2019-06-16

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために

Sejin Pak

16 June 2018 at 13:14 ·



日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために

江川 紹子 | ジャーナリスト
2013年5月25日 12時35分


大沼保昭・元アジア女性基金理事(自宅の書斎で)
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「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)という財団法人があった。村山内閣の1995年7月に発足。その最大の使命は、戦時中に日本兵相手の「慰安婦」となった海外の被害女性に対する償い事業だった。
その内容は、1)総理大臣の謝罪の手紙 2)国民の募金から1人当たり200万円の償い金 3)政府資金による1人当たり120~300万円ほどの医療福祉支援ーーといった「償い」を被害者に届けること。フィリピン、韓国、台湾、オランダ、インドネシアの5カ国で展開されたが、韓国では、日本政府が法的な責任を認めた賠償ではないとして、激しい反対運動が起きた。「償い」を受けようとする被害女性には、強い圧力が加えられた。このため、事業は難航。台湾でも同様の反発はあったが、現地の理解者の助けで、それなりの被害女性が「償い」を受け入れた、という。把握された約700人の被害女性のうち364人に「償い」を届け、基金は2007年3月末に解散。その活動ぶりは、今でもホームページを通じて確認できる(HPはこちら)。

総理からの手紙を示すフィリピンの被害者たち(アジア女性基金HPより)
基金に関わった人たちの回想録を読むと、被害女性たちにとって、総理直筆の署名がなされた手紙の意味が大きかったことが分かる。その文面を知って多くが涙を流し、号泣する人も少なくなかったという。ある人は「総理大臣が、日本が悪かったと詫びてくれた。これで身の証になる。先祖のお墓に入れる」と安堵し、「日本は私たちを見捨てなかった」と喜んだ人もいた。
それだけのインパクトを与えた総理の手紙には、こう書かれている。
〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて(中略)心からおわびと反省の気持ちを申し上げます〉(全文はこちら)
過去の歴史を直視し、正しく後世に伝える、とも記されている。そして最後は、今後の人生が安らかなものであるようにという祈りの言葉で結んでいる。
橋本龍太郎氏に始まり、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎各氏と歴代四人の総理大臣が署名した。この重みは、とても大きい。
昨今、「慰安婦」問題について、政治家が語る言葉を聞いていると、この重みが忘れられているような気がしてならない。
問題の所在はどこか
そんな思いで、同基金の呼びかけ人であり理事だった、大沼保昭氏(執筆時は東京大学大学院教授、現在は明治大学特任教授)の著書『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)を読んだ。基金が行ったこと、行い得なかったことが非常に抑制的な筆致で書かれ、成果より反省点、問題点、今後の教訓とすべき課題が詳しく書かれていた。

『「慰安婦」問題とは何だったのか』
「償い」の募金には、多くの国民が協力した。大企業などの協力は得られなかったが、職場での募金や、基金の事業を知った様々な人たちからお金が送られてきた、という。その額は6億円に達した。当時、把握できた「慰安婦」の半数に「償い」を届けたにもかかわらず、基金にはしばしば「失敗した」という評価も下される。それは、韓国での事業展開が難しかったからだ。その原因として、基金自身の問題に加え、次のような諸事情があった、と大沼氏は書いている。
〈韓国世論を変える努力をまったくといっていいほど払わなかった日本政府の消極姿勢。(中略)強硬なNGOの説得に動こうとしなかった韓国政府の無為。元「慰安婦」を「売春婦」「公娼」呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた日本の一部の政治家や「論客」と右派メディア。みずからが信ずる「正義」の追及を優先させて、ときに元「慰安婦」個々人の願いと懸け離れた行動をとった韓国と日本のNGO。強固な反日ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を報じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。そうした過剰なナショナリズムをただそうとしなかった多くの韓国知識人。韓国側の頑な償い拒否に、被害者を心理的に抑圧する独善的要素があることを批判しようとしなかった日本の「左派」や「リベラル」な知識人とメディア。これらさまざまな要因が相俟って、韓国における元「慰安婦」への償いに不十分な結果をもたらしたのである〉
問題は、どこか1つに集中して存在するのではない。
たとえば日本のメディアは、戦後責任に関わる様々な問題のうち、「慰安婦」問題のみを突出してとりあげ、しかも韓国の「慰安婦」問題ばかりに注目した。しかも、報道の仕方はしばしば扇情的で飽きっぽく、対立を煽るだけ煽り、成果より「失敗」を強調し、そして別の話題に関心が移っていく…。
この本で指摘されている問題は、今に至るまでまったく変わっていない。むしろ、日本の中にも強硬なナショナリズムが育ち上がってきた分、問題は膨らんでいる、と言えるだろう。いわゆる「論客」だけでなく、一般の人たちも、攻撃的で単純な強い物言いを放つ。相手に負けじと自分たちの正当性を言い募る。
そういう風潮の中で、「100%の結果は得られずとも、少しでもよりよい状態を実現しよう」と地道に積み重ねてきた人たちの思いや努力、それによって得られてきた成果は、無残に踏みつぶされてしまっている。
そんなことをやっていて、何が得られるのだろうか。むしろ、今こそ、かつて得た成果を確認し、それを伝え、足りなかったものを補う努力をすべきではないだろうか。
私は、どうしても大沼氏に話を聞きたい、と思った。明治大学法学部の事務局を通じてメールを送ると、大沼氏からすぐに反応があり、その日のうちにインタビューに応じていただけることになった。

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