2021-11-09

‘일본사회의 인간관계’ 저술 인류학자 나카네 지에 별세 - 경향신문

‘일본사회의 인간관계’ 저술 인류학자 나카네 지에 별세 - 경향신문

‘일본사회의 인간관계’ 저술 인류학자 나카네 지에 별세
이명희 기자
입력 : 2021.11.06

일본 사회의 특징을 명쾌하게 분석했다는 평가를 받는 스테디셀러 <일본사회의 인간관계> 저자인 사회인류학자 나카네 지에(中根千枝·사진) 도쿄대 명예교수가 94세를 일기로 별세했다.


그는 지난달 12일 도쿄 시나가와(品川)의 한 노인요양시설에서 노환으로 사망했다고 6일 마이니치신문 등이 보도했다. 그는 2년 전 요양시설에 입소했고, 시설에서도 논문을 읽는 등 집필 활동 준비를 하고 있던 것으로 전해졌다.




도쿄대에서 티베트 역사를 연구한 고인은 1953년 인도 유학길에 올라 티베트 국경 지대와 네팔을 홀로 답사하면서 연구활동을 해 일본에서 화제의 인물이 됐다.


그는 이 경험을 바탕으로 문명과 사회 관계를 고찰한 <미개의 얼굴·문명의 얼굴>(未開の顔文明の顔)을 출간해 학계의 주목을 받기 시작했다.


고인이 1967년 내놓은 대표 저작인 <일본사회의 인간관계>는 인도 및 서양 사회와의 비교를 통해 회사나 가정이라는 ‘공간’(場)을 중시하고 연차와 서열 등에 의한‘종적’(縱的) 관계를 중심으로 형성된 일본 사회의 구조적 특징을 다룬다.


일본에서 100만 부 이상 팔린 이 책은 미국 인류학자 루스 베네딕트의 <국화와 칼>과 함께 일본 사회를 통찰한 대표적인 저서로 자리매김하면서 이후 한국을 비롯한 여러 나라에서 번역 출간됐다.




고인은 1946년 여성에게 문호를 연 도쿄대에 이듬해 입학해 1970년 첫 도쿄대 여성 교수로 취임하는 등 보수적인 일본 학계에서 선구적인 여성 연구자로 활약했다. 1995년 여성 최초로 일본학사원 회원이 됐고, 2001년에는 학술계에서 여성 최초로 문화훈장을 수장했다.








많은 저서를 남긴 고인은 만년에도 연구활동을 계속해 2019년 현대 일본을 고찰하는 <다테사회와 현대일본>을 출간했다.


원문보기:
https://www.khan.co.kr/world/japan/article/202111060937001?utm_source=facebook&utm_medium=social_share&fbclid=IwAR0_Nj2YvevmuJZV3ePHHSvxW82AwIMTYPu8CTQtsL3ZNPC6xrozk422L-g#csidx2bcd42b7f6958ea95f4b291569648af
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고인은 1946년 여성에게 문호를 연 도쿄대에 이듬해 입학해 1970년 첫 도쿄대 여성 교수로 취임하는 등 보수적인 일본 학계에서 선구적인 여성 연구자로 활약했다. 1995년 여성 최초로 일본학사원 회원이 됐고, 2001년에는 학술계에서 여성 최초로 문화훈장을 수장했다.








많은 저서를 남긴 고인은 만년에도 연구활동을 계속해 2019년 현대 일본을 고찰하는 <다테사회와 현대일본>을 출간했다.


원문보기:
https://www.khan.co.kr/world/japan/article/202111060937001?utm_source=facebook&utm_medium=social_share&fbclid=IwAR0_Nj2YvevmuJZV3ePHHSvxW82AwIMTYPu8CTQtsL3ZNPC6xrozk422L-g#csidx2bcd42b7f6958ea95f4b291569648af
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中根千枝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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中根 千枝
日本学士院会員選出時の中根
人物情報
生誕 1926年11月30日
東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)
死没 2021年10月12日(94歳没)
東京都
国籍 日本
出身校 東京大学文学部東洋史学科卒業
同大学院修了
学問
研究分野 社会人類学
研究機関 東京大学東洋文化研究所
国立民族学博物館
主要な作品 『タテ社会の人間関係』(1967年)
主な受賞歴 毎日出版文化賞(1959年)
紫綬褒章(1990年)
文化功労者(1993年)
勲二等宝冠章(1998年)
文化勲章(2001年)
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中根 千枝(なかね ちえ、1926年(大正15年)11月30日 - 2021年(令和3年)10月12日)は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。

