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戦争と性暴力の比較史へ向けて
上野 千鶴子
フォーマット: 単行本
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日本から 正直、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」と久々の感慨をもたらされた。
戦争と性暴力の比較史という、多くの人が「重苦しい」と思いがちなテーマの書でありながら、かつ実際に、それぞれの論者が研究の成果をきわめて堅牢に(この点について「実証を疎かにしている」「概念のお遊び」といった先入観に満ちたレビューは笑止千万だった……自ら恥じて削除したようだが)述べていながら、それでいてなお、この本にはそれだけには留まらない重層性がある。
上野千鶴子はこの本について「2年間にわたって準備してきた」「社会学、歴史学、オーラルヒストリーのクロスオーバー」「この分野でのマイルストーンになればよい」と呟いている(https://twitter.com/ueno_wan/status/966688770278899712)。
実際、同テーマをめぐるここ三十年の内外の動向について語る上野「序論」は熱気に満ちている。さまざまな研究者(我々は読書レベルに応じて、そのなかの幾人かを知っていたり、まったく知らなかったりするわけだが)の成果が理路に沿って紹介されるのだが、むろんただの網羅であるはずもなく、その手さばきは辣腕、かつどこか華麗さもある。
こうして、序論では①戦争と性暴力、②比較史、③女性のエイジェンシー、④オーラルヒストリーといった論点が示される。いずれも一筋縄ではいかないが、とりわけ「語りを阻害するものと語りを可能にするもの」「歴史の一部でもある自らの体験を語るとはどのような行為であるか」「その時エイジェンシーはどのように生成し行為遂行するのか」といった問題は、私見ではきわめて重要な、いわば歴史とアカデミズムと人間理解の結び目である。重層性と述べたのは、歴史書でありながらこのような思想の書でもあるという本書の特徴ゆえだ。戦時性暴力被害者「ではない」私たちにとっても、この本によって得られるものが多いとすれば、そのためである。
各論者は、自らの取材と研究の成果を述べると同時に、このような全体のテーマへの応答を要求される(それは必ずしもスムーズに接続されるようなものではなく、なかには悪戦苦闘もあったに違いない)。また例えば蘭論文(「戦時性暴力被害を聞き取るということ」)は、桜井厚の「モデル・ストーリ」と「マスター・ナラティヴ」概念を用いて、語りを阻害するものについて検討するなかで上野の「モデル被害者」論に触れ、「このようなモデル被害者像が日本軍慰安婦問題/日本軍性暴力に関する言説空間において具体的にどのように構築されていったのか」を真正面から論じたのはほとんど山下英愛のみであると指摘しているが(p.288)、その山下による2016年のシンポジウム報告というのは、他でもない本書に収録された山下論文(「韓国「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史」)の下敷きとなったものである。このように序論との関係だけではなく、本書内外の研究者間での相互参照が活発に行われており、たんに「論文集としては統一感がある」といった具合ではなく、独特な知の練成の場といった感がある。
各論文を読みつつ註を参照し、ときに「序論」や他の論文を読みかえし、別の本の関連箇所を確認し……と読書としてはかなり能動性を要求されたが(そうしなければ理解出来ないというわけではない。念のため)、そうするうちにふと、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」という、冒頭の感慨に至ったのだった。
サトぽん
5つ星のうち3.0 歴史学に「挑戦」するのは上野先生の勝手ではございますが2018年5月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
現在に至るまで、「戦争と性暴力」の「比較史」研究としては、秦郁彦氏が「慰安婦と戦場の性」の中で、一章を割いて簡単に各国の軍隊の「慰安婦」事情なるものを紹介している例があるのみであった。
この「比較研究」の部分は、その内容が他国を刺激するとして、「慰安婦と戦場の性」の政府肝いりの英訳プロジェクトがオジャンになったと言う、みっともないいわくつきのものなのだが、いまでもそれなりに影響力がある。産経新聞が「歴史戦」で展開している、戦争時はどこの国も似たようなことやってるのよと言う例のヤツである。韓国軍のベトナム戦争下の韓国軍「慰安所」例が、週刊文春と山口敬之によるでっち上げであったことが発覚しているが、もともとは、秦氏が論文の中で、ベトナム戦争でのアメリカ軍の「慰安所」の例(これもマユツバ)を紹介したことに端を発している。
なぜ、秦氏の「研究」くらいしか例がなかったのかと言う問題なのだが、戦時性暴力の研究の中で、日本軍の慰安所研究の蓄積が突出しており、他国には「比較」をするだけの研究の蓄積がなかったからである。例えば、ナチス・ドイツは、日本軍の慰安所と類似の施設を作った秦氏に主張されるのだが、それがどれだけの規模で、どのような命令系統によって作られたかと言うことになると、ほとんど明らかになっていない。日本軍の慰安所と同様の施設をナチが作ったことの論拠として、秦氏が使用しているのは、秦氏自身が日本に紹介したフランツ・ザイトラーの著作なのだが、いまだに邦訳すら出ていない。
だから、「戦争と性暴力の比較史」の研究が深められるというならば、何のモンクもない。どんどんやってくだはれと思うだけなのだが、ことはそう単純でもない。版元の岩波の内容紹介を読めば分かるように、大風呂敷の題名と裏腹に、至って地味な論文が並んでいるのである。
編者の一人、上野千鶴子氏は、朴裕河を擁護するために編まれた『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく(2016)』の中で、以下のように書いている。
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歴史家にとっては、この「語りの複数性」という概念が気に入らないらしい。そもそも、「歴史」が「語り」と等値されること自体が、許しがたいもののようだ。なぜなら「真実」はたったひとつであり、それは「立場性」の如何を問わず、万人に認められるべきであり、その真実の真実性を裁定する審判者は、訓練を受けた歴史家であるべきだからだ。歴史家は、歴史の法廷の裁判官であるという特権的な地位を、手放したがらないように見える。
歴史学は大きく転換を迫られた「はずだった」と書くのは、期待に反して、歴史学が変化したようにはいっこうに見えないからである。九〇年代後半に「慰安婦」問題をめぐって構築主義vs.実証史学のあいだで「上野・吉見論争」が起きたことになっているが、そして一部の歴史家のあいだでは、「上野は反省した」ということになっているらしいが、わたしは少しも反省などしていない。それどころか、朴裕河の『帝国の慰安婦』『朴、二〇一四」をめぐる論争において、二〇年近く前の論争があたかもデジャビュのごとく繰り返される事態を見て、歴史家たちは何も学んでいないのか、と暗澹たる思いにとらわれる。
『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが私の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。そしてそのことを見逃す『帝国の慰安婦』評価は、すべて的外れだといってもよい。『帝国の慰安婦』は、それと言上げしていないが、ポストコロニアリズム-「脱植民地化」と訳される-の課題をつきつけた。
出典:対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく
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本書の編者には蘭信三氏と平井和子氏が名を連ねているが、「はじめに」には、上野氏の考えが大きく反映されているのが分かる。似たようなことが書かれているからだ。
周知のように、上野氏は朴裕河氏の「帝国の慰安婦」に対する、傍目には奇妙としか言いようのない肩入れぶりをめぐって、いろいろと非難されている。『非難されている』という言い方が悪ければ、意味のないゴタゴタの発信源になっていると言うべきかもしれない。上記の文章を読んで、彼女が何を言わんとしているのか、説明できる人は本人以外にいないだろう。言語明瞭意味不明と言うやつである。
本書を読んでも、上野氏が自分で説明すりゃ済む話を、他人に説明させる形でゴマカしてしまおうとしてると言う疑念を拭えなかった。もちろん、彼女の「歴史学」への異様な「対抗意識」には、過去に吉見義明氏にワケのワカラン難癖をつけた末に自爆した逆恨みもあるのかと思う。プライドが許さないんでしょうな。
そういう人が編者の一人なのだから、収録されている論文もヒドイかと言うと、それほどでもない。上野氏の自己正当化の臭みに鼻をつまんで我慢すればの話ではあるが、各人、よくも悪くもマイペースで、上野氏の劣化ぶりとは無関係に、手堅くまとめられている。
山下英愛氏は『韓国の「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史』で、元「慰安婦」女性の証言の聞き取りを巡る、安秉直と挺対協の間の「論争」について整理している。それなりに興味深いが、具体的な「証言」の中身については、ほとんど触れられない。私は彼女らの証言は実証的歴史学と補完しあうことによって、日本軍「慰安所」制度の例をみない過酷さを証明した極めて貴重なものだと考えている。「被害者女性の証言」については、本書の中でも繰り返して、その意義が強調されるのだが、関連論文はこの一本だけである。クチではどう言っていようと、いかに「被害者女性の証言」と「慰安婦問題」を編者(たぶん一人)が軽視しているかの表れであろう。戦地からの日本人「引き揚げ」女性のレイプの問題は、二本の論文で論じられているが、正直、新味があるわけではなかった。
岡田泰平氏の論文『日本軍「慰安婦」制度-強制性と合法性をめぐる葛藤』は、際立って奇妙な論文である。永井和氏の論文を引き合いに出して、「合法性」とやらを論じているのだが、何と何が「葛藤」しているのかすら分からない。吉見義明氏と永井和氏の論文が「葛藤」しているかのように、読めないこともないのだが、これでは本書がぶち上げる「歴史学への挑戦」など、夢のまた夢だろう。なんで本人がこの論文を書こうと思ったのか、なんで編者が岡田氏に書かせようと考えたのかも疑問であった。
