2018-12-31

愛国心について僕が思うこと



愛国心について僕が思うこと



愛国心について僕が思うこと
2006.12.20



06年12月15日、いわゆる“愛国心条項”を盛り込んだ改正教育基本法と防衛省昇格案が同じ日に可決された。僕は採決の前に「もっと慎重に審議すべし」とする意思を明確に表明するべきだった。より深く中身を問うべきだった。では、なぜハッキリ書かなかったのか。それは、僕自身に賛否両方の気持があったからだ。

●日本文化の魅力を伝えることに大賛成

改正教育基本法に反対する平和団体等のサイト等を見ると、「条文の“我が国と郷土を愛する態度を養う”という部分が愛国心の強制になる」と強調している。しかし、改正第2条5項の全文は『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと』というものだ。僕はこの『他国を尊重し』という一文に感銘を受けたし(これがあるとないとで全然違う!)、歌舞伎、お能、浮世絵、和歌、俳句、邦楽など、日本文化を熱愛する自分としては、これらを後世に伝える為にも『伝統と文化を尊重し』に大賛成だ。『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』、これも大いに結構!

“愛国者”を自認する若い子と話したりブログを見ても、日本固有の芸術や古典文学に関する話が殆ど出てこないことが最近気になっていた。話題は他国の悪口ばかりで、万葉集の好きな歌や、お気に入りの浮世絵、日本画、歌舞伎俳優や能楽師の話で盛り上がらない(っていうか通じない)。寺や仏像の話も同じ。
しかし、これは役人や政治家も同様だ。“20世紀最大の発見”と言われる高松塚古墳の国宝壁画が、大量発生したカビでボロボロになったことについて、文化庁は温暖化が原因としていたが、実は防護服未着用(あり得ない!)の工事によってカビが侵入したり、電気スタンドを倒して壁画が傷つくなど、信じ難い初歩的ミスによる「人災」であったことが今年発覚。文化庁の役人に愛国心があるなら、国民の文化財を命懸けで保護して欲しい…!

政治家は汚職と決別して役人の天下りを廃止するなど税金の無駄遣いをやめ、日本美術の展覧会や国宝の公開は無料にするなど、もっともっと文化振興に金を回せと言いたい!古典芸能の入場料金を誰もが気安く鑑賞できるように、映画並みの値段にすべく目的を絞った補助金を増やすとか、常に上演されている歌舞伎小屋を地方に建てるとか(今、常に公演しているのは東京の歌舞伎座だけ)、本気で日本文化を愛している所を見せて欲しい!(黒澤映画は全部レンタルをタダにすべし)。
子どもたちに対して『伝統と文化を尊重し』と言う以上、政府がいかほどに「日本文化LOVE」を示してくれるのか、僕は大いに期待している。元々大陸と切り離された島国であり、徳川300年の鎖国もあってガラパゴスのように独自文化が発展した日本には、オリジナル性に富んだ素晴らしいアートが山ほどある。
※友人いわく「君はある意味“極右”やな。日本美術や古典芸能の魅力をいつも吠え、古代の天皇の古墳によく墓参しとるから」だって。なるほど(笑)。

●愛国心を“評価”したり、国家が強制することには反対

じゃあ、ここまで言ってどうして改正案に素直に賛成できないのか。ズバリ、愛国心の数値化と拡大解釈への不安だ。既に今年上半期の時点で、「国を愛する心情」を通知表に盛り込んでいる公立小学校が全国に出てきている(A~Cの3ランクに分けている学校が多い)。改正前でもそうなのに、改正後はこの流れが加速するのは目に見えている。安倍首相は愛国心について「子どもたちの態度を“評価”するのは当然だ」と国会で答えた。しかし一体どうやって愛国心をランクづけするのだろう?国家を大声で歌ったとか、国旗に最敬礼をしたとか、与党を批判しないとか、毎日「I LOVE 日本」のTシャツを着てるとか、そんなチェック項目を作っているのか?大声で国家を歌わなくても愛国心の強い者もいるし、上辺だけの“態度”の評価に何の意味があるのだろう。
心情の数値化なんて、どう考えても愛国心を履き違えてる。“愛国心”と、政府を愛する“愛政府心”は違う。愛国心があるからこそ、祖国をより良い方向にしたくて政府を批判するわけで、国が嫌いな訳じゃあない。

●拡大解釈への懸念

国旗・国歌法は「日の丸」「君が代」を単に国の歌、国の旗と認めるだけで義務・罰則規定は含まれていない。1999年に成立した際も、「内心にまで立ち入って強制はしない」と政府は繰り返し答弁した。しかし04年の卒業式・入学式で東京都教育委員会は全教職員に対し、「壇上の国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」という通知を出した。そして違反者を摘発するため全式場に教育委員会の職員を配置し、各教師を番号付きの座席に座らせたうえで監視した。その結果、「君が代」斉唱に従わなかった約300名が大量に処分された(戒告処分なら実に200万も減収=30代)。
そして今年、都教委は各校長に生徒への「適正な指導(起立斉唱)」を徹底するよう“通達”を出した。以前の「通知」(=指導して下さい)が「通達」(=指導せよ)という職務命令となった。
子ども達は優しい心を持っているから、“僕が起立しないと先生が処分されてしまう”と考えて起立する。結局、学校式典での国歌斉唱・起立が事実上強制されてしまった。今回の改正でさらに圧力が強まる可能性が大きい。

僕は国旗や国歌を否定している訳ではない。ただ、過去の戦争を通してこれらに抵抗を感じている人が“歌わない”と選んだ時に、(他人の斉唱を妨害していないのに)処分してまで強制するのは間違っていると思うんだ。憲法では、思想・良心・信仰の自由を保障している。だから、教師は斉唱を指導出来ても強要は不可能。つまり、斉唱を徹底出来なかったことを理由に教師を処分することは憲法違反だ。
斉唱するしないは生徒の「心の問題」。「心の問題」は小泉前首相が他者は介入できないと常々語っていたもの。もしも心の自由が不要なら、そんな人は言論の自由がない近隣の独裁国に住めばいい。海を渡れば売国メディアはゼロ、謝罪外交もなく、全国民が為政者を賛美する究極の愛国主義国家が待っている。
※04年秋の園遊会で東京都教育委員の米長邦雄棋士が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べた所、天皇陛下は「(学校現場で)くれぐれも強制にならぬようにお願いします」と異例の発言をされたことを付け加えておく。

●タウンミーティングのやらせ~政府の工作が発覚

改正案への不信感を倍増させたのは各地で開催されたタウンミーティング(TM)の“やらせ質問”事件だ。TMは教育基本法について幅広く国民の意見を聞く場なのに、反対派の人間を故意に抽選で落として参加させなかったり(出席者の思想を事前に調査!)、あらかじめ質問者や質問内容を決め、座席まで指定して議論の流れを改正賛成に誘導させ、やらせ質問者には報酬を払っていた(もちろん税金から)というトンデモ事件。この問題は同法の国会での集中審議が終わってから調査報告が発表された。僕は国会の会期末にこんな大事件が発覚した以上、TMはやり直さねばならないし、今国会での採決は消えたと思っていた。ところが与党は「一定期間の審議時間が経過した」と可決してしまった。

●愛国心は悪ではない、しかし政治家が“愛政府心”に利用するのは悪

なぜそんなに法律化を急ぐのか。歴史上の為政者は国民に不満が溜まってくると、愛国心や外国への敵対心を煽って不満をそらしてきた。今の日本政府がそんな古典的な手法を選ぶとは思えないけど、現実問題として04年の統計では「全世帯の約3分の1が年収300万円以下の生活」を送っており、4分の1の世帯は貯蓄ゼロ、自殺者は年間3万人強、失業者313万人、フリーター417万人とあり、格差社会は深刻化している。ところが、政府はこれを解決する具体案を出せないばかりか、大企業の利益優先、福祉の切捨てを続けている。こうなってくると、今後増えるであろう国や政治への不満を、愛国心で抑え込みたいのかと思ってしまう。

僕は日本が大好きだ。学校では愛国教育を受けなかったけど、めちゃくちゃ愛している。それは胸を張って世界に誇ることが出来る日本文化を知っているからだ。ゴッホもルノワールも浮世絵を愛してやまなかった。しかも、優れているのは古典芸能だけじゃない。スピルバーグは「クロサワは映像のシェイクスピアだ」と絶賛し、この国はマンガの神様・手塚治虫を生んだ。そして、宮本茂は現代ビデオゲームの父として新しい娯楽を世界に創造した。経済でも日本製品の優秀さ勤勉な国民性として受け止められている。
愛国心とは自然に湧いて来るもの。他人に強要される時点で、資本主義国家であろうと社会主義国家であろうと、それがイビツな事になぜ気づかないのか。そんな教育は自国中心主義を招くだけ。そもそも、法律で強制しなければ芽生えない愛国心に価値はあるのか。
政府は国民がおのずと愛国心を持てる様な良い政治をすれば良い。国が国民の為にしっかりと仕事をすれば自然と愛国心が育つ。その努力もせず一方的に愛国心の強要をするから反感を生む。こんな条文にすれば“日本は政府が強制しないと国民から愛されない国です”と世界に触れ回るようなものじゃないか。

数年前まで学校で愛国心が評価されるなんて考えられなかった。財政赤字が700兆円なのに役人や政治家の官製談合、贈賄、裏金作りのニュースは後を絶たない。今回のスピード採決は、政治では愛される国づくりができないから、教育を使って手っ取り早くイージーに愛国心を叩き込もうとしているようにも見える。「政治家と役人には服従しろ!」と、権力者が人々を支配する道具に愛国心を使うのではと心配している。
これらの懸念が全部「な~んだ、心配し過ぎだったなぁ」となればいいけど、愛国心=愛政府心とする政策に抵抗する人間が処罰される時世になった時、「これは06年12月15日に、大人たちの無関心&無批判が招いた結果だ」と後世の人々から糾弾されないよう、僕らは政府の動向を注視し続けなければいけない。

