旭日旗
1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され、1889年に大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として使用されている。このような沿革から、戦前・戦中(日本軍)から戦後(自衛隊)までを通じた、日本の軍事を象徴する旗と見做されることがある[1][2][3][4]。
また、日本では、旭日旗と同様・類似の意匠は、戦前からを含め、現在に至るまで、商工業、商品デザイン、広告、スポーツ応援、その他の軍と無関係な民間・民生の分野においても広く普及しており、また、政府機関・公的機関においても、勲章や警察章などでも使用されている。
目次
概要[編集]
「旭日」の意匠自体は比較的古くから広く親しまれており、一部は「日足(ひあし)」と呼称され武家の家紋として用されていた(「日足紋」)[5][6]。特に九州地方の武家に好んで使用され、例として、肥前の龍造寺氏や筑後の草野氏の「十二日足紋」、肥後の菊池氏の「八つ日足紋」等がある。九州地方に多いのは肥前・肥後が「日(ヒ)の国」と呼称されていたことと関係があるという説がある[7][注 2]。
旭日には古来からいくつもの種類があり、光線が四方八方に雲なく広がる意匠はハレを表現し、慶事などの際にめでたさ・景気の良さを強調するために用いられていた意匠でもあった[8][9]。また、紅白の組み合わせも同じく日本において古くよりハレを意味し、縁起物として多用されていたものであった。
その旭日と紅白を意匠とし、日章旗(#国旗としての日章旗)を基に白地に太陽光を表す赤系の光線(旭光)を用いたものが「旭日旗」であり、1870年に大日本帝国陸軍の旗章たる「陸軍御国旗(軍旗)」として考案・採用、法令上初めて制定されたものが旭日旗の起源である(#軍旗・軍艦旗としての旭日旗)。遅れて1889年には、大日本帝国海軍においても軍艦旗として旭日旗を採用。第一次世界大戦時には陸軍の戦闘機の国籍標識に旭日の意匠が一時的に採用された。第二次世界大戦後においては、1954年の自衛隊の発足に伴い陸上自衛隊において「自衛隊旗」、海上自衛隊において「自衛艦旗」として旭日旗が採用されている。
この陸軍御国旗として考案された旭日旗は光線が16条(十六条旭日旗)であるが、いわゆる旭日旗全体では他にも4条・8条・12条・24条など光線の本数が多彩に渡るものが存在しており、これらも統一して旭日旗と称される。
日本軍の軍旗・軍艦旗としての旭日旗[編集]
国旗としての日章旗[編集]
詳細は「日本の国旗」を参照
開国以降、この日章旗は維新政府のもと1870年2月27日(明治3年1月27日)の「明治3年太政官布告第57号」で「御国旗(御國旗)」(=商船旗・軍艦旗)とされ、改めて日本の国旗として扱われるようになった。もともと「白地に赤丸(日章)」の意匠は平安時代末期から使用され、また縁起物として江戸時代当時には広く普及していたものであり、日章旗の意匠自体はこれに由来する。
軍旗・軍艦旗としての旭日旗[編集]
いわゆる「旭日旗」は、明治政府が事実上の「国旗」として上述の日章旗を制定したのとほぼ同時期、建軍まもない当時の帝国陸軍の軍旗として、1870年6月13日(明治3年5月15日)の「明治3年太政官布告第355号」で「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」として制定されたものである。この陸軍御国旗の意匠は、日章位置が日章旗と同じく中央に位置し、さらに皇室の紋章である菊花紋章と同じ16条の光線(十六条旭日旗、紅白を合わせれば十六八重表菊と同じ三二条)を放つ図案であり、兵部省(陸軍省の前身)において考案された。これは日章旗を幕府陸軍が軍旗として採用したため、それと敵対した新政府軍の系譜たる陸軍に新たな象徴たる軍旗(=旭日旗)が必要とされたことによる。
新生日本の各藩統合陸軍のシンボルであるこの陸軍御国旗は、近代陸軍編制の基幹部隊である連隊に対し授与されるもので、廃藩置県が終わり本格的に陸軍が発足したのちの1874年(明治7年)1月23日、大元帥である天皇(明治天皇)から近衛師団隷下の近衛歩兵第1連隊と近衛歩兵第2連隊に親授されている。なお、この軍旗授与式において明治天皇は「近衛歩兵第一連隊編制成ルヲ告ク 仍テ今軍旗一旒ヲ授ク 汝軍人等協力同心シテ益々武威ヲ発揚シ以テ国家ヲ保護セヨ」の勅語を軍旗と共に連隊に賜っており、当時から「陸軍御国旗」を指して「軍旗」と称す事は極めて一般的であった。
1879年(明治12年)12月2日、「明治12年太政官布告第130号」によって、従来の陸軍御国旗は旭日の意匠と竿頭の菊花紋章はそのままに、縦横の寸法を1m以下にし四方に房を付けたものにされ、名称を一般呼称であった「軍旗」と変え改めて制定し直された(「陸軍御国旗」を指して「軍旗」と称す事はかねてより一般的であった)。この軍旗は歩兵連隊および騎兵連隊に授与されたことから、俗称として「連隊旗(聯隊旗)」とも呼称されている。
その陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、「明治22年勅令第111号」で従来の日章旗から変更されるかたちで、海軍は陸軍の軍旗の意匠(旭日旗)を流用・模倣し、日章位置が旗竿側に寄る旭日旗を「軍艦旗」として制定している。
- 日本陸軍のものは、軍旗#大日本帝国陸軍を参照。
- 日本海軍のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗、大日本帝国海軍の旗章を参照。
陸軍臨時航空隊の国籍標識[編集]
第一次世界大戦時に編成された日本軍初の実戦航空部隊(飛行部隊)たる、帝国陸軍の臨時航空隊飛行中隊の装備機(モーリス・ファルマン MF.7・ニューポール NG)の垂直尾翼には、「日本の機体」という国籍を明示するための「国籍標識」相当として「16条の旭日」が描かれており、これらは青島の戦いに投入されドイツ帝国陸海軍と交戦している[10]。後に日本軍航空部隊の国籍標識は「日章のラウンデル(日の丸)」となり、自衛隊航空部隊にもこれは継承され主翼や機体側面に描かれているが、最初期はこの様に「旭日」が用いられていた。
敵国だったアメリカ合衆国における描写など[編集]
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戦時のプロパガンダ映画における描写[編集]
ウォルト・ディズニー・プロダクション(現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)は、第二次大戦の時期に複数、ドナルドダックを主人公とする戦争プロパガンダ映画を制作しているが、その内、ドナルドダック・シリーズに含まれる『総統の顔』、『ドナルドの襲撃部隊』の2作品、及び、アメリカ合衆国財務省からの依頼で制作されたためにシリーズに含まれない『新しい精神』、『43年の精神』の2作品では、アメリカ合衆国にとっての敵国軍としての日本軍を象徴する旗として旭日旗が登場し、同様にアメリカ合衆国にとっての敵国軍としてのドイツ軍を象徴する旗としてハーケンクロイツが登場するのと対置して描写されている[11][注 3]。
戦後のフィクション作品における描写[編集]
第二次大戦の終戦から17年後の1962年にアメリカで発表された、「もしも第二次大戦で枢軸国が勝利し、アメリカ合衆国が日独によって分割されていたら。」という架空の世界を舞台にしたフィクション、『高い城の男』では、その第1版の表紙に、枢軸国のドイツを象徴するハーケンクロイツと並んで枢軸国の日本を象徴する旭日旗が表示されており[12][注 4]、また、第二次大戦の終戦から70年後の2015年に配信が開始された、その実写化である『高い城の男』でも、本編・広告・ティザー動画などの随所に枢軸国のドイツを象徴するハーケンクロイツと対置して枢軸国の日本を象徴する旭日旗が描写されている[13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][注 5]。
南部連合国旗・南軍旗などとの対比[編集]
現代のアメリカ合衆国内や英語圏における固有の事情として、南北戦争の主要な原因の1つとなったアメリカ国内における奴隷制度の廃止(奴隷制度廃止運動)を巡る対立の中で、黒人奴隷制の維持を目的にアメリカ合衆国からの独立を宣言した南部の諸州から構成され、アメリカ合衆国(北軍)との間で南北戦争を戦って敗北したアメリカ連合国が、その国旗や軍旗(アメリカ連合国陸軍)・軍艦旗(アメリカ連合国海軍)として用いていた、いわゆる「Confederate flag」を公の場で掲げることにつき、
- いずれも、アメリカ合衆国(the United States of America)が戦争で敵対して勝利した、国家や軍隊の公式な旗であったこと。
- 片やアメリカ合衆国における人種主義・人種差別(アメリカ合衆国の人種差別)や奴隷制などを象徴する旗と見做され、片や大日本帝国における軍国主義・帝国主義(日本帝国主義)や東アジア一帯に対する軍事占領・植民地拡大などを象徴する旗と見做される等、いずれの旗も、その旗の下で抑圧された側から見れば負の記憶の象徴として見做されることがある旗であること。
- その一方で、片や近年までサウスカロライナ州の州議会議事堂で掲揚されていたことやジョージア州の州旗の意匠に取り入れられていたこと、加えて現在もミシシッピ州の州旗の意匠に取り入れられていること、片や現在も陸上自衛隊の自衛隊旗や海上自衛隊の自衛艦旗として使用されていること等、いずれの旗も、現代に至るまで長く公の機関による公式な旗として使用されている旗であること。
