2019-07-29

日本軍「慰安婦」問題の核心 | 林 博史 |本 | 通販 | Amazon



日本軍「慰安婦」問題の核心 | 林 博史 |本 | 通販 | Amazon

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KM

5つ星のうち1.0嘘も1000回言えば本当になる。2019年2月2日

ひたすら事件裁判をのせているが軍は戦時中も発見されれば犯人をさばいている。
事件を取り上げひたすら軍の関与に結論を持って行こうとする。
世界中のすべての戦時中の個別の犯罪をそれぞれの国家の関与と組織的な犯罪だと言っているようなもので、それを証明してほしい。
多くの日本人婦女子が戦後引き上げてくるときに朝鮮人から極悪非道な性暴力を受けて堕胎せざるを得なかったの朝鮮人の犯罪を糾弾してほしいものだ。

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根本

5つ星のうち4.0数々の証拠文書の提示、そして慰安婦問題をとりまく現状(15年6月現在)2016年8月19日
Amazonで購入
私は「祖父の証言」というサイトを作っております根本と申します。戦争でチチハルに行っていた祖父の慰安婦証言サイトです。
(検索願います)
さてこの本の内容はタイトルの通り。沢山の証拠文書(公文書)を提示し慰安婦問題が事実である事を証明するとともに、
慰安婦問題の研究の進展、新たに発掘された資料、否定派の人達や被害者支援団体、歴史学者などの活動が紹介されている。

第一部では安倍首相や否定派による河野談話攻撃、慰安婦問題否定キャンペーンが語られる。
安倍は結局、国内外から批判を浴びて、河野談話見直しは出来なくなった(P10)。
今時のネット上では「朝鮮人はウソつきで歴史を歪曲ねつ造する」などと言われているが、慰安婦問題に関してはそういう事をやっているのは日本人の方なのだ。特に首相や政治家自らがやっているのだからホントにどうしようもない。
なぜ証言も証拠もすべて無視しようとするのか・・・日本人なら潔く歴史を認めるべきだ。
被害者の証言、日本軍人の回想録、公文書(合計1000点近く発掘されている)、などから慰安婦問題は事実だと証明されている、と説く。さらにこの制度の犯罪性、当時からそれは認識されていた事、終戦時の証拠隠滅、などが資料を交えながら解説される。
世界各国の日本に対する非難決議、国連からの勧告、内外の被害者支援団体の活動、否定論者の攻撃やそれに対する反駁、などが語られる。

第二部では数々の証拠文書を交えながら慰安婦問題を解説していく。下の方に改めて書くが、ここでは本当に色々な資料が提示されている。
「女性国際戦犯法廷」では日本側資料と被害者証言を突き合わせて加害者を特定する作業が行われた。
例えば河床淑さんのケースでは彼女が連行されたのが「三成楼」であり第11軍司令官岡村寧次と第六方面司令官岡部直三郎が責任者であることを実証した。(P125)
裏付け資料の無い証言でも厳しい史料批判を行いそれに耐えたものは証拠として採用する、それが歴史学の基本なのだ。

第三部では「歴史資料隠蔽と歴史の偽造」と題して旧日本軍による終戦時の組織的証拠隠滅とBC級戦犯裁判記録が提示される。
朴裕河「帝国の慰安婦」への批判も盛り込まれている。この書は慰安婦問題に詳しい人ほど批判的傾向が強まるようだ。

第四部ではアメリカ軍の性売買政策と性暴力が語られる。ここもさすがは学者、という感じで本当によく調べてあると思う。
第二次大戦中にこれほど大規模かつ組織的に慰安所を作ったのはやはり旧日本軍とドイツ軍だけのようだ。
特に旧日本軍慰安婦制度は際立った組織性と暴力性を持っており、さらに素人女性を大量徴集しはるか遠方まで連行して性の相手を強要したこと、それは日本軍だけに顕著にみられる特徴であり、現在でも日本だけが非難告発される理由の一つだろうと推測される。(P334-336)

