2018-10-23

日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ! - 藏重優姫|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト



日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ! - 藏重優姫|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト




筆者




藏重優姫(くらしげ・うひ) 韓国舞踊講師、日本語講師

日本人の父と在日コリアン2世の間に生まれる。3歳からバレエ、10歳から韓国舞踊を始め、現在は韓国にて「多文化家庭」の子どもを中心に韓国舞踊を教えている。大阪教育大学在学中、韓国舞踊にさらに没頭し、韓国留学を決意する。政府招請奨学生としてソウル大学教育学部修士課程にて教育人類学を専攻する傍ら、韓国で舞台活動を行う。現在、韓国在住。日々の生活は、二児の子育て、日本語講師、多文化家庭バドミントンクラブの雑用係、韓国舞踊の先生と、キリキリ舞いの生活である。

藏重優姫の記事








政治・国際 日韓境界人のつぶやき
日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ!

日韓境界人は、面白く、面倒くさい。ニュートラル作戦が得策と思う今日此の頃。

藏重優姫 韓国舞踊講師、日本語講師


2018年10月01日

アイデンティティ在日コリアン日本人韓国人韓国舞踏

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韓国伝統舞踊「太平舞」を舞う筆者。シャーマンのリズムに乗って舞うのが特徴


大阪で生まれた私

 「自分が誰であるのか」という自問自答。

 「普通の人はあまりしないんだ…」と、気づいたのは、結構大人になってからのことです。私は二十歳くらいまで、よくこの自問自答をしていました。

 日本人と韓国人の間に生まれるダブルは、今は全然珍しくもないですよね。ましてやテレビではハーフ(ダブル)タレントなるカテゴリーさえあるほどです。

 でも、40年くらい前は「私は韓国人のお母さんがいるんです。韓国人なんですよ!」と自ら明らかにする子は、私の周りにはいませんでした。そんな中、私は「私は韓国人のお母さんがいるんです。韓国人なんですよ!」と振れ回っていたのです。韓国人であることが「すごい!」と自慢に思っていました。変わっています。

 まして、私は人一倍気が強く、浮いていました。そのせいで、先生から特別目をかけてもらって、良くしてもらった記憶があります。

 ありがたいことに、私が生まれたのは大阪で、同和教育、外国人教育が盛んな地域で、社会問題にも敏感に積極的に取り組む良い先生たちに恵まれました。しかし、周りの子たちからすると、イキっていて、勝ち気で、先生からも好かれている「朝鮮人」の私が、いじめたくなる存在だったというのも、今では理解できます。

 低学年の時によく口喧嘩をした男の子がいました。その子の最後の決め台詞は決まって「朝鮮人帰れ~! なんで日本におんねん!」でした。

 「出た、出た…」と私はしめしめとばかりに担任の先生にチクる。その子はめっちゃ怒られる。その繰り返しです。「朝鮮」関係で私をいじめた暁には、彼らは必ずこっぴどく怒られたのです。

 「人の名前と顔を覚えていない!」と普段周りから注意されている私が、その子の顔と名前だけは今でも覚えているのですから、よほど根に持っていたことが分かります。
距離を置くことにした私



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末尾
高学年ともなると、誰も私に朝鮮云々と言わなくなりました。彼らも学習したのでしょう。「朝鮮!」というのは得策ではないと。



 次はタブー視するという空気が私の周りを覆い始めました。朝鮮・韓国関係に下手に触れてはいけない、腫れ物に触ってはいけない、という雰囲気です。特に、酷かったのは中学・高校時代ですね。

 友達「優姫ちゃん、夏休み、どこか行ってきたん?」
 私「うん、韓国に行ってきたで」
 友達「……。」

 話が続かない、なんか、嫌な雰囲気へ。最後の「……。」は、早く言うと絶句。あるいは、聞いてはいけないことを聞いてしまったという感じだと思います。

 大人なら、お世辞でも「それはイイですね~」とか「へえ~」とかなんとか間をつないだんでしょうが、まだまだこの頃は取り繕うことができません。コミュニケーション能力の範囲外。それなら「タブー視」の方が簡単な策ですよね。今ではそう理解できます。