明治から戦前に至る時期における浮世絵・錦絵[編集]
「帝国陸軍の軍旗・旭日旗」は、上掲・後述の戦争画(浮世絵)や軍歌『敵は幾万』(歌詞第2番冒頭「風に閃く連隊旗 記紋は昇る朝日子よ」)などで散見されるように、明治時代初期当時から既に有名な存在であった(例として、1877年(明治10年)2月15日開戦の西南戦争を題材とし、同年3月ないし4月の早々に描画・出版された一連の戦争画(錦絵・浮世絵)の内、『田原坂激戦之図』小林永濯、『九州植木口激戦図』『鹿児島征討記肥後国二重嶺戦争之図』早川松山、『鹿児島征討記之内 高瀬口河通之戦争』『鹿児島記聞之内 副将村田討死之図』大蘇芳年、『鹿児島戦記』楊洲周延、『鹿児島紀聞 吉次越激戦篠原討死之像』『城山攻撃戦図』山崎年信[30]他多数においては、官軍(帝国陸軍)の象徴として「陸軍御国旗(軍旗)」が描かれている)。
自衛隊旗・自衛艦旗としての旭日旗[編集]
第二次世界大戦敗戦に伴い、日本の陸海軍は解体され軍旗としての旭日旗の歴史が一旦途切れるも、1954年(昭和29年)に発足した陸上自衛隊では旧陸軍時代の軍旗を元に考案された八条旭日旗の「自衛隊旗(連隊旗)」が、同じく同年発足の海上自衛隊では旧海軍時代の軍艦旗と同じ意匠の「自衛艦旗」が採用され、旭日旗の使用が復活した。この自衛隊旗と自衛艦旗の選定にあたり、保安庁の両幕僚監部は専門家に意見を伺うなどをしている。選定の庁議では艦旗が旧軍艦旗と同一であったことに懸念の声もあったが、保安庁次長の増原惠吉は「(両旗は)旭光を中心とした点で保安庁としての思想は一致している」としてそのままでの決定となった[32]。
- 陸上自衛隊のものは、軍旗#陸上自衛隊、自衛隊の旗#陸上自衛隊の旗を参照。
- 海上自衛隊のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗、自衛隊の旗#海上自衛隊の旗を参照。
なお、陸上自衛隊が自衛隊旗として採用している八条旭日旗の意匠自体も十六条旭日旗と同時代の古くより存在しており、例として1880年(明治13年)に永島孟斎により描かれた箱館戦争を描いた浮世絵、『箱館大戦争之図』や『時明治元戊辰ノ夏旧幕ノ勇臣等東台ノ戦争破レ奥州ヘ脱走ナシ夫ヨリ函館ヘ押渡再松前城ニ於テ合戦ノ図』[33]では、官軍(新政府軍)が自衛隊旗の意匠とほぼ同じ八条旭日旗を掲げ、旧幕府軍と戦闘を行っている場面が描画されている。
民間・商業・スポーツなど「軍」と無関係な利用[編集]
「軍旗#軍旗の意匠」も参照
旭日の意匠は、「僥倖」(ぎょうこう)を意味し、ハレの祝辞に掲げられていたことにもちなみ、「軍旗・軍艦旗」の枠を超えて民間においても広く普及し、現代においても祝賀のイベントや「天晴れ」の象徴としても多く利用されており、漁師の大漁旗としても好んで使われ、また、「めでたい(時に脳天気という意味も含めて)」ことや「景気が良い」ことを表す漫画的表現などにも組み込まれることが多いデザインであり、或いは、以下のように民間において企業ブランドや商品デザインの一部などにも用いられている。
- 朝日新聞社の社旗等のブランドに使われている。1879年朝日新聞は、旭日の意匠を用いたデザイン(水平線上に半体をあらわして光を放つ赤い旭日の中に『朝』の字を白抜きにした図柄)を考案し、これを事件現場で取材する際の目印として大阪府庁に提出した。旭日章に似た目印である。この目印が書かれた提灯を持って火事の現場へ出入りしたという。1889年、この目印を左右二つに分ける形で二種類の社旗を作った。一般的な旭日旗の一部分を成すようなデザインとなっている[注 6]。又、この目印から、白抜きの朝の字を取り旭光の数を減らしたものが社章となっている[34][35]。これら社旗・社章のデザインは新聞販売所の看板等に見られる[3][4]。さらに、社旗のデザインは同社所有の飛行機・ヘリにも使われている[36]。1937年より使用した神風号・朝風号では、機体の両側面と両翼の端に旭日の社旗のデザインが取り入れられている[37]。1952年より使用した朝風号(二代目)・若風号[38][39]から近年の「はやて」「あすか」(2002年より使用中)[40][41][42]に至るまで同様に旭日の社旗を配置したデザインを踏襲している[38]但し、両翼部分については、戦前の二機は白抜きの朝の字が無く、戦後のものは白抜きの朝の字が入っている。また、戦後のものは左翼側の旭日意匠が翼の上に配置されている。朝日新聞社が主催する全国高校野球選手権大会においては、開幕試合の始球式は朝日新聞社のヘリコプターからボールを旭日の大阪本社社旗と供に投下する[40][43]。地方大会の始球式でも同様に投下が行われる[36]。
