池田大作
池田大作 | |
|---|---|
| 肩書き | 創価学会第3代会長 SGI会長 |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1928年1月2日 |
| 死没 | 2023年11月15日(95歳没) |
| 宗教 | 創価学会 |
| 配偶者 | 妻・池田香峯子 |
| 子供 | 長男・池田博正 二男・池田城久 三男・池田尊弘 |
| 出身校 | 東京富士大学短期大学部卒業 |
| 筆名 | 山本伸一、法悟空 |
| 地位 | |
| 受賞 | モスクワ大学名誉博士 ソフィア大学名誉博士 北京大学名誉博士 フィリピン大学名誉法学博士 アンカラ大学名誉社会科学博士 ナイロビ大学名誉文学博士 ローマス・デ・サモーラ大学名誉博士・法学部名誉教授 グラスゴー大学名誉博士 トリブバン大学名誉文学博士 デンバー大学名誉教育学博士 ハバナ大学名誉人文学博士 慶熙大学名誉哲学博士 (詳しくは#顕彰を参照。) |


青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。

池田 大作(いけだ だいさく、1928年〈昭和3年〉1月2日 - 2023年〈令和5年〉11月15日[1])は、日本の宗教家、作家。創価学会名誉会長。
創価学会会長(第3代)、創価学会インタナショナル(SGI)会長などを歴任[2]。創価大学、創価学園設立者でもある。山本 伸一や法悟空のペンネームで作家活動も行っていた。
概要
東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区大森北)に、海苔製造業を営む池田子之吉の五男として生まれる。羽田第二尋常小学校から羽田高等小学校を卒業し、鉄工所に勤務。青春時代は、肺病との闘病を経験。トルストイ、ユゴー、ゲーテ、ホイットマンらの文学に親しみ、詩作を行い、人生についての思索をめぐらせる日々であったという。第二次世界大戦終戦後、勤労の傍ら旧制東洋工業学校、大世学院(後の東京富士大学短期大学部)に通学。1947年(昭和22年)8月、小学校時代の友人に誘われ創価学会を知る。そこで戸田城聖と出会ったことをきっかけに、19歳で創価学会に入会。1949年、戸田の経営する日本正学館に出版編集者として入社すると同時に創価学会での活動を始める。1951年に戸田が創価学会第2代会長に就任するが、池田は同時に青年部で活発な活動を始め、1954年には青年部参謀室長に就任。その後、創価学会の中心的存在となる。その後は、強力な折伏、公明党の票数獲得などに奔走[3][4]。
戸田の死後、1960年(昭和35年)に創価学会第3代会長に就任。827万世帯を超えるまでに発展させた。会長就任以降、海外での布教も強化。1975年、創価学会インタナショナルを設立し会長に就任。第三文明論など仏教を基礎として文明論、学問論、政治論を展開。政界にも進出し、教育・文化・平和活動などに尽力。1964年には、公明党を結成。同党は1970年、「国民政党」として宗教色を廃し、衆議院で最大51議席を獲得するまでとなり、1993年(平成5年)以降は一時期を除き連立政権の一翼を担うに至った。小説『人間革命』、『新・人間革命』など膨大な著書を執筆し、平和、環境、教育問題などに関する言及を行ったほか、創価学会の歴史や理念、将来の構想などを語った。こうした点を含め、池田は「生身で語る宗教家」として評価された。1983年には国連平和賞を受賞[3][4][5]。
創価学会会長を退いて以降も、組織内において影響力を保持していたという。一部の学会幹部の中では、後任の第4代会長以降は組織の代表者にすぎないとの見解があったとされる[5]。会長退任後も積極的に活動していたが、2010年5月13日の本部幹部会以降、創価学会内の公式行事を全て欠席し、主に執筆活動などに専念した[6]。2023年11月15日、東京都新宿区の自宅で老衰のため死去した。
来歴
1949年まで

1928年1月2日、東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区大森北)[7][8][9]に誕生[10][11][12]。 1940年3月、尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職[9]。1945年8月、肋膜炎を患い茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える[10]。同年9月、新橋にある昭文堂印刷で文選工をする傍ら、私立の東洋商業学校(現、東洋高等学校)に編入[7]。1946年、東京都大田区森ヶ崎にある協友会に加入[注釈 1][13]。昭文堂印刷退社後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合蒲田工業会(現:「蒲田工業協同組合」)に勤務[注釈 2]。1947年3月、東洋商業学校を卒業。同年8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教や哲学のいい話がある」と誘われ座談会に出席。戸田城聖の御書講義、小平芳平の折伏を受け、入信を決意し、同年8月24日、創価学会に入信手続きを行った[13][14]。1948年、大世学院(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。1949年1月3日、日本正学館に入社[10]。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。同年5月、日本正学館編集長に就任[7]。同年10月、東京建設信用組合に入社。
1950年代
1950年10月、大蔵商事(現:日章)に異動[注釈 3]。1951年5月3日、戸田が創価学会の第2代会長に就任。同年5月、蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。同年7月、青年部(男子部)が結成され、第1部隊長に就任。1952年3月、参謀室長に就任。5月3日、白木香峯子と結婚[7]。1953年11月25日、長男博正の誕生を期に、正式に「太作(たいさく)」から「大作(だいさく)」に改名[7]。1954年3月30日、青年部参謀室長に任命[7]。同日 設置された「情報部」最高顧問に就任[7]。この頃に大蔵商事を離職[7]。同年12月3日、新設された渉外部長を兼任。
1957年7月4日、参議院大阪府選挙区の補欠選挙において、一部の創価学会員が候補の名前が記されたタバコを配布[15]。この違反行為を池田が指示もしくは黙認したという事実はないにもかかわらず[16]、公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕、大阪東警察署と大阪拘置所に勾留された。
同年7月29日、創価学会幹部45人と共に起訴される。後に検察官より禁固10か月の求刑を受ける[17]が、後に池田の無罪が確定する[18]。
1958年4月2日、戸田が死去(58歳没)。同年6月、新設された総務を青年部参謀室長と兼任[19]。1959年6月30日、青年部参謀室長を辞任し参謀室の北条浩、龍年光と共に創価学会理事に就任[19]。
1960年代



1960年5月3日、創価学会第3代会長に就任[20]。戸田の七回忌までに300万世帯の弘教を掲げる[21]。同年10月、初の北南米訪問。以後、40年で海外54カ国・地域を訪問。現地会員の激励と各国の指導者、知識人との対話を重ねる[22]。1961年1月28日、初のアジア訪問6カ国・地域訪問[22]。同年3月27日、会員世帯数185万世帯を達成[22]。同年10月4日、ヨーロッパ9カ国訪問[22]。同年11月27日、公明政治連盟(公政連)を結成[22]。1962年1月25日、大阪事件で無罪判決が言い渡される。同年1月27日、東洋学術研究所 (現・東洋哲学研究所)を創立[22]。
1963年7月27日、会員世帯数360万世帯を達成[22]。同年10月18日、芸術・文化の交流が真実の世界平和の基盤となると提唱し、芸術交流を推進する音楽文化団体として民主音楽協会(民音)を設立を創立[23]。1964年5月3日、第27回本部総会において、政党の創設と衆議院進出、ならびに正本堂の建立・寄進の計画を発表。宗門から法華講総講頭に任命される。同年11月17日、公明党を結成。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、王仏冥合・仏法民主主義、すなわち人間性の尊重を基調とした民主主義の基盤つくりや大衆に深く根をおろした大衆福祉を実現する旨を発表した[24]。1965年1月1日、聖教新聞紙上で小説「人間革命」の連載を開始。1968年9月8日、第十一回創価学会学生部総会における講演で、中華人民共和国の正式承認と日中国交正常化、中国の国連加盟などを提言。
1970年代
この頃、イギリスの歴史学者であるトインビー博士との対談を1972年に行った[25]のをはじめ、国内外の有識者との対談を行うようになっていった。その他の対談者として、松下電器の創業者・松下幸之助氏(76年4月)[26]、アメリカの経済学者・ガルブレイス博士(78年10月)[27]などが挙げられる。1970年、創価学会と公明党に対する批判本に対して、公明党委員長の竹入義勝(当時、後に公明党から造反)の要請で自民党幹事長の田中角栄(当時)が著者の藤原弘達に出版の中止を求めた[28]。この交渉が「言論妨害」であると共産党の機関紙『赤旗』が批判し、野党議員が池田の証人喚問を要請した[注釈 4][29]。同年5月3日、創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[30]と述べた。1974年9月、ソ連を訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会見。同年10月29日、創価学会の代表役員を辞任し、北条浩が代表役員並びに理事長に就任。同年11月、『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版。創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。1990年までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げた。1975年1月1日、創価学会本部において創価学会常住御本尊の入仏式を行った[31][32]。同月、創価学会の世界的組織、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。1976年、月刊誌『月刊ペン』の3月、4月号の記事に対し、名誉毀損に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長隈部大蔵を刑事告訴した。後の判決では「到底その真実性が立証されたとはいいがたい」とされ、隈部は罰金刑を言い渡された[33]。隈部は最高裁に上告したが、1987年に本人が死亡し審理が終了した[34]。この審理の裏で、かつて創価学会の顧問弁護士でありながら、創価学会への恐喝事件を起こし逮捕された山崎正友[35]は、自著『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』で、月刊ペン社の社長だった原田倉治に要求され示談金2000万円を払っていたと主張している[36]。
1977年1月15日、第9回教学部大会で「仏教史観を語る」と題する講演を行う。創価学会独自の経本を作る。(「昭和52年路線」)これに反発した日蓮正宗内の若手僧侶が創価学会の教義逸脱を正す旨の活動を開始。
1978年6月30日、「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを『聖教新聞』紙上で表明。同年9月3日、『聖教新聞』が「今まで本部として謹刻させていただいた数体の板御本尊について御指南を仰ぎ、猊下よりすべて学会本部に宝物としてお納めくだされば結構ですとのお話があった[37]」と本尊模刻を認める記事を掲載[7]。同年11月7日、本尊模刻等について責任を取る形で、大石寺にお詫び登山を行った[7]とされているが、『暁闇』によると当時の法主・日達からは事前に本尊謹刻の許可を得ていたものの、僧俗和合の大義、宗内を広く覆っていた「法主に反論することは謗法」といった宗教的禁忌観、法主の権威失墜を防ぐといった理由があり、「無断で模刻した」という言説に反論せずに事態の収拾に動いた結果であるとしている[38]。1979年4月24日、日蓮正宗との問題で創価学会会長を引責辞任。新しく創設したポストである名誉会長に就任。終身制だった会長職を5年の任期と変更、後任の会長には北条浩が就任。
同年4月26日、法華講総講頭を引責辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束。日蓮正宗の管長日達より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。同年5月3日 日蓮正宗の法主、日達が池田名誉会長ら創価学会幹部の反省を受け入れ、問題の収束を宣言。
1980年代
1979年に名誉会長に就任して以降、海外訪問により力を入れていった。その背景には、仏法の社会展開、海外発展のため、宗門の教学から離れ、仏法哲学の革新・普遍化するとの目的があった[39]。80〜81年の2年間で6回海外訪問を行い、滞在日数は144日間におよんだ。デクエヤル国連事務総長(82年8月)、中国の胡耀邦総書記(84年6月)、タイのプーミポン国王(88年2月)、イギリスのサッチャー首相(89年5月)などの有識者や国家元首等との会見を行った[40]。
1981年、世界芸術文化アカデミーから「桂冠詩人」の称号が贈られた[41]。1982年10月15日、東京地裁における『月刊ペン』に関する差し戻し裁判(第27回公判)に検察側の証人として出廷。
1983年1月25日、「SGIの日」記念提言を発表(これ以後、毎年発表)。同年6月、ルーマニアを訪問し、当時の大統領だったニコラエ・チャウシェスクと会談。「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」との賛辞を贈った[42]。同年8月、国連平和賞を受賞[43]。1984年1月2日、日達の後を継ぎ、67世の法主となった 日顕により再び「法華講総講頭」に再任。
1990年代
創価学会は日蓮正宗と決別し、世界宗教としての側面を強めることになる。池田は国内外の著名人との対談に力を入れ、ミハイル・ゴルバチョフソ連大統領(当時)やネルソン・マンデラ、ローザ・パークス等との会見を行った[44][45][46]。