女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった[注 1]。


目次
1来歴
2略歴
3著書
3.1単著
3.2共著
3.3編著
3.4共編
3.5翻訳
3.6雑誌発表論文
4脚注
4.1注釈
4.2出典
来歴[編集]

東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。愛知県岡崎市に移り、岡崎市立投尋常小学校(現・岡崎市立根石小学校)に入学[1]。6年生の秋まで在学したのち中国に渡り、6年ほど、北京で暮らす[2]。東京府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)、津田塾専門学校外国語科卒業[注 2]。東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修了[3]。

東北から鹿児島までの農村の調査を経た後、人類学の研究を世界各地で行う[4]。1953年(昭和28年)にインドに3年、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけてはイギリス、イタリア、その他シカゴ大学、ロンドン大学で研究を積む[4]。インドの奥地アッサムを探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』を1959年に刊行し、毎日出版文化賞を受賞[3]。

その後日本に戻ると、月刊誌『中央公論』から「どんなテーマでもいいから論文を書いて」といった注文を受け、「日本の集団構造はどこでも同じ」というテーマを思いつく[4]。ホテルにこもり、2週間ほどで「日本的社会構造の発見」(『中央公論』昭和39年5月号)を書き上げたところ、猪木正道がその論文を評価した事も手伝い複数の出版社から書籍化の話を持ちかけられ、論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』を1967年に(昭和42年)に刊行[2]。2015年(平成27年)現在までに124刷116万部超のロングセラーを記録し、イギリスで出版された英語版は、13カ国で翻訳出版された[2]。

女性で初の東京大学助教授、教授、東京大学東洋文化研究所所長(国立大学初の女性研究所長)、女性初の日本学士院会員などを歴任し[5]、1990年(平成2年)に紫綬褒章、1993年(平成5年)に文化功労者、2001年(平成13年)に文化勲章を受章する[3]。

2021年10月12日、都内で老衰のため死去[6]。94歳没。生涯独身を貫いたため喪主は妹が務めた。
略歴[編集]

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "中根千枝" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年10月)

東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。
1939年 北京日本小学校卒
1944年 東京都立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)卒業
1947年 津田塾専門学校外国語科卒業
1947年 東京大学文学部東洋史学科入学
1950年 同卒業、大学院入学
1952年 同修了、東京大学東洋文化研究所助手
1953年から57年までインド、英国、イタリアに留学
1958年 東大東洋文化研究所講師
1959年から60年までシカゴ大学客員助教授
1960年から61年までロンドン大学客員講師
1962年 東大東洋文化研究所助教授
1970年 東京大学東洋文化研究所教授、東大社会学系研究科文化人類学課程主任
1975年 大阪大学人間科学部教授併任(-79)、国立民族学博物館教授併任(-80)、英国王立人類学会名誉会員、コーネル大学特別客員教授(-81)
1980年 東大東洋文化研究所所長(-82)、東大評議員。
1987年 東大を定年退官、民族学振興会理事長(99年解散)、国際交流基金賞受賞
1988年 帝京大学教授、国際人類学・民族学連合ゴールドメダル賞受賞
1990年 紫綬褒章受章
1991年 福岡アジア文化賞学術研究賞受賞
1993年 文化功労者
1998年 勲二等宝冠章受章
2001年 文化勲章受章
2002年 東京女学館大学初代学長(2004年まで)
2014年 津田梅子賞受賞
著書[編集]