※一般的に保守論客は「強い日本」を唱える一方で社会的弱者に冷たい。「福祉の充実や人権を主張する奴はサヨク」と、障がい者にさえ自業自得と言わんばかりだ。基本的に富裕層は保守派が多い。保守が目指すものは従来の社会制度の維持であり、つまり自分の権益=既得権を守り続けられる社会を求めている。現在の弱者が優遇される世の中は、それだけ富裕層は自分が食べるパイが減るわけだから、そのような社会を望むわけもなく、ゆえに保守は弱者に冷たい。
一般国民は漠然と「愛国心を持つことは良い事」と思っているけど、保守支配層が“愛国心教育”で引き合いに出す“国”とは、「彼らにとって都合のいい国」だし、“国体を守る”の意味は、彼らに都合のいい支配体制を守り維持することだ。貧困層も含めた“すべての日本国民”の幸せを願ってるわけではなく、そのような愛国精神に騙されてはダメだ。僕は心底から日本を愛しているけど、僕の愛国心は保守富裕層の既得権を守るための愛国心ではない。

●追記~提言

(家庭教育について)
政府は改正第10条で家庭教育の充実を呼びかけている。大賛成。でも、実際問題として親が多忙過ぎて愛情を注ぐ時間が足りない。

日本 年間勤務時間 1800時間(残業なし)、2300時間(2時間のサビ残含む、真実の数字)
アメリカ 年間勤務時間 1800時間
イギリス 年間勤務時間 1650時間
フランス 年間勤務時間 1550時間
ドイツ 年間勤務時間 1450時間!
オランダ 年間勤務時間 1390時間!!※オランダは残業させること自体が違法。

多くの日本人にとって2時間の残業なんてザラ。その場合は2300時間になり、ドイツ、オランダ人の約1.6倍、1000時間以上も働きまくっている日本人。1000時間といえば、1日8時間労働で125日分=4ヶ月に相当する。同じ人間の人生なのに、彼らは年間に4ヶ月も多く余暇を持っている!そしてちゃんと生活も出来ている。フランスの食糧自給率は驚異の130%だ(日本は40%)。我が国はGNPが世界第2位で大企業は史上空前の黒字なのに、庶民の貧困層は増える一方。こんなに働きづめでどうやって親子で旅行したりゆっくり会話できるというのか。

子どもは大人社会を見て育つ。労働環境の異常さをこれ以上放置してはいけない。政府・経団連が推し進めているホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の撤廃)などもってのほか。大人が毎年3万人も自殺する弱肉強食の社会を、もっと優しさのある社会に変えていかねば。イジメ問題の解決策は「相手の立場になって考える想像力を育む」ことしかないのに、“勝ち組”になることが目標の殺伐とした社会では、他人の心の痛みを考える気持の余裕はなく、教育基本法の文言を幾らいじっても非情な社会に子どもの心は押し潰されてしまう。





●戦争は本当に“仕方なかった”のか?

「日本は生き残る為に戦争するしかなかった」いう意見がある。これについては戦争に反対していた石橋湛山(たんざん)のことを語りたい。湛山はジャーナリストから総理大臣になった人物!

第1次世界大戦が欧州で勃発すると、日本は欧米列強に対抗する為に、この混乱に便乗して大陸に勢力を広げようとした。世論も「これで一等国の仲間入りだ」と熱狂。でも石橋湛山は違った。湛山は“大日本主義の幻想”という題で「全ての植民地を一切捨てる覚悟をせよ」と経済誌に書いた。理由はこうだ。当時の日本とアジアの貿易額は約9億円。一方、英米との貿易額は倍の約18億円。日本が英米と衝突すればこの18億が失われるので、平和的な貿易立国を目指すべきと説いた。これは軍部が思いもしなかった主張だった。しかし1931年に満州事変が起き、大陸への進出が加速していく。世界各国から非難を受けた日本は翌々年に国際連盟を脱退。1934年、湛山は英字経済誌を創刊し、これを欧米で発行して「日本政府の政策は決して国民の総意ではない」と世界に訴えた。

彼は権力ににらまれ、1942年に同誌の記者や編集者が逮捕されて4人が拷問で獄死する。さらに紙やインクの配給も大幅に減らされた。だが、それでも湛山は絶対にペンを折らなかった。「私は自分の正しいと信ずる主張の為に今後いかなる艱難(かんなん)が身の上に降りかかってこようとも、甘んじて受けるつもりだ。良心に恥ずる事を書き、国の為にならぬ事を書かねばならぬくらいなら、雑誌をやめた方がよい」。次男が南方で戦死したと知らせを受けた湛山は日記にこう刻んだ「汝が死をば父が代わりて国の為に生かさん」。

“物量に差がありすぎ勝てるわけがない”と、山本五十六や吉田茂のほか、様々な軍人・知識人が開戦に反対していた。それを押し切って戦争をした結果どうなったのか。300万の国民が死に、国土は焼け野原になり、アジアで1700万以上もの人間の命を奪った(中国1千万、インドネシア400万、ベトナム200万、フィリピン110万、朝鮮半島20万、ミャンマー15万、シンガポール10万、タイ8万。05年8月7日・東京新聞調べ)。日本は戦後にゼロからのスタートで世界第2位の経済大国になった。資源がないのは戦前と同じ条件だ。あのまま開戦せずに平和的な貿易立国になっていれば、有能な人的資源も失われず、さらなる発展を経ていただろう。本来、生きるべき人が死ぬ必要もなかった。“しかたなかった”論で過去を総括していては、あまりに死者が救われない。

終戦後の石橋湛山の行動についても触れておこう。敗戦で人々は深い喪失感に包まれたが、湛山は違った。すぐに発行した雑誌に「更正日本の門出~前途は実に洋々たり」と載せた。翌年、吉田茂首相は湛山を大蔵大臣に抜擢。湛山は聖域とされていた進駐軍の経費削減に乗り出す。進駐軍の諸経費は広範囲で、ペット代やゴルフ代までが賠償と見なされ日本が負担していた。これら進駐軍の経費は国家予算の実に3分の1を占め、敗戦で貧困にあえぐ民衆の暮らしをさらに圧迫していた。湛山はGHQに自ら乗り込んで直談判を試み、経費の2割削減を実現させる。だがGHQの報復で彼は4年間公職から追放されてしまう。

1954年、政界に復帰した湛山は通産大臣に就任。当時の世界は、原爆・水爆の核実験ラッシュ。湛山は“経済交流が国家間に安定をもたらし平和を築く”という信念を持っており、ソ連・中国といった東側陣営との貿易も積極的に推し進めていった(米国はこれに猛反発)。1956年、鳩山首相の辞任を受け、湛山と親米派の岸信介が総裁選に出馬する。結果、湛山が見事勝利して総理大臣となった。湛山は語る「日本は世界平和全体の為にイデオロギーを超えて貿易を行う。アメリカの政策もそれに合わせてもらいたい。自分の言い分ばかり日本に押しつけるようでは困る」。

1957年、湛山は冷戦構造の打破を見据えた外交方針を国民に直接語りかける為に全国遊説を行うが、帰京後に脳梗塞で倒れてしまう。在任期間わずか65日。医者は安静を説き、湛山は総理を辞任した。1959年、台湾問題で米中が一触即発になると、湛山は麻痺の残る体で訪中し、周恩来に“日中米ソ平和同盟”という驚きの構想を提示。湛山の熱意にうたれた周恩来は「台湾に武力攻撃はしない」と伝えた。1973年、湛山は日中国交回復を見届けた後にその波乱に満ちた生涯を終えた。享年88歳。
※湛山は激動の時代にあって最初から最後まで筋を通した本物の漢。しかも、代議士の家系ではなくジャーナリスト出身。これほどの人物なのに、若い世代は知らない人が結構多いのが残念。





【あたらしいけんぽうのはなし】(新しい憲法の話)
終戦後の1947年、中学1年用社会科の教科書に載った『あたらしいけんぽうのはなし』には、とても分かりやすく日本国憲法の精神が書かれており近年話題になっている。この教科書を手に取った当時の中学一年生は、その多くが身内の誰かを戦争で失っていた。文章には、終戦2年後の熱い空気、新生日本を作り上げていこうする心意気と“もう戦争はこりごり”という思いが溢れ出ている。この時代にしか書けないような文だ。胸を打つ言葉もあったので、幾つか抜粋して紹介(現代語訳)。

●(民主主義とは)「皆さんは日本国民の1人です。しかしまだ子供です。国のことは、皆さんが二十歳になって、初めて決めてゆくことが出来るのです。国会の議員を選ぶのも、国のことについて投票するのも、皆さんが二十歳になって、初めて出来ることです。皆さんのお兄さんや、お姉さんには、二十歳以上の方もおいででしょう。その兄さんやお姉さんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、皆さんはどんな気がしましたか。今のうちに、よく勉強して、国を治めることや憲法のことなどを、よく知っておいて下さい。もうすぐ皆さんも、お兄さんやお姉さんと一緒に、国のことを、自分で決めてゆくことが出来るのです。皆さんの考えと働きで国が治まってゆくのです。みんなが仲良く、自分で、自分の国のことをやってゆくくらい、楽しいことはありません。これが民主主義というものです」