しかし本書、マイナス点も感じた。
1、日本戦争責任資料センターの機関誌を再掲しただけのものが多いので重複箇所がけっこうある。
もっと、慰安婦制度の企画立案→女性の徴集管理移送→慰安所の設置管理運営→慰安婦の生活実態→戦後の状況、といったように、項目別に分けて論じてほしかった。
2、もう少しビジュアル面を充実させてほしかった。活字が多くて若干、読みずらいかも。
3、資料の内容を簡単に、でいいから書いてほしかった。以下に書く資料内容はかなりの部分、私がネットや他の書物から調べたものである。素人にはここまで調べるのはかなり骨が折れるので、内容を摘記してほしかった。

というわけで個人的には非常に有益な本だと思いましたがマイナス点もあったので★一つ減点させていただきました。

◎◎◎この本に紹介された証拠資料の一覧(ほとんど公文書。被害者証言や日本軍人の回想録などは除きました)◎◎◎

1、BC級裁判(オランダ裁判関係)バタビア裁判第69号、106号事件
「スマラン事件」の裁判。44年2月、ジャワ島スマランにおいて抑留所に収容されていたオランダ人女性ら約35人(16、17歳から20歳代)を日本軍が強制的に「慰安婦」にした事件。2件13人が起訴され、うち慰安所開設の責任者の少佐が死刑、将校6人と慰安所業者4人が2年から20年の禁固刑。

2、BC級裁判(オランダ裁判関係)バタビア裁判第5号事件
「櫻倶楽部事件」の裁判。43年9月~45年9月、インドネシアで慰安所「櫻倶楽部」を経営者していた青地鷲雄が、シデン抑留所を含むバタビアやその周辺都市から徴募したヨーロッパ系の女性・少女に対して、売春の拒否や辞職を申し出た女性を殴打し「憲兵に捕まる」と脅すなどして、売春を強制していた事件。青地は「強制的売淫のための婦女子の誘拐および売淫の強制」として10年の刑を宣告され獄中で病死。

3、BC級裁判(オランダ裁判関係)バタビア裁判 第25号事件
・・・海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が、多数の市民に対する虐待や強制売春の容疑で起訴され、
禁固12年の判決。法務省文書ではこの事件を「三警事件」と名付けている。戦後、彼は法務省の調査(62年8月)に対し、
「戦中の前後約4カ年間に二百人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」
「慰安婦徴集が戦犯として追及されることを恐れ、軍の資金を使って住民に懐柔つまりもみ消し工作をし、戦犯追及を免れた」
と証言している。また資料として被害者の証言多数が含まれており、特別警察隊長である被告によって暴力的にあるいは騙されて連行されたと証言している。慰安所の経営を命じられた人物は、女性たちが泣き叫ぶ姿を目撃しており、彼女たちが強制されてきたと断言している。

4、BC級裁判(オランダ裁判関係)バタビア裁判 第88号事件
ジョンベル憲兵分隊事件の裁判。42年4月~45年9月の間、インドネシア・ジャワ島東部の都市であるボンドオソやバニュワンギにて、
和田都重憲兵大尉以下17名が被検挙者の一般市民男女に対し暴行や拷問、虐待を行い、オランダ国籍の女性を慰安所に監禁して慰安婦を強制し、非合法に2名を殺害した事件の裁判。和田大尉以下6名に死刑判決、9人に5-20年の有期刑、2人に無罪の判決。和田は48年10月に脱獄・逃亡したが発見され射殺。(被害者女性7名の貴重な尋問調書が掲載されている。必読。P222-230)

5、BC級裁判(オランダ裁判関係)ポンチャナック裁判 第13号事件
44年7月~45年9月の間、インドネシア・西ボルネオ州ポンチャナック及び各地において海軍大尉・岡島利耆以下13名が市民の虐待・大量殺人・不法大量検挙・少女や婦人の強制売淫(つまり慰安婦を強制)した事件の裁判。岡島大尉以下7人に死刑、5人に10年~20年の有期刑、1人に無期刑の判決。

