2018-01-26

Shuichi Kanno - 慰安婦被害者34人の選択はニュースにならないのか



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慰安婦被害者34人の選択はニュースにならないのか

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慰安婦被害者34人の選択はニュースにならないのか



Posted January. 19, 2017 14:43,

Updated January. 19, 2017 14:59


朴槿恵政権の対日政策基調は,政権初期に雪解けムードを見せ,政権末期に原点に戻るというジェットコースター式の対日政策から脱するというものであった。そのため,政権発足当初から最大の難題である日本軍慰安婦問題の解決を日韓首脳会談の前提として持ち出すという順序が逆のカードを切り,3年近くを持ちこたえた。その出口が,2015年12月28日の慰安婦合意だ。しかし,結果的には現政権も過去のパターンから抜け出すことには失敗したようだ。慰安婦合意が抵抗を受けており,両国の対立が再発したためだ。

記者は,日韓政府の合意によって設立した「和解・癒やし財団」の理事であることを改めて明らかにする。昨年7月に理事に就任した後,「私が非難される慰安婦財団の理事になった理由」というコラム(2016年8月1日付)で,「不可能な最善」よりは「可能な次善」を支持すると述べ,その所信に変わりはない。

記者個人の所信など大した問題ではないだろう。日韓関係を左右する重要な要素の一つはメディアだが,最近の慰安婦問題に関する一部メディアの報道姿勢に違和感を感じていることを指摘したい。韓国メディアは,解放後に数多くの聖域を打ち壊しながら成長してきた。今は,如何なる権力機関,如何なる職域,如何なる国家の批判も,少しも躊躇することなく行う。しかし,最後に残された「聖域」がある。日本関連の報道である。日本関連の報道でメディアは相変らず国民感情から自由でない。だが,反日,克日(日本の克服)を越えて,用日(日本の利用)と協日(日本との協力)を唱えていたメディアが,最近あまりにも簡単に反日へと回帰しているように思う。

このような主張をすれば,非難を覚悟しなければならない。明確に述べるが,日本政府と政治家らの誤った主張,慰安婦合意の過程で不足していた点についての批判などには記者も同意する。国民情緒も尊重する。記者が注目するのは,韓国メディアが報道したことではなく,報道していないことに関してだ。日本関連の報道においても,メディアは「感情的な選手」ではなく「冷静な審判」になってこそ,国内外から信頼を得て,究極的にはそれが国益になると信じているからだ。

このような問題はどうか。慰安婦合意当時,生存する慰安婦被害者は46人だった。そのうち34人が,「和解・癒やし財団」が賠償金の性格で支給する1億ウォンを受け取ると申請し,このうち31人は,二回に分けて既に全額を受け取った。予想より多い数字であり,意味がある。ところが,このプレスリリースは冷遇された。国民の情緒にそぐわないため,記事を書きたくないという記者もいた。合意を拒否する被害者や団体の意見も重要だが,悩んだ末に異なる決定を下した被害者らの選択も尊重されて然るべきではないのか。

10億円で少女像を売り飛ばしたという主張もそうだ。韓国政府は,日本政府による謝罪のしるしとして,わずか1円でも「日本の予算」を受け取ることを望み,その結果が10億円となったに過ぎない。それにも関わらず,日本政府が10億円と少女像撤去を結びつけるという本末転倒な主張をするならば,日本政府を批判するべきであり,韓国政府を追及する話ではない。慰安婦少女像は,他の場所であればどこであろうと問題ないが,他国の公館前に立てるというのは国際条約上の問題であるという点も明確に指摘しなければならない。最終的,不可逆的解決というのは,政府間の約束であるだけで,民間団体まで拘束する根拠はないということも知らせるべきだ。大統領選挙の有力候補者が,慰安婦合意を破棄するならば,どのような方法でそれ以上の成果を獲得するかについて問うて然るべきだ。最近の社説やコラムなどは,こうした見方を示しているものの,事実を忠実に伝えなければならない報道は,むしろ消極的だ。

一部では慰安婦合意を屈辱的な外交惨事だと言っている。中国は,THAADの配備決定を撤回しろと言い,まさに今,安保問題について内政干渉までして韓国の屈服を強要している。中国が朝貢を受けていた時代に行っていた振る舞いだ。それでも,在韓中国大使館前にTHAADの模型をたてて抗議しようという主張も,団体もない。何か変ではないか。

日韓問題を報道する韓国メディアが双方への非難に陥っていると批判し,日本の態度をより一層叱責しなければならないという知人もいる。国民の情緒から自由でない韓国メディアが,双方への非難までできるようになったのも,進展と言えば進展というのが記者の平素の考えである。30年前には試みることさえできなかったことである。韓国はもう日本の従属変数ではない。日本の変化にだけ命をかける理由もない。日本だけを叱責して国内的評価に満足していた報道スタイルは,解放後に韓国メディアが70年間歩いてきた安易な道である。安易な報道では日韓関係を変えることができなかった。

沈揆先 ksshim@donga.com


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Shinichi Harada [オピニオン]沈揆先コラム
Posted August. 01, 2016 07:08,