●(戦争放棄)「皆さんの中には、今度の戦争に、お父さんや兄さんを送り出された人も多いでしょう。ご無事にお帰りになったでしょうか。それとも、とうとうお帰りにならなかったでしょうか。また、空襲で、家やうちの人を、亡くされた人も多いでしょう。今やっと戦争は終わりました。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、恐ろしい、悲しいことが、たくさん起こっただけではありませんか。戦争は人間を滅ぼすことです。世の中の良いものを壊すことです。だから、今度の戦争をしかけた国には、大きな責任があると言わなければなりません。この前の世界戦争の後でも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争を起こしてしまったのは、誠に残念なことではありませんか。
そこで今度の憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、一切持たないということです。これから先日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄と言います。しかし皆さんは、けっして心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行なったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとが起こった時、けっして戦争によって、相手を負かして、自分の言い分を通そうとしないということを決めたのです。穏やかに相談をして、決まりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局、自分の国を滅ぼすような羽目になるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手を脅すようなことは、一切しないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国と仲良くして、世界中の国が、良い友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、栄えてゆけるのです」

●(基本的人権)「空襲で焼けた所へ行ってごらんなさい。焼けただれた土から、もう草が青々と生えています。みんな生きいきと茂っています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてや皆さんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天から授かった自然の力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、誰も妨げてはなりません。しかし人間は、草木と違って、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には必要なものが二つあります。それは『自由』ということと、『平等』ということです」

この『あたらしいけんぽうのはなし』は、1950年に朝鮮戦争が勃発して警察予備隊(後の自衛隊)が組織されると教科書から副読本に格下げされ、1952年に保安庁が設置されると姿を消してしまった。
最後に。国会のことは以下のように輝かしく書かれていた。選挙行こうね。→「皆さん、国会の議事堂をご存知ですか。あの白い美しい建物に、日の光が差しているのをご覧なさい。あれは日本国民の力を表す所です。主権を持っている日本国民が国を治めてゆくところです」。


●検証~「大東亜戦争はアジア独立に役立った。日本は戦争を行なったが領土的野心はなかった」というのは誤った分析

アジア諸国は日本が負けたから独立できた。あのまま戦争を継続していたら、以下の「大東亜政略指導大綱」のように帝国領土に編入されていた。

〔1943.5.31天皇列席の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」から〕

大綱6(イ)…「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給地として極力これ開発並びに民心把握に努む。
※「マライ」は現マレーシア、シンガポール。
※「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は現インドネシア。

このように、日本政府はフィリピンとビルマの独立を容認する一方で、マレーシア、シンガポール、インドネシアという重要な資源地帯を日本領に組込むこと(領土併合)を、御前会議まで開いて決定している。
ではなぜフィリピンとビルマに限って独立を許したのか?フィリピンは先に占領していたアメリカが既に独立を約束していたので、“解放戦争”という大義名分のためにも、アメリカが約束した期日よりも早く独立させるしかなかった。
ビルマの独立を認めたのはインドに対する戦略的な工作だ。インドの隣国ビルマを独立させることで、インドが英国相手に行なっていた独立運動が激化するという打算があったからだ。しかし、この日本の下心はガンジーに見透かされていた。


★ガンジー『すべての日本人に』(1942年7月26日発表)
※インド国境に迫る日本軍に対し帝国主義戦争の停止を求めた公開状(抜粋/エンカルタ百科事典)

最初に私は、貴方がた日本人に悪意を持っている訳ではありませんが、貴方がたが中国に加えている攻撃を極度に嫌っている事を、はっきり申し上げておかなければなりません。貴方がたは崇高な高みから帝国主義的な野望にまで堕してしまわれたのです。

世界の列強と肩を並べたいというのは、貴方がたの立派な野望でありました。けれども、貴方がたの中国に対する侵略や枢軸国との同盟は、そうした野心が生んだ不当な逸脱だったのです。
貴方がたは中国の古典文芸を摂取されてきましたし、あのように古い歴史を持つ民族が貴方がたの隣人であるという事実に、私は貴方がたが誇りを感じていられるものとばかり思っていました。お互いの歴史・伝統・文芸を理解し合うことは、貴方がた両国民を友人として結びつけこそすれ、今日のように敵同士にするはずはありません。

帝国主義に対する私たちの反抗は、イギリス人に危害を加えるという意味ではありません。私たちは彼らを改心させようとしているのです。それは英国支配に対する非武装の反乱です。この闘いには、外国からの援助を必要とはしません。
もし私たちがイギリスの苦境に乗じて好機を掴もうと思っているのなら、既に三年前に大戦が勃発すると同時に行動を起こしていたはずです。インドから英国勢力の撤退を要求する私たちの運動を、どんな事があっても誤解して貰ってはなりません。

貴方がたが、もしインドから快く歓迎されるものと信じていられるなら、幻滅の悲哀を感じることになるだろうという事実について、思い違いのないようお断りしておきましょう。イギリスの撤退を要求する運動の目的と狙いは、インドを解放にすることによって、イギリスの帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいは貴方がた日本のものであろうと、一切の軍国主義的・帝国主義的野心に抵抗する準備をインドが整える事にあります。
もし私たちがそれを実行に移さなければ、私たちは、非暴力こそ軍国主義精神や野心の唯一の解毒剤であることを信じていながら、世界の軍国主義化をただ傍観しているだけの卑怯者になり果てるでありましょう。

これまで私が読んだ(日本の中国侵略に関する)全てのものは、貴方がたはいかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない、ただ剣にのみ耳を貸す民族だと語っています。その様に考えるのは、貴方がたを甚だしく誤解している事でありますように、そして、私が貴方がたの心の正しい琴線に触れる事が出来ますようにと、どんなにか念じている事でしょう!

ともかく、私は人間性には互いに通じ合うものがあるとの不滅の信念を抱いています。そして、貴方がたにこの訴えをするよう私をうながしたのも、他ならぬその信念です。

貴方がたの友であり、その幸いを祈る者である  M.K.ガンジー

日本政府は台湾や朝鮮など古くからの植民地を“解放”しようと一度も考えなかったことから、アジア独立の意思があったとは到底思えない。対米開戦に踏み切る前に政府が考えていたアジア政策は、占領地の住民を労働力として動員し、占領地で生産された食糧を日本軍が徴発するというもの。大本営は南方軍政が占領地の住民に“重圧”を及ぼすことを予想していたので、“重圧”は「これを忍ばしめ」(=耐えさせる)と打ち捨てている。そして「アジア解放」というバラ色の宣伝をやりすぎると現実とのギャップが大きくなるので、あまり宣伝しないようにあらかじめ決めていた。

〔開戦前の方針〕
南方占領地行政実施要領(1941.11.20 大本営政府連絡会議決定)
第1 方針
占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の回復(独立運動の弾圧)、重要国防資源の急速獲得及び作戦軍の自活確保に資す。
第2 要領
7.国防資源取得と占領軍の現地自活の為、民政に及ばささるを得ざる重圧はこれを忍ばしめ、宣撫(せんぶ、民族解放の宣伝)上の要求は右目的(重圧)に反せざる限度に止むるものとす。
8.原住民に対しては皇軍に対する信頼感を助長せしむる如く指導し、その独立運動は過早(かそう)に誘発せしむることを避けるものとす。※当面独立運動は抑えておけということ。

「国際ルールを守らない」と非難され逆ギレして国連脱退→ルールを守らない国とは貿易しない、として石油止められる→逆ギレして太平洋戦争

●アジア各国は「日本のおかげで独立が早まった」と感謝している?

以下は大型掲示板でよく見かけるコピペ。

★インドネシア モハメッド・ナチール元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」

★インドネシア アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」

★インドネシア ブン・トモ 元情報相
「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」

こうした言葉を根拠に「あれは良い戦争だった」と右派はいう。だが、彼らはサンフランシスコ対日講話条約締結(1951年)における、アジア各国首脳の発言を直視しようとしない。

■パキスタン  チャンドリイ・モハメッド・ザフルラ・カーン外相
「四年になんなんとする間に、日本の侵略の潮はアジア各国に放火と殺戮(さつりく)とを齎(もたら)したのであります。その潮がやっと堰(せ)き止められ遂(つい)に押し返されました。その跡に残りましたのは、荒廃した土地、打ちひしがれて、困苦、貧窮、屈辱に喘ぐ人々でありました。最も耐え難ったのは屈辱、人間の尊厳に対する暴行侮辱でありました。遂にその終末が参りました。そしてその幕切れはまったく突然でありました。日本の占領すなわち死の苦しみに対する熾烈(しれつ)な記憶は依然として消えずしばしば悪夢となって蘇ってくるのであります。それが生き残った者の状態であります。彼らは甘んじて許しも致しましょう。又努めて忘れようとさえ致しましょう。しかしあの無残な、苦難の下に生命を失った人々は何となりましょうか。この人々を忘れ、この人々に代って許すということは一層難しいと思われるのであります。」

■インドネシア  アーマド・スバルジョ外相
「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損害があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。私はここでその数字を述べることは差し控えましょう。何故ならそうすることはこの会議の主旨にそわないでありましょうから、しかし私の政府は、具体的事実と数字をつかんでおり、それらを適当な時期に適当な場所で提出するでありましょう。」

■フィリピン  カルロス・P・ロムロ外相
「私は、ここで、日本の最も近い隣国の一つであり、不釣合いに重大な破壊を受け、日本のために損害を受けた国を代表して述べているのであります。千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に我が国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙(こうむ)りました。四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、我が国民経済は完全に破滅し去ったのであります。フィリピンがその地域と人口に比して、アジアで最も大いなる惨禍(さんか)を受けた国であるということは意義を挟む余地のないところであります。」

■ベトナム  トラン・バン・ヒュー首相
「ヴェトナムは、アジア全民族中物資的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙ったものであることは誰しも否めないところであるからであります。そして占領の悲劇的環境が悲惨な結果に陥し入らしめた幾多ヴェトナム人に対し私が今日敬虔(けいけん)な思いを致さなかったならば、私は我々の死者に対する追悼の義務に欠くることなるでありましょう。我が国の蒙った物質的損失もこれに劣らず甚大であり、且つ我が経済は、今もなお困苦の裡(うち)にあります。道路、橋梁(きょうりょう)は、断たれ、村々は、破壊され、病院、学校は、損失を蒙り、港湾、鉄道は、爆破された。すべては再建させなければならず、しかも不幸にも我々が現在可能以上の資源を必要としております。」

