2019-05-05
忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談)
忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):①戦争の記憶|KUNILABO|note
忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):①戦争の記憶
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KUNILABO2019/04/16 00:22
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
テレビをつければ、何かにつけて日本人のアイデンティティを鼓舞しナショナリズムを掻き立てるような番組が多く見られ、意図的な力も感じられる。もちろん、日本の良いところを紹介すること自体は悪いことではない。しかし、そこに、他国に対する批判や脅威といった話が入り込んできた場合、簡単に新たな戦争へと世論が動いていくのではないか――。ここ数年、そんな漠然とした不安や焦燥感があった。
平成が終わろうとしている今、第二次世界大戦を直接知る世代が生きている時代もまた、終わろうとしている。様々な資料をアーカイブ化して残そうという動きは重要であるものの、ただ記録を残すだけでは、それを受け取る側にすべてが託され、活用されないままとなってしまいかねない。
時代の波に、過去の戦争の記憶がかき消され/上書きされていく。そうした「忘却」の問題に、どう抗ったらよいのだろうか。それは、「記憶をどう伝承していくか」という問いへと繋がっていった。
そこで、この問いの答えを探すため、NPO法人国立人文研究所創立2周年記念イベント「歴史を学ぶとはどういうことか」に登壇された、『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)の著者・吉田裕さん(一橋大学特任教授)と、その教え子であり、KUNILABO2018年9月期講座「トラウマから考えるアジア・太平洋戦争」を担当された、『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)の著者・中村江里さん(日本学術振興会特別研究員PD)に、お話を聞いた。遠い過去のように思える出来事を掘り起こし記憶に止めることで、そこから学んだことを現在や未来に応用したり、自分自身の頭で考え決断し必要なときには声をあげたりする力――歴史学は、そういった現代求められている力を身に付けるためのヒントを、私たちに与えてくれるのではないか。全4回を通して、過去と現在を繋ぐ術、そして忘却に抗う試みとしての、歴史学の可能性について考えてみたい。
戦争の記憶
ふと考えたんです。日本軍にもトラウマに苦しむ人はいなかったんだろうか、と(中村)
――まずは、自己紹介もかねて、ご研究やご専門の紹介をお願いします。
吉田:もともとは、日本の近現代史で、戦前の政治史における軍部について研究をしていました。その後、80年代に入った頃から、教科書検定の国際問題化や南京事件否定の言説といったものが出てくるようになり、戦争や戦争犯罪そのもの、戦争責任、日本の戦後処理などに関心が移ってきて。80、90年代は、昭和天皇の戦争責任も含めて、ずっと戦後処理、戦争責任に関わる問題に取り組んできました。ただ、日本の兵士の問題にも最初から関心がありました。非常に悲惨な境遇に置かれているわけで、その人たちの記録をずっと何らかの形で残したいという気持ちがあって、日記とか回想とか、文章で表現できない人の場合は絵などを集めていたんです。定年も近づいて来たし、やはり自分の研究の最後のテーマとして、兵士を主題にした著書を書きたい、と。それで数年前から資料の整理を始めて、資料自体はずいぶん前から集めていたものですから、一気に書いたのがこの著書(『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』)ということですね。
中村:吉田先生のゼミで修士課程からお世話になって、2015年に博士論文を出しました。その博士論文に基づいて『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』という著書を出版しました。こういうテーマに関心を持ったのは、学部のときです。私は日本史研究者としては変わっているのですが、学部のときは西洋史のゼミで、ホロコースト関係の本をいくつか読んでいました。ホロコーストを生き延びた人たちのトラウマに関する研究は結構進んでいて、そうしたものを日本語で読める環境も、私が学部生の頃にはあったんですね。というのも、日本でトラウマとかPTSDに注目が集まったのが、1995年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の頃で、その後トラウマ関係の本がものすごい勢いで翻訳されたんです。そこで戦争との関連でトラウマというテーマが注目されてきたということを知りました。ただ、戦争といっても色々あって。第一次世界大戦のシェルショックや、PTSDという診断名ができるきっかけとなったベトナム戦争については色々と研究がありましたが、ふと考えたんです。「日本軍にも、こういう人はいなかったんだろうか」と。調べてみると、本格的な研究はほとんどされていないことが分かったんですね。そういった差異はどういった社会的・文化的な要因から生まれるのかということに関心を持ち、大学院からは日本史に転攻して吉田先生のゼミへ入った、という経緯です。