下記以外に、外国語に翻訳されたものや外国語資料もある。
単著[編集]
『未開の顔・文明の顔』(中央公論社、1959年/普及版・中央公論文庫、1962年/角川文庫、1972年/中公文庫、1990年7月、ISBN 4122017297)
『タテ社会の人間関係:単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年7月)、ISBN 4061155059
『タテ社会の人間関係:Japanese Society』(チャールズ・イー・タトル出版、2009年2月)、ISBN 480531026X
『家族の構造:社会人類学的分析』(東京大学出版会、1970年)
『人間と経営:トップビジネスマンとの対話』(文藝春秋、1971年)
『適応の条件:日本的連続の思考』(講談社現代新書、1972年)
『家族を中心とした人間関係』(講談社学術文庫、1977年)
『タテ社会の力学』(講談社現代新書、1978年/講談社学術文庫、2009年7)月、ISBN 4062919567
『日本人の可能性と限界』(講談社、1978年)
『社会構造の比較:アジアを中心として』(旺文社、1981年)
『社会人類学:アジア諸社会の考察』(東京大学出版会、1987年/講談社学術文庫、2002年4月)、ISBN 4061595407
『中国とインド:社会人類学の観点から』(国際高等研究所、1999年)
『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年11月)同編集部 構成、ISBN 4062884305
共著[編集]
(福武直・大内力) 『インド村落の社会経済構造』 アジア経済研究所 1964
『日本人と隣人』 日本YMCA同盟出版部 1981
(大石慎三郎) 『江戸時代と近代化』 筑摩書房 1986
編著[編集]
『韓国農村の家族と祭儀』 東京大学出版会 1973
共編[編集]
(桑原武夫・加藤秀俊)『歴史と文明の探求』 文明問題懇談会全記録 上下 中央公論社 1976
翻訳[編集]
『砂漠 フオルコ・クイリチ』(Folco Quilici) フレーベル館 1971
雑誌発表論文[編集]
中央公論 64年5月号 「日本的社会構造の発見」 - 「タテ社会の人間関係」のもとになった論文[注 3]
脚注[編集]
注釈[編集]

^ 女性の文化勲章受章者としては11人目だが、それまでの女性の文化勲章受章者はすべて小説や絵画など芸術系での受章だった。
^ 津田塾から東大に入った同期に森山真弓元法務大臣がいる。
^ この中で中根はタテ社会を本の名前としたのは講談社の編集者で、タテを上意下達や権力構造と考えるのは誤解だと述べている[7]。
出典[編集]

^ 『東海新聞』1975年6月24日、1面、「中根千枝東大教授招き あす岡信本店ホールで教育講演会」。
^ a b c “「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 2 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
^ a b c “「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 4 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
^ a b c “「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 1 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
^ “「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 3 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
^ “中根千枝さん死去 94歳 社会人類学者「タテ社会の人間関係」” (日本語). 毎日新聞. 2021年11月5日閲覧。
^ 朝日新聞2012年7月14日熊本版朝刊27頁
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Chie Nakane
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Chie Nakane

Born November 30, 1926
Tokyo, Japan
Died October 12, 2021 (aged 94)
Tokyo, Japan
Occupation author and anthropologist, Professor Emerita at Tokyo University
Nationality Japan
Genre Social anthropology
Subject Societies of India, Tibet, Okinawa and Japan, Human relations in a vertical society
Notable awards Order of Culture, 2001
Medals of Honor (Japan) Purple ribbon, 1990


Chie Nakane (中根 千枝, Nakane Chie, November 30, 1926 – October 12, 2021[1]) was a Japanese anthropologist and Professor Emerita of Social Anthropology at the University of Tokyo.[2]


Contents
1Education and career
2Japan as Vertical Society
3Publications
3.1Books
3.2Articles
4Honors
5Notes
6References
7External links
Education and career[edit]

Nakane was born in Tokyo and spent her teenage years in Beijing.[3] She graduated from Tsuda College in 1947 and then completed her graduate work specializing in China and Tibet at the University of Tokyo in 1952. In 1953–1957, she did fieldwork in India and studied in the London School of Economics. Nakane served as Visiting Professor in the Department of Anthropology at the University of Chicago at the invitation of Sol Tax in 1959-1960 and as Visiting Lecturer in the School of Oriental and African Studies at the University of London at the invitation of Christoph von Furer-Haimendorf in 1960–1961.[4]

In 1970, Nakane became the first female professor at the University of Tokyo, where she served as Director of the Institute of Oriental Culture in 1980–1982. She was also Professor at Osaka University and the National Museum of Ethnology and Visiting Professor at Cornell University in 1975–1980. Nakane retired from the University of Tokyo in 1987.[5] In 1995, she became the first and only female member of the Japan Academy. She was also an honorary member of the Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland.
Japan as Vertical Society[edit]

