2026-09-11

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梶山季之 - Wikipedia

梶山季之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梶山季之かじやま としゆき
『中日新聞』1967年4月25日付夕刊より
生誕1930年1月2日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 京城
死没1975年5月11日(45歳没)
香港の旗 イギリス領香港
墓地瑞泉寺 (鎌倉市)
職業小説家ジャーナリスト
言語日本語
国籍日本の旗 日本
最終学歴広島高等師範学校国語科
代表作赤いダイヤ
李朝残影
デビュー作合わぬ貝
配偶者梶山美那江[1]
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(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日は、日本小説家ジャーナリスト[1][2][3][4][5]ルポライターとして梶 季彦、少年少女向け推理・冒険小説ジュブナイル作品)の著者として梶 謙介ペンネームがある[2]

週刊誌創刊ブーム期に代表的なトップ屋として活躍[2][3]、その後『黒の試走車(テストカー)』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説ベストセラー作家となり[2]推理小説時代小説風俗小説社会小説、痛快小説、SF小説時代小説、実録小説、少年少女向けの冒険小説等とあらゆる分野に作品を残した多才・多作の作家であった[1][2][3][5]。酒の飲み過ぎにより取材先の香港で45歳で客死[2][4][5]昭和一桁生まれの最後の無頼派的な文士といわれ[5]磯田光一は「戦後文壇の自爆者」と評した[2]

人物

生い立ち

土木技師の父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮京城で生まれた[6][7][注 1]。子供の時から作家志望で、小学3年頃には科学冒険小説を書いて級友に読ませていた。1942年京城中学校入学。成田豊は当時からの親友[注 2]敗戦後引き揚げ両親の郷里、広島県佐伯郡地御前村(現廿日市市)で育つ[1][7]。広島二中(現広島観音高)を経て広島高等師範学校国語科に入学[1][2][7]。在学中に同人誌『天邪鬼』を創刊、後に地元の同人誌を糾合し広島文学協会を設立、同人誌『広島文学』に参加するなど精力的に活動した。同人誌のメンバーだった美那江夫人と出会う[11]。また『中国新聞』学芸部の金井利博と知り合い、広島ペンクラブの設立、運営にも加わった[1]。『天邪鬼』に一文を寄せていた作家原民喜の自殺に衝撃を受け、金井とともに原を記念する詩碑の建立に奔走した。

卒業後の1953年、両肺に空洞があることを知るが[11]、家出同然にして上京[7]。後を追って上京した美那江と8月に結婚。横浜鶴見工業高校の国語教師を務める後、職を転々とするが、結核の前歴を隠しての就職のため、健康診断の時期が近づくとどこも辞めていた[7]。その後杉並区阿佐ヶ谷喫茶店「阿佐ヶ谷茶廊」の経営をしながら[7]、『新早稲田文学』『希望』などの同人誌で活動。1955年に村上兵衛の紹介で三浦朱門らのいた『新思潮』(第15次)同人になり小説を書き[7]、1956年『新潮』に同人雑誌推薦作品として「合わぬ貝」が掲載され、これが初めての商業誌掲載となった。一方、1958年にフリーライター専業となって『文藝春秋』『週刊新潮』などに記事を書くようになり、阿佐ヶ谷で喫茶店のあと経営していたバーをたたみ文筆一本でいくことを決意する。

週刊明星』の創刊から関わり[3]、また「大宅壮一ノンフィクションクラブ」にも参加。世紀のスクープと言われた「皇太子妃正田美智子さん」をスクープしたのも梶山だった[7]。1950年代後半、時代は出版界でも急速に動き、時代小説中心の倶楽部雑誌が潰れ、高度経済成長期に見合うような新しいタイプの流行作家が求められたが[12]、梶山は1959年『週刊文春』創刊に際し、その社外スタッフとして入り[3]トップ屋グループ「梶山軍団」と呼ばれる取材記者の一群を率いて、草創期の誌面に週刊誌特有の躍動的なジャーナリズムを作り上げる[1][3][5][7][12]。ルポライターとして週刊誌ジャーナリズムにおける取材と執筆を分業するシステムを最初に導入し、「文春砲」の基礎を築いた一人であった[1][3]。『新思潮』の同人だった有吉佐和子がすぐに売れたため、嫉妬していたとされる[7]。またこの時期「梶謙介」のペンネームで小学館の学年誌などに多くの冒険小説を書き、三谷晴美(瀬戸内寂聴)と双璧の人気と言われる。1958年には朝日放送にいた阪田寛夫の依頼でラジオドラマ脚本「ヒロシマの霧」「才女ブーム異変」「恋愛作法(吉行淳之介原作)」「外貨ブローカー(原作「振興外貨」)」を執筆し、「ヒロシマの霧」で1959年民放連盟賞優秀賞、同「蛸が茶碗を抱いていた」で1960年文部省芸術祭参加、1961年 - 1962年の連続ドラマ『愛の渦潮』など1964年頃まで執筆していた。

流行作家へ

宝石』1966年新春2月号に「日本の内幕 七大新興宗教の経済力」を寄稿した。

1961年に結核を患い約3か月間の入院生活を余儀なくされるが、これを機にトップ屋をやめ本格的に小説の執筆に乗り出し、翌1962年、自動車企業間の熾烈な競争を背景にした経済小説『黒の試走車』がヒット。「企業情報小説」、「産業スパイ小説」という新分野を開拓した[1][4][5][13]。多くのベストセラー小説やルポを書き、高度成長期の潮流に乗った流行作家になった[5]。1966年、『週刊新潮』連載の小説「女の警察」により、刑法175条(猥褻物頒布)の容疑で略式起訴され、同誌編集長野平健一と共に罰金5万円の有罪判決を受ける。1969年には7786万円の収入を得て[13]、文壇長者番付第1位となった[1]

ジャーナリストの世界において、記事執筆のためのデータ収集を専門とする「データマン」、そしてデータマンの集めた情報を元に記事を執筆する「アンカーマン」という分業体制を確立したのは、日本では梶山が最初であると言われている[1]

1969年、夫人を社長として株式会社季節社を設立。作家がプロダクションを持つのは当時珍しく[14]、後に五木寛之松本清張らがプロダクションを持った[14]。1971年、文壇マスコミ界の埋もれた逸話を記録するため月刊『噂』を自費創刊するが、赤字により1974年終刊。

野坂昭如は『平凡パンチ』1972年2月28日号のインタビューで、梶山を評して「よくもま、この10年間小説ジャーナリズムの世界を支えてきたと思いますよ。出版社は彼の小説で上げた利益で、純文学を出して来たんだからね。純文の連中がエロがどうでこうで言うのを聞くと、ぶん殴りたくなる」と話した[15]

1972年に結核が再発し、北里研究所付属病院に入院後、伊豆の別荘で療養。この時別荘に書斎を増築し、27日で完成したため「二十七日庵」と名付け、今東光に扁額と表札を書いてもらって掛けた。また土地を借りて畑仕事も行う。同年、国際会議の運営をめぐり日本ペンクラブを脱退。1973年、今東光の文壇野良犬会に参加。1974年には自民党から参議院全国区での立候補を要請されたが辞退している。

あらゆるジャンルの作品を手掛けたが、生涯のテーマは、朝鮮移民原爆とも言われ[5]日韓併合期の朝鮮を題材にした「族譜」「李朝残影」などの作品も残している[5]。「李朝残影」は1964年に美空ひばり主演でテレビドラマ化され[16]、1967年に申相玉監督により日韓最初の合作映画として計画されたが頓挫し、韓国映画として製作された[16]

死とその後

1975年5月7日、ライフワークである長編小説『積乱雲』の取材のために訪れた香港マンダリンホテルで突如吐血[7]。救急車で運び込まれたカノッサ病院に適切な設備がなく[7]、一時は容態が安定するもののその後急変、5月11日早朝、食道静脈瘤破裂肝硬変で死去[7]。今東光が命名した戒名は「文麗院梶葉浄心大居士」[7]、棺には愛飲していたサントリーオールドを注がれ、缶入りピース、原稿用紙とモンブランの万年筆、『李朝残影』が納められて、大宅壮一と同じ鎌倉瑞泉寺に葬られた。戦後30年をペン一本で戦った"文壇の戦士"の壮絶な死に様だった[7]。人は評して「最後の行動派作家の特攻的戦死」といった[7]。毎年5月11日は梶葉忌として偲ばれている[1]。またこの直前に出席していたNHKテレビ市民大学講座「大衆文学をこう書く」の座談会の録画は、5月12、13日に放送された。

