2026-01-11

ある共同体における連帯 99

286919072.pdf

ある共同体における連帯
── ジッドの作中作「ティティルの物語」をめぐって ──
森 井   良
====

1 ジッドと「連帯」

 アンドレ・ジッドは「連帯 solidarité」という概念をどう捉えていたのか。ジッドはたしかに、
1918年の日記や1935年に書かれたと推定されるその名も『連帯 Solidarité』という作品のなかで、
共和国における「連帯」の必要性を説いていた(1)。いずれの言説も、一方はナショナリズムへ
の傾斜、他方は共産主義への転向というように、社会情勢が作家に政治的な旗幟鮮明を強いた時
代のものだが、改めてここでジッドと連帯思想との関連性をテーマとして考えるとき、その機縁
をもっと早い時期、たとえば1890年代に置くことはできないだろうか(2)。
 社会学者のマリー=クロード・ブレによれば(3)、「連帯」はフランスにおいて1830年代から醸
成され、当時最先端の社会主義や自然科学の研究と結びつきながら発展した思想である。二月革
命の「同胞愛 fraternité」の理想を継承しつつ科学的事実に裏づけられたこの概念は、第三共和
制期において再び脚光を浴びた。「連帯」が表明するのは「すべての人間が、同じ一つの身体の
各部位のようになって、全体を構成する」(4)という命題であり、そのことは、大革命以来の個人
と集団の対立あるいは自由と一体性の間の矛盾という問題に直面していた第三共和国にとって、
特別の意義をもっていたわけである。
 ところで、ジャン=ミシェル・ウィトマンは「個人主義の問題化」という観点からこの時期の
フランスの関心とジッドのそれが重なることを指摘し、同時代の社会学者であり連帯主義者でも
あったセレスタン・ブーグレを引用しつつ解説を加えているが、そこでウィトマンは「[ただし
ジッドは]ブーグレにも連帯主義にもあまり関心がなかった」と述べている(5)。つまり1890年
代から台頭しはじめた「連帯主義 solidarisme」というキーワードで当時のジッドの思想ないし
作品を検討することを看過しているわけだが、私としてはこの視点を重要視したい。
 というのも、連帯主義が主張するのは個人と集団、市場自由主義と国家社会主義の折衷という
だけでなく、「社会的債務」や「準契約」というコンセプトに基づいた法的な意味での連帯の構
築でもあり、分業制や協同組合に代表される一種のアソシエーション主義でもあるわけで、それ
らの視点はアンドレ・ジッドにおける連帯というテーマを考えるうえで興味深い参照点になりう
るからである。また、そこではアンドレとその叔父であり経済学者でもあったシャルル・ジッド

View metadata, citation and similar papers at core.ac.uk brought to you by CORE
provided by Waseda University Repository
100
との関係も考慮に入れるべきで、かくいう後者こそ連帯主義という共和国防衛の政策(「急進主義」)と結びついた思想運動の創唱者であった。
 以上のことを踏まえ、世紀末のジッドにおける連帯のテーマを考えたい。具体的にテクストとして採り上げるのは1899年発表の『鎖を解かれかけたプロメテ』である。この作品には原義的な意味での「連帯」が主要なモティーフとして見られ、特に作中に中心紋として入れ子にされた
「ティティルの物語」では、アソシエーション的紐帯を基調とした共同体の在り方がテーマ化さ
れている。本論では、今まで採り上げられることのなかった連帯というキーワードからこの作品
を読み直し、そこで作者が扱った個人と共同体の関係性の問題を、それ以前のジッド作品からの
進展性や同時代の文脈も考慮しつつ、論じてゆくつもりである。
2 連帯の物語:『鎖を解かれかけたプロメテ』
『鎖を解かれかけたプロメテ』は1895年末頃から書きはじめられ、1899年初頭に『エルミター
ジュ』誌に発表された作品である。
 まずこの作品を読み解くうえで見逃せないのは、「債務への献身」という一つのモティーフで
ある。作中には三人の「債務 dette」を抱える人物が登場する。「ワシ」を扶養するプロメテ、道
行く「大富豪」から「平手打ち」をくらったコクレス、そのコクレスの「平手打ち」のおかげで
「500フランの紙幣」を受け取ることになったダモクレスである。三人はパリのカフェで邂逅し、
「調停役」の「ギャルソン」に仕切られながら、互いの「債務」について議論を展開するが、そ
の途中にはコクレスがプロメテのワシによって目をくり抜かれ、その義眼代をダモクレスが支払
うという興味深い出来事も出来する。いわゆる債権者と債務者の関係 0000000000
がここにはテーマ化されて
おり、より具体的に言えば、「ゼウス」と呼ばれる大富豪から貸し与えられた「債務」によって、
それまで何の「係累」もなく「平凡ながらも自由」に生きてきた「ごくありふれた」存在が「ひ
とかどの人物」へと生成してゆく、というわけである(6)。この作品で提起されているのは、ピエー
ル・マッソンも指摘しているように(7)、「どうすれば自分自身[個人]に留まりながら国家[共