1990年7月27日、ミハイル・ゴルバチョフ大統領(当時)と会談。ペレストロイカの現状と意義、青年への期待や平和、人生論などについて幅広く意見を交換した。ゴルバチョフ大統領は会談の席で翌年春の訪日を明言した。会談の様子は翌日付の新聞各紙で「ソ連大統領、来春訪日を明言ーー柔軟な対応用意」(朝日新聞)、「ゴ大統領、来春訪日を明言ーー大幅に歩み寄る」(読売新聞)、「来春の訪日を再確認ーー対日問題、譲歩も示唆」(毎日新聞)などと報じられた[47]。1991年4月16日、ゴルバチョフ大統領は池田との約束通り来日し、4月18日には両氏による2度目の会談が実現した[48]。同年10月31日、南アフリカの人種差別政策と戦ったネルソン・マンデラ大統領(当時)と会談した。この会談は、池田大作とトインビー博士の対談集『21世紀への対話』を読んだマンデラ大統領が要望し実現した[49]。1990年12月13日、日蓮正宗は創価学会に対し、池田が第35回本部幹部会で法主と宗門を誹謗するスピーチをしたのではないか、と問う質問状を渡そうとした。しかし、学会側は文書などではなく話し合いを求めたことで、質問状は一旦撤回された。同年12月17日、改めて日蓮正宗から配達証明付き郵便で「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」と題する文書が学会に届けられ、そこには池田が「法主を批判、侮辱した」などの内容が記されていた。これに対して学会側は、スピーチ内容に批判や侮辱はどこにも見当たらなかったため、同年12月23日に宗門との対話を求める返書を郵送したが、対話の機会は設けられなかった。同年12月27日、日蓮正宗は宗規を変更し、池田の法華講総講頭の他、創価学会幹部の法華講幹部の資格喪失を決定した[50]。1991年11月28日、日蓮正宗が創価学会を破門。創価学会とSGIが日蓮正宗と決別[51]。1992年8月11日、日蓮正宗から信徒除名処分を受けた。1993年10月、創価学会が日寛の本尊を複写印刷し会員に授与。
1993年1月30日、アメリカ公民権運動の母と言われるローザ・パークスと会見した。会見の席上、パークスは著名人が「自分の人生に最も影響を与えた写真」を選び掲載する書籍『写真は語る』に、池田との写真を使用したいと申し出た。この要望に対し、池田は応じた。また、パークスから、「ローザ・パークス人道賞」が贈られた[52]。同年8月8日、第69回創価学会本部幹部会において、細川連立政権の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと語ったことが、国会で問題となる[53]当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨を説明。同年9月24日 アメリカのハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演[54]。同年10月24日 八王子市に創価学会東京牧口記念会館が開館。同年12月18日 オウム真理教が池田殺害を計画し、創価大学キャンパス内でサリンを噴霧。池田本人は被災を免れたが会員数人が被災。実行犯だったオウム真理教幹部の新実智光もサリンを吸い込み一時重体に陥る。
1994年5月17日モスクワ大学で「人間――大いなるコスモス」と題する記念講演を行った[54]。『中央公論』1995年4月号で、田原総一朗連載対談「戦後五十年の生き証人」で、14年ぶりに日本のジャーナリストのインタビューを受ける[55]。1996年2月11日「戸田記念国際平和研究所」を設立[55]。同年6月、元婦人会員が池田から強姦されたと訴訟を起こすが、後に「訴権の濫用」として訴え自体が退けられた。
1996年6月4日、アメリカのユダヤ系人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターで「牧口常三郎――人道と正義の生涯」と題する講演を行った。同月13日にはアメリカのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで「「地球市民」教育への―考察」とのテーマで講演した[54]。1997年12月1日、日蓮正宗の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。
1998年11月27日、港区元赤坂の迎賓館で来日中の中華人民共和国主席江沢民と会談。1999年6月4日、フィリピンのジョセフ・エストラーダ大統領と会談。
2000年代
2002年、中華人民共和国主席胡錦涛と会談。4月、秋谷会長(当時)が提案し会則が変更された。創価学会の宗教的独自性を明示し、「三代会長」の精神を厳正に継承しゆくための制度・機構を整備するため、池田は、初代会長牧口常三郎、第2代戸田と共に「三代会長」として「永遠の指導者」と規定に定められた[56]。2003年、中華人民共和国首相温家宝と会談。同年3月22日、元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと会談。2004年12月、アメリカの世界的経済誌『フォーブス』(Forbes、2004年12月27日号)は、2004年9月6日号に「先生の世界」(「Sensei's World」)と題して、池田及び創価学会に関する記事を特集し掲載。2006年11月30日、国際原子力機関(IAEA)のM.エルバラダイ事務局長と会談。2007年4月12日、来日中の中華人民共和国首相温家宝と会談。日中友好を訴えた[注釈 5]首相の国会演説を「不滅の名演説だった」と讃える[57]。2008年5月8日、中華人民共和国主席胡錦涛と会談[58]。
2010年代
2010年5月13日の本部幹部会以降、創価学会内の公式行事を全て欠席し、主に執筆活動などに専念した[50]。2011年11月3日、小説『新・人間革命』が新聞小説の連載回数「国内最多」(4726回)となった[59]。2012年6月にブラジルのリオデジャネイロで行われた国連持続可能な開発会議(リオ+20)に寄せて、「持続可能な地球社会への大道」と題する提言を発表した[60]。2013年11月5日、広宣流布大誓堂で落慶入仏式を行った[61]。2018年6月5日、アルゼンチンの人権運動家でノーベル平和賞受賞者であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」がイタリアの首都ローマで発表された[62]。一部の週刊誌では重病説や死亡説が取り上げられたが[63]、聖教新聞紙面では不定期に現在の姿とした写真が掲載された[64]。 2018年10月3日の聖教新聞3面では、2018年8月6日に創価学会長野研修道場を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[65]。2019年8月23日の聖教新聞3面では、2019年8月9日に創価学会長野研修道場を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[66]。同年10月3日の聖教新聞3面では、2019年9月28日に聖教新聞本社の新社屋、創価学会世界聖教会館を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[67]。
2020年代
2020年1月26日「SGIの日」記念提言「人類共生の時代へ 建設の鼓動」を発表[68]。2020年6月10日の聖教新聞1面では、2016年6月25日に創価学会総本部内の創価世界女性会館で夫人同伴でピアノを弾いている写真が掲載された[69]。2021年1月26日「SGIの日」記念提言「危機の時代に 価値創造の光を」を発表[70]。2022年1月26日「SGIの日」記念提言「人類の転換へ 平和と尊厳の大光」[71]、7月26日「NPT再検討会議への緊急提案」を発表[72]。2023年1月11日ウクライナ危機と核問題に関する緊急提言「平和の回復へ歴史創造力の結集を」[73]、4月27日G7広島サミットへの提言「危機を打開する”希望への処方箋”を」を発表[74]。G7広島サミットへの提言では、核兵器の使用や威嚇は許されないというメッセージを広島から力強く発信すべきだと指摘したうえで「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議を、G7が主導して進めるよう呼びかけた[75]。2023年11月15日、老衰のため、東京都新宿区の居宅で死去。95歳没。訃報は同月18日、創価学会のホームページにて第一報として伝えた[76][1][77]。同年11月23日、「創価学会葬」が東京都豊島区の東京戸田記念講堂と全国約1000の学会施設を中継で結んで執り行われた[78]。 2024年1月30日には、「お別れの会」が都内のホテルで開かれた。アメリカ、中国など約40カ国の大使館関係者のほか、経済界、学術界などから合わせておよそ2600人が参列した[79][80]。 同年1月20日、イタリア・フィレンツェ市とイタリア創価学会の共催による追悼式が、同市庁舎であるヴェッキオ宮殿の五百人広間で行われた[81]。 同年2月20日には、ベルギーのブリュッセルにある欧州議会にて、追悼行事が開催された。同議会のピナ・ピチェルノ副議長や、欧州仏教連盟のステファノ・ベッテラ会長、ローマクラブのサンドリン・ディクソン=デクレーブ共同会長、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク事務局長らが出席した[82]。
人物

執筆
寄稿
池田は、一般紙や地方紙、海外紙にたびたび寄稿を寄せた。例えば、1979年3月7日の埼玉新聞「ガンジスに悠遠をみた 精神大国・インドを訪ねて」[83]、2000年9月18日の四国新聞「教育力の復権へ うちなる『精神性』の輝きを」[84]、2010年3月16日の中国新聞「NPT再検討会議を前に」[85]、2013年5月2日の毎日新聞「世界つなぐ ジャズの『対話精神』」[86]、2014年3月7日のジャパンタイムズ「害救援協力を通し レジリエンスを構築」[87]などがある。
対談・講演
国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行ない、発刊した対談集は50にも上る。特に印象に残った人物として周恩来を挙げている。「名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。」と評している。また、海外の大学・学術機関で講演を多数行なっていた。
文化活動
池田は音楽や美術など文化運動も推進した。 1963年に民主音楽協会を設立した。同協会はオペラ、アルゼンチン・タンゴ、中国の京劇などの公演を実施しており、海外交流国・地域は112を数える。延べ1億2000万人が鑑賞している[88]。音楽博物館や民音研究所の運営、コンクール事業、青少年への音楽文化振興なども展開している[89]。 1983年には、東京・八王子市に東京富士美術館を創設した。世界各国、各時代の絵画・版画・陶磁・武具・刀剣・メダル・写真など約30000点の作品が収蔵されている[90]。 これまで世界各国の政府・文化機関等の要請を受け、19ヶ国1地域、31都市において44回に及ぶ展覧会を開催している[91]。(2024年現在)
海外の大学・学術機関での講演
- 1974年4月 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
- 1975年5月 モスクワ大学(ロシア)
- 1980年4月 北京大学(中国)
- 1981年5月 ソフィア大学(ブルガリア)
- 1983年6月 ブカレスト大学(ルーマニア)
- 1984年6月 北京大学(中国)
- 1984年6月 復旦大学(中国)
- 1989年6月 フランス学士院(フランス)
- 1990年3月 ブエノスアイレス大学(アルゼンチン)
- 1990年5月 北京大学(中国)
- 1991年1月 マカオ大学(マカオ)
- 1991年4月 フィリピン大学(フィリピン)
- 1991年9月 ハーバード大学(アメリカ)
- 1992年1月 香港中文大学(香港)
- 1992年2月 ガンジー記念館(インド)
- 1992年6月 アンカラ大学(トルコ)
- 1992年10月 中国社会科学院(中国)
- 1993年1月 クレアモント・マッケナ大学(アメリカ)
- 1993年2月 ブラジル文学アカデミー(ブラジル)
- 1993年9月 ハーバード大学(アメリカ)
- 1994年1月 深圳大学(中国)
- 1994年5月 モスクワ大学(ロシア)
- 1994年6月 ボローニャ大学(イタリア)
- 1995年1月 ハワイ・東西センター(アメリカ)
- 1995年6月 アテネオ文化・学術協会(スペイン)
- 1995年11月 トリブバン大学(ネパール)
- 1996年6月 サイモン・ヴィーゼンタール・センター(アメリカ)
- 1996年6月 コロンビア大学(アメリカ)
- 1996年6月 ハバナ大学(キューバ)
- 1996年10月 ラジブガンジー現代問題研究所(インド)
- 2007年3月 パレルモ大学(イタリア)[92]
顕彰
国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を飾る事が多い[93][94]。
海外では、モスクワ大学、グラスゴー大学、ボローニャ大学、フランス学士院、ナイロビ大学等より「名誉博士号」「名誉教授称号」を授与されている。これまで世界の大学・学術機関から池田に贈られた名誉学術称号は、400を超えている[95]。
池田は今まで、自身が創設した創価大学からは1974年に名誉教授を、1983年11月に名誉博士を授与されている[96]。
地方自治体からは、静岡県の富士宮市の名誉市民となっているほか、1977年には第2代会長・戸田城聖の故郷の北海道の厚田村(現石狩市)から「栄誉村民」(1977年)を授与されている[97]。2009年には大阪府高槻市から「国際文化交流貢献賞」が送られた[98]。池田は、オーストリアの政治学者のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとの対談において、「ノーベル平和賞」について「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている[99][信頼性要検証]。
1988年、「国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞」を受賞[100]。このほか、1983年に国連平和賞、1988年に国連栄誉表彰、1989年にラウレアナ・ロサレス 教育・人道賞(フィリピンにあるキャピトル大学から受賞)[要出典]、同年に平和貢献・国連事務総長表彰などを授与されている。
また、1976年にはノーベル平和賞候補に挙がっているとして週刊現代が報じている[101]。2015年にはノーベル平和賞候補に挙がっているとしてCNNが報じている[102]。
アジアとの関係
中国での足跡
これまで10度訪中し、北京、西安、鄭州、上海、杭州、広州などを訪れている。周恩来、鄧小平、江沢民、胡錦濤、温家宝、鄧穎超といった政府指導者や政治家をはじめ、小説家の巴金や画家の常書鴻などと交友を結び、平和・文化交流を重ねた[103][104][105][106][107]。
中国首脳陣との会談
1974年5月30日 中国の招聘により初訪中。 李先念副総理と会見[108]。
1974年12月5日 2度目の訪中。鄧小平副総理と会見。その直後、病気療養中の周恩来総理の強い意志により、周恩来と池田との会見が行われる。1978年9月に周恩来夫人の鄧穎超氏と会見。1979年4月12日には同氏が来日し、東京の迎賓館で会談を行った[109]。
中国の青年や学生らとの交流