■ラオス  サヴァン首相
「長い長期の戦争であり、そのぜい弱な資源を挙げて侵略者に抗戦したラオスは、その土壌、遺跡及びその建物に関して被害を蒙(こうむ)ったのみならず、その経済的及び道義的組織も、侵略者の課しうるすべてのものによって被害を受けたのであります。しかしながら、解放以来、ラオスはその痛手から回復し、その民主的制度はラオスをして最も進歩した国の中に列せしめたのであります。すなわち、戦争の犠牲者として、ラオスは今日自由にして且つ、民主的国家群の中にその地位を占めたのであります。」

■カンボジア  フレング外相
「極東における穀物、魚類、木材、家畜、ゴムの主要生産地の1つであるがゆえのその極めて重要な経済的潜勢力とともに、その地理的戦略的地位のために、我が国もまた、真っ先に日本によって占領されたのであります。この事のために、我が国は、今次大戦によって最も大きな被害を受けたという悲しむべき栄誉を持つ国にその名をつらねているのであります。公的私的財産の受けた大きな被害、長期にわたる占領、日本派遣部隊に対する我が国経済の犠牲による扶持(ふち)、国土の三分の一の数年にわたる毀損、これらは、要するに我が国の上にふりかかった禍(わざわい)であります。」

親日派が多いとされるインドネシアの教科書には以下の記述がある。

「日本は戦時下にインドネシアを占領した。経済諸資源は、戦争が必要とするものを支援するために動員された。そして、その行政管理の担い手は軍人たちだった。それゆえ、日本による占領期間は短かったとはいえ長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった」
http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.html

本当に日本がアジア諸国の独立を支援したのなら、独立の恩人=日本に感謝する為の祝日を、どこか1国でも制定してよさそうなもの。だが、そんな話は聞いたことがない。



●南京事件について~確実に虐殺はあった。否定論は利敵行為!

戦争の初期、満州でソ連と対峙していた日本政府は、戦線の不拡大方針をとっていた。しかし、軍部は中国を「一撃で倒せる」と過小評価し、日本政府の意向を無視して独断で首都・南京に進軍、なしくずし的に日本は全面戦争に突入してしまう。
南京では陥落の際に約10万もの中国兵が、軍服を脱ぎ捨てて民間人に混じってしまった。誰か敵兵なのか分からず、いつ狙撃されるか分からない。この混乱を受けて軍本部は「老人、子ども以外の男子をすべて逮捕、拘禁せよ」と指令を出す。だが、食料もなく10万の捕虜を収容する施設などない。やがて命令は「処分、殲滅(せんめつ)せよ」に変更された。

南京城内の徹底掃討を行なった第16師団長・中島今朝吾中将は、捕虜を取らず、殺害する方針を日記に書いており、南京北方の幕府山で山田支隊が捕虜約14000名を殺害したことを、山田少将が「この“処置”は上部組織からの命令であった」と記している。僕の感覚では1万4千人は大虐殺だ。30万じゃなくても。相手は投降した非武装・無抵抗の人間なのだ。しかも南京攻略に参加したのは山田支隊(約4千人)だけでなく、その50倍、総勢「約20万人」の大軍だ。その各兵士が銃剣や銃弾を持っており、相当数の市民が巻き添えになったことは想像に難くない。一例をあげると、第1師団歩兵第七連隊は6670人の捕虜を処刑したという報告書を出している。

ネットでは「日本軍は規律正しく南京事件などなかった」とする人も少なくない。僕も中国側の主張する被害者30万人は多すぎると思う。でも、“何もなかった”というのはあり得ない。否定派の疑問に答えるとすれば、(1)死体はどこへ?→揚子江に流したという証言を、日本側、中国側、居留外国人が残している(2)そんなに殺す事は不可能→1994年、ルワンダ100万人虐殺はナタやナイフだけで行なわれた。まして日本軍は銃器で武装している(3)事件後に南京の人口が増えている→陥落後も郊外で蛮行が続いており、国際安全区に人々が逃げ込んできた(4)20万都市で30万殺害は無理→そもそも“南京”の範囲が日中で違う。中国側はかなり郊外まで含めた南京一帯、日本側は城内だけを南京と見ている(5)その他、あらゆる南京事件否定派の意見は、リンク先の『南京事件FAQ』でクリアーに回答されているので、否定派の方はそちらを参照下さい。

リンク先に追加したいのは一般兵士の証言。衝撃的なものばかり。出典は証言者が匿名だったり一部の誤植から「捏造本」と批判されているが、それに対してさらに反論しているサイトもあるし、何から何まで全部嘘とは思えない。60年以上前の記憶の一部が間違っていたからといって、それを理由に全否定するのは無理がある。
いずれにせよ、「捏造」という人は原著には証言者の所属部隊名が記載されているのだから、探し当てて再取材すればいいのになって思う。

09年4月、ダライ・ラマは五輪後の中国政府がチベット独立派に死刑を立て続けに出していることに抗議声明を出し、またウイグル自治区での中国核実験で19万人急死、被害は129万人という調査報告も出た。報道の自由についても世界の最低レベルであり、とにかく中共支配は酷い状況だ。こうした政策の誤りを中国側に指摘する時、一部政治家が過去の戦争を開き直るため、「日本には言われたくない」と感情的になって聞く耳をもってもらえないのが現状だ。一部政治家が繰り返している過去の美化は、自分達への不満を外にそらしたい中国政府の“愛国教育”に利用されるだけで、利敵行為以外の何ものでもない。ホント、一党独裁をアシストし、民主化運動の足を引っ張ることは止めて欲しい。

どんな理由をつけても当時の他国の首都(南京)や各都市を100万の日本兵で軍事占領し、上海や重慶を爆撃したことは言訳できない。“白人からのアジア解放”理論は、同じアジア人を殺害した中国では通用しない。っていうか、日中戦争は1937年に始まったけど、大東亜共栄圏をスローガンにし始めたのは5年後の1942年から。どうみても、後付け。「日本だけが悪じゃない、当時は他の国もやっていた」など、厚顔無恥な意見にもウンザリ。親兄弟を殺された被害者がまだ生きているのに“いつまで謝まらねばならないのか”など、人として絶対に言ってはいけないことだ。加害者には過去のことでも被害者には過去になっていないんだ(しかも傷は時間に癒されるどころか、無思慮な発言で新たに傷口がエグられる)。

犯した罪を反省することで“民族の誇りを失う”と主張している政治家には、もっと日本に数々の素晴らしい芸術・文学があることを勉強しろと言いたい。日本文化の偉大さが分かっていないから“誇りを持てない”なんて発言が出てくる。僕は加害行為を謝罪することが“自虐”になるなんてちっとも思わないし、むしろ欧米が開き直っているにもかかわらず、真摯な対応を示し謝罪する日本の方がよっぽど誇らしいと思う。

※南京に進軍した日本兵の当時の陣中日誌(日記)や手紙を見つけたので貼っておきます。後世に回想されたものではなく、南京で記録した一次資料です。ここに書かれた死者の数だけでも相当なものです…。
歩兵65連隊兵士の日記
独立工兵第1連隊兵士の手紙
第9師団兵士の日記(この中の歩兵23連隊・宇和田弥市上等兵の日記に関しては捏造説あり)
第6師団兵士の日記

●なぜ明治天皇による『軍人勅諭』があるのに、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」で知られる戦陣訓を作る必要があったのか?

戦陣訓の作成に関わった白根孝之(陸軍の精神教育班)はこう語る。
--昭和12年(1937)に支那事変が始まってから、日清日露の戦争では見られなかった戦場での軍規、風紀の乱れが目立ち、「非違犯行」がかつてないほど増大していった。「非違犯行」というのは、上官暴行、戦場離脱、強姦、放火、略奪など不道徳、不真面目なもので、軍上層部の方でも何とか手を打たなくてはならないと真剣になっていて、担当の教育総監部、陸軍省軍務課が、部内における軍規、風紀粛清の仕事にとりかかったのである。(文芸春秋臨時増刊「太平洋戦争日本陸軍戦記」1971年4/10発行)

●検証~「ユダヤ人を助けた杉原千畝リトアニア副領事のように、日本は人種差別に反対していた。アジアで平等を実現しようとしていた」とする意見について

「八紘一宇」は“天皇の下ですべての民族は平等”という理念だが、『宣戦ノ詔書』には「八紘一宇」の言葉は出て来ない。台湾や朝鮮の住民はほとんど無権利状態で、地方行政に参加する選挙権もなければ、代表が帝国議会に議席を占めることはなく、一方で義務として徴兵まで課せられた。同じ皇民というが、実際には朝鮮人を半島人、中国人をチャンコロと呼び、決して同等の者として扱わなかった。
右派は白人帝国主義による人種差別主義を批判しているれども、1936年に防共協定を結び、1940年に軍事同盟を結んだドイツこそ、人種差別主義の最たる例。人種差別に反対するならドイツと手を切らねばならぬはず。
※杉原千畝は後に訓令違反で外務省から処分され退職に追い込まれている。つまり日本政府の方針ではなかった。

●日本軍が隠したかった毒ガス戦
日本軍は日中戦争において北支那方面軍の「晋南粛正戦」から毒ガス兵器(あか筒・あか弾)を使い始めた。「武漢攻略戦」(1938)では少なくとも375回の毒ガスを使用している。1939年以降は、修水渡河作戦、新墻河渡河作戦、奉新附近の戦闘、大洲鎮附近の戦闘、華南の翁英作戦、宣昌攻防戦などで毒ガスを使っている。翁英や宣昌ではきい剤(イペリット)が使われた。もしも連合国にこれらの毒ガス攻撃がバレると、今度は日本軍が毒ガス兵器の的になる恐れがあったので、当初この事実はひた隠しにされた。ちなみに、毒ガス攻撃は天皇の裁可を得て発せられている。(詳細リンク