 大学生活がほぼ終わる頃くらいになると、私は、私のことをタブー視する雰囲気のグループや団体とは、自ら距離を置くようになりました。向こうが私の扱いに躊躇しているみたいで、私もそのどうしようも困っている彼らの雰囲気を打破するような対処法を持ち得てませんでした。まあ、今もですけど。

 こういう「距離を置く」という策は、本当は悲しいことかもしれませんが、後悔はしていません。我慢してやりにくい雰囲気に身を置く必要もないし、無理していたとしても、結局、私は傷つきます。でも、向こうは私が傷ついていることは分からない。だって、マジョリティですもんね。だから、一人損するよりは、距離を置くんです。
国籍も名前も「日本風」な私
高学年ともなると、誰も私に朝鮮云々と言わなくなりました。彼らも学習したのでしょう。「朝鮮!」というのは得策ではないと。



 次はタブー視するという空気が私の周りを覆い始めました。朝鮮・韓国関係に下手に触れてはいけない、腫れ物に触ってはいけない、という雰囲気です。特に、酷かったのは中学・高校時代ですね。

 友達「優姫ちゃん、夏休み、どこか行ってきたん?」
 私「うん、韓国に行ってきたで」
 友達「……。」

 話が続かない、なんか、嫌な雰囲気へ。最後の「……。」は、早く言うと絶句。あるいは、聞いてはいけないことを聞いてしまったという感じだと思います。

 大人なら、お世辞でも「それはイイですね~」とか「へえ~」とかなんとか間をつないだんでしょうが、まだまだこの頃は取り繕うことができません。コミュニケーション能力の範囲外。それなら「タブー視」の方が簡単な策ですよね。今ではそう理解できます。

 大学生活がほぼ終わる頃くらいになると、私は、私のことをタブー視する雰囲気のグループや団体とは、自ら距離を置くようになりました。向こうが私の扱いに躊躇しているみたいで、私もそのどうしようも困っている彼らの雰囲気を打破するような対処法を持ち得てませんでした。まあ、今もですけど。

 こういう「距離を置く」という策は、本当は悲しいことかもしれませんが、後悔はしていません。我慢してやりにくい雰囲気に身を置く必要もないし、無理していたとしても、結局、私は傷つきます。でも、向こうは私が傷ついていることは分からない。だって、マジョリティですもんね。だから、一人損するよりは、距離を置くんです。

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さて、話は少し戻ります。「自分が誰であるのか。」という問題。小さい頃は、「母が韓国人なら私も韓国人だ」というのが私の中の「当然」でしたが、高校生になると日本国籍でしかも苗字は「藏重」という典型的な「日本風」の自分であることに気づき、世間ではそういう人のことを日本人と呼んでいるということを、遅ればせながら認識しました。つまり、「国籍=〇〇人」という概念が世間では常識だということを知りました。



 一方、私の周りの人たちは、国籍も名前も「日本風」な私を日本人?韓国人?と手こずっていたように感じます。今ほど、ダブルの人がいない時代。日本人か、韓国人かの少ない選択肢しか知らないんですから、ほとんどの人が自分の都合の良いように私を規定していました。

 それは日本人も、韓国人も、朝鮮人も、在日もそうです。状況に応じて自分たちの仲間(カテゴリー)に入れたり、入れなかったり。「アイデンティティ」というものは、人からどう言われるのか、どう思われるのか、という「外」からの影響を結構受けるものですね。「〇〇人」と言われる度に「ああ、私って〇〇人なんだ~」と思ったものです。