1975年3月、創価大学は、日本で初めて、中国から日本への正式な留学生を受け入れた。この際、池田は自ら留学生の身元保証人となった。1985年、「中華全国青年連合会(全青連)」の代表団と会見。その際、全青連と創価学会青年部との間に交流協定が結ばれた[111]。
中国の大学との文化交流
1979年9月、創価大学と北京大学が学術交流協定を締結(双方にとって日中交流第1号)。以来、中国の69大学と学術交流協定を結び(2024年現在)、教員・学生の交換が行われている。 池田は北京大学や復旦大学などで記念講演を行った。北京大学、復旦大学、北京師範大学などで「池田大作研究会」等の研究機関が設立されている[112][113]。
中国との文化交流
1975年に北京芸術団が、民主音楽協会で初の来日公演。東京富士美術館で中国敦煌展(85年)、北京・故宮博物院名宝展(95年)を開催。2000年には、民主音楽協会が上海雑技団「百戯春秋」を公演、2008年には東京富士美術館が開館25周年・新館オープン記念の企画展として「大三国志展――悠久の大地と人間のロマン――」を開催している[109][114]。
インドでの足跡
池田はインドを5度訪問し、ネルーの盟友でありインドの良心と敬愛されるJ・P・ナラヤン、ラジーブ・ガンディー元首相や妻のソニア・ガンディー氏、ナラヤナン元大統領らと交友を深めた[115] 。1992年2月、インドで最も権威のあるガンジー研究機関「国立ガンジー記念館」の招請により、インド国立博物館で「不戦世界を目指して ガンジー主義と現代」と題する講演を行った。講演の模様は、インドの全国紙「タイムズ・オブ・インディア」などで報道された[116]。インド文化関係評議会のカラン・シン会長、世界法律家協会会長を務めたベッド・P・ナンダ氏や、ガンジー記念館の館長を務めたインド・ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士、ラビンドラ・バラティ大学の副総長だったバラティ・ムカジー氏との対談集も発刊されている[117][118][119][120]
アメリカとの関係
1960年10月、池田が初めての海外指導に訪れたのがアメリカである。以来、27回訪米している。また、キッシンジャー合衆国国務長官をはじめとするアメリカの識者との対談集は18点を数える。ハーバード大学では池田の著作がテキストとして扱われている。2001年5月3日、カリフォルニア州にアメリカ創価大学を創設した[121][122][123]。
アメリカの著名人との交流
1975年1月13日に当時のキッシンジャー合衆国国務長官とアメリカ国務省・長官執務室で会見を行った。1978年1月12日、アメリカのジョン・F・ケネディーの弟であるE・ケネディーとの会談が、聖教新聞社で行われた。1993年1月30日には、アメリカの公民権活動家であるローザ・パークスと会談した[124][125][126][127]。
アメリカの大学との文化交流
1970年以降、カリフォルニア大学ロサンゼルス校やハーバード大学、コロンビア大学などで記念講演を行なった。キング国際チャペル所長のローレンス・E・カーター牧師の提唱でモアハウス大学は「融和のためのガンジー研究所」などと協力して「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展を、2001年から各地で巡回している。2014年4月には、デポール大学に「池田大作教育研究所」が設立された[128][129]。
ヨーロッパとの関係
池田は1961年10月にデンマーク、ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリアを初訪問した。以来、ヨーロッパ各国の識者らと交流を結んだ[130]。
イギリスでの足跡
1972年と73年にイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーと対談した。後に対談集「21世紀への対話」となり31言語で発刊されている[131]。1978年12月、オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン名誉教授と会見した。その後も交流を続け、対談集「社会と宗教」が発刊された[132]。1989年、サッチャー首相(当時)と会見した[22]。1994年6月には、チャールズ皇太子(現在の英国王)と会見した[133]。同月、グラスゴー大学から名誉学術称号が授与された[134]。
イタリアでの足跡
1975年5月、「ローマクラブ」の創設者アウレリオ・ペッチェイ博士と初会見した。その後、5度にわたって交流を結んだ。二人の語らいは対談集「二十一世紀への警鐘」として発刊されている[135]。1981年には、ミラノ・スカラ座のバディーニ総裁と会見[136]。同年9月に、池田が創設した民主音楽協会の招聘によって日本で初めて「ミラノ・スカラ座」公演が行われた[137]。1994年6月、世界最古の大学であるボローニャ大学の招聘を受け、「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題する講演を行った[138]。2006年1月、イタリア大使館で「功労勲章 グランデ・ウッフィチャーレ章」を授与された[139]。2024年1月20日には、イタリアのフィレンツェ市とイタリア創価学会の共催で、池田の追悼式が挙行された[140]。
アフリカとの関係
アパルトヘイトの撤廃に尽力したネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領と、1990年10月31日と95年7月3日の2回にわたって会談した[141][142]。91年11月29日、在東京アフリカ外交団(26カ国)の総意として、「教育・文化・人道貢献賞」が贈られた。99年12月、東アフリカ「ケニア作家協会」が「年次総会」で、池田の著作を取り上げた研究発表会を2日間にわたって開催し、その席上「名誉会員証」などが池田に授与された[52]。デクラーク元南アフリカ大統領(1992年6月)、ケニア作家協会のヘンリー・インダンガシ会長(2000年7月)、アフリカ人女性として初のノーベル平和賞を受けたケニアの環境保護運動家であるワンガリ・マータイ氏(2005年2月)と会見した[123][143][144][145]。
政見
その他の政見
- 安全保障
- 「憲法改正論議はいいが、憲法第9条だけは絶対に変えてはいけない」との見解を持っている[146]。日本は国連の常任理事国入りを望んでいるが、安全保障理事会の機軸である集団的自衛権という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「国際連合平和維持活動」(PKO)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した(1991年・第16回「SGIの日」記念提言)。1991年の湾岸戦争の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」をイラクのフセイン大統領宛に送った。しかし、2003年「イラク戦争」の開戦が迫っていた1月26日『聖教新聞』紙上で「軍事力を全否定するということは(中略)政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」、「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」との見解を示した。
- 選挙
- 1999年 SGI(創価学会インタナショナル)の日(1月25日)付の『聖教新聞』で首相公選制を提言。
- 教育
- 『朝日新聞』(2001年5月23日付)の「私の視点」というコラムで、「教育基本法」の見直しについて、「拙速は慎むべきである」、「『教育勅語』に盛られたような具体的な徳目は、基本法の性格になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯びてしまう」と述べている。
日本と韓国・朝鮮に関する見解
韓国SGIの機関紙和光新聞が池田の日本と韓国・朝鮮に関する見解を数度にわたり掲載している。
和光新聞のコラムに掲載された歴史観
- 「貴国(韓国)は、まことに日本に“文化の師匠”の国で、教育でも兄さんの国です。私は心深い所から尊敬しています。それにもかかわらず、……貴国を侵略した日本はいくら愚かだったか。」[147]。
- 豊臣秀吉の朝鮮出兵を、朝鮮から仏教を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難[148]。
- 日本は韓国と友情を結んで、韓国を尊敬して、韓国の心を学べばこそ平和と、繁栄の方向に進むことができる。しかし、韓国に対して傲慢になったら日本は必ず衰退して滅亡する。これが万代にかけて生命に刻まなければならない歴史観でまた人間の道だ」[149]。
- 「韓国が日本文化の“大恩である”ことは言うまでもない。仏教を含めてすべてのものに恩恵をこうむったと言っても過言ではない。(日本は)どうして“大恩である”国を裏切っただろうか」[150]。
事件・疑惑
大阪事件
1957年4月に行われた参院大阪地方区の補欠選挙で、池田が会員に戸別訪問を指示したとして逮捕される。同容疑で逮捕された京都の会員の供述による逮捕だったが、裁判では供述が信用できないとして退けられ、無罪判決が下りた[151]。
選挙関与疑惑
自民党は1996年の衆議院予算委員会で、「創価学会の選挙運動への関与を究明する」という名目で池田の証人喚問を要求した[152]。
信者暴行デマ
1996年、北海道創価学会の幹部だった女性が、「過去数回にわたり創価学会名誉会長池田大作から暴行された」との告発手記を『週刊新潮』に発表した後、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。内容は全くのデマであり、訴訟も金銭目当てであるとされた。判決も「訴権の濫用による却下」との判決が下る。
池田大作本仏論および神格化
池田は『聖教新聞』において、「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長はあくまで信仰上の指導者であって、自身を含む歴代会長たちは神格化されるべきではない、と明言している[153]。一方で、創価学会と対立する団体や批判者からは、創価学会員による池田大作・牧口常三郎・戸田城聖ら会長3名への「個人崇拝」があり、創価学会は日蓮仏法を信仰する仏教徒団体である以上に、実質的には「池田教」ではないかという批判もある。1983年(昭和58年)10月31日、元創価学会幹部の山崎正友の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。仏教学者の松野純孝は、池田大作本仏論は「日蓮本仏論の当然の帰結」であると述べている。
池田大作暗殺計画
池田は過去に暗殺計画をかけられたことがある。
藤原行正による暗殺計画
1988年、弟弟子であった藤原行正が池田を暗殺し、自分の息子を創価学会の会長に据える計画を立てる。実際に藤原は暴力団関係者と密会し、暗殺は実行寸前にまで至ったが、金銭トラブルから契約は頓挫し暗殺計画が発覚した[154][155]。その後、藤原は『池田大作の素顔』という暴露本を出版し、池田に対抗した。
オウム真理教による暗殺計画
1993年12月18日に池田が創価大学での演奏会に出席するという情報を手に入れたオウム真理教は、かねてより仏敵と称していた池田大作をサリンでポア(殺害)しようと暗殺計画を実行した[156]。しかし会館の警備を担当していた創価学会員に怪しまれ計画は頓挫、池田に被害はなく創価学会員数名が負傷した。
動静をめぐるガセネタ誤報
2011年に週刊文春が池田の「本当の病状」と題し、池田を担当していた看護師による病状の証言を記事として掲載した。しかし創価学会側が「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後に「当時の編集長が再取材を行ったが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至らなかった」とし、記事を取り消し謝罪した[157]。
評価
関係する人物や団体による称賛
- 田原総一朗(ジャーナリスト、評論家):「池田大作氏は宗教における“排除の壁”を見事に乗り越えた。どのような宗教も決して否定せず、他宗の信者たちともコミュニケーションを図り、信頼し合うことに成功した。この一点だけでも、私は池田大作氏を高く評価している」[158]。
- 佐藤優(作家):「池田大作の信仰、思想、行動を知ることが日本と世界の現在と未来を読み解く鍵になると筆者は確信している」[159]。
- ローレンス・E・カーター(モアハウス大学キング国際チャペル所長、牧師):「差異を尊重する、本物の深い世界観とグローバルな宗教間対話を体現する人物は多くありませんが、池田会長は間違いなくその一人です」[160]。
- 安倍晋太郎:1958年、大石寺の大講堂完成記念の祝典に岸信介の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で、学会のこと、世界のこと、人間と社会の話などを、私と語り合うことを、楽しみにしてくださっていたようである」と池田は述べている[161]。
- 冬柴鐵三(公明党元幹事長、国土交通大臣):「人生で最も影響を受けた人物」「あらゆる面で影響を受けた」[162]。
- 遠藤乙彦(元外交官、公明党所属の国会議員):「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと(世界の)問題が解決していくでしょう」[163]。
批判
- 田中角栄(元首相、自民党幹事長経験者):秘書の早坂茂三によれば「池田大作はしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない。公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲントだ」[8][164]。
- 石原慎太郎:1999年東京都知事選挙を直前に控えた時期に、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」『週刊文春』 平成11年(1999年)3月25日号。
- ニコラエ・チャウシェスク:Jurnalul National(ルーマニア国営新聞)で池田を絶対的な権力を持っているよう他人へ見せかけるだけで強きものには諂い、弱きものには傲慢な態度で臨む小悪党だと批判[165]。
批判する立場になったまたは袂を分けた元幹部
- 龍年光(元創価学会幹部・元公明政治連盟書記長・元公明党東京都議会議員)[166]
- 原島嵩(元創価学会教学部長)[32]
- 山崎正友(元創価学会副理事長・元顧問弁護士)[167]
- 竹入義勝(公明党元委員長)[168]
- 矢野絢也(公明党元委員長)[169]
- 福島源次郎(元創価学会副会長)[170]
- 石田次男(元公明党参議院議員)[171]
- 大橋敏雄(元公明党衆議院議員)[172]
- 桑原春蔵(元公明党大田区区議、元幹部)「池田が政治権力を握って天下を取るといった姿勢は、もはや信仰者ではない。信仰を利用した魔物」[173]
- 後呂雅巳(支部壮年長)[173]