Nakane's work focuses on cross-cultural comparisons of social structures in Asia, notably Japan, India, and China. She is internationally known for her bestselling book, Japanese Society, which has been translated into 13 languages. In this book, Nakane characterizes Japan as "a vertical society" where human relations are based on "place" (shared space) instead of "attribute" (qualification).
Publications[edit]
Books[edit]
Nakane, C. (1967). Kinship and economic organization in rural Japan. London: Athlone Press.
Nakane, C. (1970). Japanese society. Berkeley, CA: University of California Press.
Nakane, C. (1972). Human relations in Japan: Summary translation of “Tateshakai no Ningen Kankei.” Tokyo: Ministry of Foreign Affairs, Japan.
Nakane, C., & Chiao, C. (Eds.). (1992). Home bound: Studies in East Asian society—Papers presented at the symposium in honor of the 80th birthday of Professor Fei Xiaotong. Tokyo: Center for East Asian Cultural Studies and Toyo Bunko.
Nakane, C., & Oishi, S. (Eds.). (1990). Tokugawa Japan: The social and economic antecedents of modern Japan. Tokyo: University of Tokyo Press.
Articles[edit]
Nakane, C. (1964). Logic and the smile: When Japanese meet Indians. Japan Quarterly, 11(4), 434–438.
Nakane, C. (1965). Towards a theory of Japanese social structure: A unilateral society. The Economic Weekly, 17(5-7), 197–216.
Nakane, C. (1972). Social background of Japanese in Southeast Asia. The Developing Economics, 10(2), 115–125.
Nakane, C. (1974). Cultural anthropology in Japan. Annual Review of Anthropology, 3, 57–72.
Nakane, C. (1975). A cross-cultural look at organizational behavior with particular attention to the difference between Japan and the United States. Linguistic Communications, 15, 95-106.
Nakane, C. (1975). Fieldwork in India: A Japanese experience. In A. Beteille & T. N. Madan (Eds.), Encounter and experience: Personal accounts of fieldwork (pp. 13–26). Honolulu, HI: University of Hawaii Press.
Nakane, C. (1982). The effect of cultural tradition on anthropologists. In H. M. Fahim (Ed.), Indigenous anthropology in non-Western countries: Proceedings of a Burg Wartenstein symposium (pp. 52–60). Durham, NC: Carolina Academic Press.
Honors[edit]
Medals of Honor (Japan) Purple ribbon, 1990.
Order of Culture, 2001.[6]
Notes[edit]

^ https://www.tellerreport.com/life/2021-11-05-chie-nakane--a-social-anthropologist--died-94-years-old.H1vHDs9MvK.html
^ The Japan Foundation, Awards and Special Prizes, Recipients List, 1973-1995 (https://www.jpf.go.jp/e/about/award/archive/archive1973-1995.html).
^ Joy Hendry, "An Interview with Chie Nakane," Current Anthropology, Vol. 30, No. 5, December 1989, p. 643.
^ Joy Hendry, "An Interview with Chie Nakane," Current Anthropology, Vol. 30, No. 5, December 1989, p. 644.
^ Joy Hendry, "An Interview with Chie Nakane," Current Anthropology, Vol. 30, No. 5, December 1989, p. 648.
^ "Cultural Highlights; From the Japanese Press (August 1–October 31, 2001)," Archived September 27, 2011, at the Wayback Machine Japan Foundation Newsletter, Vol. XXIX, No. 2, p. 7. ISSN 0385-2318
References[edit]
NAKANE Chie (The Fukuoka Asian Culture Prize)
Chie Nakane (The Rolex Awards for Enterprise)
External links[edit]
Interviewed by Alan Macfarlane 19th October 2009 (video)





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中根千枝さん死去 ベストセラー『タテ社会の人間関係』


11/8(月) 11:27配信
1






「福岡アジア文化賞」公式サイトのスクリーンショット


 『タテ社会の人間関係』のベストセラーで知られ、文化勲章も受章した社会人類学者の中根千枝・東大名誉教授が2021年10月12日、死去した。各紙が11月5日に報じた。94歳だった。  「女性初の東大教授」「女性初の学士院会員」など「女性初」の肩書が多く、戦後の女性研究者のトップランナーとして男性優位の学者世界に風穴を開けた人だった。 ■120万部のロングセラー  1926年、東京生まれ。弁護士をしていた父の仕事の関係で、小学校6年のときから約6年間を北京で過ごした。津田塾専門学校(現在の津田塾大)を経て、戦後、共学になって2年目の東大に入り、東洋史学科・同大学院で学ぶ。日本各地で農村調査をしたあと、1953年からインド、イギリスなどに約4年間留学。少数民族のフィールドワークなどを続け、シカゴ大、ロンドン大で教えた。  帰国後の64年、中央公論に発表した論文「日本的社会構造の発見」が、朝日新聞の論壇時評で猪木正道・京大教授に激賞される。それを67年になって、『タテ社会の人間関係』(講談社)として出版したところ、日本社会の特質を理論的に分析した本として大きな反響を呼び、これまでに約120刷、約120万部というロングセラーとなった。「タテ社会」という文言は本文にはなく、編集者がタイトル用に考えた造語だったいという。  70年に東大東洋文化研究所教授、80年に同所長、95年には日本学士院会員。いずれも女性では初めてだった。とりわけ学者の最高峰とされる学士院は、それまでの200人余りの会員がすべて男性。中根氏のあと2014年に田代和生(かずい)・慶大名誉教授が選任されるまで唯一の女性会員だった。93年に文化功労者、2001年には文化勲章。73年から約10年間、国際人類学民族学連合の副会長を務めるなど、世界的な学会でも活躍した。

