Nobuto Hosaka
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Nobuto Hosaka
保坂 展人
10th Mayor of Setagaya
Incumbent
Assumed office
April 27, 2011
Preceded by Noriyuki Kumamoto
Member of the House of Representatives
In office
October 20, 1996 – October 10, 2003
In office
September 12, 2005 – July 21, 2009
Personal details
Born November 26, 1955 (age 63)[1]
Sendai, Japan
Political party Independent (formerly of Social Democratic Party)
Website hosaka.gr.jp
Nobuto Hosaka (保坂 展人 Hosaka Nobuto) (born November 26, 1955) is a Japanese politician and the current mayor of Setagaya in Tokyo. In addition, he was a member of the House of Representatives for the Social Democratic Party until July 21, 2009.
Hosaka campaigned and won the mayor's job on an anti-nuclear platform in April 2011, just over a month after the Fukushima Daiichi nuclear disaster. According to The Wall Street Journal, Hosaka "is determined to turn this city ward of 840,000 people, the largest in Tokyo, into the front-runner of a movement that will put an end to Japan's reliance on atomic power and accelerate the use of renewable energy".[2][3]
Hosaka opposes the death penalty,[4] and held the position of secretary general of the Parliamentary League for the Abolition of the Death Penalty.[5] He is also highly critical of continued Japanese moral panic against the Otaku subculture in the nation, with one notable case of criticism displayed against public and media related assumptions and gossip surrounding the incidents of November 17, 2004, when Kaoru Kobayashi murdered a 7-year-old girl.[6]
In 2006 and 2007, Hosaka joined the gay parade in Tokyo. Mizuho Fukushima, then-leader of the Social Democratic Party, also joined the event him in 2007.[7]
See also[edit]
Japan portal
Biography portal
Politics portal
Anti-nuclear power movement in Japan
Capital punishment in Japan
Shizuka Kamei
References[edit]
^ "Profile|プロフィール|--元気印。--- 世田谷区長 保坂のぶとWEB". Retrieved August 20, 2016.
^ George Nishiyama (February 6, 2012). "Anti-Nuclear Tokyo Mayor Challenges Big Utilities". The Wall Street Journal.
^ "Anti-nuclear plant candidate Hosaka wins Setagaya Ward mayoral race". Mainichi Shimbun. April 25, 2011. Archived from the original on January 11, 2013. Retrieved May 9,2011.
^ "Death row: limbo of not knowing when". The Japan Times. February 27, 2007. Retrieved May 10, 2009.
^ "Japan's way of judicial killing". The Japan Times. April 8, 2007. Retrieved May 10, 2009.
^ "Otaku harassed as sex-crime fears mount". The Japan Times. February 6, 2005. Archived from the original on December 16, 2007. Retrieved June 1, 2008.