- 山口隆司(元地方幹部)「池田大作の名誉欲達成のために、大変な資産と人生の半分を費やしたのが腹だたしい」[173]
- 鈴木広子(元地方幹部)[173]
- 細谷健範(元地方幹部)[173]
エピソード
- イギリスの歴史学者であるトインビーは、池田との対談を終えた後に、「私は、母校であるオックスフォード大学の名誉文学博士をはじめ、五つの大学から名誉博士号を贈られております。あなたは、〝トインビー大学〟の最優等生です。必ず私以上に世界中から、名誉博士号を贈られるようになるでしょう」と語った[174]。
- 公明党設立後の翌年、評論家・高瀬広居は著書の中で、池田が数百万の信徒を抱える創価学会会長としての責任と立場について「日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」との気概を語ったことを紹介している。また、社会では、拡大を続ける組織の指導者として「神秘化された偶像」のようなイメージが生まれつつあったが、池田への複数回のインタビューを通して、情味豊かで思慮深く、しかも卓抜な決断力に富んでおり、理性的寛容さにあふれていたと述べている[175]。
家族

著書
- 『人間革命』 聖教新聞社
- 『新・人間革命』 聖教新聞社
- 『私の履歴書』 日本経済新聞社
- 『若き日の日記』
- 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社
- 『心に残る人びと』 角川書店
- 『法華経の智慧』 聖教新聞社
- 『アレクサンドロスの決断』 集英社
- 『青春対話』 聖教新聞社
- 『母の詩』 聖教新聞社
- 『明日をみつめて(Embracing the Future)』ジャパンタイムズ
- 『ありがとう韓国』朝鮮日報
ほか共同著書として多数の著書を出版している。
対談集
- 『文明・西と東』リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1972年・サンケイ新聞社)[179]
- 『革命と生と死』大森実(1973年・講談社)[180]
- 『古典を語る』根本誠(1975年・潮出版社)[181]
- 『二十一世紀への対話』アーノルド・J・トインビー(1975年・文藝春秋)[182]
- 『人生問答』松下幸之助(1976年・潮出版社)[183]
- 『人間革命と人間の条件』アンドレ・マルロー(1976年・潮出版社)[184]
- 『四季の雁書 往復書簡』井上靖(1977年・潮出版社)[185]
- 『闇は暁を求めて』ルネ・ユイグ(1981年・講談社)[186]
- 『二十一世紀への警鐘』アウレリオ・ペッチェイ(1984年・読売新聞社)[187]
- 『社会と宗教』ブライアン・ウィルソン(1985年・講談社)[188]
- 『第三の虹の橋 : 人間と平和の探求 』アナトーリ・A・ログノフ(1987年・毎日新聞社)[189]
- 『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』ヘンリー・A・キッシンジャー(1987年・潮出版社)[190]
- 『内なる世界―インドと日本』カラン・シン(1988年・東洋哲学研究所)[191]
- 『二十一世紀への人間と哲学: 新しい人間像を求めて』ヨーゼフ・デルボラフ(1989年・河出書房新社)[192]
- 『「生命の世紀」への探究』ライナス・ポーリング(1990年・読売新聞社)[193]
- 『敦煌の光彩 : 美と人生を語る 』常書鴻(1990年・徳間書店)[194]
- 『世界市民の対話: 平和と人間と国連をめぐって』ノーマン・カズンズ(1991年・毎日新聞社)[195]
- 『大いなる魂の詩』チンギス・アイトマートフ(1991年・読売新聞社)[196]
- 『対談・太陽と大地開拓の曲:ブラジル移住八〇年の庶民史』児玉良一(1991年・第三文明社)[197]
- 『「宇宙」と「人間」のロマンを語る: 天文学と仏教の対話』チャンドラ・ウィックラマシンゲ(1992年・毎日新聞社)[198]
- 『デンバー大学名誉教育学博士|池田大作先生の足跡』(1994年・創価学会) [199]
脚注
注釈
出典
- “創価学会名誉会長の池田大作氏が死去、95歳…日本最大規模の宗教団体に育て上げる”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社. (2023年11月18日) 2023年11月18日閲覧。
- “第3代会長・池田大作先生”. 創価学会公式サイト. 創価学会. 2023年11月20日閲覧。
- “第3代会長・池田大作先生”. 創価学会公式サイト. 2023年3月29日閲覧。
- “池田大作(読み)いけだだいさく日本大百科全書(ニッポニカ)”. コトバンク. 2023年3月29日閲覧。
- “創価学会幹部「池田大作名誉会長は生きている」…それを証明する驚きの事実 姿を消して10年…学会で生じた亀裂”. PRESIDENT Online (2020年6月17日). 2023年3月29日閲覧。
- 『創価学会』田原総一朗、朝日新聞2016年9月22日
- 古川利明 『シンジケートとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年11月20日) ISBN 978-4-8074-9924-3
- 新「創価学会」を斬る【第7回】(『週刊新潮』2003年12月18日号)
- 『月刊ペン』1976年5月号(月刊ペン社)
- 小口偉一(編)、1956年、『宗教と信仰の心理学』、河出書房〈新心理学講座4〉
- 溝口敦 『池田大作 権力者の構造』(三一新書(1972年3月)、講談社(2005年9月) ISBN 978-4-380-72004-8 / ISBN 978-4062569620
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- 『朝日新聞』 1957年7月29日付夕刊
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- 「自由」1985年6月号 「創価学会恐喝事件で3年の実刑--刑事裁判が「証拠」で認定した山崎正友の素顔」
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関連項目
- 創価学会
- 創価学会インタナショナル(SGI)
- 公明党
- 池田大作サリン襲撃未遂事件
- 池田大作に対する訴権の濫用
- 牧口常三郎(「創価学会」初代会長)
- 戸田城聖(「創価学会」第2代会長)
- 池田大作本仏論
- 創価大学
- 東京富士美術館
- 創価学会東京牧口記念会館
外部リンク
이케다 다이사쿠
이케다 다이사쿠 | |
|---|---|
| 직함 | 창가학회 제3대 회장 SGI 회장 |
| 개인정보 | |
| 탄생 | 1928년 1월 2일 |
| 사망 | 2023년 11월 15일 (95세 몰) |
| 종교 | 창가학회 |
| 배우자 | 아내· 이케다 카미코 |
| 어린이 | 장남· 이케다 히로마사 니오· 이케다 성 쿠사 오· 이케다 존히로 |
| 출신 학교 | 도쿄 후지 대학 단기 대학부 졸업 |
| 필명 | 야마모토 신이치, 법오공 |
| 지위 | |
| 수상 | 모스크바 대학 명예 박사 소피아 대학 명예 박사 베이징 대학 명예 박사 필리핀 대학 명예 법학 박사 앙카라 대학 명예 사회 과학 박사 나이로비 대학 명예 문학 박사 로마스 데 사모라 대학 명예 박사·법학부 명예 교수 글래스고 대학 명예 박사 트리브반 대학 명예 문학 박사 덴버 대학 명예 교육학 박사 하바나 대학 명예인 문학 박사 경희 대학 명예 철학 박사 (자세한 것은 #현창 을 참조.) |


파랑은 '평화', 노랑은 '영광', 빨강은 '승리'를 나타낸다고 한다.

이케다 다이사쿠 (이케다 다이사쿠, 1928년 < 쇼와 3년> 1월 2일 - 2023년 < 령화 5년> 11월 15일 [ 1 ] )는 일본의 종교가 , 작가 . 창가학회 명예회장.
창가학회 회장(제3대), 창가학회 인터내셔널 (SGI) 회장 등을 역임 [ 2 ] . 창가대학 , 창가학원 설립자이기도 하다. 야마모토 신이치 와 호오공 의 펜네임 으로 작가 활동도 하고 있었다.
개요
도쿄부 에바라군 이리 아라이마치 (현:도쿄도 오타구 오모리키타 )에 김 제조업을 운영하는 이케다 코노요시의 오남으로 태어난다. 하네다 제2 심상 초등학교에서 하네다 고등 초등학교를 졸업하고, 철공소 에 근무. 청춘 시대는 폐병과의 투병을 경험. 톨스토이 , 유고 , 괴테 , 휘트맨 등의 문학 에 익숙해져 시작을 하고 인생 에 대한 사색을 둘러싼 날들이었다고 한다. 제2차 세계대전 종전 후, 근로 옆 구제동양공업학교, 대세학원(후의 도쿄후지대학 단기대학부 )에 통학. 1947년 (쇼와 22년) 8월, 초등학교 시절의 친구에게 초대되어 창가 학회를 아는. 거기서 도다성성 과 만난 것을 계기로, 19세에 창가학회에 입회. 1949년 도다가 경영하는 일본 정학관 에 출판 편집자로 입사하는 동시에 창가학회에서의 활동을 시작한다. 1951년에 도다가 창가학회 제2대 회장에 취임하지만, 이케다는 동시에 청년부에서 활발한 활동을 시작해, 1954년에는 청년부 참모 실장에 취임. 그 후, 창가학회의 중심적 존재가 된다. 그 후는 강력한 절복 , 공명당의 표수 획득 등에 분주 [ 3 ] [ 4 ] .
도다의 사후, 1960년 (쇼와 35년)에 창가학회 제3대 회장에 취임. 827만 가구를 넘을 때까지 발전시켰다. 회장 취임 이후 해외에서의 포교 도 강화. 1975년 창가학회 인터내셔널 을 설립하여 회장으로 취임. 제3문명론 등 불교 를 기초로 문명론, 학문론, 정치론을 전개. 정계 에도 진출해 교육 · 문화 · 평화 활동 등에 진력. 1964년에는 공명당 을 결성. 동당은 1970년 '국민정당'으로 종교색을 폐지하고 중의원 에서 최대 51의석을 획득할 때까지 되었고, 1993년 ( 헤세이 5년) 이후에는 일시기를 제외하고 연립정권의 일익을 담당하게 되었다. 소설 ' 인간혁명 ', ' 신·인간혁명 ' 등 방대한 저서를 집필하고 평화, 환경 , 교육문제 등에 관한 언급을 했고, 창가학회의 역사와 이념, 장래의 구상 등을 말했다. 이런 점을 포함해 이케다는 '생신으로 말하는 종교가'로 평가됐다. 1983년 에는 유엔평화상 을 수상 [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] .
창가학회 회장을 물리친 이후에도 조직 내에서 영향력을 유지하고 있었다고 한다. 일부 학회 간부 중에서는 후임의 제4대 회장 이후는 조직의 대표자에 불과하다는 견해가 있었다고 한다 [ 5 ] . 회장 퇴임 후에도 적극적으로 활동하고 있었지만, 2010년 5월 13일 본부 간부회 이후 창가학회 내의 공식행사를 모두 결석해 주로 집필활동 등에 전념했다 [ 6 ] . 2023년 11월 15일, 도쿄도 신주쿠구의 자택에서 노쇠 때문에 사망했다.
내력
1949년까지

1928년 1월 2일 , 도쿄부 에바라군 이리 아라이마치 (현:도쿄도 대전구 오모리키타 ) [ 7 ] [ 8 ] [ 9 ] 에 탄생 [ 10 ] [ 11 ] [ 12 ] . 1940년 3월 심상초등학교 졸업 후 형이 근무하고 있던 ‘ 니가타 철공소 ’에 취직 [ 9 ] . 1945년 8월, 늑막염을 앓고 이바라키현 의 결핵 요양소 에 입원하기 위한 차례 기다리고 있던 가운데 종전을 맞이한다 [ 10 ] . 같은 해 9월, 신바시 에 있는 쇼분도 인쇄로 문선공 을 하는 옆, 사립의 동양 상업 학교(현, 동양 고등학교 )에 편입 [ 7 ] . 1946년 도쿄도 오타구 모리가사키에 있는 협우회에 가입 [ 주석 1 ] [ 13 ] . 쇼분도 인쇄 퇴사 후, 게이큐 가마타역 뒤에 있는 중소기업 의 조합 가마타 공업회(현: 「가마타 공업 협동 조합」)에 근무 [ 주석 2 ] . 1947년 3월, 동양 상업 학교를 졸업. 같은 해 8월 14일 초등학교 시절의 동급생의 여성 으로부터 「불교 나 철학 의 좋은 이야기가 있다」라고 초대되어 좌담회에 출석. 도다성 성의 고서 강의, 고다이라 요헤이 의 절복을 받아 입신을 결의하고, 같은 해 8월 24일 , 창가 학회에 입신 수속을 실시했다 [ 13 ] [ 14 ] . 1948년 , 대세학원(후의 도쿄후지대학 단기대학부 )의 정경과 야간부에 입학. 1949년 1월 3일 , 일본 정학관에 입사 [ 10 ] . 소년 잡지 '모험 소년'(동년 8월에 '소년 일본'과 개제)의 편집에 종사한다. 같은 해 5월, 일본 정학관 편집장으로 취임 [ 7 ] . 같은 해 10월, 도쿄 건설 신용 조합 에 입사.
1950년대
1950년 10월, 대장상사(현:일장)에 이동 [ 주석 3 ] . 1951년 5월 3일 , 도다가 창가학회의 제2대 회장으로 취임. 같은 해 5월, 가마타 지부 오모리 지구의 지구 위원으로 임명된다. 같은 해 7월, 청년부(남자부)가 결성되어 제1부대장으로 취임. 1952년 3월, 참모실장으로 취임. 5월 3일 , 시라키 카미네코 와 결혼 [ 7 ] . 1953년 11월 25일 , 장남 박정 의 탄생을 계기로, 정식으로 「타이사쿠(타이사쿠)」로부터 「다이사쿠(다이사쿠)」로 개명 [ 7 ] . 1954년 3월 30일 , 청년부 참모 실장으로 임명 [ 7 ] . 이날 설치된 '정보부' 최고고문에 취임 [ 7 ] . 이 무렵에 대장상사를 이직 [ 7 ] . 같은 해 12월 3일 신설된 협상 외부장을 겸임.
1957년 7월 4일 , 참의원 오사카부 선거구 의 보결 선거 에 있어서, 일부의 창가학 회원이 후보의 이름이 적힌 담배를 배포 [ 15 ] . 이 위반행위를 이케다가 지시 혹은 묵인했다는 사실 은 없는데도 [ 16 ] 공직선거법 위반(인수) 혐의로 체포 , 오사카 동경찰서 와 오사카 구치소 에 구류 됐다.
같은 해 7월 29일 창가학회 간부 45명과 함께 기소 된다. 후에 검찰관 으로부터 금고 10개월의 구형 을 받는다 [ 17 ] 가, 나중에 이케다의 무죄가 확정된다 [ 18 ] .
1958년 4월 2일 , 도다가 사망( 58세몰 ). 같은 해 6월 신설된 총무 를 청년부 참모실장과 겸임 [ 19 ] . 1959년 6월 30일 , 청년부 참모실장을 사임하고 참모실 호조 히로시 , 용연광 과 함께 창가학회 이사 로 취임 [ 19 ] .
