蹇々録
『蹇々録』(けんけんろく、蹇蹇録)は、明治時代の外務大臣陸奥宗光[1]が執筆した外交記録。1895年(明治28年)成立、1929年(昭和4年)刊。일본 정치가 무쓰 무네미쓰 의 자서전적 회고록
陸奥の晩年の1892年(明治25年)以降に執筆されたが、外務省の機密文書を引用しているため長く非公開とされ、1929年(昭和4年)に初めて公刊された。明治外交史上の第一級史料である。
内容
1894年(明治27年)に朝鮮で起きた甲午農民戦争(東学党の乱)から、1895年(明治28年)の三国干渉までの陸奥宗光自身の外交の経験・苦労・感想が書かれている。
たとえば、1894年(明治27年)の日清戦争開戦の動機については、内村鑑三は当初、中国の不当な朝鮮支配を打破するための義戦であると唱え、日本の世論もだいたいにおいてこれに一致していたが、『蹇々録』にははっきりと日本の国益のための戦争であって義侠の精神はまったくないと書かれている。
日朝関係については三期に分けて記述されている。日清戦争までの第一期、井上馨による韓国の改革のいきさつを記す第二期とし、第三期として「日清講和条約」の締結に至るまでの経緯が詳述されている。
三国干渉について記した「畢竟我に在ては其進むを得べき地に進み其止らざるを得ざる所に止まりたるものなり余は当時何人を以て此局に当らしむるも亦決して他策なかりしを信ぜむと欲す」という文章が知られる。
第二次大戦後に沖縄返還交渉の密使を務めた若泉敬が、交渉の内幕を明かした著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)は、上記結語に由来する。
親族であり、外交官・評論家である岡崎久彦[2]の晩年の著書に『明治の外交力 陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ』(海竜社、2011年)がある。
書名の由来
表題は、『易経』にある蹇卦の「蹇蹇匪躬」(けんけんひきゅう)から採られた[3]。「王臣蹇蹇、躬 (み) の故に匪 (あら) ず」と読み下し、意味は、王の臣は足が萎え進退が極まろうとも自身を優先することはない意であり、君主に忠誠を尽くすこと[4]。
脚注
- 天保15年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日、外務大臣(第2次伊藤内閣)在任:1892年(明治25年)8月8日 - 1896年(明治29年)5月30日。
- 伝記の著書に『陸奥宗光』、『陸奥宗光とその時代』(各・PHP研究所)がある。
- 『蹇々録』
- 『大辞林』
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