^ 東京プライドパレード、福島さんと歩きました - 保坂展人のどこどこ日記 His official blog(in Japanese)
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保坂展人 - Wikipedia
保坂展人
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日本の政治家保坂 展人
ほさか のぶと
2005年7月2日、東京都議会議員選挙の応援演説にて
生年月日 1955年11月26日(63歳)
出生地 宮城県仙台市
出身校 東京都立新宿高等学校
定時制(中途退学)
前職 ジャーナリスト
総務省顧問
所属政党 (社会民主党→)
無所属
配偶者 あり
公式サイト |||元気印。||| 保坂のぶとWEB
衆議院議員
選挙区 比例東京ブロック
当選回数 3回
在任期間 1996年10月21日 - 2003年10月10日
2005年9月12日 - 2009年7月21日
第10代 世田谷区長
当選回数 3回
在任期間 2011年4月27日 - 現職
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保坂 展人(ほさか のぶと、1955年(昭和30年)11月26日 - )は、日本の政治家、教育ジャーナリスト、東京都世田谷区長(第10代)。
衆議院議員(3期)、社会民主党副幹事長、総務省顧問等を歴任した。
目次
1来歴
1.1生い立ち
1.2教育ジャーナリスト
1.3衆議院議員
1.4世田谷区長
2政策・活動
2.1国会の質問王
2.2表現規制・インターネット規制への反対
2.3通信傍受法と盗聴事件
2.4その他政策
2.4.1死刑廃止論
2.4.2非戦・非核論
2.4.3公共事業
2.4.4選択的夫婦別姓制度
3人物
4所属団体・議員連盟
来歴[編集]
生い立ち[編集]
宮城県仙台市生まれ。祖父保坂貞義は、1935年(昭和10年)から1940年(昭和15年)まで、宮城県第二高等女学校(後の宮城県第二女子高等学校)第10代校長を務め、現職中に死去している。父親はNHK仙台放送局勤務を経て東京勤務となり、一家で東京に転居している[1]。麹町小学校から麹町中学校へ進学。中学在学中、当時世間を席巻していた学園闘争の影響を受け、「麹町中全共闘」を校内に結成。機関紙「砦」の発行やビラ配り、大学生ML派による集会への参加等、積極的な運動を行っていた。そうした学生運動をしていた事実について中学校での内申書に書かれ、高校受験の面接では面接官からの質問が思想にまつわるものに集中。受験した全日制高校は全て不合格であったため、東京都立新宿高等学校定時制に進学した(のちに同校を中退)。
なお、自身が学生運動をしていた経歴が内申書に書かれたために全日制高校に入学できず、学習権が侵害されたとして千代田区と東京都を相手どり、国家賠償法に基づき、損害賠償請求訴訟を起こした。一審・東京地裁は慰謝料請求を認めたが、二審・東京高裁は内申書を執筆した教員の裁量を認め、保坂側が敗訴。最高裁判所に上告したが、最高裁は単に経歴を記載したにすぎず「思想、信条そのものを記載したものではないことは明らか」として上告を棄却した(麹町中学校内申書事件)。
教育ジャーナリスト[編集]
その後、教育ジャーナリストに転じ、管理教育の打破を主張。また、若者が自由に出入りできるフリースペース「青生舎」を1976年から1996年まで運営し、ミニコミ誌「学校解放新聞」を発刊。1980年代の反管理教育の潮流を作り、知名度を上げた。教育ジャーナリスト時代、飲酒により退学処分を受け、学校を提訴し係争中だった西原理恵子を取材している。西原とはその後、カット描きの仕事を紹介するなど交友が続いた。また、日本公文教育研究会が提唱する公文式にも否定的であり、公文式の手法を批判する本も執筆している。
衆議院議員[編集]
