 [ 1 ] .
『세계 명작 탐정 문고』는 1954년(쇼와 29년)에 간행이 개시되어, 제1회 배본의 3권은, 모두 산중에 의한 제1권『심야의 수수께끼』(일반적인 타이틀은『주홍색의 연구 』, 이하 같다 )・제2권『공포의 골짜기 』・제 3 권『괴도의 보물』당초의 「세계 명작 탐정 문고」의 기획에서는, 동서에 수록하는 셜록・홈즈 시리즈는 이 3점만으로 할 예정이며, 마찬가지로 야마나카가 집필한 제4권 「마인 박사」( 삭스 로머 저)와 제5권 「회색의 괴인」(바로 네스 오르치 저 ) 의 2 권 .
그러나, 홈즈의 3권이 압도적인 매출을 나타냈기 때문에, 포플러사는 산중의 집필에 의한 홈즈를 「명탐정 홈즈 전집」으로서 독립시켜, 전 20권의 서서로서 완결시키는 것으로 방침을 변경했다 [ 1 ] . 포플러 사의 담당 편집자의 후년의 회상에 의하면, 스스로가 정성을 담아 번안한 홈즈의 것이 베스트셀러가 된 것에 대해, 전후에 쇠고기의 한탄을 걸고 있던 산중의 기쁨은 크고, 「홈즈의 전부를 번역시켜 주었으면 한다고 말해 왔다」라고 [ 1 ] . 각 권은 원고 용지 300장 가까웠지만, 야마나카는 매월 1권의 페이스로 써 진행해, 「명탐정 홈즈 전집」(전 20권)은 1956년 (쇼와 31년) 말까지 완결해, 2년간에 100만부 근처의 부수에 이르렀다 [ 1 ] .
야마나카는 각 권의 시작 부분에 실린 서문에서 셜록 홈즈 시리즈의 번안의 취지를 독자인 소년 소녀에게 알기 쉬운 말로 말하고 있다. 제1권 「심야의 수수께끼」의 서문으로부터 인용한다.
그런데, 어쨌든 영국의 작가이기 때문에, 그 소설에는, 당연히, 영국인의 낡은 배움, 풍속, 모르는 말 등이, 아마도 푹 빠져 있고, 능숙한 번역문에서도, 일본에 소년 소녀에게는 딱 맞지 않는 점, 몇몇 곳이 굉장히 없다. 거기서, 이 책은, 「주홍색의 연구」를 번안해, 일본의 소년 소녀에게, 가장 재미있듯이, 완전히, 다시 쓴 것이다.— 야마나카 미네타로 , [ 19 ]
샤로키안 이다( 일본 셜록·홈즈·클럽 회원 [ 20 ] , 베이커·스트리트·레귤러즈 회원 [ 20 ] ) 히라야마 유이치 는, 산중의 「명탐정 홈즈 전집」을 아래와 같이 평가하고 있다 [ 1 ] .
- 코난 도일 이 집필한 셜록 홈즈 시리즈의 기술에는, 전후의 추첨이 맞지 않는, 현실에는 있을 수 없는 묘사 등, 많은 모순이 존재한다(「샤로키안#연구 놀이」를 참조).
- 야마나카는 그러한 모순을 재빨리 알아차리고, 다양한 수정이나 가필을 실시해 모순을 해소해, 이야기로서의 완성도를 높이고 있다.
- 『명탐정 홈즈 전집』을 주의깊게 읽으면, 각국의 샬로키안이 난해한 논문에서 말하고 있는 것에 이미 야마나카가 깨달고 있던 예, 나아가서는, 지금까지 어느 샤로키안도 눈치채지 못한 모순점이 야마나카에 의해 발견되고 있는 예가 많이 발견되어, 야마나카의 독자성·선진성에 놀라게 된다.
- 육군 중앙 유년학교 본과 졸업 시 은사의 은시계를 배수하고 [ 3 ] , 육사 19기의 선두에서 육대 입교를 완수했다 [ 13 ] , 당시 의 수재를 굳건한 육군 장교 중에서도 , 특히 두뇌 명수로 알려진 야마나카 특유의 업적이며, 야마나카는 일본 최초의 '샤로키안 연구가'라고 할 수 있다 [ 주석 6 ] .
히라야마는 야마나카가 스스로 설명하고 있는 ‘일본 소년소녀가 보다 즐길 수 있도록 하기 위한 번안’에 성공해 호평을 받고 [ 1 ] [ 주석7 ] 그에 더해 독자적으로 셜록 홈즈 시리즈를 높은 수준으로 연구해 그 성과를 ‘명탐정 홈즈 전집’에 반영한 것으로 지적했다.
이마무라 균에 의한 젊은 날의 야마나카
야마나카와 육사 19기의 동기생인 이마무라 균이 회고록에서 젊은 날의 야마나카에 대해 자세하게 설명하고 있다.
야마나카는 육사에게 18기로 입교했지만 [ 2 ] , 각기를 앓고 집 요양을 강요당하고 [ 1 ] , 1기 지연의 19기가 되었다 [ 2 ] . 그러나 이마무라에 의하면 19기가 육사에 입학한 시기의 산중은 완전히 건강을 회복하고 있어 몸집이 큰 체구로 잘 뻗어 있고 [ 주석 8 ] , 둥근 얼굴로, 도가 강한 근시의 안경을 상용하고 있었다 [ 13 ] .
이마무라에 의하면, 야마나카는 오사카 육군 유년학교 · 육군 중앙 유년학교 본과의 쌍방을 수석 졸업한 슌영이며 [ 주석 9 ] , 독일인의 교관과 대등하게 대화할 수 있을 정도의 독어력을 가지고 [ 주석 10 ] , 육사 19 기 의 입교 첫날부터 후보생들의 주목 .
육사의 교육과정에 대해 가기 위해서는 규정의 자습시간에는 시간을 아끼고 교과서를 공부해야 하는 상황인데, 야마나카는 자습시간에 항상 독일어의 책을 열고 뭔가를 얕게 썼다 [ 13 ] . 육사의 자습실에서 이마무라는 야마나카와 자리가 가까워 야마나카의 모습을 볼 수 있었지만, 동기생들은 야마나카가 독일어의 책을 읽고 무엇을 쓰고 있는지 이상하게 생각하고 있었다고 한다 [ 13 ] . 그리고, 야마나카가 펜네임을 사용해 오사카 매일 신문 의 경품 소설(오늘의 소설 신인상)에 번역 소설을 응모해 제1위를 획득한 것이 후보생들에게 알려졌다 [ 13 ] . 그 직후, 이마무라는, 산중의 침대의 짚불이(매트리스)가 뒤집혀, 몇 권의 독일어의 책이 발견·몰수되었다고 하는 이야기를 듣고, 야마나카가 자습실에서 세련되게 쓰고 있던 것은, 가짜의 번역 소설이었을 것이라고, 이해했다 [ 13 ] . 이 사건에 대해 야마나카가 처벌을 받지 않았고, 야마나카의 행동에는 아무런 변화도 없었다 [ 13 ] .
이마무라는 다음과 같이 적고 있다 [ 13 ] .