――中村先生がもともと西洋史専攻でいらっしゃったというのは、驚きです。ところで、吉田先生は、著書によると、もともと軍事オタクでいらっしゃったとのことですが。
吉田:最近、戦後の「男の子文化」についての研究があるのですが(※1)、丁度少年漫画の週刊誌が一斉に出始めたのが、50年代末で、60年代前半というのが、僕らが小学生だった時代ですけれど、少年漫画が戦記物一色になった時代なんですね。なぜかはよく分からないのだけれど。その頃の男の子は、大体みんなそういった戦記物を読んで育った。ただ、それは麻疹みたいなもので、誰もが一度はかかるんだけど、そのままいっちゃう人もいれば、それを批判的に捉え直そうという風に考える人と、両方いるということですね。そういう文化の中で育ったので、軍事オタク的趣味を持っていたのは確かですね。それが、戦争とか軍隊に関心を持ったきっかけの一つではあります。
僕が研究者として何かやれたことがあるとすれば、「軍事史を歴史学の主題にする」ということです(吉田)
――吉田先生が著書の中で触れられていた、「戦争そのものを対象とする戦史は、長らく政治学者や歴史学者の仕事ではないと思われてきた」という点が、意外でした。
吉田:日本史なんかだと、ずっと世代交代があって。戦前に皇国史観に染まって煽ってしまったような先生たちは、戦後だいぶん大学を辞めて、若い研究者がどんどん出てきたんですよね。その第一世代というのが、戦争体験を直接持っている人たちで、「軍隊や戦争に関わることはもうこりごりだ」という意識が率直にあって。かなり日本社会の中に深く根差した文化だと思いますけれど、「戦史というのは、防衛庁関係者とか自衛隊に残った旧軍関係者がやることであって、僕らがやることではない」という感覚は明らかにあった。一方で、僕らの世代は、そういう体験に則した、軍隊や戦争に対する忌避意識のようなものはないから、空白の部分にきちんと取り組まないといけないんじゃないかという問題意識があって。幸い90年代くらいから、研究が急速に進んで、軍事史が歴史学の中に組み込まれる状況になってきた、というのが大きな流れです。だから、僕が研究者として多少なりとも何かやれたことがあるとすれば、「軍事史を歴史学の主題にする」ということですね。今でも軍事史って、何だか特殊なニュアンスが込められた言葉で、「軍事史研究をしています」と言うと、何となく……特に女性の場合はね。
中村:そうですね。変人扱いされます(笑)。
吉田:でも、一応、こういう風に主題になって、90年代以降、急速に変わっていったわけですよね。中村さんの研究なんかも、資料がまだどこに何があるのかが分からない状況から始めたので、なかなか、特に女性が始めるのは大変だったんじゃないかな。
中村:先程の「男の子文化」との関係で言うと、私はまったくそういうものとは無縁で、本当に軍事オンチだったんですよ。たとえば、学部のときに本を読んでいて、「斥候(せっこう)」(戦闘に際して敵軍の偵察を行う任務)という言葉が分からなかったので、辞書を引きました。一般と近い感覚のところから始めたという意味では、見えるものもあるのかなとは思いますけどね。ただ、吉田ゼミも女性は割合多かったですし、女性で軍事史をやる人も増えてきていますよね。
吉田:本格的な軍事用語の事典もないんですよね、未だに。そこには結構難しい背景があって。「自衛隊は軍隊ではない、戦力ではない」という建前があるので、「防衛用語の読み替え」と言うんですけれど、戦力であることが分からないように、実態と離れているように言葉を訳すんですよね。歩兵連隊は普通科連隊、砲兵大隊は特科大隊といった具合です。自衛隊の用語って、全部軍事色を薄めてできているんですよね。だから、戦前の軍事用語って完全に死語になっているんですよ。まぁ良いことでもあるのかも知れないけど。
――軍事的なニュアンスを薄めようとしている主体は……。
吉田:自衛隊。佐藤文香さんの隊員募集ポスターの研究(※2)なんかをみても、(日本の自衛隊は)明らかにアメリカ軍のポスターとは違うもんね。「我ら青春時代」とか、何を言いたいんだろうっていう(笑)。アメリカのはもっとマッチョなやつだよね。ライフルとか構えて。
中村:そうですね。女性兵士の増加で最近はもう少し多様化しているかも知れませんが、「軍隊に入ることが男になること」みたいなイメージはありますね。