【考察】福沢諭吉は差別主義者か?~いわゆる『脱亜論』について

政治系のネットでよく見かけるのが、以下の『脱亜論』コピペ。
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日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待し てはならない。

「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)
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『学問のすゝめ』で「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」と書いている諭吉と、『脱亜 論』で蔑視発言をしている諭吉が僕の中でずっと一致しなかった。そこでいろいろ調べて分かった事がある。諭吉は朝鮮や清の政府権力を批判しても、民族全体 を蔑視したことはなかった。それに原文には「国際的な紛争の場面でも“悪いのはお前の方だ”と開き直って恥じることもない」にあたる文章はない。


(1)「脱亜入欧」という言葉を諭吉の信念の如く思い込んでいる人がいるが、諭吉が「入欧」という言葉を使った事は一度もなく、「脱亜」という単語も使用されたのは「脱亜論」1編だけ。つまり「脱亜入欧」が諭吉の思想の核にあったわけではない。
(2)しかも「脱亜論」は諭吉主宰の『時事新報』(1885年3月16日付)の社説ではあるが、 あくまでも無署名であり、諭吉が書いたという証拠はない。複数の人物が社説を書いており高橋義雄など別人の起稿ではないか。その証拠に、諭吉自身は掲載の 前も後も「脱亜論」に言及したことがない。
(3)「脱亜論」掲載時、この社説は世間で全く話題になっておらず、発表から48年が経過した1933年(満州事変2年後)に、岩波『続福澤全集・第2巻』へ収録されるまで忘れられていた。
(4)さらに18年が経った1951年、戦後になって歴史学者・遠山茂樹が「脱亜論」を“発見”し、アジア侵略論の源流として紹介した。
(5)近年、「脱亜論」の原文から一部分のみを抜粋し意訳したものを右派が好んでネットに流している。
(6)諭吉自身は朝鮮人を蔑視するどころか、朝鮮近代化への大きな情熱を持っていた。慶應義塾に朝鮮人留学生を積極的に受け入れ、朝鮮文化発展の為に私財を投じて朝鮮最初の新聞を発行し、ハングル活字を鋳造させた。
(7)諭吉は朝鮮にも封建制度を終わらせる維新が必要と考え、近代化を目指す朝鮮開化派の金玉均 (きん・ぎょくきん)らを全力で支援した。1884年12月4日、朝鮮で開化派が決起し「甲申事変」が勃発。このクーデターで開化派は新政府を樹立したも のの、清軍の介入によって三日天下に終わった。
(8)金玉均など開化派の中心人物は日本に亡命し、諭吉は保護に奔走する。一方、朝鮮にいる開化派の家族は、見せしめのため三親等(曾祖父母~曾孫)まで捉えられ、恐ろしく残虐な方法で処刑された。
(9)「脱亜論」が掲載されたのは「甲申事変」のクーデター失敗から約3ヶ月後。仮に諭吉が起稿 したとすれば、文中にある「朝鮮国に人を刑するの惨酷(ざんこく)あれば」「支那人が卑屈にして恥を知らざれば」などは、開化派処刑への激しい義憤から叩 き付けたもので、差別意識から書かれたものではない。
(10)つまり、「脱亜論」は諭吉が書いたものか分からないし、また、書いたとすれば“朝鮮近代 化の夢=甲申事変の挫折”という背景を知る必要があり、その後は2度と諭吉が「脱亜論」を語っていないことからも、この社説をもって「あの諭吉も中国・朝 鮮人の愚かさを語っている」とする右派も、「諭吉は差別主義者だ」と糾弾する左派も、共に的外れとしか言いようがない。


●勝海舟は日清戦争に大反対だった

勝海舟は欧米列強のアジア進出に対抗する為に、日本、清、韓国がガッチリとスクラムを組むべきと考えていた。海舟は日本と清がアジアで戦えば欧米が喜ぶだけと思っていたんだ。海舟の談話を収録した『氷川清話』より→
「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか。たとへ日本が勝ってもどーなる。支那はやはり(謎の)スフィンクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力がわかったら最後、欧米からドシドシ押しかけてくる。つまり欧米人が分らないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。いったい支那五億の民衆は日本にとって最大の顧客さ。また支那は昔から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。おれなどは維新前から日清韓三国合従(がっしょう)の策を主張して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものさ」。




●韓国の反日について
反日には理由がある。以下の理由を日本の保守が認めないので、余計に反日感情が燃え上がる。

・日韓併合は韓国側が望んだもの?
→条約の文面上はそう。しかし、事前に外交権を奪い、軍隊を解散させ、首都に日本軍を置き、その上で韓国の親日の利権団体“一進会”を利用して併合運動をさせた。しかも一進会が望んだのは“対等併合”。日本は日韓併合と同時に集会・結社の権利を奪い、翌月に一進会を“用済み”として散させた。

・日韓併合のおかげで人口が増えた?
→当時は医療改革、農地改革で世界的に人口増加。しかも英仏植民地の方が朝鮮の倍以上も人口が増えている。

日本の朝鮮統治 1910-1940年の人口増加率は44% 1年平均増加率は1.2%
アメリカのフィリピン統治 1903-1939年の人口増加率は110% 1年平均増加率は2%
フランスのラオス統治 1912-1940年の人口増加率は66% 1年平均増加率は1.8%
イギリスのインド統治 1877-1940年の人口増加率は50% 1年平均増加率は0.6%
フィリピンは30年ちょっとで2.2倍に増え、インドシナも1.6倍に増え、インドはイギリス統治下で1.3億人増えた。そもそも、人口増加をもって“善政を敷いた”というなら、中国共産党政府は良い政府ということになる。
中国人口の推移
1945年 5.5億人
1950年 6億人
2000年 12.7億人
・創氏改名は韓国側が望んだもの
→反対して自殺者が出ている。創氏改名の手続きが始まっても1割程度しか届け出をしないので、必死に圧力をかけた。詳細

・侵略するメリットがない
→コメを大増産させ、大量に日本に輸出させた(飢餓輸出)。併合後に田畑の面積は増えたが、韓国人一人当たりのコメ消費率は3割もダウンした。

石原都知事は、日本の韓国の統治は欧米のアジア植民地統治に比べてむしろ非常に優しくて公平なものだったという。「あいつよりは弱く叩いた!あいつより責められる筋合いはない!」と言いたいのか。

●NHK教育 ETV特集『韓国・朝鮮人戦犯の悲劇』(冒頭5分。これだけでもズシリと来る)
日本の戦争に動員され戦犯として裁かれた朝鮮半島の人々。終戦後、BC級戦犯5700人が捕虜虐待・住民虐殺の罪で裁かれ、934人が処刑になったが、23人は半島出身だった。徴兵時の建前は“募集”だったが、最初から半島の村ごとに割り当て人数が決まっていた。半島出身者は捕虜監視員をさせられた。6人で500人の捕虜を監視し、逃がすと殺された。軍では虐げられ、日本軍の二等兵にさえ敬礼させられた。
/捕虜監視員は命じられて病気の捕虜を鉄道建設の現場へ連れて行った。結果、多数の捕虜が命を落としたことから、戦争犯罪として死刑となった(日本占領地では連合軍捕虜の27%が死亡)。韓国人は死刑台の上で「独立万歳」と叫んだ。“日本兵”として扱われ、処刑される韓国人は、死に対して納得がいかなった。
/元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さんはタイの捕虜収容所の監視員。死刑判決を受けたが減刑され、懲役20年となった。巣鴨プリズンで刑期を終えて半島の故郷へ戻った仲間は、「戦争協力者」「対日協力者」として非難された。釈放後に2人自殺した。サンフランシスコ講和条約で日本国籍を奪われ、日本人ではないので遺族年金も何もない。63年放置され家族は崩壊した。「日本人の場合は同じ戦犯、死刑囚であっても、自分の国の為に戦って死んでいくんだという心の拠り所がある。私たちには祖国の為に尽くしたという慰めがなかった。それがすごく辛い」。

政府統計(厚労省)における「新受刑者中暴力団加入者の国籍」
「暴力団員の3割は在日」というコピペがネットに出回っている。08年の新受刑者3265人の国籍を調べると、日本3191人、韓国・朝鮮63人、中国5人、米国2人、不明4人となっており、暴力団全体の1.9%しか韓国・朝鮮人はいない。97.7%は日本国籍。受刑者データを見る限り「3割が在日」というネット情報とまったく辻褄が合わない。

“在日特権”に関するデマ…外国人全体が持っている権利を混同したデマが多い。

韓国のことわざに関するデマ…嫌韓サイトが好んで引用する、いかにも韓国人が自分勝手であるかのようなことわざは、真意がねじ曲げられていたり、実際に存在しなかったりするものが大半。日本語にも「旅の恥はかきすて」「秋茄子は嫁に食わすな」など悪意をもって紹介されそうなことわざが色々ある。

人権擁護法案に関するデマ…正確な知識を!

