日刊ゲンダイ 2022.3.28
恐ろしい空気だ(C)ロイター
ウクライナのゼレンスキー大統領が23日、日本の国会でオンライン演説を行った。
ゼレンスキー大統領はNATO参加国の米国、英国、ドイツ、カナダでも演説した一方、ロシアのプーチン大統領とゼレンスキー大統領が直接会談するための仲介役として奔走しているイスラエルのベネット首相は、こうした演説の要請を断っていた。
ザ・タイムズ・オブ・イスラエルは「ゼレンスキーはウクライナの戦争努力への支援を鼓舞するため、イスラエル議会で演説を求めたが、代わりに少人数の議員との対話を提案され、ウクライナ側は落胆し対案を拒否した」と報道。結局、議会演説は行われたものの、首相はゼレンスキー大統領に演説の機会を与えることを「戦争努力への支援を鼓舞する」ことと位置付けていた。
民主主義の基本は、異なる立場の人々が討論を重ね、適切な妥協を図ることにある。
正しいとみられる一つの方針を一方的に流し、国民を誘導していく機関ではない。もし、国会が紛争の両当事者の見解を聞く機会を持つなら、私はもろ手を挙げて支持する。しかし、一方の見解だけ聞き、それを国会決議などにつなげていくなら、この動きには疑問がある。
私はツイートで、<恐ろしい空気だ。紛争当事者の一方だけの見解を聞き、当然他方の見解を聞く機会を持たない。そして一方の意見を参考に国会決議などしていく。これはウクライナ問題を超えて、日本がもはや、民主主義国家でなくなっていることを示す。あまりにも危険な国になっている。そしてそれを当然としているのが怖い>と発信した。
だが今の日本は一億総ロシア糾弾、一億総対ロ制裁であり、疑問の声を出す人は少ない。
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は<私はゼレンスキーに国会演説のチャンスを与えるのには反対する!どんなに美しい言葉を使っても所詮紛争の一方の当事者だ>とツイートし、一水会(思想団体)も<公平、公正の立場から、紛争当事国の片方だけから聞く事は相手のプロパガンダにのるだけで賢明ではない。やるなら両方だ>とツイートした。
考えておくべきは、ゼレンスキー大統領が国内のウクライナ系とロシア系の融和に努め、ロシアを刺激するNATOのウクライナ進出を推進しなければ、今日のロシア軍のウクライナ侵攻はなかったということだ。
彼は100%政治的に無罪な人物ではないのである。
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