編者の一人でもある平井和子氏の論文『兵士と男性性』は、予想に反してというか、非常に面白かった。日本軍「慰安所」制度に対する極めてオーソドックスな分析であるが、曽根一夫へのインタビューなど内容は非常に示唆に富む。私は本書を読む前に、曽根の本を集中的に読み返していたので、頷けるところが多かった。
姫岡とし子『ナチ・ドイツの性暴力はいかに不可視化されたか-強制収容所内売春施設を中心として』は、「ナチ・ドイツの性暴力」を扱っているのだが、あくまでも「強制収容所内売春施設」のことが中心である。姫岡氏はレギーナ・ミュールホイザー「戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち 」の訳者でもあり、ドイツの戦時性暴力に関する代表的研究者なのだが、ナチ・ドイツに、日本軍の慰安所と類似した、一般兵士用の施設があったか、どの程度の規模であったのかについては、詳しくは説明されていない。ナチは変態の集まりだから、慰安所くらいあっただろうと言うのは勝手な思い込みで、国防軍、SS、武装SSといった性格の違う組織が、どのように兵士の「性欲処理」、「性病予防」措置をとっていたかと言うのは、当たり前の話だが、調べなきゃ分からないのだ。
そのあたりが曖昧なのはもちろん残念なのだが、ベルリンのソ連兵による強姦についての指摘は興味深い。ソ連兵による強姦被害が、戦後すぐの段階で知れ渡った事情を、姫岡氏はナチスによる反ソ宣伝に求める。(ナチスからすれば)劣等民族の集まりであるソ連軍はそもそもが強姦をなんとも思わないようなやつらなのだから、集団強姦があっても不思議ではない。だから、ベルリンの女性たちは、一方的な性暴力被害者として、証言することができたのだということのようだ。原爆や大規模な空爆と同様の「災厄」として考えられたというわけである。ドイツの場合は、ナチの強制収容所での虐殺に、一般民衆が知らんぷりしていたことが、平行して暴露されているいるので、もちろん、このこととも関連があるのだろう。ソ連兵の日本人集団強姦の例や、南京事件の時の集団強姦の例もあるので、これは遠いドイツだけの話ではない。今まで以上に客観的に語られるべき問題と思う。
佐藤文香氏の『戦争と性暴力-語りの正統性をめぐって』も面白かった。佐藤文香氏は第二次大戦時のアメリカ軍のフランスでの「蛮行」を記述した「兵士とセックス」の監訳者である。題名の「語りの正統性」と言うと、上野先生の意味不明の屁理屈が思い浮かぶのだが、内容は穏当で至ってマトモである。私の現在の関心が「理屈」の部分にはないので、ここでは言及しないが、これなら納得という水準であった。橋下元大阪市長が「兵士とセックス」の日本への紹介に一役買ったという話は本書でも触れられているが、「兵士とセックス」の監訳者解題の方に詳細が書かれている。興味のある方は参照されたい。
なんだか、上野先生と他の執筆者との仲違いを煽っているような気持ちになってきたが、そういうつもりもありません。悪しからず。
点数は論文の平均点と言うところです。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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LILYLILY
5つ星のうち2.0 フェミニズム、じゃないかも。2018年4月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
戦時性暴力は日本だけで起きた問題ではない! 日本だけ責めるな! というようなネトウヨ的な言説に、それでは・・・と、フェミニストたちが「性暴力の比較史」にジェンダーの視線から取り組んだ挑戦的な本。日本軍「慰安婦」を私たちはどこまで「普遍」として語れるのか、または語るべきではないのか。ここまで解決できなかったこの問題を、次世代のフェミニストはどのように思考していくべきなのか・・・。ある程度は期待して手に取したのだけれど、残念ながら上野氏の衰えを感じる一冊となった。
特に「ナショナリズムかジェンダーか」という90年代的二項対立(その二項対立自体に、問題が孕んでいることもさんざん指摘されてきたにもかかわらず)からずれることなく韓国の支援運動を民族主義的である、ナショナリズムである、と偏見を助長する批判に固執している点は残念である。最初の告発者、金学順さんが遺族団と共に告発したことをもって初期の運動を民族主義的と断定するあたり乱暴さが際立ち、「慰安婦」問題を理解したい思いで手に取る若い読者への影響が気になる。上野氏は国家権力を批判するあまり、こと性表現、性暴力問題に関しては自己責任、新自由主義論と親和性が高くなっているようだ。
また山下英愛氏の論考は歴史的価値があると考えるが、相変わらず90年代前半で時間の止まった挺対協批判を繰り広げていることに、研究者としての怠慢を感じる。
他の論者の方のものも、いったいどこに着地しようとしているのか、何を主張しようとしているのか、分からないものが多かった。この問題に関する「語りにくさ」というのをそれぞれ抱えながら書かれているのが伝わるが、それでもなぜ「語りにくいのか」が、性暴力という問題に真摯に向き合っているからというよりは、誰かの顔を伺いながら・・・批判されないように慎重に書きたい・・・というのがそこはかとなく伝わってくるからかもしれない。これは本当に専門書、歴史書、ましてやフェミニズム本と言えるのだろうか。
それでも☆を二つつけたのは、おそらくこの論者たちが「慰安婦」問題でどのような立ち場でどのような言説を繰り広げられていたのかご存知ないのであろう樋口氏の真摯な寄稿に対する敬意を示すため。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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つくしん坊
5つ星のうち5.0 線引きが曖昧な戦時性暴力に対して、加害者・被害者双方の視点から比較する重要な試み2018年6月26日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
本書は、歴史学や社会学など広範囲な研究者12人が戦時性暴力を分析検討したものである。政治的・国際的にデリケートな本問題に対して真摯に研究を続けている研究者の皆さんに敬意を表したい。戦時性暴力は線引きが曖昧である。本書は、加害者・被害者双方の視点から比較する有益な試みであり、「政府や軍部による強制性の有無」という非常に狭い視点に囚われがちの「従軍慰安婦」問題にも、新たな視点と今後への示唆を提供している。
本書のバックボーンをなすのは上野千鶴子氏による社会学的な視点である。それは「強姦・売買春・取引・恋愛・結婚・出産」という当事者間の性的関係の連続性と、「敵味方・同盟国・占領地・植民地」という国家間の関係の連続性に着目し、加害者・被害者がどのように語り証言してきたか、を多くの事例をもとに分析するものである。本書の編著者らは何回も研究会を重ねて論考を執筆しているので、各論考の視点には一貫性がある。
本書によれば、戦時性暴力の研究はアジア発で、1991年の元「慰安婦」金学順さんの名乗りがスタートだったという。これをきっかけに日本や韓国などのアジア諸国はもちろん、欧米でも戦時性暴力の本格的な研究が開始された。日本や韓国などにおける研究は膨大な成果を生み出した。一方、欧米でも、ナチ・ドイツ、旧ソ連、ドイツ占領時のフランスなどにおける戦時性暴力の研究が始まり、多くの著作が刊行され始めた。また戦後だけ取り上げても、戦争や内戦時の性暴力は跡を絶たず、普遍的で現在進行中の問題であることが明らかである。
本書では序章で戦時性暴力の視座がまとめられた後、第I部では「慰安婦」の証言聞き取りと兵士側の証言、第II部では従来タブー視されてきた戦時・占領時の性暴力(アメリカ軍の占領時「慰安所」、満洲引揚時のソ連兵による性暴力、ナチ・ドイツ時代の強制収容所内性暴力など)、第III部では歴史学からのアプローチ(歴史学が性暴力を対象とするまで、歴史家による中国での戦時性暴力聞き取りなど)に関する論考がまとめられている。
本書を読み、戦争と性暴力との深い関係について改めて考えさせられた。同時にこの問題は、一見平和な現代社会における、家庭内暴力や社会におけるセクハラ・パワハラとも同根の(連続している)問題であることを痛感させられた。「従軍慰安婦」問題を広い視野から、また現代社会にも通ずる問題として分析している本として本書をお奨めする。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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日本から 正直、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」と久々の感慨をもたらされた。
戦争と性暴力の比較史という、多くの人が「重苦しい」と思いがちなテーマの書でありながら、かつ実際に、それぞれの論者が研究の成果をきわめて堅牢に(この点について「実証を疎かにしている」「概念のお遊び」といった先入観に満ちたレビューは笑止千万だった……自ら恥じて削除したようだが)述べていながら、それでいてなお、この本にはそれだけには留まらない重層性がある。
上野千鶴子はこの本について「2年間にわたって準備してきた」「社会学、歴史学、オーラルヒストリーのクロスオーバー」「この分野でのマイルストーンになればよい」と呟いている(https://twitter.com/ueno_wan/status/966688770278899712)。
実際、同テーマをめぐるここ三十年の内外の動向について語る上野「序論」は熱気に満ちている。さまざまな研究者(我々は読書レベルに応じて、そのなかの幾人かを知っていたり、まったく知らなかったりするわけだが)の成果が理路に沿って紹介されるのだが、むろんただの網羅であるはずもなく、その手さばきは辣腕、かつどこか華麗さもある。
こうして、序論では①戦争と性暴力、②比較史、③女性のエイジェンシー、④オーラルヒストリーといった論点が示される。いずれも一筋縄ではいかないが、とりわけ「語りを阻害するものと語りを可能にするもの」「歴史の一部でもある自らの体験を語るとはどのような行為であるか」「その時エイジェンシーはどのように生成し行為遂行するのか」といった問題は、私見ではきわめて重要な、いわば歴史とアカデミズムと人間理解の結び目である。重層性と述べたのは、歴史書でありながらこのような思想の書でもあるという本書の特徴ゆえだ。戦時性暴力被害者「ではない」私たちにとっても、この本によって得られるものが多いとすれば、そのためである。