야마나카는 매일 저녁 식사 후 육사의 교정에서 30분 정도 기독교 의 설교를 하고 있어 몇몇 후보생이 단골이 되고 있었다 [ 13 ] . 당시 육군에는 기독교를 백안시하는 분위기가 있었다 [ 13 ] . 그런데 규칙 만들기 육사 중 다른 후보생에게 기독교를 전하는 산속의 용기에, 이마무라는 감탄했다 [ 13 ] . 이마무라는 야마나카의 사람이 되어 관심을 강하게 하고, 야마나카와 차분히 이야기를 해보고 싶었지만, 육사를 졸업할 때까지 야마나카와 이야기할 기회를 얻지 못했다고 한다 [ 13 ] .
육사에서는 교관·중대장·구대장이 후보생들의 교육에 해당하고 있었지만, 후보생과 가장 가까운 것이 구대장(육사의 졸업 성적이 상위로, 5년부터 6년의 대부 근무를 거친 청년 장교가 임임된다)였다 [ 13 ] . 구대장은, 담당하는 후보생에 대해 약 1/3의 과목의 채점을 실시해, 후보생의 육사 졸업 성적(육군 장교로서의 장래, 특히 「육대 수험의 기회를 얻을 수 있을지 어떨지」를 좌우한다 [ 15 ] )에 대해, 최대의 영향력을 가지고 있었다 [ 13 ] . 그 때문에, 구대장의 일부에는 「직무권한」을 남용해, 담당하는 후보생에 위압적으로 접하고, 사소한 이유로 폭력을 흔드는 자가 있었다 [ 13 ] .
성적 우수한 야마나카는 담당 구대장인 N 중위 [ 주석 11 ] 에 당초는 한눈에 놓여 있었지만 점차 희미해지게 되었다 [ 13 ] . 육사를 졸업하기 한 달 정도 전, 교련중에 N중위와 산중 사이에서 욕설이 일어나, 다른 사람이 보고 있기 전에 N중위가 산중을 때리는 사건이 일어났다 [ 13 ] . 다만, 숨겨져 있던 독일어의 책을 발견·몰수되었을 때와 같이, 산중이 처벌되는 일은 없었다 [ 13 ] .
이마무라가 “초등학교 이후 수석을 뺀 적이 없다고 말해지는 수재 [ 13 ] ”라고 평가한 야마나카는, 육사 졸업 때는 은사를 놓쳤다 [ 12 ] [ 13 ] [ 주석 12 ] . 그러나 야마나카는, 육사 19기의 선진을 끊고, 단지 1명, 소위로 육대 입교를 완수했다 [ 13 ] .
1968년(쇼와 43년)에 사망한 이마무라는 1966년(쇼와 41년)에 사망한 야마나카와 만년까지 친하게 교제하고 있었지만, 야마나카가 육대를 퇴교시켜 육군을 떠난 경위에 대해서는, 아래와 같이 기재하고 있다 [ 13 ] [ 주석 13 ] .
육대 27기 수석의 영예에 빛나 [ 10 ] , 육사 19기의 출세두로서 [ 14 ] , 현역의 육군 대장· 제8 방면군 사령관으로 쇼와 20년의 패전을 맞이한 이마무라가 [ 14 ] , 산중의 두뇌에 경외의 마음을 가지고 있었다.
주요 저작
이하에서 「→」가 끼는 것은, 잡지 게재 후에 단행본화된 작품으로, 「→」의 왼쪽이 게재 잡지, 오른쪽이 단행본의 출판사이다. 저작권이 종료되었습니다.
- 『우리아를 구하』전 6권, 각성사 서점(1920.11 - 1922.3)
- 『자계전 부』, 각성사 서점(1921.10)
- 『적중 횡단 삼백리』, 소년 클럽 (1930.4 - 9) → 다이니혼 유벤회 코단샤 (1931.3)
- 『아세아의 눈물』, 소년 클럽(1931.1 - 1932.11) → 대일본 유변회 코단샤(1932.9) → 카와데 서방 신사 (2018.12)
- 『다이토의 철인』, 소년 클럽(1932.8 - 1933.12) → 대일본 유변회 코단샤(1934.6)→ 국서 간행회「열혈 소년 문학관」(1985)
- 『만국의 왕성』, 소녀 클럽 (1931.6 - 1932.12) → 대일본 유변회 코단샤(1933.3)
- 『보이지 않는 비행기』, 유년 클럽(1935.4 - 1936.3) → 대일본 유변회 코단샤(1936.3)→ 국서 간행회 “열혈 소년 문학관”(1985)
- 『세계무적탄』, 어린 클럽(1936.4 - 1937.7) → 다이니혼 유벤회 코단샤(1937.6)
- 「각(보다이)에 살다」, 후타미 서방 (1941.11)
- 『일본적 인간』, 금성출판사(1942)→ 경영과학출판 (2025, 전자서적 도간) - GHQ 발금도서에서 복각
- 『결전 소설·신병 기병』, 월간 기계화 (1943.11)
- 『실록·아시아의 눈물』, 월간문예춘추 (1962.2 - 10)→ 문예춘추신사 (1962.10)
- 『실록·아시아의 눈물 제3혁명의 진상』, 문예춘추신사(1963.11)
- 『야마나카 미네타로집 소년 소설 대계 3』미이치 서방 (1991)
외국문학
- 「명탐정 홈즈 전집」(전 20권) 포플러사 . 1956년~1957년. 각 책 B6형.