6、BC級裁判(中華民国裁判関係)南京裁判 第12号事件
第6師団長・谷寿夫(原文は伏字となっているが谷のことである)及びその所属部隊が1937年8月に中国・保定において家具や骨とう品の略奪や婦女を脅迫しての慰安婦強制、同年12月に南京大虐殺への関与、婦人に対する強姦、家屋の破壊行為などを行った容疑に対する裁判。47年3月に谷に死刑判決、同年4月に銃殺刑執行。
(※ただし谷は南京大虐殺への第6師団の関与を否定している。大虐殺そのものは否定せず)

7、BC級裁判(中華民国裁判関係)徐州裁判 第1号事件
45年3月20日、独立警備隊第一大隊第三中隊長・古性與三郎が合肥県西門外において、中国人男性に犬をけしかけて陰茎を咬傷させた上、両足を切断して殺害し、更に部下に指図してその妻を強姦させ、また婦女を強迫させて慰安婦にし、自らも観音院の18歳の少女を弄び性欲処理の道具とした容疑などに対する裁判。46年6月死刑判決、9月執行。

8、BC級裁判(中華民国裁判関係)上海裁判 第136号事件
44年8月、第40師団が桂林市に駐屯中、ある将校が食堂に婦女子数十名を拉致して軍属の姦淫取楽に供し、また心田村の秦姓の男子の生殖器を切断するという酷刑を施し、また同師団が広西省南寧を退却する時、広東省欽県において、財物の掠奪、婦女の強姦、平民惨殺、財産の破壊等をなした容疑の裁判。(※本裁判は被告取り違えにより無罪判決が下されている。)

9、BC級裁判(中華民国裁判関係)太原裁判 第3号事件
蒙疆政府平魯県警察隊・指導官の(氏名不詳)は、45年5月に平魯県において、驢馬を鹵獲した容疑、および中国人婦女を徴集し
強迫して娼婦とした容疑に対する裁判。前者は有罪、後者は無罪と認定され、懲役10年の判決。
(※被告は、婦女を徴集し脅迫して娼婦としたのは日本軍の警備隊長であり警察隊は関係がなかったと主張し、この件に関しては無罪となっている。ただし本裁判は慰安婦強制事件は日本軍警備隊と警察隊のどちらに責任があるのかを争点としており、事件そのものを否定しているわけではない。)

10、BC級裁判(グアム戦犯裁判記録) 慰安婦関係資料(45年7月)
アメリカ海軍がグアムでおこなった戦犯裁判において、在留邦人が、グアム女性を「意思に反してかつ同意なしに売春目的で不法に連行した」という「慰安婦」強制容疑で有罪となった。他の容疑も含めて死刑判決が下されたが最終的には15年の重労働に減刑。

★★以上のBC級戦犯裁判結果を、日本はSF講和条約で「受諾」しているため、いまさらこれらの事実が「無かった」と否認することは「できない」。★★

11、「渡支邦人暫定処理に関する件」閣議決定、打合事項「支那事変に際し邦人の渡支制限並取締関係雑件 暫定処理要綱」(40年5月)
・一般旅行者の渡支を差し止め、(一)慰問を目的とする者、(二)家事用務、商取引、定住、現地商社勤務を目的とする者に限る。
・特殊婦女(芸妓、酌婦、女給、軍慰安所雇傭員その他)は原則として証明書を発給しないこと。ただし欠員補充は認める。
・軍属、軍雇用人でない者(主として特殊婦女)の渡支は現地憲兵隊発給の証明書ではなく、領事館発給の証明書に依らしめるよう取り計らう事。

12、「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」(94年1月)
オランダ政府が94年1月に発表した旧日本軍慰安婦被害事件に関する調査報告。上記のスマラン事件・フロレス島事件・マゲラン事件など、計9件の強制連行や性行為を強制した事件が報告されている。これによれば、日本軍の慰安所で働いていたオランダ人女性は200人から300人に上るが、うち65人は売春を強制されたことは「絶対確実である」としている。

13、「朝鮮人特殊婦女ノ厦門渡航取締ノ件」(38年7月)
朝鮮総督府警務局長から朝鮮各道警察部長あての通達。厦門への朝鮮人特殊婦女(慰安婦)の渡航は、現地において警察が当分その営業を許可しないため、取り締まりの対象となっていることを知らせる通達。