各論者は、自らの取材と研究の成果を述べると同時に、このような全体のテーマへの応答を要求される(それは必ずしもスムーズに接続されるようなものではなく、なかには悪戦苦闘もあったに違いない)。また例えば蘭論文(「戦時性暴力被害を聞き取るということ」)は、桜井厚の「モデル・ストーリ」と「マスター・ナラティヴ」概念を用いて、語りを阻害するものについて検討するなかで上野の「モデル被害者」論に触れ、「このようなモデル被害者像が日本軍慰安婦問題/日本軍性暴力に関する言説空間において具体的にどのように構築されていったのか」を真正面から論じたのはほとんど山下英愛のみであると指摘しているが(p.288)、その山下による2016年のシンポジウム報告というのは、他でもない本書に収録された山下論文(「韓国「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史」)の下敷きとなったものである。このように序論との関係だけではなく、本書内外の研究者間での相互参照が活発に行われており、たんに「論文集としては統一感がある」といった具合ではなく、独特な知の練成の場といった感がある。
各論文を読みつつ註を参照し、ときに「序論」や他の論文を読みかえし、別の本の関連箇所を確認し……と読書としてはかなり能動性を要求されたが(そうしなければ理解出来ないというわけではない。念のため)、そうするうちにふと、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」という、冒頭の感慨に至ったのだった。
サトぽん
5つ星のうち3.0 歴史学に「挑戦」するのは上野先生の勝手ではございますが2018年5月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
現在に至るまで、「戦争と性暴力」の「比較史」研究としては、秦郁彦氏が「慰安婦と戦場の性」の中で、一章を割いて簡単に各国の軍隊の「慰安婦」事情なるものを紹介している例があるのみであった。
この「比較研究」の部分は、その内容が他国を刺激するとして、「慰安婦と戦場の性」の政府肝いりの英訳プロジェクトがオジャンになったと言う、みっともないいわくつきのものなのだが、いまでもそれなりに影響力がある。産経新聞が「歴史戦」で展開している、戦争時はどこの国も似たようなことやってるのよと言う例のヤツである。韓国軍のベトナム戦争下の韓国軍「慰安所」例が、週刊文春と山口敬之によるでっち上げであったことが発覚しているが、もともとは、秦氏が論文の中で、ベトナム戦争でのアメリカ軍の「慰安所」の例(これもマユツバ)を紹介したことに端を発している。
なぜ、秦氏の「研究」くらいしか例がなかったのかと言う問題なのだが、戦時性暴力の研究の中で、日本軍の慰安所研究の蓄積が突出しており、他国には「比較」をするだけの研究の蓄積がなかったからである。例えば、ナチス・ドイツは、日本軍の慰安所と類似の施設を作った秦氏に主張されるのだが、それがどれだけの規模で、どのような命令系統によって作られたかと言うことになると、ほとんど明らかになっていない。日本軍の慰安所と同様の施設をナチが作ったことの論拠として、秦氏が使用しているのは、秦氏自身が日本に紹介したフランツ・ザイトラーの著作なのだが、いまだに邦訳すら出ていない。
だから、「戦争と性暴力の比較史」の研究が深められるというならば、何のモンクもない。どんどんやってくだはれと思うだけなのだが、ことはそう単純でもない。版元の岩波の内容紹介を読めば分かるように、大風呂敷の題名と裏腹に、至って地味な論文が並んでいるのである。
編者の一人、上野千鶴子氏は、朴裕河を擁護するために編まれた『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく(2016)』の中で、以下のように書いている。
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歴史家にとっては、この「語りの複数性」という概念が気に入らないらしい。そもそも、「歴史」が「語り」と等値されること自体が、許しがたいもののようだ。なぜなら「真実」はたったひとつであり、それは「立場性」の如何を問わず、万人に認められるべきであり、その真実の真実性を裁定する審判者は、訓練を受けた歴史家であるべきだからだ。歴史家は、歴史の法廷の裁判官であるという特権的な地位を、手放したがらないように見える。
歴史学は大きく転換を迫られた「はずだった」と書くのは、期待に反して、歴史学が変化したようにはいっこうに見えないからである。九〇年代後半に「慰安婦」問題をめぐって構築主義vs.実証史学のあいだで「上野・吉見論争」が起きたことになっているが、そして一部の歴史家のあいだでは、「上野は反省した」ということになっているらしいが、わたしは少しも反省などしていない。それどころか、朴裕河の『帝国の慰安婦』『朴、二〇一四」をめぐる論争において、二〇年近く前の論争があたかもデジャビュのごとく繰り返される事態を見て、歴史家たちは何も学んでいないのか、と暗澹たる思いにとらわれる。
『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが私の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。そしてそのことを見逃す『帝国の慰安婦』評価は、すべて的外れだといってもよい。『帝国の慰安婦』は、それと言上げしていないが、ポストコロニアリズム-「脱植民地化」と訳される-の課題をつきつけた。
出典:対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく
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本書の編者には蘭信三氏と平井和子氏が名を連ねているが、「はじめに」には、上野氏の考えが大きく反映されているのが分かる。似たようなことが書かれているからだ。
周知のように、上野氏は朴裕河氏の「帝国の慰安婦」に対する、傍目には奇妙としか言いようのない肩入れぶりをめぐって、いろいろと非難されている。『非難されている』という言い方が悪ければ、意味のないゴタゴタの発信源になっていると言うべきかもしれない。上記の文章を読んで、彼女が何を言わんとしているのか、説明できる人は本人以外にいないだろう。言語明瞭意味不明と言うやつである。
本書を読んでも、上野氏が自分で説明すりゃ済む話を、他人に説明させる形でゴマカしてしまおうとしてると言う疑念を拭えなかった。もちろん、彼女の「歴史学」への異様な「対抗意識」には、過去に吉見義明氏にワケのワカラン難癖をつけた末に自爆した逆恨みもあるのかと思う。プライドが許さないんでしょうな。
そういう人が編者の一人なのだから、収録されている論文もヒドイかと言うと、それほどでもない。上野氏の自己正当化の臭みに鼻をつまんで我慢すればの話ではあるが、各人、よくも悪くもマイペースで、上野氏の劣化ぶりとは無関係に、手堅くまとめられている。
山下英愛氏は『韓国の「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史』で、元「慰安婦」女性の証言の聞き取りを巡る、安秉直と挺対協の間の「論争」について整理している。それなりに興味深いが、具体的な「証言」の中身については、ほとんど触れられない。私は彼女らの証言は実証的歴史学と補完しあうことによって、日本軍「慰安所」制度の例をみない過酷さを証明した極めて貴重なものだと考えている。「被害者女性の証言」については、本書の中でも繰り返して、その意義が強調されるのだが、関連論文はこの一本だけである。クチではどう言っていようと、いかに「被害者女性の証言」と「慰安婦問題」を編者(たぶん一人)が軽視しているかの表れであろう。戦地からの日本人「引き揚げ」女性のレイプの問題は、二本の論文で論じられているが、正直、新味があるわけではなかった。
岡田泰平氏の論文『日本軍「慰安婦」制度-強制性と合法性をめぐる葛藤』は、際立って奇妙な論文である。永井和氏の論文を引き合いに出して、「合法性」とやらを論じているのだが、何と何が「葛藤」しているのかすら分からない。吉見義明氏と永井和氏の論文が「葛藤」しているかのように、読めないこともないのだが、これでは本書がぶち上げる「歴史学への挑戦」など、夢のまた夢だろう。なんで本人がこの論文を書こうと思ったのか、なんで編者が岡田氏に書かせようと考えたのかも疑問であった。
編者の一人でもある平井和子氏の論文『兵士と男性性』は、予想に反してというか、非常に面白かった。日本軍「慰安所」制度に対する極めてオーソドックスな分析であるが、曽根一夫へのインタビューなど内容は非常に示唆に富む。私は本書を読む前に、曽根の本を集中的に読み返していたので、頷けるところが多かった。
姫岡とし子『ナチ・ドイツの性暴力はいかに不可視化されたか-強制収容所内売春施設を中心として』は、「ナチ・ドイツの性暴力」を扱っているのだが、あくまでも「強制収容所内売春施設」のことが中心である。姫岡氏はレギーナ・ミュールホイザー「戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち 」の訳者でもあり、ドイツの戦時性暴力に関する代表的研究者なのだが、ナチ・ドイツに、日本軍の慰安所と類似した、一般兵士用の施設があったか、どの程度の規模であったのかについては、詳しくは説明されていない。ナチは変態の集まりだから、慰安所くらいあっただろうと言うのは勝手な思い込みで、国防軍、SS、武装SSといった性格の違う組織が、どのように兵士の「性欲処理」、「性病予防」措置をとっていたかと言うのは、当たり前の話だが、調べなきゃ分からないのだ。
そのあたりが曖昧なのはもちろん残念なのだが、ベルリンのソ連兵による強姦についての指摘は興味深い。ソ連兵による強姦被害が、戦後すぐの段階で知れ渡った事情を、姫岡氏はナチスによる反ソ宣伝に求める。(ナチスからすれば)劣等民族の集まりであるソ連軍はそもそもが強姦をなんとも思わないようなやつらなのだから、集団強姦があっても不思議ではない。だから、ベルリンの女性たちは、一方的な性暴力被害者として、証言することができたのだということのようだ。原爆や大規模な空爆と同様の「災厄」として考えられたというわけである。ドイツの場合は、ナチの強制収容所での虐殺に、一般民衆が知らんぷりしていたことが、平行して暴露されているいるので、もちろん、このこととも関連があるのだろう。ソ連兵の日本人集団強姦の例や、南京事件の時の集団強姦の例もあるので、これは遠いドイツだけの話ではない。今まで以上に客観的に語られるべき問題と思う。
佐藤文香氏の『戦争と性暴力-語りの正統性をめぐって』も面白かった。佐藤文香氏は第二次大戦時のアメリカ軍のフランスでの「蛮行」を記述した「兵士とセックス」の監訳者である。題名の「語りの正統性」と言うと、上野先生の意味不明の屁理屈が思い浮かぶのだが、内容は穏当で至ってマトモである。私の現在の関心が「理屈」の部分にはないので、ここでは言及しないが、これなら納得という水準であった。橋下元大阪市長が「兵士とセックス」の日本への紹介に一役買ったという話は本書でも触れられているが、「兵士とセックス」の監訳者解題の方に詳細が書かれている。興味のある方は参照されたい。