同体]に仕えることができるだろうか」というこの時期の作者を悩ませた問いであった。実際、
その問いの文脈からダモクレスの死とそれにつづくプロメテによるワシの殺害という事件が固有
の意味をもってくるのだが、私が注目したいのは、これらの債務者たちと同じ懊悩を中心紋的登
場人物であるティティルもまた共有しているという事実にほかならない。
 ティティルとはプロメテが二回目の講演つまりワシを殺した後の講演で聴衆に語った「挿話」
の主人公であり、『ユリアンの旅』や『パリュード』にも登場していたジッド作品では馴染みの
人物である。『パリュード』の時と同じく「沼地」に一人で住んでいたティティルは、あるきっ
かけから「樫の木」を育てはじめ、その「樫の木」を中心に自らの土地を「コミューン」へと発
展させてゆくことになる。ここでまず見たいのは、やがて「村長」としての仕事や住民たちとの
ある共同体における連帯 101
折衝に追われはじめたティティルが次のような言葉を漏らすところである。
あまりにもやることが多くて死にそうだ。これ以上仕事はできない。自分がすり減っていく
のを感じる。これらの連帯[連帯責任、連帯関係]solidarités のせいで、自分のなかで道義
的な不安がさらにかきたてられる。その不安が増すと、私は衰えてゆく。どうしたらい
い?(8)
 この複数形の «⦆solidarités⦆» は、共同体に対してティティルが負う「仕事」や「責任」あるい
は彼をその土地へ繋ぎとめるものとの関係を示唆している(9)。さらに言えば、この語にはコ
ミューンの住民の間に合意された、互助的で、連帯的な関係性の総体が集約されてはいないだろ
うか。後に詳しく見るように、共同体内では公益のために私益の一部を担保として差し出す義務
がティティルも含めた各成員に課せられており、その縛りから構成される紐帯は前述した債権者
と債務者の関係に対応してもいる(ティティル個人に限って言えば、恋人のアンジェールとの関
係もまた貸借の関係──図書館の「貸出係」と「定期購読者」の関係──を基調にしている(10))。
また、ここでの「連帯」は «⦆solidarité⦆» の原義を否応なく想起させるものである。«⦆solidarité⦆» という語じたいがフランス語に導入されたのは1804年の民法典が最初であり、その際より
専ら債権者と債務者の相互関係を規定するものだった(11)。ジッドも使っていたリトレの『フラ
ンス語辞典』では「複数の人間が互いが互いのために、そして各人が万人のために、義務を負う
ところの契約 engagement」(12)と定義されている。つまり「連帯」とはもともと法的・経済的な
意味合いを含んだある種の社会契約 0000
を謂うのであって、ティティルの言う「連帯」とそれが表象
する諸関係はまさしくそのような文脈で捉えられるわけである。
 もちろん引用中の «⦆solidarité⦆» 一語をこれ以上過大視することは控えなければなるまい。し
かし、少なくとも当事者相互の「連帯関係/連帯責任」によって一方の個人が衰退してゆくとい
う構図は、一方的に身体への攻撃を加えられるコクレスをはじめ、債権者に対する債務不履行か
らしだいに心身を病んでゆくダモクレス、そして「彼は栄え、私は衰えなければならない」とい
う福音書の言葉に従うように自らの「肝臓」をワシに食べさせつづけるプロメテの状況を再現す
るものにほかならない。いずれの場合にも債務の支払い不可能性あるいは等価性の反古といった
傾向が問題とされているが、より大局的に見れば、そこにはあるコンセプトに対する作者のアイ
ロニーと疑念が露見している。すなわち、他者(たち)への債務を負わせるある種の契約によっ
てそれまで孤立していた個人の社会的統合を図る、というコンセプトであり、そのコンセプトの
想定には同時代の文脈が強く働いているように思われる。
102
3 「社会的債務」の表象
 ここで作者が語った自作の解説を見てゆきたい。実を言えば、『鎖を解かれかけたプロメテ』
の結末──結論とは言えないにしても主人公の行動の帰結──は、前作の『フィロクテート』
(1898年)のそれとまったく逆の方向を示している。孤島において「純粋で本当に無私な行為」
を追求し、「ただ存在すること」だけに腐心してきたフィロクテートは、最後、ユリースに弓矢
を譲り渡す行為によって、祖国ギリシャに奉仕する道を選んでいたからである(13)。このような
個人主義から社会的連帯への転向は、負債の破棄と社会的拘束からの解放というプロメテの動向
とまさしく逆であるが、その両作品の結末の「矛盾」にいちはやく気がついたのは、ジッドと同
時代の作家で批評家のモーリス・ボーブールであった。ボーブールはジッド宛の書簡において、
『鎖を解かれかけたプロメテ』を絶賛し、前作『フィロクテート』との比較のうえ結末の相違の
理由を尋ねているが、それに対するジッドの返答が興味深い。
『[鎖を解かれかけた]プロメテ』において、私は、人間のためにあなたが言うような36条
の許しを要求しようとしたのではなく──、むしろ義務の概念と、神のごときものや道徳的
幽霊に対する債務の概念を区別しようとしたのであり、神のごときものや道徳的幽霊のおか