1960년대



1960년 5월 3일 , 창가학회 제3대 회장에 취임 [ 20 ] . 도다의 7회기 까지 300만 가구의 홍교를 내건다 [ 21 ] . 같은 해 10월 첫 북남미 방문. 이후 40년 만에 해외 54개국·지역을 방문. 현지회원의 격려와 각국의 지도자, 지식인과의 대화를 거듭한다 [ 22 ] . 1961년 1월 28일, 첫 아시아 방문 6개국·지역 방문 [ 22 ] . 같은 해 3월 27일 회원가구수 185만가구를 달성 [ 22 ] . 같은 해 10월 4일 유럽 9개국 방문 [ 22 ] . 같은 해 11월 27일 공명 정치연맹 (공정련)을 결성 [ 22 ] . 1962년 1월 25일 오사카 사건에서 무죄 판결이 전해진다. 같은 해 1월 27일 , 동양학술연구소(현· 동양철학연구소 )를 창립 [ 22 ] .
1963년 7월 27일 , 회원가구수 360만가구를 달성 [ 22 ] . 같은 해 10월 18일 , 예술·문화의 교류가 진실의 세계 평화의 기반이 된다고 제창해, 예술 교류를 추진하는 음악 문화 단체로서 민주 음악 협회 (민음)를 설립을 창립 [ 23 ] . 1964년 5월 3일 제27회 본부 총회에서 정당의 창설과 중의원 진출, 그리고 정본당 의 건립· 기진 계획을 발표. 종문에서 호화강 총강두로 임명된다. 같은 해 11월 17일 공명당 을 결성 . 결당선언에서 니치렌 의 ' 입정안국론 '을 인용하여 왕불명합·불법민주주의, 즉 인간성의 존중을 기조로 한 민주주의의 기반조성과 대중에게 깊게 뿌리를 둔 대중복지를 실현한다는 사실을 발표했다 [ 24 ] . 1965년 1월 1일, 성교 신문지 상에서 소설 「 인간혁명」의 연재를 개시. 1968년 9월 8일 , 제11회 창가학회 학생부 총회에서의 강연에서, 중화인민 공화국 의 정식 승인 과 일본 중국교 정상화, 중국의 유엔 가맹 등을 제언.
1970년대
이 무렵, 영국의 역사학자인 토인비 박사와의 대담을 1972년에 실시했다 [ 25 ] 를 시작해, 국내외의 유식자와의 대담을 실시하게 되어 갔다. 그 밖의 대담자로는 마츠시타 전기의 창업자 마츠시타 유키노스케(76년 4월) [ 26 ] , 미국의 경제학자·갈브레이스 박사(78년 10월) [ 27 ] 등을 들 수 있다. 1970년 창가학회와 공명당에 대한 비판본에 대해 공명당 위원장의 다케이리 요시카츠(당시 나중에 공명당에서 조반)의 요청으로 자민당 간사장인 다나카 가쿠에이(당시)가 저자의 후지와라 히로타리에게 출판 중지를 요구했다 [ 28 ] . 이 협상이 '언론방해'라고 공산당의 기관지 '적기'가 비판하고 야당의원이 이케다의 증인환문을 요청했다 [ 주석 4 ] [ 29 ] . 같은 해 5월 3일, 창가학회 제33회 본부총회에서 “언론방해라는 의도는 전혀 없었지만, 결과적으로 방해로 받아들여 관계자에게 압력을 느끼게 하고, 세상에도 폐를 끼친 것은 진심으로 죄송하다고 유감스럽게 생각합니다” [ 30 ] 라고 말했다. 1974년 9월 소련을 방문해 알렉세이 코스이긴 총리와 회견. 같은 해 10월 29일, 창가 학회의 대표 임원을 사임하고, 호조 히로시 가 대표 임원 및 이사장으로 취임. 같은 해 11월, 「중국의 인간혁명」( 매일 신문사 간)을 출판. 창가학회 본부 총회에서 '7개의 종' 구상을 발표. 1990년까지 광선류포 의 총 마무리를 목표로 내걸었다. 1975년 1월 1일, 창가학회 본부에서 창가학회 상주 어본존의 입불식을 실시했다 [ 31 ] [ 32 ] . 같은 달, 창가학회의 세계적 조직, SGI(창가학회 인터내셔널)의 회장으로 취임. 1976년 월간지 ' 월간펜'의 3월, 4월호 기사에 대해 명예훼손 에 해당하는 것으로 창가학회 및 상대로 된 창가학 회원들과 함께 월간펜사의 발행인과 편집장 쿠마베 대장을 형사고소했다 . 후의 판결에서는 「도저 그 진실성이 입증되었다고는 좋겠다」라고 되어, 쿠마부는 벌금형을 선고받았다 [ 33 ] . 쿠마베는 대법원에 상고했지만, 1987년에 본인이 사망하여 심리가 종료되었다 [ 34 ] . 이 심리의 뒤에서 한때 창가학회의 고문 변호사이면서 창가학회에 대한 공갈사건을 일으켜 체포된 야마자키 마사토모 [ 35 ] 는 자저 ''월간펜' 사건 묻혀 있던 진실'에서 월간펜사의 사장 이었던 하라다 쿠라지에게 요구되어 시담 금 20 .
1977년 1월 15일, 제9회 교학부 대회에서 「불교 사관을 말한다」라는 제목의 강연을 실시한다. 창가학회 독자적인 경본 을 만든다. (「쇼와 52년 노선」) 이것에 반발한 니치렌 마사무네 내의 젊은 스님 이 창가 학회의 교리 일탈을 바로잡는 취지의 활동을 개시.
1978년 6월 30일 , 「교학상의 기본 문제에 대해」라고 제목을 붙여, 교리 일탈을 시정하는 것을 「성교 신문」지상에 표명. 같은 해 9월 3일 , 『성교신문』이 「지금까지 본부로서 근각시켜 준 수체의 이타미모토존에 대해 어지남을 바라보며, 계하보다 모두 학회 본부에 보물로서 납부해 주시면 괜찮다는 이야기가 있었다 [ 37 ] 」 라고 본존 모각을 인정하는 기사를 게재 [ 7 같은 해 11 월 7 일 , 혼존 모각 등에 대해 책임을지는 형태로 오이시지에 사과 등산을 실시했다 [ 7 ] 라고 되어 있지만, 「효암」에 의하면 당시의 법주·일들로부터는 사전에 본 존각각의 허가를 얻고 있었지만, 승속 화합의 대의, 종내를 넓게 덮고 있던 「법주에게 반론하는 것 은 법법」이라고 하는 종교적 금기관, 법주의 권위 실추를 막는 이유가 있어, 「무단으로 모각했다」라고 하는 언설에 반론하지 않고 사태의 수습에 움직인 결과라고 하고 있다 [ 38 ] . 1979년 4월 24일 니치렌 마사무네와의 문제로 창가학회 회장을 인책사임. 새롭게 창설한 포스트인 명예회장으로 취임. 종신제였던 회장직을 5년의 임기로 변경, 후임의 회장에는 호조 히로시 가 취임.
같은 해 4월 26일 호화 강 총강두를 인책사임. 다른 법화강과 마찬가지로 니치렌 마사무네의 감독을 받을 것을 약속. 니치렌 마사무네의 관장 일들 로부터 법화강 명예총강두의 사령을 받는다. 같은 해 5월 3일 니치렌 마사무네의 법주, 일들이 이케다 명예 회장 등 창가 학회 간부의 반성을 받아들여, 문제의 수렴을 선언.
1980년대
1979년 명예회장으로 취임한 이후 해외 방문으로 힘을 쏟아갔다. 그 배경에는 불법의 사회전개, 해외발전을 위해 종문의 교학에서 벗어나 불법철학의 혁신·보편화라는 목적이 있었다 [ 39 ] . 80~81년 2년간 6회 해외방문을 했고 체류일수는 144일간 걸렸다. 데쿠에얄 유엔 사무총장(82년 8월), 중국의 호야방 총서기(84년 6월), 태국의 푸미퐁 국왕(88년 2월), 영국의 대처 총리(89년 5월) 등의 유식자나 국가 원수 등과의 회견을 실시했다 [ 40 ] .
1981년 세계예술문화아카데미로부터 '계관시인'의 칭호가 주어졌다 [ 41 ] . 1982년 10월 15일, 도쿄 지재 에 있어서의 「월간 펜」에 관한 환급 재판 (제27회 공판 )에 검찰측 의 증인 으로서 출정.
1983년 1월 25일, 「SGI의 날」기념 제언을 발표(이후, 매년 발표). 같은 해 6월, 루마니아 를 방문해, 당시의 대통령이었던 니콜라에 차우셰스크 와 회담. “대통령은 애국주의자 이자 평화주의자 이자 민족주의 자인 것이 좋고 이해할 수 있었습니다”라는 찬사를 주었다 [ 42 ] . 같은 해 8월 유엔평화상을 수상 [ 43 ] . 1984년 1월 2일, 일달의 뒤를 이어, 67세의 법주가 된 닛코 에 의해 다시 「호화강총강두」에 재임.
1990년대
창가학회는 니치렌 마사무네와 결별해 세계 종교로서의 측면을 강화하게 된다. 이케다는 국내외의 저명인과의 대담에 힘을 쏟아 미하일 고르바초프 소련 대통령(당시)이나 넬슨 만델라, 로자 파크스 등과의 회견을 실시했다 [ 44 ] [ 45 ] [ 46 ] .
1990년 7월 27일 미하일 고르바초프 대통령(당시)과 회담. 페레스트로이카의 현상과 의의, 청년에 대한 기대와 평화, 인생론 등에 대해 폭넓게 의견을 교환했다. 고르바초프 대통령은 회담 자리에서 이듬해 봄 방일을 명언했다. 회담의 모습은 다음날의 신문 각지에서 “소련 대통령, 내춘 방일을 명언-유연한 대응 준비”(아사히 신문), “고 대통령, 내춘 방일을 명언-대폭으로 다가간다”(요미우리 신문), “내봄의 방일을 재확인-대일 문제, 양보도 시사” ( 매일 신문 ) 1991년 4월 16일, 고르바초프 대통령은 이케다와의 약속대로 일본에 오고, 4월 18일에는 양씨에 의한 2번째의 회담이 실현되었다 [ 48 ] . 같은 해 10월 31일 남아프리카 인종차별 정책과 싸운 넬슨 만델라 대통령(당시)과 회담했다. 이 회담은 이케다 다이사쿠와 토인비 박사의 대담집 '21세기에 대한 대화'를 읽은 만델라 대통령이 요망하고 실현했다 [ 49 ] . 1990년 12월 13일 니치렌 마사무네는 창가학회에 대해 이케다가 제35회 본부 간부회에서 법주와 종문을 비방하는 연설을 한 것이 아닌가 묻는 질문장을 건네려고 했다. 그러나 학회 측은 문서 등이 아닌 토론을 구한 것으로 질문장은 일단 철회되었다. 같은 해 12월 17일, 다시 니치렌 마사무네로부터 배달 증명 첨부 우편으로 「제35회 본부 간부회에 있어서의 이케다 명예 회장의 스피치에 대한 질문」이라고 제목을 붙이는 문서가 학회에 전해져, 거기에는 이케다가 「법주를 비판, 모욕했다」등의 내용이 기재되어 있었다. 이에 대해 학회 측은 스피치 내용에 비판이나 모욕은 어디에도 보이지 않았기 때문에 같은 해 12월 23일에 종문과의 대화를 요구하는 반송을 우송했지만 대화 기회는 마련되지 않았다. 같은 해 12월 27일, 니치렌 마사무네는 종규를 변경해, 이케다의 호화 강총 강두 외에, 창가 학회 간부의 호화 강간부의 자격 상실을 결정했다 [ 50 ] . 1991년 11월 28일 니치렌 마사무네가 창가학회를 파문. 창가학회와 SGI가 닛렌 마사무네와 결별 [ 51 ] . 1992년 8월 11일 , 니치렌 마사무네로부터 신도 제명 처분을 받았다. 1993년 10월, 창가학회가 일관의 본존 을 복제 인쇄하여 회원에게 수여.
1993년 1월 30일, 미국 공민권 운동의 어머니라고 불리는 로자 파크스와 회견했다. 회견 석상, 파크스는 저명인이 '자신의 삶에 가장 영향을 준 사진'을 골라 게재하는 서적 '사진은 말한다'에 이케다와의 사진을 사용하고 싶다고 제기했다. 이 요망에 대해 이케다는 응했다. 또, 파크스로부터, 「로자 파크스 인도상」이 주어졌다 [ 52 ] . 같은 해 8월 8일 제69회 창가학회 본부 간부회에서 호소카와 연립 정권 의 내각 발족 전날 공명당이 대신 포스트를 획득했다고 말한 것이 국회에서 문제가 된다 . ] 당시 창가학회 회장이었던 아키타니 에이노스케 는 국회에서 "당일 신문의 각료 예상 기사의 내용을 말한 것이며, 당으로부터 뭔가 사전에 연락이나 상담이 있었던 것이 아니다"라는 취지를 설명. 같은 해 9월 24일 미국의 하버드 대학 에서 「21세기 문명과 대승 불교」라는 제목으로 강연 [ 54 ] . 같은 해 10월 24일 하치오지시 에 창가학회 도쿄 마키구치 기념회관 이 개관. 같은 해 12월 18일 앵무새 진리교 가 이케다 살해를 계획해, 창가 대학 캠퍼스내에서 사린 을 분무. 이케다 본인은 재해를 면했지만 회원 몇 명이 재해. 실행범이었던 앵무새 진리교 간부의 신실 지광 도 사린을 빨아들여 일시 중체에 빠진다.