なんだか、上野先生と他の執筆者との仲違いを煽っているような気持ちになってきたが、そういうつもりもありません。悪しからず。
点数は論文の平均点と言うところです。
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LILYLILY
5つ星のうち2.0 フェミニズム、じゃないかも。2018年4月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
戦時性暴力は日本だけで起きた問題ではない! 日本だけ責めるな! というようなネトウヨ的な言説に、それでは・・・と、フェミニストたちが「性暴力の比較史」にジェンダーの視線から取り組んだ挑戦的な本。日本軍「慰安婦」を私たちはどこまで「普遍」として語れるのか、または語るべきではないのか。ここまで解決できなかったこの問題を、次世代のフェミニストはどのように思考していくべきなのか・・・。ある程度は期待して手に取したのだけれど、残念ながら上野氏の衰えを感じる一冊となった。
特に「ナショナリズムかジェンダーか」という90年代的二項対立(その二項対立自体に、問題が孕んでいることもさんざん指摘されてきたにもかかわらず)からずれることなく韓国の支援運動を民族主義的である、ナショナリズムである、と偏見を助長する批判に固執している点は残念である。最初の告発者、金学順さんが遺族団と共に告発したことをもって初期の運動を民族主義的と断定するあたり乱暴さが際立ち、「慰安婦」問題を理解したい思いで手に取る若い読者への影響が気になる。上野氏は国家権力を批判するあまり、こと性表現、性暴力問題に関しては自己責任、新自由主義論と親和性が高くなっているようだ。
また山下英愛氏の論考は歴史的価値があると考えるが、相変わらず90年代前半で時間の止まった挺対協批判を繰り広げていることに、研究者としての怠慢を感じる。
他の論者の方のものも、いったいどこに着地しようとしているのか、何を主張しようとしているのか、分からないものが多かった。この問題に関する「語りにくさ」というのをそれぞれ抱えながら書かれているのが伝わるが、それでもなぜ「語りにくいのか」が、性暴力という問題に真摯に向き合っているからというよりは、誰かの顔を伺いながら・・・批判されないように慎重に書きたい・・・というのがそこはかとなく伝わってくるからかもしれない。これは本当に専門書、歴史書、ましてやフェミニズム本と言えるのだろうか。
それでも☆を二つつけたのは、おそらくこの論者たちが「慰安婦」問題でどのような立ち場でどのような言説を繰り広げられていたのかご存知ないのであろう樋口氏の真摯な寄稿に対する敬意を示すため。
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つくしん坊
5つ星のうち5.0 線引きが曖昧な戦時性暴力に対して、加害者・被害者双方の視点から比較する重要な試み2018年6月26日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
本書は、歴史学や社会学など広範囲な研究者12人が戦時性暴力を分析検討したものである。政治的・国際的にデリケートな本問題に対して真摯に研究を続けている研究者の皆さんに敬意を表したい。戦時性暴力は線引きが曖昧である。本書は、加害者・被害者双方の視点から比較する有益な試みであり、「政府や軍部による強制性の有無」という非常に狭い視点に囚われがちの「従軍慰安婦」問題にも、新たな視点と今後への示唆を提供している。
本書のバックボーンをなすのは上野千鶴子氏による社会学的な視点である。それは「強姦・売買春・取引・恋愛・結婚・出産」という当事者間の性的関係の連続性と、「敵味方・同盟国・占領地・植民地」という国家間の関係の連続性に着目し、加害者・被害者がどのように語り証言してきたか、を多くの事例をもとに分析するものである。本書の編著者らは何回も研究会を重ねて論考を執筆しているので、各論考の視点には一貫性がある。
本書によれば、戦時性暴力の研究はアジア発で、1991年の元「慰安婦」金学順さんの名乗りがスタートだったという。これをきっかけに日本や韓国などのアジア諸国はもちろん、欧米でも戦時性暴力の本格的な研究が開始された。日本や韓国などにおける研究は膨大な成果を生み出した。一方、欧米でも、ナチ・ドイツ、旧ソ連、ドイツ占領時のフランスなどにおける戦時性暴力の研究が始まり、多くの著作が刊行され始めた。また戦後だけ取り上げても、戦争や内戦時の性暴力は跡を絶たず、普遍的で現在進行中の問題であることが明らかである。
本書では序章で戦時性暴力の視座がまとめられた後、第I部では「慰安婦」の証言聞き取りと兵士側の証言、第II部では従来タブー視されてきた戦時・占領時の性暴力(アメリカ軍の占領時「慰安所」、満洲引揚時のソ連兵による性暴力、ナチ・ドイツ時代の強制収容所内性暴力など)、第III部では歴史学からのアプローチ(歴史学が性暴力を対象とするまで、歴史家による中国での戦時性暴力聞き取りなど)に関する論考がまとめられている。
本書を読み、戦争と性暴力との深い関係について改めて考えさせられた。同時にこの問題は、一見平和な現代社会における、家庭内暴力や社会におけるセクハラ・パワハラとも同根の(連続している)問題であることを痛感させられた。「従軍慰安婦」問題を広い視野から、また現代社会にも通ずる問題として分析している本として本書をお奨めする。
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5성급 중 3.7
3.7/5
4개의 고객 리뷰
일본에서
야스다 압타로
5성급 중 5.0 중후하고 스릴있는 호저
2018년 4월 10일에 확인됨
포맷: 단행본
솔직히, 「한 권의 책을 읽는 것은 이런 일이었는가」라고 오랜만의 감개를 가져왔다.
전쟁과 성폭력의 비교사라고 하는, 많은 사람이 「중고하다」라고 생각하기 쉬운 테마의 책이면서, 한편, 실제로, 각각의 논자가 연구의 성과를 매우 견고하게(이 점에 대해 「실증을 소홀히 하고 있다 「개념의 놀이」라고 하는 선입관으로 가득한 리뷰는 웃음 천만이었다…
우에노 치즈코는 이 책에 대해 “2년간에 걸쳐 준비해 왔다” “사회학, 역사학, 오랄 히스토리의 크로스 오버” “이 분야에서의 이정표가 되면 좋다”고 중얼거리고 있다(https://twitter.com/ueno_wan/status/96668877027889972)
실제로, 이 주제를 둘러싼 지난 30년의 내외의 동향에 대해 말하는 우에노 「서론」은 열기가 가득하다. 다양한 연구자(우리는 독서 레벨에 따라 그 중 몇몇을 알고 있거나 전혀 모르는 것인데)의 성과가 이로를 따라 소개되는데, 단지 망라일 것도 없고, 그 손바닥은 질완, 그리고 어딘가 화려함도 있다.
이렇게 서론에서는 ①전쟁과 성폭력, ②비교사, ③여성의 에이전시, ④오랄 히스토리라는 논점이 제시된다. 모두 일근줄로는 가지 않지만, 특히 「말을 저해하는 것과 말을 가능하게 하는 것」 「역사의 일부이기도 한 스스로의 체험을 말한다고는 어떠한 행위인가」 「그 때 에이전시는 어떻게 생성해 행위 수행하는 것인가」라고 하는 문제는, 사견으로는 매우 중요한, 이른바 역사와. 중층성이라고 말한 것은 역사서이면서 이런 사상의 책이기도 하다는 본서의 특징 때문이다. 전시성 폭력 피해자 '아니오' 우리에게도 이 책에 의해 얻을 수 있는 것이 많다고 하면 그 때문이다.
각 논자는, 자신의 취재와 연구의 성과를 말하는 것과 동시에, 이러한 전체의 테마에의 응답을 요구된다(그것은 반드시 부드럽게 접속되는 것 같지 않고, 그 중에는 악전 고투도 있었음에 틀림없다). 또 예를 들면 난초 논문(「전시성 폭력 피해를 듣는다고 하는 것」)는, 사쿠라이 아츠시의 「모델 스토리」와 「마스터 나라티브」개념을 이용해, 이야기를 저해하는 것에 대해 검토하는 가운데 우에노의 「모델 피해자」론에 접해, 「이런 모델 피해자상이 일본군 위안부 문제/일본 라고 구체적으로 어떻게 구축되어 갔는지”를 정면에서 논한 것은 거의 야마시타 영애만이라고 지적하고 있지만(p.288), 그 야마시타에 의한 2016년의 심포지엄 보고라고 하는 것은, 타도 아닌 본서에 수록된 야마시타 논문(「한국 '위안부')의 증언 듣기 작업이다. 이처럼 서론과의 관계뿐만 아니라 본서 내외의 연구자 간의 상호참조가 활발하게 이루어지고 있으며, '논문집으로서는 통일감이 있다'는 상태가 아니라 독특한 지식의 연성의 장이라는 느낌이 있다.
각 논문을 읽으면서 註를 참조하고, 때로는 「서론」이나 다른 논문을 읽고, 다른 책의 관련 개소를 확인해… … 그렇다면 이해할 수 없다는 뜻은 아니다.
35명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
유용한
보고서
사토폰
5성급 중 3.0 역사학에 "도전"하는 것은 우에노 선생님의 마음입니다.
2018년 5월 29일에 확인됨
포맷: 단행본
현재에 이르기까지 '전쟁과 성폭력'의 '비교사' 연구로는 진이쿠히코씨가 '위안부와 전장의 성' 속에서 1장을 나누어 쉽게 각국의 군대의 '위안부' 사정적인 것을 소개하고 있는 예가 있을 뿐이었다.
이 '비교연구' 부분은 그 내용이 타국을 자극한다고 해서 '위안부와 전장의 성' 정부 간의 영역 프로젝트가 오장이 되었다고 하는 엄청난 이와쿠츠키의 것이지만, 지금도 그 나름대로 영향력이 있다. 산케이신문이 「역사전」에서 전개하고 있는, 전쟁시는 어느 나라도 비슷한 것 하고 있는 거라고 하는 예의 녀석이다. 한국군의 베트남 전쟁하의 한국군 「위안소」의 예가, 주간 문춘과 야마구치 케이유키에 의한 쭉 올렸던 것이 발각하고 있지만, 원래, 진씨가 논문 속에서, 베트남 전쟁에서의 미국군의 「위안소」의 예(이것도 마유츠바)를 소개
왜 진씨의 '연구' 정도밖에 예가 없었는가 하는 문제인데, 전시성 폭력 연구 속에서 일본군의 위안소 연구 축적이 돌출하고 있어 타국에는 '비교'를 할 뿐의 연구 축적이 없었기 때문이다. 예를 들어, 나치 독일은 일본군의 위안소와 유사한 시설을 만든 진씨에게 주장되지만, 그것이 얼마나 규모로 어떤 명령계통에 의해 만들어졌는가 하면 거의 밝혀지지 않았다. 일본군의 위안소와 같은 시설을 나치가 만든 것의 논거로서, 진씨가 사용하고 있는 것은, 진씨 자신이 일본에 소개한 프란츠 자이틀러의 저작이지만, 아직도 일본어역조차 나오지 않았다.
