2025-12-05

山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む

石川源嗣のコラム :山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む

東部労組の石川です。 東部労組機関紙2016年3月号コラム<二言三言>に下記の文章を掲載しました。


山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む  最近出版された中塚明編著『歴史家山辺健太郎と現代』に触発されて、40年前に山辺健 太郎自身が語った『社会主義運動半生記』(岩波新書)を読んだ。  山辺健太郎といっても、いまではほとんどの方はご存じないと思うが、みすず書房の「現 代史資料・社会主義運動」、岩波新書の「日韓併合小史」、「日本統治下の朝鮮」などの著 作で、後世に貴重な遺産を残した歴史家として高名である。  彼は戦後、「朝鮮侵略の問題を抜きにしては、日本の近代史はわからない」と近代朝鮮史 の研究に専念した。私も会ったことがあるが、無精髭(ぶしょうひげ)とはだしに下駄(げた) 履き、風呂敷包みがトレードマークであった。  しかし彼は単なる学者ではない。戦前、戦中の労働組合運動、社会主義運動を闘い抜いた。 その前半生を記したのがこの『社会主義運動半生記』である。  小学校卒で、丸善大阪の小僧、足袋(たび)工場の職人をやりながら、1921(大正10)年 の第1回大阪メーデーに16歳で参加している。日本労働組合評議会(略称は評議会)ができて、 1925年、20歳でその大阪一般労働組合の専従になった。組合員は900人近かったという。  翌年、評議会傘下の浜松合同労働組合が組織した浜松日本楽器争議に参加、争議日報を担 当した。105日間のストライキという大争議を最後まで1000人近い組合員が闘ったが、解雇 350名、解雇手当3万円という調停で労働者側の敗北に終わった。しかし争議は昭和恐慌期直 前の労働運動の高まりを示すものであった。  その後、日本労働組合全国協議会(略称は全協)での闘いに続いていく。  この本を読んで、戦前戦中の山辺健太郎らの闘いから学ぶ点はなんだろうか。  第一は、限りなき底抜けの楽天主義と闘いの持続。権力の度重なる弾圧、逮捕、投獄、そし て裏切りに対しては、非転向で闘った。楽天主義でなきゃやっていけないか。この本にも出て きて、前に言及したことのある荒畑寒村と共通する点である。  第二に、評議会結成時の分裂主義、セクト主義への反省と戒め。万難を排しての強大な労働 者の統一戦線の追求は現在も同じだ。  第三は、「法律的救済を求め」ず、実力闘争、大衆闘争を基礎とする思想。  今の運動と同じような似たことをやっているが、運動の質を考えると、戦前戦中の方がある 面でははるかに上のような気がする。(石)


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Hidetoshi Takenaka's post 20240201


Hidetoshi Takenaka

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山辺健太郎(1905-77)の『社会主義運動半生記』(岩波新書1976)を再読中。山辺の1919年に丸善大阪店に勤めた時の記述がイキイキしていい。その中に、新潮社からは四六判フランス綴じの有島武郎『或る女』が出ていたという記述がある。これは新潮社はおそらく記憶違い。『或る女』は、1919年3月『有島武郎著作集』第8集として叢文閣 より前編が刊行、続いて後編が同年6月刊行の第9集として刊行されている。
 ただこの記憶違いもやむを得ない。それは、『有島武郎著作集』は第5集までは新潮社から刊行されていて、第6集から叢文閣からの出版になったからである。新潮社の佐藤義亮「出版おもひ出話」には次のようにある。
《『有島武郎著作集』と名づけ、第一編『死』(大正六年十月)をはじめ、第二編『宣告』、第三編『カインの末裔』以下、隔月一冊ぐらゐ出して行つた。非常の好評、みな忽ち何十版といふ有様だつた。然るに七年の六月に、有島氏の友人某氏が出版を始めることになつたから著作集を譲つてくれといふ申出でに接した。そこで私が有島に会つて、新潮社に何か不備な点があるかと聞くと、何も無い。只友人の為めに枉げて承諾を願ふばかりだと言はれる。》
 このような経緯で『有島武郎著作集』の版元が変わったのであり、装幀のスタイルも踏襲されているので、丸善店員たる山辺が間違うのも理由がある。
それにしても、『有島武郎著作集』はフランス綴じ=アンカットの装幀だったのか。現物にあたって確認したい。
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Shigeru Umeda

非常に興味深いご指摘です。
「その中に、新潮社からは四六判フランス綴じの有島武郎『或る女』が出ていたという記述がある。これはおそらく記憶違い。」というのは、版元に関する記憶違いのことだと思いますが、私は「四六判フランス綴じの有島武郎『或る女』」というところに反応してしまいました。その後紆余曲折して、有島武郎の個人雑誌『泉』の最後となった号に広告された沼田流人の『血の呻き』が三方アンカット版で出版されていたことを竹中さんとご一緒に北海道文学館で確認できその意味するところを竹中さんに教えていただいたときの驚きと連動して、この二つのご指摘の間に何か関連性はあるのだろうか、と、関心が湧き出しています。
何かお分かりのことがあれば、ご教示を。



Hidetoshi Takenaka

梅田 滋 さん 拙文を「これはおそらく新潮社は記憶違い」に訂正します。
『有島武郎著作集 或る女』初版の書影でも確認しましたが、山辺がフランス綴じ=アンカットと言っているのは正しいです。つまり、いずれも叢文閣から刊行された『有島武郎著作集』と沼田流水『血の呻き』は、造本においてフランス綴じ=アンカットであったということになります。このことが何を示唆するのか。それを知るためには、叢文閣から刊行された当時のほかの本の現物を確認する必要がありますね。



Shigeru Umeda

ご指摘のこと、ますます興味が深まりました。この謎解きにワクワクします。何か分かりましたら、またぜひご教示ください。お願いばかりで、申し訳ありません。




Hidetoshi Takenaka

梅田 滋 さん 折口信夫の詩に「遠野物語」があります。その一節に《末ずゑはぺいじも截らず/…/指もて我は截りつゝ》とあるところを見ると、柳田國男『遠野物語』1910年版はアンカットの造本だったことが分かります。





Shigeru Umeda

アンカット版はカット版と比べてコストがかかるとお聞きしました。版元あるいは著者がなんらかの強い想いがある場合にアンカット造本になるケースが多いのかな、と想像しますが、他にどのような狙いや位置付けの場合にアンカット造本になっているのか、お分かりになる範囲で結構ですので、教えていただけますとありがたいです。


Hidetoshi Takenaka

梅田 滋 さん 西野嘉章『新版 装釘考 (平凡社ライブラリー741)』で触れていたところがあったと記憶していますが、今、手元に置いていなくて、まずは探索の上、お知らせします。


Shigeru Umeda

ありがとうございます。
楽しみにいたします。
よろしくお願いいたします。


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