- アサヒビールの名前由来の一つとして、「日出づる国に生まれたビールへの誇りと、昇る朝日(旭日昇天)のごとき将来性、発展性を願ったもの」と言われる[44]。1958年に発売された日本発の缶ビールであるアサヒゴールドには旭日の意匠をつかったデザインを使用。レイモンド・ローウィによるデザインである。復刻版として2009年に発売された[45]。同じく2011年発売の復刻版である初号アサヒビール復刻版にも旭日の意匠が使われている。1892年当時の中井芳滝によるデザインをそのまま使用した。これらのデザインは1世紀に渡り「アサヒブランド」の象徴となっている[46]。
- アサヒコーポレーションの履物ブランドのロゴに使われている。同社とブリヂストンの前身である「志まや」は1914年、「志まや足袋」から「アサヒ足袋」へと商品ブランドを変更する際に、「波にアサヒ」という旭日の意匠を使ったマークを採用した。当時の経営者石橋正二郎の祖父の代から続く古風な「志まや」から「アサヒ」へと商品イメージを一新する狙いがあった。大正から昭和にかけゴム靴の生産を始め、「アサヒ靴」というブランドにおいても同様の旭日のマークが使われており同社の代表的商標となった[47][48]。
- あけぼののブランドマークとして缶詰[5]や冷凍食品[6]などの商品に使われている。
- 1911年、イギリスに遊学していた園田武彦がハンドレページと共同で作った「園田式飛行機」には、尾翼に旭日が描かれていた。同飛行機のエンジンは園田が日本に持ち帰り、民間航空の発展に繋がった[49]。
- 日本オーシャンレーシングクラブ(NORC、後に日本外洋帆走協会、現日本セーリング連盟)は、1954年1月の発足にあたり旧軍艦旗デザインの旭日旗をヨット国籍旗(エンサイン)として採用した。発足時のNORC副会長であるイギリス人の手によりロイズのヨット年鑑に公示登録がなされた。しかし、NORC国籍旗は同年7月の自衛隊発足後に自衛艦旗との「重複」が判明する。海自側から求められて旗のデザインは防衛庁に譲渡されることとなった[50][51][52]。NORCは新たに青地の左上(カントン)に八条旭日旗(旧大将旗)を配置した旗をエンサインとした[53][54]。
- プロ野球中日ドラゴンズの私設応援団の全国竜心連合が応援旗として青地に旭日旗を描いた旗を使用している。
サッカー[編集]
前述の様に勝利の祈願の旗として、サッカー日本代表戦でサポーターが応援旗として振ることがある[55]。日本代表のサポーターの中には、赤色をチームカラーの青色に変更した旭日旗を応援旗にする者もいる。また浦和レッズ、サンフレッチェ広島、セレッソ大阪、FC東京、大分トリニータ、北海道コンサドーレ札幌等の他のチームのサポーターも赤色をチームカラーに変更したり、ガンバ大阪や名古屋グランパス、川崎フロンターレの様に横断幕の一種として掲げたり、コレオグラフィーとして表現するチームもある[56][57]。
但し、後述のように、国際試合(特に中国や韓国など東アジアのチームとの対戦)においては、旭日旗の掲出が「差別的」「政治的」「挑発的」な行為と判断され、或いは、その他の理由で規制されるケースが見られる。
これは、国際サッカー連盟 (FIFA) が、そのスタジアム安全警備規定第60条第2項[58]で「試合主催者は、地元の警察当局と連携しながら、スタジアムやその近辺で、サポーターが挑発や攻撃的行為を行わないようにしなければならない。例えば、選手や審判、相手チームのサポーターが許容できないレベルの挑発や攻撃的なヤジや差別行為、さらには攻撃的、挑発的な内容を含んだ横断幕や旗などもこれに含まれる」と定めていることを根拠としている[注 7]。
また、日本サッカー協会 (JFA) も「試合運営管理規定」に「第4条(禁止行為)施設に入場しようとし、または入場した者は、運営・安全責任者が特に必要と認めた場合を除き、いかなる施設においても次の各号に掲げる行為をしてはならない」として同様の規定を有し、その中で「政治・思想・宗教・軍事・差別的な主義、主張、観念を表示、若しくは連想させるような掲示板、立て看板、横断幕、懸垂幕、のぼり、旗、プラカード、ゼッケン、文書、図面、印刷物等を持ち込み、又は設置、掲揚、着用、散布、貼付すること。」を禁止しており[59]、この内、「軍事(的な主義、主張、観念を表示、若しくは連想させるような)」という部分は、2010年2月から改訂・追記された規定である[60]。