げで、我々の生は、我々がそれを信仰してしまうことから、惨めにも抵当に入れられてしま
う危険があるのです(14)。
 なぜ作者は「義務 devoir」ではなく「債務 dette」というより具体的で経済的な概念を問題に
するのか。ここでの「債務」は超越的な審級や実体のないモラルに差し出すべき「抵当」であり、
作中の例で言えば、大富豪に負うべきダモクレスの「500フラン」やコクレスの「平手打ち」と
ワシにくりぬかれた「目玉」、ひいてはプロメテがワシに供与する「肝臓」もその範疇に入るだ
ろう。これらの「債務」の特徴としては、いずれも債権者の所在が不明瞭で、供出物としての債
務に対応すべき債権の等価性が保証されていないという点が挙げられる。そのことは債務者たち
の前に大富豪が姿を現さないという事実、プロメテとワシの片利共生的な関係、あるいはコクレ
スが受けた「苦痛」とダモクレスが得た「利益」の間接的な「関係」のうちに表れているが、最
後の例に関しては、次のような当事者の言葉を引用できる。
あの[…]500フランは万人に負うものだと思っていたから、それをあえて誰かに与えよう
とはしなかった。そんなことをすれば、他のすべての人から奪い取ることになるだろうから。
私はその500フランを厄介払いすることしか考えていなかった──でもどこへ?[…]そし
て今私を一番苦しめていることは、その債務を、人に渡してしまったことだ。そうコクレス、
ある共同体における連帯 103
君に渡してしまったのだ。コクレスよ、君の義眼は君のものではない、なぜなら私が君のた
めに支払った義眼代の金は私のものではないのだから(15)。
 このように出所不明の「債務」は「万人に対して負う」それとして課せられる。ただしそれが
本質的に返済不可能なものであることに変わりはない。そこでダモクレスはコクレスを当座の債
権者とみなすのだが、二人の関係においては、債権者と債務者の地位が可逆的になっている。ダ
モクレスはコクレスの義眼を買うが、その金は前者のものではなく、後者がくらった平手打ちの
「痛み」に負っているからである。また、ダモクレスが「他人の苦しみで儲けた者」だとすれば、
コクレスは「自らの痛みによって隣人に生活の糧を与えた者」であるが、実情ではその立場は反
転している。後者が「苦しみ」からすでに癒え、500フランどころではない「義援金」を手にし
たのに対し、前者はまさに「[その500フランのために]死のうとしている」からである(16)。こ
こに真の債権者を欠いた「債務」の問題点が浮き彫りになるが、その趨勢をより実際的なかたち
で再現したのは、ティティルが共同体の住人に課した所得税である。
ティティルは住民が楽しめるように祭日を制定した。しかし、娯楽は金がかかるし、住民の
誰もそこまで金持ちではなかったから、皆に金を貸せるように、各人の収入から天引きする
ことにした(17)。
 ここでの税徴収は「万人に対して負う」べき債務の具体的実現である。しかも住民の収入から
天引きされた金は、一端プールされたのちに、必要に応じて住民へと貸付0 0
というかたちで還付さ
れるわけで、ここでの債権者は住民であり、同時に住民が債務者となる。債権と債務の可逆性と
最終的な債権者の不在が再び想定されているわけだが、ところで、次に私が指摘したいのは、こ
のような為政者の課す税も含め『鎖を解かれかけたプロメテ』に現れるさまざまな「債務」が、
作品の同時代にアカデミズムや政治の世界で議論になった「社会的債務 dette sociale」という概
念を想起させるという点である。
「社会的債務」とは哲学者のアルフレッド・フイエが提唱した概念であり、それを政治的理念
として敷衍させたのは法曹家で政治家のレオン・ブルジョワであった(18)。ブルジョワの定義に
よれば、「社会的債務」とは「連帯という理由からすべての人に課され、各人によって返済され
るべき債務」であり、そこでは「すべての人が債務者であるが、同時に組合員 associé であるか
ぎり、債権者でもある」という事態が成立するという。ブルジョワはこのような各個人と全員の
間で「遡及的なかたちで合意される契約」を「準契約 quasi-contrat」と呼んだ(19)。「社会的債務」
は共同体の成員間のアソシエーションを強化し、さらにリスク保険や年金などの共済制度を実現
するための基礎的な思想になったが、その概念の妥当性をめぐっては当時の連帯主義者たちの間
104
でさまざまな議論がなされた。当時のシンポジウムの記録や総括本を見ると(20)、次のような問
題が争点になっていたことがわかる。債務者とは具体的に誰をいうのか、債務の程度や公平性の
担保をどうするか、最終的な債権者は誰なのか。
 以上の傾向と争点はジッドの作品においてすでにテーマ化されているように見える。はたして
彼は「社会的債務」という同時代に流行した概念を意識していただろうか。同時期の友人たちと
の書簡のなかで政治家としてのブルジョワの活動が話題に上るのが見られるが、ブルジョワの主
著である1896年出版の『連帯』をジッドが読んでいたという証拠はない(21)。しかし、義務と債
