娘と性交する父親は「許されない」のに「無罪」――日本の「近親姦」をめぐる“捩れ”
(2019/05/25 18:00)|サイゾーウーマン
娘と性交する父親は「許されない」のに「無罪」――日本の「近親姦」をめぐる“捩れ”
2019/05/25 18:00
文=サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman)
インタビュー
社会
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後藤弘子氏
抵抗できない状態の実の娘に、二度に渡って性交をしたとして、準強制性交の罪に問われた父親が無罪判決を言い渡された――4月中旬、この一件がニュースになるやいなや、世間の人々から「おかしい!」という怒りと疑問の声が巻き起こった。
女性は、中学2年生の頃から父親による性虐待を受け、抵抗すると暴力を振るわれた経験もあったというが、名古屋地裁岡崎支部は「以前に性交を拒んだ際に受けた暴力は恐怖心を抱くようなものではなく、暴力を恐れ、拒めなかったとは認められない」「従わざるを得ないような強い支配、従属関係にあったとまでは言い難い」と判断。2017年に新設された「監護者性交等罪」(18歳未満の子どもを監護する親や児童養護施設職員など、その影響力に乗じて性交・わいせつ行為をした者を処罰できる罪)も、起訴内容が19歳当時に受けた被害だったため適応されず、無罪判決となった。しかし、ネット上では「普通に考えておかしい」と法律自体を疑問視する声が高まり、同時に「近親姦はなぜ罪ではないのか?」「近親姦罪があったら、この父親は有罪になったのに」といった意見も目立っていた。
実は日本には、かつて「親族相姦」という犯罪が存在していた。1868年制定の「仮刑律」、1870年制定の「新律綱領」、1873年制定の「改定律例」では近親姦が処罰対象であり、場合によっては極刑が下されることもあったのだ。しかし1880年に制定された「旧刑法」から廃止され、現在に至っている。なぜ「親族相姦」罪は消えたのか――今回、千葉大学大学院専門法務研究科長の後藤弘子氏に話を聞いたところ、「かつての『親族相姦』罪の対象には、『自分の子ども』が含まれていなかった」という事実が明らかに。さらに、日本における性虐待問題の病巣が浮き彫りになった。
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親と子の性的関係は「悪くない」考えがあった
――なぜ、日本の現行刑法には近親姦罪がないのでしょうか。
後藤弘子氏(以下、後藤) 現在の刑法は1908年に施行されました。明治初期の刑法は、江戸時代のものを参考にしたもので、「仮刑律」「新律綱領」「改定律例」といった唐・明の律系の色彩の強いものでした。欧米諸国と肩を並べるためには、刑法の近代化が必要だとされ、「旧刑法」が制定されたのです。
そのプロセスの中で参考にされたのが、フランスやドイツの法律です。フランスでは当時すでに近親姦罪はなく、旧刑法を作るにあたって大きな役割を果たした、フランスの法学者、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの草案にも、近親姦罪に関する規定はありませんでした。ボアソナードは、それまで処罰されていた合意に基づく成人間の近親姦に対して、「公権力が家庭における私事に介入すること」は適切ではなく、道徳や宗教によって規律されるべきであると強力に主張。それに対して、日本の関係者も「このような醜態の罪は刑法に置かない方がよい」と賛成しました。もちろん、現行刑法と同様に律の時代でも、「幼児姦」(12歳以下)の場合は合意があっても犯罪だとしていましたし、旧刑法でもそれは踏襲され、現在に至っています。ですから、現在でいえば、小学生以下の子どもの場合は、誰が加害者であっても処罰するべき犯罪だという考えが、明治の時代から存在していました。ただ、親による子に対する性交を特別扱いすべきだという発想は、明治の初めからなかったと言えます。
――日本の社会背景などの影響はありますか。
後藤 当時の封建的な家族観も強く影響していると思います。刑法と同時期に明治民法を作る動きもあるのですが、1908年に成立した明治民法では、家制度という封建的な家族制度を採用することになります。旧民法(1890年公布。未施行)は、先ほどのボアソナードの影響で、自由主義・個人主義的色彩の強い近代的な家族法を目指しましたが、「民法いでて忠孝滅ぶ」と強い反対にあい、結局施行されませんでした。
家制度では、戸主(ほとんどの場合、父親)が強い権限を持っており、例えば結婚をするにしても、戸主の同意がなければできないなど、女性や子どもは、戸主の「所有物」と考えられていました。絶対的な権限を戸主に持たせることで、近代化を進めようとしていた明治政府にとって、そもそも近親姦のように「戸主の権限を制限する」法律を成立させることは無理だったと思います。