日本のチーム(代表もクラブも含む)が主に中国や韓国など東アジアのチームと対戦する際、特に日本代表チームの試合の内でホーム(日本国内)で開催される試合については、主催の日本サッカー協会により、入場時の荷物検査や入場後も試合開始前に旭日旗が没収されることがあり[要検証 ]、また、Jリーグのクラブ・チームでもAFCチャンピオンズリーグでクラブ同士が対戦する場合にもスタジアムへ持ち込まないよう、現地の日本大使館やJリーグのクラブなどからサポーターへ指導されることがあり[61][出典無効]、例えば、2008年、在中国の日本大使館は、2008年北京オリンピックにおいて中国を訪れる日本人に対し、「旭日旗を振るとトラブルを起こす可能性がある」「政治・民族・宗教的な旗の掲揚禁止」として、旭日旗を掲げることを避けるように呼び掛け[62]、また、川崎フロンターレは、2010年4月28日に中国・北京で開催されたアウェイ試合、AFCチャンピオンズリーグ2010・北京国安 vs 川崎フロンターレ(北京工人体育場)に際し、公式サイト内の観戦ガイドにおいて、「持ち込み禁止物」の中に、公安からの指示として「政治的に敏感な内容、ホームサポーター及び中国人を刺激すると判断される内容を記したものは禁止」「旭日旗、日の丸も禁止」と明記している[63]。
アジアサッカー連盟 (AFC) は、2017年4月25日に開催されたAFCチャンピオンズリーグ2017・水原三星ブルーウィングス vs 川崎フロンターレ(水原ワールドカップ競技場)において、川崎サポーターが旭日旗を掲げた行為を「他国を差別・挑発する行為」に該当すると判断してクラブ(川崎フロンターレ)を処分した[64]のに対し、川崎は、このAFCによる「政治的、差別的」との判断に対し、当初のみならず判断が確定した後も公式サイトなどで不満・反論を示しつつも、処分が覆る可能性が低いとの見通しを明らかにした上でスポーツ仲裁裁判所(CAS)への提訴を断念し[65]、それに伴い、以降のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)における試合に際しては、ホームかアウェイかを問わず、また相手チームがオーストラリアのクラブ(メルボルン)であるケース[66]や日本国内のクラブ(浦和)であるケース[67][68]も含め、「対戦相手や会場に関わらず、同様の混乱が予想される可能性のあるバナー類(旭日旗等)の掲出については自粛を」と公式サイトで観戦者に呼び掛けている[69][70][71][72]。
ヨーロッパを拠点にFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権においてサッカーにおける人種差別を根絶するためにプロモーション活動を行っているfare (Football Against Racism in Europe) は、スタジアムで禁止されるべき標章などをまとめた「Global guide to discriminatory practices in football」(仮訳「フットボールにおける差別的な行為へのグローバル・ガイド」)にて、「かつて日本陸軍・海軍で使用された」、「第二次世界大戦の戦前や戦中における日本の軍国主義や植民地主義の象徴だったと見られている」、「特に韓国や北朝鮮や中国のファンや他の第二次世界大戦中にインパクトを受けた地域における他国のファンから差別的と考えられている」などの事実を前段に挙げた上で、後段にて「現在も海上自衛隊の象徴として使用されている」、「商業広告でも使用されている」などの事実を挙げながら「第二次世界大戦中に日本の軍事的な行動の影響を受けた国々によって現在も依然として差別的と見做されている」として、[要検証 ]旭日旗を明記している[4]。
ギャラリー[編集]
旧陸軍[編集]
陸自[編集]
旧海軍[編集]
海自[編集]
一般利用[編集]
東アジアからの反発・日本国内からの反応[編集]
第二次世界大戦までの経緯もあり、東アジア諸国、特に韓国内や韓国外でも韓国系の団体やメディアなどから、強く非難する動きが見られる。
韓国系など東アジアからの反発[編集]
webarchiveなどで確認できる限り、芸能人などが旭日旗に似たデザインを含む衣装などを着用した際に、それらを問題視する韓国メディアや中国語メディアによる記事は、それらメディアの日本語版サイト等においても(早いソースで2001年から)配信されている[74][75][76][77]のに対し、2011年1月25日、サッカーアジア杯準決勝の日韓戦で日本人に対する侮蔑を意図したとされる「猿の真似」パフォーマンスを行った韓国代表の奇誠庸が、人種差別にあたるという批判に対し、「観客席にあった旭日旗[注 8]への報復のために行った」と反論したことを契機に「旭日旗そのものに問題があり、国際社会から追放するべき」とする韓国世論の主張が大きく伝えられるようになった[79][80][81][81]、との説が日本国内の一部で主張されているが、それが契機でないとしても、少なくとも、この時期を境に、後述のように、それ以前に比べて抗議が激化している。[要検証 ]
「奇誠庸#猿真似パフォーマンス騒動」も参照