1996年、社会民主党の公認で第41回衆議院議員総選挙に東京22区から出馬。新進党の伊藤達也や旧民主党の山花貞夫らに破れ東京22区では得票数5位で落選したが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、初当選した。なお小選挙区での得票率はわずか5.89%であり、供託金は没収された。なおこの選挙をきっかけに、小選挙区での得票率が著しく低い候補者の比例復活の制限が主張されるようになり、公職選挙法改正により小選挙区での得票率が有効票数の1割を下回った場合は、比例での復活ができなくなった[2]。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では東京6区に国替えし社民党公認で出馬。得票数は石井紘基(民主党)、落選した自由民主党の越智通雄を下回る3位であったが、再度比例復活により再選。石井の死去に伴う補欠選挙には出馬を見送り、2003年の第43回衆議院議員総選挙にも東京6区から出馬するが、小宮山洋子、越智隆雄(越智通雄の長男、落選)の後塵を拝し、3位で落選した。得票が有効投票数の10分の1に満たなかったため、供託金を没収され、議席を失った。また、社民党は東京ブロックでの比例議席も失っている(前述の理由で、比例議席を確保していたとしても保坂の復活当選はできなかった)。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、選挙区からの出馬を断念し比例東京ブロック単独で立候補した。社民党は比例東京ブロックでも議席を獲得できなかったが、この総選挙では自民党が大勝し、東京で立候補した候補者の大半が小選挙区で当選したため(比例復活は18区で菅直人に敗れた土屋正忠のみ)、比例では自民党に8議席が配分されたものの、候補者が7人しかおらず、残る1議席が公職選挙法のドント方式により、比例ブロック次点の社民党に回された。社民党の名簿1位の中川直人は小選挙区で有効票数の1割を獲得できなかったため比例復活できず、保坂が当選した。2007年12月、社民党副幹事長に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、選挙協力により東京6区から8区に国替えし、社民党公認、民主党[3]、国民新党、東京・生活者ネットワーク推薦で出馬した。しかし自民党の石原伸晃に敗北し、比例復活もならず落選した(今度は比例ブロックでの議席獲得はなかった)。その後、鳩山由紀夫内閣で総務大臣の原口一博により、総務省顧問に任命された[4]。落選後も社民党副幹事長の職に留まっていたが、2010年1月に辞任(後任は服部良一)。また同年の第22回参議院議員通常選挙への出馬を見据え、3月に総務省顧問も辞任した。7月の参院選には社民党公認、生活者ネット推薦で比例区から出馬するも、再び落選した[5](当選者は福島瑞穂、吉田忠智の2名)。
世田谷区長[編集]
「2011年世田谷区長選挙」も参照
2011年4月6日、記者会見を開き世田谷区長選挙への立候補を表明。なお区長選への出馬に際し、社民党を離党した。区長選には5人が立候補したが、保坂は社民・国民新・新党日本・生活者ネットの4党による支持に加え、隣接する杉並区の区長田中良らの応援も受け、83,983票を獲得し初当選した[6]。なお、候補者氏名を記入する投票による選挙で保坂が当選するのは、これが初めてである(衆議院議員3期は比例代表で当選)。2014年の2014年東京都知事選挙では、脱原発を公約した細川護熙を評価した(落選)。なお、23特別区の区長は、22人までが当選した舛添要一を支援しており[7]、舛添を支援しなかったのは保坂だけだった。
2015年の区長選挙では、政党からの推薦・支持は得ず、民主、共産、社民、生活者ネットの実質支援を受けて臨んだ。自民、公明、次世代推薦で、舛添知事の支援を受けた久保田英文との一騎討ちとなったが、久保田の得票および自身の前回得票の2倍を上回る196,068票を獲得した保坂が再選された。保坂は2019年の区長選挙でも、自民推薦の世田谷区議会前議長の女性候補との一騎打ちを大差で制し3選を果たした。
政策・活動[編集]
2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名運動の発起人になった[8]。
国会の質問王[編集]
保坂が2005年に2選した時、社民党は国会での議席数を大きく減らしており、国会で割り当てられる質問時間は限られていた。そこで保坂は質問主意書を利用し、死刑の廃止についての質問や通信傍受法案に対する批判、年金財政のデータ公開要求等を行った[9]。