――最近ありますね、キラキラした人を起用したポスター。たしかに、若者に自衛隊に対する良いイメージを持たせようとしているという印象を受けます。
吉田:自衛隊の海外派兵に関する新聞報道も、なんかおかしいんだよね。工兵部隊をそのまま施設科部隊と書いている。武装した戦闘支援部隊だから、工兵部隊は。それを施設科部隊としてしまうと、「橋や道路を作っています」といったような、何だかすごく平和的な部隊みたいな印象を与えるよね。
(続く: ②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり)
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忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり
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KUNILABO2019/04/21 19:20
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
「男らしさ」の息苦しさ
「『男らしさ』の息苦しさ」を、男性も感じているんじゃないの(吉田)
――中村先生の著書(『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』)の中で触れられていた、男らしさを是とする軍隊と女の病としてのヒステリーについてのお話が、面白いなと思いました。男らしさを是とするという価値観は、今も脈々と受け継がれていると思っていて。そういう目で世の中をみたときに、違和感を感じることがたくさんあるんですけれども。
中村:この部分は関心を持ってくださる方が多くて、私も結構、戦略的に男性史を研究しているところがあります。もともとジェンダーには関心があったのですが、ジェンダーというと、女性のことばかりという先入観がある方が多くて。せっかく軍事史をやっているし軍隊と「男らしさ」の歴史をやってみようかなということは、大学院に入ったときから考えていました。
吉田:「『男らしさ』の息苦しさ」みたいなものを、男性の側も感じているんじゃないの。
中村:それを言うのがなかなか難しいんだな、というのは感じますね。学生に聞いても、そういったことを自分の経験として語ることが難しいみたいで。でも「ああ、すごく分かります」というような共感はしてくれます。なので、もう一歩踏み込んで、自分の問題に引き付けて考えてもらえるように、私もアプローチを変えた方がいいのかも知れないんですけど。
日本史でジェンダーに関心が高まったのは、「慰安婦」問題が大きかったと思うけれど、それを支える日常的な構造にも目を向けないといけない(中村)
――「『男らしさ』の息苦しさ」という言葉が、すごくぐっときました。
吉田:僕らの世代は、露骨な形で出てきていたから。父親は、「女の腐ったような奴だ」「男は人前で歯を出して笑うもんではない」とか、よく言っていました。今はさすがに言わないよね。
――いや、近い言葉は……。
中村:ありますね。反戦運動をしている人でも平気でそういった言葉を使うことに私は違和感があり、ジェンダーを意識するきっかけにもなりました。
――本当に。そういう分野に近い方でも、ふとした瞬間に「あれ?」と感じるときがあります。世の中全体に根付いているものだなと思ったりするんですけれども。
中村:日本史でジェンダーに関心が高まったのは、恐らく日本軍「慰安婦」問題が大きかったと思うのですが、それを支えていた日常的な構造にも目を向けないといけないんじゃないかなということは考えています。
平成の終わり
平成って、像を結ばない。昭和についてはいろんなことを思い出すんだけど、平成はのっぺりしている感じ(吉田)
――今年(2018年)、天皇の生前退位のニュースがありましたね。今の世の中の流れに対する天皇からの強いメッセージのように感じました。私自身は、物心ついた頃からずっと時代は平成だったので、平成が終わるとなったときに、実感がわかなくて。先生方は、「平成の終わり」をどのように考えられているでしょうか。
吉田:平成になって初めて「象徴天皇制」が確立しました。その前の昭和天皇は、戦前からの意識を引きずっていたし、戦争責任という問題も結局引きずったまま終わっちゃったので。そういう意味では、今の天皇は、本人の意思で、「開かれた皇室」という方向に舵をきって、それが非常に上手くいって、とりあえず安定した皇室ができ上がったわけですよね。ただ逆に、多くの国民の支持を受けているので、天皇や皇后の批判ができなくなっちゃった。昭和から平成への改元のときには、それこそ右翼の暴力みたいなものはまだ日常的にあった時代ですけれど、緊迫した状況の中でも、手厳しい天皇批判があった。新天皇の記者会見で「昭和天皇の戦争責任についてどう考えるか」とか、かなり突っ込んだ議論がなされていたんですよ。それが今は、いわばソフトなタブーが形成されている雰囲気があると思います。「(天皇は)良い人ね」みたいな。たしかに良い人だとは思うんだけれども(笑)。僕は、退位のメッセージは、憲法に違反する可能性が非常に高いと思います。摂政は置かないということを事実上言っており、それは「皇室典範を改正しろ」ということに等しい。明らかに政治的な発言なんですが、圧倒的に支持されちゃっているから。これで2019年の代替わりの時期になって、本当に自由な議論の場が確保されているのかなというのは、ちょっと感じますね。