韓国・欧米などで、韓国人団体が旗や意匠を使った物品・影像等の撤去・除去を求める主張を受けた側の反応は様々であり「謝罪した」「撤去(除去)した」とメディアが伝えるケースもある[82][83][84][85][86]。IOC、ニューヨーク近代美術館はこれら韓国側の主張を退けている[87][88]。また、韓国メディアが主張が通ったと伝えるものの実際にはデザインが使われ続けるケースもある[89][90]。
2012年8月10日の韓国大統領李明博による竹島(韓国名:独島)上陸の直後に開催されたロンドンオリンピックサッカー3位決定戦において、朴鍾佑が「独島はわれわれの領土」と書かれたプラカードを競技場で高く掲げるという行為を行い、日本側は抗議し国際オリンピック委員会(IOC)も政治的表現を問題視したが、その一方で韓国では内村航平などが着用していた放射状のユニホームが標的となり[91]、「IOCが日本の旭日旗ユニフォームは黙認して、 '独島セレモニー"の韓国サッカー選手について制裁を議論するは差別」と慰安婦がIOCに抗議文を送る騒ぎに発展[92]。韓国国会議員・韓国世論・在米韓国人らにも抗議は急速に広がり、旭日旗を「戦犯旗」と呼んだり「ナチス党旗と同じ性格の旗(ハーケンクロイツ)」とまで主張するようになった[93][94][95]。9月3日には、朝鮮日報が旭日旗について『「軍国主義の亡霊」旭日旗、日本では一般的』という記事の中で「朝日新聞の社旗にも旭日旗の模様があしらわれている」「アサヒビールが1892年発売のビールを再現した限定商品には旭日旗が描かれていた」「(コシノヒロコ氏はロンドン五輪女子体操代表のユニホームで)日の丸を配置して太陽が躍動する力強い美しさを表現した(と述べた)」などと紹介した[96]。
ロンドンオリンピックの直後に韓国は国際オリンピック委員会(IOC)に旭日旗に問題があると訴え、説明をしたが、IOC関係者は、そのような問題意識は初めて聞く内容であったとし[97]、またIOCのジャック・ロゲ委員長も朴鍾佑選手の竹島プラカード問題は政治的表現禁止規定違反だが、日本の旭日デザインは違反とはならないという判断を示した[87]。また、韓国は第二次大戦中に日本の植民地となった国々にも協調を呼びかけたが、理解は得られず(中国は韓国の問題意識は理解しつつも、国家間で決めることであり、スポーツの場で訴える内容のものではないと述べている)、韓国の新聞社は旭日旗を見ると韓国人は怒りがこみ上げるが、国際社会では何も問題とされておらず、「もう一つの国旗」程度と認識されている事を伝え、「政治家が外交的に先に解決すべき問題」と主張している[97]。
2013年、総合格闘家のジョルジュ・サンピエールはニック・ディアスとの試合において旭日旗が描かれた道着を着用した[98]。これに対して韓国人格闘家のジョン・チャンソンは自身のフェイスブックに「旭日旗はアジア人にとってハーケンクロイツと同様の戦争犯罪の象徴であり、日本軍はナチスのように「軍国主義」の名の下にこの旗を掲げ残虐行為をした[98]。日本政府の謝罪は十分ではなく、今も被害に苦しんでいる人がいる。」と抗議した。その抗議に対しサンピエールと道着をデザインしたHayabusaは「意図したものではなく、傷ついた人たちに謝りたい」と謝罪した[98]。
2013年7月28日の東アジア杯の日韓戦で韓国サポーターが安重根などの巨大な幕を掲げたが、これをJFAの抗議により前半終了後に韓国サッカー協会が強制撤去したことについて、韓国の安敏碩国会議員が同協会に謝罪を要求。その際に、安議員は「日本のサポーターが日本軍国主義を象徴する『旭日昇天旗』を持って入場した。国際サッカー連盟に訴えるべきだ」と要求した[99]。また韓国外務省も、東アジアカップサッカー日韓戦後の2013年8月1日の定例会見で「(旭日旗が)韓国国民と、過去に日本帝国主義の被害を受けた人々にどのような意味を持つものか日本はよく分かっているのではないか」と表明した(抗議が始まったのは2011年[79])[100]。
2013年9月、韓国の公共の場で旭日旗を掲げた場合、1年以下の懲役または300万ウォン(約28万円)以下の罰金を科す刑法改正案を韓国の国会議員が提出した[101]。これを受け菅義偉官房長官は「旭日旗が軍国主義の象徴という指摘は当たらない。大きな誤解がある」と批判。韓国政府に適切に対応するよう申し入れると述べた[101][102]。法案に関わる議員関係者によれば、2014年春に成立する可能性があると2013年に報じられて以降、法案成立の報道は無い[103]。
