2025-06-16

Yuichi Hida -金廣烈編著『日本市民の歴史反省運動

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Yuichi Hida

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私のブログ、http://blog.goo.ne.jp/hidayuichi/ [ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ」が会社goo の都合で閉鎖されるとのこと。まあいいか、とも思うが、ちょっと惜しい気がする。以前の記事 2013-11-27 17:39:13  を以下に貼ってみた。写真もはってみたが、うまくいくのか?
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金廣烈編著『日本市民の歴史反省運動-平和的な韓日関係のための提案』(ソウル、2013.10.31)
2013-11-27 17:39:13 | 目次
韓国から新しい本が送られてきた。このような本も今だからこそ必要だと思う。
飛田の原稿は、2011年のソウルでのセミナーの発表を原稿化したものだ。
翻訳は、編者の金廣烈さん。ごくろうさまでした。
飛田の原稿をそのままここに転載させていただく。
金廣烈編著『日本市民の歴史反省運動-平和的な韓日関係のための提案』
(2013.10.31、ソウル、セイイン出版)
(同目次)
2011年 韓-日 合同学術セミナー
「私が見た日本の戦後補償運動の役割と課題」 飛田雄一(神戸学生青年センター)
1.はじめに
 私の個人的な体験が有益なものになるかどうか心もとないが、書いてみようと思う。
 私は、1950年生まれで、1969年に大学に入学している。日本では学生運動の盛んな時期で、私も学生運動に参与し、またベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)の活動にもかかわった。当時、在日外国人への取り締まりを強化する「出入国管理法案」が上程され、神戸のベ平連もその反対運動に参加していた。また神戸入管事務所には、任錫均、丁勲相らが拘束されていたことから、その支援活動にもかかわった。そのような活動のなかで私は、個人的にも在日韓国・朝鮮人の問題にも大きな関心を寄せるようになった。
神戸ベ平連内の研究会としてできた「差別抑圧研究会」が、1971年1月、朝鮮の文化・歴史を勉強するグループとして「むくげの会」をつくる。同会は、現在も活動を継続している。そのような時期に「孫振斗事件」がおこった。
2.戦後補償運動の嚆矢としての「孫振斗事件」
孫振斗は1927年大阪生まれ。1944年家族とともに広島市南観音町へ。父の仕事を手伝っていた関係で、皆実町の専売局構内にあった電信電話局倉庫の中で被爆した。父親は被爆三年目に死亡。日本へとどまった孫さんは、51年、外国人登録令違反で韓国へ強制送還。その後、密人国と強制送還を繰り返し、1970年12月、逮捕された時、微熱や貧血、全身の倦怠感に悩まされていた孫さんは、「韓国では適当な治療施設もなく、原爆症の不安にかられて密人国した。私の身体をこんなにしたのは日本政府なのだから、責任を持って治してくれ」と訴えた。これを契機に孫さん支援の運動が各地で盛り上がった。
1971年、孫さんは福岡県に被爆者健康手帳の交付を申請するが、福岡県は「外国人被爆者には交付でさない」と却下。そのため孫さんは72年10月、福岡県と厚生省を相手取り、「被爆者健康手帳申請却下処分取り消し訴訟」を提訴した。
この裁判は、在韓被爆者に対する日本政府の戦争責任を追及して闘われ、そして、78年3月30日、ついに最高裁は「『原爆医療法』は、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに、その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず、同法が国家補償の趣旨をあわせもつもの」と解し、「被爆者の置かれている特別な健康状態に着目して、これを救済するという人道的目的の立法である」と位置づけ、孫さん全面勝利の判決を下した。(以上は、在韓被爆者が語る被爆50年-求められる戦後補償-〈改訂版〉ホームページより)
孫振斗さんを支援するグループは、福岡、広島、大阪、東京に作られ、私も大阪の事務局メンバーとしてかかわった。福岡の伊藤ルイさん、広島では、後に広島市長になった平岡敬さんらも支援活動に参加した。
3.「朝鮮人強制連行」調査の活動
 日本における朝鮮人強制連行に関する研究は、1965年に刊行された朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』から始まったといえる。1970年代には、朝鮮総連を中心とした朝鮮人強制連行真相調査団が、全国的な調査をおこない、その成果が何冊かの本にまとめられている。