(이 시리즈는 내용의 순서와 권수 표시가 거의 합치하고 있지 않다고 말해지고 있다.<>내는 내용에 의한 순서.) (「장편」이라고 기재하고 있는 것 이외는, 단편 편집)
- <5> 스파이 왕자(노란 얼굴, 수수께끼의 자전거, 스파이 왕자) 1956년 3월 10일 초판
- <8>불의 지옥선(화의 지옥선, 기인 선생님의 마지막, 바닥 아래에 비밀 기계) 1956년 3월 10일 초판
- <13>사자의 발톱(시험 전의 문제, 사진과 연기, 사자의 발톱, 절벽의 마지막) 1956년 3월 25일 초판
- <9> 열쇠와 지하철 (치아의 남자와 그리스인, 열쇠와 지하철, 두 사람 강도 홈즈와 왓슨) 1956년 3월 31일 초판
- <1>심야의 수수께끼(장편.원제 「주홍색의 연구」) 1956년 4월 20일 초판
- <14>춤추는 인형(호랑이 사냥 모란, 귀의 소포, 춤추는 인형) 1956년 4월 25일 초판
- <3>괴도의 보물(장편.원제 「4개의 서명」) 1956년 4월 25일 초판
- <4> 얼룩덜룩한 끈 (6개의 나폴레옹, 입이 뾰족한 남자, 얼룩덜룩한 끈) 1956년 5월 30일 초판
- <2> 공포의 계곡(장편) 1956년 7월 5일 초판
- <11>왕관의 수수께끼 (왕관의 수수께끼, 산페드로의 호랑이, 없었던 지문) 1956년 5월 25일 초판
- <15>악마의 다리(악마의 다리, 죽기 전의 명탐정, 아름다운 자전거 타기, 앰버리 노인의 금고실)
- <10>야광 괴수(장편.원제 「바스카빌 집의 개」)
- <6>은성호 사건 (은성호 사건, 괴녀의 코 눈이네, 마술사 홈즈)
- <7>수수께끼 저택의 괴 (푸른 홍옥, 검은 잭단, 수수께끼 저택의 괴) 1956년 6월 20일 초판
- <12>섬광 암호(섬광 암호, 은행왕의 수수께끼, 터널의 괴도)
- <16> 흑사 신사 (일체 이면의 수수께끼, 괴 스파이의 둥지, 원숭이의 비약, 흑사 신사, 파이 군은 정직하다) 1956년 8월 5일 초판
- <17>수수께끼의 마술사(기사의 엄지, 신부의 기운, 괴담 비장, 수수께끼의 마술사) 1956년 8월 30일 초판
- <18>토인의 독화 (가나야마 왕 부인, 토인의 독화, 슬픔의 선수, 1인 2명의 예당) 1956년 10월 1일 초판
- <19> 사라진 왁스면 (사라진 왁스면, 바보 같은 독부, 박사의 왼쪽 귀, 범인과 악수해) 1956년 12월 10일 초판
- <20>검은 마선(검은 마선, 의문의 「12시 15분」, 오렌지의 5종, 사자의 갈기)
전집의 전신은 「세계 명작 탐정 문고」(1954년~. 각 권 B6형)이며(내용에 의한 순서<1>「심야의 수수께끼」~<12>「섬광 암호」가 수록되어 있었다), 이 「세계 명작 탐정 문고」중에서 홈즈물의 매행이 돌출해 좋기 때문에, 」가 간행되는 일이 되었지만, 「세계 명작 탐정 문고」판의 재고가 있었기 때문에 「세계 명작 탐정 문고」판이 품절이 된 권이나 「세계 명작 탐정 문고」판에 미수의 권으로 원고가 완성된 권으로부터 간행해 갔기 때문에 내용의 순서와 권수 표시가 일치하고 있다. 또, 자주 장정이 변경되어 표지화도 도중에 변경되고 있는 것은 가격 변경했을 때에 낡은 가격의 책과 틀리지 않기 때문이라고 여겨지고 있지만(기타하라 나오히코 『어린이의 고본』치쿠마 문고.p.36에 의한다), 동일 가격으로 장폐가 다른 것도 발견되고 있기 때문에 다른 이유도 존재한다고 생각된다.
- 「명탐정 홈즈」포플러 사 문고(전 10권), 각·1976년 12월. 신서 사이즈(번호는 문고의 정리 번호. 「장편」이라고 기재하고 있는 것 이외는, 단편집)
- 21. 심야의 수수께끼 「장편」
- 22. 괴도의 보물 「장편」
- 23. 스파이 왕자(노란 얼굴, 수수께끼의 자전거, 스파이 왕자)
- 24. 불의 지옥선 (불의 지옥선, 기인 선생님의 마지막, 절벽의 마지막) * 위의 동제서와 수록 단편이 다르다.
- 25. 춤추는 인형 (호랑이 사냥 모란, 귀 소포, 춤추는 인형)
- 26. 열쇠와 지하철 (치아 남자와 그리스 사람, 열쇠와 지하철, 두 사람 강도 홈즈와 왓슨)
- 27. 야광 괴수 「나가편」
- 28.은성호 사건 (은성호 사건, 괴녀의 콧수염, 마술사 홈즈)
- 29. 수수께끼의 마술사 (신부의 기운, 터널의 괴도, 수수께끼의 마술사) * 위의 동제서와 수록 단편이 다르다.
- 30. 공포의 계곡 「나가편」
- 위의 전집과 문장이 다른 부분이 있다. 또, 야마나카 미네타로의 서문은 모두 생략되어 권말에 나카지마 카타로씨의 해설이 붙어 있다.
- 「명탐정 홈즈 전집」전 3권, 작품사 (2017년 1월·4월·7월), 각 책 A5형.
(상기 전집판을 내용의 순서에 맞추어 합권복각(모두 신조판))한 것. 삽화나 표지화는 생략되어 있다. 히라야마 유이치 가 상세한 주와 해설을 붙이고 있다.
- 심야의 수수께끼 / 공포의 계곡 / 괴도의 보물 / 얼룩덜룩 한 끈 (6 개의 나폴레옹, 입이 뾰족한 남자, 얼룩덜룩 한 끈) / 스파이 왕자 (노란 얼굴, 수수께끼의 자전거, 스파이 왕자) / 은성호 사건 (은성호 사건, 괴녀의 콧수염, 마술사 홈즈) (파란 홍옥, 검은 잭단, 수수께끼 저택의 괴)
- 불의 지옥선 (불의 지옥선, 기인 선생님의 마지막, 바닥 아래에 비밀기계) / 열쇠와 지하철 (치아의 남자와 그리스인, 열쇠와 지하철, 2명 강도 홈즈와 왓슨) / 야광 괴수 / 왕관의 수수께끼 (왕관의 수수께끼, 산 페드로의 호랑이, 무지한 지문 (섬광 암호, 은행 왕의 수수께끼, 터널의 괴도) / 사자 발톱 (시험 전 문제, 사진과 연기, 사자 발톱, 절벽의 마지막) / 춤추는 인형 (호랑이 사냥 모란, 귀 소포, 춤추는 인형)
- 악마의 다리 (악마의 다리, 죽기 전의 명탐정, 아름다운 자전거 타기, 앰버리 노인의 금고실) (기사의 엄지 손가락, 신부의 기운, 괴담 비장, 수수께끼의 마술사) (검은 마선, 의문의 「12시 15분」, 오렌지의 5종, 사자의 갈기)
- 「포추리소설문고」포플러사. 1962년(전 5권이지만 기간 3권으로 낙태)
- 모르그 거리의 괴성 1962년 3월 - 모르크 거리의 살인
- 도난당한 비밀서 1962년 3월 - 도난당한 편지
- 검은 고양이 1962년 5월
- 세느강의 괴사건 속간 예정(불간) - 마리 로제의 미궁 사건
- 황금충 속간(불간)
- 「세계 명작 탐정 소설 선」(작품사, 2019년 1월, 히라야마 유이치 해설), 신편에서의 작품 집성
- 포 “모르그 거리의 괴성” “검은 고양이” “도난당한 비밀서”
- 바로네스 오르치 '회색 괴인', 색소폰 로머 '마인 박사' '변장 아라비아 왕'
영상화 작품
- 러일 전쟁 승리의 비사 적중 횡단 삼백리 (1957)
- 아시아의 눈물 (1964-1965) TV 드라마 [ 주석 14 ]
각주
주석
- ↑ 「진 2005 , p.
- ↑ 육사의 졸업기가 2기 차이이며, 또한 원대가 같으면, 우선 「상급생이 견습사관, 하급생이 사관 후보생」으로서 다음에 「상급생이 소위, 하급생이 봐 습사관”으로서 두 번에 걸쳐 동시에 대부근무를 하는 순회가 되기 위해, 평생에 걸쳐, 무엇이든 상담할 수 있는 “선배·후배”의 간접이 되는 것이 많았다 [ 8 ] . 제국육군의 인사이동은 대체로 2년 간격이며 [ 8 ] , 육군인사당국은 업무의 연속성을 유지하는 관점에서 후임자의 선정에 대해 전임자의 의견을 존중했기 때문에 [ 9 ] , “ 자신이 좋은 포스트에 취하면 후임에 친한 후배 를 추천한다 ” 는 것도 드물다 .