三笠宮さまと机を並べる

 東大で東洋史に進んだのは、少女時代を北京ですごし、中国やアジアに関心を持っていたことが大きかった。社会人類学を学ぶようになってからも、中国人や他国の人と触れ合う中で育った経験が生きたという。  「女性初」の肩書が付きまとうことになったのは、たまたま専攻した社会人類学が、日本ではまだ新しい学問だったことが大きいと振り返っている。これが英文学だったら、そうはならなかっただろうと。  読売新聞の連載「時代を開いた女たち」によると、子供のころから、「少年倶楽部」を愛読し、大陸が舞台になった冒険小説を夢中で読む少女だったという。楼蘭遺跡を発見したスウェン・ヘディンにも憧れた。20代半ばすぎ、早くもインド奥地の現地調査へ。ポーターと現地語通訳だけを連れ、単身で「首狩り族」と呼ばれた部族がいるようなところに入り込み、長期滞在した。このインドでの「母系制」研究が国際的に評価され、レヴィ・ストロースら世界のトップレベルの研究者たちと交流を深めることになった。  『タテ社会』が大ヒットし、数少ない高名な女性学者ということもあって、国内の審議会などでは引っ張りだこになった。3つほど掛け持ちする時期が長く続いたという。文部科学相の私的懇談会「国際協力懇談会」や、首相の諮問機関「対外経済協力審議会」のトップも務めた。  16年10月に亡くなった三笠宮さまとは戦後、東大の史学概論の講義で机を並べたことがあった。日経新聞によると、公務が多忙で講義を欠席されることもあった三笠宮さまに、よくノートを貸した。講義の内容を漏らさず書き取ったノートを見た三笠宮さまから、「あなたは偉い人になりますね」と言葉をかけられたこともあったという。その予言どおり、専門分野はもちろん、女性学者として前人未踏の大きな足跡を残した。

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日本論の”新しい古典”『タテ社会の人間関係』はこうして生まれた

現代新書 特別エッセイ「自著を語る」
日本の社会構造を鋭く析出し、日本型組織の理論を提示した、中根千枝氏『タテ社会の人間関係——単一社会の理論』。1967年に刊行されてから50年が経過し、日本国内では117万部を記録、さらに計13ヵ国語に翻訳されている。
日本論の「新しい古典」となったこの歴史的なロングセラーは、いかにして生まれたのか。刊行の経緯を語った中根氏のエッセイを特別掲載する。

50年を超えるロングセラー

本書の初版が刊行されたのは1967年ですから、すでに46年が経過したことになります。このように長い間読み継がれるロングセラー(2013年11月時点で122刷)になるとは、当時は思いもよりませんでした。

もともと本書は、1964年『中央公論』5月号に掲載された「日本的社会構造の発見」という論文をもとに作られた作品です。

編集部からは、「何でもよいから書いてほしい、枚数も自由」と頼まれたので、当時、日本に帰国したばかりの私は、社会人類学でいう「社会構造」の観点から、日本社会を解析する論文を書いてみることにしました。

当時の『中央公論』に掲載されていた論文は何というかペダンチックで、私の文はかなり趣を異にするものでしたから、「書いてはみたものの、誰が読むのだろう」と思っておりました。

ところが、この論文が世に出ると思いのほか反響があり、「ぜひ、この論文を外国語で翻訳したい」という要望が相次ぎました。

しかし、日本語で書いた論文をそのまま外国語に翻訳すると、不自然でわかりにくいことを知っておりましたから、こうした申し出はすべてお断りしました。

同時に、複数の出版社からも、書籍化の申し出がありました。いずれも掲載論文を平易に改稿したうえで出版したいというものでしたが、当時の私は多忙を極めていたため、そのような時間はないとお断りしました。

