2021-03-27

「帝国に生きた少女たち」書評 敗戦で気づいた朝鮮の「苦悩」|好書好日

「帝国に生きた少女たち」書評 敗戦で気づいた朝鮮の「苦悩」|好書好日

「帝国に生きた少女たち」書評 敗戦で気づいた朝鮮の「苦悩」

評者: 寺尾紗穂 / 朝⽇新聞掲載:2019年10月26日
帝国に生きた少女たち 京城第一公立高等女学校生の植民地経験著者:広瀬 玲子出版社:大月書店ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784272521142
発売⽇: 2019/08/12
サイズ: 20cm/222p

植民者2世の少女たちの目に植民地朝鮮はどのように映っていたのか。敗戦から引揚げ後を生きるなかで、内面化した植民地主義をどのように自覚し、克服していくのか。アンケート、イン…

帝国に生きた少女たち 京城第一公立高等女学校生の植民地経験 [著]広瀬玲子

 日本統治下の朝鮮・京城(現ソウル)に日本人のための高等女学校があった。卒業生へのインタビューを基に書かれた本書は、生徒から見た植民地朝鮮の景色を伝える。「オモニ」と呼んで個人名も聞かずに接していた家の使用人、彼らが正月前に起こした「餅代よこせ」ストライキ。それでも植民者としての意識は薄く「ここは日本」と思いながら不自由なく育った少女たち。多くは敗戦によって初めて、朝鮮の人びとが抱えていた苦悩に気づいた。
 戦後、植民地経験への向き合い方は人それぞれだが、葛藤を続けるタイプとして挙げられる児童文学者、堀内純子の視点は重要なものに思える。
「日本のしたことは悪いけど、だからって善意の人がいたことを否定することはない」という彼女の作品中の言葉から分かるように、植民者の生や経験をいかに捉えるかということである。植民地には、善意が支配を支えるケースが確かにあった。一人ひとりの体験に分け入った上で、もう一度植民地の相貌を見極め、「日常化した体制としての植民地主義」をあぶりだそうとした本書は、少女たちのエピソードの多様さと尽きない思いによって、読み応えあるものになっている。
 朝鮮で生まれた彼女たちは、朝鮮人の仕事と思っていた運転手や清掃の仕事を、内地では日本人がしていることに驚く。しかし戦後さらされたのは「侵略者のおまえらがかえってくるから、われわれが餓える」という日本人からの視線だった。「外地組」への嫉妬が、向こうで贅沢をしたなら苦しい目をみても当たり前、好き勝手に生きてきたのなら自己責任、という冷淡さに変わる。似たような風潮は現在の日本にも溢れている。これが日本と諦めるのも悲しい。社会の負を前に必要なのは断定や無関心ではなく、凝視し、問いを立てることであろう。少女たちの植民地朝鮮を巡る葛藤に触れながら、そんなこともまた考えさせられた。
    ◇
ひろせ・れいこ 1951年生まれ。北海道情報大教授(近代日本思想史・女性史)。『国粋主義者の国際認識と国家構想』。





寺尾紗穂(テラオサホ)音楽家・エッセイスト

 1981年生まれ。2007年にピアノ弾き語りによるアルバム「御身」でメジャーデビュー。著書に『原発労働者』『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』など。2018年春から書評委員。

Reviewed in Japan on December 2, 2019
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理系の論文の研究不正は、判りやすい。
数学や物理学や化学などの純粋科学では、研究不正はすぐ明らかになる。
基礎医学となると、少々面倒であるが、例えば小保方の研究不正、追試で再現ができないなど、
証明ができる。その上、あの論文にはフィクションの図が付いていた。

文系で、論文の研究不正を指摘するのは、かなり困難だ。
この本のように、聞き取り調査なら、研究不正など起きないと考えがちであるが、、、しかしながら、
聞き取る対象の意見は多彩だ。一つの方向にまとめようがないのが実態だ。
この本では、それが、なぜか、一つの方向に向いてしまっている。

聞き取り調査者の誘導や示唆がなかったのか?
極端に方向が異なった話を捨てることがなかったのか?

その疑問が解けきれない。
研究不正があったとの確証はつかめないが、
なかったとの確証も、得にくい。

それほど、聞き取り調査者の意見が、同じ方向に向きすぎている。
不自然だ。
TOP 1000 REVIEWER
Reviewed in Japan on October 27, 2019
著者は1951年生まれの近代思想史・女性史研究者で、関連の著書や論文も多い。本書は朝鮮の戦前の首都・京城(現在のソウル)において、日本人居留民の子女のための女学校であった京城第一公立高等女学校において学んだ女性たちへのインタビューとアンケートをもとに、当時と戦後の意識の変化を中心にまとめたものである。少女たちから見た植民地朝鮮はどのようであり、また彼女たちの意識はどうであったかがよくわかる。オーラルヒストリーの一変形として貴重な記録である。

京城第一公立高等女学校は、1908年に居留民によって設立された。開校式には伊藤博文も列席し、格式あるトップクラスの女学校として順調に発展し、最盛期には1000人以上の生徒が在学した。日本の敗戦時の1944年には生徒や職員全員が日本へ引き上げ、校地等は京城府に引き渡されて、歴史の幕を閉じた。

京城第一公立高等女学校に通う女生徒たちは、日本人居留民の中でも中流以上の恵まれた家庭に育っていた。当時の居留民家族たちの常として、ほとんどの生活は日本人同士の付き合いや日本系の商店への買物で費やされ、実質的には日本とほとんど変わらなかった。例外は、手伝いとして現地民を雇用した家庭であるが、その場合も日本語で会話していたこともあり、朝鮮人との深い「交流」があったとは言い難い。

女学校ではほとんどが日本人であり、日本と同様の皇民化教育が行われた。ごく少数の朝鮮人のエリート家庭(両班)からの女生徒たちも通ってきたが、彼女たちは圧倒的に多い日本人女生徒たちの中で孤立していたという。総じて、日本人女生徒たちは、朝鮮が日本の植民地であること、朝鮮人たちが様々な点で差別されていたことに無自覚であった

敗戦後、家族とともに女生徒たちは一斉に日本に引き揚げた。そこで待っていたのは荒廃した国土、失われた生活基盤の立て直し、引き揚げ民に対する差別だった。家族とともに厳しい生活が始まった。この過程で、多くの女生徒たちが朝鮮での生活と意識を自省し始めたのである。

本書は以上のような体験をした女性16名へのインタビュー、21名へのアンケート結果をまとめたもので、朝鮮在留中の引き揚げ後の生活と意識の変化がよく理解できて興味深い。総じて、植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であったといえよう。ほとんどの女性たちは、自らが朝鮮人に対して過酷な差別を強いていた「植民者」であったことは、戦後初めて自覚したのである。この戦前・戦後の激動の生活史を多くの女性たちが自分史などとして記録していて、本書の著者も大いに活用している。

戦前の日本国家が育てた、無邪気で無自覚な「植民者」たちを誰も非難できない。確かなのは、彼女たちのような恵まれた生活を享受し、徹底した皇民化教育を受ければ、誰もが彼女たちのような意識を持つだろうということである。戦後、かなりの女性たちが自分史などを記録し自省を深めることで、「内なる植民地主義」の克服を行ったことは参考になる。
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