 でも、そのうち、人の言う「〇〇人」という言葉に無責任さを感じ、アホらしくなってきました。一人の同じ人間が、ある時「優姫ちゃんはザイニチだよね~」と言ったり、また違う時には「やっぱ日本人だね~」と言ったりするんです。こんなことは、結構、日常茶飯事でした。そして、「日本人」か「韓国人」か、さらには「〇〇人」という選択肢さえ短絡的に思えてきたのです。
私は私!
21歳の時。「自分が誰であるのか。」というこの命題にひとまず決着がつきます。「ホルモン文化」という本に、日本国籍の「在日」として文章を書いて下さいと言われたのです。そして、こんな感じの文章ができました。



「日本人よ、韓国人よ、そして在日コリアンよ。私は私だ!」

 若干開き直りのある、放っておいてくれという感じの文章ではありますが、「私は私だ!」「どこのカテゴリーにも属さなくてもいいんだ」と書いていて気づいたのです。

 この発見、あえて表現するなら、よくアニメとかで見る、大空に向かって大きく手を広げ手放しで自転車を漕いでいる主人公――みたいな気分です。

 さて、しかし!です。「自分が誰であるのか」という自問自答が外的な要因で左右されるという現象は、何も私だけが経験していることではないと思います。ここそこいらで、しょっちゅう起こっている現象だと思うのです。

 「田中さんってたくましい!」「岩本さんって、九州男児って感じ~」「マサコさんって、家庭的な女性なんですね」「アイちゃんって、アジア美人って感じ~」などなど。何気なく放たれる無責任なコメント。そんな言葉を聞くにつけ、彼ら彼女らは自分というものをイメージづけていきます。だって、そんなこと言われたら意識しない訳にはいかないでしょう。そしてそれが、自分の理想像も含め、アイデンティティにつながっていくんだと思うんです。

 私は、フツーの人のアイデンティティが知りたいです。あなたは、自分を誰だと何だと規定していますか?
時には日本人、時には韓国人の私

 現在、私は韓国に住んでいます。「私は私」という21歳の時の結論は今でも変わっていません。

 しかし、事実、私がいくら「私は私です」と言ったところで、私の周りの韓国の人には通じません。それこそ「?」「……だから? でも日本人でしょ」で終わりでしょう。

 韓国も日本と変わらず、単一民族だという観念、そして単一民族であることに安心感を覚えるかのような雰囲気は否定できないように感じます。

 一緒であるという安心感。違うという事への恐怖心。私はこの不安定さ、自信の無さにはイライラします。

 しかし、私は、韓国に住みながら、この「境界人」の立場を便利に使い始めています。新しい境地です。それが良いことか悪いことかは別として、その方が私の精神状態にとって良いんですね。40代にもなると、健康第一がモットーです。

 この新しい境地、車のギアで例えるなら、ドライブにもバックにもいつでも自由に入れられるニュートラルの位置です。時には、日本人、時には韓国人へと。
日韓戦の夜の私




サッカーアジア大会男子決勝。日本は韓国に敗れた=2018年9月1日、インドネシア・ボゴール 例えば、最近の出来事。子どもの一言がきっかけで、ニュートラルのポジションにいたのに、いきなりギアを「韓国人」に入れるという場面がありました。



 先のアジア大会のサッカー男子決勝は周知のとおり、日本と韓国との戦いとなりましたね。夜の11時過ぎだった私は、いつも通り横になってウトウトしていましたが、外から「わあーーーーっ!」という大声が、誰かの叫んでる声が、あちこちから聞こえてきたんです。

 相当の人が日韓戦を観ていました。それはもちろん、韓国がゴールした時の歓声です。横で寝かけていた小学生の子どもも、何事かと起き出してきて、「何?何?」と怯えるほどでした。

 私はサッカー日韓戦が行われていることを知らせると、子どもは「じゃあ、ウリナラ(韓国)が勝ったらいいな。応援しよ」と意気揚々と見始めました。私はテレビを切るに切れなくなり、一緒に観戦。子どもが突然「ママは韓国応援する?日本?どっち?」と聞いてきました。 ・・・ログインして読む
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