収集していた蔵書1万7千点のうち、朝鮮・原爆・移民関係の7千点は1977年ハワイ大学図書館に寄贈され、「梶山季之記念文庫」となった[1]。その他、雑誌類4千点と書籍2千点が大宅壮一文庫に寄贈された[1]。1977年12月には、生前描き溜めていた油絵やスケッチを展示する「梶山季之遺作展」を京橋東京近代美術クラブで開催。33回忌にあたる2007年、広島大学文書館に自筆原稿、蔵書などが寄贈された(梶山季之文庫)[1]

十数年の作家活動であったが作品数は多く、死後も人気は衰えずに12年後までに120冊の文庫が出版され、1300万部の売り上げをあげた[17]。サービス精神の旺盛な作家という評に加え、編集者や周囲の人々への気配りについてもしばしば語られている[1]。17回忌となる1991年5月、広島市の中区加古町5・アステールプラザ裏に6百数十名の出資による梶山季之文学碑が建立された。碑文には直筆の「花不語(花は語らず)」が刻まれている。これは本人がよく揮毫に用いた言葉である。1992年には夫人の拠出による「梶山季之文学碑建立記念基金」が設立され、研究振興に充てられている。近年は雑誌などの特集により、その膨大な作品群を再評価する動きが出ている[1][3]

作家活動

小説の分野としては、生地である朝鮮をテーマにしたもの、トップ屋としての視点と情報収集力を活かした企業小説、推理小説、風俗小説、時代小説などがある[3]。在学中の1952年に『広島文学』に日本統治時代の朝鮮創氏改名を扱った「族譜」を発表、同年本作を収めた短編集で、友人の坂田稔との共著『買っちくんねえ』を自費出版、「族譜」は後に加筆されて1961年に『文学界』に発表される。1958年『新思潮』に終戦の日を描いた「性欲のある風景」を掲載、1963年には提岩里事件を取り上げた「李朝残影」を『別冊文藝春秋』に発表し、直木賞候補となる。

1958年、『新潮』に「地面師」発表。1960年『週刊文春』で推理小説『朝は死んでいた』を連載。1961年に北里研究所付属病院に入院中に、『スポーツニッポン』の連載小説の作家が急病のため新連載を依頼され、あずき相場を扱った『赤いダイヤ』を連載開始し大いに好評となった。続いて酒場で見知っていた当時光文社種村季弘後藤明生から紹介されて書き始めた、書き下し長編『黒の試走車』を1962年にカッパ・ノベルスで出版。同年には『青いサファイヤ』『影の凶器』『夜の配当』『男の階段』『女の斜塔』と連載を開始、月産1000枚と言われる執筆量となり、数年後には1300枚を記録した。ルポライターとしての視点、情報収集力を活かした『黒の船渠』『夢の超特急』『小説GHQ』などを発表。1967年から翌年に『中間小説誌や娯楽雑誌の発刊が相次いだ際には、その創刊号の多くに小説、エッセイ、ノンフィクションを執筆、「創刊号男」「突破口」と称された。執筆誌は『月刊現代』『月刊タウン』『別冊アサヒ芸能』『ビッグコミック』『PocketパンチOh!』『プレイコミック』『小説セブン』『マイウェイ』『別冊サンデー毎日 読物専科』『小説エース』『小説宝石』。1971年には休筆を宣言し、1972年1年間は月刊誌への小説を休んだが他の執筆は続け、仕事量が減るにとどまり、翌年は元に戻った。

またルポライター時代の1960年、金井利博の依頼で「中国新聞」に頼山陽の青春時代を描いた「雲耶山耶」(くもかやまか)を連載。また時代小説として、1970年以降『彫辰捕物帖』シリーズ全6巻、「辻斬り秘帖」などを発表。

鉄道弘済会のベストセラー作家」とも呼ばれ、作品は常に新鮮な時代感覚に溢れ読者サービスに徹した。サービス精神の赴くまま材料の仕込みには惜しげもなく金を注ぎ込んだ。天性のストーリー・テラーで筆力抜群、しかも稀代の速筆家であった。印刷屋への発注ミスで8万枚のネーム入り原稿用紙を購入する羽目になったが10年足らずでほとんど書き損じもなく使い切ってしまった[18]、三日二晩で300枚の長編を書き上げる(『ミスターエロチスト』)、短編小説を電話で頼めばすぐに取りに行っても原稿が出来上がっている、原稿を取るために出版社がヘリを飛ばす[注 3]、といった伝説まで生まれた。一文ごとに改行するスタイルは、時に原稿料目当ての枚数稼ぎとも揶揄された。

後年はエロティシズムへの傾斜を深め、ポルノ小説を書きまくったため、世間から「ポルノ作家」「性豪作家」のレッテルを貼られた[4]。1968年に『別冊文藝春秋』に『ミスターエロチスト』252枚を一挙掲載。当時は「なにもあそこまで書かなくても」「サービス精神のいきすぎ」などと言われ、1972年まで単行本化もされなかったが、後に「先駆的作品」「現在の、性を扱った小説の、あらゆる原型がここにある」などと評される。これは元々有馬頼義に原稿を依頼していたのが締切一週間前に病に倒れたため、急遽梶山に依頼され二日半で書き上げたものだが、以前から構想を温めていことがその後取材ノートから伺われている[20]。また女性の名器を指す「ミミズ千匹」を一般に知らしめたのは『女の警察』と言われる[21]

朝鮮、内地に帰って育った広島の原爆、母の経験したハワイ移民という三つのテーマをライフワークとしようとしており、それぞれで3本の長篇小説を書くと山口瞳に言ったところ、「三つのテーマがあるなら、それを一つにして大河小説を書くべき」の言われ、1974年に題を『積乱雲』として資料収集、取材を進めながら執筆を開始していた。

原爆に関わるテーマの作品としては、1970年「憑かれた女」、1971年「ケロイド心中」がある。「ケロイド心中」を『小説現代』に発表した時には、広島県原水協、同被団協、原爆文献を読む会などから、被爆者差別を助長するとの抗議が寄せられた。これに対して梶山は、被爆者の立場で、実話をモデルにして書いたというコメントを『中国新聞』に掲載。何度か抗議の手紙が届いたが、それ以上のことにはならなかった。1969年に金井利博が原爆被災資料研究会から『原爆被災資料総目録』を刊行していたのに資金援助をしていたことが、死後明かされた。

文学論として残されている言葉に、「文学といえばすぐに愛だの恋だのを書く。(略)金の動きにもロマンはある」(1966年広島大学懇談会)、「私の小説は、文章はカサカサに乾いていて、手垢がついているけれども、材料にだけは自信がある−−と自慢しておく」(「私の小説作法」)などがある。徹底した調査を元にした作品は「調べた小説」などとも言われ、自身ではジャーナリズムとして報道できる限界があるため、事実を小説に仮託して書くという方法としても考えていたという。

現代の女岩窟王というべき復讐譚『罪の夜想曲』を1973年から『週刊明星』に連載していたが、急死によって72回で絶筆となり、残されたメモを頼りに夫人が結末を加筆して完結された。書きかけていた長編『積乱雲』は、10年間に1万2千枚の予定で新潮社から書き下ろしで出版の予定だったが、書き出し部分の遺稿30数枚分が『別冊新評 梶山季之の世界』(1975年)に掲載された。

ジャーナリスト活動

1958年に『文藝春秋』の編集長田川博一に自薦の手紙を出し、ルポライターとして採用。最初の記名記事は『文藝春秋』一九五八年五月号の「丸ビル物語——サラリーマンの故郷」。それより以前には嵯峨浩の自伝『流転の王妃』にゴーストライターとして携わっていた[22]。続いて同年創刊の『週刊明星』にも起用され、無署名で書いた警職法改正案に関する「またコワくなる警察官-デートも邪魔する警職法!」と題した記事は、自民党幹事長田中角栄が編集部に抗議に来るほどの大きな反響を呼んで法案は撤回に追い込まれた。また同年の皇太子妃決定に際しては梶謙介名義で話題小説「皇太子の恋」を掲載、新聞社間のスクープ禁止の協定を破り、他社に先駆けてすっぱ抜いた。