80年代には全国的な調査は行われなかったが、朴慶植さんの60年代に協力したメンバーは、70年代の真相調査団の活動に協力した方々の各地域での調査活動は継続されていた。
1990年代には、1990年5月の韓国盧武鉉大統領の訪日時、日本政府が資料調査に協力する旨の発言をし、その後、労働省の倉庫に残っていた、いわゆる「厚生省名簿」の一部が韓国政府に引き渡されるということもあった。このときの動きは「名簿探し」に集中し過ぎた感もあるが、朝鮮人強制連行調査活動を全国的に推進させるのに一定の役割を果たした。
 そして、1990年代には、全国各地で毎夏、「朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会」が計10回開催された。1990年の第1回、愛知県(名古屋市)から、第2回兵庫県(西宮市、神戸市、1991年)、第3回広島県(呉市、1992年)、第4回奈良県(信貴山王蔵院、1993年)、第5回長野県(長野市松代町、1994年)、大阪府(高槻市、1995年)、第7回岐阜県(岐阜市、1996年)、第8回島根県(松江市、1997年)、第9回石川県(金沢市、1998年)、第10回(熊本市、1999年)と開かれた。この全国交流集会は、同集会世話人会が主催するものだった。その後、それぞれの団体が呼びかけ主催する形態で、2000年9月に神戸、2001年9月に大阪府茨木市、2002年9月に秋田県花岡、2004年10月に北海道で開かれ、2006年には、その延長線上に韓国済州島で旧日本軍の戦争遺跡を訪ねるフィールドワークが行われた。
4.「強制動員真相究明ネットワーク」の活動
 2004年2月韓国では「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」が制定され、これに基づき11月「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会」が設立された。そして、「戦後60周年」の2005年2月より強制動員の被害申告や真相究明調査の申請が始まり、既に4月には、調査班が来日し予備調査を開始した。
このような韓国側の努力に日本政府が積極的に呼応すべきだが、そのように展開しない状況のもとで日本側では民間の立場から韓国の「真相究明委員会」の日本での調査や遺骨の収集等を支援することをめざして、2005年7月、「強制動員真相究明ネットワーク(共同代表、上杉 聡、内海愛子、飛田雄一http://www.ksyc.jp/sinsou-net/)がつくられた。
同ネットワークは、①日本政府に、政府および公的機関、そして企業の保有する強制動員関係の資料の提示を促進することを求める活動をする。②日本における強制動員の真相究明のための活動を通し、日本の世論が強制動員問題に関心を向けるようにする。③ 韓国で構成される被害者団体を含む「市民ネット」と連帯し、交流や可能な行事を行う。④日本における真相究明法である「恒久平和調査局設置法案」の制定運動に協力する。⑤ネットワークで集約された資料を保管・展示する空間を作る、ことを目標に活動を展開している。
最近では、2011.5.28~29には、神戸学生青年センターで、「日本の朝鮮植民地支配と強制連行」をテーマに強制動員真相究明全国研究集会を開催している。
5.戦後補償を求める裁判/立法要求の運動
多くの裁判が提起され、私自身もそのいくつかにかかわった。地方裁判所レベルで少し期待をもてる判決があっても、最高裁判所でことごとくくつがえされているのが現状である。
具体的には、以下のものを参照していただきたい。
・ Archives > フォーラム:在日2001 > 《課題別報告》在日人権獲得闘争の到達点とこれから 1 在日戦後補償運動 †小椋千鶴子(在日の戦後補償を求める会)(インターネット検索可)
・ 「 戦後補償立法運動の現状」朴在哲(「戦争責任研究」30号)(Last update 2001年1月28日)http://www.kanpusaiban.net/lippouka2.htm
・ 「表 戦後補償裁判一覧表」 (2003年5月現在)
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo07.htm
「立法要求の運動」の先駆けが民族差別と闘う連絡協議会(民闘連)の「在日旧植民地出身者戦後補償・人権保障法案」(1988年)だったかも知れない。民闘連は、日立就職差別反対運動の発展として作られたもので、1970年代の国籍差別撤廃運動などをになったグループ。在日朝鮮人の人権保障のための法案作成論議の結論として人権保障と戦後補償がセットである必要があるいうことになった。
6.朝鮮人の戦後補償関連するふたつのドキュメンタリー(日本)
<その1>大島渚監督「忘れられた皇軍」(20分)1963年。