14、「廣東及漢口渡航者取締ニ関スル件」(39年2月)
拓務省朝鮮部長から朝鮮総督官房外務部長あての通達。
漢口においては飲食店、カフェ、喫茶店、料理店、雑貨商、慰安所等すでに飽和状態にあるためこれらの開業希望者の渡航を取り締まるよう通達している。

15、「マンダレー駐屯地司令部「駐屯地慰安所規定」」(43年5月)(英国公文書館所蔵)
ビルマ・マンダレー駐屯地慰安所の利用規定(使用時間や料金など)を定めた規定書。

16、「森川部隊特種慰安業務に関する規定 独立山砲兵第三連隊」(39年11月)
森川部隊(連隊長森川清大佐)が39年11月に湖北省武西の葛店と華容鎮に開設した慰安所(計4か所)の業務規定。
利用時間・料金・厳守事項などを記載。主なものを挙げると、
「警備隊長は慰安業務を監督指導するものとす」・・・慰安所経営に対する軍の直接関与
「特種慰安所開設の趣旨は将兵刹伐の気風を緩和調節し以て軍紀振作の一助たらしむるに在り」
・・・慰安所設置の目的が将兵の精神状態の緩和のためであったこと
「慰安婦の外出に関しては連隊長の許可を受くべし」・・・慰安婦の外出の自由の制限 
「慰安婦に対し粗暴なる行動をなすべからず」・・・慰安婦への暴行の禁止  など。

17、「アンダマン 第一二特別根拠地隊 海軍慰安所利用内規」(45年3月)
「海軍慰安所の管理・経営は海軍司令部において一括之をおこなう」
・・・慰安所経営に対する軍の直接関与
その他、利用料金・時間などについての規定。

18、「陣中慰安施設に関する注意の件通牒 陸支密大日記昭和一三年第47号(38年7月)」
38年6月に北支那方面参謀長・岡部直三郎は、北支那方面軍が各地で強姦事件を起こしていることを認め、
住民の反日感情の醸成を避けるため、指揮下の各部隊に速やかに性的慰安施設を整えるよう指示している。
(「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」)。
この7月の通牒はそれに付随して、前線と後方部隊における慰安施設の必要性の相違などの注意事項を通達したもの。

19、「台湾拓殖会社 慰安婦関係資料」(39年4月)(台湾省文献委員会所蔵)
日本の陸軍省・海軍省・外務省の三省が、海南島に進出した台湾拓殖会社に慰安所建設と慰安婦徴集を依頼した資料など。

20、「オランダ軍情報機関NEFIS尋問報告 慰安婦関係35点」
インドネシアの慰安所・慰安婦に関する尋問報告書。主に戦争中、捕虜となった日本軍兵士、インドネシア人兵補、
インドネシア人市民への尋問に基づいて書かれている。マランでの現地人少女の強制連行、カリジャティ飛行場の慰安所、日本人少女やインドネシア人少女が慰安婦とされていたこと、現地女性を東京に留学させると騙しケンダリやポマラアの慰安所へ連行したこと等が記載されている。

21、「国外移送誘拐被告事件 大審院判決」(37年3月)
1932年に被告人らが、海軍指定慰安所の名称のもとに、醜業に従事すべき日本婦女を内地に於いて甘言を持って雇入れたことが誘拐罪であり、15名の婦女を上海に移送したことを「国外移送誘拐罪」として、大審院に於いて有罪判決を下したもの。
(※38年以降は警察が違法を黙認し、身分証明書を発行して渡航を許可するようになる。
「支那渡航婦女の取扱に関する件」「軍慰安所従業婦等募集に関する件」参照。)

22、「国外移送誘拐被告事件 長崎地裁、長崎控訴院判決」(36年2月)
1932年に被告人らが共謀の上、上海に設置される海軍の「慰安所」で「醜業」に従事させるために日本内地の女性を騙して誘拐し、
これらの女性を長崎港から乗船させて国外に移送したとして有罪判決を下したもの。
(※38年以降は警察が違法を黙認し、身分証明書を発行して渡航を許可するようになる。
「支那渡航婦女の取扱に関する件」「軍慰安所従業婦等募集に関する件」参照。)