그러므로 '전쟁과 성폭력의 비교사' 연구가 깊어진다고 한다면 아무 몽크도 없다. 점점 더 해달라고 생각할 뿐이지만, 그건 그렇게 단순하지도 않다. 판원의 이와나미의 내용 소개를 읽으면 알 수 있듯이, 큰 보자기의 제목과 뒤집어, 지극히 수수한 논문이 줄지어 있는 것이다.
편자 중 한 명인 우에노 치즈코씨는 박유하를 옹호하기 위해 짠 '대화를 위해 '제국의 위안부'라는 질문을 펼친다(2016)'에서 다음과 같이 썼다.
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역사가에게 있어서는, 이 「말의 복수성」이라고 하는 개념이 마음에 들지 않는 것 같다. 원래 '역사'가 '말하기'로 등가되는 것 자체가 용서하기 어려운 것 같다. 왜냐하면 '진실'은 단 하나이며, 그것은 '입장성'의 여하를 불문하고 만인에게 인정받아야 하며, 그 진실의 진실성을 재정하는 심판자는 훈련받은 역사가이어야 하기 때문이다. 역사가는 역사의 법정의 재판관이라는 특권적인 지위를 놓치고 싶지 않은 것처럼 보인다.
역사학은 크게 전환을 강요받은 '이었다'라고 쓰는 것은 기대에 반하여 역사학이 변화한 것처럼 보이지 않기 때문이다. 90년대 후반에 「위안부」문제를 둘러싸고 구축주의 vs. 실증사학의 사이에서 「우에노·요시미 논쟁」이 일어난 것이 되고 있지만, 그리고 일부의 역사가의 사이에서는, 「우에노는 반성했다」라고 하는 것으로 되어 있는 것 같지만, 나는 조금도 반성 등하고 있다 오히려 박유하의 '제국의 위안부' '박, 2014'를 둘러싼 논쟁에서 20년 가까이 전의 논쟁이 마치 디자뷔처럼 반복되는 사태를 보고 역사가들은 아무것도 배우지 않았는지 암묵하는 생각에 사로잡힌다.
'제국의 위안부'가 역사서로 읽을 가치가 없다는 비판은 주로 '실증사학' 수준(사실인부)에서 이루어지고 있다. 하지만 내 눈에서 보면 '제국의 위안부'가 가져온 학문적인 임팩트는 '실증' 수준이 아니라 '말하기'와 '기억 수준'에 있다. 그리고 그것을 놓치는 '제국의 위안부' 평가는 모두 빗나간다고 해도 좋다. '제국의 위안부'는 그것이라고 말하지는 않았지만 포스트콜로니어 리듬 - '탈식민지화'로 번역된다-의 과제를 붙였다.
출처:대화를 위해 「제국의 위안부」라는 질문을 떠올린다
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본서의 편자에게는 란노부 산씨와 히라이 카즈코씨가 이름을 올리고 있지만, 「처음에」에는, 우에노씨의 생각이 크게 반영되고 있는 것을 알 수 있다. 비슷한 것이 쓰여 있기 때문이다.
주지와 같이, 우에노씨는 박유하씨의 「제국의 위안부」에 대한, 방목에는 기묘하다고 밖에 말할 수 없는 어깨 넣어상을 둘러싸고, 여러가지 비난되고 있다. '비난받고 있다'는 말이 나쁘면, 의미가 없는 고타고타의 발신원이 되고 있다고 말해야 할지도 모른다. 위의 문장을 읽고 그녀가 무슨 말을 하고 있는지 설명할 수 있는 사람은 본인 이외에 없을 것이다. 언어 명료 의미 불명이라고 하는 녀석이다.
본서를 읽어도 우에노 씨가 스스로 설명하면 끝나는 이야기를 타인에게 설명하게 하는 형태로 참깨해 버리려고 한다고 하는 의심을 닦지 않았다. 물론 그녀의 '역사학'에 대한 이상한 '대항의식'에는 과거에 요시미 요시아키 씨에게 이유의 와카란난버릇을 붙인 끝에 자폭한 역망도 있을까 생각한다. 자존심이 용서하지 않을 것입니다.
그런 사람이 편자의 한 사람이기 때문에, 수록되고 있는 논문도 히드이인가라고 하면, 그만큼도 아니다. 우에노씨의 자기 정당화의 냄새에 코를 집어 참으면의 이야기이지만, 각 사람, 자주(잘) 나쁘게도 마이 페이스로, 우에노씨의 열화만과는 무관하게, 견고하게 정리하고 있다.
야마시타 히데아이씨는 '한국의 '위안부' 증언 듣기 작업의 역사'에서 전 '위안부' 여성의 증언 듣기를 둘러싼 안조 나오와 정대협 사이의 '논쟁'에 대해 정리하고 있다. 나름대로 흥미롭지만, 구체적인 「증언」의 내용에 대해서는, 거의 접할 수 없다. 나는 그녀들의 증언은 실증적 역사학과 보완함으로써 일본군 '위안소' 제도의 예를 보지 못한 가혹함을 증명한 매우 귀중한 것이라고 생각하고 있다. 「피해자 여성의 증언」에 대해서는, 본서 중에서도 반복해, 그 의의가 강조되는 것이지만, 관련 논문은 이 한 개뿐이다. 구치에서는 어떻게 말하자면, 어떻게 '피해자 여성의 증언'과 '위안부 문제'를 편자(아마 한 명)가 경시하고 있는 것 같다. 전지로부터의 일본인 「인양」여성의 강간의 문제는, 2개의 논문으로 논해지고 있지만, 정직, 신맛이 있는 것은 아니었다.
오카다 타이헤이씨의 논문 '일본군 '위안부' 제도-강제성과 합법성을 둘러싼 갈등'은 돋보이는 기묘한 논문이다. 나가이 카즈토시씨의 논문을 끌어내고, 「합법성」이라고 하는 일을 논하고 있는데, 무엇과 무엇이 「갈등」하고 있는 것일지도 모른다. 요시미 요시아키씨와 나가이 카즈토시씨의 논문이 「갈등」하고 있는 것처럼, 읽을 수 없는 것도 없지만, 이것으로는 본서가 떠올리는 「역사학에의 도전」 등, 꿈의 또 꿈일 것이다. 왜 본인이 이 논문을 쓰려고 생각했는지, 왜 편자가 오카다 씨에게 쓰게 하려고 생각했는지도 의문이었다.
편자의 한사람이기도 한 히라이 카즈코씨의 논문 『병사와 남성성』은, 예상에 반해라고 할까, 매우 재미 있었다. 일본군 ‘위안소’ 제도에 대한 지극히 전통적인 분석이지만, 소네이치오와의 인터뷰 등 내용은 매우 시사가 풍부하다. 나는 이 책을 읽기 전에 소근의 책을 집중적으로 읽고 있었기 때문에 수긍하는 곳이 많았다.
히메오카 토시코 '나치·독일의 성폭력은 어떻게 불가시화됐는가 - 강제수용소 내 매춘시설을 중심으로'는 '나치·독일의 성폭력'을 다루고 있는데, 어디까지나 '강제수용소 내 매춘시설'이 중심이다. 히메오카 씨는 레기나 뮐호이저 「전장의 성――독소 전하의 독일병과 여성들」의 역이기도 하고, 독일의 전시성 폭력에 관한 대표적 연구자인데, 나치・독일에, 일본군의 위안소와 유사한, 일반 병사용의 시설이 있었는지, 어느 정도의 규모였는가. 나치는 변태의 모임이기 때문에 위안소 정도 있었을 것이라고 말하는 것은 제멋대로인 추억으로, 국방군, SS, 무장 SS라고 하는 성격이 다른 조직이, 어떻게 병사의 「성욕 처리」, 「성병 예방」조치를 취하고 있었는지 말하는 것은 당연한 이야기이지만, 조사하지 않으면.
그 근처가 모호한 것은 물론 유감인데, 베를린의 소련병에 의한 강간에 대한 지적은 흥미롭다. 소련병에 의한 강간 피해가 전후 바로 단계에서 알게 된 사정을 히메오카 씨는 나치에 의한 반소 선전에 요구한다. (나치에서 하면) 열등 민족의 모임인 소련군은 애초에 강간을 아무 생각도 하지 않는 녀석들 이니까, 집단 강간이 있어도 이상하지 않다. 그래서 베를린의 여성들은 일방적인 성폭력 피해자로서 증언할 수 있었던 것 같다. 원폭이나 대규모 공폭과 같은 '재앙'으로 생각되었다는 것이다. 독일의 경우 나치의 강제수용소에서의 학살에 일반 민중이 모르고 있던 것이 평행하게 노출되어 있기 때문에 물론 이와도 관련이 있을 것이다. 소련병의 일본인 집단 강간의 예나 난징 사건 때의 집단 강간의 예도 있기 때문에 이것은 먼 독일만의 이야기가 아니다. 지금까지 이상으로 객관적으로 말해야 할 문제라고 생각한다.
사토 후미카 씨의 '전쟁과 성폭력-말의 정통성을 둘러싸고'도 재미 있었다. 사토 후미카 씨는 제2차 대전시의 미군 프랑스에서의 「만행」을 기술한 「병사와 섹스」의 감역자이다. 제목의 「말의 정통성」이라고 하면, 우에노 선생님의 의미 불명의 편리굴이 떠오르는데, 내용은 온화하고 이어서 마토모이다. 나의 현재의 관심이 「리굴」의 부분에는 없기 때문에, 여기에서는 언급하지 않지만, 이것이라면 납득이라고 하는 수준이었다. 하시모토 모토 오사카 시장이 '병사와 섹스'의 일본에 소개에 한몫 샀다는 이야기는 본서에서도 언급되어 있지만, '병사와 섹스'의 감역자 해제 쪽에 자세한 내용이 적혀있다. 관심있는 사람은 참조하십시오.