1994년 5월 17일 모스크바 대학에서 「인간――큰 코스모스」라는 제목의 기념 강연을 실시했다 [ 54 ] . 『중앙공론』 1995년 4월호에서, 타와라 소이치로 연재 대담 「전후 50년의 생증인」으로, 14년만에 일본의 저널리스트 의 인터뷰를 받는다 [ 55 ] . 1996년 2월 11일 「도다 기념 국제 평화 연구소」를 설립 [ 55 ] . 같은 해 6월, 전부인 회원이 이케다에서 강간 당했다고 소송을 일으켰지만, 후에 '소권의 남용'으로 호소 자체가 물러났다.
1996년 6월 4일, 미국의 유대계 인권 단체 사이먼 위젠탈 센터 에서 「마키구치 토모사부로―인간과 정의의 생애」라는 제목의 강연을 실시했다. 같은 달 13일에는 미국의 컬럼비아 대학 티처스 컬리지에서 ''지구 시민' 교육에 대한 고찰'이라는 주제로 강연했다 [ 54 ] . 1997년 12월 1일, 니치렌 마사무네의 일부 개정에 수반해, 창가학 회원의 니치렌 마사무네의 단신도 자격이 상실.
1998년 11월 27일, 미나토구 모토아카사카 의 영빈관 에서 일본 내일 중화인민공화국 주석 장자 민 과 회담. 1999년 6월 4일 , 필리핀 의 조셉 에스트라다 대통령과 회담.
2000년대
2002년 중화인민공화국 주석 후진 타케 와 회담. 4월, 아키타니 회장(당시)이 제안해 회칙이 변경되었다. 창가학회의 종교적 독자성을 명시하고 '삼대회장'의 정신을 엄정하게 계승하기 위한 제도·기구를 정비하기 위해 이케다는 초대회장 마키구치 토모사부로 , 제2대 도다와 함께 '삼대회장'으로서 '영원의 지도자'라고 규정에 정해졌다 [ 56 ] . 2003년 중화인민공화국 총리 온가보 와 회담. 같은 해 3월 22일 전 소련 대통령의 미하일 고르바초프 와 회담. 2004년 12월, 미국의 세계적 경제지 「포브스」(Forbes, 2004년 12월 27일호)는, 2004년 9월 6일호에 「선생님의 세계」(「Sensei's World」)라고 제목을 붙여, 이케다 및 창가 학회에 관한 기사를 특집해 게재. 2006년 11월 30일 국제원자력기구 ( IAEA )의 M. 엘바라다이 사무국장 과 회담. 2007년 4월 12일, 일본 내일 중화인민공화국 총리 온가보 와 회담. 일중 우호를 호소했다 [ 주석 5 ] 총리의 국회 연설을 '불멸의 명연설이었다'고 칭찬한다 [ 57 ] . 2008년 5월 8일 , 중화인민공화국 주석 후진 타케 와 회담 [ 58 ] .
2010년대
2010년 5월 13일 본부 간부회 이후 창가학회 내의 공식 행사를 모두 결석해 주로 집필활동 등에 전념했다 [ 50 ] . 2011년 11월 3일 소설 '신·인간혁명'이 신문 소설의 연재 횟수 '국내 최다'(4726회)가 되었다 [ 59 ] . 2012년 6월에 브라질의 리오데자네이루에서 열린 유엔 지속가능한 개발회의(리오+20)에 전해 「지속가능한 지구사회로의 길」이라는 제목의 제언을 발표했다 [ 60 ] . 2013년 11월 5일, 광선류포 대서당에서 낙경입불식을 실시했다 [ 61 ] . 2018년 6월 5일 아르헨티나의 인권운동가에서 노벨 평화상 수상자인 아돌포 페레스 에스키벨 박사와의 공동 성명 “세계의 청년에게 탄력(곤란을 극복하는 힘)과 희망의 존재!”가 이탈리아의 수도 로마에서 발표되었다 [ 62 ] . 일부 주간지 에서는 중병설이나 사망설이 다루어졌지만 [ 63 ] , 성교신문지면에서는 부정기에 현재의 모습으로 한 사진이 게재되었다 [ 64 ] . 2018년 10월 3일 성교신문 3면에서는 2018년 8월 6일 창가학회 나가노 연수도장을 방문한 이케다 부부의 사진이 게재되었다 [ 65 ] . 2019년 8월 23일 의 성교신문 3면에서는, 2019년 8월 9일에 창가학회 나가노 연수도장을 방문한 이케다 부부의 사진이 게재되었다 [ 66 ] . 같은 해 10월 3일 의 성교신문 3면에서는, 2019년 9월 28일에 성교신문 본사 의 신사옥, 창가학회 세계성교회관을 방문한 이케다 부부의 사진이 게재되었다 [ 67 ] .
2020년대
2020년 1월 26일 「SGI의 날」기념 제언 「인류 공생의 시대에 건설의 고동」을 발표 [ 68 ] . 2020년 6월 10일 성교신문 1면에서는 2016년 6월 25일 창가학회 총본부 내의 창가세계여성회관에서 부인 동반으로 피아노 를 연주하는 사진이 게재되었다 [ 69 ] . 2021년 1월 26일 「SGI의 날」기념 제언 「위기의 시대에 가치 창조의 빛을」를 발표 [ 70 ] . 2022년 1월 26일 「SGI의 날」기념 제언 「인류의 전환에 평화와 존엄의 대광」[ 71 ] , 7월 26일 「NPT 재검토 회의에의 긴급 제안」을 발표 [ 72 ] . 2023년 1월 11일 우크라이나 위기와 핵문제에 관한 긴급제언 '평화의 회복에 역사창조력의 결집을' [ 73 ] , 4월 27일 G7 히로시마 정상회의에의 제언 '위기를 타개하는 '희망에 대한 처방전'을' 발표 [ 74 ] . G7 히로시마 정상회의에 대한 제언에서는 핵무기의 사용이나 위협은 허락되지 않는다는 메시지를 히로시마로부터 힘차게 발신해야 한다고 지적한 뒤 ‘핵무기의 선제불사용’의 서약에 관한 협의를 G7이 주도해 진행하도록 호소했다 [ 75 ] . 2023년 11월 15일 , 노쇠 를 위해, 도쿄도 신주쿠구의 거택에서 사망. 95세몰 . 사보는 같은 달 18일 창가학회 홈페이지에서 제일보로 전했다 [ 76 ] [ 1 ] [ 77 ] . 같은 해 11월 23일, 「창가학회장」이 도쿄도 도시마구의 도쿄 도다 기념 강당과 전국 약 1000개의 학회 시설을 중계로 맺어 집행되었다 [ 78 ] . 2024년 1월 30일에는 '이별의 모임'이 도내 호텔에서 열렸다. 미국, 중국 등 약 40개국의 대사관 관계자 외에 경제계, 학술계 등에서 합쳐 약 2600명이 참석했다 [ 79 ] [ 80 ] . 같은 해 1월 20일, 이탈리아·피렌체시와 이탈리아 창가 학회의 공동 개최에 의한 추도식이, 동시 청사인 베키오 궁전의 500명 광장에서 행해졌다 [ 81 ] . 같은 해 2월 20일에는 벨기에의 브뤼셀에 있는 유럽 의회에서 추도 행사가 개최되었다. 동의회의 피나 피체르노 부의장과 유럽 불교 연맹의 스테파노 베테라 회장, 로마 클럽의 샌드린 딕슨-데클레이브 공동 회장, ICAN(핵무기 폐절 국제 캠페인)의 멜리사 파크 사무국장 등이 참석했다 [ 82 ] .
인물

쓰기
수필 , 소설 , 대담집 등 외에 불법철학의 해설서, 어린이용 동화 등도 집필, 또 사진가 · 시인 으로서도 활동하고 있었다.
기고
이케다는 일반지와 지방지, 해외지에 자주 기고를 보냈다. 예를 들어, 1979년 3월 7일 사이타마 신문 "갠지스에게 유원을 본 정신대국·인도를 찾아가" [ 83 ] , 2000년 9월 18일 시코쿠신문 "교육력의 복권에 어울리는 '정신성'의 빛을" [ 84 ] , 2010년 3월 16일 중국 신문 'NPT 재검토회의 앞' [ 85 ] , 2013년 5월 2일 매일 신문 '세계 연결 재즈의 '대화정신'' [ 86 ] , 2014년 3월 7일 재팬타임스 ' 건축 ' 등 해지원 협력을 통해
대담·강연
국가 지도자를 비롯해 교육자, 문학자, 과학자, 예술가, 사회활동가 등과 회견을 다수 진행하며 발간한 대담집은 50개에 이른다. 특히 인상에 남은 인물로 주은래 를 꼽고 있다. "명우처럼 말이 알기 쉽고, 게다가 깊다. 날카로움과 따뜻함이 있다."라고 평하고 있다. 또, 해외의 대학·학술 기관에서 강연을 다수 행하고 있었다.
문화활동
이케다는 음악과 미술 등 문화운동도 추진했다. 1963년에 민주음악협회 를 설립했다. 이 협회는 오페라, 아르헨티나·탱고, 중국의 경극 등의 공연을 실시하고 있어 해외 교류국·지역은 112를 세는다. 연 1억2000만명이 감상하고 있다 [ 88 ] . 음악박물관과 민음연구소 운영, 콩쿨 사업, 청소년에 대한 음악문화진흥 등도 전개하고 있다 [ 89 ] . 1983년에는 도쿄 하치오지시에 도쿄 후지 미술관 을 창설했다. 세계 각국, 각 시대의 회화·판화·도자·무구·도검·메달·사진 등 약 30000점의 작품이 수장되고 있다 [ 90 ] . 지금까지 세계 각국의 정부·문화기관 등의 요청을 받아 19개국 1지역, 31개 도시에서 44회에 이르는 전람회를 개최하고 있다 [ 91 ] . (2024년 현재)
해외의 대학·학술기관에서의 강연
- 1974년 4월 캘리포니아대학 로스앤젤레스교(미국)
- 1975년 5월 모스크바 대학(러시아)
- 1980년 4월 베이징대학(중국)
- 1981년 5월 소피아 대학(불가리아)
- 1983년 6월 부쿠레슈티 대학(루마니아)
- 1984년 6월 베이징대학(중국)
- 1984년 6월 복단대학(중국)
- 1989년 6월 프랑스학사원(프랑스)
- 1990년 3월 부에노스아이레스 대학(아르헨티나)
- 1990년 5월 베이징대학(중국)
- 1991년 1월 마카오 대학(마카오)
- 1991년 4월 필리핀 대학(필리핀)
- 1991년 9월 하버드 대학(미국)
- 1992년 1월 홍콩 중문대학(홍콩)
- 1992년 2월 간디 기념관(인도)
- 1992년 6월 앙카라 대학(터키)
- 1992년 10월 중국 사회과학원(중국)
- 1993년 1월 클레어몬트 마케나 대학(미국)
- 1993년 2월 브라질 문학 아카데미(브라질)
- 1993년 9월 하버드 대학(미국)
- 1994년 1월 심천대학(중국)
- 1994년 5월 모스크바 대학(러시아)
- 1994년 6월 볼로냐 대학(이탈리아)
- 1995년 1월 하와이·동서 센터(미국)
- 1995년 6월 아테네오 문화·학술 협회(스페인)
- 1995년 11월 트리부반 대학(네팔)
- 1996년 6월 사이먼 비젠탈 센터(미국)
- 1996년 6월 컬럼비아 대학(미국)
- 1996년 6월 하바나 대학(쿠바)
- 1996년 10월 라지브 간디 현대문제연구소(인도)
- 2007년 3월 팔레르모 대학 (이탈리아) [ 92 ]
현창
국가 훈장 , 대학으로부터의 명예학위 , 유엔이나 학술기관으로부터의 표창 등 많은 현창을 받고 있으며, 시상 때마다 창가학회의 기관지 '성교신문'의 일면을 장식하는 경우가 많다 [ 93 ] [ 94 ] .
해외에서는 모스크바 대학 , 글래스고 대학 , 볼로냐 대학 , 프랑스 학사원 , 나이로비 대학 등에서 '명예 박사 학위', '명예 교수 칭호'를 수여하고 있다. 지금까지 세계의 대학·학술기관으로부터 이케다에게 주어진 명예학술 칭호는 400을 넘고 있다 [ 95 ] .
이케다는 지금까지 자신이 창설한 창가대학에서는 1974년에 명예교수를, 1983년 11월에 명예박사를 수여받고 있다 [ 96 ] .
지방자치단체에서는 시즈오카현 의 후지노미야시 의 명예시민이 되고 있는 것 외에 1977년에는 제2대 회장 토다성성의 고향인 홋카이도 의 아쓰다무라 (현이 시카리시 )로부터 「영예촌민」(1977년)을 수여되고 있다 [ 97 ] . 2009년에는 오사카부 다카쓰키시 로부터 「국제문화교류공헌상」이 보내졌다 [ 98 ] . 이케다는 오스트리아 의 정치학자인 리하르트 쿠덴호프 카를르기 와 의 대담에서 ' 노벨 평화상'에 대해 ' 그런 영예 는 원하지 않습니다 ..
