2016-03-20

感染したら殺される-『女工哀史』を読む 5-(松沢呉一) -3,070文字- | 松沢呉一のビバノン・ライフ

感染したら殺される-『女工哀史』を読む 5-(松沢呉一) -3,070文字-

2016年03月17日14時03分 カテゴリ:連載 • セックスワークを考える • 連載 •吉原炎上間違い探し • 連載 • 性風俗史

数百名の女工が殺された?

vivanon_sentence感染性の病気が工場で発生したらどうなったのか。
女工哀史』には、明治時代にコレラが発生した大阪の工場の話が出ている。工場医が患者を隠そうとして、外部の医療機関に渡さなかったため、工場の内部に蔓延した。慌てた工場主は、それ以上の感染を防ぎ、治療の手間を防ぐため、医者を買収して感染者に毒を飲ませ、数百という単位の女工が殺されたとある。
「いくらなんでもこんなことがあるだろうか」と疑わないではいられない。
明治時代まで、コレラは繰り返し猛威をふるい、その度に万単位の人が亡くなっている。一人でもコレラが発生したとあれば、工場は操業停止になるため、隠そうとすることは十分あり得るし、感染した以上、死ぬ可能性は高く、だったらさっさと殺してしまった方が損害は少ないと判断したことがあり得ないとも言えないが、コレラで大量死した際に出た、裏の取れていない噂だろうとは思う、おそらく。
それでも医療体制が内部で充実していた点だけは、遊廓よりもマシだったと言えるが、遊廓では、すでに出てきたように、多くは二間か三間ある立派な部屋で、絹の布団で寝ることもできた。客も入る場所なのだから、寒さに凍えるなんてこともない。その点では女工よりはるかに恵まれていたし、吉原病院が隣接していたのだから、医療体制もさして変わりはない。
コレラはともあれ、安静にしていれば治る風邪のような病気であれば、医者にかかるまでもなく、娼妓は広い自分の部屋で寝ていればいいだけのことだ。
遊廓でコレラが発生して娼妓たちが毒殺されたなんて話は噂レベルでも私は読んだことがない。医療体制が充実していて殺されかねない工場と、殺されることはなかった遊廓と、果たしてどっちがひどい環境だったのか。
殺されたのが本当かどうかはわからないのだが、細井和喜蔵が「女工の方が娼妓よりひどい」としたのは決して間違ってはいない。

女工と娼妓の環境差を作り出すもの

vivanon_sentence娼妓と女工が置かれていた環境の大きな差は、仕事の特性の違いから生じている。遊廓では職場と住居が同じだ。そこに客を招き入れるため、部屋や調度品が粗末では客が寄り付かなくなる。
今現在の風俗店でも、客寄せのために豪華さや清潔さが求められる。ソープランドでは、とってつけたような彫刻がロビーにあったり、壁に大理石が使われていたり。あるいは、城や御殿のような外装だったり。トイレも、客が一回使ったら、すぐに従業員が掃除する。
「城や御殿でセックスしたいか?」という疑問もあろうが、非日常を楽しむものなのだから、それでいいのである。
ラブホだって、そういった非日常が建築様式に見てとれる。面白い趣向のラブホがあると聞くと行ってみたくなる人たちが現にいるため、あれで人寄せになる。私も行ってみたくなる。やることは一緒でも、高い金を出して、プールつきのラブホに行くのも現実にいる。最近はリゾート・ホテルを模したラブホが増えているが、これも非日常。
ソープランドでもラブホでも、しばしば同業者が密集している地域にある。これは法律の規制のため、営業できる地域が限られることによるものだが、建築様式をユニークなものにすることで、その中での差別化も図れるわけだ。
「壁にサンタクロースがいるラブホ」「バリ島のような内装のラブホ」「ディズニーランドみたいなラブホ」として印象に残る。相手のことはよく覚えていなくても。

遊廓はただ住むだけの場所ではない

vivanon_sentence遊廓の時代でも、時計台を設置するなど、建物自体に特徴をつける工夫はあったわけだが、今ほどの差はつけられず、その分、内装や調度に力を入れていたのだと思われる。
斎藤真一著『吉原炎上』には、いち早くベッドを導入していたことが記述されている。これも客寄せだと考えれば納得しやすい。珍奇なものがあれば口コミで広がって人が来る。
また、遊廓では泊まりの遊びがメインであり、滞留時間が長く、性欲が満たされればいいわけではない。そういう客もいただろうが、だったら何も泊まる必要はなく、時間の遊びで十分である。
そのため、部屋の雰囲気や清潔さが今の風俗店以上に意味を持ち、薄汚れた煎餅布団に客も寝たくはない。
今も昔も、高級店はそれにともなった高級感を出す。やることは一緒でも、そこが安い店とは違う。そうしないと、わかりやすい差別化ができない。そのため、出費がかさみ、高級店が必ずしも儲かっているわけではない。
妓楼にステンドグラスがあるからと言って娼妓が快適に暮せるわけではないのだが、女工たちのような暮らしではなかったことをまず確認しておく。
※斎藤真一著『明治吉原細見記』より。

汁ものと香々だけの食事

vivanon_sentence女工は一日十一時間から十四時間の労働時間を強いられ、その上、数時間の夜業が加わる。その食事も非常に粗末で、『女工哀史』に、著者自身が工員時代に体験した献立が七日分出ていて、その内容には驚かないではいられない。

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