왠지, 우에노 선생님과 다른 집필자와의 사이의 차이를 부추기고 있는 것 같은 기분이 되어 왔습니다만, 그런 생각도 없습니다. 나쁘지 않아.
점수는 논문의 평균점이라고 하는 곳입니다.
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보고서
LILYLILY
5성급 중 2.0 페미니즘이 아닐지도.
2018년 4월 6일에 확인됨
포맷: 단행본
전시성 폭력은 일본에서만 일어난 문제가 아니다! 일본만 비난하지 마라! 라고 하는 네트우요적인 언설에, 그럼···과 페미니스트들이 「성폭력의 비교사」에 젠더의 시선으로부터 임한 도전적인 책. 일본군 '위안부'를 우리는 어디까지 '보편'으로 말할 수 있는지 말하지 말아야 하는가. 여기까지 해결할 수 없었던 이 문제를, 차세대의 페미니스트는 어떻게 생각해 가야 할 것인가···. 어느 정도는 기대하고 손에 들었는데, 불행히도 우에노씨의 쇠퇴를 느끼는 한 권이 되었다.
특히 ‘내셔널리즘인가 젠더인가’라는 90년대적 이항대립(그 이항대립 자체에 문제가 가고 있는 것도 잔잔히 지적되어 왔음에도 불구하고)에서 어긋나지 않고 한국의 지원운동을 민족주의적인 내셔널리즘이다고 편견을 조장하는 비판. 최초의 고발자 김학순씨가 유족단과 함께 고발한 것으로 초기 운동을 민족주의적이라고 단정할 때 난폭함이 두드러지며 '위안부' 문제를 이해하고 싶은 마음으로 손에 든 젊은 독자에게의 영향이 궁금하다. 우에노씨는 국가권력을 비판하는 만큼, 성 표현, 성폭력 문제에 관해서는 자기책임, 신자유주의론과 친화성이 높아지고 있는 것 같다.
또 야마시타 히데아이씨의 논고는 역사적 가치가 있다고 생각하지만, 여전히 90년대 전반에 시간이 멈춘 정대협 비판을 벌이고 있는 것에, 연구자로서의 게으름을 느낀다.
다른 논자 쪽의 것도, 도대체 어디에 착지하려고 하고 있는지, 무엇을 주장하려고 하고 있는지, 모르는 것이 많았다. 이 문제에 관한 「말하기 어려움」이라고 하는 것을 각각 안고 쓰여지고 있는 것이 전해지지만, 그래도 왜 「말하기 어려운 것인가」가, 성폭력이라고 하는 문제에 진지하게 마주하고 있기 때문이라고 하기보다는, 누군가의 얼굴을 묻으면서・・・비판되지 않도록 신중하게 쓰고 싶다・・・라고 하는 것이 거기는 확실히 전해져. 이것은 정말로 전문서, 역사서, 하물며 페미니즘 책이라고 말할 수 있을까.
그래도 ☆를 2개 붙인 것은, 아마 이 논자들이 「위안부」문제로 어떤 입장에서 어떤 언설을 펼쳐지고 있었는지 알지 않을 것이다 히구치씨의 진지한 기고에 대한 경의를 나타내기 위해.
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쓰쿠신보
5성급 중 5.0 선 뽑기가 모호한 전시성 폭력에 대해, 가해자·피해자 쌍방의 관점에서 비교하는 중요한 시도
2018년 6월 26일에 확인됨
포맷: 단행본
본서는 역사학이나 사회학 등 광범위한 연구자 12명이 전시성 폭력을 분석 검토한 것이다. 정치적·국제적으로 섬세한 이 문제에 대해 진지하게 연구를 계속하고 있는 연구자 여러분에게 경의를 표하고 싶다. 전시성 폭력은 선발이 모호하다. 본서는 가해자·피해자 쌍방의 시점에서 비교하는 유익한 시도이며, “정부나 군부에 의한 강제성의 유무”라는 매우 좁은 시점에 사로잡혀 경향이 있는 “종군 위안부” 문제에도 새로운 시점과 앞으로의 시사를 제공하고 있다.
본서의 백본을 이루는 것은 우에노 치즈코씨에 의한 사회학적 시점이다. 그것은 「강간・매매춘・거래・연애・결혼・출산」이라고 하는 당사자간의 성적 관계의 연속성과, 「적 아군・동맹국・점령지・식민지」라고 하는 국가간의 관계의 연속성에 주목해, 가해자・피해자가 어떻게 말해 증언해 왔는지를, 많은 사례를 토대로 분석. 이 책의 편 저자들은 여러 번 연구회를 거듭하여 논고를 집필하고 있으므로 각 논고의 시점에는 일관성이 있다.
본서에 따르면 전시성 폭력 연구는 아시아발로 1991년 전 위안부 김학순씨의 명승이 시작되었다고 한다. 이를 계기로 일본이나 한국 등 아시아 국가들은 물론 서구에서도 전시성 폭력의 본격적인 연구가 시작됐다. 일본이나 한국 등에서의 연구는 방대한 성과를 낳았다. 한편 구미에서도 나치·독일, 구소련, 독일 점령시 프랑스 등에서 전시성 폭력 연구가 시작되어 많은 저작이 간행되기 시작했다. 또 전후에만 다루어도 전쟁이나 내전시 성폭력은 흔적을 끊이지 않고 보편적이고 현재 진행중인 문제임이 분명하다.
본서에서는 서장에서 전시성 폭력의 시좌가 정리된 후, 제I부에서는 「위안부」의 증언 청취와 병사측의 증언, 제II부에서는 종래 금기시되어 온 전시・점령시의 성폭력(미국군의 점령시 「위안소」, 만주 인양시의 소련병 에 의한 성폭력, 나치·독일 시대의 강제 수용소 내성 폭력 등), 제III부에서는 역사학으로부터의 어프로치(역사학이 성폭력을 대상으로 할 때까지, 역사가에 의한 중국에서의 전시성 폭력 듣기 등)에 관한 논고가 정리되어 있다.
이 책을 읽고 전쟁과 성폭력의 깊은 관계에 대해 다시 생각하게 했다. 동시에 이 문제는 일견 평화로운 현대사회에서의 가정폭력과 사회에서 성희롱·파와하라와도 동근의(연속하고 있는)문제임을 통감시켰다. 「종군위안부」문제를 넓은 시야에서, 또 현대사회에도 통하는 문제로 분석하고 있는 책으로서 본서를 추천한다.
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전쟁과 성폭력의 비교사 - 가려진 피해자들의 역사를 말하다
우에노 지즈코,아라라기 신조,히라이 가즈코 (엮은이),서재길 (옮긴이)어문학사2020-08-28

























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전자책 12,420원
Sales Point : 228
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책소개
전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 '위안부'와 일본군 '위안부'의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다.