23、朝鮮人慰安婦 沖縄コザ 写真とキャプション (米国立公文書館所蔵)
米軍報告書「沖縄からの送還朝鮮人名簿」(1945年10月、11月)
・総勢1584人中97人は女性と推測される
・「引き揚げるまで宿舎と食事を提供。本島各地から40人、離島などのそれ以外から110人と合わせて朝鮮への船を待っている」
・英語のキャプション「日本軍によって沖縄に連れてこられた朝鮮人『慰安婦』たちは、11月にキャンプコザに集められ、朝鮮に引き揚げた。
これらの女性たちは彼女たちが捕らえられた時から故郷に送られるまで、軍政府にとってはいつも問題のたねだった。彼女たちのうちの何人かは、軍活動の初期の段階では、看護婦として住民の病院で働いていた。」

24、「東京裁判証拠書類 インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック 
日本海軍占領期間中蘭領印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」(46年7月)
東京裁判にオランダ検察団が提出し、受理された報告書。
1943年頃インドネシア・ポンティアナックにおいて、日本軍の海軍特警隊員が現地女性達を強制連行し慰安所に入れ性行為を強要したと報告されている。女性たちは強制的に医者の検診を受けさせられ、数名は処女であることが判明し、家族に危害が及ぶため慰安所から逃げることができなかった、などの内容。

25、「東京裁判証拠書類 インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック 
ポンティアナック虐殺事件に関する1946年3月13日付林秀一署名付尋問調書」(46年3月)
東京裁判にオランダ検察団が提出し、受理された尋問調書。
(一部抜粋)〈林秀一の答〉この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。
その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。
日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。
又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。(この後、現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)

26、「東京裁判証拠書類 インドネシア・モア島 オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書」(46年1月)
「タナカ」部隊「ハヤシ」隊のオハラ・セイダイ陸軍中尉の東京裁判における宣誓陳述書。
インドネシア・ロエアング島とセルマタ島で地元住人たちが憲兵隊を攻撃したため彼らを捕虜にして虐殺し、その娘たち6人を8か月間、娼家(brothel=慰安所)に監禁し25人の日本兵の性の相手をさせた、と陳述。

27、「東京裁判証拠書類 インドネシア・ジャワ島マゲラン イエ・ベールマンの尋問調書」(46年5月)
当時27歳の被害者、イエ・ベールマンの東京裁判における尋問調書。
1944年2月、インドネシア・テウグラン収容所にて他の女性や少女とともに三週間、日本兵に強姦されたと証言。

28、「東京裁判証拠書類 ポルトガル領チモール(東チモール)ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書」(46年6月)
(一部抜粋)・・・42年2月、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見た。
日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを知っている。
その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫した。
※この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとられていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。

29、「東京裁判証拠書類 ベトナム・ランソン ニュン・ティトンの口述書抜粋」
1915年生まれ、当時ハノイ在住の証言者による東京裁判における口述書。以下抜粋。
「四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。
(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。
日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。(略)ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に
生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(brothel)へ一緒に行くやう強制しました。
私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。」

30、「東京裁判証拠書類 中国桂林 軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」」(46年5月)
敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し・・・(以下略)

31、「東京裁判証拠書類 仏印における残虐行為 フェルナンド・ガブリラグ供述書」
フランス陸軍士官で仏印戦犯局代表のフェルナンド・ガブリラグの東京裁判における供述書。
「・・・フランス人女子に対する凌辱行為も若干、行われました。
ある夫人と14歳になるその妹は強制的に数週間約五十名の日本兵と雑居させられその虐待と暴行を受けました。その一人は発狂しました。彼女たちは二人ともその後処刑されました。また別の所ではフランスで15歳になる少女とその母親が強姦されて、殺害されたという例もあります。更にまた数地方では原住民婦女子は売淫行為を強制されました。・・・」

32、「東京裁判 判決文 桂林のケースに言及」(48年11月)
桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した。
(極東国際軍事裁判速記録、判決速記録P186)

