2019-03-20
黒田福美 - Wikipedia
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黒田福美
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くろだ ふくみ
黒田 福美
本名 黒田 福美
生年月日 1956年7月21日(62歳)
出生地 日本・東京都板橋区
身長 160 cm
血液型 O型
職業 女優、エッセイスト、翻訳家
ジャンル テレビドラマ、映画
活動期間 1977年 -
配偶者 なし
事務所 キャストパワー
主な作品
テレビドラマ
『電撃戦隊チェンジマン』
『弁護士・朝日岳之助』シリーズ
『わかば』
映画
『タンポポ』
『毎日が夏休み』
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黒田 福美(くろだ ふくみ、本名:同じ、1956年7月21日 - )は、日本の女優、エッセイスト、翻訳家である。キャストパワー所属。2008年2月末まではアミューズに所属していた。東京都立豊多摩高等学校、桐朋学園芸術短期大学演劇学科卒業。趣味は旅行、写真、ヨガ、ヨット[1]。
目次
1人物
2韓国との関わり
2.1発言
3出演
3.1テレビドラマ
3.1.1NHK
3.1.2日本テレビ
3.1.3TBS
3.1.4フジテレビ
3.1.5テレビ朝日
3.1.6テレビ東京
3.2映画
3.3オリジナルビデオ
3.4舞台
3.5バラエティ
3.6CM
3.7DVD
3.8その他
4著書
5訳書
6脚注
7外部リンク
人物[編集]
1977年にTBSのポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』でデビュー。
デビュー当初は時代劇の町娘役が多く、イマイチ大役に恵まれずにいたが、鈴木武幸から出演オファーを受けて『電撃戦隊チェンジマン』に出演。それまでは特撮番組にはまったく縁がなかったが、女王・アハメス役は当たり役となった。
映画では『タンポポ』『毎日が夏休み』などに出演した。
『日立 世界・ふしぎ発見!』の初代ミステリーハンターも務めた。
韓国との関わり[編集]
1980年代から親韓派・韓国通として活動し、独学で朝鮮語を学び、事務所の反対を押し切って韓国留学までした。もともとは1983年にバレーボール韓国代表の姜萬守(カン・マンス)の熱烈なファンになったことが、朝鮮語を勉強するきっかけと語っている[2][3]。
1988年のソウルオリンピック、2002 FIFAワールドカップなどでも活動を行い、1988年放送のフジテレビ『ニュースバスターズ』では韓国レポーターを務めた。
韓国の盧泰愚大統領が1990年に来日した時に開かれた、海部俊樹首相主催の晩餐会に招かれたこともある。韓国のテレビドラマや映画にも多く出演し、好意的に受け入れられている。韓国に関する本も多数出版している。
2008年5月10日、慶尚南道泗川市出身の卓庚鉉(タク・キョンヒョン)神風特別攻撃隊隊員の慰霊碑建立を、泗川市当局との協力により主導。しかし、碑の除幕式直前から市当局が韓国国内の左右両派団体から抗議運動を受け、除幕式は中止となり、その後慰霊碑は撤去された。慰霊碑建立の経緯について黒田は、「朝鮮人特攻隊員の夢を見たことをきっかけで調べてみたところ、卓庚鉉隊員の存在を知った」と語っている[4]。
2011年5月に、韓国政府から「『韓国の正しい歴史や文化』の情報を日本人に教え伝え続けている」として、修交勲章興仁章(2等級)を授与された。
2013年4月15日、韓国・京畿道から同道の観光広報大使を委嘱された[5]。
2014年、産経新聞の元ソウル支局長が大統領批判をしたとして、在宅起訴された際は、韓国政府に批判的な立場をとった[6]。
発言[編集]
パチンコチェーンのオーナーの韓昌祐が代表を務める「韓哲文化財団」の助成金が授与されたことについて、「在日差別への憤りが行動の原点。(日本が)加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで友好の土台を築いていきたい」。助成金は「被差別日系研究所」を設立した辛淑玉と共に授与された[7]。
2014年10月14日、産経新聞のインタビューで、産経新聞元ソウル支局長が大統領批判をしたとして在宅起訴されたことについて「いままで日韓の懸け橋になれればと活動してきたが、今回ばかりは事情が違う。政府の打ち上げた反日の方針に韓国国民も疑問符が浮かんでいるようだ。産経新聞紙面に出ることに正直なところ躊躇もあった。女優として、政治的発言をすることはリスキーだが、自分が保身を考えている場合ではないと思った。日韓友好を願うからだ」と述べ、韓国政府の反日姿勢を批判した[6]。
ある夜、韓国人特攻隊員の卓庚鉉(日本名・光山文博)が夢枕に立ったことから、韓国に彼の慰霊碑を立てることを志す。遺族は黒田の思いに感謝し、「帰郷祈念碑」として完成した慰霊碑は、韓国メディアも好意的に伝えるなか2008年5月、故郷に近い慶尚南道泗川市の公園で除幕式が行われるところまでこぎつけた。碑文は特攻隊員のみならず日本の戦争で犠牲になった韓国人すべてを慰霊、追悼するものだった。しかし、除幕式当日に反日・愛国派団体の「光復会」が押しかけ「親日売国奴の特攻隊を称えるのはけしからん」と反日デモを行う大騒ぎとなった。除幕式は急遽中止となり、慰霊碑も撤去され、市当局などの協力者も手を引いてしまった。この事件について黒田は自身の著書の中で「韓国人たちは反日という柵の中に囲い込まれている羊の群れのようだと思う。光復会に対して意見をしたり、いさめたりすれば直ちに『親日派』というレッテルを貼られて柵から追い出され、社会的に抹殺される。だからだれもが『身を縮めて黙ってうつむく』しかない」と嘆き、さらに「韓国社会が『親日的』とされる言論を封殺し、地位を奪ったりして、人々を社会的に抹殺するようなやり方を止めないかぎり、韓国の言論も社会も成熟しないだろう。このことは韓国人自らが気づき改めないかぎり実現することはない」と述べている。なお、慰霊碑は現在、黒田の志に共感する尼僧の配慮で、ソウル近郊の龍仁市の法輪寺の境内に横になって安置されている[8]。
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