- ↑ 육대 25기 졸업자(55명)는 육사 14기부터 육사 18기까지로 구성되어 있으며, 육사 19기는 없다 [ 10 ] . 육대 25기에서 유일한 육사 19기였던 야마나카가 퇴교 처분이 되었기 때문에. 육사 19기의 출세두가 된 이마무라 균 (쇼와 20년의 패전시에 현역의 육군 대장· 제8 방면군 사령관 )은 [ 14 ] , 육대 27기(수석)이며 [ 10 ] , 야마나카는 육대 입교로 이마무라보다 2년 앞서 있었다.
- ↑ 육대퇴교처분의 시기는 「다이쇼 2년」이라고만 출전에 기재되어 있다 [ 2 ] .
- ↑ 「진 2005 , p. 167, 제1부 주요 육해군인의 이력-육군-야마나카 미네타로」에는 「다이쇼 3년 2월 예비역」이 아니라 「다이쇼 3년 2월 요청 면관」 이라고 기재되어 있다. 즉 야마나카는, 종신관(예비역, 후비역, 퇴역이 되어도, 어깨가 평생에 걸쳐 사라지지 않는다)인 제국 육군 장교로서의 지위 [ 17 ] 를 완전히 포기한 것이 된다.
- ^ 일본에 있어서의 샤로키안의 초분으로 여겨지는 것은 나가누마 히로사키 이지만, 나가누마는 해외의 샤로키안의 연구를 일본에 소개하는 것에 열심이었지만, 나가누마 자신에 의한 연구는 적다 [ 1 ] .
- ^ 야마나카의 '명탐정 홈즈 전집'은 1971년에 완결되어 베스트셀러가 되어, 1950년대까지 판을 거듭했다 [ 1 ] . 2017년 현재 일본에서 문필활동을 하는 샬로키안 인 우에다 히로타카, 닛포 마사미치, 키타하라 쇼히코의 3명은 모두 야마나카의 '명탐정 홈즈 전집'을 호의적으로 평가하고 있다 [ 1 ] .
- ^ 편향된 식생활, 건강에 해로운 생활로 인한 비만이 문제가 되지 않았던 메이지 시대의 일본에서는 '비어 있다'는 표현에 부정적인 의미는 없었다.
- ^ 진이 히코 편 저 『일본 육해군 종합사전(제2판)』에 의하면, 야마나카는, 오사카 육군 유년 학교 18기(메이지 36년 10월 졸업)에서는 은사에 들어가지 않고 [ 22 ] , 육군 중앙 유년 학교 본과 18 기 (메이지 37년 11월 졸업 ) . 이마무라의 기억 차이?
- ^ 육사 19기는 야마나카와 같은 '연기생'을 제외하고 전원이 중학교이기 때문에 기본적으로 영어밖에 배우지 않았다. 육유에서는 독일어, 프랑스어, 러시아어 중 하나를 이수했지만(쇼와에 들어서 육유로 이수할 수 있는 외국어에 영어가 더해졌다 [ 23 ] ) [ 23 ] , 야마나카는 육유로 독일어를 이수한 것으로 보인다.
- ↑ 출처에 「N중위」라고 기재되어 있다.
- ^ 이마무라가 기록한 바와 같이, 후보생의 육사 졸업 성적에 최대의 영향력을 가지는 것은 담당의 구대장이며, 야마나카는 담당의 구대장인 N중위에 휩쓸리고 있었다.
- ↑ 「히라야마 2017 , pp. 601–608, 해설 『명탐정 홈즈 전집』에 대해서 - 야마나카 미네타로에 대해서」에 의하면, 야마나카의 육대 퇴교 처분은, 중국의 제2 혁명에 참가하기 위해서 야마나카가 스스로 바란 것.
- ↑ 혼고 요시아키를 주인공으로 하는 소설 『아세아의 눈물』이 아니라, 전후에 간행된 자전적 회상 『실록·아시아의 눈물』(1907년부터 1916년에 걸친 이야기)의 드라마화. 연출은 오오시마 나기사 . 야마나카에 상당하는 주인공 나카야마 미네타로는 미키모토 신스케 가 연기했다.
출처
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 히라야마 2017c , pp. 601–608, 해설
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 진 2005 , p. 167, 제1부 주요 육해군인의 이력-육군-야마나카 미네타로
- ^ a b c d 秦 2005 , pp. 629–631, 제3부 육해군 주요 학교 졸업생 일람-I 육군-7. 중앙 유년 학교(육군 사관학교 예과) 졸업생
- ↑ 후지이 2018 , pp. 115–125, 제3장 육사기, 원대, 병과벌 - 강조된 '동기' 실태
- ↑ 후지이 2018 , pp. 91–95, 제2장 유년 학교라는 존재-뒤 방패 없는 중학 출신자의 비애
- ^ a b c 진 2005 , p. 108, 제1부 주요 육해군인의 이력-육군-도조영기
- ↑ 반도 2013 , 위치 No. 699 - 748, 도조 에이키-국정, 군정, 통수의 정점에 서 있다: 「전진훈」의 전군 시달
- ↑ a b c 후지이 2018 , pp.
- ↑ 후지이 2018 , pp. 96–100, 제2장 유년학교라는 존재
- ^ a b c d e f g 秦 2005 , pp. 545–611, 제3부 육해군 주요학교 졸업생 일람-I 육군-1.
- ↑ 야마구치 2005 , p. 43
- ^ a b 秦 2005 , pp. 625–631, 제3부 육해군 주요학교 졸업생 일람-I 육군-6. 육군사관학교 졸업생
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 이마무라 1980b , pp. 364–368, 제3부 추억-사관 후보생 시대-동기생
- ↑ a b c 후지이 2018 , pp.
- ^ a b 다케이시 노리사 「육군 장교의 선발·승진 구조 --- 육유조와 중학조라는 두 개의 집단 ---」『교육 사회학 연구』 제87집, 일본 교육 사회 학회, 2010년, 25-45페이지, doi : 10.11151/eds.87.28 , 2 .
- ↑ 후지이 2018 , pp. 149–157, 제4장 텐포 센조와 무천조
- ↑ 호리 1994 , pp. 92–98, 제1장 대학출의 해군사관-쇼와 11년
- ↑ 총리청 관방 감사과 편 「공직 추방에 관한 각서 해당자 명부」히비야 정경회, 1949년, 692 쪽. NDLJP : 1276156 .
- ^ 히라야마 2017a , p. 6, 심야의 수수께끼 - 이 책을 읽는 사람에게
- ↑ a b 히라야마 2017c , p. 650, 저자/역자/해설·주 작성자 약력
- ↑ 이시이 2014 , pp. 19–31, 제1장 육군원 외학생
- ↑ 진 2005 , pp. 631–634, 제3부 육해군 주요 학교 졸업생 일람-I 육군-8.지방 유년 학교 졸업생
- ↑ a b 진 2005 , pp. 772–773, 제5부 육해군 용어 해설-어린이 학교(육군)
관련 항목
- 일본 소설가 목록
- 모험 소설
- 모리카와 쿠미 : '난쿄로에 하나부키 유키' 등의 저작으로 혼고 요시아키와 그 중국인명 황자만의 이름을 사용했다(단, 이곳에서는 '혼고 요시아키').