――家制度の基となる家父長制が強かった時代の「仮刑律」「新律綱領」「改定律例」では、「親族相姦」罪があり、近親姦が処罰対象になっていましたが。
後藤 確かにそうですが、その対象に「自分の子ども」は含まれていません。父親や尊属の妾、姑、姉妹、子孫の妻、兄弟の妻といった「子どもを産める女性」が対象だったんです。誰かの「所有物」を姦する/強姦することは、儒教的、道徳的に問題視されるだけでなく、子どもの親の確定が困難になり、血統が混乱することにもつながります。それを避けるといった意味合いから、「親族相姦」罪が存在したのではないでしょうか。
そう考えると、所有物である自分の子どもが「自分の子ども」を産んだって、家制度は守られていくわけですし、むしろ当時は「子どもがいない」ことの方が問題だとされた時代でした。「(自分の子どもを対象とする)近親姦を処罰する」ことより「家制度を守る」方が重要視されていた、極端な言い方になりますが、「親と子の性的関係は、そこまで悪いことではない」といった考えがあったように思います。
――今の時代から考えると、「家」制度はかなり理解に苦しみます。
後藤 そうでしょうか? 愛知県の事件からもわかるように、実際に今でも「娘は自分の所有物だ」という家制度的な考え方を持つ人がいるのです。被告人は、「女性より男性の方が力を持つべき」というジェンダー的価値観にかなり共感しているように思いますし、性暴力によって、娘を支配し、コントロールしていたと感じます。性暴力は、相手に恥や羞恥心を抱かせるものであり、単純な身体的暴力よりも相手を支配/コントロールしやすいのです。それに、相手を殴ったら、加害者は自分の手も痛めますが、性暴力は痛いどころか、快感や満足感を得られます。強い立場の人が弱い立場の人を支配するのに、性暴力は、逆説的でありますが、「最も優れた手段」なのです。
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性虐待は「発覚しづらい」「珍しいことではない」
――そうした中、「監護者性交等罪」が新設されたのは、非常に意味のあることだと思いました。どのような流れで生まれたものなのでしょうか。
後藤 2000年に「児童虐待防止法」ができたことにより、「親が子どもを虐待するのはいけない」ということが、初めて規範として明らかにされました。もちろん以前から、「児童福祉法」の中に「要保護児童」の項目があり、虐待された児童は保護されることになっていたのですが、「虐待」という言葉は前面に出ていなかったのです。児童虐待への問題意識が高まる中で、「性虐待は処罰の対象」と考える人も増えてきたように思います。
しかし、児童虐待防止法は子どもを保護することに焦点を当てている「防止法」ですので、「児童虐待罪」を規定していません。また現在の刑法では、性交同意年齢が「13歳未満」とされ、つまり被害者が「13歳未満」であれば、暴行・脅迫がなく、たとえ抵抗しなくとも、加害者は罪に問われるのですが、「13歳以上」の場合、暴行・脅迫があったことや抗拒不能だったことが立証できなければ、加害者は罪に問われない。ほかの経済先進諸国に比べて性交同意年齢が「13歳未満」と低く設定されていることで、年長の児童に対する、刑法による近親姦処罰のハードルは高いままでした。もちろん、児童福祉法の「淫行をさせる罪」での処罰は可能ですが、犯罪の重さは異なります。性虐待は発覚しづらいという面を考えると、事件化するハードルはかなり高く、それを解消するためにできたのが「監護者性交等罪」。ただ、性交同意年齢が13歳未満ではなく、「16歳未満」であったら、そもそも監護者性交等罪を作る流れはなかった可能性もあると思っています。監護者性交等がいけないことであると、条文で明文化されたことは、とても大事なことだったと感じていますが、性交同意年齢の改正も引き続き必要だと思います。
――児童虐待相談件数自体はうなぎのぼりであるのに対し、性虐待の相談件数は増えていないようですが、やはり「発覚しづらい」という点があるのでしょうか。
後藤 愛知県の事件でも、被害者女性は中2の頃から性虐待を受けていましたが、その事実は19歳になるまで外に出ませんでした。彼女は「弟たちを犯罪者の息子にしたくないことから通報をためらった」と言っていましたが、性虐待を訴えることにおいて「自分の親を犯罪者にする」という心理的ハードルは高い。母親も、自分の夫が子どもに不適切な行為をすることを信じたくないと、見て見ぬふりをするケースも多いのです。ただ表に出ないからといって、性虐待は珍しいことではないのです。私が理事長を務める「特定非営利活動法人子どもセンター帆希」は、おおむね15~19歳の女子を受け入れるシェルターを運営しているのですが、そこにいる子たちは、ほとんどが性虐待を受けています。父親の子どもを妊娠し、出産しなければいけなかった中学生も、少なからずいるのです。