韓国人または韓国系は丸いモノから放射状に伸びてるデザインなどを見ると「戦犯旗」のデザインがあるとして世界中で撤去を求める活動に発展している。国内でもカニエビバーガーの包装紙[104]や日の丸弁当[105]など批判対象は様々で、2012年には2009年に設計されて造られた京畿道高陽市花井駅の駅前広場の噴水を中心に放射状に線が広がる模様が入っているデザインが、上空から見るとそうだと猛批判されるようになった。デザイン者は「高陽市は井戸があった場所なので、生命の源泉としての井戸、そして歩行の中心となる中心線を強調したデザインにした」と旭日旗と広場のデザインは関係ないと反論した。共同設計者も「 花井広場のデザインは、花と水が一緒になる姿を表現している」「設計には多くのスタッフと協力メーカー、4度の住民公聴会などが開かれたが、誰も問題視しなかった。冷静にみてほしい」と過熱する批判に反論した[106]。
2014年にアメリカのペンシルベニア大学に留学していた韓国人が芸術文化研究ホール(ARCH)の食堂のステンドグラスが旭日旗[107]をモチーフしていると認定して韓国系学生会と共に学校対して撤去しろと抗議活動したことが校内新聞で明らかになると非韓国系の在校生から非難の声が上がった。韓国系のロビー団体まで連れてきたが270余年の歴史を持つ伝統校の建物だったため学校側に却下された[108]。2017年にはズワイガニが載ったデザインや絵が旭日旗に見えるとして韓国では頻繁に叩かれるようになっている。ズワイガニの入ったハンバーガーの包み紙や過去にも韓国人漫画家の漫画のキャラクターの背後のズワイガニが叩かれたことなどから中央日報はズワイガニは外見のために不要な誤解を受けるようにされた「失敗したデザイン生物」という汚名を得たと報道した [109]。
日本人・日本国内からの反応[編集]
これらの反発に対し、日本人・日本国内からも様々な反応が見られる。
反発に反論する反応[編集]
産経新聞では、韓国の旭日旗に対する姿勢を批判し、第二次大戦中に日本の相手であった米国でさえ、旭日旗に対してなんの抗議もしていないし、それどころか友軍の旗として自然に敬意を表してくれている、と主張している[110][注 9]。産経新聞出版社長の皆川豪志は、自身が編集長を務めるオピニオンサイト「iRONNA」(産経デジタル)でまとめた記事の中で、韓国人が朝日新聞社の社旗・社章(上述参照)を何ら問題にした事がない、と主張している[112][注 10]。
1980年代に時事通信ソウル特派員を務めた評論家の室谷克実は大韓民国では旭日旗は近年まで批判の対象とされていなかった[79]と述べ[80]、また、近現代史研究家の水間政憲によれば、かつては「朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていた」と主張している[114]。
旭日旗をナチスドイツにおけるハーケンクロイツ旗と同じであるとする韓国内の一部の主張に対し、SBIサーチナの如月隼人記者は、旭日旗の起源は「太陽信仰」であり「めでたさ」や「勢いのよさ」を表すのに対し、ハーケンクロイツ旗は成立の当初から「アーリア民族の優位性」をシンボル化したもの(「赤は社会理念」、「白は国家主義理念」、「ハーケンクロイツは、アーリア人種の勝利のために戦う使命」を表す)であって、両者の持つ背景は異なる、また、ドイツでは、第二次世界大戦中に使われていた軍旗「黒十字」の意匠が戦後もドイツ連邦軍の国籍標識に使用されており、軍旗が政治性をともなうとは限らない。さらに、もし韓国が「(日本が過去において)周辺国を侵略する際に使った国家的なシンボルは、すべて使うべきではない」と主張するならば、英国国旗やフランス軍旗など欧州列強が伝統的に用いてきた旗に対してすべて異議を唱えなければならず、さらには32万5900人の兵力をベトナムに送り込んだ韓国は、ベトナムが韓国軍旗に対して「わが国侵略のシンボルだった。使用は好ましくない」と主張した場合に自らの主義主張に基づき韓国の国旗や軍旗を排除するのか、と主張している[115]。
反発に親和的な反応[編集]
スポーツの分野、特にサッカーにおいては、FIFAやAFCが中国や韓国など東アジア地域のクラブ・チームや代表チームと日本のチームとの対戦における旭日旗の掲出を「他国を差別・挑発する行為」と見なしているケースがあること(前述)を受け、フリーライターの清義明はACL2017水原vs川崎戦を受けたAFCによる処分[61]や2018 FIFAワールドカップ・グループH 日本vsセネガル戦で掲げられた旭日旗に韓国メディアが反応したことに触れ、fare(Football Against Racism in Europe) による旭日旗に関する説明[4]を基に、「(太平洋戦争で日本が掲げた目標である)大東亜共栄圏が日本人の選民思想だととられても仕方ないことを日本はしてきた」と述べ、旭日旗が東アジア諸国に対して「差別的な存在」であるとして、韓国のチームとの対戦に限定せず、あらゆる国際試合で旭日旗を掲げるべきでない、と主張している[116]。
旭日旗に類似する旗[編集]