国政復帰後も共謀罪や教育基本法審議で論陣を張り、共謀罪では「目配せでも成立」の答弁を南野知惠子法務大臣から引き出した[10]。また2006年4月26日に東京・永田町の参議院議員会館で行われた「共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」で呼びかけ人を務めた[11]。
教育改革タウンミーティングの「発言者謝礼5000円」問題や裁判員制度広報費問題では最高裁判所の不適切な契約を追及した[12]。
国会質問数は第171回国会で546回を超え、朝日新聞で「国会の質問王」と評されたこともある[13]。
表現規制・インターネット規制への反対[編集]
青少年保護を理由とした有害図書規制にも批判的で、2003年の第43回総選挙ではコミックマーケット準備会代表であった米澤嘉博らが推薦人に名を連ねた(ただし米澤は個人としての推薦で、コミックマーケット準備会自体が推薦したわけではない)。2005年12月の「コミックマーケット69」に初めて参加(一般参加者)した[14]。
2006年12月1日の衆議院文部科学委員会で現行著作権法の規定ではダウンロード違法化が実現したときに国会インターネット審議中継のビデオライブラリの配信が違法となってしまう可能性があるのではないかと指摘したのに対し、文化庁が「参考人質疑など被写体となった当事者の許諾を得ることが必要となる」と答弁するなどその事実を認めた[15]。
2008年、児童ポルノ禁止法について新たに単純所持の禁止などを追加する改正の動きに対し、慎重な議論を求める請願を255人の署名とともに衆議院に提出。児童ポルノ画像や映像の所持・取得に罰則を設けることは「多くのえん罪事件や捜査権の乱用、プライバシー侵害や行き過ぎた監視国家化が引き起こされる」と主張し、新たな罰則を設けないよう求め。児童ポルノの定義を明確なものにすることや、イラストを同法に含めないことも求めている[16][17]。
2008年11月10日に動画投稿サイトニコニコ動画のコンテンツであるニコニコ生放送で「青少年ネット規制法」の制定や「児童ポルノ禁止法」の改正についてのネット政策討論会を行う。20時20分より開場し開演は20時30分から、終了したのは21時30分。事前に「ニコ割アンケート」で児童ポルノ禁止法、ネット規制問題に対するユーザーの考えを聞き、その結果に基づいて進行した[18][19]。
2009年4月4日にコンテンツ文化研究会の主催により、「児童ポルノ禁止法」やインターネット規制をテーマにした「保坂展人と語る、マンガ規制・ネット規制の今」に参加した。当イベントには保坂展人のほか、山口貴士、渋井哲也も参加[20]。
通信傍受法と盗聴事件[編集]
1999年の通信傍受法案審議中、自分の携帯電話が「盗聴」されていると告発した[21]。保坂がテレビ朝日『朝まで生テレビ』に出演した際の交渉会話が記録された怪文書が朝日新聞社に届けられ、これは警察が試験的に始めた通信傍受によるものという内容だったという。実態はわからないが、当時の与党からは「組織的犯罪対策三法成立を妨害しようとした者の犯行ではないか」(野田毅自治大臣)という批判も出た。また、電話の相手は普段は平河クラブ(与党担当の記者クラブ)・宏池会担当のテレビ朝日記者であったという。保坂は被疑者不詳のまま検察に告訴したが、2000年、証拠不十分で不起訴処分となった[22]。
その他政策[編集]
死刑廃止論[編集]
死刑廃止議員連盟で事務局長を務めるなど、死刑廃止を唱える[23]。
非戦・非核論[編集]
「非戦・非核」を主張[24]。
公共事業[編集]
公共事業チェック議員の会事務局長を務め、静岡空港建設反対運動[25]やグリーンピア問題にも取り組んだ。
選択的夫婦別姓制度[編集]
選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[26]。
人物[編集]
1996年初当選の辻元清美や中川智子、また1998年に参院議員に初当選した福島瑞穂らと共に「土井チルドレン」と呼ばれ、労働組合との関係が比較的薄い「市民派」の議員と見做されていた。