民団新聞に関するデマ…投稿者の名前以外は全く別の内容に変えられている。誰かが書き込んだ捏造を無批判に書き写し、自分達だけが知っている重要情報だと思い込み、世間の人を情報弱者と蔑んで自己満足に浸る構図に要注意。



〔いわゆる“ネット右翼”がばらまいてきたデマ一覧〕

・醜い韓国人の著者・朴泰赫→実は韓国人の偽名使った日本人でした
・有名人の朝鮮人認定→ほとんど嘘
・有名人の嫌韓発言→ほとんど嘘
・在日特権→捏造。ソースなし
・朝鮮進駐軍→捏造・韓国の食糞・嗜糞文化→捏造
・韓国の諺一覧→歪曲と捏造
・試し腹→捏造・日本のものでした
・恨の精神→嘘情報・勘違いしている人多し
・在日の兵役→捏造
・韓国の起源主張→歪曲・誇張
・FuckZapanが二位→捏造
・太平洋戦争はアジア解放のため→建前・開戦後
・フィリピン・インドネシアの人は感謝している→捏造
・パラオの国旗は日の丸が元→捏造。製作者が否定
・日露戦争勝利を祝う欧州諸国のエピソード→捏造
・韓国は併合を請願してきた、しかもこちらが文明化させてやった→建前
・韓国人の多くは朝鮮戦争が起こったのは日本のせいだと思っている→捏造。ほとんどはアメリカだと知っている
・親日法→捏造。そんなものはない
・ゆとり教育を主導した日教組→嘘。自民党
・戦後日本では一貫して自虐教育を行ってきた→嘘。むしろ加害をスルー
・諸外国では愛国教育・国旗国歌は当たり前・国民が自国を愛するのは当たり前→嘘

●韓国人自身による戦後の黒歴史※僕は“中韓の手先”じゃないので以下のことも記しておく。
1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺
1950年:朝鮮戦争 400万人・民族戦争
1950年:保導連盟事件 30万人虐殺
1951年:国民防衛軍事件 10万人虐殺
1951年:居昌事件 8500人虐殺

ベトナム戦争では、韓国軍は延べ約30万名(最大兵力5万人)もの「猛虎」部隊をベトナムに派遣。これについては、後に2人の韓国大統領が直接ベトナムを訪れて謝罪し、反省している。




●靖国神社について

僕は千鳥ヶ淵戦没者墓苑、鹿児島の知覧特攻平和館、沖縄の旧海軍司令部壕、松代の大本営跡、ニューギニアやソロモン諸島などの南方の戦跡、その他各地を巡ってきた。広島の平和記念資料館や長崎の平和公園、東京都慰霊堂(大空襲の死者を慰霊)にも。日本人としてあの戦争の犠牲者を慰霊し、不戦の誓いをする為だ。同じ理由で靖国にも数回訪れている。しかし、靖国の場合、他の墓や戦跡とは異なる複雑な感情も抱いている。靖国神社は江戸時代にはまだ日本になかった。明治に入って長州藩出身の大村益次郎が戊辰戦争の官軍戦死者の為に作った歴史の浅い神社だ。日本神話とも何の関係もない。そして政府はこの神社を利用して国民にこう言う、「国の為に戦って死んだら、肉体は滅んでも魂だけはその神社に行き神様になるのだ」と。“神様になれる”と政府に突然言われても、そこに何の根拠もないし、僕にはにわかに信じ難い。死の恐怖から目をそらせる為の「戦争遂行装置」に見えてしまう。

それでも僕が靖国を訪れるのは、「靖国で会おう」と言って散っていった人の気持ちを尊重したいからだ。人間の心をマインド・コントロールした政府指導者たちは許せないが、それを信じて殉じた人の純粋な心は敬意を払うべきだ。そしてだからこそ、あの神社に戦争指導者が祀られていることが納得できない。むろん、戦争の全責任が一部の指導者だけにあるとは思っていないし、煽ったマスコミにも非がある。しかし、ミッドウェー海戦で空母が壊滅し、サイパンやグアムが陥落して日本の本土爆撃が可能になった時点で降伏していれば、その後の沖縄の悲劇も、全土の大空襲も、2発の原爆もなかった。捕虜になることを禁じ、食料・弾薬の補給を軽視し、いたずらに人命を奪った無能な作戦の数々。これらは明らかに戦争指導者の責任だ。僕は靖国に行くたびに、こうした様々な思いでやりきれない気持ちになる。(兵士達が国家神道の教義を100%信じていたわけではないにしろ、意図的に靖国という「心の拠り所」を作り、必要のない死を強要した為政者の責任は大きい)

そして自覚せねばならないのは、ここまで書いてきたことは日本国内(日本人同士)だから通用する感情ということ。侵略された側にしてみれば、ロシアの脅威があるからとか、石油がないからとか、そんな日本の事情で食料を奪われたり殺されてはたまったものじゃない。それでも戦後、中国の人は「悪いのは日本の戦争指導者であり、徴兵された日本兵もまた被害者なのだ」と思うことで、憎しみを断ち切り気持ちを前進させてきた。そうでなければ、全ての日本人を恨み続けることになるからだ。
それ故に、戦争指導者を祀る靖国に小泉首相が参拝した時に、“日本国民も被害者のハズではなかったのか”と、激しい反発が起きた。小泉首相が「不戦を誓う為に参拝した」というのは本当だと思う。しかし首相は「加害者の心の問題」だけを重視して、「被害者の心の問題」には全く耳を傾けなかった。世論は“中国は内政干渉するな”と盛り上がったけど、僕は相手が怒っている時にその理由を知ろうとしない空気に違和感を感じていた。戦争指導者が祀られてから、天皇は靖国を訪問していない(出来なくなった)。台湾や朝鮮出身の“日本兵”の遺族は「勝手に祀らないで欲しい」と訴えている。こうしたことからも、靖国側が宗旨で分祀できないなら、国が新たな追悼施設を早く作るべきだ(個人的には千鳥ヶ淵と合体するのがベストだと思う)。

アメリカは911が起きた時に、なぜイスラム側が怒っているのか理由を掘り下げて考えることを放棄し、空爆で復讐した。その結果、ますます憎悪の対象になっていった。イスラエルもなぜパレスチナからロケット弾が飛んでくるのか本当の理由を見ようとしない。相手の怒りの根本を直視しないから問題が解決しない。中国、韓国、北朝鮮の各政府・指導者は、自らの求心力を高める為に「反日」思想を利用している側面があるけど、そこに燃料を投下して反日教育をバックアップしているのが過去を美化する日本の一部政治家たち。彼らの無思慮な言動が反日教育の新たな“燃料”となって3国の政権を支える。国民の“ガス抜き”として日本叩きに利用される。日本側にも「3国はこんなに反日だ」と“向こうが嫌うならこっちも嫌ってやれ”と煽る連中が出てくる。不幸なのは憎まされる双方の国民だ。






・「もともと普通の人々は戦争したいと思っていない。運がよくてもせいぜい無傷で帰って来る位しかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようと思うはずがない。だが、国の政策を決めるのは結局指導者であり、反対の声があろうがなかろうが、人々を指導者の望むようにするのは簡単だ。民主主義であろうと、ファシストの独裁であろうと、共産主義であろうとそれは同じだ。『我々の国が攻撃されている。愛国心のない反戦・平和主義者が国を危険にさらそうとしている』と非難しさえすればいい。この方法はすべての国で同じように上手くいく」(ヘルマン・ゲーリング)元ナチス最高幹部/秘密警察創設者

・「(終戦翌年に記す)多くの人が、今度の戦争で騙されていたという。みながみな、口を揃えて騙されてたという。私の知ってる範囲では、“俺が騙したのだ”と言った人間はまだ1人もいない。(略)“騙されていた”といって、平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でもすでに別の嘘によって騙され始めているに違いないのである」(伊丹万作)※伊丹十三監督の父

・「最初にナチスが共産主義者を弾圧した時、不安に駆られたが、私は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。次にナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったので何の抗議もしなかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、その度に私の不安は増したが、それでもまだ行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから立ち上がって行動に出たが、その時はもうすべてが遅かった」(マルチン・ニーメラー牧師)

《アドルフ・ヒトラーの言葉》※警句という意味で紹介

「いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない」

「大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。大衆は提供された素材を消化することも記憶することもできないからである」

「政治の本質はフィクションだ。政治は演劇と同じ、国家が行うショーなのだ。小さな嘘はすぐばれるが、大きな嘘は真実になる。虚偽を創造する巨大なメカニズム、それが国家だ。大衆共に壮大で甘美な夢を見させてやるのが我々の務め。国家はそのためのドリームマシーンだ」

「支配者にとって人々が思考しないということは、なんたる幸運であろうか」



●中国へのODA(政府開発援助)
これはもう必要ないと思う。中国は日本が実現していない有人宇宙ロケットの打ち上げに成功しており、膨大な額のアメリカ国債を買い入れている。経済規模から言っても、対中国ODAは役目を終えたといっていい。
※ネットでは「村山政権や細川政権は安易に中韓の謝罪を受け入れ多額の賠償金(ODA)を支払った」という意見を見るけど、それは完全にデマ。この表を見れば一目瞭然。細川内閣~村山内閣の93-95年の対中国円借款の額は、他の突出した年よりも少ないくらい。88年の竹下内閣、96年の橋本内閣は1500億円オーバー、97年の橋本内閣、98年の小渕内閣、00年の森内閣に至っては2000億円超えの過去最高レベルで推移している。※細川内閣は1387億円、村山内閣では1400億円ちょい。

●60年安保闘争について
かつて、団塊の世代はなぜ大規模な安保反対運動をしたのか?岸首相(安倍首相の祖父)の実像と共に、その理由を簡単にまとめた。

(1)岸首相が強行可決のために警官500人を国会に投入して野党議員を排除した非民主的な政治手法への抗議
(2)まだ終戦から15年しか経っておらず「米軍基地の固定化に繋がる」「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込む」と反対
(3)あの無謀な戦争に突入した東條内閣の大臣であり、A級戦犯容疑者である岸首相に対する反感(国土を廃墟にした責任を少しでも感じているのなら表舞台に出てくるなという怒り)
(4)東久邇・片山・石橋という三人の元首相が、岸首相へ退陣勧告をしたことを無視したことへの不満
(5)岸首相がデモ鎮圧に暴力団(松葉会、錦政会、住吉会)などの反社会的団体や、右翼連合組織(新日本協議会、全日本愛国者団体会議、日本郷友会他)、右翼“宗教団体”会員を導入したことが、市民の怒りにさらに火を付けた。※しかも、ヤクザを雇う金は米国政府、CIAが約8億円(今の43億円相当)も出していたとのこと(wikiより)。