それと、今年(2018年)の8月15日の報道をみていると、明仁天皇がいかに平和に心を砕いてきたか、その思いを私たちも継承しましょう、という感じの取り上げ方が目立ったと思うんですけれど、そういう取り上げ方はもうこれでおしまいだからね。戦争体験のない新天皇にはそういう思いは希薄だし、国民の心に響くメッセージにはならないと思う。国民の側も戦争体験を持たない人が9割を超えているから。2019年の8月15日がどういう過去に対する向き合い方の日になるのかなというのが、ちょっと気になりますね。旧天皇と新天皇が同時に存在しているわけだから、これで少なくとも一世一元の制(天皇一代につき一つの元号を用いること)はかなり揺らぐ。一人の天皇の名前と一つの時代を重ね合わせて、その時代のイメージを作っていくというようなことはしづらくなる。
――時代のイメージですか、なるほど。
吉田:たしかに、平成ってなんか、像を結ばないね。昭和って、何だかいろんなことを思い出すんだけど。平成って、のっぺりしている感じで。
中村:私自身もほぼ平成育ちなので対象化するのはまだ難しいですが、元号が変わることが時代の区切りであるかのような雰囲気には違和感があります。日本の戦後補償や植民地支配に関わる問題は、昭和から平成へと持ち越され、未だ解決してません。それと、私の著書では直接的に取り上げていませんが、他国の軍隊との比較ということでいうと、天皇制は特徴としてあると思います。「自分たちの国は強いんだ」ということを強調するときにも「皇軍」(天皇の軍隊)という言葉が出てきますし、私的制裁(初年兵が古参兵から受ける非常に過酷なリンチ。兵士がつくられていくプロセスで重要な「洗礼」とされていた)も「上官の命令は天皇の命令である」という非常に強い指揮系統があるからこそ、成り立っていたわけです。トラウマとの関連でいうと、恐怖ということももちろんあるのですが、特に軍隊の場合は、「裏切られ感」も重要な問題です。一つには、自分が今まで信じていた道徳的な価値観が裏切られるということで、今まで普通に暮らしていた市民が、戦場に行って人を殺さなければならず、道徳的な価値観を変えなければいけないということですよね。もう一つは、特に戦後になって出てくる問題だと思いますが、国家(天皇)から裏切られたということ。軍隊の中で非常にひどい扱いを受けることが、特に日本兵の場合はあったと思うんですけれど。この戦後の「裏切られ感」と個々の元兵士の天皇観については、もう少し掘り下げて考えてみたいなと思っています。
(続く: ③今、歴史を学ぶ意味)----------
忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):③今、歴史を学ぶ意味
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KUNILABO2019/04/28 10:39
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
今、歴史を学ぶ意味
どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるかだと思うんです(吉田)
――たとえば私の周りでは、記憶の伝承について問題意識を強く持っている人は残念ながら少ないように感じるのですが、普段、学生さんと接していて、何か感じられることはありますか。
吉田:どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるか、というところではっきりしないんだと思うんですよね。江戸時代も平安時代もアジア太平洋戦争の時代も、すべて一緒の感覚。自分の今立っている地平と地続きになっている、自分自身の問題でもあるんだという風に、なかなか考えられない。今回の著書(『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』)で意識したのは、身体性。体の問題というのは、自分に置き換えられるじゃないですか。一番分かりやすい例だと、負担量(ライフルや背嚢(のう)などを完全武装して、どれだけの量に耐えられるか)を体感する。戦争体験の継承に取り組んでいる市民団体の方から教えてもらったのですが、リュックサックの中に10キロの水と、30キロの水を入れて、それぞれ皆でかついで体感するというのをやってみたんですって。(実際に戦争で兵士が担いでいた重さを体感できる方法として、)なるほどと思いました。(今回の著書の中で)一番面白かったのは水虫と歯の話だと言われるんですよね。そういう意味で、身体性というのは一つ繋ぎどころにできるんじゃないかな。それから、中央大学の松野良一さんのゼミは、同大学の卒業生で戦争に行った人を探し出してきて、インタビューするということをしています(※1)。それはやはり学生にとって、同じ大学の卒業生という共通項を持つので、すごく熱心にいろんなことを調べ始めるんですよね。そういった繋ぎ目になるようなもの、いわば回路のようなものをどうやって見出すかということが重要だと思います。
