2020-07-08

朴泰遠『半年間』を読む

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人文研 2018/11/10 牧瀬
朴泰遠『半年間』を読む
1.『半年間』の書誌
発表:『東亜日報』1933.6.15~8.22 連載 57 回で中断。挿画も朴泰遠。

作品の背景―時代と場所:
 朴泰遠自身の東京留学時期(1930.3~1931 年春、または秋?)の体験を踏まえ、今和
次郎『新版大東京案内』(1929.12 発刊)を参考に、大東京市発足以前、大恐慌以降の東
京を舞台に描いた。当初、小説の設定(構想)としては、1930 年秋から主人公チョルス
の卒業までの半年間を描こうとしたと推定される。
なお、翌 1934 年に発表した『小説家仇甫氏の一日』に回想場面として東京留学時の恋愛
と失恋が描かれたが、李箱の挿絵とともに、『半年間』との類似性が認められる。

2.『半年間』研究の経緯
(1)「法政大学で学んだ朝鮮人作家 朴泰遠のこと」2014.3.19 <法政学研究会>発表
(2)「解放期の朝鮮語教育と朴泰遠-在日と本国」研究発表と文学散歩(구보따라
 도쿄 걷기) 2017.3.3~4 →『구보학보 16 집』(2017.6)
(3)「朴泰遠と今和次郎―『半年間』と『新版大東京案内』を中心に-

 2017.10.8 <朝鮮学会>発表レジュメ
3.『半年間』を読む-現在、現代語学塾月曜班のテキストとして熟読中
(1)主な登場人物
김철수(金チョルス)、キンサン:留学生。27 歳。実家はソウル忠信洞。法政大学で英語
を学ぶ。彼を慕う下宿の娘スミエに英語の個人教授をするうち、彼女に迫られて衝動的に
唇を重ねてしまい、自己嫌悪に陥る。一方、新宿のカフェーで朝鮮人の美人女給ミサコ
(신은숙)に出会い、その境遇に同情しつつ一目惚れし、デートを重ねるが、女給との恋愛
に罪悪感を感じて悩む。
최준호(崔ジュノ)、サイサン:幼くして父に死に別れ、苦労して東京生活も十年になる。
酔うと「陸の王者ケイオー」を歌って自分を励ます。論文「第一線に立つ朝鮮女性たち」
を「主婦之友社」など雑誌社に売り込もうとするが断られ、生活に窮して質屋通い。日本
人の妻は、別居して生活費を稼ぐことを考えている。
조숙희(趙スッキ)、チョーサン:日本大学専門部卒業。30 歳。実家は大邱で精米所経営。
家業を手伝うのを嫌がって卒業後も東京で暮そうとしている。資産家の父は道評議員で妾
までいるのを軽蔑しているが、その親の金をあてにして、東京で玉突き倶楽部を経営した
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が失敗。今度は麻雀倶楽部経営を目論む。豪放磊落な性格だが、崔や黄、チョルスを友人
として支えている。
황인식(黄インシク):親から一銭の援助も無しに、苦学している。チョルスが親がかり
で留学しながら恋愛しているのを知って軽蔑しつつも、貧窮のあまり、チョルスに無心す
る。後に金銭問題で警察沙汰の事件を起こす。
モデルは誰か? 酒豪、廉想燮への言及もあるが……。
朴泰遠と前後して法政大学、日大などに在学していた作家:異河潤、金南天、李源朝
そのほか馬海松との接点も?
馬は 1905 年生まれ、1921 年渡日、日本大学入学、1924 年、文藝春秋社に入社。1930 年『モ
ダン日本』の社長となる。この頃、東京で朴泰遠と接点があったか? 1939、40 年『モダ
ン日本』朝鮮版編集。40 年版には、朴泰遠の小説「길은 어둡고」(1935 年に『開闢』に発
表)の翻訳「路は暗きを」が金鐘煥訳で掲載されている。なお、『海松童話集』が 1934 年、
開闢社から出版されているが、朴泰遠の童話「五男妹」は 1933 年、開闢社の『オリニ』に
連載された。
金素雲との交友あり
「편자의 고심과 간행자의의기-언문조선구전민요집」『東亜日報』1933.2.28
金は、昭和初年に大井町蛇窪に妻静子と住み、同胞を訪ねて民謡の採集をしたという(『天
の涯に生くるとも』金素雲自叙伝)→崔ジュノのモデルの可能性が高い。

(2)主題は何か?
『半年間』は、朴泰遠の留学体験に基づいて小説化されていることから、主人公チョル
スを朴泰遠とみなし、彼がモダン都市東京の最先端、カフェーやダンスホール、映画館(武
蔵野館)でのデートなど、遊び歩いて青春を謳歌し恋愛する描写を通じて、朴泰遠=モダ
ンボーイ、のイメージが作られてきたように思われるが、果たしてそうだろうか? チョ
ルスのみでなく彼をとりまく朝鮮人青年の個性豊かな生態と、彼らが出会った日本人たち
の生態及び意識がつぶさに観察され描写されていることに注目する必要がある。また、チ
ョルスの恋愛の顛末を軽妙に一個の青春小説として描いているようにみえて、実は女給と
いう存在が大きく影を落としていることも特筆すべきであろう。『東亜日報』連載小説とし
て、朴泰遠が東京から発信し朝鮮の読者に伝達しようとした『半年間』の主題は、大別し
て以下のように整理されるのではないか。