務を区別し、後者をある為政者の政策として再現するという発想、あるいはそのような債務の発
生する契約関係を通じて個人を社会に統合してゆくというコンセプトは、同時代の文脈から考え
ると、参照点としてブルジョワをはじめとする連帯主義者たちの思想を無視することはできない
ように思われる。
 だとすれば、『鎖を解かれかけたプロメテ』はかなり痛烈な連帯主義批判の書として捉えられ
るだろう。実際、道徳と法の混同 0000000
という観点において、当時の知識人たちがブルジョワを非難す
る際に指摘した問題点とジッドがボーブールに語った批判のポイントが重なる(22)。まずブルジョ
ワが「義務」ではなく「債務」という語彙を使った背景には、共和国の宗ライシテ
教的中立の原則に沿い
ながら、抽象的な義務という概念にあえて法的根拠を与えることで、より実際的かつミクロの次
元で「連帯」を理論化しようというねらいがあった(23)、それに対してジッドが「義務」と「債務」
を区別したのは、「債務」の「外的な動機づけ」(24)を批判しつつ、国家や実体のないモラルに個
人のエネルギーがからめとられる危険性に警鐘を鳴らす意図からであり、そこには「義務」のも
つ内発性や宗教的背景を肯定したい心情もあったかもしれない。いずれにしても、ジッドのレオ
ン・ブルジョワ的な「債務」への批判はより根本的なもので、そこには連帯やアソシエーション
主義という同時代的な思想じたいに対する懐疑が多分に含まれているのである。
4 ティティルの政策
 次に「ティティルの物語」での共同体運営について見てゆきたい。まずこの挿話を読み解く前
提として一つの疑問がある。『パリュード』では社会から孤立した語り手の分身(作中作「パ
リュード」の主人公)として登場していたティティルが、なぜここではコミューンの長として再
登場するのか、という疑問である。伝記的な事実から言えば、そこにはジッド自身が1896年から
4年あまり母方の所有地があるラ・ロック=ベニャール(バス=ノルマンディー地方、カルバド
ス県)で村長を務めた経験が反映しているのだろう(25)。実際的な村の運営については地所の管
理人に任せていたようだが、それでも議会に出て「たしかに自分の利益ではない、郡 canton の
利益について討議する」(26)ことは、当時のジッドにとって、個人と共同体の関係を再考させる貴
重な経験だった。
ある共同体における連帯 105
 かたや作品世界に即して言うと、ティティルの変貌の背景には、彼が「沼地」で「樫の木」を
育てはじめ、その「根がたくましくなったため、まもなく周りの土地を完全に干上がらせてしま」
い、そこに「堅固な土地」が形成されたという経緯がある。その経緯は明らかに同時代の作家モー
リス・バレスの「アンラシヌマン」や「土地信仰」のパロディだが(27)、ともかくもその「土地」
のおかげで孤独な住人であったティティルの生活は一変し、やがて自分の手だけでは「木」と「土
地」を管理しきれなくなった彼は住民たちとの協力体制を模索するようになるのである。彼が最
初に採った施策を見てみよう。
ティティルは自分の手伝いとして草取り係、二度鋤きをする係、水を撒く係、剪定の係、幹
を磨く係、枯葉を梳く係、害虫駆除の係、そして果実の収穫のために少年を何人か雇った。
そうすれば各人が厳密に自分の専門にのみ特化するはずだったので、各々の仕事がうまく運
ぶだけの公算があった(28)。
 ここで企てられているのはまさしく分業である。このような分業体制の構築はコミューン形成
の足がかりとなる。実際、この後に労働者の「役割分担の境界」を確定する「調停人」が設置さ
れることから、しだいに行政組織が構成されてゆくのだが、ここで問わなければならないのは、
ティティルがあえて分業を基にしたアソシエーションづくりを目指したことの意味である。
 分業は19世紀以来アダム・スミスを筆頭とする経済学者らによって注目されてきた労働体制で
あったが、第三共和制に入ってからはその道徳的効用が唱えられ、特に「連帯」の実現手段とし
て称揚された。レオン・ブルジョワが『連帯』のなかでその重要性を認めていただけでなく(29)、
すでに1890年の時点でアンドレの叔父であるシャルル・ジッドは「分業による連帯の証明は我々
の時代の最も顕著な発見である」と述べており(30)、また、1893年にはエミール・デュルケイム
が『社会分業論』において分業が招来する「有機的連帯」の必要性を説いていた(31)。最近の研
究では当時のデュルケイムは無名に近かったとされるが(32)、それでもシャルル・ジッドは1893
年の講演「経済的プログラムとしての連帯思想」においてデュルケイムを紹介し、分業による連
帯を「個々の人間が異なれば異なるほど、彼らの協同 coopération は活発になる」と的確に評し
ていた(33)。分業は人々の間に「交換」の必要性を喚起するだけでなく、「彼ら相互を持続的に結
びつける権利と義務のシステム総体を創出する」(34)ものであり、その意味で当時の連帯主義の重
要なファクターとして注目されていたわけである。
 アンドレ・ジッドは分業をめぐる同時代の文脈をどれだけ把握していたか。少なくとも母親宛