中村:身体性との関連では、私の場合はメンタルの話が中心になるのですが、比較的学生さんはそういった問題に関心が高いなと感じることが多いですね。いじめやパワハラ、モラハラなどの問題が広く認識されるようになってきて、「あ、こういう話か」ということを直感で分かってくれるというか。そういった集団や対人関係における個人の人権の抑圧と、日本軍の私的制裁の話とを絡めながらしていくと、入口としては伝わりやすいのかなと思いますね。あとは、自分と結び付ける要素としては、どうしても「戦争体験者」というと彼らの中では「おじいちゃん」たちなのですが、まさに自分たちと同じくらいの年齢で戦場に行く人も多かったということを想起してもらうようにしています。
吉田:今の日本の組織は、軍隊の時代と全然変わってないじゃないかという受け止め方をしている人がかなり多いような気がするよね。今非正規(労働者)が4割くらいですよね。そういった人たちが、抱えている問題と重ねて(今回の著書を)読んでいるような気がします。そうでなければ、今までどおりの発行部数にとどまったと思う。いじめも関係しているかも知れないね、関心の中に。軍隊の私的制裁なんかは、典型的ないじめだから。
それと、研究者の方も少し変わらないとね。現状を嘆いているだけでは始まらないし。独特の文体、「~なのである」「すなわち~」「~に回収される」とか。「業界用語」が多すぎる。読者の方から、「回収」は「廃品回収」の時に使う言葉だ、というお手紙をいただいたことがあります。読み手、特に若者に届く言葉を磨かないといけない。今回の著書は、ベテランの有名な編集者から僕の文章にたくさん注文がつきました(笑)。でも、従いますということで、アドバイスをほとんどそのまま受け入れたんだけれども。
中村:それから学生さんは、「軍人」というと、ものすごくマッチョで強靭な人たちを想像しているので、餓死や病気で亡くなった兵士が多かったことや、知的障害者も結構徴兵されていたことを話すと、本当に驚きますよね。そういった、イメージと実態のギャップというのは、結構意識しています。
――私自身は過去の戦争と今の自分たちは関係していると思うけれども、周りの人は「ああ、昔の話だよね」という風にしかなっていないなという感覚がずっとあって。お話を聞いて、何だか希望をいただきました。
吉田:『ペリリュー 楽園のゲルニカ』という漫画も、おもしろい。主人公が3頭身みたいな兵隊で、全然リアリティがないんだけど、ペリリューの戦闘のことをよく調べてあって、すごく生々しいのね。それをソフトなタッチで表現できる力があって、結構読まれている。それから、『この世界の片隅に』なんかは、悲惨な現場そのものにはあまりフォーカスを当てないで、日常生活みたいなところから戦争を描いている。実際の問題として、憲法の改正とか、自衛隊が海外で展開するような時代に明らかに入りつつあるから、そのことに対する(世論の)関心はあるんじゃないのかな。漠然としてはいるけれども、何かきな臭い時代に入りつつあるんじゃないかっていう感じがあると思う。
事実や史料に基づくことの重要性が、改めて関心を集めていると思います(中村)
中村:90年代以降の歴史修正主義の台頭ということは以前から指摘されていましたが、最近出版された倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社、2018年)という著書では、何がそこで議論されたのかというよりは、むしろ、「どこで」「どういう風に」ということを中心に分析されています。歴史修正主義的な論者は、歴史の専門家ではないわけですよね。歴史学のルールに則っていない、根拠のない主張が、読者参加やディベートなどの形式と親和性を持ちながら「売れる」ということで市場原理化していく。倉橋さんは、「彼らは学者とは違うゲームをしているんだ」と書かれていますが、この表現が私はすごく腑に落ちて。いくら事実はこうなんだという説明をしても全然通じないという状況に対して、吉田先生はどう思われますか。
吉田:参加型っていうのはあるんじゃないかな。あれ、何て言うの、カスタマーズレビュー?今回初めて見たんだけど、自分の著書のものを(笑)。明らかに悪意をもって参加している人が若干いるんだよね。あの、「警告」っていうのは何?