(A)帝国日本の首都東京の実態を祖国に向けてリポートする
*恐慌下の東京市民の生活、ひいては在京朝鮮人や留学生の貧窮生活
 「어려운 시절이다」、失業者がにわか露店商に、円タクが 50 銭、30 銭に値切って競争、
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 留学生の授業料滞納、質屋通い、欠食など
 →<留学生の貧窮生活を描いた朴泰遠の小説>:
 「사흘 굶은 봄ㅅ달」1933,「딱한 사람들」1934.
*近代化の実相(今和次郎『新版大東京案内』の引用)
 省電の発達、新宿駅ラッシュアワーの人の波、タクシーの増加、人力車の衰退、無
 声映画館→トーキー映画館、『西部戦線異状なし』がベストセラーに、カフェーの乱立
 ダンスホール、遊郭、エロ・グロ・ ナンセンス、雀荘やビリヤードの隆盛、
*日本と日本人を見る朴泰遠の眼差し
 アリランが物寂しく聞こえ、故郷を思う。屋台で朝鮮語をしゃべるのに侮蔑の視線を
 感じる。철수は、朝鮮人同士での会話では「김군」、日本人からは「긴상」と呼ばれる。
 神保町の朝鮮食堂では『三千里』や『朝鮮日報』講読取次をする。しかしキムチは塩
 辛い。東京の冬は風さえなければコート無しでも耐えられる。日本の井戸は朝鮮の井
 戸とは違い、釣瓶二つで交互に水を汲む。自分の背広を質屋から出すには、女房の着
 物を質に入れなくてはならない。日本の女はタクシーの中でもお辞儀する。

(B)恋愛―性愛への悩み、或いは女の生き難さへの同情
*性と愛の狭間での煩悶
 日本人女性(下宿の娘)と朝鮮人女性(女給)
 →東京で出会った朝鮮人女学生との悲恋は「小説家仇甫氏の一日」1934 年に回想とし
 て描かれた。
*女給について
 「女給を愛するなんていうのは愚かなヤツだ」「女給に対して理解も同情も持たない
 お客が多いので、女給には不孝が絶えないのよ。まず、小夜子の場合が……」「小夜
 子も知らないのではモダンボーイとはいえないわ」「婦人公論もたまには読みなさいよ」
 小夜子というのは広津和郎の小説「女給」のヒロインの名前に違いない。

<広津和郎『女給小夜子』より>
ええ、そうですの。吉永さん〔菊池寛がモデル〕にお会いしたのは、わたしが始
めてカッフェエ・T のお店に出たその晩でした。/一日お目見えをして、二日目いよ
いよカッフェエ・T の女給ということになりました。女給!何というイヤな言葉でし
ょう。一体、何処の無神経な人間がこんな不愉快な響の言葉をこしらえたんでしょ
う。
「何物だ? 女さ。お前さん方がなぐさみ者だと思っている女給さ。お前さん方
お金持ち階級が軽蔑している卑賤なる職業婦人さ。なぐさみ者にして子供でも生ま
れたら『女給の貞操なんか信じられない』と云って逃げ出してしまえば泣寝入りし
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てしまう弱い女給さ。―」

<広津和郎年譜> 『半年間』に関連する項目を抜萃
1913 年(大正 2 年)22 歳 モウパッサン『女の一生』を翻訳
1915 年(大正 4 年)24 歳 年上の下宿の娘・神山ふくと男女の関係となり煩悶した。
1917 年(大正 6 年)26 歳 有楽町のカフェでM子と知り合った
1923 年(大正 12 年)32 歳 銀座のカフェ・ライオンの女給・松沢はまと知り合っ

1930 年(昭和 5 年)39 歳 婦人公論に『女給』を連載 (女給小夜子)(女給君
代)
<映画化>「女給」1931年、「女給君代の巻」1932 年
ハーデー「テス」を翻訳(『世界大衆文学全集』改造社))
1933 年(昭和 8 年)42 歳 「風雨強かるべし」を報知新聞に連載。翌年、改造社
から出版。弾圧が強化されていた左翼運動に共感しつつも実際運動には飛び込んで
いけず精神的に動揺し続ける大学生佐貫駿一を主人公にした物語。
1941 年(昭和 16 年)50 歳 朝鮮・満州を旅行、朝鮮では金史良に会い、満州では
開拓村(弥栄・龍爪・千振村)を視察した。
<朴泰遠が後に女給の悲哀を描いた小説>
「길은 어둡고」1935,「천변푼경」1936-37,「향수」1936,「보고」1936,「성탄제」1937,
「골목안」1939,「女人盛装」1941-42 など。
朴泰遠は、今和次郎のみならず、広津和郎も読んでいたと思われる。また、その後も女
給を初めとする当時の女性の生きがたさをテーマに小説を書き続けたといえよう。
なお、恋愛論としては『The Art of Modern Love』が出てくる。『小説家仇甫氏の一日』
には、スタンダール『恋愛論』、当時、少女小説で人気の吉屋信子の名前が出てくる。

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