帝国主義時代の戦時下にあった女性に対する組織的な人権テロを清算しようと財団が正式に発足する日、66歳の女性の理事長が一面識もない21歳の若者にカプサイシンテロに遭った。俄然した。旧日本軍慰安婦だったハルモニ(おばあさん)たちのための「和解・癒やし財団」の開所式を行われた先月28日のことだ。私は、その日、財団の理事になった。

2ヵ月前、財団の準備委員になると、新聞社の内外から「なんで苦労を買って出るんだ」「難しい仕事を引き受けたものだ」と言われるまでも、まあそんなものだろうと思った。だが、病院の救急室で金兌玄(キム・テヒョン)理事長の充血した目と戸惑いと虚脱感、怒りとが入り混じった表情を見て「現実」に気づかされた。

だからと言って、財団理事を辞めるつもりはない。昨年12月28日に韓日両国間でなされた慰安婦合意の不可避性を理解しているからだ。合意には、はっきりと、確かに満足していない。韓日両国政府の当局者や政治家、オピニオンリーダー、ジャーナリストの意見を聞いていくうちに、「不可能な最善」を追い求めるよりは「可能な次善」を支持するようになったという意味だ。

光復(日本の植民地支配からの独立)以降、韓日間に横たわる難問を巡って、非難を覚悟で決断を下したケースは3回しかなかった。1965年の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が押し進めた韓日国交正常化、1998年の金大中(キム・デジュン)大統領による日本大衆文化開放、そして昨年の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の慰安婦合意だ。先の2件も(当時は)激しい非難と反発を招いたが、今日における評価はがらりと変わった。私は、そういう目線で慰安婦合意を見る。

ハルモニたちと市民団体が長い間、慰安婦問題を社会問題として取り上げ、その解決に向けて努力してきた功は大きい。誰も否定できるものではない。だが、24年もかけて取り組んできたのだから、24年前に要求した通りに合意がなされなければ受け入れ難いというのは納得し難い。もう一つ。今回の合意と財団の発足に対してほとんどのハルモニたちが反対しているという話は、今暫ししまっておいてもらいたい。実際にそうなのであれば、私が先に財団の看板を下ろして、国民向けの謝罪を行うよう要求する。

野党が政権を担当することになれば、合意を破棄するだろうか。破棄するとしたら、英国のEU離脱よりも至難の道が待っているだろう。日本は再交渉に応じようとしないだろうし、交渉に応じるとしても時間稼ぎをするだけだろうし、合意がなされるとしても12・28合意以上のものは不可能、というのが私の判断だ。

ただ、政府間の合意だから無条件履行するべきだとか、ハルモにたちの余命が残り少ないので合意を急いだといった話は、あまりしたくない。状況が本質を支配しているような気がするからだ。

施行の過程を通じて支持を取り付けるべきであるという点で、もしかしたらスタートラインに立っていると言えよう。財団の役割は、政府の義務の中で最小限に過ぎない。和解と癒やしの外にも「記憶」「慰霊」「研究」「教育」などが必ず必要だ。歴史記念館を作るべきだと要求する声も多い。政府予算でハルモニたちが晩年を楽に過ごせるような施設を作り、ゆくゆくはその施設を拡大して記念館を作る案を真剣に提言する。10億円を丸ごとハルモニたちのために使えるよう、財団事務所の経費や人件費などは韓国政府が負担するべきだという財団理事たちの要求を政府が受け入れたのは励みになる。

市民団体は、これまでの経験や成果、情熱をもとに、世界に出て戦争と暴力に露出されている女性たちの権益のために活躍してもらい、国は彼らを積極的に後押しするのはどうだろうか。

日本は10億円と少女像の移転を連携させないで、10億円の使途についても、あまり干渉しようとしてはならない。首相と駐韓大使らが首脳会談でハルモニたちとの面談を通じて、真心を伝えるような方策を講じるべきだ。

週末に東京でソウル特派員を経験した日本の多くのジャーナリストたちに会った。ある日本人記者からは「通勤の際に警察が保護してくれるのか」と聞かれた。財団発足日のテロと大学生が記者会見場を占拠する様子が日本に広く伝わったからだろう。こういう質問は二度と受けたくない。

昨日は東京大学で「韓日両国間合意以降の慰安婦問題」をテーマにしたシンポジウムが開かれた。両国の著名な学者やジャーナリストが多く出席したが、満足できるものではないが受け入れるべきだという意見から、今すぐ廃棄すべきだという意見まで様々な意見が出た。出席者たちが相手国よりは自国の交渉当局や政治、社会的雰囲気により批判的だったことは印象的だった。大まかに言って、補いながら施行していくべきだという意見が優勢だった。そのためには合意で全てが終わったと思い込んではならないという指摘に賛同する。

私が財団理事を辞めると言っても引き止める人はいない。しかし、理事をしている間は信念を持って発言し、行動したい。問題を抱えたままでの「見切り発車」となったが、韓日間の慰安婦合意は誰が何と言おうと、韓日関係3.0時代の最初の試金石になると信じているからだ。

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