東京で街頭活動をする朝鮮人傷痍軍人のグループをテーマにしたドキュメンタリーで、日本政府から補償を受けることができなかった。そこで日本政府を訪問するが、そこでは、「韓国政府の問題だ」と言われることになる。今度は、日本にある韓国政府の機関を訪ねるが、そこでは、「日本軍の兵士として障害を負ったのだから日本政府の責任だ」と言われる。
 日本人の軍人には軍人恩給が支給されているが、朝鮮人には支給されていない。そしてその一方で、巣鴨刑務所に収監されていた朝鮮人戦犯が1952.4.28(サンフランシスコ講和条約発効)により、「日本人」から外国人になったことを理由に釈放を要求したが、それは受け入れられなかった。
 ドキュメンタリーに登場する石成基さんは、日本政府を相手に裁判を起こしている。(1921年生まれ。2001年8月30日に逝去。遺族が訴訟を継続。)
<その2> ビデオ、1991年8月15日 NHKスペシャル
 「チョウ・ムンサン(趙文相)の遺書―シンガポールBC級戦犯裁判―」(55分)。
 植民地支配下の朝鮮人の中には日本軍の軍人・軍属となった人もいる。クリスチャンである趙文相は、捕虜監視員として働かされる。そして、捕虜虐待の罪で戦犯に問われて戦後、軍事裁判で死刑判決を受け、処刑された。趙文相さんは死の直前まで遺書を書き続けたが、その遺書は、密かに友人によって持ち出された。また、オーストラリアの公文書館に趙文相の裁判記録が残されていたのである。それらの資料をもとに、関係者の証言も収録してこのドキュメンタリーは作られている。(飛田はこのDVDを提供することができある。)
趙文相(チョウムンサン)、日本名・平原守矩。
1947年2月、チャンギー刑務所にて絞首刑。享年26歳。
日本人上官の命令を捕虜に伝える通訳だったため捕虜の憎悪を人一倍集めた。獄中で彼は、処刑の数分前まで心の揺れを長文の遺書に綴った。
写真は、http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/framePHOTOj.htmlより
遺書と手記は、http://kbcq.web.fc2.com/shogen/shogen1.html で読むことができる。
7.まとめ
「戦後65年」となっているが、まだ具体的に歴史の検証が可能な部分もある。この歴史検証の努力を引き続き行わなければならない。
 また、「記憶」し「記録」することが重要だ。神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会が強制連行を記憶するために「神戸港 平和の碑」を作ったが、そこで語られたのは、「心に刻み石に刻む」ということだ。記憶が記録化され、それが見える形で残されることも大切だ。またそれは、フィールドワーク(踏査)するのに大切なものだ。特に若い世代に具体的な歴史の事実を教えるためにもモニュメントがそのきっかけとなりうると思う。
先に紹介したように2006年に済州島の旧日本軍施設のフィールドワークも行われたが、このように強制連行の問題は日本列島だけでなく、地域的な広がり必要なことである。さらに、朝鮮半島内における強制連行の調査研究とも関連させる重層的な研究が必要である。
 更に、日本の戦後補償の問題は、朝鮮半島以外の中国、東アジアの戦後補償運動との連携が必要であり、ドイツ等諸外国の戦後補償問題との関連も視野にいれなければならない。
 近年、中国人強制連行の問題は、関連企業との和解の動きが一部で始まっているが、この動きも朝鮮人強制連行問題に関連してくる問題である。
 日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化が図られる必要があるが、その過程では、1965年締結の日韓会談で、日本の植民地支配が正しく問われなかったことを思い起こされなければならない。
今後も日韓双方の研究(者)交流が重要であり映像も含めて史料、資料を共有し、研究を進めていくことが求められている。
See translation



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히다

doopnsrSteg1c15c202h5a913790570l8201i20l94c7g2mulgh6li3i55uh ​의 사정으로 폐쇄된다는 것 뭐 좋을까, 라고 생각하지만, 조금 아쉬운 생각이 든다. ----------------------------------------------------------- 김광열편 저 '일본 시민의 역사반성운동-평화적인 한일관계를 위한 제안' (서울, 2013.10.31) 2013-11-27 17:39:13 | 목차 한국 에서 새로운 책이 보내져 왔다. 이런 책도 지금이야말로 필요하다고 생각한다 , 편자의 김광열씨.고쿠로사까지 했다 (2013.10.31, 서울, 세이인 출판) (동목차) 2011년 한-일 합동학술 세미나 “내가 본 일본의 전후 보상운동의 역할과 과제” 히다 유이치(고베학생청년센터) 