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実は40年以上前から「近親姦」を問題視する動きも
――1968年、栃木県で15年にわたって実の父親から強姦され続け、子どもを妊娠・出産した女性が、父親を殺害した事件を思い出します。
後藤 この父親は、娘が幼い頃は性虐待を、大人になってからは夫婦同然のように生活し、娘が結婚すると言い出したことに激高して監禁した。まさに「児童虐待+DV」のケースですね。ただこの件は、近親姦というより「尊属殺」という点で注目を集めた事件でした。一方で、実はちょうど同じ頃に、刑法を改正する動きがあり、1974年の「改正刑法草案」には、「第301条 身分、雇用、業務その他の関係に基づき自己が保護し又は監督する18歳未満の女子に対し、偽計又は威力を用いて、これを姦淫した者は、5年以下の懲役に処する」という条文がありました。「偽計や威力を用いて」とあるので、暴行脅迫要件のない「監護者性交等罪」の方が被害者保護には優れていますが、「監護者性交等罪」に通ずるものが、今から40年以上前に、一度、草案としてあがっていたのです。しかし結局、改正刑法草案を反映した法律は実現されませんでした。
――「改正刑法草案」から「監護者性交等罪」ができるまで、かなり時間がかかったのですね。
後藤 43年かかりました。1994年に子どもの権利条約が批准され、子どもの最善の利益が保障されなければらならないとされながら、性虐待への対応はまったく進んできませんでした。2019年国連子どもの権利委員会は、子どもへの暴力、性的な虐待や搾取が高い頻度で発生していることに懸念を示しています。そこでも、子ども自身が虐待被害の訴えや報告が可能な機関の創設や、加害者に対する厳格な処罰が求められているのです。「監護者性交等罪」の成立で、少しは状況が変わることを期待しています。
――愛知の事件でも、多くの人が「おかしい」と感じる無罪判決が出ました。法律が実情と追いついていないのは問題だと盛んに指摘されています。
後藤 近親姦は児童虐待であり、2000年にできた「児童虐待防止法」で、すでに「禁止された行為である」とされています。愛知県の事件では、「実の娘に性交した父親が、なぜ許されるのか」といった声が出ていましたが、現在の日本では「許されない」のです。当時彼女は19歳だったため、「児童虐待防止法」の「18歳未満の子ども」という対象から外れているものの、それでも、実の娘に性交した父親は「許されない」。裁判では、合意があったか/なかったか、抵抗できたか/できなかったかが話し合われていたものの、そもそも「許されない」のだから、本当は議論の余地すらないはずなのです。許されないのに、なぜ無罪なのか――その「捩れ」にこそ、着目してほしいと思います。
――今後、近親姦、また性犯罪をめぐって、社会がすべきことは何でしょうか。
後藤 日本の社会全体が、子どもに対する暴力を容認している、また暴力による影響を軽視していると感じます。「家」制度の影響は法律上も社会生活上もまだ亡霊のように存在していて、親は親権という権力を持ち、また民法では親の懲戒権が定められています。民法では、体罰を明文で禁止していないので、「しつけの名目であれば殴ってもいい」かのように理解する人が少なくありません。、性暴力は、「しつけ」をも超えるもので、いかなる言い訳もそもそも通用しないはずです。いまの通常国会で、この点について児童虐待防止法に、体罰の禁止を盛り込む法律案が審議されていて、もし成立すれば、一歩前進とは言えますが、性虐待に対する対応はまだまだです。
親からの虐待に限定した児童虐待は「監護者性交等罪」である程度カバーできるので、私は「子ども性虐待罪」を作ればいいと思っています。親はもちろんですが、家庭の外にも懲戒権を持つ「先生」や「コーチ」などがいるので、そうした人も対象となる法律を作る。そして大前提として、性交同意年齢13歳未満を変えることは絶対です。「13歳未満」は変えないというのであれば、そのような性教育を行うべきなのに、現実問題、なされていないのも問題です。さらに、現在日本では、同意がなかっただけでは、罪に問われない条文になっていることもあって、これまであまり「同意とは何か」が自分の問題として考えられてこなかった。この点について、もっと議論されるべきだと思います。
後藤弘子(ごとう・ひろこ)
1958年生まれ。千葉大学大学院専門法務研究科長。専門は刑事法。著作に『ビギナーズ少年法』(守山正氏との共著、成文堂)『よくわかる少年法』(PHP出版)などがある。
最終更新:2019/05/25 18:00
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