国際的にも、類似した意匠は、国旗・軍旗として頻繁に使用され、東側諸国においては、マルクス・レーニン主義や社会主義的農村主義のシンボルとしてポスターなどに良く使われた。
チベット亡命政府[編集]
詳細は「チベットの旗」を参照
イギリス保護下チベットのガンデンポタンが1912年(明治45年/大正元年)に国旗として制定したチベット国旗は、意匠の考案に日本人研究者・青木文教が関与していたこともあり、間接的に「帝国陸軍の軍旗たる旭日旗」の影響を受けている(「日本の軍旗の半分を冩し取つた樣な旭日を置き」「此新軍旗は時々風に飜る調子で日本の軍旗の様に見えるので、更に改定する筈であつた」[117])。 なおチベット亡命政府は、領土、軍隊などを持たず、正式な国家として捉えている主権国家は存在しない。 よってチベット自治区の旗とは考えられていない。
ソビエト連邦[編集]
ソビエト連邦時代の1917年12月20日に創設されたソ連空軍の軍旗、ソビエト連邦構成共和国時代の1921年設立したグルジア共和国の国旗など、旧東側諸国(共産主義国家)でも旭日に相当ないし擬似する意匠は使用されていた。
ウクライナ[編集]
マケドニア[編集]
マケドニア共和国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した当初はヴェルギナの星と呼ばれる意匠を国旗に使っていたが、もともとこの意匠を自領のマケドニア地域の旗に使っていたギリシャとの間の論争に発展し、1995年(平成7年)に現国旗に変更したが、その意匠が旭日旗に似た意匠となっている。
カレン民族解放軍[編集]
統一教会[編集]
韓国の新宗教団体で1954年に設立した世界基督教統一神霊協会(統一教会)は、団体のマークに旭日を取り入れている[118]。
ベネズエラ・ララ州[編集]
脚注[編集]
注記[編集]
- ^ 中央上部の軍旗は描画にあたってややデフォルメされている。
- ^ 現代においては単なる文様としても用いられており、例としてゆりかもめの日の出駅の駅文様に採用されている。
- ^ 『総統の顔』や『ドナルドの襲撃部隊』と同時期に前後して制作された、同じくドナルドダックを主人公とする戦争プロパガンダ映画で、且つ、同じくドナルドダック・シリーズに含まれる、『ドナルドの入隊』、『ドナルドの透明人間』、『ドナルドのパイロット』、『ドナルドの軍隊行進』、『ドナルドの新兵さん』(いずれも山寺宏一がドナルド役を演じる)は、日本を含む世界で販売されているのに対し、先述の4作品は、日本においては、(『ドナルドの襲撃部隊』のみ過去に販売されていたことがあるが、その後に絶版になったため、)販売されていない。
- ^ なお、Wikipedia英語版の『The Man in the High Castle』には、冒頭部に件の第1版の表紙が表示されている。
- ^ なお、Wikipedia日本語版でも、Wikipedia英語版の『The Man in the High Castle (TV series)』でも、冒頭部などにハーケンクロイツと旭日旗とが対置されている作品内の画像が表示されている。
- ^ 朝日新聞社の社旗は二十四条旭日旗を4等分した意匠で、まず上半分で日の出(朝日)を表し、さらに左半分(大阪本社)と右半分(東京本社)の2種類の社旗がある。日章部分に「朝」の文字が入るのは共通。
- ^ アジアサッカー連盟(AFC)を含むFIFA傘下の各大陸連盟も、同様の規定を有している。
- ^ 実際に観客席に旭日旗が掲げられていたというソースは発見されていない[78]。
- ^ 但し、その意味では、そもそも韓国軍も韓国政府も、軍や政府として公式に旭日旗に対して抗議・批判・非難をしたことがないのであり、2016年に日本の自衛艦が韓国の鎮海・済州島一帯で行われた「西太平洋潜水艦脱出および救助訓練」に参加するために旭日旗を掲げて鎮海港に入港した際にも、それに対して特に韓国軍や韓国政府が抵抗した形跡もないまま無事に入港できており、事後的に韓国系と見られる世論が賛否両論を示したのみである[111]から、米軍や米国政府の態度を引き合いに出すのは、韓国軍や韓国政府の態度と同じであると言える一方で、第二次大戦に従軍した米軍の退役軍人の間では、旭日旗を日本の軍国主義の象徴であると見做す見方も存在する[1][2][3]ので、その意味では、軍や政府による公式な見解・態度と、退役軍人を含む民間の人々の受け止めとの間には、米国内でも韓国内でも、一定の乖離があると言える。[独自研究?]
- ^ 朝日新聞記者の武田肇はTwitterで、朝日新聞の社旗は旭日の意匠を用いたデザインであるものの、旭日旗とは意匠や歴史はまったく異なり、朝日新聞社が軍旗をまねたという説は事実でないと述べている[113]。
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