33、「櫻倶楽部事件 関係戦犯裁判資料」(46年11月)
上記2番と同じ。

★東京裁判の証拠書類については、日本はSF講和条約で東京裁判結果を受け入れているため、これらの事実が無かったと否認することは「できない」。★                          

34、慰安婦裁判 日本の裁判所の判決 慰安婦被害・強制の事実認定
※日本の裁判所が厳格な調査の結果、以下の8件を事実認定している。
・アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 1991年
・釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟  1992年
・在日元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟 1993年
・オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償訴訟 1994年
・中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次) 1995年
・中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次) 1996年
・中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟 1998年
・海南島戦時性暴力被害事件訴訟 2001年

35、「慰安婦強制戦犯の靖国合祀に関する資料」(67年5月)
67年5月9日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。
厚生省側から合祀事務の担当課長以下7人、神社側から担当の権宮司ら2人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。資料によると、このうち「法務死亡者(一般邦人)」として、「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑10年受刑中病死、り崎ろ第233××号)」とされる人物(青地鷲雄)が記載され、「合祀する」と判断されていた。

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清水信

5つ星のうち5.0完璧。2017年4月12日

歴史を否定したい臆病者に「なにを怖れているのか」その怨念のよって来たる源をみずからこのように論理的に問い詰める態度こそ求められる。入門の書であり卒業の書。

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wyatt-100W

5つ星のうち5.0日本軍慰安婦問題研究の現在の到達点が明らかに2015年7月20日

本書の著者は、史料を重視して実証的な考察を行う一方、研究成果が当事者の現存する政治社会問題としての慰安婦問題に対し何を資するかを常に意識して記述している。慰安婦問題を学術的に調査研究する研究者にとっても、慰安婦問題を現実の政治社会問題として取り組んでいる人たちにとっても、日本軍慰安婦問題研究の現在の到達点を知るためには必読の書といって過言ではない。
目次で本書の構成を明確に知ることができる。問題の所在、資料に基づく研究成果、歴史資料隠蔽と歴史の偽造、米軍の性売買と性暴力・国際比較といった、現在も議論となっている問題を資料を提示しつつ分かりやすく記述している。
また、研究方法や資料・証言の扱い方も丁寧に解説している。著者が吉田証言を資料として使わなかった一方で、「偽造」という判断もしない理由も書かれているが、研究者がどう資料を扱うかが実例で分かりやすく示されている。
河野談話以降に発見された資料を含めて、慰安婦問題の資料を紹介している。また敗戦時の文書焼却命令も豊富な資料で明らかにし、英米の暗号読解電報などで何が分かるかを実例で示している。
第3部の『補論「和解」めぐって』では、朴裕河『帝国の慰安婦』に資料操作や多くの間違いがあり、事実が歪曲されているにもかかわらず、同書を讃美した「知識人」の「感性」の問題や、「和解」という語が安易に使われる問題が指摘されている。
韓国の市民運動においても当初はナショナリズムをばねとする性格があったが、近年では女性の人権問題として韓国軍によるベトナムでの性被害問題が扱われているのに、いまだ国家対国家の問題かのように扱われる問題が指摘されている。
最後に日本以外の軍での性売買や性暴力がどのように扱われたか論じられている。
本書の論考の多くは『季刊戦争責任研究』などで既に発表されたものである。にもかかわらず、日本のメディアの多くは本書の著者のように現役で慰安婦問題を調査している研究者にではなく、慰安婦問題について専門家ではない評論家や、ときにはお笑いタレントにコメントに論評させるなど、異常な報道ぶりであったと言わざるを得ない。
慰安婦問題に関心のある全ての人が読むべき本として本書を推薦したい。

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P

5つ星のうち1.0毎年100件増え続けてる新発見の資料2016年1月24日

林教授は3月7日の「韓国日報」にも登場して、<強制連行を立証する文書は日本国内だけでも400件以上
発見されている>と豪語しているが、そんものがあるはずもなく、日本政府は無視。

現代史家の秦郁彦氏、うんざりした様子で言う。「これらの裁判資料は新発見でもなんでもありません。林さん
が見つけたと言っているのは、陸軍中将が強姦などの罪に問われた『南京12号事件』の起訴状や、海軍
大尉ら13人がインドネシアで裁かれた『ポンチャナット13号事件』の判決文などです。事件は既に裁かれて
おり、内容も明らかになっている。もちろん、慰安婦の組織的な強制連行があったと主張するのは無理がある
内容ばかりです」