- 아라마키 요시오 : ' 감색의 함대 '· ' 욱일의 함대 ' 시리즈에서 혼고 요시아키를 등장시키거나 등장 무기의 모티브에 다루고 있다.
- 츠키츠키 에이로:나라야타카시 명의로 발표한 「켄페군」에 있어서 주인공 남부 토시로 헌병 대위의 상관 및 무술의 스승으로서 혼고 요시아키를 등장시켰다.
- 『실버 정면』:리메이크 작품의 주인공으로서 혼고 요시아키가 등장.
- 『루팡 3세 PART6 (2021년)』: 전후편의 5, 6화에서 차원 대스케 와 2개의 인물로서 혼고 요시아키가 등장. (정체와 이름이 밝혀지는 것은 후편)
참고문헌
- 이시이 마사키 『육군원 외학생』조서방 광인사 (광인사 NF 문고), 2014년.
- 이마무라 균「속·이마무라 균회 고록」 부유 서방 출판, 1980b년.
- 오자키 히데키『평전산 나카미네 타로 꿈 아직도 안 되어』
- 기타하라 나오히코『발굴! 아이의 고책」( 치쿠마 문고 , 2007년, ISBN 978-4-480-423054 ) 소수 「원작보다 재미?포플러 사판 「명탐정 홈즈」SS.30-39.
- 진진히코 편저「일본 육해군 종합사전」(제2) 도쿄대학 출판회, 2005년.
- 반도 이치리 외『역대 육군 대장 전람 쇼와편 태평양 전쟁기』( Amazon Kindle ) 중앙 공론 신사 , 2013년.
- 히라야마 유이치(해설·주 작성)『명탐정 홈즈 전집( 코난 도일 저, 야마나카 미네타로 역 저)』 제일, 작품사 , 2017a년.
- 히라야마 유이치(해설·주 작성)『명탐정 홈즈 전집( 코난 도일 저, 야마나카 미네타 로역 저)』 제2, 작품사 , 2017b년.
- 히라야마 유이치(해설·주 작성)『명탐정 홈즈 전집( 코난 도일 저, 야마나카 미네타로 역 저)』 제3, 작품사 , 2017c년.
- 후지이 비산사 『육군파벌』 조 서방 광인신사 (광인사 NF문고), 2018년.
- 호리모토미 『조선사관의 회상(상)』아사히 소노라마 (문고판 신전사 시리즈), 1994년.
- 야마구치 소노유키「육군과 해군-육해군 장교사의 연구」(증보) 기요분도, 2005년.
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山中峯太郎
GHQ検閲・GHQ焚書山中峯太郎
山中峯太郎山中峯太郎は陸軍士官学校に学び、陸軍大学校に進んだのだが、陸軍士官学校で山中と交流を深めた清国からの留学生の多くが辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制政治に反対していることを知り、大正二年(1913年)七月に、同志たる中国青年将校たちを助けるために陸大を中退して自ら第二革命に身を投じている。革命が失敗した後は山中は日 本に戻り、陸軍を辞めて東京朝日新聞の記者となる一方、『中央公論』『東方時論』『新小説』などに評論や読みもの、小説を発表していた。ところが大正六年(1917年)に、虚偽報道事件(淡路丸偽電事件)に関与したことで逮捕され朝日新聞社を退社。大正八年(1919年)に出獄後は、『少年倶楽部』『雄弁』など講談社の雑誌を中心に多くの小説や評論を寄稿したほか、戦前戦中で八十点に近い単行本も出していて、そのうちの十六点がGHQによって焚書処分されている。
戦後は公職追放され、山中が新作を発表する機会は激減したが、ポプラ社が昭和二十八年(1953年)に『世界名作探偵文庫』を企画し、山中にシャーロック・ホームズシリーズ三巻の執筆を依頼したところ圧倒的な売れ行きを示し、『名探偵ホームズ全集』として独立し二十巻が出版され二年間で百万部近くが売れたという。
本棚

山中の著作には児童書が多いのだが、大人向けに書かれた評論や小説もあり、いずれも非常にわかりやすく読みやすい文章で書かれている。今回紹介させていただく『日本的人間』(GHQ焚書)は、わが国の偉人たちの「日本的」なエピソードを集めたものだが、含蓄のあるいい話が多いので冒頭の部分をまず紹介したい。
目次
動静一如
親孝行とは
GHQに焚書処分された山中峯太郎の著書
動静一如
動静一如
「鳥が飛躍しようとする時、まず翼を重ねて、しばらく動かない。これが不動の姿勢である。号令一下、いかなる行動にも全力で出得るのが、不動の姿勢であって、凝り固まるのは、不動ではない。」
と、軍隊では教える。
動静一如、この心境こそ不動心であろう。
二宮尊徳は言う。
「不動尊は動かざれば尊しと読む。予が今日に至ったのは、不動心の堅固一つにある。」
不動心の堅固一つで足もとから、着々と動いて行ったところに、尊徳の 本領が察せられる。
一世一代
茶道は、動静一如の心境を体得させるという。
財界の益田孝は、茶席を開いて客を招くたびに、
「今日こそは、私の一世一代のお茶、これが最後のお茶であろう。」
いつもそう言うので、客が、
「また一世一代でございますか。」
ことごとに一世一代の気力をもってあたる。
今日を最後と観念する。このほかに、真剣な生活充実の道はないと思う。
決して死なぬ
気力で生きる強さを、福沢諭吉が、やはり体験の上から言う。
「気力の強い人間は、体が完全なのを維持して、俗にいう『剛情に長命』する実例がある。とにかく自分は、この世にまだ用のある身である。今死んでは困る故決して死なぬと一心決定して、平気剛情に身構えすることが、最大の療法である。たとえ病がおそってきても、少しも恐れたりするにたりない。随っておそって来れば、追い払うだけのものである。畢竟、現代の医者は、単に有形の身体を料理するばかりで、なおまだ、精神力に及んでいない。」
石川啄木は歌っていう。
こころよく我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思う。
働く仕事は山ほどある。我にはたらく仕事あり、それを仕遂げて生きんと思う決意で生きる。
平出海軍大佐はいう。
「決して死ぬな。」
適切な言である。
肉体克服
乃木大将の肉体は、殆んど不具に近いほど、故障だらけであった。
左足が、西南戦役の負傷によって、生涯不自由だった。左の眼が、瞳孔内の角膜白斑のため視力殆どなく、僅かに明暗を識別し得る程度だった。残る右眼は、強度の遠視だった。が、その不自由なのを、静子夫人でさえ数十年の長い間、気が付かなかった。
大将がそれを言わず、不自由なのを黙って克服していたからである。その上持病の痔が治らず、ひどい脱肛で烈しく出血する。乗馬して鞍を赤く染めながら、そのまま疾駆させた。リューマチスも持病だった。冬になると肩と肘の関節が自由を失う。腕と足の銃創も疼いた。歯は、日露戦争以前から、総入れ歯だった。
旅順要塞の総攻撃前に、海軍陸戦重砲隊を始めて訪問した時、厠から出てくると、ひどく顔色がわるい。河西副官が見てとって、
「どうかなさいましたか。」
「いや、血が少し…。」
大将は何気なく言われたが、愕然とした副官、重ねてたずねた。
「痔の方の出血をなさったのですか。」
「いや、血便だ。」
「それはいけません、すぐ帰りましょう。」
「なに、何でもない。出かけよう。」
乗馬して前線へ出ると、高地から低地へ、また高地へ、およそ六里にわたる攻撃配備を、ことごとく視察しつづけた。
司令部へ帰ってきたが、それきり黙っている乃木軍司令官を、軍医が診察してみると、赤痢だった。
「閣下、御静養を願います。」
「そうかな、まあいいよ。」