목차
들어가는 말 ― 전쟁과 성폭력의 비교사를 향하여
서장┃전쟁과 성폭력의 비교사의 관점
우에노 지즈코
머리말 ― ‘성폭력 연속체’
1. 성폭력의 이야기는 어떻게 가능한가
2. 전쟁이라는 문맥 아래
3. 구조적 폭력과 조선인 ‘위안부’의 위치
맺음말 ― ‘역사의 구멍’
제1부 ‘위안부’를 말하는 방식
제1장┃한국의 ‘위안부’ 증언 청취 작업의 역사: 기억과 재현을 둘러싼 노력
야마시타 영애
머리말
1. ‘위안부’ 문제의 진상규명을 요구하며 ― 증언집 1, 2
2. 생존자들과의 교류를 거듭하면서 ― 증언집 3
3. 증언과 구술사 사이에서 ― 증언집 4~6
맺음말
제2장┃‘강제연행’ 담론과 일본인 ‘위안부’의 불가시화
기노시타 나오코
머리말
1. ‘강제연행’ 담론 ― 일본의 가해를 고발하는 프레임
2. ‘위안부’ 문제의 담론 구성 ― 1990년대 초기 운동의 특징을 통해
맺음말
제3장┃일본군 ‘위안부’ 제도와 성폭력: 강제성과 합법성을 둘러싼 갈등
오카다 다이헤이
머리말
1. ‘위안부’ 강제성의 입증과정
2. ‘위안부’ 제도의 위법성을 둘러싸고
3. 지역 연구로의 전환
4. 불확실성과 사실 인정
맺음말
제4장┃병사와 남성성: ‘위안소’에 간 병사 / 가지 않은 병사
히라이 가즈코
머리말
1. 분석 대상과 방법
2. ‘위안소’를 만든 쪽의 계산=병사의 통제
3. 병사들에게 있어서 ‘위안소’ ― 왜 ‘위안소’에 갔던가
4. 병사는 ‘위안부’를 어떻게 바라보고 있었나
5. ‘위안소’에 가지 않았던 병사
6. 병사와 남성성
맺음말
제2부 이야기할 수 없는 기억
제5장┃섹스라고 하는 접촉지대: 일본 점령의 경험에서
챠조노 도시미
머리말
1. 점령군 위안시설 설치와 ‘방파제’로 선별된 여성들
2. 점령정책의 결과로서의 빵빵의 출현 ― 방파제에서 범죄자로
3. 본고의 분석개념과 분석방법에 대하여
4. 강간/매매춘/연애/결혼에 있어서의 생존전략
5. 성폭력 연속체로서의 강간/매매춘/연애/결혼
맺음말
제6장┃이야기를 꺼내기 시작한 성폭력 피해자: 만주 인양자의 희생자 담론을 독해하다
이노마타 유스케
머리말
1. 집단 자결
2. 소련군과의 ‘거래’
3. 전시 성폭력은 어떻게 이야기되기 시작했나
맺음말
제7장┃인양 여성의 ‘불법 임신’과 전후 일본의 ‘중절의 자유’
히구치 게이코
머리말
1. 인양 여성의 성피해
2. 일본 정부의 즉시 대응
3. 피해 여성과 지원자들
4. 전후 일본의 ‘중절의 자유’
맺음말
제8장┃나치 독일의 성폭력은 어떻게 불가시화되었나
히메오카 도시코
머리말
1. 종전 직후 ― 비교적 솔직하게 이야기되다
2. 동서분단부터 1980년대까지―성폭력의 터부화 및 불가시화의 진전
3. 1990년대 이후 ― 성폭력에 대한 주목
맺음말
제3부 역사학에 대한 도전
제9장┃성폭력과 일본 근대역사학: ‘만남’과 ‘만나지 못함’
나리타 류이치
머리말
1. 일본 근대역사학과 성/성폭력
2. 성폭력을 둘러싼 일본 근대역사학의 역사
3. 구술사와의 ‘만나지 못함’
4. ‘전회’를 둘러싸고
제10장┃전시 성폭력 피해를 듣는다는 것: 『황토 마을의 성폭력』을 단서로
아라라기 신조
머리말
1. 과제의 설정, 문제의 소재
2. 전시 성폭력/일본군 ‘위안부’ 문제와 증언
3. 전시 성폭력 피해를 듣는다는 것―이시다 요네코 등의 청취 실천
4. 이시다 팀의 청취 실천의 현재적 의의
맺음말
제11장┃전쟁과 성폭력: 이야기의 정통성을 둘러싸고
사토 후미카
머리말
1. 구축된 성폭력 이야기
2. 전시의 성적 관계의 연속성
맺음말 ― 성폭력 연속체 가운데에서
후기
한국어판 후기
역자 후기
참고문헌
접기
저자 및 역자소개
우에노 지즈코 (上野千鶴子) (엮은이)
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일본을 대표하는 페미니스트 사회학자. 교토대에서 사회학 박사학위를 받고, 도쿄대에서 가르쳤다. 현재 동 대학 명예교수이자 NPO 법인 여성행동네트워크WAN 이사장으로 있다. 1994년, 『근대 가족의 성립과 종언』으로 산토리학예상을, 2011년 『돌봄의 사회학』으로 아사히상을 수상했다. 그간 페미니즘적 관점에서 가부장적 사회를 날카롭게 분석하는 글들뿐만 아니라 늙음과 돌봄에 대한 성찰을 담은 글들을 꾸준히 발표했다. 노후에 대한 제안과 인생 상담, 도쿄대 신입생 축사 등 학문적 글쓰기에만 국한되지 않는 그녀의 글들은 대중적으로도 큰... 더보기
최근작 : <느리게 마이너노트로>,<산기슭에서, 나 홀로>,<모두가 존중받는 사회를 위하여> … 총 188종 (모두보기)
아라라기 신조 (蘭信三) (엮은이)
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1954년생으로 조치上智 대학 총합글로벌학부 교수이다. 전공은 역사사회학, 전쟁사회학이다. 저서 및 논문으로는 『제국 이후의 사람의 이동―포스트콜로니얼리즘과 글로벌리즘의 교차점』(편저, 2013), 『구술사의 전개와 과제』(2015) 등이 있다.
최근작 : <전쟁과 성폭력의 비교사> … 총 12종 (모두보기)
히라이 가즈코 (平井和子) (엮은이)
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1955년생으로 히토쓰바시一橋 대학 사회학연구과 강사이다. 전공은 근현대여성사, 젠더사이다. 저서 및 논문으로는 『일본 점령과 젠더―미군.매춘부와 일본여성들』(2014), 『미군 점령하 일본에서의 젠더 정치학』(2016) 등이 있다.
최근작 : <전쟁과 성폭력의 비교사> … 총 5종 (모두보기)
서재길 (옮긴이)
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1971년 울산 출신. 서울대 국어국문학과에서 박사 학위를 취득하고 현재 국민대학교 한국어문학부 교수로 재직 중이다. 식민지 시기 미디어와 대중문화를 주로 연구하고 있다.
『조선 사람의 세계여행』(편저, 2011) 등의 저서와 『사할린 잔류자들』(2019), 『전쟁과 성폭력의 비교사』(2020), 『제국의 소녀들』(공역, 2023) 등의 번역서를 출간했다.
최근작 : <처녀지>,<한국 현대 소설이 걸어온 길>,<한국방송 80년, 그 역사적 조명> … 총 12종 (모두보기)
출판사 제공 책소개
이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내디딘다.
집필자
야마시타 영애山下英愛 분쿄文教 대학 문학부 교수
기노시타 나오코木下直子 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
오카다 다이헤이岡田泰平 도쿄 대학 대학원 총합문화연구과 교수
챠조노 도시미茶園敏美 리쓰메이칸立命館 대학 산업사회학부 강사
이노마타 유스케猪股祐介 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
히구치 게이코樋口恵子 도쿄 가정대학 여성미래연구소 소장, 동 대학 명예교수
히메오카 도시코姫岡とし子 도쿄 대학 대학원 인문사회계연구과 명예교수
나리타 류이치成田龍一 니혼日本 여자대학 인간학부 교수
사토 후미카佐藤文香 히토쓰바시 대학 대학원 사회학연구과 교수
이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시와 관련지어 논의한다. 전쟁과 성폭력에 관한 연구는 1991년 일본군 ‘위안부’였던 김학순 할머니가 실명을 밝히면서 일본 정부를 상대로 손해배상을 청구하는 재판을 제소함으로서 시작되었다. 이로써 1991년부터 전시 성폭력은 역사학에서 다루는 대상으로 인식되었다.
세계 각지로 전시 성폭력 실태 연구가 진전되었으나, 전쟁과 성폭력 연구는 기억과 증언이라는 어려움이 있다. 성폭력은 가해자와 피해자 사이에 경험이 비대칭적이며, 가해자도 피해자도 기록을 사실로서 남기는 경우가 드물다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 증언이 억압되어 침묵함으로써 가해 사실이 면책되지 않도록 비교사의 관점에서 기억과 증언을 다룬다.
성폭력 피해의 이야기는 어떻게 가능해지는가.
증언을 가능하게 하는 조건은 어떠하며, 무엇이 이야기되고 무엇이 이야기되지 못하는가.
여기에 이야기를 듣는 이는 어떻게 관여하며 이야기는 어떻게 다루어져야 하는가.
라는 물음을 던지며 한 권의 책으로 묶었다.
『전쟁과 성폭력의 비교사』는 아래의 세 가지 분야에 대해 정면으로 마주한다. 첫 번째로는 전쟁에 수반되는 성폭력에 대해서 “통제가 불가능한 전시하에서 일어나는 병사의 일탈 행위”가 아닌 강간이 전쟁에 수반되었음을 말한다. 두 번째로는 기억 속에서 말할 수 있는 경험과 끝내 말할 수 없는 경험으로서의 ‘선택적 망각’ 속에서 다음 세대로 국민적 기억을 어떻게 계승할 것인가 하는 과제에 직면한다. 세 번째로 비대칭적인 성 규범에 대해 묻는다. 가부장적 젠더 규범에서는 피해자가 ‘빈틈을 주었다’고 책망을 당하고 ‘유혹자’로 구축되어 도리어 ‘수치’를 의식하게 되기에 피해자가 침묵함으로써 역사적 사실로 기록되지 못한다.
『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시(agency)에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 제3부로 나눠진다. 제1부「‘위안부’를 이야기하는 방법」에서는 증언과 기억에 관련된 문제를 다루며 제2부 「이야기할 수 없는 기억」에서는 무엇이 이야기를 억압하고 있는 것인가 하는 그 이면을 드러낸다. 제3부 「역사학에 대한 도전」에서는 방법론적 과제와 정면으로 마주한다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내딛는다. 접기
위안부에 관한 논의에서 일본 정부의 책임 및 책임회피에 대한 비판만은 교묘히 비껴가는 우에노 치즈코의 입장은 예나 지금이나 속을 부글부글 끓게한다. 한국의 민족주의 위안부 담론이 가진 문제를 일본지식인이 지적할 일은 아니다. 일본인이라는 본인의 위치성조차 깨닫지못한다면 우매함일 따름.

초록비 2024-11-28 공감 (18) 댓글 (0)
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전쟁과 성폭력의 비교사 - 가려진 피해자들의 역사를 말하다
우에노 지즈코,아라라기 신조,히라이 가즈코 (엮은이),서재길 (옮긴이)어문학사2020-08-28

























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전자책 12,420원
Sales Point : 228

책소개
전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 '위안부'와 일본군 '위안부'의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다.