この人物、「日本の戦争責任資料センター」の研究事務局長で、慰安婦問題の第一人者・吉見義明氏の
弟子筋にあたる。そして、国立公文書館などを探して慰安婦の強制連行を示す文書を見つけたと騒ぎ立てる
有名人なのだ。時には韓国のマスコミも氏の“新発見”に大騒ぎするパターンが繰り返されてきた。
彼は、見つけた資料が「談話」を決定的にする証拠とばかりに得々と語るのだ。

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つくしん坊

ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0多くの資料が続々と発見されている、「慰安婦」問題に関する歴史研究の到達点を示す2015年10月10日

著者は、吉見義明氏らと共に、「慰安婦」問題に関する代表的な歴史研究者である。すでに多くの著書・論文を書いているが、本書は、「慰安婦」問題についての著者の初めての単著である。新発見の資料の紹介も含め、「慰安婦」問題に関する歴史研究の到達点を示している。研究者が営々と築いてきた歴史研究の成果を全く無視しているマスコミや一部の「慰安婦」否定論者は、本書をまず読み、歴史研究が示す内容を踏まえてから議論して欲しいものだ。

本書の序章では、「慰安婦」問題を巡って2014年に起きた朝日新聞による記事取消しのいい加減さと、それに引き続くバッシングの異様さを総括する。この問題については、参考資料としても収録されている、著者らによる朝日新聞社への申し入れ書が問題の本質を簡潔に明らかにしている。

第I部では、「慰安婦」問題の所在を改めて振り返り、この問題が当時の法律に照らしても、政府・軍による犯罪に他ならなかったことを確認する。また、安倍首相や橋本市長などが主張するような、「強制連行」の有無に問題を矮小化することは、この問題を女性の人権問題として捉える世界の趨勢から遠く離れた、問題歪曲に過ぎないと断じている。

第II部では、資料の発見が続く歴史研究の現状を報告する。「河野談話」(1993年)の当時としての意義を評価しつつも、軍の主体性や朝鮮半島以外の女性について明確な言及がないという限界を指摘する。「河野談話」以後、「慰安婦」問題に関する多くの歴史資料が発見されその数は1000点近くになるという。これらの資料はリスト化や電子化されてネットで公開されている。決定的な発見は、京都大学の永井和氏が発見した「野戦酒保規程」であり、軍が「慰安施設」を設けることが文書で残されているのである。この他、軍の関与を示す資料や、東南アジアに広く慰安所を設けた証拠が多数発見されている。

第III部では、敗戦直後に、軍の保有していた慰安所関係の文書廃棄が組織的に行われた証拠として、暗号電報の解読資料が紹介される。こうして敗戦と同時に、今日に続く、歴史資料の隠蔽と歴史の偽造が始まったのである。

第IV部では、米軍の性対策と性暴力の歴史がまとめられている。また、国際比較の視点から第一次世界大戦以降における各国の慰安所の歴史をレビューし、侵略戦争と占領地の急速な拡大という点で日本とドイツにおいて、規模が際立っていたと総括している。

「慰安婦」問題が収束しないのは何故か。この問題について著者は、中韓への差別意識を煽る歪んだナショナリズム、弱者や被抑圧者(元慰安婦、原発事故被災者、生活保護受給者、沖縄で基地撤去を求める人々など)を攻撃罵倒する一部の差別主義者の存在と、彼らに共感を示すかのような一部の政治家や一部マスコミの責任を指摘する。同感である。このような日本の風潮は、明らかに世界の大勢(少数者や弱者の人権尊重、歴史的事実の直視を踏まえた近隣諸国との和解)から懸け離れており、特に中韓両国との関係を悪化させている。かつて日中戦争の前に、まず国際連盟脱退に始まる国際的孤立が先行し、政府やマスコミにより好戦的なキャンペーンが続き、軍部による謀略的な軍事行動から戦争が始まった歴史に今こそ学ぶべきではないだろうか。

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