2002年に北朝鮮による拉致問題に関連して、土井たか子や福島瑞穂・辻元清美らと共に主流の経済制裁を拒否して対話路線を支持した。2010年9月26日には『「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する全国集会』に参加し、高校無償化法を朝鮮学校、高等専修学校に適用するように働きかけることを約束した[27]。
2004年6月、東京都狛江市長選挙に立候補した、現職の矢野裕の応援演説を行った。矢野は日本共産党の党員であり、他党に所属する非共産党員が、落選中であっても日本共産党の候補者の応援をするのは極めて稀である。なお、矢野市政での狛江市議会において社民党会派は与党勢力には加わっていなかった。なお、後に保坂が区長になった世田谷区議会で日本共産党は当初は区長選で対立候補を擁していたが、2期目では上記の通り、事実上の支援を行った。日本共産党の公式HPでも、世田谷区議会は与党と位置づけている[28]。
2007年2月6日に柳澤伯夫厚生労働大臣が若者の結婚、出産願望が高い事を示した上で「ご当人の若い人たちは、結婚をしたい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけです」などと発言したことに対し保坂は自身のブログで「『健全』『健全』と2回も出てくる。『若い人たちが結婚して2人以上の子どもを持ちたい』という願望を持つことが『健全』だというなら、政界では若手だが世間では中年の(私も同世代と断っておく)安倍総理は『夫婦ふたりで子どもなし』は『不健全』ということにならないか」と当時の内閣総理大臣・安倍晋三に子供がいないことを例に挙げて発言を批判した[29]。
趣味は読書、ブログ日記。
坂本龍一と交流が深い。
2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している[30]。
所属団体・議員連盟[編集]
チャイルドライン設立推進議員連盟(事務局長)
死刑廃止を推進する議員連盟(事務局長)
公共事業チェック議員の会(事務局長)
著作[編集]
単著[編集]
『脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?』ロッキング・オン、2016年
『88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方』ほんの木、2014年
『闘う区長』集英社[集英社新書]、2012年
『保坂のぶとの現場レポート 八ッ場ダムはなぜ止まらないのか』(DVD作品)ほんの木、2010年
『保坂展人のザ・質問4』保坂展人と元気印の会、2007年
『学校だけが人生じゃない』結書房、2006年11月 ISBN 4-902127-10-5
『保坂展人のザ・質問3』保坂展人と元気印の会、2005年
『年金を問う 本当の「危機」はどこにあるのか』岩波書店[岩波ブックレット]、2004年10月 ISBN 4-00-009337-1
『年金のウソ 隠される積立金147兆円』ポット出版、2004年6月 ISBN 4-939015-66-1
『保坂展人のザ・質問 国会質問300回記念第156国会質問集2』(社会新報号外)保坂展人と元気印の会、2003年
『次世代政治家活用法 困ったとき、怒ったときにあきらめるな!』リヨン社、2003年3月 ISBN 4-576-03056-6
『学校を救え!』ジャパンタイムズ、1999年
『保坂展人のザ・質問 1年生議員100回の国会質疑&質問主意書全記録』(社会新報号外)保坂展人と元気印の会、1998年
『ちょっと待って! 早期教育』学陽書房、1996年
『続・いじめの光景 こころの暴力と戦う!』集英社[集英社文庫]、1995年
『危ない公文式早期教育』太郎次郎社、1994年
『学校は変わったか こころの居場所を求めて』集英社、1994年
『いじめの光景』集英社文庫、1994年
『子どもが消える日』労働教育センター、改訂新版、1994年
『カオスの海を渡るには 世紀末の時代を読む』群羊社、1994年
『子どもが消える日』六興出版、1991年
『あたたかい人間のことばで伝えたい 3メートルの距離から見た土井たか子』リヨン社、1990年
『造反有理読本 楽シイ反逆ノススメ』風媒社、1987年
『元気印青春論 もっと自分らしく生きようぜ!』大和出版、1986年