僕は岸首相を全否定するのではなく、功績として安保改正時に、在日米軍基地使用に事前協議を必要とさせたこと、米国による日本防衛義務を明記させたこと、条約の期限を“10年ごとの見直し”とさせたことを高く評価している(不平等条約の改正)。しかし、新安保調印で岸首相が渡米した際に交わした密約には、「朝鮮半島有事の際は、米軍は日本政府に無断で日本の基地を使用可能」「核兵器を日本に持ち込む時に事前協議は必要なし」という驚愕の内容も含まれており、さらに米国による対日工作の公文書が公開されたことで、裏取引の出来レースだった可能性が発覚し、その「功績」もちょっと微妙に…。開戦時の商工大臣だった岸首相が3年の刑期で釈放されたのは、GHQの情報機関(G2)が岸氏の早期釈放を勧告した結果だ(この釈放からたった9年で首相となったのも、あまりにトントン拍子すぎ)。NYタイムズ(94.10/9)は岸政権時代の自民党に数百万ドルの資金(選挙資金?)がCIAから渡ったというスクープを報道しており、両者の蜜月ぶりが垣間見える。




★歴史学者(秦郁彦、保阪正康)が指摘する「田母神論文」の間違い


(1)日本の進軍〈日本は相手国の了承を得ず軍を進めたことはない〉
秦 論文の冒頭近くにある記述だが、これは思いちがいだろう。「満州事変はどうだったのか」と反問するだけで崩れてしまう論だ。満州事変は、日本の関東軍が謀略で鉄道を爆破し一方的に始めた戦争だ。謀議者から実行部隊の兵士まで、すでに関係者の多くの証言がある。当時の軍首脳も政府も追認し、予算も支出している。日中戦争も大東亜戦争も相手国の了承なしに始めた戦争だ。

保阪 史実を押さえれば、田母神論文のような解釈はできない。「国際法上合法的に中国大陸に権益を得て……」とあるが、西欧列強もアジアでの支配を合法化した。だから正しい、と言うのは歴史の見方ではない。帝国主義の支配者は被支配者より何倍も狡猾(こうかつ)だ。「多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」とも記述しているが、子どもの言い訳に等しい。

(2)コミンテルン〈我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた〉
秦 国民党内にコミンテルンのスパイがいたから、蒋介石はコミンテルンに動かされていたなどと言うのは、「風が吹けばおけ屋がもうかる」式の強弁だ。張作霖爆殺事件も、コミンテルンの仕業だという説が「極めて有力になってきている」などと田母神論文は書くが、歴史学の世界では問題にされていない説だ。 張作霖爆殺事件が関東軍の仕業であることは、首謀者の河本大作はじめ関係者が犯行を認めた。このため田中義一内閣が倒れ、「昭和天皇独白録」でも、「事件の主謀者は河本大作大佐である」と断定されている。他にもコミンテルン謀略説が論文のあちこちに出てくるが、いずれも根拠となる確かな裏付け資料があいまいで、実証性に乏しい俗論に過ぎない。

保阪 当時の国民党の指導者に取材したことがある。共産党側の人間が国民党に入っていたのは事実だが、コミンテルンが国民党を動かしていたというのは間違いだ。日本の軍部がソ連や共産主義への危機感をあおっていた見方だ。「陰謀史観」で歴史を見るようになると、何でもそれに結びつける。「盧溝橋事件でだれが撃ったか」は本質的な問題ではない。中国で日本軍が軍事演習を行っていた背景を見なければならない。

(3)米大統領の罠〈日本はルーズベルトの罠(わな)にはまり真珠湾攻撃を決行〉
秦 これも、バージョンを変えて繰り返し出てくる「ルーズベルト陰謀説」の一種だ。ルーズベルト大統領は日本側の第一撃を誘うため真珠湾攻撃を事前に察知していたのに現地軍へ知らせなかった、という筋書きのものが多い。こうした話はミステリー小説のたぐいで、学問的には全く相手にされていない。

保阪 米国が日本に先手を打たせたかったというのは事実だろう。だが、日本外交の失策に目をつぶって共産主義者が悪いというのはおかしい。41年4月に日米交渉が始まり、7月に日本は南部仏印に進駐。それに対し、米国は日本の在米資産凍結、石油禁輸措置を決める。政府や大本営が米国を見誤った「甘さ」の方が問題だ。日本が正しくてはめられた、などという論は無責任だ。

(4)アジア諸国の評価〈多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価〉
秦 果たしてそうだろうか。田母神論文はこれに続けて「タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高い」と国名を列挙するが、日本軍が華僑虐殺をしたシンガポールでは、最近まで反日的な空気が強かったと承知している。独立国だったタイも日本軍の駐屯で被害を受けているので、感謝しているとは思えない。何より、列挙には、一番損害の大きかった中国が入っていない。満州事変に触れなかったのと同様、重要な史実からは逃げ、都合の良い話だけをつないだように見える。

保阪 インドネシア独立義勇軍に加わった何人もの元日本兵に取材した。独立のため戦死した日本兵も多い。本当に東南アジアの解放のために戦ったのはそういう人だが、国は「逃亡兵」とした。そういう事実を見もしないで、都合のいいことを語っている。

(5)侵略国家〈我が国が侵略国家だったというのは正に濡れ衣〉
秦 田母神論文は前の方で、「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と書いている。そこはその通りだと思う。しかし、日本も他の国も侵略国家だったとすると、論理が合わなくなるのではないか。

保阪 「侵略国家」とは、どういう意味か。戦後、一つ一つの史実を検証したうえで「これは侵略だ」と認定してきた。中国を侵略したことは政府でさえ認めた。否定するならば論拠を示すべきだ。論文に書かれている事実はいずれも核心ではない。一部を取り出して恣意(しい)的につなぎ合わせるだけでは一面的だ。戦後、史実を実証的に積み重ね、戦争を検証してきた。論文は「60年」という時間を侮辱している。

<全体を通じて>
秦 論文というより感想文に近いが、全体として稚拙と評せざるをえない。結論はさておき、その根拠となる事実関係が誤認だらけで、論理性もない。

保阪 かつて兵士たちが生還して色々なことを知ったとき、「日本もむちゃをやった」と素朴な感慨を持った。われわれはそこからスタートしている。昔の日本に批判的なことを「自虐史観」というが、「自省史観」が必要なのだ。ナショナリズムを鼓吹した時、それは偏狭な運動になる。歴史を誇るのであれば、事実に謙虚でなければ。

(2008年11月11日朝日)


田母神氏の説はとんでもない自虐史観だけど、支持者はそれに気づいているのかな。氏は“日本軍は単なるコミンテルンの操り人形で、共産主義者の言うがままに戦争して自滅した”と…。こんなとんでもない自虐は見た事が無い。先人に対する侮辱。日本人はコミンテルン操られるほど馬鹿なのか?保守急進派は日本人が300万死んでも反省しない連中なのか。


現代史家 秦郁彦による田母神論文批判(週刊新潮より)
1.張作霖爆殺事件は関東軍河本大作大佐によるものという史実が判明している。コミンテルン説などありえない。
2.盧溝橋事件で劉少奇が外国人記者との会見で「現地指揮官は自分だった」と証言していると田母神論文には書かれているがそんな会見は存在しない。
3.事件の首謀者を中共と書いているが、論文に引用されている私(秦郁彦)の著書『盧溝橋事件の研究』では事件の首謀者=中共説をはっきり否定している。私は軍閥宗哲元率いる第29軍の兵士が偶発的に撃った銃弾と結論付けている。
4.太平洋戦争がルーズベルトの罠なんて学問的には誰も認めていない。コミンテルン陰謀説など風が吹けば桶屋がもうかる的な妄想。
5.コミンテルン謀略説の根拠とされる、スパイだと名を挙げられたハリー・ホワイトは、ハル・ノート当時は次官ですらなく財務省の一部長に過ぎない。ホワイトがハル・ノートを決めたなんて言い過ぎ。

●石破 茂~田母神・前空幕長の論文から思うこと(2008年11月5日

田母神(前)航空幕僚長の論文についてあちこちからコメントを求められますが、正直、「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」の一言に尽きます。同氏とは随分以前からのお付き合いで、明るい人柄と歯に衣着せぬ発言には好感を持っており、航空幕僚長として大臣の私をよくサポートしてくれていただけに、一層その感を深くします。(略)
「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。
加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です。
「東京裁判は誤りだ!国際法でもそう認められている!」確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から「やりなおし」ができるのか。賠償も一からやり直すのか。
「日本は侵略国家ではない!」それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。「遅れて来た侵略国家」というべきでしょう。
「日本は嵌められた!」一部そのような面が無いとは断言できませんが、開戦前に何度もシミュレーションを行ない、「絶対に勝てない」との結論が政府部内では出ていたにもかかわらず、「ここまできたらやるしかない。戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。敗戦時に「一億総懺悔」などという愚かしい言葉が何故出るのか。何の責任も無い一般国民が何で懺悔しなければならないのか、私には全然理解が出来ません。

ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖国問題の混乱も、根本はここにあるように思われます。
大日本帝国と兵士たちとの間の約束は「戦死者は誰でも靖国神社にお祀りされる」「天皇陛下がお参りしてくださる」の二つだったはずで、これを実現する環境を整えるのが政治家の務めなのだと考えています。総理が参拝する、とか国会議員が参拝する、などというのはことの本質ではありません。
(略)
この一件(解任)で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。
押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。
「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。
制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。