の書簡に言及があるように、彼は叔父のシャルルから前述の講演を「冊子」にしたものを送って
もらい、それを「最大限の興味と最大限の快楽をもって」読み、「注目すべき」ものと評してい
た(35)。また、それ以前にもアンドレは叔父が書いたシャルル・フーリエについての文章(『フー
106
リエ選集』序文)に感化されており(36)、そこでは「協同組合」の先駆者としてのフーリエが紹
介され、「アソシエーション」、」「分業」、「共同販売組合」などがその思想の要点として解説され
ていた。「分業」に関しては次のとおりである。
分業を最大限にまで推し進めること。農業生産は分業に適さない、というのはアダム・スミ
ス以来の定説だが、この命題は穀物や牧草の農作に関しては一見根拠があるが[…]、野菜
の集約栽培や園芸については真でなくなる。逆にそれらの栽培において、各生産者が任意の
品種の花、果物、野菜の栽培の専門家になれるということがわかるからである(37)。
 共同体の成員を百以上のセリーに区分しつつ分業させ(「キャベツ業者」、「カブ業者」、「さく
らんぼ業者」)、そこから「ファランステール」を発展させてゆく、というフーリエの理念がこう
して説明されるわけだが、このような記述が先に引用したティティルの分業とどれほど通底する
ことだろうか。いずれにしても、アンドレが連帯主義について知見を持っていたとすれば、シャ
ルル・ジッド経由ではないかと思うのだが、当時お互いの著作を送り合う仲だった二人からすれ
ば充分にありうることである(38)。
 さらにティティルの政策と連帯主義との関連については所得税の存在も見逃してはならない。
前に引用したところだが、そこで彼が企図した直接税と集団的貯蓄が当時「連帯」という文脈か
ら注目された政策概念であったことを改めて強調しておこう。つまり各個人が共同体(の他の成
員)に対し負債を負い、さらにその共同体に対して債権を持つ、というわけで、そこから「共有
金庫」という発想が生まれてくる。その考え方は、レオン・ブルジョワの言葉で言えば、「債権
と債務の共済化」であり(39)、「協同組合体制」を目指したシャルル・ジッドにとっては、「平和
的集産主義」の実現手段であった(40)。さらに言えば、一般的にそのような「社会的債務」を精
算する手段として提案されていたのはまさしく所得税であり、これもまたシャルル・ジッドが早
くから支持した政策であっただけでなく、レオン・ブルジョワ率いる急進社会党の公式政策でも
あった(41)。当時のフランスにおいてはまだ実施されてはいなかったものの、急進社会党党大会
の総括によれば、所得税は「正義」の実現かつ「連帯という共和国の理想に応えるもの」と定義
され、喫緊の政策課題の一つとして挙げられている(42)。
「各人の収入から天引きする」というティティルの政策はこのような同時代的文脈において理
解される必要があるだろう。そこには「連帯」を旗印にした第三共和国が提示する「社会政策
politique sociale」へのジッドの目配せが看取できる。ちなみに、ティティルがその共同対運営
の集大成として行ったのは村長室の改築と種の保護であったが、前者は次のようなものである。
自分の部屋の隣に、ティティルは村民の利益intérêts de la nationのための部屋を建てさせた。
ある共同体における連帯 107
二つの部屋の入り口が同じなのは、利害が同じであることを示すためだった。しかし、共通
の入り口から二つの部屋に同じ空気が送られるため、それぞれの暖炉はもろとも換気が効か
なくなり、寒いときなどは、一方の部屋で火をおこすと、他方の部屋に煙がたちこめてしまっ
た。だからティティルは、火をおこしたいと思った日には、必ず窓を開けるようにしてい
た(43)。
 このような部屋の改築は為政者として彼が行なってきた政策の理念を体現するものである。つ
まり私益と公益の総合であり、両者の間にあるべき浸透性の確立であるが、ある意味でこれは「共
産制 communisme」(44)のメタファーと言えないこともない。「共通の入口」が財源の一体化を示
すならば(所得税がコミューンの共有資本を形成していたように)、「煙」はいわば支出の象徴と
してあり、その通気が悪いというのは貨幣が充分に流通していない事態を指すだろう(共有資本
の再分配の問題)。これ以上の推測は控えるが、少なくともここで示されているのは、「村民の利
益」への配慮によりティティル個人の行動的自由が否応なく制限されるという事実であり、その
ことはその後の彼が領地内のあらゆる生物を保護するあまり庭に「ナメクジ」を大量発生させ、
「一匹でも踏み殺してしまうのを恐れ、ついに諦めてあまり外出しなくなる」という箇所からも
読み取れる。
 ティティルは一方で個人の利益と「共同体の利益 intérêts de la nation」(45)を両立させようと試
み、他方で淘汰に逆らった「種の繁殖」を奨励する。いずれも連帯主義に特有の折衷主義精神や
ダーウィニズム批判を想起させる施策であるが(46)、それらの結末として作者が提示するのは、
全体の利益への制度的かつ無批判な配慮により、個人の利益と自由が致命的に侵されるという事
態にほかならならなかった。このようなティティルの政治の成果を通じて作者は、きわめて同時