『そうかな、まあいいよ。』と気力で押し切って静養もせず、十日ほどすると治って、総攻撃の日には、前線へ出て自ら指揮した。山中峯太郎 著『日本的人間』錦城出版社 昭和17年刊 p.2~7
こんな具合に、前後の内容につながりはないのだが、どのページを開いても「日 本的人間」のテーマで面白くてためになる短い文章が書かれている。
本棚
親孝行とは
和田豊治和田豊治は、明治・大正期の財界人で第一生命保険、伊藤忠、理化学研究所、日本工業倶楽部などの設立に関与した人物であるが、渋沢栄一から信州の孝行者の話を聞いて大いに感動し、同様の精神で自分の母親に対して孝行を実践したという。
形式
昔、江州(現在の滋賀県)の孝行者が、自分は世間から孝行だと賞(ほ)められるが、まだ十分ではない。信州(現在の長野県)に大の孝行者があるというから、往って修業しようと思い、わざわざ出かけて行った。
その家をたずねて、暫く待っていると、伜(せがれ)が柴を背負って帰って来た。家へ入るや否や、老母は出て柴を降ろしてやる。伜は平気で老母に柴の始末の手伝いをさせている。
その態度を見て、江州の者はこれは変だと思っていたが、続いて老母は伜の草鞋の紐を解いてやる。おまけに足まで洗ってやる。
この様子を見て、「親孝行などとはとんでもないことだ。世間の評判など当てにならぬ。」と憤慨した。すると、その男が、今度は疲れたといって、ゴロリと横になった。老母は足をもんでやった。
この態度を見た江州者は、もはや我慢できず、
「自分は孝行の修業に来たのである。ところが今までの様子を見ていると、孝行どころか、むしろ親不幸である。実にとんでもない奴だ。」
真っ赤になって呶鳴った。
すると伜はいった。
「自分は孝行とはどんなものか知らないが、私の母は、草鞋の紐を解いたり、足を揉んでくれるのを喜んでいるのだ。もしそれを断ると大そう機嫌が悪い。わしは何でも母の言う通りになっているのだ。」
江州の孝行者は、ハタと膝を打って、
「なるほどわかった。自分のこれまでの孝行は、いかにも形式であった。」
いたく感じたという。
孝の呼吸
和田豊治氏は、右の話を渋沢栄一氏から聴いたが、やはり深く感動して、自分が従来母親に仕えている精神が、信州の孝行者と一致したといって、話されるのを聞くと、
同氏の老母は、当時八十七歳の高齢であったが、六十三歳の和田氏を、なお赤ん坊のように、やれ風邪にかかるな、やれ炬燵にはいれのと注意されるそうだ。
朝飯の時には、老母は氏のために、茹で卵を細かにして、御飯の上にかけてやられたそうで、氏はそれを喜んで食べたという。
また晩酌をやれといわれて、和田氏が僅かずつやられると、頗る老母の機嫌が悪く、そのため、小さな徳利を買って来て、十分に酒を入れ、老母に酌をしてもらったという。
親は子を愛するものだから、その愛情を満足させることが何よりも肝要である。孝行の呼吸は実にここに在る。和田氏はそれを実行したのである。
ある冬、同氏は自邸へ友達を呼んで、海豚(ふぐ)の雑炊をふるまわれた。
その時、老母は氏の傍らへ来て、
「味はどうだい。」
「大そう結構ですから、お母さんもお上がりなさい。」
和田氏は、自分の茶碗箸諸共に老母へ渡された。すると老母は嬉しそうに受取って食べ、また和田氏へ返された。氏はその残りをさっさと食べてしまわれた。
友人達、涙して感激した。
「なんと温かい、麗しいことではないか。」同上書 p.36~39
こんないい話がいくつもあって読んでいて飽きないのだが、西尾幹二氏はよほどこの 本を気に入られたのであろう、『GHQ焚書開封12 日本人の生と死』で、この書物の紹介に80ページ近くも割いておられる。
GHQに焚書処分された山中峯太郎の著書
山中峯太郎の戦前・戦中の著書のうち、以下の十六点がGHQによって焚書処分されているのだが、焚書点数の多さでは、野依秀市、仲小路彰、長野朗についで四番目になる。
下記のリストで「分類」欄の
・「〇」は、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネットで一般公開されている本でログインの不要なもの。
・「△」は「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをして、ログインすることによってネットで読める本。
・「×」はデジタル化されているが、国立国会図書館に行かないと読めない本。
・空欄は国立国会図書館に蔵書がないか、デジタル化未済であることを意味している。
本棚
タイトル 著者・編者 出版社 分類 国立国会図書館デジタルコレクションURL 出版年 備考
偉人二等兵 山中峯太郎 東洋堂 国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済 昭和15
一億の陣頭に立ちて : 東条首相声明録 山中峯太郎 編 誠文堂新光社 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1044812 昭和17
汪精衛:新中国の大指導者 山中峯太郎 潮文閣 〇 https://dl.ndl.go.jp/pid/1057935 昭和17
草むす屍: 北方塹濠線四十里 山中峯太郎 春陽堂 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1025269 昭和13 皇国苦戦記 ; 2
皇兵 山中峯太郎 同盟出版社 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1117796 昭和15
聖戦一路 : 五軍並進の包囲戦 山中峯太郎 春陽堂書店 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1031233 昭和13
聖戦外史 草むす屍 山中峯太郎 八紘社杉山書店 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1035195 昭和18
狙日第五列 : 見えざるスパイ 山中峯太郎 同盟出版社 〇 https://dl.ndl.go.jp/pid/1106572 昭和15
大東亜維新の今後 山中峯太郎 二見書房 〇 https://dl.ndl.go.jp/pid/1275931 昭和17
大陸非常線 山中峯太郎 大日本雄弁会講談社 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1212510 昭和8
戦に次ぐもの 山中峯太郎 春陽堂 〇 https://dl.ndl.go.jp/pid/1717143 昭和13 皇国苦戦記 ; 4
鉄か肉か 山中峯太郎 誠文堂新光社 国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済 昭和15
泥の担架 山中峯太郎 日 本兵書出版 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1256787 昭和13
日本的人間 山中峯太郎 錦城出版社 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1043055 昭和17 錦城新書
日本を予言す 山中峯太郎 偕成社 △ https://dl.ndl.go.jp/pid/1268347 昭和12
黎明日本の巨火 吉田松陰 山中峯太郎 潮文閣 〇 https://dl.ndl.go.jp/pid/1036061 昭和17
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야마나카 미네 타로의 "일본적 인간"을 읽는다.