●戦前の児童教育・個人崇拝
・学校では毎日全体朝会がもたれ、君が代斉唱のもとに「宮城(天皇がいる所)遥拝」が行われた。
・天皇・皇后の写真「御真影」は、校舎外に作られた「奉安殿」に安置されていた。「奉安殿」は登下校の児童や一般人の礼拝対象だった。
・祭日や君が代斉唱に国旗掲場や教育勅語の朗読が加わった。これらの儀式には町村長や地域の名士が参加。号令で黙祷が始まると、燕尾服に身を包み白手袋をつけた校長が「奉安殿」の扉を開け、教育勅語を取り出して朗読。
・1933年頃、沖縄本島南部の第一大里小学校長が、御真影の件で責任をとり、割腹自殺をはかった。それくらい校長にとっては責任の重いものだった。
・学校は「国体の本義」と「臣民の道」を子どもに徹底させることが目標。国体の本義とは、「万世一系」「忠君愛国」「義勇奉公」の3つ。教育勅語の精神をいかに徹底させ得たかが、教師の評価となった。
・天皇制教育は食事の面にまで及び、「薯とらば天地御代(あめつちみよ)の御恵み君と親との御恩味わえ」(これからいただくものは天皇陛下のお恵であるから、天皇陛下と親に感謝していただきます)の歌を歌った。

★作家・山田風太郎、1960年の日記
「日本人の国民性のひとつに“無責任”ということがありはしないか。こう考えるのは、開戦時における陸海軍首脳の無責任を思い出すからだ。アメリカを相手に開戦して勝てるかと言うと、陸軍も、海軍も、自信がなかった。自信のないまま、ズルズル開戦してしまった。これが一般国民とか、一般軍人ならいい。しかし、国家の存亡を担う首脳として、あまりに無責任な考えである。彼らは海軍の名誉利害、陸軍の名誉利害ばかり考えて、日本の名誉利害を考えなかった。ようするに、日本人の無責任性が最悪の形で表れたものとしか言いようがない」

「昭和の戦争を振り返ると、日本人には“起こって欲しくないことは起こらない”と勝手に思い込むところがある。集団催眠のような状態だ」(半藤一利)作家

(注)僕はいかなる政党、政治思想団体、市民団体、宗教団体にも属していません。単純に「何があったか」、事実を知りたいだけです。

〔各種参照資料〕
15年戦争資料@wiki…史料の原文リンクなどが充実。
戦争犠牲者数…様々な元資料をまとめている。力作。
日本兵の6割が餓死…補給のことを全く考えていないずさんな作戦計画。“あの戦争は仕方なかった”論は、こんないい加減な戦略を立てた軍首脳の責任をうやむやにしてしまう。
台湾人を抑圧…結果的にチャンネル桜が日本人による台湾人差別(2等国民)を炙り出す。「チャンコロといっていじめられた」「配給は日本人が白砂糖で台湾人は黒砂糖だった」「日本人の教授から“台湾人はくさい”といっていじめられた」「(医大生時代に)日本人の助教授は台湾人の患者を見向きもしなかった」「日本人は差別とか侮辱とかやっていた」「日本やアメリカでがーがーいってる台湾人(金美鈴?)、名前は言いませんが、なんで台湾帰ってこないんだ、台湾帰ってきて民族運動やれといいたい。向こうに籍があるんだから台湾人じゃなくて日本人なんだよ」。台湾が親日なのは、日本が50年統治(1895~1945)した後に入って来た蒋介石と国府軍の統治が酷すぎたから。台湾には「犬(日本)が去って豚(国民党)が来た」という言葉がある。台湾人が「日本のおかげで発展した」というのは良い。でも日本が「我々の台湾を“発展させてあげた”」といえば傲慢になる。



「ネットで真実を知った!反日教師やマスコミに騙されていた!」と叫びつつ、別のものに騙されることがないように。

デマの検証サイト一覧…民主党、蓮舫、辻元清美、アグネス・チャン関連のデマがやたら多い。
・「マッカーサーですら大東亜戦争は自衛のための戦争と認めた」は保守派の嘘…原文では失業対策など経済問題が戦争行為の理由と言っている。
パチンコ『おぼっちゃまくん』…小林よしのりの矛盾。
・ネット右翼の書き込み活動…この人、AM5時~6時以外、常に書き込み(コピペ)続けているのか…。この集中力と持続力を汚職官僚や悪徳企業の批判、脱原発、パレスチナ難民など海外で不当に抑圧されている人の救済活動に向けてくれたらなぁ。
・ネトウヨだったころの黒歴史を語れ…「ブサヨは休日や夜になるとわらわら沸いてくる。平日の昼間はサヨがいなくなるからそれまで寝てるのがオススメ」。何の疑問もなく書き込めるところに温度差が。


★福島第一原発の事故を受けて、今後原発をどうすべきか『SAPIO』(2011年8月17日号)が保守派言論人26人に緊急アンケート。
●「無条件継続」4名
田母神俊雄(元航空幕僚長)、藤岡信勝(拓殖大学客員教授)、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、高山正之(ジャーナリスト)
●「条件付き継続」17名
櫻井よしこ(ジャーナリスト)、金美齢(評論家)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、三橋貴明(経済評論家)、潮匡人(評論家)、遠藤浩一(拓殖大学大学院教授)、日下公人(評論家)、志方俊之(帝京大学教授)、田久保忠衛(杏林大学客員教授)、中西輝政(京都大学教授)、西岡力(東京基督教大学教授)、長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)、村田晃嗣(同志社大学教授)、森本敏(拓殖大学大学院教授)、八木秀次(高崎経済大学教授)、屋山太郎(評論家)、吉崎達彦(双日総合研究所副所長・チーフエコノミスト)
●「将来的に廃炉」1名
秦郁彦(現代史家)
●「議論待ち、どちらでもない」4名※こんな大問題に対して立場を鮮明にできない人物
青山繁晴(独立総合研究所社長)、佐伯啓思(京都大学教授)、高森明勅(日本文化総合研究所代表)、西村幸祐(ジャーナリスト)
うーむ、“保守は原発推進者でならねばいけない”という強迫観念でもあるのか?安全保障の面からいえば、ひとたび攻撃を受ければ国土に人間が住めなくなる原発は危険きわまりない(しかも大半が日本海側に並んでいる!)。



※愛国を叫ぶ前に、保守であれば初歩的な日本語教育が自身に必要なのでは?

 




《ひたすら皇室を貶める“明治天皇の玄孫”竹田恒泰について》

“明治天皇の玄孫”という肩書きを前面に出してヘイトスピーチを繰り返す竹田恒泰氏(39)の言動は目にあまる。僕は基本的に政治家=社会的強者しか批判しないけど、デマを流したり人種差別を煽動する人物は別。
竹田恒泰氏の二次加害発言は枚挙にいとまがないけど、その中でも最も酷いと感じたのがリンク先のツイート「韓国が慰安婦の像を作るなら、日本は、嘘をつく老婆の像でも作ったらどうだ?口をとがらせてまくしたて、片手には札束を握りしめて、ゆすりたかりをしている感じで」。

慰安婦の悲しい運命を知っていれば、人間としてこんな発言が出来ないはず。知っていて書いているのなら正気とは思えない。竹田氏は今春、慶応大の非常勤講師をクビになった。憲法学の重鎮で保守派改憲論者の小林節・慶大名誉教授でさえ匙(さじ)を投げたのだ。
小林氏いわく「彼の天皇に関する様々な論考を見て、憲法学について勉強させるために講師にしましたが、その肩書が営業の看板に使われた。注意をしても『はい、分かりました』と言って無視をする。反省を望みましたが、あまりにもみだらな話がたくさん出てきて、そういうときに慶應の講師なんて肩書が使われて、ぞっとします。だから私が定年退職する際に、“おちゃらけタレント”みたいになった竹田君も一緒に慶應から消えてもらったんです。このような状況の原因を作ったことを恥じています」(「週刊文春」5月8日/15日号 )。

かつて竹田氏は「(女性宮家問題について)私は旧皇族の男子30名以上の方に会って意見交換をしています」と『新潮45』(2012年3月号)で語ったが、旧皇族男子=1947年10月14日の皇籍離脱まで皇族だった人物は、2012年時点で65歳を超えており、伏見宮博明王(伏見家)、邦昭王(久邇家)、北白川宮(北白川家)、文憲王(賀陽家)、宗憲王(賀陽家)、健憲王(賀陽家)、邦英王(東伏見家)、誠彦王(朝香家)、恒正王(竹田家)、恒治王(竹田家)、信彦王(東久邇家)、俊彦王(東久邇家)の12名しかいない。12名でどうやって「旧皇族の男子30名以上の方に会って意見交換」ができるのか。僕のような素人でも少し調べれば簡単に分かるウソを、臆面もなく世間に向けて語っていることに目まいすら覚える。

※竹田家は存命の恒正王、恒治王が旧皇族だけど、竹田恒泰氏の父親で2020年の東京五輪組織委員会理事の竹田恆和(つねかず)氏は、竹田家が皇室を離れた翌月に生まれているため1秒たりとも皇族ではない。つまり、子どもである恒泰氏は旧皇族でさえなくただの民間人。「殿下」「殿下」と取り巻きが持ち上げている様子に“殿下じゃないよ、みんなと同じだよ…”と脱力。




人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ(坂口安吾)作家


“時代に合わない”から憲法を変えるのではなく、憲法の理想の方へ時代を変えて行かなきゃならない




《時事コラム・コーナー》

★愛国リベラル近代史年表/日本と中国編
★愛国リベラル近代史年表/日本と韓国・朝鮮編
★愛国リベラル近代史年表/日本と台湾編
★愛国リベラル近代史年表/日本とアメリカ編
★愛国リベラル近代史年表/日本と東南アジア編
★昭和天皇かく語りき
★愛国心について僕が思うこと
★日の丸・君が代強制と内心の自由について
★アフガン・伊藤和也さんを悼む
★チベット問題について
★普天間基地を早急に撤去すべし
★映画『男たちの大和』レビュー
★マジな戦争根絶案






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