『学校が消える日』晶文社、1986年
『やったね!元気くん 元気印レポート3』集英社、1985年
『学校に行きたくない 元気印レポート2』集英社、1984年[31]
『街で発光せよ 学校を超えて』筑摩書房、1984年
『ガンバレ!はみだしっ子 チコは学校に行かない』ポプラ社[ポプラ・ノンフィクション]、1984年
『先生、涙をください! 学校からの緊急報告 保坂展人の元気印レポート』集英社、1983年
『いこうぜ元気印! 学校地獄からの脱出』野草社(新泉社)[80年代別冊]、1981年
『麹町中学へ死の花束を―造反の青春を生きる』たいまつ社[たいまつ新書]、1978年
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共著[編集]
(天空企画編)『ウチナー・パワー』コモンズ、2010年
(土井たか子、村井吉敬、アジア人権基金編)『アジア・ヒューマンライツ アジア人権基金の歩み』梨の木舎、2010年
(阿部とも子)『どうなる!?高齢者の医療制度』ジャパンマシニスト社、2008年6月 ISBN 978-4-88049-183-7
(福島瑞穂編)『憲法学校 “憲法と私”を考える集中授業』明石書店、2007年
(海渡雄一)『共謀罪とはなにか』岩波書店〈岩波ブックレット〉、2006年10月 ISBN 4-00-009386-X
(岩瀬達哉、大川豊)『官の錬金術 失業保険1兆円はどこへ消えたか』WAVE出版、2005年11月 ISBN 4-87290-237-8
(一番ヶ瀬康子、小沼肇編)『子どもと福祉文化 実践・福祉文化シリーズ 第2巻』明石書店、2004年
(教育と医学の会編)『現代人の心の支援シリーズ2 知と感性をそだてる-児童期-』慶應義塾大学出版会、2002年
(太田誠一、池坊保子、田中甲、石井郁子)『きこえますか子どもからのSOS 児童虐待防止法の解説』ぎょうせい、2001年
(斎藤次郎、吉永みち子)『こうすれば学校を救える』風媒社ブックレット、2000年
(年報・死刑廃止編集委員会編)『年報・死刑廃止 99』インパクト出版会、1999年11月
(だめ連、宮崎学ほか)『TALKING Loft 3世 Vol.2 新宿歌舞伎町Loft/Plus ONEトーク集』ロフトブックス、1999年
(三沢直子、宮台真司)『居場所なき時代を生きる子どもたち』子ども劇場全国センター出版局、1999年
(福島瑞穂)『盗聴法はいらない』社会民主党全国連合機関紙宣伝局、1999年
(三沢直子)『愛することと働くこと 学校・家族・仕事をめぐる対話』築地書館、1997年
(井上俊、上野千鶴子、大沢真幸、見田宗介、吉見俊哉編)『岩波講座現代社会学15 差別と共生の社会学』岩波書店、1996年
(鎌田慧)『いじめられている君へ いま言えること、伝えたいこと』徳間書店、1995年
(安達倭雅子、辻あづさ他)『いじめ いま、親にできること』木馬書館、1995年
(ハイサイ、宝島編集部編)『喜納昌吉チャンプルーブック Earth spirit』JICC出版局、1991年
(土居充夫ほか)『行政改革その軌跡と展望 第5巻 臨教審何処へ 1982-1989』記録ジャーナル社、1989年
(庄司博一ほか)『行政改革その軌跡と展望 第6巻 年金改革に潜む行革 1982-1989』記録ジャーナル社、1989年
(金山福子)『やだもん 保坂展人の元気印ランド』小学館、1987年[32]
(青生舎編)『元気印大作戦』角川書店[角川文庫]、1985年
(辛基秀、伊藤ルイ、寺本知、鎌田慧)『生きることについて 1984年度 同和教育学習資料』枚方市、1985年
(鈴木孝子)『子どもたちの悲鳴 体罰シンドロームの学校で』風媒社、1985年
編著[編集]
『先輩が怖い! 中学生に広がる新・身分制度』リヨン社、1989年
共編著[編集]
(岡崎勝共)『佐世保事件からわたしたちが考えたこと 思春期をむかえる子と向きあう』ジャパンマシニスト社[Oha special]、2005年3月 ISBN 4-88049-144-6
(山本ななえ)『あきらめなかった少女たち 傷ついた心のネットワーク』リヨン社、1996年
(S・I戦略研究グループ)『高校サバイバル戦略』日本ドリコム、1992年
(平野裕二)『困った先生(コマセン)白書』日新報道、1991年