1988년, 「국제이해를 위한 G·라마챈드란상」을 수상 [ 100 ] . 이 밖에, 1983년에 유엔 평화상 , 1988년에 유엔 영예 표창, 1989년에 라우레아나·로사레스 교육·인도상( 필리핀 에 있는 캐피톨 대학으로부터 수상) [ 요출전 ]같은 해 평화공헌·유엔사무총장 표창 등을 수여받고 있다.
또 1976년에는 노벨평화상 후보에 올랐다고 주간현대가 보도하고 있다 [ 101 ] . 2015년에는 노벨평화상 후보에 올랐다고 CNN 이 보도하고 있다 [ 102 ] .
아시아와의 관계
중국에서 발자국
그동안 10도 방중해 베이징 , 시안, 정주 , 상하이, 항저우 , 광저우 등 을 방문 하고 있다. 주은래, 鄧小平,江沢民, 후진타오 , 온가보 ,鄧穎超등 정부 지도자와 정치가를 비롯하여 소설가의 도금 이나 화가의 상서 홍등 과 교우를 맺고 평화 · 문화 교류 를 거듭 했다 [ 103 ] [ 104 [ 104 ] 107 ] .
중국 정상진과의 회담
1974년 5월 30일 중국의 초빙에 의해 첫방중. 이선념 부총리와 회견 [ 108 ] .
1974년 12월 5일 두 번째 방중.鄧小平부총리와 회견. 그 직후, 병 요양중의 주은래 총리의 강한 의지에 의해, 주은래와 이케다와의 회견이 행해진다. 1978년 9월에 주은래 부인 鄧穎超씨와 회견. 1979년 4월 12일에는 동씨가 일본에 오고, 도쿄의 영빈관에서 회담을 실시했다 [ 109 ] .
중국의 청년이나 학생들과의 교류
1975년 3월, 창가대학은 일본에서 처음으로 중국에서 일본으로의 정식 유학생을 받아들였다. 이때 이케다는 스스로 유학생의 신원보증인이 되었다. 1985년 , 「중화전국청년연합회(전청련)」의 대표단과 회견. 그 때 전청련과 창가학회 청년부 사이에 교류협정이 맺어졌다 [ 111 ] .
중국 대학과의 문화교류
1979 년 9월, 창가대학과 베이징대학 이 학술교류협정을 체결(쌍방에 있어서 일중교류 제1호). 이후 중국의 69대학과 학술교류협정을 맺어(2024년 현재) 교원·학생 교환이 이루어지고 있다. 이케다는 베이징 대학과 복단 대학 등에서 기념 강연을 했다. 베이징대학, 복단대학, 베이징사범대학 등에서 「이케다대작연구회」등의 연구기관이 설립되어 있다 [ 112 ] [ 113 ] .
중국과의 문화교류
1975 년 베이징 예술단이 민주음악협회에서 첫 일본 공연. 도쿄 후지 미술관 에서 중국 둔황전(85년), 베이징·고궁박물원 명보전(95년)을 개최. 2000 년에는 민주음악협회가 상하이 잡기단 ‘백희춘추’를 공연, 2008 년에는 도쿄 후지미술관이 개관 25주년 신관 오픈 기념 기획전으로 ‘대삼국지전―유구의 대지와 인간의 로망――’ 를 개최 하고 있다 [ 104 ]
인도의 발자국
이케다는 인도 를 5번 방문해 네루 의 동맹이자 인도의 양심으로 경애받는 J.P. 나라얀, 라지브 건디 전 총리와 아내 소니아 건디 씨, 나라야난 전 대통령 등과 교우를 깊게 했다 [ 115 ] . 1992년 2월 인도에서 가장 권위 있는 간디연구기관 '국립간디기념관'의 초청에 따라 인도국립박물관에서 '부전세계를 목표로 간디주의와 현대'라는 제목의 강연을 했다. 강연의 모양은 인도의 전국지 '타임스 오브 인디아' 등에서 보도되었다 [ 116 ] . 인도문화관계평의회 칼란신 회장, 세계법률가협회 회장을 맡은 베드 P. 난다 씨와 간디기념관의 관장을 맡은 인도 간디 연구평의회의장의 N. 라다 크리슈난 박사, 라빈드라 바라티 대학의 부총장이었던 바라 티 무 카지 씨 와 의 대담집 119 ] [ 120 ]
미국과의 관계
1960년 10월, 이케다가 첫 해외지도에 방문한 것이 미국이다. 이후 27회 방미하고 있다. 또, 키신저 합중국 국무 장관을 비롯한 미국의 식자와의 대담집은 18점을 센다. 하버드 대학 에서는 이케다의 저작이 텍스트로 취급되고 있다. 2001 년 5 월 3 일, 캘리포니아 주에 미국 창가 대학 을 설립했다 [ 121 ] [ 122 ] [ 123 ] .
미국의 유명인과의 교류
1975년 1월 13일 당시의 키신저 미국 국무장관과 미국 국무성·장관 집무실에서 회견을 실시했다. 1978년 1월 12일, 미국 존 F. 케네디 의 동생인 E. 케네디와의 회담이 성교 신문사에서 열렸다. 1993년 1월 30일에는, 미국의 공민권 활동가인 로자 파크스 와 회담했다 [ 124 ] [ 125 ] [ 126 ] [ 127 ] .
미국 대학과의 문화교류
1970년 이후, 캘리포니아 대학 로스앤젤레스 학교 나 하버드 대학, 콜롬비아 대학 등에서 기념 강연을 실시했다. 킹 국제 채플 소장인 로렌스 E. 카터 목사의 제창에서 모어하우스 대학 은 ‘융화를 위한 간디 연구소’ 등과 협력해 ‘간디 킹 이케다――평화건설의 유산’전을 2001년 부터 각지에서 순회하고 있다. 2014년 4월에는, 데폴 대학 에 「이케다 다이사쿠 교육 연구소」가 설립되었다 [ 128 ] [ 129 ] .
유럽과의 관계
이케다는 1961년 10월에 덴마크, 독일, 네덜란드, 프랑스, 영국, 스페인, 스위스, 오스트리아, 이탈리아를 처음 방문했다. 이후 유럽 각국의 식자들과 교류를 맺었다 [ 130 ] .
영국의 발자국
1972년과 73년에 영국의 역사학자 아놀드 J. 토인비 와 대담했다. 나중에 대담집 '21세기로의 대화'가 되어 31언어로 발간되고 있다 [ 131 ] . 1978년 12월, 옥스포드 대학 의 브라이언 윌슨 명예 교수와 회견했다. 그 후도 교류를 계속해 대담집 '사회와 종교'가 발간되었다 [ 132 ] . 1989년, 대처 총리(당시)로 회견했다 [ 22 ] . 1994년 6월에는, 찰스 황태자(현재의 영국왕)와 회견했다 [ 133 ] . 같은 달 글래스고 대학 으로부터 명예학술 칭호가 수여되었다 [ 134 ] .
이탈리아에서 발자국
1975년 5월, 「로마 클럽」의 창설자 아우렐리오・페체이 박사와 첫회견했다. 그 후 5도에 걸쳐 교류를 맺었다. 두 사람의 말은 대담집 '21세기에 경종'으로 발간되고 있다 [ 135 ] . 1981년에는 밀라노 스칼라 자리 의 바디니 총재와 회견 [ 136 ] . 같은 해 9월에 이케다가 창설한 민주음악협회 의 초빙에 의해 일본에서 처음으로 '밀라노 스칼라좌' 공연이 열렸다 [ 137 ] . 1994년 6월, 세계에서 가장 오래된 대학인 볼로냐 대학 의 초빙을 받아, 「레오나르도의 눈과 인류의 의회――유엔의 미래에 대한 고찰」이라는 제목의 강연을 실시했다 [ 138 ] . 2006년 1월 이탈리아 대사관에서 '공로훈장 그란데 우피처레장'을 수여받았다 [ 139 ] . 2024년 1월 20일에는, 이탈리아의 피렌체 시와 이탈리아 창가 학회의 공동 개최에서, 이케다의 추도식이 거행되었다 [ 140 ] .
아프리카와의 관계
아파르트헤이트 의 철폐에 진력한 넬슨 만델라 전 남아프리카 대통령과 1990년 10월 31일과 95년 7월 3일 두 번에 걸쳐 회담했다 [ 141 ] [ 142 ] . 91년 11월 29일 재도쿄 아프리카 외교단(26개국)의 총의로 '교육·문화·인도공헌상'이 주어졌다. 99년 12월, 동아프리카 ‘케냐 작가 협회’가 ‘연차 총회’에서 이케다의 저작을 거론한 연구 발표회를 2일간에 걸쳐 개최했으며, 그 자리에 ‘명예 회원증’ 등 이 이케다 에 수여되었다 . 데클라크 전 남아프리카 대통령(1992년 6월), 케냐 작가 협회의 헨리 인단가시 회장(2000년 7월), 아프리카 여성으로서 최초의 노벨 평화상 을 받은 케냐 의 환경보호 운동가인 왕가리 마타이 씨(2005년 2월) 로 회견했다 [ 124 ] [ 124 ] ] .
마사미
기타 정견
- 안보
- " 헌법 개정 논란 은 좋지만, 헌법 제9조만 은 절대로 바꾸지 말아야 한다"는 견해를 가지고 있다 [ 146 ] . 일본은 유엔의 상임이사국가 를 원하지만, 안보이사회 의 기축인 집단적 자위권 이라는 생각과 그것을 금지하는 일본의 헌법 사이에는 모순이 있기 때문에 “ 국제연합 평화유 지활동 (PKO)에 참가하기 위해 자위대 와는 별도의 조직을 만든다는 게 올바른 길일 것이라고 생각한다. 1991년 걸프 전쟁 직전에는 5명의 식자와 함께 '전쟁 회피를 위한 '긴급 어필''을 이라크 후세인 대통령 앞으로 보냈다. 그러나, 2003년 「이라크 전쟁」의 개전이 다가오고 있던 1월 26일 「성교 신문」지상에서 「군사력 을 전부정한다고 하는 것은 (중략) 정치의 장소에서의 옵션으로서는, 반드시 현실적이라고 그렇다고 할 수 없다”, “무력을 동반한 긴급 대응도 필요할지도 모른다. 그런 확연한 자세가 테러 에 억지 효과를 가져다주는 측면을 전혀 부정할 생각은 없다”는 견해를 보였다.
- 선거
- 1999년 SGI(창가학회 인터내셔널)의 날(1월 25일) 첨부의 『성교신문』에서 총리 공선제 를 제언.
- 교육
- 「아사히 신문」(2001년 5월 23일자)의 「나의 시점」이라고 하는 칼럼 으로, 「교육 기본법」의 재검토에 대해, 「졸속은 신중해야 한다」, 「『교육 칙어』에 담긴 같은 구체적인 덕목은, 기본법의 성격에 익숙하지 않다고 생각한다.
일본과 한국·조선에 관한 견해
한국SGI의 기관지 와코신문이 이케다의 일본과 한국·조선에 관한 견해를 몇도에 걸쳐 게재하고 있다.
와코신문의 칼럼에 게재된 역사관
- “귀국(한국)은, 진정으로 일본에 “문화의 스승”의 나라로, 교육에서도 형의 나라입니다. 나는 마음 깊은 곳으로부터 존경하고 있습니다. 그럼에도,……귀국을 침략한 일본은 얼마나 어리 석 었는가 .
- 도요토미 히데요시 의 조선 출병 을 조선으로부터 불교 를 시작해 다양한 문화적 혜택을 받은 것을 짓밟는 침략 이라고 강하게 비난 [ 148 ] .
- 일본은 한국과 우정을 맺고 한국을 존경하고 한국의 마음을 배우면 평화와 번영의 방향으로 나아갈 수 있다. 그러나 한국에 대해 오만해지면 일본은 반드시 쇠퇴해 멸망한다. 이것이 만대에 걸쳐 생명에 새겨져야 하는 역사관에서 또 인간의 길이다” [ 149 ] .
- “한국이 일본 문화의 “대은”이라는 것은 말할 필요도 없다. 불교를 포함해 모든 것에 혜택을 준다고 해도 과언이 아니다. (일본은) 왜 “대은인” 나라 를 배반 했을까 ?
사건·의혹
오사카 사건
1957년 4월에 행해진 참원 오사카 지방구의 보결 선거에서 이케다가 회원에게 호별 방문을 지시했다고 체포된다. 동 혐의로 체포된 교토 회원의 진술에 의한 체포였지만, 재판에서는 진술을 신용할 수 없다고 물러나 무죄 판결이 내려졌다 [ 151 ] .
선거관여 의혹
자민당은 1996년 중의원 예산위원회에서 '창가학회의 선거운동 참여를 규명한다'는 명목으로 이케다의 증인환문을 요구했다 [ 152 ] .
추종자 폭행 죽음
1996년 홋카이도 창가학회의 간부였던 여성이 “과거 몇 차례에 걸쳐 창가학회 명예회장 이케다 다이사쿠로부터 폭행됐다”는 고발수기를 ' 주간신시오 '에 발표한 뒤 여성과 그 남편이 이케다를 상대로 손해배상 청구를 호소했다. 내용은 전혀 루머였고 소송도 금전적임이라고 했다. 판결도 ‘소권 남용에 의한 각하’라는 판결이 내린다.