목차
들어가는 말 ― 전쟁과 성폭력의 비교사를 향하여
서장┃전쟁과 성폭력의 비교사의 관점
우에노 지즈코
머리말 ― ‘성폭력 연속체’
1. 성폭력의 이야기는 어떻게 가능한가
2. 전쟁이라는 문맥 아래
3. 구조적 폭력과 조선인 ‘위안부’의 위치
맺음말 ― ‘역사의 구멍’
제1부 ‘위안부’를 말하는 방식
제1장┃한국의 ‘위안부’ 증언 청취 작업의 역사: 기억과 재현을 둘러싼 노력
야마시타 영애
머리말
1. ‘위안부’ 문제의 진상규명을 요구하며 ― 증언집 1, 2
2. 생존자들과의 교류를 거듭하면서 ― 증언집 3
3. 증언과 구술사 사이에서 ― 증언집 4~6
맺음말
제2장┃‘강제연행’ 담론과 일본인 ‘위안부’의 불가시화
기노시타 나오코
머리말
1. ‘강제연행’ 담론 ― 일본의 가해를 고발하는 프레임
2. ‘위안부’ 문제의 담론 구성 ― 1990년대 초기 운동의 특징을 통해
맺음말
제3장┃일본군 ‘위안부’ 제도와 성폭력: 강제성과 합법성을 둘러싼 갈등
오카다 다이헤이
머리말
1. ‘위안부’ 강제성의 입증과정
2. ‘위안부’ 제도의 위법성을 둘러싸고
3. 지역 연구로의 전환
4. 불확실성과 사실 인정
맺음말
제4장┃병사와 남성성: ‘위안소’에 간 병사 / 가지 않은 병사
히라이 가즈코
머리말
1. 분석 대상과 방법
2. ‘위안소’를 만든 쪽의 계산=병사의 통제
3. 병사들에게 있어서 ‘위안소’ ― 왜 ‘위안소’에 갔던가
4. 병사는 ‘위안부’를 어떻게 바라보고 있었나
5. ‘위안소’에 가지 않았던 병사
6. 병사와 남성성
맺음말
제2부 이야기할 수 없는 기억
제5장┃섹스라고 하는 접촉지대: 일본 점령의 경험에서
챠조노 도시미
머리말
1. 점령군 위안시설 설치와 ‘방파제’로 선별된 여성들
2. 점령정책의 결과로서의 빵빵의 출현 ― 방파제에서 범죄자로
3. 본고의 분석개념과 분석방법에 대하여
4. 강간/매매춘/연애/결혼에 있어서의 생존전략
5. 성폭력 연속체로서의 강간/매매춘/연애/결혼
맺음말
제6장┃이야기를 꺼내기 시작한 성폭력 피해자: 만주 인양자의 희생자 담론을 독해하다
이노마타 유스케
머리말
1. 집단 자결
2. 소련군과의 ‘거래’
3. 전시 성폭력은 어떻게 이야기되기 시작했나
맺음말
제7장┃인양 여성의 ‘불법 임신’과 전후 일본의 ‘중절의 자유’
히구치 게이코
머리말
1. 인양 여성의 성피해
2. 일본 정부의 즉시 대응
3. 피해 여성과 지원자들
4. 전후 일본의 ‘중절의 자유’
맺음말
제8장┃나치 독일의 성폭력은 어떻게 불가시화되었나
히메오카 도시코
머리말
1. 종전 직후 ― 비교적 솔직하게 이야기되다
2. 동서분단부터 1980년대까지―성폭력의 터부화 및 불가시화의 진전
3. 1990년대 이후 ― 성폭력에 대한 주목
맺음말
제3부 역사학에 대한 도전
제9장┃성폭력과 일본 근대역사학: ‘만남’과 ‘만나지 못함’
나리타 류이치
머리말
1. 일본 근대역사학과 성/성폭력
2. 성폭력을 둘러싼 일본 근대역사학의 역사
3. 구술사와의 ‘만나지 못함’
4. ‘전회’를 둘러싸고
제10장┃전시 성폭력 피해를 듣는다는 것: 『황토 마을의 성폭력』을 단서로
아라라기 신조
머리말
1. 과제의 설정, 문제의 소재
2. 전시 성폭력/일본군 ‘위안부’ 문제와 증언
3. 전시 성폭력 피해를 듣는다는 것―이시다 요네코 등의 청취 실천
4. 이시다 팀의 청취 실천의 현재적 의의
맺음말
제11장┃전쟁과 성폭력: 이야기의 정통성을 둘러싸고
사토 후미카
머리말
1. 구축된 성폭력 이야기
2. 전시의 성적 관계의 연속성
맺음말 ― 성폭력 연속체 가운데에서
후기
한국어판 후기
역자 후기
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우에노 지즈코 (上野千鶴子) (엮은이)
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일본을 대표하는 페미니스트 사회학자. 교토대에서 사회학 박사학위를 받고, 도쿄대에서 가르쳤다. 현재 동 대학 명예교수이자 NPO 법인 여성행동네트워크WAN 이사장으로 있다. 1994년, 『근대 가족의 성립과 종언』으로 산토리학예상을, 2011년 『돌봄의 사회학』으로 아사히상을 수상했다. 그간 페미니즘적 관점에서 가부장적 사회를 날카롭게 분석하는 글들뿐만 아니라 늙음과 돌봄에 대한 성찰을 담은 글들을 꾸준히 발표했다. 노후에 대한 제안과 인생 상담, 도쿄대 신입생 축사 등 학문적 글쓰기에만 국한되지 않는 그녀의 글들은 대중적으로도 큰... 더보기
최근작 : <느리게 마이너노트로>,<산기슭에서, 나 홀로>,<모두가 존중받는 사회를 위하여> … 총 188종 (모두보기)
아라라기 신조 (蘭信三) (엮은이)
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1954년생으로 조치上智 대학 총합글로벌학부 교수이다. 전공은 역사사회학, 전쟁사회학이다. 저서 및 논문으로는 『제국 이후의 사람의 이동―포스트콜로니얼리즘과 글로벌리즘의 교차점』(편저, 2013), 『구술사의 전개와 과제』(2015) 등이 있다.
최근작 : <전쟁과 성폭력의 비교사> … 총 12종 (모두보기)
히라이 가즈코 (平井和子) (엮은이)
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1955년생으로 히토쓰바시一橋 대학 사회학연구과 강사이다. 전공은 근현대여성사, 젠더사이다. 저서 및 논문으로는 『일본 점령과 젠더―미군.매춘부와 일본여성들』(2014), 『미군 점령하 일본에서의 젠더 정치학』(2016) 등이 있다.
최근작 : <전쟁과 성폭력의 비교사> … 총 5종 (모두보기)
서재길 (옮긴이)
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1971년 울산 출신. 서울대 국어국문학과에서 박사 학위를 취득하고 현재 국민대학교 한국어문학부 교수로 재직 중이다. 식민지 시기 미디어와 대중문화를 주로 연구하고 있다.
『조선 사람의 세계여행』(편저, 2011) 등의 저서와 『사할린 잔류자들』(2019), 『전쟁과 성폭력의 비교사』(2020), 『제국의 소녀들』(공역, 2023) 등의 번역서를 출간했다.
최근작 : <처녀지>,<한국 현대 소설이 걸어온 길>,<한국방송 80년, 그 역사적 조명> … 총 12종 (모두보기)
출판사 제공 책소개
이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내디딘다.
집필자
야마시타 영애山下英愛 분쿄文教 대학 문학부 교수
기노시타 나오코木下直子 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
오카다 다이헤이岡田泰平 도쿄 대학 대학원 총합문화연구과 교수
챠조노 도시미茶園敏美 리쓰메이칸立命館 대학 산업사회학부 강사
이노마타 유스케猪股祐介 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
히구치 게이코樋口恵子 도쿄 가정대학 여성미래연구소 소장, 동 대학 명예교수
히메오카 도시코姫岡とし子 도쿄 대학 대학원 인문사회계연구과 명예교수
나리타 류이치成田龍一 니혼日本 여자대학 인간학부 교수
사토 후미카佐藤文香 히토쓰바시 대학 대학원 사회학연구과 교수
이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시와 관련지어 논의한다. 전쟁과 성폭력에 관한 연구는 1991년 일본군 ‘위안부’였던 김학순 할머니가 실명을 밝히면서 일본 정부를 상대로 손해배상을 청구하는 재판을 제소함으로서 시작되었다. 이로써 1991년부터 전시 성폭력은 역사학에서 다루는 대상으로 인식되었다.
세계 각지로 전시 성폭력 실태 연구가 진전되었으나, 전쟁과 성폭력 연구는 기억과 증언이라는 어려움이 있다. 성폭력은 가해자와 피해자 사이에 경험이 비대칭적이며, 가해자도 피해자도 기록을 사실로서 남기는 경우가 드물다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 증언이 억압되어 침묵함으로써 가해 사실이 면책되지 않도록 비교사의 관점에서 기억과 증언을 다룬다.
성폭력 피해의 이야기는 어떻게 가능해지는가.
증언을 가능하게 하는 조건은 어떠하며, 무엇이 이야기되고 무엇이 이야기되지 못하는가.
여기에 이야기를 듣는 이는 어떻게 관여하며 이야기는 어떻게 다루어져야 하는가.
라는 물음을 던지며 한 권의 책으로 묶었다.
『전쟁과 성폭력의 비교사』는 아래의 세 가지 분야에 대해 정면으로 마주한다. 첫 번째로는 전쟁에 수반되는 성폭력에 대해서 “통제가 불가능한 전시하에서 일어나는 병사의 일탈 행위”가 아닌 강간이 전쟁에 수반되었음을 말한다. 두 번째로는 기억 속에서 말할 수 있는 경험과 끝내 말할 수 없는 경험으로서의 ‘선택적 망각’ 속에서 다음 세대로 국민적 기억을 어떻게 계승할 것인가 하는 과제에 직면한다. 세 번째로 비대칭적인 성 규범에 대해 묻는다. 가부장적 젠더 규범에서는 피해자가 ‘빈틈을 주었다’고 책망을 당하고 ‘유혹자’로 구축되어 도리어 ‘수치’를 의식하게 되기에 피해자가 침묵함으로써 역사적 사실로 기록되지 못한다.
『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시(agency)에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 제3부로 나눠진다. 제1부「‘위안부’를 이야기하는 방법」에서는 증언과 기억에 관련된 문제를 다루며 제2부 「이야기할 수 없는 기억」에서는 무엇이 이야기를 억압하고 있는 것인가 하는 그 이면을 드러낸다. 제3부 「역사학에 대한 도전」에서는 방법론적 과제와 정면으로 마주한다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내딛는다. 접기
위안부에 관한 논의에서 일본 정부의 책임 및 책임회피에 대한 비판만은 교묘히 비껴가는 우에노 치즈코의 입장은 예나 지금이나 속을 부글부글 끓게한다. 한국의 민족주의 위안부 담론이 가진 문제를 일본지식인이 지적할 일은 아니다. 일본인이라는 본인의 위치성조차 깨닫지못한다면 우매함일 따름.
초록비 2024-11-28 공감 (18) 댓글 (0)
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