慰安婦問題の始まり
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最終更新日:2016/10/01 12:08
慰安婦問題が明るみに出た経過を整理してみます。
* 1970年代に日本人のキ-セン観光に対して、韓国の女性たちが批判を始めました。
「日本男性は、戦争中同胞の女性たちを女子挺身隊員として軍の力で狩り出し、それを反省もせず、
今度は金の力でキ-センの性を弄んでいる。」という内容でした。
ところが韓国は当時独裁政権で、
日本とうまくやるために国際観光振興政策をとり、あまり問題としませんでした。
注:女子挺身隊
日本軍は工場労働者として朝鮮女性を狩り出すとき「女性挺身隊」という名称で、
募集、詐欺募集、強制連行を行ないました。
そして労働者だけではなく慰安婦も同じ名目で狩り出されました。
* 1977年には日本でも、松井やよりさんたちが中心になってキ-セン観光反対運動が始まりました。
* 1984年にシンガポ-ル特派員をしていた松井やよりさんは、
タイで韓国人の下慰安婦「盧寿福」さんにインタビュ-し、朝日新聞に掲載しました。
注: 松井やよりさんはシャ-ナリスト(朝日新聞)として活躍、
薬害サリドマイド事件でも取材を続けました。
VAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワ-ク)の代表でした。
2002年12月27日肝臓ガンで亡くなられました。
* 1988年、韓国梨花女子大学教授「尹貞玉」さんが「日本軍の犠牲になった同時代の女性たちを歴史の闇の中に
埋もれさせる事は出来ない。
この問題に余生を捧げたい」と来日しました。
そしてアジア各地の取材を始めました。
* 1990年1月、韓国ハンギョレ新聞に尹貞玉さんが「挺身隊取材記」の連載を開始。
* 1990年5月、盧泰愚大統領来日の機会に「挺身隊問題の解決を」と、
韓国の女性団体が声明を発表37団体が「韓国挺身隊問題協議会」を結成、
日本韓国両政府に対し公開書簡を送りました。
内容は・・・・
日本政府に対しては
- 日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること
- そのことについて公式に謝罪すること
- 蛮行の全てを自ら明らかにすること
- 犠牲となった人々のために慰霊碑を建てること
- 生存者や遺族たちに補償すること
- こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること
韓国政府に対しては
- 日本政府から謝罪を受け取ること
- 韓国政府が積極的に真相解明をすること
- 韓国に慰霊碑建て、日本政府から被害賠償を受け取り、生存者がいる場合にはその被害者に補償をすること
- 不平等で屈辱的な外交関係を、自主平等外交に転換すること
- 日本の韓国への歴史歪曲を訂正させ、自らも「慰安婦」の被害を歴史教育に明記すること
* 1990年6月6日、国会、参院予算委員会での労働省清水傳雄職業安定局長の答弁
「(戦前の)国家総動員法に基づく徴用には従軍慰安婦は関係ない。
慰安婦なるものは民間の業者が連れて歩いたというのが実体で、調査できかねる」
* 1990年12月、ソウルで開かれたアジア女性人権評議会主催の「アジア女性人身売買問題会議」で、
韓国代表が「慰安婦問題」を報告。
アジア各地に知れ渡る。
* 1991年8月、韓国で元慰安婦として「金学順」さんが初めて名乗り出た
12月には金学順等、3名が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴しました。
その直前の11月28日、NHK「ニュ-ス21」のインタビュ-に答えて
「日本軍に踏みつけられ、一生を惨めに過ごしたことを訴えたかったのです。
日本や韓国の若者たちに、日本が過去にやった事を知って欲しい」
注: 公式には金学順が最初に名乗り出たことになっていますが、
実は1990年5月の韓国の雑誌「時代人物」に
「恥辱と絶望の人生を克服し国の独立を願って生きる沈美子さん」
という記事があった事が発見されました。
伊藤孝司氏が2001年4月に発見したものです。
つまり沈美子さんが金学順せんより早く名乗り出たということです。
* 1992年9月、TFFCW(フィリピンの女性人権擁護団体)のマスコミを使った呼びかけに対して、
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんがフィリピンで最初の証言者として名乗り出ました。
* その後、フィリピン、台湾、マレ-シア、インドネシア、中国、北朝鮮、オランダの元慰安婦たちが
続々と名乗り出ました。
* 1993年6月、ウイ-ンで開かれた「国連世界人権会議」で取り上げられる。
* 1995年8月~9月、北京の世界女性会議で行動綱領に取り上げられました。
以上のような経緯で慰安婦問題が闇の中から明るみに出てきたのです。
心無い一部の人は「どこまで謝れば気が済むのか?」「土下座外交」「自虐史観」・・・・と言いますが、
日本はいつ国として調査・謝罪・補償をしたのでしょうか?
この問題が明るみに出たのはまだ最近、
1991年なのだということを覚えておいて欲しいと思います。
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