야마나카 미네타로는 육군 사관학교에 배우고 육군대학교로 진행되었지만 , 육군사관학교에서 야마나카와 교류를 깊게 한 청국으로부터의 유학생의 대부분이 신정혁명 후에 손문으로부터 정권을 빼앗은 조세 개선의 전제 정치에 반대하고 있는 것을 알고, 다이쇼 2년(1913년) 7월에, 동지인 중국 청년 장교들을 돕기 위해 육대를 중퇴해 스스로 제2혁명에 몸을 던지고 있다 . 혁명이 실패한 뒤에는 야마나카는 일본 으로 돌아와 육군을 그만두고 도쿄 아사히신문의 기자가 되는 한편, '중앙공론', '동방시론', '신소설' 등에 평론과 독서, 소설을 발표했다. 그런데 다이쇼 6년(1917년)에, 허위 보도 사건(아와지마루 위전 사건)에 관여한 것으로 체포되어 아사히 신문사를 퇴사. 다이쇼 8년(1919년)에 출옥 후는 '소년 클럽' '웅변' 등 코단샤의 잡지를 중심으로 많은 소설이나 평론을 기고한 것 외에 전전전 중 80점에 가까운 단행본도 내놓고 있으며 그 중 16점이 GHQ에 의해서 서서 처분되고 있다 .
전후는 공직 추방되어, 야마나카가 신작을 발표할 기회는 격감 했지만, 포플러사가 쇼와 28년(1953년)에 「세계 명작 탐정 문고」를 기획해, 야마나카에 셜록·홈즈 시리즈 3권의 집필을 의뢰했더니 압도적인 매도를 나타내, 『명탐정 홈즈 전집』으로 독립해 20권이 출판되어 2년간 백만부 가까이가 팔렸다고 한다.

야마나카의 저작에는 아동서가 많지만, 어른용으로 쓰여진 평론이나 소설도 있어, 모두 매우 알기 쉽게 읽기 쉬운 문장으로 쓰여져 있다. 이번에 소개하는 '일본적 인간'(GHQ 焚書)은 우리나라 위인들의 '일본적' 에피소드를 모은 것이지만, 함축이 있는 좋은 이야기가 많기 때문에 처음 부분을 먼저 소개하고 싶다.
동정일여
동정일여
“새가 비약하려고 할 때 우선 날개를 거듭하고 잠시 움직이지 않는다. 이것이 부동의 자세이다
.
동정일여, 이 심경이야말로 부동심일 것이다.
니노미야 존덕은 말한다.
"부동존은 움직이지 않으면 존중과 읽는다. 예가 오늘에 이른 것은 부동심
의 견고한 하나에 있다 . "일세 일대
다도는 동정일자의 심경을 체득시킨다고 한다.
재계의 마스다 타카시는, 다석을 열고 손님을 초대할 때마다,
「오늘이야말로, 나의 일세 일대의 차, 이것이 마지막 차일 것이다.」
언제나 그렇게 말하기 때문에, 손님이,
「또
일세 일대입니까.
오늘을 마지막으로 관념한다. 이밖에 진지한 생활 충실의 길은 없다고 생각한다.결코 죽지 않는
기력으로 사는 힘을 후쿠자와 사키요시가 역시 체험 위에서 말한다.
“기력이 강한 인간은 몸이 완전한 것을 유지하고 속에 말하는 『강정에 장명』하는 실례가 있다. 어쨌든 자신은, 이 세상에 아직 용이한 몸이다. .. 비록 병이 와도 조금도 두려워하기도 하지 않는다
.
마침내 나에게 일하는 일도
그것을 마무리하고 죽을 것이라고 생각한다.
일하는 일은 산만큼 있다. 나에게는 일이 있고 그것을 마무리하고 살아가는 결의로 살아간다.
히라데 해군 대령은 말한다.
"결코 죽지 말아라."
적절한 말이다.육체 극복 노기
야마나카 미네타로 저 「일본적 인간」 니시키성 출판사 쇼와 17년간 p.2~7
대장의 육체는 대부분 불량에 가까울수록 고장 투성이였다.
왼발이 서남 전역의 부상으로 인해 평생 부자유했다. 왼쪽 눈은 동공의 각막 백반으로 인해 시력이 거의 없으며 약간 어두운 부분을 확인할 수있었습니다. 남은 우안은 강도의 원시였다. 하지만, 그 불편한 것을, 시즈코 부인조차 수십년의 오랫동안, 깨닫지 못했다.
대장이 그것을 말하지 않고, 부자유를 묵묵히 극복하고 있었기 때문이다. 그 상지병의 치질이 낫지 않고 심한 탈항으로 격렬하게 출혈한다. 승마하고 안장을 붉게 물들면서 그대로 질구시켰다. 류마티스도 지병이었다. 겨울이 되면 어깨와 팔꿈치의 관절이 자유를 잃는다. 팔과 다리의 총창도 얕았다. 치아는 러일전쟁 이전부터 총 틀니였다.
여순 요새의 총 공격 전에 해군 육전 중포대를 시작하여 방문했을 때 갑옷에서 나오면 심하게 안색이 난다. 카사이 부관이 보고 잡아,
「어떻게 했습니까.」 「
아니, 피가 조금
…
「치질 쪽의 출혈을 했습니까.」
「아니, 피변이다.」
「그것은 하지 말고, 곧 돌아가자.」
「뭐, 아무것도 아니다. 외출하자.
」
사령부로 돌아왔지만, 그냥 조용히 하고 있는 노기군 사령관을, 군의가 진찰해 보니, 이질이었다.
「각하, 어정양을 바란다.」 「 그런가, 뭐 좋아.
」
'라고 기력으로 밀어내고 정양도 하지 않고, 십일 정도 하면 낫고, 총공격의 날에는, 전선에 나와 스스로 지휘했다.
이런 상태로 전후의 내용으로 연결되지는 않지만 어느 페이지를 열어도 ' 일본 적 인간'의 테마로 재미있기 때문에 되는 짧은 문장이 쓰여져 있다.
친효행이란?

와다 토요지는 메이지·다이쇼기의 재계인으로 제일 생명 보험, 이토 타다, 이화학 연구소, 일본 공업 클럽 등의 설립에 관여한 인물이지만, 시부자와 에이이치로부터 신슈의 효행자의 이야기를 듣고 크게 감동해, 같은 정신으로 자신의 어머니에 대해서 효행을.
형식
옛날에 강저우(현재의 시가현)의 효행자가 자신은 세상에서 효행이라고 상을 받을 수 있지만 아직 충분하지 않다. 신슈(현재의 나가노현)에 큰 효행자가 있다고 하기 때문에, 왕래 수업하려고 생각해, 일부러 나가서 갔다.
그 집을 묻고, 잠시 기다리고 있으면, 시게레가 시바를 짊어지고 돌아왔다. 집에 들어가자마자 노모는 나와 시바를 내려준다.伜는 태연하고 노모에게 시바의 시말을 도와주고 있다.
그 태도를 보고 강주의 사람은 이것이 이상하다고 생각했지만, 이어서 노모는 벌집의 초초의 끈을 풀어준다. 게다가 다리까지 씻어준다.