もとの論文を、大幅に加筆修正

そんな中、論文掲載から他社に遅れて書籍化を打診してきた講談社の担当者だけが「論文をそのまま新書にしたい」というので、現代新書で刊行することを同意したのです。

しかし、いざ1冊の本として出版するとなると、説明が不十分な箇所に加筆したり、あちこち手を入れたくなってきます。結果、加筆の赤字が増えてしまいました。

原稿をとりにきた担当者は、「こんなに加筆があるのは困ります。もとの形に戻してください」というので、「自分で納得できる形にしたのですから、それを受け入れていただけないのであれば、出版を取り止めます」とお答えしました。

困った担当者は会社に戻って上司と相談したのでしょう。翌日には「先生のご希望どおりにします」との返事がありました。

意外に思われるかもしれませんが、本書のタイトルである「タテ社会の人間関係」という用語は、本書のなかでは一度も使われていません。

タイトルを考えたのは、担当編集者でした。

事前に、タイトルを決める相談で、私が挙げたキーワードは、「社会」「タテ」「組織」「構造」「人間関係」などで、これらのなかからタイトルを考えて欲しいと依頼しました。こうしたことは専門家に任せたほうがよいと考えたのです。

こうしたキーワードを組み合わせて誕生したのが「タテ社会の人間関係」でした。本書が刊行されて以来、「タテ社会」という用語が流布したことを思えば、このタイトルが秀逸だったことがわかります。

本書が刊行されると、様々な組織から講演依頼が殺到しました。宗教法人、霞が関の官庁、外資系企業、はては警視庁からも「我々の組織は、先生の本に書かれているとおりです。ぜひご講演を」と要請がありました。


日本論の”新しい古典”『タテ社会の人間関係』はこうして生まれた

現代新書 特別エッセイ「自著を語る」
中根 千枝 プロフィール

英語版タイトルは "Japanese Society "に

同時に、日本語がわかる外国人から是非とも翻訳したいという要請が次々にきました。先に説明したとおり、日本語を英語に直訳すると、文意が不明確になり、文章の流れが悪くなります。

たとえば「親分子分」「先輩後輩」といった言葉は、言葉を尽くして説明しないと欧米人には伝わりません。また論文のプレゼンテーションのやり方が欧米と日本とは異なるので、論の展開も、日本と英語圏の論文では随分と異なります。

次々に翻訳依頼がくるので、思い切って自ら英語で論文を執筆することにしました。

折良く、この論文の一部を第6回世界社会学大会(エビアン)で発表したところ、そのチェアマンから1冊の書籍として英国から出すように強く勧められたのです。

英語版のJapanese Society(『タテ社会の人間関係』)は、日本語版刊行後に新たに加筆したので、日本語版の2倍の長さになり、論文としてより完成したものになりました。

この英語版は英国と米国の出版社から刊行され、それから仏語版、独語版、インドネシア語版、ペルシャ語版、中国語版、ブラジル(ポルトガル)語版など13ヵ国語で翻訳されました(韓国語版のみ、日本語版より翻訳)。これは私にとっても望外の喜びでした。

フランス語版

いまだに残る、日本の「タテ社会」

本書が長期にわたり読み継がれる理由はよくわかりませんが、現象を説明したのではなく、現象の背景にある理論を提示した本だったからかもしれません。

本書で説明した、日本のあらゆる社会集団に共通する構造としてのタテ組織は、21世紀の日本社会においても厳然として存在して、それによる弊害が社会問題になっています。

セクハラ問題への対応が批判された全日本柔道連盟、原発事故を引き起こした東京電力はじめ、今日のニュースにあらわれる数々の不幸な事態をみても、個人の能力を過小評価して、タテ組織における順番を優先する構図がいまなお存在していることがわかります。

社会が安定した平時であれば、凡庸な人間がリーダーになっても大きな問題はありませんが、社会や経済の態様が大きく転換する時期には、先見性のある実力者が必要なのです。たまたまそうした人がリーダーのポストについていない限り弊害をさけられなくなります。

近年は、インターネットの普及にともない、新しい関係も生まれつつありますが、その紐帯は緩やかなものであり、日本社会は依然として「タテ社会」にあるように思えます。




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