1. 소개  나의 개인적인 체험이 유익한 것일지 어떨지 마음이 없지만, 써 보려고 한다.  나는 1950년생으로, 1969년에 대학에 입학하고 있다. 참가해, 또 베트남에 평화를!시민 연합(베평련)의 활동에도 관련되었다. 사무소에는 임석균, 정훈상 등이 구속되어 있었기 때문에 그 지원 활동 에도 관련됐다. 궁회로 생긴 ‘차별억압연구회’가 1971년 1월 조선의 문화·역사를 공부하는 그룹으로 ‘무국의 모임’을 만들었다. 2.전후 보상운동의 효야로서의 「손진두 사건」손진토는 1927년 오사카 출생. 의 전매국 구내에 있던 전신 전화국 창고 속에서 피폭했다. 아버지는 피폭 3년째에 사망. 인국과 강제송환을 반복해 1970년 12월 체포되었을 때 미열과 빈혈, 전신의 권태감에 시달리고 있던 손씨는 “한국에서는 적당한 치료시설도 없고 원폭증 불안 에 얽매여 밀인국했다. 내 몸을 이렇게 한 것은 일본 정부이기 때문에 책임을 지고 치료해달라”고 호소했다. 1971년, 손씨는 후쿠오카현에 피폭자 건강 수첩의 교부 를 신청하지만, 후쿠오카현은 「외국인 피폭자에게는 교부하지 않는다」라고 각하. 는, 주한 피폭자에 대한 일본 정부의 전쟁 책임을 추궁해 싸워지고, 그리고 78년 3월 30일, 마침내 대법원은 「『원폭 의료법』은, 피폭에 의한 건강상의 장애의 특이성과 중대성 때문에, 그 구제에 대해 내외인을 구별해서는 안 된다고 한 것 외에 , 이 법이 국가보상의 취지를 맞추는 것”이라고 풀어, “피폭자의 두고 있는 특별한 건강 상태에 착안해, 이것을 구제한다고 하는 인도적 목적의 입법이다”라고 자리매김해, 손씨 전면 승리의 판결을 내렸다(이상은, 주한 피폭자가 말하는 피폭 50년- 후후오카, 히로시마, 오사카, 도쿄에 만들어졌고, 나도 오사카의 사무국 멤버로 꼽혔다. 3. 「조선인 강제연행」조사의 활동  일본에 있어서의 조선인 강제연행에 관한 연구는, 1965년에 간행된 박경식 「조선인 강제 연행의 기록」으로부터 시작되었다고 할 수 있다.1970년대에는, 조선 총련을 중심으로 한 조선인 강제 연행 진상 조사단이, 80년대에는 전국적인 조사는 이루어지지 않았지만, 박경식씨의 60년대에 협력한 멤버는 70년대 진상조사단의 활동에 협력한 분들의 각 지역에서의 조사활동은 계속되고 있었다. 1990년대에는 1990년 5월 한국 노무현 대통령의 방일 때 일본 정부가 자료 조사에 협력한다는 취지의 발언을 하고, 그 후 노동성의 창고에 남아 있던 이른바 '후생성 명부'의 일부 하지만 한국 정부에 인도된다는 것도 있었다. 이 때의 움직임은 '명부 찾기'에 너무 집중된 느낌도 있지만, 조선인 강제연행조사 활동을 전국적으로 추진시키는데 일정한 역할을 했다.
 그리고, 1990년대에는, 전국 각지에서 매 여름, “조선인·중국인 강제 연행·강제 노동을 생각하는 전국 교류 집회”가 총 10회 개최되었다. ), 제3회 히로시마현(구레시, 1992년), 제4회 나라현(신키산 왕조원, 1993년), 제5회 나가노현(나가노시 마쓰시로초, 1994년), 오사카부(타카츠키시, 1995년), 제7회 기후현(기후시), 19 시, 1997년), 제9회 이시카와현(가나자와시, 1998년), 제10회(구마모토시, 1999년)로 열렸다. 2001년 9월에 고베, 2001년 9월에 오사카부 이바라키시, 2002년 9월에 아키타현 하나오카, 2004년 10월에 홋카이도에서 열렸고, 2006년에는 그 연장선상에 한국 제주도에서 구 일본군의 전쟁 유적을 찾는 필드워크가 열렸다. 4.  「강제동원 진상규명
네트워크」의 활동
제강 점하 강제동원 피해 진상규명위원회”가 설립되었다. 그리고 “전후 60주년”의 2005년 2월부터 강제동원의 피해신고나 진상규명조사의 신청이 시작되어 이미 달에는
조사반이 일본에 와서 예비조사를 시작했다. 입장으로부터 한국의 「진상규명위원회」의 일본에서의 조사나 유골의 수집 등을 지원하는 것을 목표로, 2005년 7월, 「강제동원 진상규명 네트워크(공동대표, 우에스기) 사토시, 내해 아이코, 히다 유이치 http://www.ksyc.jp/sinsou-net/)
가 만들어 졌다. ②강제동원관계의 자료의 제시를 촉진하는 것을 요구하는 활동을 한다. 한국으로 구성되는 피해자 단체를 포함한 「시민 넷」과 연대해, 교류나 가능한 행사를 실시한다 ④일본에 있어서의 진상규명법인 「항구 평화 조사국 설치 법안」의 제정 운동에 협력한다 하는 공간을 만드는 것을 목표로 활동을 전개하고 있다.