(トーキング・キッズ)『先生、その門を閉めないで 告発・兵庫県立神戸高塚高校圧死事件』労働教育センター、1990年
(福音館書店編集部)『手紙青春模様1 校庭のかたすみから』福音館書店、1987年
(福音館書店編集部)『手紙青春模様2 いま、時代のなかへ』福音館書店、1987年
(村上義雄、中川明)『体罰と子どもの人権』有斐閣[有斐閣人権ライブラリイ]、1986年
(尾山奈々)『花を飾ってくださるのなら 奈々15歳の遺書』講談社、1986年
脚注[編集]
[ヘルプ]
- ^ (日本語) “「真実はしなやかに強く、虚構は硬くてももろい」――加計学園閉会中審査を聞いて”. ハフィントンポスト (2017年7月26日). 2017年7月26日閲覧。
- ^ 小選挙区での得票率5.89%は比例復活の中では歴代最低記録であり、既に公選法が改正されたため現行法上に則れば記録が更新されることはない。
- ^ 2008/09/12 次期衆院選公認内定、推薦を追加決定 常任幹事会
- ^ 総務省顧問の発令 総務省 2009年10月23日
- ^ 保坂氏が総務省顧問を辞職(産経新聞2010.3.17 19:48)
- ^ 世田谷区長選挙 開票結果
- ^ 2014年02月11日16:24 「都知事選挙の舛添候補大勝の流れをつくったことの一つが23区区長と三多摩市長の支援表明だ」 - 土屋正忠
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ^ 保坂展人 質問主意書
- ^ 第163回国会 法務委員会第6号(平成17年10月21日(金曜日))
- ^ 「共謀罪」反対で、超党派国会議員と市民の緊急集会
- ^ 保坂展人のどこどこ日記、2007年12月21日
- ^ 2000年5月8日付朝日新聞
- ^ その後もコミックマーケットとの関係は続き、2009年の総選挙に際しても公示前に「コミックマーケット76」を訪れて漫画・アニメへの「表現規制問題」についての意見聴取を来場者から行った。保坂展人のどこどこ日記 2009年8月15日「8月15日、夏のコミケ訪問記」 [1]
- ^ 保坂展人のどこどこ日記・2006年12月3日付
- ^ 第170回国会 40 児童買春・児童ポルノ禁止法改正に当たり、拙速を避け、極めて慎重な取り扱いを求めることに関する請願
- ^ ねとらぼ:「エロゲーは危険な社会を作り出す凶器」――規制を求める請願、衆議院に - ITmedia News
- ^ ニコニコニュース‐エロゲを守れ? 11月10日生放送に保坂衆議院議員が出演
- ^ 『ネット政策討論会~児童ポルノ禁止法、ネット規制問題について語る~』Part1‐ニコニコ動画(ββ)
- ^ コンテンツ文化研究会:「保坂展人と語る、マンガ規制・ネット規制の今」無事に成功致しました。
- ^ 「保坂議員盗聴される」毎日新聞、1998年7月8日
- ^ 「保坂議員盗聴事件 『不起訴』処分に」毎日新聞、2000年12月28日夕刊
- ^ 保坂展人のどこどこ日記、2010年11月29日
- ^ 環境安全保障と「非戦・非核」への道を願う 保坂展人のどこどこ日記 2006年7月23日
- ^ 保坂展人のどこどこ日記 浜岡原発・静岡空港に行ってきた
- ^ 読売新聞2010年参院選 各党候補者アンケート
- ^ フォーラム平和・人権・環境|集会等の報告|「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する全国集会に1500人参加
- ^ 日本共産党が与党の自治体|党紹介 日本共産党中央委員会
- ^ 「結婚し2人以上子どもを望むのが健全」柳沢第2失言に驚く- 保坂展人のどこどこ日記
- ^ 辻元清美 政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京
- ^ のちに『今、いじめが爆発する!』というタイトルで2時間ドラマ化された(月曜ワイド劇場枠で放送)。
- ^ 第35回産経児童出版文化賞受賞(1988年)
関連項目[編集]
日本美術刀剣保存協会
麹町中学校内申書事件
外部リンク[編集]
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