이케다 대작본 불론 및 신격화
이케다는 『성교신문』에서 『대대의 회장을 신격화 등해서는 안 된다』 『나 등을 절대시해서는 안 된다』 『나 자신, 죄업 깊고 잘못인 것을 잘 알고 있습니다』라고 창가 학회 회장은 어디까지나 신앙상의 지도자이며, 자신을 포함한 역대 회장 들은 . 한편, 창가학회와 대립하는 단체나 비판자로부터는, 창가학회원에 의한 이케다 다이사쿠· 마키구치 토모사부로 · 도다성 성등 회장 3명에게의 「개인 숭배」가 있어, 창가 학회는 니치렌 불법을 신앙하는 불교도 단체인 이상으로, 실질적으로는 「이케다교」가 아닐까의 비판 1983년(쇼와 58년) 10월 31일, 전 창가 학회 간부의 야마자키 마사토모의 재판에 증인으로서 출정했을 때, 「일부의 동지가 상태를 타고 자신을 미화한 것은 아니다」라고 하는 취지를 말하고 있다. 불교학자인 마츠노 준효 는 이케다 대작본 불론은 '닛렌모토 불론의 당연한 귀결'이라고 말했다.
이케다 다이사쿠 암살 계획
이케다는 과거에 암살 계획을 건 적이 있다.
후지와라 행정에 의한 암살 계획
1988년, 제제였던 후지와라 행정 이 이케다를 암살하고, 자신의 아들을 창가학회의 회장으로 삼을 계획을 세운다. 실제로 후지와라는 폭력단 관계자와 밀회했고, 암살은 실행 직전에 이르렀지만, 금전 트러블에서 계약은 좌절하고 암살 계획이 발각되었다 [ 154 ] [ 155 ] . 그 후 후지와라는 ‘이케다 다이사쿠의 모습’이라는 폭로본을 출판해 이케다에 대항했다.
앵무새 진리교에 의한 암살 계획
1993년 12월 18일에 이케다가 창가대학에서의 연주회에 참석한다는 정보를 손에 넣은 앵무새 진리교 는, 과연 불적이라고 칭하고 있던 이케다 대작을 사린 으로 포아 (살해)하려고 암살 계획을 실행했다 [ 156 ] . 그러나 회관의 경비를 담당하고 있던 창가학 회원들에게 괴롭혀 계획은 좌석, 이케다에 피해는 없고 창가학 회원 수명이 부상했다.
동정을 둘러싼 가세네타 오보
2011년에 주간문춘이 이케다의 「진짜 병상」이라고 제목을 붙여, 이케다를 담당하고 있던 간호사에 의한 병상의 증언을 기사로서 게재했다. 그러나 창가학회 측이 “해당하는 간호사는 존재하지 않고, 증언은 사실 무근”이라고 항의. 주간문춘은 2개월 후에 “당시 편집장이 재취재를 했지만, 증언자가 간호사라는 확증을 얻지 못했다”며 기사를 취소하고 사과했다 [ 157 ] .
평가
관련 인물이나 단체에 의한 칭찬
- 타하라 소이치로 (저널리스트, 평론가): “이케다 다이사쿠씨는 종교에 있어서의 “배제의 벽”을 훌륭하게 극복했다. 어떠한 종교도 결코 부정하지 않고, 타종의 신자들과도 커뮤니케이션을 도모해, 신뢰하는 것에 성공 했다 .
- 사토 유 (작가): "이케다 다이사쿠의 신앙, 사상, 행동을 아는 것이 일본과 세계의 현재와 미래를 읽는 열쇠가 된다고 필자는 확신하고 있다" [ 159 ] .
- 로렌스 E. 카터 (모어 하우스 대학 킹 국제 채플 소장, 목사) : "차이를 존중하는 진짜 깊은 세계관과 글로벌 종교 간 대화를 구현하는 인물은 많지 않지만 이케다 회장은 확실히 그 혼자입니다" [ 160 ] .
- 아베 신타로 : 1958년, 오오이시 지의 대강당 완성 기념의 축전에 기시 신스케 의 대리로 아베 신타로가 참석한 이래, 몇번이나 면회했다고 한다. "깨끗한 마음으로 학회, 세계, 인간과 사회의 이야기 등을 나와 이야기하는 것을 기대해 주신 것 같다"고 이케다는 말했다 [ 161 ] .
- 동 시바타조 (공명당 전 간사장, 국토교통대신 ) : "인생에서 가장 영향을 받은 인물" "모든 면에서 영향을 받았다" [ 162 ] .
- 엔도 오토히코 (전 외교관, 공명당 소속의 국회의원): “인생에 관한 어떤 일이라도 상담하고, 가르침을 받을 수 있는 선생님”, “이케다 선생님의 사상·불교에 근거한 가르침에 귀를 기울이면 더(세계의) 문제가 해결될 것” [ 163 ] .
비판
- 다나카 가쿠에이 (전 총리, 자민당 간사장 경험자): 비서의 하야사카 시게 조에 따르면 “ 이케다 다이사쿠는 유연한 강 이다 . 끓여도 구워도 먹을 수 없다 .
- 이시하라 신타로 : 1999년 도쿄도 지사 선거 를 직전에 앞둔 시기에 이케다 다이사쿠에 대한 인물 평가를 물어본 앙케이트에 “한마디로 표현하면 “나쁜 천재, 거대한 속물 ” .
- 니콜라에 차우셰스크 : Jurnalul National(루마니아 국영 신문)에서 이케다를 절대적인 권력을 가지고 있는 것처럼 타인에게 보여주는 것만으로 강한 것에는 질투하고, 약한 것에는 오만한 태도로 임하는 소악당이라고 비판 [ 165 ] .
비판하는 입장이 되거나 혹은 나누어진 전 간부
- 용년광 (원창가학회 간부·원공명정치연맹서기장·원공명당 도쿄도의회의원) [ 166 ]
- 하라지마 히로시 (원창가학회 교학부장) [ 32 ]
- 야마자키 마사토모 (원창가학회 부이사장·전 고문 변호사) [ 167 ]
- 다케이리 요시 카츠(공명당 전 위원장) [ 168 ]
- 야노 아야야 (공명당 전 위원장) [ 169 ]
- 후쿠시마 겐지로 (원창가학회 부회장) [ 170 ]
- 이시다 차남 (전 공명당 참의원 의원) [ 171 ]
- 오하시 토시오 (전공명당 중의원 의원) [ 172 ]
- 쿠와하라 하루조(전 공명당 대전구 구의, 전 간부) “이케다가 정치권력을 잡고 천하를 취한다는 자세는 더 이상 신앙자가 아니다. 신앙을 이용한 마물” [ 173 ]
- 고로 마사히로(지부 장년장) [ 173 ]
- 야마구치 타카시(전 지방 간부) 「이케다 다이사쿠의 명예욕 달성을 위해서, 힘든 자산과 인생의 절반을 소비한 것이 배고프다」[ 173 ]
- 스즈키 히로코(전 지방 간부) [ 173 ]
- 호소야 켄범(전 지방 간부) [ 173 ]
에피소드
- 영국의 역사학자인 토인비는 이케다와의 대담을 마친 뒤, “나는 모교인 옥스포드 대학의 명예 문학 박사를 비롯해 다섯 개의 대학에서 명예를 박사 학위를 받고 있습니다. 당신은 '토인비 대학'의 최우등생입니다 . 174 ] .
- 공명당 설립 후 이듬해 평론가· 타카세 히로 이는 저서 속에서 이케다가 수백만 명의 신도를 안고 있는 창가학회 회장으로서의 책임과 입장에 대해 “일본의 국주이자 대통령이자 정신계의 왕자이자 사상문화 일체의 지도자·최고권력자”라고 소개했다. 또한 사회에서는 확대를 계속하는 조직의 지도자로서 '신비화된 우상'과 같은 이미지가 태어나고 있었지만, 이케다에 대한 여러 회의 인터뷰를 통해 정미 풍부하고 사려깊고 게다가 탁발한 결정력이 풍부하고 이성적 관용에 넘치고 있었다고 말했다 [ 175 ] .
가족

저서
- 「인간혁명」성교신문사
- 『신·인간혁명』 성교신문사
- "내 이력서" 일본 경제 신문사
- 『젊은 날의 일기』
- "잊을 수없는 동지"성교 신문사
- "마음에 남는 사람들" 카도카와 서점
- 『호화경의 지혜』 성교신문사
- "알렉산드로스의 결정"슈에이 샤
- 「청춘 대화」성교 신문사
- 『어머니의 시』 성교신문사
- "내일을 응시 (Embracing the Future)" 재팬 타임즈
- '고마워 한국' 조선일보
그 외 공동 저서로서 다수의 저서를 출판하고 있다.
대담집
- 『문명・서와 동』 리하르트・쿠덴호프=카레르기(1972년・산케이 신문사) [ 179 ]
- "혁명과 삶과 죽음"오모리 미 (1973 년 · 코단샤) [ 180 ]
- 「고전을 말한다」네모토 마코토(1975년·시오출판사) [ 181 ]
- 『21세기에 대한 대화』아놀드·J·트인비 (1975년·문예춘추) [ 182 ]
- 『인생문답』마츠시타 유키노 스케(1976년·시오출판사) [ 183 ]
- 「인간혁명과 인간의 조건」안드레·마를로(1976년·시오출판사) [ 184 ]
- 『사계의 편서 왕복 서간』 이노우에 야스시(1977년·시오출판사) [ 185 ]
- '어둠은 새벽을 찾아라' 르네 유이그(1981년 코단샤) [ 186 ]
- 『21세기에 대한 경종』 아우렐리오 펫체이(1984년 요미우리 신문사) [ 187 ]
- 『사회와 종교』 브라이언 윌슨(1985년 코단샤) [ 188 ]
- 「제3의 무지개의 다리 : 인간과 평화의 탐구 」아나토리・A・로그노프(1987년·매일 신문사) [ 189 ]
- ''평화'와 '인생'과 '철학'을 말한다' 헨리·A·키신저(1987년·시오 출판사) [ 190 ]
- 『내면의 세계―인도와 일본』 카란 신(1988년 동양철학연구소) [ 191 ]
- 『21세기에의 인간과 철학: 새로운 인간상을 찾아라』 요제프 델보라프(1989년 가와데 서방 신사) [ 192 ]
- 「생명의 세기」에의 탐구 라이너스 폴링 (1990년 요미우리 신문사 )
- 『돈황의 광채 : 아름다움과 인생을 말한다 』 상서 코(1990년, 도쿠마 서점) [ 194 ]
- 『세계 시민의 대화: 평화와 인간과 유엔을 둘러싸고』 노먼 카즌스(1991년·매일 신문사) [ 195 ]
- 『큰 영혼의 시』 칭기스 아이트마토프(1991년 요미우리 신문사) [ 196 ]
- 『대담·태양과 대지 개척의 곡 : 브라질 이주 80년의 서민사』 고다마 료이치(1991년·제3분명사) [ 197 ]
- 「우주」와 「인간 」 의 로맨스 를 말한다 : 천문학과 불교의 대화
- "덴버 대학 명예 교육학 박사 | 이케다 다이사쿠 선생님의 발자취"(1994 년 · 창가 학회) [ 199 ]
각주
주석
- '협우회'는 동대 출신의 경제학자가 주도하고 있던 20명 정도의 청년 그룹으로 문화 · 예술 · 정치 · 경제 · 철학 등을 연구하고 있었다.
- 가맹업자에 대한 사회보험 의 지도와 업계 내 연락 등의 일을 맡는다.
- 당시 '성교신문'의 명함 광고에 '대장상사' 간부로서의 직함이 실려 있다. 『주간 신시오』 2003년 12월 18일호
- 이케다는 공명당 의원을 총동원해 각 당을 회유시켜 공명당과 자민당 의 반대로 실현에 이르지 못했다.
- 공명당 간부는 이날 일본은 일중간의 정치문제가 되고 있는 '총리의 야스쿠니신사 참배문제 '에 못을 찔릴 목적이 있다는 견해를 보였다.
출처
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- 이케다 선생님의 강연 30주년을 기념 이탈리아·볼로냐 대학에서 모아 창가 학회 공식 사이트
- “ 창가학회 공식 사이트, 이케다 다이사쿠 선생님의 발자취 “공로훈장 그란데·우피처레장” ”. 2025년 2월 10일 열람.
- “ 창가 학회 공식 사이트 “이탈리아·피렌체시에서 이케다 선생님을 시노부 추도식” ”. 2025년 2월 10일 열람.
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- “ 『대담·태양과 대지 개척의 곡』 국립국회 도서관 온라인 | National Diet Library Online ”. ndlonline.ndl.go.jp . 2023년 8월 17일 열람
- " "우주"와 "인간"의 로맨스를 말한다 "국립 국회 도서관 온라인 | National Diet Library Online ". ndlonline.ndl.go.jp . 2023년 8월 17일 열람
- “ 덴버대학 명예교육학박사|이케다 다이사쿠 선생님의 발자취 | National Diet Library Online ” . https://www.sokagakkai.jp/daisakuikeda/honorary-degree/university-of-denver.html .
관련 항목
- 창가학회
- 창가학회 인터내셔널 (SGI)
- 공명당
- 이케다 다이사쿠 사린 습격 미수 사건
- 이케다 다이사쿠에 대한 소권 남용
- 마키구치 토모사부로 (「창가학회」초대회장)
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- 이케다 대작본 불론
- 창가대학
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- 창가학회 도쿄 마키구치 기념회관
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