최근에는 2011.5.28~29에는 고베학생청년센터에서 '일본의 조선 식민지 지배와 강제연행'을 테마로 강제동원 진상규명 전국연구집회를 개최하고 있다.
5. 전후 보상을 요구하는 재판/입법 요구의 운동
많은 재판이 제기되어 나 자신도 그 일부에 관련
되었다
. 《과제별 보고》재일 인권 획득 투쟁의 도달점과 앞으로 1 재
일전 후 보상운동 http://www.kanpusaiban.net/lippouka2.htm·
「표전 후 보상 재판 일람표」(2003년 5월 현재)
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo07.htm
「입법 요구의 운동」의 선구가 민족 차별과 싸우는 연락 협의회(민투련)의 「재일 구 식민지 출신자 전후 보상·인권 보장 법안」(1988년)이었을지도 모른다 민투련은, 히타치 취직 차별 반대 운동의 발전으로 만들어진 것으로, 1970년대 국적차별철폐운동 등을 이룬 그룹.
6.조선인의 전후보상 관련 두 개의 다큐멘터리(일본)
<그 1> 오시마 나기사 감독 「잊혀진 황군」(20분) 1963년
. 질문하지만, 거기서는, 「
 한국 정부의 문제다」라고 말해지게 된다. 는 군인 은급이 지급되고 있지만, 조선인에게는 지급되고 있지 않다 그리고 그 한편으로, 스가모 형무소에 수감되고 있던 조선인 전범이 1952.4.28(샌프란시스코 강화 조약 발효)에 의해, 「일본인」으로부터 외국인이 되었다 일을 이유로 석방을 요구했지만, 그것은 받아들여지지 않았다.
 다큐멘터리에 등장하는 석성기씨는, 일본 정부를 상대로 재판을 일으키고 있다 (1921년생.
<그 2> 비디오, 1991년 8월 15일 NHK 스페셜 「조문상(趙文相)의 유서―싱가포르 BC급  전범
 재판―」(55분).
그리스도인인 조문상은 포로 감시원으로 일한다. 이전까지 유서를 계속 썼지만, 그 유서는 비밀리에 친구에 의해 꺼내졌다. 원래, 관계자의 증언도
수록 해 이 다큐멘터리는 만들어지고 있다(히다는 이 DVD를 제공할 수 있다.)
1947년 2월, 장기 형무소에서 교수형. 향년 26

http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/framePHOTOj.html에서
유서와 수기는,http://kbcq.web.fc2.com/shogen/shogen1.html 에서 읽을 수 있다.
7. 정리
「전후 65년」이지만, 아직 구체적으로 역사의 검증이 가능한 부분도 있다
 . 평화의 비석을 만들었지만, 거기서 말한 것은, 「마음에 새겨진 돌에 새긴다」라고 하는 것이다. 생각한다.
앞서 소개한 대로 2006년 제주도의 구 일본군 시설의 필드워크도 이뤄졌으나, 이와 같이 강제연행의 문제는 일본 열도 뿐만 아니라 지역적인 확산이 필요하다
 . 한반도 이외의 중국, 동아시아 전후보상운동과의 연계가 필요하며 독일 등 여러 외국의 전후보상문제와의 관련도 시야에 놓여져야
 한다
 . 의인민공화국과의 국교정상화를 도모할 필요가 있지만, 그 과정에서는 1965년 체결의 한일회담에서 일본의 식민지 지배가 제대로 묻지 않았다는 것을 상기시켜야 한다



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