代的な社会政策を皮肉るというだけでなく、『パリュード』以来喚起されていた個人と共同体の
関係性の問題に対して一つの可能的な決着をつけたと言えるだろう。
5 結論にかえて
 以上のように、『鎖を解かれかけたプロメテ』における「連帯」のテーマ、特に「ティティル
の物語」に見られる連帯主義思想の反響とそれに対するジッド流のアイロニーを読み取ってきた。
今までのジッド研究においてこの作品は、ドレフュス事件、モーリス・バレス、オスカー・ワイ
ルドあるいは象徴主義といった参照点から論じられてきたが(47)、私としてはここでもう一つの
同時代的文脈として連帯主義からの影響というものを、仮説的ではあるが、指摘したわけである。
 最後にジッドの「連帯」批判について補足しておきたい。作者のアイロニーはティティルの
陥った衰退状態だけでなく、その後の彼の運命にも表れている。ティティルは恋人のアンジェー
ルとともにコミューンを出奔するが、道行くメリベに彼女を奪われてしまい、再びコミューンへ
108
帰らざるを得なくなるからである(48)。恋人のティティルからメリベへの乗り換えは、作品世界
に限って言えば、自閉症的な道徳主義から開放的な個人主義へと向かうプロメテの道程に呼応す
るものであり、その意味でティティルの停滞とプロメテの凱歌は対照的である。
 このような「アソシエーションの道か、危険な非連帯 désolidarisation の道か」という二者択
一は、同時代の青年層につきつけられた深刻な問いでもあった。ドニ・ペルノーはレオン・ブル
ジョワやデュルケイムが主張したような個人の「社会化」のコンセプトが1890年代からの小説の
分野に多大な影響を与えていたと言い、そのような風潮を踏まえつつ青年層に向けられ「彼らに
あらゆる社会生活に必要な連帯 solidarités を学ばせる」小説を「社会化の小説 roman de socialisation」と呼んでいた(49)。当然、その系譜のなかに留保つきながらジッドの作品も含まれてくる
だろう。留保つきというのは、彼の作品にはつねに自己批判的な視点が内包されているからだが、
少なくとも、『パリュード』に端を発し『鎖を解かれかけたプロメテ』で顕著になった「社会化」
と「連帯」のテーマは、やがて非連帯者を国家へと対峙させた『背徳者』において総決算され、
さらにはホモセクシュアルの社会的統合を意図した『コリドン』や青少年のアソシエーションが
頻繁に登場する『贋金づくり』にまで射程を延ばすものである。そこでは個人の自由か共同体へ
の献身かという二者択一に対するジッドの両義的な態度が垣間見られ、否が応にも連帯主義の視
座との相似性が際立つが、いずれにしても、このような同時代の思潮、特に「ティティルの物語」
に見られるような「社会政策」や「社会経済学」に対するジッドの関心はもっと注目されてよい
はずだし、とりわけ、その視点は今までノンポリティカルと言われてきた1890年代の彼の作品な
いし思想を読み直すうえでの新しい参照点になるだろう。


===
(1) ジッドは、第一次大戦中の日記において、「フランス人は[…]最も公共心と連帯の感情を欠いた国民であり、
あの連帯というものがなければ、共和国は各人に最大限の損害を与えることになる」と述べている(Journal
I 1897-1925, Gallimard, «⦆Bibliothèque de la Pléiade⦆», 1996, p. 1089. 以下、本書を J1と略記する)。他方、
すでにソヴィエト共産主義への共感を表明していた時期に執筆された『連帯』(未定稿)では、国中にはびこ
る利己主義や「隣人に対する無関心」を断罪しつつ、「連帯の感情」を養うための教育を再興すべきだと主張
している(«⦆Solidarité⦆», in Bulletin des Amis dʼAndré Gide, vol. 39, n° 172, 2011, pp. 433-443)。
(2) ジッドは1894年の日記で次のように述べている。「人間!万物のうちで最も複雑な存在。だからこそ最も依
存している存在。[…]多くのものを負う人よ Débiteur de beaucoup、君の長所はそれと同じだけの依存関係
によってでしか購えないのだ。独立することはある種の貧しさであると理解せよ」(J1, p. 191 (Feuillets,
1894))。また、翌年にはキリスト教に特有の贖罪のなかでの「連帯」をやや批判的に考察している(Ibid., p. 198
(Feuillets, 1895))。
(3) Marie-Claude Blais, La solidarité, Histoire dʼune idée, Gallimard, 2007. なお、フランスにおける連帯思想の
歴史と特質に関しては、次の日本語文献を参照した。重田園江、『連帯の哲学 I フランス社会連帯主義』、勁
草書房、2010年;稲井誠、「«⦆ Économie sociale⦆ » を巡って シャルル・ジィドの「社会経済(学)」・「連帯
主義」・「消費者協同組合」」、大阪市大論集、第100号、2001年、pp. 25-52.