1959年の『週刊文春』創刊では、岩川隆、中田建夫、有馬將祠、加藤憲作、恩田貢の5人で梶山グループを作り、「週刊文春特派員」として特集記事作りに2年間参加。東京都知事選挙立候補者の有田八郎を落選に追い込んだ怪文書「般若苑マダム物語」の作者を突き止めるスクープなどを書いた。

1961年に『週刊文春』から撤退して小説に専念するが、その後もノンフィクションの依頼を受け、1963年には『小説現代』で「実力経営者伝」として、本田宗一郎小佐野賢治ら8人の評伝を掲載。1965年に創刊した『宝石』で「日本の内幕」連載、創刊号での防衛庁の日米共同実戦計画などをルポ、翌年に猥褻物頒布容疑で摘発されたのはこれらが目障りになったために梶山の信用失墜を狙ってのこととも言われた。1968年にも『かんぷらちんき』『スリラーの街』で同容疑の取り調べを受け、これも「小説防衛庁」での内幕暴露のしっぺ返しと言われた。

1965年に「小説・創価学会」を『婦人生活』誌に連載すると抗議が殺到、その後大規模な言論出版妨害事件に発展し、1970年には連名で創価学会系雑誌への執筆拒否宣言をする。

1967年に大宅壮一マスコミ塾が開講した際には、実践教育編の講師も務めた。

トップ屋の呼称は、扇谷正造に新宿の飲み屋で「おいトップ屋」と肩を叩かれたことから付いた[7]。この言葉がテレビドラマなどで使われて広く知られるようになり、梶山自身は後に『週刊公論』で「トップ屋自身が語る」を書いた。

月刊『噂』

梶山と講演会で一緒になった伊藤整と、作家の裏話を集めて活字にしようという相談をし、梶山の担当編集者が毎月第三土曜に集まる「三土会」を編集母体、その中で高橋呉郎を編集長として1971年8月『月刊噂』を創刊した[1][3][4]。創刊号記事は特集「知られざる大宅壮一」、「内田百閒を偲ぶ座談会」、「阿部定坂口安吾対談」(再録)など。発行当初は政財界人の購読申し込みが多かったともいう[23]。1974年3月まで全32冊を出して、5000万円の赤字を出して終刊。

また噂賞を制定し、受賞者は以下:

第1回の賞金は10万円で、贈呈者は今東光が務めた。

1972年には噂発行所から第15次新思潮同人の自選作品集『愛と死と青春と』を刊行。

毎月1000枚以上の原稿を書き、何人もの女性たちと付き合いながら、13年間で書いた作品数は300冊を優に超える[4]

作品

経済小説

同人誌時代から行動力旺盛だった梶山は、『新思潮』でも営業部長を自任して広告取りなど金策に奔走し、輸出振興外貨資金制度やあずき相場も利用しようと情報を集めた。この過程で小説化の思いが浮かび、1956年に「振興外貨(リテンション)」を『新思潮』に発表、1958年『新潮』に企業乗っ取りを扱った「地面師」を発表。続いてルポライター時代を経て小説に専念しようとした1961年に「赤いダイヤ」連載。同年に書き貯めた、自動車業界の産業スパイを扱った『黒の試走車』を1962年に書き下ろしで出版し、産業スパイという題材の新しさや、従来の小説とは異なった情報の詰まった小説として注目されてベストセラーとなり、産業界にも大きな反響をもたらして「産業スパイ」は流行語になった[4]。また映画化もされて、大映の「黒シリーズ」の元となった。これで一躍人気作家となり、引き続き高度成長期の産業界を描いた経済小説を続々と発表する。

産業スパイものとして、家電業界もの『影の凶器』(講談社、1964年)、造船業界を舞台にした『海の薔薇は紅くない』、女性の産業スパイの登場する『SEXスパイ』などがある。また企業から仕事を請け負う腕利きの産業調査員の津村公と、経済界の裏事情に通じて企業からの相談事を津村に回す春野団蔵が活躍する連作短編集『虚栄の館』をはじめとする「調査資料(秘)」シリーズもある。

また企業の裏側を描く経済小説として、『赤いダイヤ』の続編『青いサファイヤ』、新幹線汚職を扱った『夢の超特急』、1964年東京オリンピックを巡る土地開発を描く『のるかそるか』、広告業界を舞台にした『罠のある季節』、黒の試走車の続編にあたるサスペンスタッチの『傷だらけの競走車』及び自動車販売合戦を描く中編「黒の燃焼室」(1965年)、株相場を扱った『見切り千両』『みんな黙れ』、中東紛争による石油危機を扱った『血と油と運河』、化粧品業界を扱った『狂った脂粉』などがある。『てやんでぇ』では『赤いダイヤ』の主人公木塚慶太がアメリカに乗り出す。

  • 黒の試走車[注 4]光文社 1962年 The Black Test Car - 田宮二郎主演で映画化『黒の試走車(テストカー)』(1962年、大映東京)[24]
  • 『黒の燃焼室』(短編集) - 『黒の試走車』の主役たちが再び登場する表題作ほか六編を収録。
  • 赤いダイヤ(上)(下)』集英社 1962、63年
  • 青いサファイア』講談社 1963年(『スポーツニッポン』連載)
  • 『SEXスパイ』集英社 1963年(1,2話は『小説中央公論』1962/7月号掲載ほか、3話は『別冊週刊漫画TIMES』)のち桃源社『赤い妖精』 1967年
    • 「第1話・赤い妖精(SEXスパイ)」
    • 「第2話・令嬢作戦」
    • 「第3話・人魚の恋」
  • 『続SEXスパイ』集英社
  • 『のるかそるか』文藝春秋新社 1964年(1963年5月-64年2月、地方紙掲載)
  • 夢の超特急』光文社 1963年 - 増村保造監督で『黒の超特急』のタイトルで1964年に映画化。
  • 『海の薔薇は紅くない』集英社 1964年(『週刊明星』連載、1965年『黒い船渠』と改題) - 造船業界を舞台にした国際的産業スパイの暗躍を描く。
  • 「調査資料(秘)」シリーズ
    • 『虚栄の館 産業ミステリー調査資料㊙』サンケイ新聞出版局 1964年(短編集、『週刊サンケイ』連載)
      • (「眩い巨塔」「ある盲点」「引き抜き秘法」「虚栄の館」)
    • 『甘い樹液』サンケイ新聞出版局 1964年(短編集)
      • (「怪文書」「談合入札」「甘い樹液」)
    • 『白い廃液』サンケイ新聞出版局 1965年(短編集)
  • 影の凶器』講談社 1964年(『新週刊』連載13回で中断のち大幅加筆) - 井上昭監督で1964年に映画化。
  • 『罠のある季節』文藝春秋新社 1965年(『週刊文春』連載)
  • 『てやんでぇ』光文社 1966年(『北国新聞』『愛媛新聞』他1964-65年連載)
  • 『狂った脂粉』光文社 1966年(『時』1964年連載) - 元高校教師が生徒への暴力で辞職、アメリカ資本の化粧品会社の協力企業にスカウトされる。
  • 『傷だらけの競走車(ラリー・カー)』光文社 1967年(『別冊宝石』連作)[注 5]
    • 「第1部 四十二号アルプスに消ゆ」
    • 「第2部 キリマンジャロの黒い雪」
    • 「第3部 紺碧海岸の怪」
    • 「第4部 モンテ・カルロの死闘」
  • 『新説・色くらべ』集英社 1968年(短編集)
    • 「怠慢なり宣伝部長」
    • 「上陸作戦は終わりぬ」
    • 「幻の五社協定」
    • 「寒い夏」
  • 『黒い船渠(ドック)』[注 6]。 集英社 1969年
  • 『華やかな罠』 祥伝社 2010年
  • 『華麗なる復讐』 祥伝社 2010年
  • 見切り千両』講談社 1971年(『別冊小説現代』1970年)- 1970年第2回小説現代ゴールデン読者賞受賞
  • 『みんな黙れ(天の章)(地の章)』徳間書店 1971-72年(『アサヒ芸能』連載<小説総会屋>)
  • 血と油と運河』集英社 1975年(『週刊読売』1974年連載)
  • 青の執行人』桃源社 1972年