이 모습을 보고 “친효행 등과는 터무니 없는 일이다. 세상의 평판 등 맞지 않는다.”고 분개했다. 그러자 그 남자가 이번에는 지쳤다고 해서 고로리와 누워 있었다. 노모는 다리를 잡고 했다.
이 태도를 본 강주자는 더 이상 참을 수 없고, “자신은 효행의 수업에 온 것이다 .
그런데 지금까지의 모습을 보고 있으면, 효행커녕, 오히려 친불행이다. 실로 터무니없는 놈이다.” 그러자 伜는 갔다. “자신은 효행이란 어떤 것인지 모르겠지만, 제 어머니는 풀초의 끈을 풀거나 다리를 비비게 해주는 것을 기뻐하고 있는 것이다. 만약 그것을 거절하면 별로 기분이 나빠 . 「과연 알았다. 자신의 지금까지의 효행은, 아무래도 형식이었다.」 고 싶었다고 한다.효의 호흡
와다 토요지씨는, 오른쪽의 이야기를 시부자와 에이이치씨로부터 들었지만, 역시 깊게 감동해, 자신이 종래 어머니를 섬기고 있는 정신이, 신슈의 효행자와 일치했다고 말해지는 것을 듣는다 그러자,
동상서 p.36~39
동씨의 노모는, 당시 87세의 고령이었지만, 63세의 와다 씨를, 아기처럼, 겨우 감기에 걸리지 말아라, 炬燵에는 어떠한 것으로 주의된다고 한다.
조반 때에는 노모는 씨를 위해 삶아 달걀을 가늘게 해서 밥 위에 얹어 준 것 같아서 씨는 그것을 기뻐하고 먹었다고 한다.
또 만찬을 하라고 하고, 와다씨가 조금씩 받으면, 늘어나는 노모의 기분이 나빠, 그 때문에, 작은 덕리를 사 와, 충분히 술을 넣고, 노모에게 먹이를 받았다고 한다.
부모는 아이를 사랑하기 때문에 그 애정을 만족시키는 것이 무엇보다도 중요하다. 효행의 호흡은 실로 여기에 있다. 와다씨는 그것을 실행한 것이다.
어느 겨울, 씨는 자기 저택에 친구를 불러, 해돼지(복어)의 잡취를 행동했다.
그때 노모는 씨 곁에 와서 「
맛은 어때 .
」
그러자 노모는 기쁘게 받고 먹고 또 와다씨에게 되돌아왔다. 씨는 그 나머지를 빨리 먹어 버렸다.
친구들, 눈물을 흘리며 감격했다.
「어떻게 따뜻하고, 아름다운 것이 아닌가.」
이런 이야기가 많아서 읽고 있어서 질리지 않지만, 니시오 간지 씨는 이렇게 이 책 을 좋아했을 것이다, 『GHQ 焚書開封12그래서 이 책의 소개에 80페이지 가까이도 나누어져 있다.
GHQ에 焚書처분된 야마나카 미네타로의 저서
야마나카 미네타로의 전전·전중의 저서 가운데, 이하의 16점이 GHQ에 의해서 焚書처분되고 있지만, 焚書점수가 많음으로는, 노이슈시, 나카코지 아키라, 나가노 낭에 이어 네 번째가 된다.
하기의 리스트로 「분류」란의
・「〇」는, 「국립국회 도서관 디지털 컬렉션」으로 넷으로 일반 공개되고 있는 책 으로 로그인의 불필요한 것.
・「 △ 」는 「개인용 디지털화 자료 송신 서비스」의 수속을 해, 로그인하는 것에 의해 넷으로 읽을 수 있는 책 .
・「×」는 디지털화되고 있지만, 국립 국회 도서관에 가지 않으면 읽을 수 없는 책 .
・공란은 국립국회도서관에 장서가 없거나 디지털화 미제임을 의미하고 있다 .
| 제목 | 저자·편자 | 출판사 | 분류 | 국립 국회 도서관 디자이르 코레크션 URL | 출판년 | 비고 |
| 위인이등병 | 야마나카 미네타로 | 도요도 | 국립 국회 도서관에 장서 없음 또는 디지털화 미제 | 쇼와 15 | ||
| 1억의 진두에 서서 : 도조 총리 성명록 | 야마나카 미네타로 편 | 세이분도 신코샤 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1044812 | 쇼와 17 | |
| 汪精衛 : 신중국의 대 지도자 | 야마나카 미네타로 | 조문각 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1057935 | 쇼와 17 | |
| 쿠사무스시: 북방 참호선 사십리 | 야마나카 미네타로 | 춘양당 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1025269 | 쇼와 13 | 황국 고전기 ; 2 |
| 황병 | 야마나카 미네타로 | 동맹 출판사 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1117796 | 쇼와 15 | |
| 성전 일로 : 오군 병진의 포위전 | 야마나카 미네타로 | 춘양당 서점 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1031233 | 쇼와 13 | |
| 성전 외사 쿠사무스 시체 | 야마나카 미네타로 | 핫쇼샤 스기야마 서점 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1035195 | 쇼와 18 | |
| 목적일 다섯 번째 열 : 보이지 않는 스파이 | 야마나카 미네타로 | 동맹 출판사 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1106572 | 쇼와 15 | |
| 대동유신의 향후 | 야마나카 미네타로 | 후타미 서방 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1275931 | 쇼와 17 | |
| 대륙 비상선 | 야마나카 미네타로 | 다이니혼 유벤카이 코단샤 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1212510 | 쇼와 8 | |
| 싸움에 이은 것 | 야마나카 미네타로 | 춘양당 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1717143 | 쇼와 13 | 황국 고전기 ; 4 |
| 철 또는 고기 | 야마나카 미네타로 | 세이분도 신코샤 | 국립 국회 도서관에 장서 없음 또는 디지털화 미제 | 쇼와 15 | ||
| 진흙 담가 | 야마나카 미네타로 | 일본 병서 출판 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1256787 | 쇼와 13 | |
| 일본 인간 | 야마나카 미네타로 | 금성출판사 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1043055 | 쇼와 17 | 금성신서 |
| 일본을 예언하다 | 야마나카 미네타로 | 효성사 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1268347 | 쇼와 12 | |
| 여명 일본의 거화 요시다 마츠네 | 야마나카 미네타로 | 조문각 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1036061 | 쇼와 17 |
끝까지 읽어 주셔서 감사합니다. 원한다면이 응원 버튼을 클릭하면 랭킹에 반영되어 매우 격려가됩니다. 불편을 끼쳐 드려 죄송합니다.
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대기업의 검색 사이트에서는, 이 블로그의 기사의 대부분은 검색 순위가 오르지 않게 되어 있는 것 같습니다. 과거 기사를 찾으려면 이 검색창에 키워드를 넣어 검색하세요.
전 블로그(『시바얀의 날들』)에서 쓰여 온 테마를 바탕으로, 2019년 4월에 처음 저서인 『 대항해 시대에 우리나라가 서양 식민지가 되지 않았던 것은 왜인가』를 출판했습니다. 오랫동안 재고를 끊어 여러분에게 폐를 끼쳤습니다만, 이번에 증쇄가 완료되었습니다.
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