(4) Charles Gide / Charles Rist, Histoire des doctrines économiques depuis les physiocrates jusquʼà nos jours, J.
ある共同体における連帯 109
-B. Sirey, 1909, p. 671.
(5) Jean-Michel Wittmann, Gide politique, Essai sur Les Faux-monnayeurs, Classiques Garnier, 2011, p. 49.
(6) Le Prométhée mal enchaîné, in Romans et Récits. Œuvres lyriques et dramatiques, vol. 1, Gallimard, «⦆Bibliothèque de la Pléiade⦆», 2009, p. 476. 以下、本書を RR1と略記する。
(7) Pierre Masson, «⦆Notice⦆» du Prométhée mal enchaîné, in RR1, p. 1350.
(8) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 504.
(9) Ibid., p. 505.
(10) Ibid., p. 504.
(11) «⦆La Solidarité⦆» (1932), in Les œuvres de Charles Gide, vol. 11, Solidarité, LʼHarmattan, 2010, pp. 171-172.
(12) Dictionnaire de la langue française, vol. 2/2, édité par Émile Littré, L. Hachette, 1869, p. 1968.
(13) Philoctète, in RR1, p. 453, pp. 461-462.
(14) «⦆Une préface souhaitée par Gide pour Le Prométhée mal enchaîné⦆», in Bulletin des amis dʼAndré Gide,
vol. 9, no 49, 1981, p. 58.
(15) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 498.
(16) Ibid., p. 499.
(17) Ibid., p. 503.
(18) Blais, La solidarité, pp. 169-175.
(19) Léon Bourgeois, Solidarité, 3e
 éd., augmentée de plusieurs appendices, Armand Colin, 1902 (1896), p. 133,
p. 213 ; Léon Bourgeois / Alfred Croiset, Essai dʼune philosophie de la solidarité, conférences et discussions,
Félix Alcan, 1902, p. 113.
(20) Bourgeois, Solidarité, p. 211⦆; Essai dʼune philosophie de la solidarité, p. 22, p. 105⦆; Célestin Bouglé, Le
solidarisme, V. Giard & E. Brière, coll. des doctrines politiques, vol. IV, 1907, p. 163, p. 166.
(21) Cf. Correspondance avec Paul Valéry (1890-1942), Gallimard, 2009, p. 366⦆; André Gide / Eugène Rouart,
Correspondance (1893-1903), vol. 1, Presses Universitaires de Lyon, 2006, p. 513.
(22) Bourgeois, Solidarité, pp. 203-206⦆; Essai dʼune philosophie de la solidarité, p. 128.
(23) Idem.
(24) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 477.
(25) Voir : Henri Heinemann, «⦆André Gide, maire de la Roque-Baignard⦆», in Balade en Calvados, Edition
Alexandrines, 2004, pp. 39-49.
(26) Lettre de Gide à Valéry (19 mai 1896), citée dans : Claude Martin, La Maturité dʼAndré Gide, De Paludes
à LʼImmoraliste (1895-1902), Klincksieck, «⦆Bibliothèque du XXe
 siècle⦆», 1977, p. 141.
(27) 1898年にジッドはバレスの『デラシネたち』を評しつつ、そこで奨励された「アンラシヌマン=土地に根
づくこと」を弱者の論理とみなし、逆に作者が否定した「デラシヌマン=土地から離れること」を「(個人を)
独自性へ強いて向かわせるもの」として擁護していた(«⦆À propos des Déracinés de M. Barrès⦆», in Essais
Critiques, Gallimard, «⦆Bibliothèque de la Pléiade⦆», 1999, pp. 4-8)。さらに5年後、ジッドは園芸の知識を援
用して「デラシヌマン=根を抜くこと」の効用を説き、依然として土着的ナショナリズムにこだわるバレス
一派に再反駁を加えたのだが(«⦆La Querelle du peuplier⦆», ibid., pp. 121-126)、いずれにしても、引用した
ティティルの「樫の木」はまさしくジッドが批判した「アンラシヌマン=根を抜かずにおくこと」の格好の
メタファーになっている。ちなみに、この「樫の木」は『デラシネたち』に登場する「テーヌ氏のプラタナス」
を想起させ、そこでもまた「アソシエーション」や「社会有機体論」が話題とされていることから、同時代
的な「連帯」のテーマを招来するものである(Maurice Barrès, Les Déracinés, H. Champion, 2004, pp. 151-
155)。
(28) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 503.
110
(29) Bourgeois, Solidarité, p. 48, p. 166, p. 170.
(30) Charles Gide, «⦆LʼÉcole nouvelle⦆» (1890), in Les œuvres de Charles Gide, vol. 4, Coopération et économie
sociale, LʼHarmattan, 2001, p. 170.
(31) Émile Durkheim, De la division du travail social, Presses universitaires de France, 1960 (1893), pp. 24-27,
pp. 98-102.