――悪意があるコメントをレポートできるんじゃないですかね。
吉田:「警告」って書いてあるコメントを見ると、明らかに悪意を持って書いていて、全然事実と違うことが公然と書かれている。僕はそんなこと一度も書いていません、と言いたくなる。
――そういったコメントを書いている人って、いわゆるネトウヨなのかなと思っていて。その人たちとどう対話するというのか、どうしたらいいのかなというのが、ここ数年モヤモヤしていて。
中村:そういう投稿を繰り返す人たちはごく一部なんだという調査報告がありましたよね(※2)。
吉田:同じ人が繰り返し発信しているっていうね。
中村: 私はそこに労力を割くよりも、もっと幅広い層にどういう風に訴えかけていくかっていうことのほうが重要かなと感じますね。
――大人な考え方ですね。
吉田:書き方の工夫というのも、やはり必要だよね。僕の著書は、常に資料とデータを示しながら書くという書き方をしているので、反論しづらいと思う。でも何だか、研究者の中にもいるような気がするんだよね。妙に詳しいんだよね。慰安婦問題とか、軍隊のことについて。「何でこんな史料を知っているんだろう?」っていう気がする時がある。明らかに単なるオタクではない。研究者の中の「隠れ右翼」だと思う。
――でもそれは、ネトウヨとはまた違う、ちゃんと実証してくる人たちなんですよね。
吉田:そうそう、だから議論になるわけだよね。
中村:それはもう、歴史学のルールに則ってやればいいわけなので、それはそれでいいかと思います。公文書の改ざんの話や、事実や史料にきちんと基づいてということが、改めて関心を集めているのかなと思います。今日お話をしていて、そういったところが、吉田先生の著書が多くの方に読まれる要因の一つになっている感じがしました。
(続く: ④忘却に抗う)
(2018年9月、一橋大学にて)
(※1)松野良一『戦争の記憶をつなぐ―十三の物語』中央大学出版部、2016年。
(※2)「ネット上『嫌韓』『嫌中』はびこる ニュースのコメント数十万件分析 立教大教授ら」『朝日新聞』2017年4月28日付。
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忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):④忘却に抗う
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KUNILABO2019/04/29 10:16
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
忘却に抗う
そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんです(吉田)
ーー戦争の記憶の継承について、どう思われますか。
中村:(今回の対談において)「忘却」というキーワードは、いいなと思いました。よく言われる「風化」だと、自然現象で人が関わっていないみたいですが、「忘却」というと、それを忘れさせようとする力が何なのかといったところにも注意が向くのかなと。
吉田:そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんですよね。いろんな関係の中で、忘却を強いるような動きが出てくる。それに対する反発や抗いとして、戦争体験論が議論される、という文脈なんですね。戦後何度も「戦争体験の風化」と言われる時期があったけれど、その時期についてどういうメカニズムが働いているのか、それに抗う力の中にどういう可能性が秘められていたのか。そういったことをきちんと検証し直すことが重要ではないかという風に思っています。今回深刻なのは、完全に戦争体験世代がいなくなる時代がすぐそこに来ているということ。
――「忘却に抗う試みにどういう力が秘められているのか」とは、どういうことでしょうか。
吉田:どういう限界と可能性が込められていたのか、ということですね。戦争体験論をずっとやってこられた赤澤史朗さんの受け売りですけれど。たしかに、風化風化と言われるようなときに、戦争体験論って立ち現れてくるんですよね。だからやはり、抗う力だと思うんだよね。そういう力を戦後社会は日本社会は培ってきた。それと、戦争体験世代がいなくなりつつある一方で、戦争犠牲者に対する補償の問題など、「終わらない戦後」みたいな問題もあるでしょう。未決の戦後処理があるということも、言わないといけないと思う。
「トラウマの一番の抑止力になるのは、戦争をしないことだ」と精神科医は口を揃えて言います(中村)