企業人物誌

企業や経済を舞台した作品の中でも、実在の人物をモデルにしたものも含め、高度成長期を背景に活躍する人物の生き様に焦点を当てたものも多い。特に戦後の混乱期を生き抜いて企業経営に成功するまで、その後の挫折や私生活までを包括的に描いている。国会の爆弾男の異名を取った代議士をモデルにした長編『色魔』、短編「"火消し"新八」、またルポライター時代から東急グループ創設者五島慶太西武グループ創設者堤康次郎に注目しており、堤をモデルにした『悪人志願』や、電力業界の松永安左エ門を題材にした「小説 松永安左衛門」がある。『どないしたろか』は義弟をモデルにした薬品業界での「ど根性出世譚」だが、夜の部分はまったくの脚色という。『虹を掴む』は素人百姓から立身出世した男が主人公で、モデルは三好興産社長の三好淳之。

  • 『悪人志願』講談社 1966年
  • 『虹を掴む』光文社 1966年、講談社 1976年 - 戦後の混乱の中で財をなし、水商売の頂点を目指す主人公。
  • 『色魔(青春篇)(怒濤篇)(完結篇)』徳間書店 1968-70(『アサヒ芸能』連載)
  • 『どないしたろか』徳間書店 1974年(『アサヒ芸能』1973年連載)

社会小説

経済や企業もの以外の分野(法律・政治・社会問題など)を扱った作品を本項目で別記する。

  • 『囮』サンケイ新聞社 1964年 - 連載時のタイトルは『まだはもうなり』。掲載誌が休刊となり、単行本化のため修正と加筆し、改題のうえ刊行された。
  • 『ある秘書官の死』光文社 1967年(短編集)
    • 「ライバル」
    • 「スクープの内幕」
    • 「ある秘書官の死」
    • 「流浪の人」
    • 「転落の記」
  • 一匹狼の唄』実業之日本社 1967年
  • 『離婚請負業』秋田書店 1967年(短編集)
    • 「失脚のカルテ」
    • 「背徳の倫理」
    • 「男の誇り」
    • 「離婚請負業」
  • 『ペテン師物語』桃源社 1968年(短編集)
    • 「ある陥穽」
    • 「なんでも来い」
    • 「ペテン師物語」
  • 『密閉集団』光文社 1969年
  • 『ちりぬるを』(短編集)
  • 『稲妻よ、奔れ』
  • 『名誉棄損』桃源社 1972年(短編集)
  • 虎と狼と』実業之日本社 1975年

痛快小説

政界、経済界における成功者の他に、一匹狼的な立場で金と女を獲得する人物や、任侠界の人物を描く、サラリーマンにとってのファンタジー的作品も多い。『夜の配当』と続編『非常階段』では一流企業を退職してトラブルコンサルタント業を開いて違法合法すれすれのアイデアで成功する人物、『野望の青春』は観光業界で活躍する若者3人組、『濡れた銭』では「脱税の鬼」と呼ばれる男が主人公。『銀座遊侠伝』ではヤクザの異端児、祐天のテルを描いた。『うぶい奴ら』は浮世絵ブーム、『お待ちなせえ』も絵画業界が舞台。『と金紳士』は文庫版では最も売れて、4巻で85万5千部、次いで『野望の青春』(2巻)が40万4千部。『と金紳士』『色魔』などは後に漫画化されてアダルト漫画の先駆となった。

  • 『夜の配当』光文社 1963年(『週刊朝日』連載)
  • 『非常階段』光文社 1965年(『週刊漫画サンデー』連載)
  • 『どんと来い』桃源社 1965年(『大和ニュース』連載)
  • 『一押し二金』桃源社 1967年(短編集)
    • 「悪の勇者」
    • 「ポケット作戦」
    • 「ある復讐」
    • 「一押し二金(かね)」
  • 『敵はどいつだ(愛欲編)(復讐編)』集英社 1967-68年
  • 『濡れた銭』サンケイ新聞出版局 1969年(『週刊サンケイ』連載)
  • 『お待ちなせえ(日本脱出編)(さらばパリ編)』光文社 1969年
  • 『と金紳士』文藝春秋 1969-71年(『週刊文春』1968-71年連載)
  • 『銀座遊侠伝』文藝春秋 1970年(『オール讀物』1970/4-9月号、同誌初の連載小説)
  • 『びかたん(鼻下短・受け唇・片えくぼ)』光文社 1970年(『小説宝石』掲載、1982年角川文庫化時に『びかたん・うけくち』に改題)
    • 「第1部 ああ、通り魔」
    • 「第2部 お先に失礼!」
    • 「第3部 鼻下短受唇片靨」
  • 『すけこまし(大望篇)(完結篇)』徳間書店 1970-71年(『アサヒ芸能』連載)
  • 『うぶい奴ら』祥伝社 1971年(『週刊ポスト』連載)
  • やらずぶったくり(やらずの巻)(ぶったくりの巻)』集英社 1970-1971年(『週刊明星』連載)
  • 『逃げるが勝ち』実業之日本社 1971年
  • 『にぎにぎ人生(疾風怒濤篇)(獅子奮迅篇)(猪突猛進篇)(大願成就篇)』集英社 1971-73年(『プレイボーイ』連載)
  • かんぷらちんき』徳間書店 1972年(『週刊現代』連載)
  • 『銀座ナミダ通り』徳間書店 1974年(『問題小説』1974/1-9月号連載)
    • 銀座ホステスの会社を作り風俗業界に新風を起こそうとするアイデア企業家の痛快ストーリー。

風俗小説

戦後の混乱期、高度成長に翻弄され、多様化するモラルの中に色と欲に生きた男女の有り様を描いた作品群。 『男を飼う』は、SM女装、様々なフェティシズムを扱っている。『苦い旋律』はレズビアンニューハーフ物の実質的嚆矢で、女性誌『女性セブン』に連載されて大反響を呼び、続いてエッセイ「浮世さまざま」、小説『青い旋律』を連載。他にも『薔薇の咲く道』など、女性を主人公にした風俗小説も多く書いた。

  • 『四つの性』冬樹社 1964年
    • 「第一の性」/「第二の性」/「第三の性」/「第四の性」および「終章」からなる女と男の物語
  • 『女の踏絵』講談社 1965年(短編集、『小説現代』1965年掲載)
    • 「やどかりの詩」
    • 「憑かれた女」
    • 「夜のプリズム」
  • 白い炎の女』 桃源社(ポピュラー・ブックス) 1972年、『梶山季之傑作集成 4  白い炎の女』(集英社 1972年) 
    • 「白い炎の女」 - 全身を羽根や筆、刷毛でくすぐられて悦ぶ女性。梶山は「脚色してあるが、ある俳優を取材して書いたもの」と答えている[25]
    • 「よろめきの季節」
    • 「愛情の領収」
    • 「冬に来た恋」
    • 「離婚成金」
  • 紫の火花』(上・下) 1965年 主婦と生活社、1981年 講談社 (講談社文庫) か 3-1・2(『週刊女性』1965年連載)
  • 遊戯の報酬』講談社 1967年
  • サイケの世界』 
  • ミスター エロチスト』光文社 1977年、徳間文庫 1983年(『別冊文藝春秋』1968年掲載)
  • 『薔薇の咲く道』集英社 1968年(『婦人生活』1967-68年連載)
  • 「青年よ大女を抱け」秋田書店 1968年 - 180cm長身女性の魅力について語る大女フェチ。
  • 苦い旋律(前篇・後編)』集英社 1968年(『女性セブン』1967-68年連載) The Melody in Bitter [注 7]。 - 上村一夫により劇画化。「苦い旋律」少年画報社 1973年(『ヤングコミック』1973年)
    • 女装趣味の社長やレズビアン和装女性に影響を受け官能の虜となるヒロイン。
    • 女物の靴・コート・ハンドバッグで女装している会社社長がガールフレンドとデートする。
    • 「男の同性愛を取り扱った小説は多いのに、なぜ女性のレスビアン[注 8]。小説はないのだろうかと云う不満が、 私にこの小説を書かしめた動機」と梶山は述べている(「女性セブン」1967・9・6)。
  • 男を飼う(鞭と奴隷の章・蛇と刺青の章)』集英社 1969年(『週刊明星』1968-69年掲載)
    • ビバリーヒルズの邸宅に住む髪を長く伸ばしているアメリカの女装美少年が、レズ女から胸の膨らみが無いと言われブラジャーの中に丸めたストッキングを入れられたり、やはり髪が長く女言葉で話す日本人の女装美少年と女装デートする。
  • 美男奴隷』光文社 1969年(『女性自身』連載)
    • 男に捨てられたヒロインが異常性愛を通して男を征服していく。
    • 女装美少年がレズ女から顔を撫でられ快感を感じる。ストッキングと白いハイヒールを履いた女装美少年の美脚に女も恍惚となる。そして女からはレズビアンごっこしましょうと誘惑される。
  • 青い旋律』集英社 1970年(『女性セブン』1969年連載、集英社文庫) The Melody in Blue
    • 赤とか青、白、黄色など鮮やかな色の女物のピカピカの長靴を履くのが大好きな女装美青年が、レズビアンで「長靴姿の美女」が好きでたまらないレズ女性と女装レズプレイをする。
    • 連載当時に流行った「ハイレイン」という丈が長めできれいな色のピカピカした女性用ゴム長靴を、色ちがいで何足も持っている女装の美形男子が女性とのプレイをする部屋で履くと、「長靴女」を愛するレズ女性も興奮した。
    • 父の性遍歴を綴った日記を盗み見る父とマンションで2人暮らしのファザーコンプレックス気味の女性。などがくりひろげる変態性欲の集大成ともいうべき風俗ロマン小説。
    • 前作『苦い旋律』に寄せられた女性読者からの要望に応え、美少年、女装、レズ、長靴フェチ、ゴムマニア、くすぐりプレイ、女王様などいわば倒錯の世界を描いた当時としてはかなり反響をよんだ話題作である。連載時の内容で単行本化では割愛された箇所や読者からの投稿およびそれに筆者がコメントしたエッセイなどの一部は『性科学XYZ』に載せられた。
    • ラサール石井は、姉が買っていた『女性セブン』に連載された『青い旋律』を読んで性知識と難しい漢字を覚えたと述べている[26]
  • 性科学XYZ』(セクソロジーXYZ)集英社 1970年 - 『女性セブン』『小説セブン』ほか各誌に発表した短編、連載エッセイ・女性誌の読者投稿などをまとめたもの。
  • 「黒い旋律」(ブラック・セクソロジー) The Melody in Black - 『青い旋律』の続編。
  • 「中性薬」
  • 「ブーツと長靴」(ブーツ女王と長靴姫)[27] - 『青い旋律』の登場人物スピンオフ。 黒革のロングブーツを履き鞭を持ったSM女王様と、女性用のきれいな色のゴム長靴を履いた女装美青年の二人が、女たちを相手にレズ遍歴。
  • 「男性がスカートを愛玩する革命」 - 「ピーコック革命」[注 9]などをテーマに話題を提供。「銀座にミニスカートとロングブーツで繰り出す美青年たち」[注 10]は当時、衝撃を与えた。
  • 鞭をふるう女』 1971年 桃源社のちケイブンシャ文庫
  • 「鞭と乗馬靴」
  • 「浮き世さまざま」(浮世セクソロジー) - 女性誌読者による投稿とエッセイを集めたもの。
  • 野望の青春』(上・下)実業之日本社 1969年 角川文庫 1981年(『週刊漫画サンデー』連載、『出世三羽烏』改題)
  • 流れ星の唄』(上・下) 1971年 桃源社 1983年 角川文庫(『週刊実話』1971年連載)
  • 『奇妙な人たち』講談社 1970年
    • 「美女を縛って30年」 - 団鬼六や谷ナオミらのポルノ小説・写真・映画への情熱について語るエッセイ。
    • 「ブルー・フィルム先生」[注 11]
  • 『京都の女(日本女地図1 西日本編)』(短編集、『問題小説』掲載)『モーレツな女』改題 徳間書店 1969年[注 12]
    • 「大阪の女」1975年
    • 「神戸の女」
    • 「広島の女」
  • 『銀座の女(日本女地図2 首都圏・東海編)』(短編集)『メロメロの女』改題 徳間書店 1970年
    • 「新宿の女」
    • 「横浜の女」
    • 「浜松の女」
  • 『札幌の女(日本女地図3 北日本・北陸編)』(短編集)『バツグンの女』改題 徳間書店 1970年
    • 「米沢の女」
    • 「新潟の女」
    • 「金沢の女」
  • 『博多の女(日本女地図4 九州・南海編)』(短編集)徳間書店 1970年 『ヒイヒイの女』改題 - 男と部屋に入るなり全裸になって、逆立ちして脚を広げる女。など博多から高知まで南国各地で繰り広げられる性に奔放な女たちを描く。
    • 「白浜の女」
    • 「高知の女」
    • 「長崎の女」
  • 『ソウルの女(世界女地図1 ユーラシア編)』徳間書店 1971年(短編集) 『ベトベトの女』改題
  • 『ラスベガスの女(世界女地図2 新大陸編)』徳間書店 1971年(短編集) 『パクパクの女』改題
  • 『鞭をふるう女』桃源社 1971年(短編集) - 西洋人美女の意外な性嗜好に翻弄される中年男の非喜劇を描く。
  • 『妖しい花園』集英社 1972年 (1988年 祥伝社文庫『妻たちの魔刻』に改題 )
  • 『イッパツ勝負』桃源社 1972年(短編集)
    • 「陰謀と札束」

官能小説

風俗小説のうち、直接的な性描写を用いた作品は官能小説(ポルノ小説)とも呼ばれ、梶山は、「かならず新しいセックスの知識とか性行為における技術などを紹介してある」と述べていた。また猥褻罪で3度検挙され、自身も「どこまで書いたらワイセツ文書になるか実験中だ」と話したとも言われる。時代的に性(セックス)解放期にあたり[7]、梶山特有のサービス精神もあり[7]、それが色濃く出た[7]

  • 『小説浮気考』サンケイ新聞社 1965年(短編集) のち廣済堂出版 1968年 (『サンケイスポーツ』連載「浮気考」)
  • 『てやんでぇ』(上・下)光文社 1966年(『北国新聞』『愛媛新聞』ほか 1964-65年連載)
  • 『五年まえの女(ひと)』(短編集) 桃源社 1967年 1984年 角川文庫
    • 「混血の娘」
    • 「愛の航路は虚しく」
    • 「よろめきの季節」
    • 「五年まえの女(ひと)」
  • 『ハレンチな女』徳間書店 1968年 のちケイブンシャ文庫 1994年『破廉恥な女』
    • 「コーポラスの恐怖」
    • 「呆れた女」
    • 「破廉恥な女」
  • 『夜の専務』講談社 1968年(短編集)
    • 「白のパーティ」
    • 「色の苦労」
    • 「夜の専務」
  • 『わがおんな考』徳間書店 1968年
  • 『女豹』報知新聞社 1968年(短編集)
    • 「不倫三重奏」
    • 「情事の部屋」
    • 「女豹」
  • 『はれんち作戦』桃源社 1968年(短編集)
    • 「軽井沢秘密クラブ」
    • 「サイケの世界」
    • 「はれんち作戦」
  • 『快楽の実験』カワデベストセラーズ 1968年
  • 『現代悪女伝』講談社 1968年(短編集)
    • 「原色の女」
    • 「嘘つきの天才」
    • 「鵜匠の女」
    • 「新宿あまぞん族」
  • 『偽装結婚』講談社 1969年(短編集)
    • 「ラッキーボーイ」
    • 「妄想日記」
    • 「偽装結婚」
  • 『性欲のある風景』光風社出版 1969年(短編集)
    • 「食欲のある風景」
    • 「幻聴のある風景」
    • 「性欲のある風景」
    • 「風のない月夜」
  • 『人間の探険』KKベストセラーズ 1969年(短編集、『宝石』掲載)
    • 「失神」
    • 「名刀」
    • 「媚薬」
    • 「音声」
    • 「性具」
    • 「秘本」
  • 『昭和元禄女文学(青い渦の章)(紅い焰の章)』集英社 1969-70年(『プレイボーイ』連載)
  • 『えろぐろ軟扇子』講談社 1970年(短編集)
    • 「やったぜベイビー」
    • 「あとの二人が損をする」
    • 「女中仮面」
    • 「えろぐろ軟扇子」
  • 『くんずほぐれつ(前編)(後編)』集英社 1970年
  • エアー(前編)(後編)』集英社 1970-71年(1972年『関白亭主・志願』『試用女房・募集』に改題)
  • 『現代悪妻伝』新潮社 1971年(『小説新潮』連載) - 12編からなる連作集。『現代悪女伝』の姉妹版。
    • 「扱き妻」 1971年1月
    • 「出入り妻」 1971年2月 - 貧乏な美男が金持ちの娘に見初められ婿入り。だが、その妻は別の男を追って家を出る。
    • 「幼な妻」 1971年3月
    • 「倹約妻」 1971年4月
    • 「淫乱妻」 1971年5月
    • 「黒人妻」 1971年6月
    • 「虚言妻」 1971年7月
    • 「美容妻」 1971年8月
    • 「異常妻」 1971年9月 - 尿道にカテーテルや綿棒を入れたり出したりする自慰プレイを好む女。夫に尿道オナニーを目撃され恥ずかしがる。
    • 「白人妻」 1971年10月
    • 「酒乱妻」 1971年11月
    • 「道楽妻」 1971年12月 - 子供が出来ない体と知った妻が、犬の飼育に夢中になる。
  • 『許して、あなた』徳間書店 1972年(短編集)
  • 『ぽるの聖談』祥伝社 1972年
    • コンツェルンの御曹司の愛人遍歴ストーリー。章題にも「桐壺」「帚木」などッ『源氏物語』の巻名が付けられている。
  • 『その名は娼婦』桃源社 1974年(短編集)
    • 「胡桃割り人形」
    • 「その名は娼婦」
  • 『寝業師』講談社 1975年(短編集)
  • 『ああ、性戦』角川書店 1984年(『夕刊フジ』1974/2/7-9/5、「やめてよ、あなた」の題で連載)
  • 『すたらまんち 艶笑小説傑作集』1987年 光文社文庫(短編集) We'll Meet Again My Lovely [注 13]
本作は、『小説宝石』1974/9-1975/5月号に「日本縦断艶笑千一夜」の題で掲載。うち「四国の女」は生前未発表。

推理小説・サスペンス

1960年に『週刊文春』の「新鋭作家五人による競作推理小説シリーズ」第三弾として『朝は死んでいた』を連載、当時の実際の梶山グループを彷彿とさせる記者チームによる犯人調査を描いた。 現実に起きた事件を題材にした作品集『知能犯』、山陽新幹線の用地買収に絡む疑獄事件を扱った『女の警察』、架空の国での経済成長の影にある陰謀を描く『大統領の殺し屋』、下山事件を題材にした「俺が殺した」、防衛庁の不祥事を題材にした「小説 防衛庁」、建築学会を舞台にした復讐物語『女の斜塔』などがある。返還直後の沖縄を舞台にした「那覇心中」、GHQ報道統制化の「スワッピング心中事件」など、世情に深く関わる作品もある。 『女の斜塔』を『女性明星』に連載するにあたっては、全国の貸本屋でどういうメロドラマが受けているかを調査し、さらい若い女性を集めてマーケッティング・リサーチしてストーリー、登場人物を決めた。

  • 亀裂のなか河出書房 1962年(『別冊小説新潮』連載) - 自殺した証券マンは、経済記者の同級生に成りすましの別人だった。記者は警察とともに事件を追うが、他殺で密室に偽装したのではないかと疑う。
  • 『朝は死んでいた』文藝春秋新社 1962年
  • 『知能犯』桃源社 1964年(『別冊漫画サンデー』連載「知能犯シリーズ」)
    • 「エイプリル・フールの犯罪」
    • 「恐るべき頭脳」
  • 『都会の湖』角川書店 1964年(1989年 祥伝社文庫 『華やかな罠』に改題)
  • 女の斜塔(愛欲篇)(復讐篇)』[注 14]集英社 1964、66年(『女性明星』1964年連載) 1981年 集英社文庫
  • 『暗い花道』文藝春秋社 1965年(1964年1-11月『オール讀物』連載、1976年廣済堂出版で『黒の花道』に改題)
  • 『虚像の女』桃源社 1967年(短編集)
    • 「呪われたベッド」
    • 「殺人スコアブック」[注 15]
    • 「事件の夜」
    • 「愛情の領収」
  • 「四本目の鍵」桃源社 1967年 (『ミステリー傑作選1 犯罪ロードマップ』/講談社文庫/49・03に収録)
  • 『女の警察』新潮社 1967年(『週刊新潮』1967年連載)
  • 甘美な誘拐」 1967年(『ミステリー傑作選3 ちょっと殺人を』/講談社文庫/1974年に収録) - 会社重役の娘の誘拐事件。家族への犯人の要求の伝達方法が謎。
  • 「銀座祭り殺人事件」1968年(『東京銀座ミステリー傑作選』/河出文庫/1987年に収録)
  • 『海の殺戮』文藝春秋 1969年(短編集)(表題作「海の殺戮」は『日本ミステリーベスト集成4 海洋編』/徳間文庫/1985年にも収録 )
  • 『ある完全犯罪』 1969年 (1991年 勁文社文庫)
  • 『犯罪日誌』新潮社 1970年(短編集)
    • 「腐乱死体の場合は」
    • 「名士劇殺人事件」
    • 「有閑マダムと少年」 - 日本のミステリでは珍しい「犯人が最後に勝利する」完全犯罪を描く。
    • 「犯罪日誌」
  • 『罠の淑女』桃源社 1971年(短編集)
    • 「レスビアン殺人事件」[注 16]
    • 「ラッシュ・アワーの天使」
    • 「罠の淑女」
  • 「グアム島美人モデル殺人事件」1971年
  • 『大統領の殺し屋』光文社 1974年(『オール讀物』、『小説宝石』1974/1月号) - Z国で疑獄事件を追う日本人記者の現地の友人が、謎のメモを残し殺害された。犯人は大統領直属で名うての殺し屋らしい。社会派ミステリー。
  • 『罪の夜想曲(上・下)』集英社 1975年(『週刊明星』1973-75年連載)
  • 『明日考えよう』桃源社 1975年 (1988年 祥伝社文庫『華麗なる復讐』に改題)
  • 『地面師』光文社 昭和ミステリールネサンス (短編集)
    • 「地面師」 - 表題作だが、詐欺を扱っているミステリ短編。
    • 「遺書のある風景」(『ミステリー選集3 殺しこそわが人生』/角川文庫/1975年にも収録)
    • 「瀬戸のうず潮」(『日本代表ミステリー選集7 殺人者にバラの花束』/角川文庫/1976年にも収録) - 瀬戸内の旅館での新婚花嫁の失踪事件。
    • 「冷酷な報酬」
  • 『那覇心中』講談社 1976年(短編集、表題作、「スワッピング心中事件」など。1989年講談社文庫版では「ケロイド心中」収録)
  • 「湖底の賭」(『日本ミステリー傑作選3 殺人宣言都市』/徳間文庫/1981年に収録)
  • 『汚職 さんずい』角川文庫 1987年(短編集、「俺が殺した」「小説 防衛庁」収録)

SF小説・実験小説

  • 『梶山好色機械学・根ピューだあ』徳間書店 1971年(短編集) - 当時日本で、本格的に導入開始されたコンピューターを巡る人間模様の作品集。
  • 「実験都市」 1973年
  • 「架空の国の物語」 1974年
  • 『怪女赤頭巾譚』文藝春秋 1975年 - 主人公の昌代は、一度も登場せず、彼女と関わった人たちの話から昌代の人物像が浮かぶという実験作。
  • 「癌人間」(豊田有恒編『日本SFショートショート選 ユーモア編』文化出版局 1977年)に再録

歴史小説

  • 合わぬ貝」1956年(河出文庫『合わぬ貝』所収) - 架空の伝書『小鍋夫人覚書』を元に松尾芭蕉の性向と武家を廃したいきさつを描いたもの。梶山の事実上の処女作[注 17]
  • 『李朝残影』文藝春秋新社 1963年(短編集) - 朝鮮物の中編集、表題作は第49回直木賞候補。
    • 「歪んだ栄光」
    • 「族譜」 - 1979年に韓国で映画化。 → 族譜 (映画)
    • 「李朝残影」
  • 『京城昭和十一年』桃源社 1969年(短編集)
    • 「闇船」
    • 「小説 金嬉老
    • 「京城昭和十一年」
  • 『雲か山か 若き日の頼山陽』集英社 1974年(原題は「中国新聞」1960/1/11-7/9連載「雲耶山耶」、のち『頼山陽 雲か山か』光文社文庫で再刊)
  • 『梶山源氏(いろは・の巻)(ほへと・の巻)』文藝春秋 1972年(『週刊文春』連載、1983年の角川文庫版で『好色源氏物語(いろはの巻)(ほへとの巻)』に改題)

時代小説

歴史もののうち、作者が創造したキャラクターや架空の人物を主人公にしたものや、主として江戸が舞台の時代劇の作品群。

  • 『彫辰捕物帖(一)-(六)』読売新聞社 1972-74年(『週刊読売』1970/10/23-1973/10/27号連載)
  • 「おとこおんな」 1972年2月(読売新聞社のちに徳間書店、論創社) - ずっと女として育てられた女装の美少年たちが、女の格好をしたまま江戸城大奥に入り、女の姿で大奥の女たちの相手をする。手によって男性器を愛撫されて快感に悦び、絶頂に達する女装美少年たちの話。という女装マニア垂涎の作品。
  • 「若衆道」1972年4月(読売新聞社のちに徳間書店、論創社) - 妻のある両替商の旦那が歌舞伎役者に熱をあげるが、世間体を気にし表向きは役者に夢中になっているのは妻だということにしておく。
  • 『辻斬り秘帖』祥伝社 1974年(「小説現代」1970年10月-12月号連載)

国際小説・海外もの

海外を舞台にした作品として、アメリカを舞台にした「カポネ大いに泣く」「ルーズベルト大いに笑う」「めりけん無宿」の三部作、メキシコを舞台にした「甘い廃坑」、アメリカでビジネスを成功する男を描いた『日本人ここにあり』、南米開墾を題材にした『稲妻よ、奔れ』がある。これらの執筆のために、当時は珍しかった海外への取材旅行もしばしば行った。

  • 「ダイヤモンドヘッドの女」 1967年 - アメリカ合衆国(ハワイ)
  • カポネ大いに泣く講談社 1971年(中編集) - 1985年に萩原健一の主演で映画化。
  • 「ルーズベルト大いに笑う」
  • 「赤い国の酒」1971年 - ソビエト連邦(ロシア共和国)
  • 『めりけん無宿』 1973年(短編集)
    • 「甘い廃坑」
    • 「アロハ・ハワイ」
  • 「満漢全席譚」1973年 - 香港
  • 『日本人ここにあり(立志編)(成功編)』実業之日本社 1974年(『週刊小説』連載)
  • 『稲妻よ、奔れ』新潮社 1975年(『小説新潮』1973-74年掲載、題は単行本化時に夫人が付けた)

実録小説・モデル小説

当時の事件や世相、話題の人物などをモデルにした小説を多く発表。ただし内容は虚実入り交ぜたものもあった。 『小説GHQ』は戦後の占領政策、財閥解体の内実を大衆小説として書いたもので、『週刊朝日』連載中には河盛好蔵から「大デュマ」にも喩えられた。連載終了後に改稿しようとしていたが果たせず、単行本化はされたのは死後の1976年だった[28]

  • 『常陽銀行事件』 アサヒ芸能出版 1963年(短編集)
    • 「ストライキの果て」
    • 「ヤクザの勲章」
    • 「常陽銀行事件」
  • 『生贄』徳間書店 1967年(『アサヒ芸能』1966/5/29-67/1/23日号) - クラブホステスから財界の生贄として提供され、やがて某国大統領夫人にのし上がる女性の半生を描く[29]。『アサヒ芸能』の連載が始まるとデヴィ夫人をモデルにしたものと大きな反響を呼び[29]松竹がデヴィ夫人主演で映画化を計画している等と報道され[29]、世間の関心が高まったことから[29]、デヴィ夫人が立腹し[29]、梶山と出版元の徳間康快徳間書店社長を名誉毀損で訴えた[7][29]。合わせて本の増刷、映画、テレビ、演劇禁止の仮処分東京地裁に申請した[29]裁判により梶山サイドが敗れ、「違反したら違約金1000万円を払う」という条件で和解した[29]。増刷禁止のため[29]、そのまま絶版した[30]。ただし仮処分までの間に10万部ほど出たと言う[31]。違約金1000万円がさほど高額でもないため、『金環蝕』の大ヒットで意気上がる大映再建中の徳間康快が映画化に意欲を燃やし、「デヴィ夫人を口説き落とす」などと吹いた[29]。ヒット作の少ない当時の邦画界に於いて『戦争と人間』や『華麗なる一族』など、内幕ものはヒットしやすい状況にあった[29]
  • 『実名小説 カルーセル麻紀』 1968年
    • 「実名小説 カルーセル麻紀」(『小説セブン』1968/7月創刊号)
    • 「冬に来た恋」
    • 「狙った女に」
  • 『青い群像・小説全学連』集英社 1969年(『小説セブン』1969/6-11月号)
  • 「炎は流れる-小説大宅壮一」(『別冊文藝春秋』1971年115号、前年に死去した大宅壮一について)
  • 「光クラブの崩壊」 1973年
  • 『小説GHQ』光文社 1976年(『週刊朝日』1964-65年)

ノヴェライズ(小説化)作品

  • 『人妻だから』光文社 1969年(ラジオドラマ「愛の渦潮」の小説化)

ノンフィクション・エッセイ

  • 『実力経営社伝』講談社 1963年
  • 『成功者の椅子』アサヒ芸能出版 1964年(村島健一と共著)
  • 『松田重次郎 一業一人伝』時事通信社 1966年 - マツダ創業者松田重次郎の伝記。
  • 『浮気心の唄』文藝春秋 1966年(エッセイ、日本国内編)
  • 『浮気心の旅』文藝春秋 1966年(エッセイ、『週刊文春』1966/3-連載、「浮気心の唄」の続編で海外編) - 梶山の体験した海外の風俗店での珍事件。
  • 『浮気心の夜』文藝春秋 1966年(エッセイ、『漫画読本』1967/1-連載、「浮気心」第三集で特別編)
  • 『買わないで!』桃源社 1966年(エッセイ、『漫画読本』1968/1-連載)
  • 『遊びの冒険』桃源社 1970年
    • 「スパイは隣にいる」
    • 「窓から飛び出せ」(「新潮」掲載 1966/5月号)
    • 「調査の醍醐味」
    • 「日本の新上流階級の秘密」
  • 『女房訓』祥伝社 1972年
  • 『梶山季之の あたりちらす』サンケイ新聞社 1972年(エッセイ、『夕刊フジ』1971年連載)
  • 『ぽるの日本史』桃源社 1973年 のち角川文庫(『週刊新潮』連載) - 歴史上の逸話集、日本人女性の長い黒髪と素足の美しさ、西洋人のストッキングを履いた美脚とハイヒールやブーツ・ゴム長靴の魅力。日本史における男色や女装。女囚や遊郭での三角木馬・くすぐり責めなどサド・マゾ。特殊な性嗜好の歴史と文学などを語るエッセイ。
  • 『頭に来たぜ俺だって』桃源社 1974年
  • 『人間裸に生まれ来て - わが人生観シリーズ』大和出版 1977年
    • 「大口寄附者を叙勲せよ」
    • 「自然を知らぬ者の怖さ」
    • 「結婚に異議あり」
  • 『旅とその世界』山と渓谷社 1977年
  • 『「トップ屋戦士」の記録 無署名ノン・フィクション』季節社・祥伝社 1983年
    • 「誰も知らない日本征服地図」
    • 「最良の日―天皇家の再出発」
    • 「トップ屋は抗議する」
  • 今東光との対談「何が彼らを残忍な殺人に追い立てたか」(「週刊小説』1972/3/31号、あさま山荘事件について)
  • 「梶山季之 ノンフィクション選集」(全5巻)徳間文庫
    • 1『日本の内幕』1985年 - 1965-66年に『宝石』掲載
    • 2『実力経営者伝』1985年(1963年講談社版の再刊) - 1963年に『小説現代』連載の11名のうち8名収録。
    • 3『日本事件列島』1986年
    • 4『昭和人物伝』1986年
    • 5『ルポ戦後縦断』1986年 - 1958-68年に『文藝春秋』、『週刊読売』、『中央公論』、『週刊文春』、『文芸朝日』に掲載。2007年の岩波現代文庫で再刊、『週刊明星』掲載「皇太子の恋」も収録。