(32) Blais, La solidarité, p. 206.
(33) Charles Gide, «⦆Lʼidée de solidarité en tant que programme économique⦆» (1893), in Les œuvres de Charles
Gide, vol. 4, p. 182.
(34) Durkheim, De la division du travail social, pp. 402-403.
(35) Correspondance avec sa mère (1889-1895), Gallimard, 1988, p. 264 (4 décembre 1893).
(36) Cf. «⦆Subjectif⦆», in Cahiers André Gide, vol. 1, Gallimard, 1969, p. 73⦆; Jean Delay, La jeunesse dʼAndré
Gide, vol. 1, Gallimard, 1956, p. 105.
(37) Charles Gide, «⦆Charles Fourier, œuvres choisies (Préface)⦆» (1890), in Les œuvres de Charles Gide, vol. 4,
pp. 52-53.
(38) パリ大学付属ジャック・ドゥーセ文庫にシャルルがアンドレに宛てて1891年から1898年に書いた書簡が4
通所蔵されており(Gamma 1176 (1-4))、そのなかで前者は後者の作品の批評や創作に対する助言を述べてい
るだけでなく、自身の経済学者としての立場(「団体だけが、つまり人間一般のドラマ、民衆の魂こそが私に
興味を抱かせる。よって文学的に言えば、私は社会主義者 socialiste である」)も説明している。彼らの書簡
については散在していて公開されていないものがほとんどだが、ニース大学図書館保管の1915年から1931の
日付の未発表書簡の抜粋が次の論文のなかに引用されており、そこでも互いの著作についての言及が多く見
られる。Voir : Françoise Cotton, «⦆André Gide et son oncle Charles Gide dans des lettres inédites⦆», in Bulletin des amis dʼAndré Gide, vol. 22, no 103/104, 1994, pp. 445-450. また両者の関係については次の評伝を参照
のこと。Voir : Marc Pénin, Charles Gide 1847-1932, Lʼesprit critique, Harmattan, 1997, pp. 79-80, pp. 192-
194.
(39) Bourgeois, Solidarité, p. 203.
(40) Charles Gide, «⦆La mise en pratique de la solidarité dans les coopérations⦆» (1906), in Les œuvres de
Charles Gide, vol. 11, pp. 129-130.
(41) Cf. Jean-Thomas Nordmann, Histoire des radicaux, 1820-1973, Éditions de la Table Ronde, 1974, pp. 61-
126⦆; Jean-Marie Mayeur, Les débuts de la IIIème République, 1871-1898, Seuil, coll. «⦆Points⦆», 1973, p. 23,
p. 97⦆; Charles Gide, «⦆La psychologie de lʼimpôt sur le revenu⦆», in Revue dʼéconomie politique, Larose et
Forcel, 1889, pp. 59-65.
(42) Armand Charpentier, Le Parti radical et radical-socialiste, à travers ses congrès (1901-1911), M. Girard et
E. Brière, 1913, p. 203.
(43) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 504
(44) 世紀末のジッドと「共産制」の問題については拙稿を参照のこと。「美の共産制──ジッドの『カンドール
王』における「コミュニズム」の意味」、『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』、第21号、日本フラ
ンス語フランス文学会、pp. 47-60.
(45) «⦆intérêts de la nation⦆» は引用中では「村民の利益」と訳したが、当然ながら、「国家/国民/民族の利益」
という意味も含まれていて、同時代的文脈においては、多分にドレフュス事件を参照させる言葉である。実際、
ティティルが改築した部屋の構造は、当時国論を二分した事件の争点を彷彿とさせるもので、「一方の部屋で
火をおこすと、他方の部屋に煙がたちこめてしまった」というのは、国益をとれば個人の人権が蹂躙され、
正義をとれば国家と民族の威信が傷つけられる、という事件が導くジレンマを暗示しているようにも思える。
アルフレッド・ドレフュスの逮捕は1894年、事件が顕在化するのは1898年だが、ジッドは再審要求のリスト
ある共同体における連帯 111
に署名するなど当初から事件にコミットしていた。特に『フィロクテート』から『背徳者』に至る作品には
事件の反響が認められ、『鎖を解かれかけたプロメテ』もまたその例外ではない。Voir⦆ : Masson, «⦆ Le Prométhée mal enchaîné, ou du détournement dʼun mythe à des fins personnelles⦆», in Bulletin des amis dʼ
André Gide, vol. 9, no 49, 1981, pp. 6-14.
(46) Bouglé, Le solidarisme, pp. 60-61.
(47) Voir⦆: «⦆Notice⦆» du Prométhée mal enchaîné, op. cit., pp. 1349-1352⦆; Wittmann, Symboliste et déserteur,
les œuvres fin de siècle dʼAndré Gide, H. Champion, 1997, pp. 323-360.
(48) Le Prométhée mal enchaîné, op. cit., p. 506.
(49) Denis Pernot, Le roman de socialisation, Presses Universitaires de France, 1998, pp. 19-25, p. 35, pp. 125


===


===


===

No comments: