「この女性たちのことを歴史に書いておかずにいられるか」歴史学者・平井和子が語る、歴史に埋もれた占領下の女性たち平井和子

BY: takahashikazuna / 2025/05/18
FEATURES, 平井和子
第二次世界大戦で日本が敗戦後、約7年間に渡りアメリカの占領を受けていた、ということをご存知だろうか。日本政府は、米兵の性暴力から良家の子女を守るために、米兵専用の慰安所を設置する。慰安所に集められた女性は「お国のため」に厳しい労働環境に晒された。占領下の日本は、ほぼすべての出版物、レコード、ラジオ、手紙、電話までもがGHQの検閲を受け、十分な客観的資料が残っていない。だが、米兵専用の慰安所が日本政府主導で作られたこと、そして自殺者が出るほど厳しい性労働に晒された女性たちがいたことは事実である。
歴史学者・平井和子は、「お国のため」に差し出された女性たちの声を拾い上げようと慰安所のあった地域で聞き取り調査を重ね、これまでに5冊の本を出版。山川菊栄賞や青山なを賞を受賞するなど、これまでほとんど光が当たることがなかった占領期の性にようやく光が当たろうとしている。
戦後80年を迎え、占領期のことを知る人も歴史の舞台から去ろうとしているいま、なにを思うのか。どうしても話を聞きたいと思い静岡まで伺った。
文・インタビュー/高橋数菜
――本日は貴重なお時間ありがとうございます。僕が『パンパン』の方々の存在を知ったのが去年なんですね。ネットサーフィンをしていて、アメリカ兵と若い日本人女性が一緒に写っている写真があって。それに対して誰かが「こういう女性は『パンパン』っていうんだよ」みたいなコメントをしていて。『パンパン』ってすごい名前だなと思って。絶対に正式名称じゃないだろうと思って調べたんですけど、蔑称でもありほぼ正式名称で。
「差別用語なんですけど、もう歴史用語ですよね」
――だからすごい名前だなと思って。『パンパン』について書いてある本ないかなと思って行き着いたのが『占領と性: 政策・実態・表象』(インパクト出版会、2007年)だったんですね。この本を読んで非常に打ちのめされたといいますか。僕、 1986 年の生まれなんですけど、僕がいた小学校中学校では従軍慰安婦なんかなかったっていう教育を受けたんですね。
「はいはいはい」
――だから従軍慰安婦はいたんだっていう驚きと、終戦記念日は 8 月 15 日であると疑いようもなく思っていましたし、アメリカは日本を占領していたっていう意識もまったくなかったですし、日本のことをまったく知らないなあと思ったんですね。この本のまえがきやあとがきに「本書はまだ研究の途中である」と書かれていて、その後この研究がどうなったのかなって思って調べたんですけれども、ホームページの更新も止まっていたり、執筆された方の何名かは亡くなられていたりして、この研究がその後どうなったのかなっていうのをまずお聞きしたいなと。
「ありがとうございます。私もいま、話を聞いてびっくりしました。先生が教育の場で『従軍慰安婦はウソだ』ということをお話されたと。学校は公立?」
――公立です。
「でもそういう空気の時代もありましたよね。この『占領と性』をまとめた恵泉女学園大学平和文化研究所は代表者が荒井英子さんだったんですが、いちばん先に亡くなっちゃったんですよ。その後もずっと研究を続けていく予定だったんですけども、中心人物の荒井さんが亡くなったので、空中分解というか、そのあと続けて奥田暁子さん、加納実紀代さんが亡くなられたので、私だけが続けることになってしまいましたね」
――いつ頃に空中分解になったんですか?
「この本を出したあとすぐです。本を出したのち発病され、3年ほど療養されたのですが、残念ながら亡くなられて……」
――この本はどういった経緯でできたんでしょう?
「私は途中から参加したので、経緯はよく知らないんですけども、2000 年ぐらいから恵泉女学園大学でキリスト教界の人たちの戦争責任みたいなものに向き合っていこうみたいな話になったらしいんですよ。そのなかで占領期の慰安所に対してキリスト教界がどういう態度を取ったのかを知りたいね、っていう話になった。それで私は占領期のことを修士論文で書いていたので、加納さんに占領期の専門家にきてほしい、って言われて入っていったという感じですね」
――朝日新聞のインタビューで拝見したんですけど、結婚を機に静岡に引っ越されて教師のお仕事をお辞めになられたと書かれていて。
「はい、最初は東京に就職してたんですけど、夫が静岡の教員になったので、しかたなく辞めて伊豆に来たんですね。大学生の時の専攻は地理学だったので歴史をやるなんて思っていなかったんですよ」
――そこで「男性は仕事、女性は家庭」という固定観念に興味を持たれたと。
「そういう役割分担がいつできたのかなっていうか、自分自身への問いですよ。なんで私のほうが結婚の時に仕事を辞めるのかな、なんで私のほうは名前を変えなきゃいけないんだろうって。当時はそれに誰も答えてくれなかったんですね。女性学もでき始めた頃だったので、じゃあ自分で歴史に聞いてみようって」
――そこで静岡の人に調査をされて、『パンパン』の人たちのことも初めて知るんですか?
「いえ、その頃は占領期のことはまだ聞けなくて。静岡大学の修士課程に入った時に御殿場を調べて、御殿場にはたくさん『パンパン』が集まっていて、『パンパン』の名簿とかもあったんですね。それが 1997 年ぐらいですね」
――そこで衝撃を受けてこちらの道に進まれたと。
「うん。そうですね」
――教師は何歳くらいまで続けられたんですか?
「修士課程に入ったのが 1997年なのでその時に辞めたのかな。最初、東京で一般企業に勤めてたので。東京で教員の採用がなかったんですね。なので静岡にきて教員採用試験を受け直して教師になるっていう感じです」
――一般企業ではどういったお仕事をされていたんですか?
「地理学科の卒業だったので、地質検査の会社に入ってました。そこで3 年働いて、結婚で西伊豆にきて、そこで自分のモヤモヤを解決するために地元のおばあさんたちのライフヒストリーを聞いたり、女性史の本を読み漁ったり……みたいな感じですね」
――結婚の前まではそういったモヤモヤってなかったんですか?
「大学までは男女平等だったんでなかったですね。社会に出て初めて。だからお茶汲みがあることにびっくりして。お茶汲み拒否っていうのをやりましたね。で、組合の中に女性部を作りました」
――すごいですね。
「だから、もといた会社では伝説になってるらしいんですけど、こんな跳ねっ返りがいたとか(笑)。雇用機会均等法ができる前ですので、女性は夜 8 時以降は働いてはいけないっていう『母性保護規定』があったんです。なんですけども、忙しいから 夜10 時ぐらいまで働くんですよね。そうすると『おい、お前ここからは女じゃないからな』とか言われて毎夜働かされて。お風呂に行けないじゃないですか。当時、銭湯は夜 11 時ぐらいまでで。家に帰ったらもう銭湯が閉まってるの。それが悲しくて、会社のボックスにお風呂セット置いて、裏の銭湯に行ってきま~すとか言って、帰ってきて仕事してましたね」
――その後、教師になられるんですよね?
「そうですね、東京でも教員にすごくなりたかったです。だから採用がなくても毎年採用試験を受け続けてました。採用されなかった理由は女性だったからって自分では思ってます。社会科の女性教員はいらないっていう。静岡県にきても、社会科の女性教員は私だけでしたね。国語とか音楽は女性教員が多いんですけど、教科によってジェンダーの偏りがあって。うちの夫は同じ大学出身だったんですけども、社会科の教員の採用があるわけですよね。だからすごいジェンダーギャップを感じました」
――募集自体は男女を問わずだけど、受かるのは男性だけみたいな。
「そうですね。入口では男女平等をうたっているけど、採用や雇用の仕方ではジェンダーで振り分けている……」
――『占領と性』の筆を取らせたのは、性だったり、この本に書かれているように「良い占領なんて存在しない」という意思だったりなんでしょうか。
「私と加納さんはすごく議論しましたね。私は……この占領は、良い占領ではなかったっていうことを、女性の体験から捉え直したいという思いはあったんですが、加納さんたちは戦後の女性解放や民主主義、女性参政権獲得などあるので、占領体験は男性にとっては屈辱、女性には解放だったと捉えていました」
――そうだったんですね。この本は良い占領はなかった一色なのかなっていう印象を受けたんですけど。
「だからいつもみんなで議論しながら書いた本だなって思っています。毎回みんなでホットな議論をしていましたね」
――あと書きにはみんなで合宿に行ったと書かれていて、和気あいあいとしていたのかなと思ってたんですけど。
「合宿3回は、とても楽しかったけれども、常に喧々諤々やっていましたね。その厳しさのなかで、本書が生まれたし、一方、残念ですが途中で抜けたメンバーが何人かいらっしゃいます。」
――なるほど。僕はこの本を読んですごく衝撃を受けたんですけど、2014年の『日本占領とジェンダー : 米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎)を読んで研究が進んでるって思ったんですね。さらに2023年の『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店)を読んで、さらに研究が進んでいる、と感銘を受けまして。どうやって研究を深めていったのかなっていうのをお伺いしたくて。『占領下の女性たち』に公文書館で RAA開設の指令が残っていたって書かれてたんですね。実際に僕も検索してその文章を読んだんですけど、当たり前なんですがすべて手書きで、読むのすら大変で。しかもあの文書ってタイトルに慰安婦とか入っていないので、だからまず見つけるのが大変だなって思ったんです。
「大学院に行って、先生から資料の見つけかたを鍛えてもらったんだなと思います。敗戦直後に出されている内務省からの国民への注意とか、各都道府県に出された指令とかを丁寧に読めば、『一般女性』は保護しなければいけないとか、『性の防波堤』=『慰安所』のようなものを作れみたいなものがあるはずだからって。嗅覚を鍛えられたっていうか。恩師の吉田裕先生や荒川章二先生からは『歴史家は文書を探さなければ』って教わりました」
――僕が衝撃を受けたのが昔の公文書って手書きじゃないですか。あれをひとつひとつ解読していくわけですよね。
「慣れますよ(笑)。読んでれば慣れますし、関係するところがボわっと浮き上がって見えてくる。『慰安』という文字とかね」
――でもたぶん、平井さんの前にそれに気づかれた方がいないからこそ発見に繋がったんですよね。
「はい。御殿場の『風紀問題』(「パンパン」たちに対する住民調査など)に関する貴重な資料は、静岡県史編纂室で見つけたのですが、その前に他の先生の『閲覧しました』という付箋が付いていたのですが、スルーされていました。研究者によって何が重要か、その人の視点が問われると思います。その資料のもっと詳しいものが、現地・御殿場市に残されていて、そこで『パンパン』たちの『身上調査一覧』を見つけたときは、震えました。しかし、内務省の『進駐軍に関する注意』の文書は、先に国会議員の吉川春子さんがそれを使って国会で質問されたりするんですね。公文書館を見たりとか、GHQ 文書見たりとか。いろんな人たちの先行研究があって、その上に私の研究もあるなと思います」
――この本で蘭信三さんが、「孤独と不安に苛まれながら研究をされていた」とあるんですが、みなさんそういう心を抱えながら研究をされているんでしょうか。
「ほとんどみんなそうだと思います。いまも、若手の研究者の卵(院生)たちは、みんな孤独で、果たして自分の研究テーマはこれでいいのだろうか、と悩みながらやっていると思います。私自身もこういう研究をやる人は少なかったので、特に男性の偉い研究者からは『なんで性のことなんかをやるんだ』って。それはすごく差末なことであって、経済とか政治とか、そういう大文字の歴史が社会を動かしてきたと。占領期の御殿場の歴史に触れることに対して、なんでそんな地域の恥のようなことをほじくるのかみたいなことを言われました。だから修士論文にも自信がなかったです。メインストリームの女性研究者からも『私は性のことはやらない』って面と向かって言われましたので、孤独でしたね」
――ああ、そうなんですか……。
「関西で茶園敏美さんが『パンパン』のことをやってるっていうのが心の支えで。向こうも関東で平井さんが『パンパン』のことをやってるからっていう風に自分を励ましてたっておっしゃってました」
――平井さんが性に対して聞き取りをされる時に、なかなか語りたがらない方もいらっしゃると思うんですね。
「そうですね。性に関しては二面ありますよね。出産などのリプロダクティブなことは女性が行くと積極的に語ってくださるけれども、性暴力被害に関しては語りに抑圧がかかる。私は駆け出しのころ、伊豆にきて、片っ端からおばあさんたちに話を聞いてたんですよ。そうすると民俗学をやっている男の人たちが、どうして平井さんが行くと僕たちが聞いてこなかったような出産や生理とかを聞けるんだろうって言うんですよ。それは女性が女性に語りやすいからっていうジェンダーがあるとは思うんですよ。でも性暴力みたいなことに関しては、岐阜の黒川開拓団の佐藤ハルエさんが『性接待』について最初に語ったのは猪股祐介さんっていう、当時まだ院生だった男性です。だからジェンダーに関わりなく、一生懸命その人の証言を聞いてくれる人があれば、語りたかったんだと思うんですよね。性って人権のいちばん大切なところだと思っていて。それを男性本位のポルノグラフィーっぽく表してきたこと、消費していくことに対しては抵抗感があるんですよ。一方で、女性史・ジェンダー史をやるものは性的な快楽とか性的なエロスとかもタブー視しないで聞いていかなきゃいけないって思っています。その辺の線引きのところはすごく危ういところなのかもしれないんですよね。『赤線』の人に話を聞きに行くときにはすっごく気を使いました。手紙で申し込むのがいいのか、電話がいいのか、それとも誰か住んでる人のツテを頼って聞くのがいいのか、飛び込みで行く方がいいのか……電話をするだけでも 3 日ぐらい悩みましたね。何時頃に電話をすればとか。Hさんっていう方に行き当たったんですけども、ちょうど 2 時ぐらいに電話をしたら『いま、うちに誰もいないからすぐ来て』っておっしゃった。家族がいないときだったら、語れる。息子さんがいらっしゃらなかったりとか。相手にとっていちばん話しやすい時間とか場所っていうのはどこか、いつもいつもすっごく悩みますね。性売買に関してはタブーはまだまだ多いですね。熱海はいつも明るくて、すごく元気づけられるんですけども、あっけらかんと語れることでもないんですよね。Hさんも最初のうちは『自分のうちはボットル屋だった』っておっしゃってたんですけども、話をよくよく聞いていくとパンパン屋だったことがわかるとか。それから吉原の遊郭で働いてた人が熱海でお店を持たれていて。彼女にパンパン屋の経営者だったっていうことで話は聞いてもいいけども、ご自身が吉原で働いていたことは聞いちゃだめよって」
――……すごいですね。
「はい。この本も、校了して、岩波書店さんから『明日印刷に入ります』って電話をいただいた時に、私の手の届かないとこに行っちゃうと思って、3 週間ぐらい体が悪くなりました」
――もう引き返せないところまできてしまった、みたいな。
「はい。おひとりおひとりには原稿を見せて、書いてもいいですよって承諾書に署名もいただいてるんですけども、だけども気がつかないところで、傷つけたりする人があるんじゃないかとか思って怖かったですね」
――今年、戦後 80 年じゃないですか。ご存命のパンパンの方がいらっしゃる最後の時代だと思うんですよね。
「この本の第5章に出てくる朝霞の『パンパン屋』で育った『金ちゃん』が70年の時を経て偶然出会った元『パンパン』だった『あぐりさん』をゆくゆくは私に会わせてくれようと思ってたらしいんですけど、急に姿を消しちゃったんですよね。だからなんか感づいて、話すの嫌だなと思われたのかもしれない」
――この本では『あぐりさん』はコロナで亡くなられたと。
「そういう噂も金ちゃんは聞いてるらしいんですけど、途中から金ちゃんがメモを始めたんです。紙芝居にしようと思って。だから何かしら気が付かれたのかな、と思ったって」
――僕が想像してたよりも繊細なバランスの上に成り立ってる本なんだなって思いました。
「そうですね。私もほんと、軽く思ってた部分があるんですよね。私もおおらかでおっちょこちょいなもんですから。だけど、本を書く時に熱海の人から承諾書をいただいた時に、私の名前は間違いやすいから間違えないように書いてね、っておっしゃった方が、印刷所に入ったあとで電話を寄越されて。この SNS 時代に名前が広がると怖いからやめてって言われて。で、すぐ岩波さんに電話したらまだ間に合って。間一髪で匿名にしました」
――平井さんは 1955 年の生まれですけども、その当時って戦争の爪痕とか『パンパン』の方々がいらっしゃった空気とかはどのくらいあったんでしょう。
「『パンパン』って聞いたことなかったです。生まれは広島ですので、原爆の語りはたくさん聞いて育ちましたけど、米兵相手の性売買女性がいたっていうのは一言も聞かずに育ちましたね」
――平井さんのご両親は戦争を体験された世代だと思うんですけれども、家庭で戦争のことが話題になることってあったんでしょうか。
「父は広島の爆心地に住んでたんですけど、8月のちょっと前に招集されて東京にきてたんです。母は田舎の生まれですので、原爆被害の話は聞きましたけど、戦争自体はぜんぜん聞いてないんですよね」
――僕、 86 年の生まれですけど昔、道端に手とか足とかがない軍人さんがお金くださいってやっている光景をよく見た記憶があって。でもいつの間にか見なくなったなっていう感覚があって。戦争特番なんかも僕が子供の時は年中やってた気がするんですけど、いまだと終戦記念日くらいしかやらないようになっちゃったなって思っていて。いまの子たちにとって戦争ってより遠いものになってるんじゃないかなっていう感覚があるんですね。平井さんもいろんな生徒さんを教えてきてそういう感覚ってありますか?
「86年生まれの高橋さんの世代でも、まだ、道端に傷痍軍人さんが居られたとは、驚きました。夏に戦争物を放送するというのは、8月ジャーナリズムですよね。授業とかで、アジア・太平洋戦争や、軍『慰安婦』のことをやると『おじいちゃんやひいおじいちゃんに聞いておけばよかった』って生徒は必ず言いますね。中国戦線におじいちゃんが行ってたから『慰安所のことも聞いてみればよかった』とよく言いますね。ただ、アジア・太平洋戦争も彼らの世代には、もう歴史になってますよね。西南戦争とか、日清・日露戦争、満洲事変、太平洋戦争と暗記する、みたいな」
――それは教えていて寂しい気持ちを覚えたりしますか?
「戦後80 年経ってますからね。身近な人から聞くっていう貴重な体験はできないけども、その分、客観的に見れるようにもなるんじゃないかな。身近な人の体験談は、どうしても偏っちゃうじゃないですか。私は広島で育ったから、周囲の体験談は被害者意識ばっかりなんですよ。だけども、なぜ広島に原爆が落とされたのかっていうことを大学生ぐらいになって考えると、広島が近代以降軍都で発展してきて、日清戦争の時は大本営も置かれ、そしてアジア侵略に対して兵士を宇品港から送り出した場で。どうして被爆者に朝鮮の人やアジアの留学生が多かったのかとか、強制的に労働者として動員してきた人たちもいたって思うと、やっぱり近現代の日本帝国のありかたとかが広島を通じて浮き上がってくる。原爆を落とされるときには、軍都だったとこが狙われたんだな、だからその街の人たちの生き方とか盛業のあり方によって戦争の被害者になったりするんだなって、歴史が因果関係と繋がって見えてくる。被害者意識だけだとね、視野が狭くなりますよね。犠牲者主義ナショナリズムは、国家間の紛争の元になりやすい。まさに、現代のイスラエルがそうですよね」
――僕、岐阜の出身なんですけど、各務原にも『慰安所』があったってこの本で初めて知って。なんで各務原なんだろうって思ったら、あそこに自衛隊の基地があるんですよね。だから元々米軍基地があったんだろうなって。いまの各務原に米軍基地や『慰安所』のニオイがまったくないんですよ。だからめちゃくちゃ意外で。
「各務原は跡形がない感じですよね。福生とかだと残ってるんですけどね。地域によって違いますね。キャンプ・ドレイクがあった朝霞もみんなびっくりするんですよ。あんなに『パンパン』の人たち集まってたんですか、近くに住んでたのにぜんぜん知りませんでしたって。各務原と同じく朝霞も現在自衛隊の駐屯地になっています」
――いまでも『パンパン』の方がいらっしゃってそうな地域とかってあるんでしょうか。
「金ちゃんも大泉学園まで足を伸ばしたとか言ってますけど、きっとね、熱海だってね……私は熱海の住民にならないと本当のことは聞けないなと思いました。熱海のなかで暮らして、今日は暑いですね、とかおはようございます、とか言ってるうちにわかってくるんじゃないかって。『赤線』を取り締まっていた警察の人にも言われたのですが、『むかしパンパンをしていた人を今でも町で見るけど、あんたには言えないな』っておっしゃったから。出会えないんですよね。いや、もう出会ってるのかもしれないんですけども、本人は明かしてないかもしれないし」
――この元警察の方に代わりに聞き取りをお願いするのはダメなんですかね。
「もう亡くなってますね。この方にインタビューしてた時は 2004 年だったので。あと『占領と性』を書くときに間に合わなかったのが保健婦さんなんですよ。『コンタクトトレーシング』っていう、性病に罹った米兵が出たとしたら、その米兵の性病の感染源を日本側の女性だと決めつけて、米側は『接触者調査』というのを保健所に義務付けるのです。それで保健婦さんが、米兵の証言を頼りに女の人たちを訪ねていったら、『パンパン』たちがシングルマザーだったとか、重度の性病だったということを手記に書いてらっしゃるんですけど、その方々がちょうど亡くなってしまって、直接聞きたかったのに間に合わなかったなって」
――時間との戦いじゃないですけど。
「そうですね。熱海は大火で資料が焼けているので文書が残ってないから。人づてでやっていくしかなかったですね」
――平井さんが占領期のことを書くいちばんの衝動って「良い占領なんてなかった」ということを伝えるためですか。それとも歴史に埋もれた女性たちの声を浮かび上がらせるためですか。
「両方ありますけども、男性リーダーたちによって、守るべき良家の子女と、差し出してもいい女性とで女性が二分化されるじゃないですか。内務省警保局の秘密文書も営業に充てる女性は芸娼妓者っていっているでしょ。女性が家父長制によって二分化されてたまるか、みたいな。女性たちで連帯したい、という気持ちが強くあって。その、家父長制意識を女性も内面化させて、二分化されたほうの良家の子女は芸娼妓者たちを差別するんですよ。もうたまらないですよね。とくに満州の引き上げの時に、ソ連兵に女を出すように強要されて、『一般の女性』や母親が連れ去られようとするのを見かねて、性売買の女性たちが『私が行きます』っていうじゃないですか。それもたまらないですよね。その人たちのことを歴史に書いておかずにはいられない、って。それがありますね。あの人たちのことを絶対に歴史に刻むのが私の仕事だって。『占領下の女性たち』の2章を書いたときは……あの、私、性暴力被害なんかも淡々と書くタイプなんです。でも2章を書き終えた時はこみ上げてくるものがありましたね。満州のね、『一般女性』を見かねて、私が行くべきだみたいなことを性売買女性は思うわけですよ。『一般女性』は助けられたって思って、彼女たちをのことを拝んでいる。忘れないでいるんですけど、男性たちは不都合な歴史なので忘れてしまいたいとか。なので、どこにも彼女たちの声が残らない。だから、それはいけないなっていうのがありますね」
――『占領下の女性たち』の冒頭でも書かれた、コロナ禍で性風俗の人には給付金が出されないっていう決定に対しても平井さんにとっては。
「労働者から外すなよ、みたいな思いがあります。ずっと近代史のなかで労働者たちが連帯をする時に、性売買女性や芸娼妓の人たちを外してきたんですよね。ところが戦時になると、その人たちが国防婦人会に入れてもらったらすごい喜ぶんです。一般女性と同じように、私たちもお国のためにできることがあるって。差別を受け、疎外されてきた存在ゆえに、喜んで国策に協力させられていくメカニズム。性差別を受けた人たちだから、余計に国に協力することによって一般の人たちと同じになりたいみたいな、心理が働く。そういう差別構造をなくしていきたいっていうのがありますね」
――日本が占領されてRAAが作られたことに対してすごく怒っていますよね。
「RAAを作った人はね、あれのおかげであの性暴力減ったんだって言いますけど、私は逆に増えたと思っています。戦争に勝利したら敗戦国の女性を安く買えるんだ、自由にしていいんだっていうことを教えているみたいな気がして」
――近代の戦争で敗北した国が占領を受けなかったケースってあるんでしょうか。
「みんな占領されてますよね。軍事占領自体が、暴力性を伴いますよね。占領のあり方っていうものも、国際的にルールができないといけない。国連も戦勝国側が常任理事国ですので。第二次世界大戦後にそういうことが作れなかったっていうのは、私たちの民主主義の弱さですかね」
――平井さんがRA Aに反対とは承知なんですけど、でも日本が占領を受け入れた時点でバッドエンド確定だったんじゃないかなって思っていて。
「日本にペリーがきた時から唐人お吉を差し出すじゃないですか。そうやって性接待ばっかりするのをずっと伝統的に繰り返してる国だから……ポツダム宣言受諾の時に、占領においては絶対に暴力的行為、特に女性への性暴力は厳しく禁じてほしい、と確認してほしかったと思います。それどころか先回りしてね、『おもてなし』を準備しているっていうのは情けないな、って」
――近年、開拓団のサバイバー女性が声をあげたりとかっていうのは、社会が変わっていっている証しなんでしょうか?
「亡くなる前に語らずにはいられないっていう思いもあったでしょうし、韓国の慰安婦女性たちが発言し始めて、あの人たちがあんなことを言うんだったら私たちだって同じ体験だよね、っていう認識を、聞き取りに訪れた猪又さんにおっしゃったらしいんですけども、そのような韓国のサバイバーの名乗り出も背中を押したようです。性暴力を受けた人が恥ずかしいんじゃなくて、それは大きな大きな構造的な犯罪だったっていうのが共有されるようになりつつある。やっぱり時代が変わってきつつあるんでしょうね」
――お話を伺ってると、僕が教えられてきた教師の異常さというか、そういうのを改めて感じますね。当時はインターネットもないから正解にたどり着かないですし。
「90年代の慰安婦問題の時は国内外ですごい論争になりましたもんね。金学順さんの名乗り出以降、『慰安婦』否定派の人たちから、あの人たちは売春婦だって言われて、言われた方は公娼じゃないって、水掛け論みたいになってすごい不毛な、不幸な論争だったなと思いますね」
――平井さんの著書はさまざまな賞を受賞されていますけど、こういった賞は孤独な作業に対する、孤独を跳ね返すような要素になったりするんでしょうか。
「認められたと思いました。嬉しかったですね。選んでくださった先生がなんで選ばれたかっていうの言ってくださって。資料をよくぞ集めました、とか、視点のバランスがいいと評してくださいました。こういう面もあるし、こういう風にも見えるし、っていう。ひとつに決めつけないで、でも筋は構造的な性暴力っていうものはしっかり立てて、ブレない。で、“親密な交際”もあるっていう性暴力にグラデーションがあることも見逃していない、と言われました。この分野は研究者が少なかったので、孤独に苛まれつつ、自分はこんなんでいいのかな、みたいなことを思ってずっとやってきましたけど、いまは院生たちのなかに占領や性をやる学生が増えてきたんです。すごい嬉しい」
――こういった本に対して担当編集さんはどういったサポートをするのでしょうか。
「今回の岩波書店のおふたりの担当は知り合いだったので、自分で原稿を持ち込みました。それを受け取ってすごい悩まれたんですよ。この問題って地雷を踏むようなテーマが 3 つぐらいあって。『慰安婦』も『セックス・ワーク』も『満洲』も入っているので。下手にいい加減なことを書くと、どこからどんな批判の矢が飛んでくるか分からない。平井美帆さんっていう方ご存知ですか?」
――はい。
「平井美帆さんの『ソ連兵へ差し出された娘たち ―証言・満州黒川開拓団』の本は賞を取ったんですけども、実は倫理違反もありました。本人に許可なく実名を出していたので、ものすごい問題になって。遺族会の人たちが、もう語り部をやりたくない、とかおっしゃるぐらいダメージが強かったんですよ。開拓団のことは私の本にも入っているし。だから岩波さんは編集会議を通すまで1年近くかけて熟慮されたようです。それと岩波の鬼の校正、はじめて体験しましたね。すごいとは聞いてはいましたけど」
――岩波で企画が通らない間に、ほかの出版社へ持っていこうとは思わなかったですか?
「なかったですね。それでも早く出して欲しいなとは思いました。その間、ほかの出版社から2 冊ぐらいRAAに関する新書が出て、男性の方が何の痛みもなく書かれている気がして……焦る気持ちはありました」
――出版社側の人間からすると本当に出しづらいテーマの本ですよね。なので、本当に世に出てよかったなってすごい思います。最後に下世話な質問かもしれないですけど、『パンパン』の方に会えたらなにを聞きたいですか?
「つらかったのか、どういう思いでパンパン家業をしていたのか聞きたい。あぐりさんは夜の星を数えて我慢してたっておっしゃってますよね。あぐりさんの言葉しか聞いてないんで、本当はどうだったのか」
――でもたぶん人の数だけ答えがあるでしょうね。これも僕の話になっちゃうんですけど、風俗をされている女性に話を聞く機会があるんですね。彼氏から「風俗嬢をやめて」って言われるほうが嬉しい人もいるし、「風俗を続けて欲しい」って言われるほうが嬉しい人もいるんですよ。だから風俗嬢を好きでやってる人もいれば、やめたがっている人もいるんだなっていうのを聞いていて。だからたぶん、あぐりさんみたいな人もいれば、楽しいっていう人もつらいっていう人もいるんだろうなって。
「でも、それは彼氏に依存している、あるいは搾取されている、ということで決定権を彼氏に委ねてるということでは根っ子では同じでしょ。『パンパン』も『かわいそう言説』、『犠牲者言説』に回収されない人がいるんですよ。静岡新聞に載っていた1950年代の『夜の女』へのインタビューなんですが、『こんな女に誰がした』っていう歌が当時、流行っていたんです。でもそれは嘘だ、私はこの仕事を真剣にやっているって。その言葉もね、肯定的に受け止めたいと思うんです。だから犠牲者にも回収されないしっていうエージェンシーが感じられるような言葉を発揮してる人にも会いたい。いま学会では、セックスワーク論と、性売買は性暴力だっていう人たちとに別れて深い対立があって、それは悲しいことだからそこに橋をかけるような実態的な歴史学をやりたいと思いますね」
information
平井和子
1955年広島市生まれ。
一橋大学ジェンダー社会科学研究センター客員研究員
専門は、近現代日本女性史・ジェンダー史(社会学博士)
静岡県東部の中学校・高校の社会科教師を経て、静岡大学、大妻女子大学などで非常勤講師。一橋大学ジュニアフェローを経て、現職。
主著・共著書
恵泉女学園大学平和文化研究所『占領と性 政策・実態・表象』インパクト出版会、2007
『日本占領とジェンダー 米軍・売買春と日本女性たち』(山川菊栄賞受賞)有志舎、2014
上野千鶴子・蘭信三・平井和子『戦争と性暴力の比較史へ向けて』岩波書店、2018
『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・”親密な交際“』(女性史 青山なを賞受賞)岩波書店、2023 など。
『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・”親密な交際“』にも
「金ちゃん」の紙芝居上演会:1950年代、米軍基地・朝霞の街の「ハニーさん」たち
「パンパン」たちに部屋を貸す「貸席屋」で育った、「金ちゃん」(田中利夫さん、1941年生まれ)が、日記と抜群の記憶力をもとに描いた「紙芝居」の上演会が2025年6月7日に上智大学四ツ谷キャンパスで行われます!
2025年6月7日
東京都千代田区紀尾井町7−1
上智大学四ツ谷キャンパス 6号館3階305教室
参加無料 後日動画配信あり
https://kamishibai-kinchan0607.peatix.com/
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히라이 카즈코
BY: takahashikazuna / 2025/05/18
FEATURES , 히라이 카즈코
제2차 세계대전에서 일본이 패전 후 약 7년간에 걸쳐 미국의 점령을 받고 있었다는 것을 알고 있을까. 일본 정부는 미병의 성폭력으로부터 양가의 자녀를 지키기 위해 미병 전용 위안소를 설치한다. 위안소에 모인 여성은 '나라 때문에'에 어려운 노동환경에 노출됐다. 점령하의 일본은 거의 모든 출판물, 레코드, 라디오, 편지, 전화까지도 GHQ의 검열을 받아 충분한 객관적 자료가 남아 있지 않다. 하지만 미병 전용 위안소가 일본 정부 주도로 만들어진 것, 그리고 자살자가 나올 정도로 엄격한 성노동에 노출된 여성들이 있었던 것은 사실이다.
역사학자 히라이 카즈코는 '나라를 위해'에 내놓은 여성들의 목소리를 들려고 위안소가 있던 지역에서 듣고 조사를 거듭해 지금까지 5권의 책을 출판. 야마가와 키쿠에이상이나 아오야마나를 상을 수상하는 등, 지금까지 거의 빛이 닿지 않았던 점령기의 성에 드디어 빛이 맞추려고 하고 있다.
전후 80년을 맞아, 점령기를 아는 사람도 역사의 무대에서 떠나려고 하고 있는 지금, 무엇을 생각하는 것인가. 아무래도 이야기를 듣고 싶어 시즈오카까지 들었다.
글·인터뷰/타카하시 수나
――오늘은 귀중한 시간 감사합니다. 내가 『빵빵』 분들의 존재를 알게 된 것이 작년이군요. 넷 서핑을 하고 있고, 미국병과 젊은 일본인 여성이 함께 찍혀 있는 사진이 있어. 그에 대해 누군가가 「이런 여성은 『빵빵』이라고 하는 거야」같은 코멘트를 하고 있어. 『빵빵』은 대단한 이름이라고 생각해. 절대로 정식 명칭이 아닐까 생각해 조사했는데, 칭칭이기도 하고 거의 정식 명칭으로.
「차별 용어입니다만, 이미 역사 용어군요」
――그러니까 대단한 이름이라고 생각해. 『빵빵』에 대해 써 있는 책 없을까라고 생각해 다녀온 것이 『점령과 성: 정책·실태·표상』(임팩트 출판회, 2007년)이었지요. 이 책을 읽고 굉장히 칭찬받았다고 합니까? 나, 1986년의 태생입니다만, 제가 있던 초등학교 중학교에서는 종군 위안부 따위 없었다고 하는 교육을 받았습니다.
"예 예 예"
――그러니까 종군 위안부는 있었다고 하는 놀라움과, 종전 기념일은 8월 15일이라고 의심할 것 없이 생각하고 있었고, 미국은 일본을 점령하고 있었다고 하는 의식도 전혀 없었고, 일본을 전혀 모르겠다고 생각했군요. 이 책의 머리말이나 뒤에 「본서는 아직 연구의 도중이다」라고 쓰여져 있고, 그 후 이 연구가 어떻게 된 것일까 하고 생각해 조사했습니다만, 홈페이지의 갱신도 멈추고 있거나, 집필된 쪽의 몇명인가는 죽어지고 있거나 하고, 이 연구가 그 후 어떻게 된 것일까라고.
"감사합니다. 저도 지금 이야기를 듣고 깜짝 놀랐습니다. 선생님이 교육의 장소에서 '종군 위안부는 거짓말이다'라는 것을 말씀하셨다고. 학교는 공립?"
――공립입니다.
「하지만 그런 공기의 시대도 있었습니다. 계속해 나갈 예정이었습니다만, 중심 인물의 아라이 씨가 죽었으므로, 공중 분해라고 할까, 그 후 계속해서 오쿠다 아츠코 씨, 카노 미키요 씨가 죽어졌으므로, 나만이 계속하게 되어 버렸네요」
――언제쯤에 공중분해가 되었습니까?
「이 책을 낸 직후입니다. 책을 낸 후 발병되어 3년 정도 요양되었습니다만, 불행히도 죽어서…
――이 책은 어떤 경위로 생겼을까요?
「나는 도중부터 참가했으므로, 경위는 잘 모르겠지만, 2000 년 정도부터 혜천여학원대학에서 그리스도교계 사람들의 전쟁책임같은 것에 마주보고 가는 것 같은 이야기가 된 것 같습니다. 도를 취했는지 알고 싶네, 라고 하는 이야기가 되었다. 그래서 저는 점령기를 석사 논문으로 쓰고 있었으므로, 카노 씨에게 점령기의 전문가에 와 주었으면 한다고 해서 들어갔다고 하는 느낌이군요」
――아사히신문의 인터뷰에서 배견했습니다만, 결혼을 계기로 시즈오카에 이사되어 교사의 일을 그만두게 되었다고 쓰여져 있어.
「네, 처음에는 도쿄에 취직했는데 남편이 시즈오카의 교원이 되었기 때문에 어쩔 수 없이 그만두고 이즈에 왔습니다.
――거기서 「남성은 일, 여성은 가정」이라고 하는 고정 관념에 흥미를 갖게 되었다고.
「그런 역할 분담이 언제 생겼는지 라고 할까, 자기 자신에 대한 질문이에요. 왜 내 쪽이 결혼할 때 일을 그만둘까, 왜 내 쪽은 이름을 바꾸지 않으면 안 되겠지. 당시에는 거기에 아무도 대답해 주지 않았어요.
――거기서 시즈오카의 사람에게 조사를 하고, 「빵빵」의 사람들도 처음 알고 있습니까?
「아니, 그 무렵은 점령기의 일은 아직 들을 수 없어서. 시즈오카 대학의 석사 과정에 들어갔을 때 고텐바를 조사해, 고텐바에는 많이 『빵빵』이 모여 있어, 『빵빵』의 명부라든지 있었군요. 그것이 1997년 정도군요」
――거기서 충격을 받고 이쪽의 길로 진행되었다고.
「응. 그렇네요」
――교사는 몇 살 정도까지 계속 되었습니까?
「석사과정에 들어간 것이 1997년이므로 그때 그만둔 것일까. 처음, 도쿄에서 일반 기업에 근무했기 때문에. 도쿄에서 교원의 채용이 없었군요. 그래서 시즈오카에 와서 교원 채용 시험을 받고 교사가 된다는 느낌입니다」
――일반 기업에서는 어떤 일을 하고 있었습니까?
「지리학과의 졸업이었기 때문에, 지질검사의 회사에 들어갔습니다. 거기서 3년 일하고, 결혼으로 니시이즈에 와, 거기서 자신의 모야모야를 해결하기 위해서 현지의 할머니들의 라이프 히스토리를 듣거나, 여성사의 책을 읽어 낚시거나……같은 느낌이군요」
――결혼 전까지는 그런 모야모야는 없었습니까?
「대학까지는 남녀 평등이었지 않았어요. 사회에 나와 처음. 그러니까 찻잔이 있는 것에 깜짝 놀랐어요.
――대단하네요.
「그러니까, 원래 회사에서는 전설이 되어 있는 것 같지만, 이런 튕기고 있었던가(웃음). 고용 기회 균등법이 생기기 전이므로, 여성은 밤 8시 이후에는 일해서는 안 된다는 『모성 보호 규정』이 있었어요. 하지만 때 정도까지 일하는군요 그렇게 하면 「어이, 너 여기에서는 여자가 아니니까」라고 말해져서 매일 밤 일해져서. 때 정도까지로. 집에 돌아오면 이제 목욕탕이 닫혀 있는 거야. 그것이 슬프고, 회사의 박스에 목욕 세트 놓고, 뒤의 목욕탕에 가 왔다~라고 말하고, 돌아와서 일하고 있었습니다」
――그 후, 교사가 될 수 있죠?
「그렇네요, 도쿄에서도 교사에게 몹시 되고 싶었습니다. 그래서 채용이 없어도 매년 채용 시험을 받고 있었습니다. 채용되지 않은 이유는 여성이었기 때문에 스스로 생각하고 있습니다. 사회과의 여성 교원은 필요 없다고 한다. 시즈오카현에 와도, 사회과의 여자 성교원은 나뿐이었습니다. 국어라든지 음악은 여성 교원이 많습니다만, 교과에 의해서 젠더의 치우침이 있어서.
――모집 자체는 남녀를 불문하고 있지만, 받는 것은 남성만 같다.
「그렇네요. 입구에서는 남녀 평등을 받고 있지만, 채용이나 고용 방법으로는 젠더로 나누고 있다…
――『점령과 성』의 붓을 잡은 것은, 성이거나, 이 책에 쓰여져 있는 것처럼 「좋은 점령은 존재하지 않는다」라고 하는 의사이었습니까.
"나와 카노 씨는 굉장히 논의했어요. 저는…
―― 그랬어요. 이 책은 좋은 점령은 없었던 일색인 것 같은 인상을 받았습니다만.
「그러니까 언제나 모두 논의하면서 쓴 책이라고 생각하고 있습니다. 매회 모두 핫한 논의를 하고 있었습니다」
――다음 쓰기에는 모두 합숙에 갔다고 쓰여져 있어, 화기애애하고 있었던 것일까라고 생각하고 있었습니다만.
「합숙 3회는, 매우 즐거웠지만, 항상 싸움 따로 하고 있었습니다. 그 어려움 속에서, 본서가 태어났고, 한편, 유감입니다만 도중에 빠진 멤버가 몇 명 계십니다.」
――과연. 저는 이 책을 읽고 매우 충격을 받았는데, 2014년의 『일본 점령과 젠더 : 미군·매매춘과 일본 여성들』(유시사)을 읽고 연구가 진행되고 있다고 생각했네요. 게다가 2023년의 「점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력・성매매・「친밀한 교제」」(이와나미 서점)를 읽고, 한층 더 연구가 진행되고 있다, 라고 감명을 받았습니다. 어떻게 연구를 깊게 해 갔는지 하는 것을 묻고 싶어서. 「점령하의 여성들」에 공문서관에서 RAA 개설의 지령이 남아 있었다고 쓰여졌네요. 실제로 저도 검색하고 그 문장을 읽었는데, 당연합니다만 모두 필기로, 읽는 것조차 힘들어요. 게다가 그 문서는 타이틀에 위안부라든지 들어 있지 않기 때문에, 그러니까 우선 찾아내는 것이 힘들다고 생각했습니다.
“대학원에 가서 선생님으로부터 자료를 찾는 방법을 단련해 주셨구나. 하지 않는다든가, 「성의 방파제」=「위안소」와 같은 것을 만들고 싶은 것이 있으니까.
――내가 충격을 받은 것이 옛날의 공문서는 필자가 아닌가요. 저것을 하나하나 해독해 가는 것이군요.
「익숙해져요(웃음). 읽으면 익숙해지고, 관계하는 곳이 짙어 떠올라 보인다. 『위안』이라고 하는 문자라든지」
――그래도 어쩌면, 히라이씨 앞에 그것에 눈치채는 분이 없기 때문에 발견에 연결되었겠지요.
「네. 고텐바의 「풍기 문제」(「빵빵」들에 대한 주민 조사 등)에 관한 귀중한 자료는, 시즈오카현 사편찬실에서 찾아냈습니다만, 그 전에 다른 선생님의 「열람했습니다」라고 하는 스티커 메모가 붙어 있었습니다만, 스루 되고 있었습니다. 연구자들은 무엇이 중요한지 그 사람의 관점을 묻는다고 생각합니다. 그 자료의 더 자세한 것이, 현지·고텐바시에 남겨져 있어, 거기서 “빵빵”들의 “신상 조사 일람”을 발견했을 때는, 떨렸습니다. 그러나 내무성의 『진주군에 관한 주의』의 문서는 먼저 국회의원 요시카와 하루코 씨가 그것을 사용하여 국회에서 질문을 받는군요. 공문서관을 보거나, GHQ 문서를 보거나. 여러 사람들의 선행 연구가 있고, 그 위에 내 연구도 있다고 생각합니다」
――이 책에서 란노부 산씨가, 「외로움과 불안에 시달리면서 연구를 하고 있었다」라고 있습니다만, 여러분 그런 마음을 안으면서 연구를 하고 있는 것입니까.
“거의 모두 그렇다고 생각합니다. 지금도 젊은 연구자의 계란(원생)들은 모두 외로워서, 과연 자신의 연구 테마는 이것으로 좋은 것일까, 라고 고민하면서 하고 있다 라고 생각합니다.나 자신도 이런 연구를 하는 사람은 적었기 때문에, 특히 남성의 위대한 연구자로부터는 「어째서 성의 것인가를 하는 거」라고. 라든지 정치라든가, 그러한 대문자의 역사가 사회를 움직여 왔다고. 그렇게 말했습니다. 그래서 석사 논문에도 자신이 없었습니다.
――아, 그렇습니까…
「간사이에서 차엔 토시미 씨가 『빵빵』을 하고 있다는 것이 마음의 지지로. 저쪽도 관동에서 히라이 씨가 『빵빵』을 하고 있다고 하는 바람에 자신을 격려하고 있다고 말씀하셨습니다」
――히라이씨가 성에 대해 듣기를 할 때, 좀처럼 말하고 싶지 않은 분도 계신다고 생각하네요.
「그렇네요. 성에 관해서는 이면 있어요. 출산 등의 리프로덕티브인 것은 여성이 가면 적극적으로 말해 주시지만, 성폭력 피해에 관해서는 말에 억압이 걸리는가 내가 달려올 무렵, 이즈에 와서 한쪽 끝에서 할머니들에게 이야기를 들었어요. 있어 오지 않았던 것 같은 출산이나 생리라든지를 들을 수 있을 것이라고 말해요. 일에 관해서는, 기후의 쿠로카와 개척단의 사토 하루에씨가 『성접대』에 대해서 처음으로 말한 것은 이노키 유스케씨라고 하는, 당시 아직 원생이었던 남성이니까 젠더에 관계되어 쿠, 열심히 그 사람의 증언을 들어주는 사람이 있으면, 말하고 싶었다고 생각합니다. 성은 인권의 가장 중요한 곳이라고 생각하고 있어. 이처럼 표현해 온 것, 소비해 가는 것에 대해서는 저항감이 있어요. 한편, 여성사·젠더사를 하는 것은 성적인 쾌락이라든지 성적인 에로스라든지 금기시하지 않는다 에서 물어보지 않으면 안 된다고 생각합니다. 를 사용했습니다. 편지로 신청하는 것이 좋은지, 전화가 좋은지, 아니면 누군가 사는 사람의 투테를 의지해 듣는 것이 좋은 것인가, 다이빙으로 가는 편이 좋은 것인가… … 전화를 하는 것만으로도 3 일 정도 고민했습니다. 때쯤에 전화를 했더니 『지금, 아무도 없으니까 곧 와서』라고 말씀하셨습니다. 굉장한 시간이라든지 장소라고 하는 것은 어딘가, 언제나 굉장히 고민하네요.성매매에 관해서는 금기가 아직 많네요. 그렇게 말할 수있는 것도 아니지요. 그리고 요시하라의 유곽에서 일하고 있던 사람이 아타미에서 가게를 갖고 있어.
――…… 대단하네요.
「네. 이 책도, 교료해, 이와나미 서점씨로부터 「내일 인쇄에 들어갑니다」라고 전화를 받았을 때, 내 손이 닿지 않는 곳에 가버릴 거라고 생각해, 3주일 정도 몸이 나빠졌습니다」
――이제 되돌릴 수 없는 곳까지 되어 버린, 같은.
「네. 혼자 한 사람에게는 원고를 보여주고, 써도 괜찮아요라고 승낙서에 서명도 받고 있습니다만, 하지만 깨달을 수 없는 곳에서, 상처를 입는 사람이 있잖아라고 생각해서 무서웠어요」
――올해, 전후 80년이 아닙니까. 생명의 빵빵이 계시는 마지막 시대라고 생각합니다.
「이 책의 제5장에 나오는 아사카의 『빵빵집』에서 자란 『김짱』이 70년의 시간을 거쳐 우연히 만난 전 『빵빵』이었던 『아구리씨』를 간다 는 나를 만나게 해 주려고 하고 있었던 것 같지만, 갑자기 모습을 지워버렸지요.
――이 책에서는 『아구리씨』는 코로나에서 사망했다고.
「그런 소문도 김짱은 듣고 있는 것 같습니다만, 도중부터 김쨩이 메모를 시작했습니다.종이 연극으로 하려고 생각하고.
――내가 상상했던 것보다 섬세한 밸런스 위에 이루어져 있는 책이구나라고 생각했습니다.
「그렇네요. 저도 정말, 가볍게 생각했던 부분이 있죠. 저도 대단히 좀 좀 걸리니까요. 하지만, 책을 쓸 때 아타미 사람으로부터 승낙서를 받았을 때, 내 이름은 틀리기 쉽기 때문에 실수하지 않게 써주세요. 시대에 이름이 퍼지면 무서워서 그만두고 말해.
――히라이씨는 1955년의 태생입니다만, 그 당시는 전쟁의 발톱이나 『빵빵』의 분들이 계셨던 공기등은 어느 정도 있었을까요.
「『빵빵』이라고 들은 적이 없었습니다. 태생은 히로시마이므로, 원폭의 이야기는 많이 듣고 자랐습니다만, 미병 상대의 성매매 여성이 있다고 하는 것은 한마디도 듣지 않고 자랐네요」
――히라이씨의 부모님은 전쟁을 체험된 세대라고 생각합니다만, 가정에서 전쟁이 화제가 되는 일은 있었습니까.
「아버지는 히로시마의 폭심지에 살았는데, 8월 얼마 전에 소집되어 도쿄에 왔습니다.
――나, 86년의 태생입니다만 옛날, 길가에 손이라든지 다리등이 없는 군인씨가 돈 주세요라고 하고 있는 광경을 잘 본 기억이 있어서. 하지만 어느새 보지 않게 되었다는 감각이 있어서. 전쟁특번이라도 제가 어렸을 때는 연중 하고 있었던 생각이 듭니다만, 아직도 종전 기념일 정도밖에 하지 않게 되어 버렸다고 생각하고 있어. 지금의 아이들에게 있어서 전쟁이 보다 먼 것이 되어 있지 않을까 하는 감각이 있네요. 히라이 씨도 여러 학생을 가르쳐 와서 그런 감각이 있습니까?
“86년생 타카하시 씨의 세대에서도 아직 길가에 상사 군인 씨가 있었다고는 놀랐습니다. 여름에 전쟁물을 방송한다는 것은 8월 저널리즘이군요. 」라고 학생은 반드시 말하네요. 중국 전선에 할아버지가 갔으니까 「위안소도 들어보면 좋았다」라고 자주 말하네요.
――그것은 가르치고 외로운 마음을 기억하거나 합니까?
"전후 80 나이가 들고 있으니까요. 하지만, 왜 히로시마에 원폭이 떨어졌다는 것을 대학생 정도가 되어 생각하면, 히로시마가 근대 이후 군도에서 발전해 와, 닛신 전쟁 때는 대본영도 놓여져, 아시아 침략에 대해서 군인을 우품항에서 송출한 장소에서. 의 유학생이 많았는지, 강제적으로 노동자로 동원해 온 사람들도 있었다고 생각하면, 역시 근현대의 일본제국의 존재라든지가 히로시마를 통해 떠올라 왔다. 라든지 성업의 본연의 방법에 의해 전쟁의 피해자가 되기도 하고, 역사가 인과 관계와 연결되어 보여 온다.
――나, 기후의 출신이지만, 각 무하라에도 「위안소」가 있었다고 이 책에서 처음으로 알고. 왜 각무하라일까라고 생각하면, 저기 자위대의 기지가 있죠. 그러니까 원래 미군 기지가 있었을 것이다. 지금의 각 무하라에 미군 기지나 「위안소」의 냄새가 전혀 없어요. 그러니까 엄청 의외로.
"각 무하라는 흔적이 없는 느낌이군요. 후쿠와라든지 남아 있는데요. 지역에 따라 다르네요. .그렇게 『빵빵』의 사람들 모여 있었습니까, 근처에 살았는데 전혀 몰랐다고.
――지금도 『빵빵』이 계시고 그런 지역이라든가 있나요.
「가네쨩도 오이즈미학원까지 다리를 뻗었다고 말하고 있습니다만, 분명히, 아타미라고 말이지… 『빨강선』을 단속하고 있던 경찰의 사람에게도 말씀하셨습니다만, 『무카시 빵빵을 하고 있던 사람을 지금도 마을에서 보지만, 너에게는 말할 수 없구나』라고 말씀하셨으니까.
――이 전 경찰에게 대신 듣기를 부탁하는 것은 안 되나요.
"이제 죽었어. 이쪽에 인터뷰했을 때는 년이었기 때문에.그리고 『점령과 성』을 쓸 때에 맞지 않았던 것이 보건부씨입니다. 그러니까 보건부씨가, 미병의 증언을 의지해 여자 사람들을 찾아가면, 「빵빵」들이 싱글 마더였다든가, 심각한 성병이었다고 하는 것을 수기에 써 버렸습니다만, 그 분들이 정확히 죽어 버려, 직접 듣고 싶었는데 사이에
――시간과의 싸움이 아니지만.
「그렇네요. 아타미는 큰 불로 자료가 태워서 문서가 남아 있지 않으니까.
――히라이씨가 점령기의 일을 쓰는 가장 충동은 「좋은 점령은 없었다」라는 것을 전하기 위해서입니까. 아니면 역사에 묻힌 여성들의 목소리를 띄우기 때문입니까?
“둘 다 있습니다만, 남성 리더들에 의해서, 지켜야 할 양가의 자녀와, 내밀어도 좋은 여성으로 여성이 이분화되지 않습니까. 내무성 경보국의 비밀 문서도 영업에 충당하는 여성은 예창자라고 하고 있을 것입니다. 가부장제 의식을 여성도 내면화시켜, 이분화된 쪽의 양가의 자녀는 예창자들을 차별하는 거에요. 에 여자를 내도록(듯이) 강요되어, 「일반의 여성」이나 어머니가 꺼내려고 하는 것을 보지 않고, 성매매의 여성들이 「내가 갑니다」라고 말하는 것이 아닐까요. 그렇군요. 그 사람을 역사에 쓰지 않고는 없어요, 그게 있군요. 성들』의 2장을 썼을 때는… '일반 여성'을 보지 않고, 내가 가야 할 것 같은 것을 성매매 여성은 생각하는 것입니다. 그렇습니다만, 남성들은 불편한 역사이므로 잊고 싶다든가. 그래서 어디에도 그녀들의 목소리가 남지 않는다.
――『점령하의 여성들』의 서두에서도 쓰여진, 코로나연으로 성풍속의 사람에게는 급부금이 나오지 않는다고 하는 결정에 대해서도 히라이씨에게 있어서는.
「노동자로부터 제외하지 말고, 같은 생각이 있습니다. 계속 근대사 속에서 노동자들이 연대를 할 때, 성매매 여성이나 연예인의 사람들을 제외해 왔습니다. 할 수 있는 일이 있다.
――일본이 점령되어 RAA가 만들어진 것에 대해 몹시 화내고 있군요.
「RAA를 만든 사람은, 그 덕분에 그 성폭력 줄었다고 합니다만, 나는 반대로 늘어났다고 생각합니다. 전쟁에 승리하면 패전국의 여성을 싸게 살 수 있다.
――근대의 전쟁으로 패배한 나라가 점령을 받지 않았던 케이스는 있을까요.
"모두 점령되고 있네요. 군사점령 자체가 폭력성을 동반하죠. 점령이 있는 법도 국제적으로 룰을 할 수 있어야 한다. 유엔도 전승국 측이 상임이사국이기 때문에. 제2차 세계대전 후에 그런 일을 만들 수 없었다는 것은 우리의 민주
――히라이씨가 RA A에 반대라고는 알고 있습니다만, 하지만 일본이 점령을 받아들인 시점에서 배드엔드 확정이었던 것이 아닐까라고 생각하고 있어.
"일본에 페리가 왔을 때부터 당인 길을 내보내지 않겠습니까. 쌍으로 폭력적 행위, 특히 여성에 대한 성폭력은 엄격히 금지해 주었으면 한다, 라고 확인해 주었으면 한다고 생각합니다.
――근래, 개척단의 서바이버 여성이 소리를 내거나 라고 하는 것은, 사회가 바뀌어 가고 있는 증거인가요?
"죽기 전에 말하지 않고는 있을 수 없다는 생각도 있었을 것이며, 한국의 위안부 여성들이 발언하기 시작하고, 그 사람들이 그런 말을 한다면 우리도 같은 체험이지, 라는 인식을, 청취에 방문한 이노마타씨에게 말씀하신 것 같습니다. 하지만 그런 한국 서바이버의 명승도 등을 밀어 낸 것 같습니다.
―― 이야기를 듣고 있으면, 내가 가르쳐 온 교사의 이상함이라고 할까, 그러한 것을 재차 느끼네요. 당시는 인터넷도 없기 때문에 정답에 도착하지 않습니다.
「90년대의 위안부 문제의 때는 국내외입니다 대단한 논쟁이 되었던 것 같네요. 김학순씨의 이름 나오기 이후, 「위안부」부정파의 사람들로부터, 그 사람들은 매춘부라고 말해져, 말씀하신 분은 공창이 아니라고, 물건 논란 같아서 대단한 불모
――히라이씨의 저서는 여러가지 상을 수상되고 있습니다만, 이런 상은 외로운 작업에 대한, 고독을 되돌아 보는 것 같은 요소가 되거나 합니까?
"인정 받았다고 생각했습니다. 기뻤습니다. 하지만 좋다고 평가해 주셨습니다. 라고, 흔들리지 않는다. 그리고, “친밀한 교제”도 있다고 하는 성폭력에 그라데이션이 있는 것도 놓치지 않았다, 라고 말해졌습니다. 하지만, 자신은 이렇게 좋을까, 같은 것을 생각해 계속 왔습니다만, 지금은 원생들 속에 점령이나 성을 하는 학생이 늘어 왔습니다.
――이런 책에 대해 담당 편집씨는 어떤 서포트를 하는 것입니까.
「이번 이와나미 서점의 두 사람의 담당은 알고 있었으므로, 스스로 원고를 반입했습니다. 그것을 받고 대단히 고민했습니다. 이 문제는 지뢰를 밟는 것 같은 테마가 3 쭉 있어. 『위안부』도 『섹스・워크』도 『만주』도 들어 있기 때문에.
――네.
"히라이 미호 씨의 "소련 병사에게 보내진 딸들 ―증언・만슈 구로카와 개척단』의 책은 상을 받았습니다만, 실은 윤리 위반도 있었습니다.본인에게 허가 없이 실명을 내고 있었으므로, 대단한 문제가 되어. -이 강했어요. 개척단은 나의 책에도 들어가 있고.
―― 이와나미에서 기획이 다니지 않는 사이에, 다른 출판사에 가지고 가려고 생각하지 않았습니까?
「없었군요. 그래도 빨리 내주었으면 좋겠다고 생각했습니다. 그동안 다른 출판사로부터 2권 정도 RAA에 관한 신서가 나오고, 남성 쪽이 아무런 고통도 없이 쓰여지고 있는 생각이 들고… … 초조한 기분은 있었습니다」
――출판사 측의 인간으로부터 하면 정말 내기 어려운 테마의 책이군요. 그래서 정말 세상에 나와서 좋았다고 합니다. 마지막으로 하세화적인 질문일지도 모릅니다만, 「빵빵」쪽을 만날 수 있으면 무엇을 듣고 싶습니까?
「힘들었는지, 어떤 생각으로 빵빵 가업을 하고 있었는지 듣고 싶다. 아구리 씨는 밤의 별을 세어 참고 있었다고 말하고 있군요. 아구리 씨의 말 밖에 듣고 있지 않아, 사실은 어땠어?」
――그래도 아마 사람의 수만큼 대답이 있겠지요. 이것도 나의 이야기가 되어 버립니다만, 풍속을 하고 있는 여성에게 이야기를 들을 기회가 있네요. 남자친구에게서 「풍속양을 그만두고」라고 말하는 쪽이 기쁜 사람도 있고, 「풍속을 계속해 주었으면 한다」라고 말해지는 쪽이 기쁜 사람도 있어요. 그러니까 풍속양을 좋아하고 하고 있는 사람도 있으면, 그만두고 싶은 사람도 있다고 하는 것을 듣고 있어. 그러니까 아마, 아구리씨 같은 사람도 있으면, 즐겁다고 하는 사람도 괴로워하는 사람도 있을 것이다.
"그러나 그것은 남자 친구에 의존하거나 착취되고 있다는 것으로 결정권을 남자 친구에게 맡기고 있다는 것은 뿌리가 같다. 회수되지 않는 사람이 있어요 시즈오카 신문에 실려 있던 1950년대의 「밤의 여자」에의 인터뷰입니다만, 「이런 여자에게 누가 했다」라고 하는 노래가 당시, 유행하고 있었습니다. 는 이 일을 진지하게 하고 있다고 그 말도 네, 긍정적으로 받아들이고 싶습니다. 싶다. 지금 학회에서는, 섹스 워크론과, 성매매는 성폭력이라고 하는 사람들과 헤어져 깊은 대립이 있어, 그것은 슬픈 일이기 때문에 거기에 다리를 걸는 것 같은 실태적인 역사학을 하고 싶네요」
정보
히라이 카즈코
1955년 히로시마시 출생.
이치바시 대학 젠더 사회 과학 연구 센터 객원 연구원
전문은, 근현대 일본 여성사·젠더사(사회학 박사)
시즈오카현 동부의 중학교·고등학교의 사회과 교사를 거쳐 시즈오카 대학, 대처 여자 대학 등에서 비상근 강사. 이치바시 대학 주니어 펠로우를 거쳐 현직.
주저·공저서
혜천여학원대학 평화문화연구소 '점령과 성 정책·실태·표상' 임팩트 출판회, 2007
'일본 점령과 성 미군·매매춘과 일본 여성들”(야마가와 키쿠에이상 수상)유시사, 2014
우에노 치즈코·란신조·히라이 카즈코 “전쟁과 성폭력의 비교사를 향해” 이와나미 서점, 2018
“점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력·성매매·” 아오야마 나를 상 수상) 이와나미 서점, 2023 등.
"점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력·성매매·"친밀한 교제"'에도
「김짱」의 종이연극상
연회 나카리오 씨, 1941년생)가, 일기와 발군의 기억력을 바탕으로 그린 「종이 연극」의 상연회가 2025년 6월 7일에 카미치 대학 요츠야 캠퍼스에서 행해집니다!
2025년 6월 7일
도쿄도 지요다구 기오이초 7-1 가미
치 대학 요츠야 캠퍼스 6호관 3층 305 교실
참가 무료 후일 동영상 전달 있음
https://kamishibai-kinchan0607.peatix.com/
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