――今後の研究についても、お話を伺えればと思います。
中村:しばらくは現在のテーマで研究を続けようかなと考えているのですが、最近、トラウマの世代間伝達にも関心を持っています。軍隊はまさに暴力が連鎖する組織ですが、上官から暴力を受けた兵士が、今度はアジアの民衆に対して暴力を振るうという構造がありますよね。その構造が、復員後、家庭の中での暴力といったものにどう繋がっていくのかを考えたいなと思っていて。もちろん、異なる価値観を学習する機会があれば、再び暴力を振るう側にはならないということが虐待の研究でも指摘されているので、必ずしも連鎖するとは考えていませんが。戦争が戦後の家族にもたらした影響という問題にも目を向けたいなと思っています。
――なるほど。まさに、現代との繋がりに着目されているのですね。
中村:現代と過去の戦争のリンクについてあまりお話しなかったのですが、私が研究していく過程は、日本の再軍事化のプロセスと重なっていて。丁度今年(2018年)は、イラク戦争開戦から15年ですが、メディアなどで振り返ることってあまりないですよね。アジア・太平洋戦争どころか、つい最近日本も支持したイラク戦争すら、もう忘却されようとしています。イラク戦争については、開戦の根拠とされていた大量破壊兵器はなかったという検証報告書がアメリカやイギリスから出されていますが、日本では十分な検証が行われていません(※1)。そういう中で、自衛隊の海外派遣任務が急速に拡大していく状況に対して、非常に憂慮しています。最近「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」(※2)で一緒に活動している精神科医の先生方は、「トラウマの一番の抑止力になるのは、戦争をしないことだ」と口を揃えておっしゃっています。
吉田:歴史を学んでいないと、現代をみる視野が狭くなっちゃうっていうことだよね。戦争神経症のことを知らなければ、アフガンとかイラクから帰ってきた自衛隊がどうなっているかといったところに目が行かないじゃないですか。それはやはり、歴史の中で学んでいって視野を広げていくっていう作業だと思う。アメリカから無理やり買わされて大型兵器の購入がどんどん増えて、表面装備に充てる防衛予算が増えているから、戦前の日本軍みたいに、健康や衛生面に当てられる予算が削られていくのではないかということが結構心配なんだけど。
――今後の研究については、いかがでしょうか。
吉田:大きく言うと、自分でそれなりに義務感・使命感を持ってやってきたことがいくつかあって。一つは、割合きわどい話題を歴史学の主題にするということですね。あとは、ある先生から「ある歳になったら、若手を育てる場を作る仕事が入るから、それは絶対やれ」と言われて。それに忠実に従った結果くたびれ果てちゃって、率直に言うとネタ切れなんだな(笑)。一通りやりたいことはやった感じがするので、ちょっと充電期間をおいて、というのが正直なところです。ある年齢以降はね、「研究動向がこうなっているのでその中で自分の研究課題を立てる」ということ自体がだんだん難しくなってくるね、能力的に。だから、自分の年齢、体力でできるテーマを選びたい。
やり残したこととして一つあるのは、少年兵のこと。子ども兵って世界的にも問題になっているけど、日本は少年兵が非常に多いので、調べたい。それも、「こんないたいけな子どもたちが」みたいな文脈の話だけでなく。少年兵って場合によっては、自分より年上の部下を持つ存在になるので、そこでは加害性を持ってしまう。その被害性と加害性の両方を考えたい。それと、特攻隊の少年兵が一番典型的だけど、知覧特攻平和会館のポスター(子犬を抱いた出撃前の少年兵のポスター)のようなイメージがどうやって作られていくかということに関心があって。戦争と少年兵は、特攻隊の問題と絡むので、その辺と絡ませながら、しょぼしょぼと研究を……(笑)。そんなところですかね。
――(著書『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』の)反響といいますか、この著書から生まれた新たなプロジェクトなどはあるのでしょうか。
吉田:うーん……ないような(笑)。ただ、手紙がいっぱい来る中に、お父さんが書いた手記を自分でパソコンに打ち直して送ってきてくれた人がいて。それで思い出したんですけど、NHKのニュースで、廃屋や個人の私物の処理の際に、兵士の書いた日記などが大量に失われているという特集をやっていいて。それを何とかしないといけないということで、提供を呼び掛けたらたくさん集まってきたということを聞きました。そういう兵士たちの記録をきちんと収集して保存していくような仕事をやりたいなぁという気持ちがあります。特に兵隊さんの描いた絵は、なかなか文章で表現されないようなところが上手く表現されている部分があって、良いものがあるんだよね。ある段階で、加害の問題も含めて告白や証言を書き残そうとした人もいる。どうしても散逸しちゃう傾向があるけれど、もう本当に最後の機会だと思うので。
――最後に、このインタビューを読んでいる方へメッセージをお願いします。
吉田:忘却に抗うということが大切で、それ自体が一番重要な問題ではないかということです。抗うということは、忘却する力、メカニズムを明らかにすることでもあるし、抗い方の中にどういう可能性と限界があるかを学ぶことでもあるので、そういう意味でやはり抗いたいということですね。それと、学生にも言うんだけど、自分の違和感をきちんと論理的に他人に対して説明できる力を身につけていくことが歴史の本を読むことの一つの意味だと思います。どんな小さな疑問でも違和感でも、それを大切にする読み方が必要なんじゃないかと感じますね。そこから膨らませていくことが大切なんじゃないかと思います。
中村:同調圧力が強い日本では難しいことですが、「日々の生活で感じる違和感や疑問」を大切にして欲しいと私も学生に伝えています。私自身、研究する中で「トラウマって歴史研究と関係あるの?」「女性でこんな研究してるなんて、結婚できないよ」と言われたこともあります。こうした疑問と向き合うことが、私の研究を深めることにも繋がったと思います。それと、これは歴史学の強みだと思いますが、じっくりと時間をかけて考えを深めることと、長期的な視点を持つことの重要性ですね。私は博士論文を書くのに時間がかかって苦労した方ですが、先生方に温かく見守っていただいたおかげで、著書も出版できました。現代は何でもかんでも短期間で成果を上げることがよしとされますが、何かおかしいなと思ったら、少し立ち止まって考えてみることも時には必要かと思います。歴史学はすぐには役に立たないかも知れませんが、思考の幅を広げるためのヒントを見つけられるかもしれません。(完)
(2018年9月、一橋大学にて)
(※1)2009年11月にイラク戦争の検証を求めるネットワークが設立された。また、NPO法人・情報公開クリアリングハウスが、2012年に外務省がまとめたイラク戦争の検証報告書の開示を求めて裁判を起こし、2018年11月20日に原告側敗訴となった(https://clearing-house.org/?p=2800)。【リンク先は2019年2月25日閲覧】
(※2)https://kaigaihakensdf.wixsite.com/health-----------
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(2018年9月、一橋大学にて)
(※1)伊藤公雄「戦後男の子文化のなかの『戦争』」中久郎編『戦後日本のなかの「戦争」』世界思想社、2004年。
(※2)佐藤文香『軍事組織とジェンダー―自衛隊と女性たち』慶應義塾大学出版会、2004年。
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吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授。専門は日本近現代軍事史・政治史。戦前・戦後の天皇制にも詳しい。主著に『兵士たちの戦後史』(岩波書店)、『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)、『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)など。
中村 江里(なかむら・えり)
博士(社会学/一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、
2018年4月より日本学術振興会特別研究員PD。専門は日本近現代史。都内の複数の大学で歴史学やジェンダー論の授業を担当。主な編著に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2018年)、『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、2017年)など。
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