ジュブナイル作品

梶謙介(かじ けんすけ)名義の少年少女向け作品
  • 『そのカギを追え』 /挿絵=亀山ひろし [中学生の友1年1959-04]
  • 「なぞの一本マスト」 [中学生の友1年1959-06] (連作『事件記者』のうち第三話「なぞの一本マスト」)
  • 『暗黒の銃声』 [中学生の友2年1960-01]
  • 『なぞの日記帳』 [中学生の友1年1960-02]
  • 『金塊の秘密』 [中学生の友2年1960-04]
  • 『消えた乗客』 /挿絵=亀山ひろし [中学生の友1年1960-05]
  • 『誘かい魔にワナをかけろ』 [中学生の友1年1960-08]
  • 『悪魔の好きな炎』 /挿絵=中西立太 [中学生の友1年1961-01]
  • 『黒い汗を流す男』 [中学生の友2年1961-01]
  • 『顔のない男』 /挿絵=中村英夫 [中学生の友1年1961-04]
  • 『悪魔の契約書』 [中学生の友2年1961-05]

婦人小説・女性論など

梶謙介(かじ けんすけ)名義の既婚・未婚女性向け作品[注 18]
  • 『銀座ビート族』 [マドモアゼル 1960-04]
  • 『人間愛に生きる崇高な女性像』 [マドモアゼル 1960-05]
  • 『風変わりな結婚の開拓者たち』 [マドモアゼル 1960-05]
  • 『恋のかなしさ』 [婦人公論 1963年-01]

その他の作品

『わが鎮魂歌』は自伝的長編小説で、高等師範時代から『新思潮』の時期が舞台。ただし死後に夫人により、多くの"換骨奪胎"があったことが明かされている。これと同じ中山俊吉を主人公にした自伝的作品に「髪結いの亭主」(1970年)、「負け犬」(1975年)、「人生至る所に」(1975年)、「小説・梶山交友録 孟宗竹」(1975年)がある。

  • 『作戦-青(ブルー・オペレーション)』文藝春秋 1967年(短編集)
    • 「なせばなる」
    • 「作戦-青(ブルー・オペレーション)」
  • 『蜜の味』光文社 1968年(短編集)
    • 「贋の季節」
    • 「蜜の味」
  • 『夜のGHQ』桃源社 1968年(短編集)
    • 「人間蒸発」
    • 「夜のGHQ」
  • 『鱶のような紳士』桃源社 1968年
  • 『わが鎮魂歌』講談社 1968年(『月刊現代』1968/3-8月号)
  • 『ほいほいほい』桃源社 1969年(短編集)
    • 「ちりぬるを」
    • 「知恵の世の中」
    • 「ほいほいほい」
  • 『賭ける男』桃源社 1970年(短編集)
    • 「ちゃらんぽらん」
    • 「黒子人生」
    • 「賭ける男」
  • 『名人にて候』徳間書店 1970年(短編集)
    • 「出世の名人」
    • 「浮気の名人」
    • 「ゴムの名人」
    • 「蒸発の名人」
    • 「株価の名人」
  • 『巷談名人列伝』徳間書店 1971年
  • 『ぴらめんねェ』光文社 1972年
  • 『甘い道草』中央公論社 1972年
  • 『涙は拭かずに』講談社 1974年(1987年再刊で『女の螺旋階段』に改題、祥伝社ノン・ポシェット)
  • せどり男爵数奇譚』桃源社 1974年(『オール讀物』1974/1-6月号) - 古書マニアの世界を描いた連作小説集。本作をきっかけに「転売」を意味する「せどり」という言葉が世に広まったといわれる[32][33]
本作は、2011年刊行された三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』の影響で売り上げが伸びたといわれる[34]

作品集

  • 『梶山季之傑作シリーズ(全7巻)』講談社 1965-66年
(『ある復讐』『SEXスパイ』『詰め腹』『風変わりな代償』『歪んだ栄光』『冷酷な報酬』『暗闇の女』)
  • 『梶山季之自選作品集(全16巻』集英社 1972-73年
  • 『梶山季之集成(全30巻)』桃源社 1972-75年
  • 『現代調編文学全集 48・梶山季之(「虹を掴む」「影の凶器」)』講談社 1969年
  • 『梶山季之の快美感覚(「非常階段」「囮」)』KKベストセラーズ 1971年
他にも、生前出版された短編を再編集した選書や文庫版が多く出ている。

自費出版

  • 『買っちくんねェ』[注 19] 文藝思潮社 1952年
(梶山の収録作品:「詰将棋」、「少年」、「禪寺秋色」、「傳説」、「族譜」)

ラジオドラマ脚本

  • 『ヒロシマの霧』 1958年 (朝日放送)
  • 『外貨ブローカー』 1958年 (朝日放送)
  • 『風と光と影』 1959年 (中国放送)
  • 『蛸が茶碗を抱いていた』 1961年 (朝日放送) - 大阪湾に自衛隊の演習海域ができ、苦悩する泉州の漁師。海底で茶碗を掴んで離さない蛸に、漁場に固執する己の生き方を投影する。
  • 『愛の渦潮』 1961-62年 朝日放送(TBSと共同制作) 八田栄一演出、新珠三千代安井昌二
    • 主題歌の松尾和子「人妻だから」の作詞も梶山。
  • 『泣くなマックス』 1962年(東京放送)

テレビドラマ脚本

  • 『潜入スパイ』 1964年(NHK大阪)
  • PR野郎』 1964年(フジテレビ)

映画脚本

  • 『愛の渦潮』東宝 1962年(ラジオドラマの映画化、監督:久松静児、出演:新珠三千代、三橋達也ほか)

交友・行動録

友人関係

酒を通じた交友範囲も広く[1]、心友と呼んだ山口瞳はルポライター時代(山口はサントリー宣伝部)からの付き合いで、講演旅行でもしばしば同行した[注 20]。自民党の出馬要請を止めたのは結城昌治で、『噂』編集顧問に結城への依頼を考えていた。また義兄弟の契りを結んだという黒岩重吾、ソウル中学の同学年で後に電通最高顧問成田豊田辺茂一大宅壮一清水一行ら交友が広く[1][4][7][9]、遺言に従い盛大なお通夜を企画したが、柴田錬三郎が「おそらく、2~3000人を越える会合になるからまとまりはつくまい」と言ったといわれる[7]

酒豪&性豪

飲む打つ買うは男の証」が口ぐせで、夫人は「良くも悪くも男らしい男だった」と評した。煙草は缶入りピース専門で1日二つ(100本)。日本酒なら軽く一酒豪[7]。朝のビールに始まって、来客があれば時を選ばずウィスキー。晴れても降っても銀座へ出陣が日課。出陣は平均月に30回といわれた。今東光は「先日もなァ、『酒を無茶飲みするな、自殺行為だぞ』と注意したんだが、梶山はゲラゲラ笑ってな。よぼよぼのろくな作品も書けない芸術院の奴らが10匹死ぬより、梶山一人を亡くしたことが、どんなに日本の小説に打撃か、考えてみてくれよ。今日出海平岩弓枝、黒岩重吾らと四国松山に文化講演に出かけたとき、梶山は前の日から飲みっぱなしで、仲間に出番だと促されて演壇に立ったんだが、何を言っていいのか分からんくらいに酔ってる。そこで梶山は『人生はオ××であります、おわりッ』とやったんだぞ」などと述べている[7]

これには異説があり[7]、柴田錬三郎の『大将』のモデルになった坪内寿夫奥道後温泉に建てたホテルの開業記念式典に来賓として招かれたが、前夜柴田にドボンで負け続けて多額の借金を作ってしまい、挨拶で「××××(女性器の卑語)と言ったら借金を帳消しにしてやる」と言われ、「私はポルノ作家の梶山季之であります。人生は、××××であります」と挨拶した」といわれる[36][37]

「物書きが出世払いで飲める店をやらないか」と銀座の若いママに話を持ち掛け1962年4月、銀座にバー「魔里」を開店[4][38][39]。以来幾多の作家たちが集い、営業を続けていたが[40]、2021年1月、ママの大久保マリ子が亡くなり、60年近い歴史に幕を下ろした[4]。大久保は「梶山が死んでからセックスはしていない」と話していた[38]

同じ広島出身で同年生れの、雑誌『酒』編集者佐々木久子は公私ともに親しく、また毎年同誌の恒例企画だった正月号での「文壇酒徒番附」では西の横綱を張り続けた[7][41][42]。佐々木は「本当に酒は強かった。広島までの新幹線食堂車の酒をカラにしたことがあります」と述べている[7]。「文壇酒徒番附」では1965年版から1974年版まで10年間西の横綱を張り続け[41]、"永遠の横綱"との称号を授かっていたが、1974年頃から酒量が目立って落ち、ウイスキーを嗜む程度で、いつも眠ったような顔になったといわれる[41]、「文壇酒徒番附」は1975年版で最後となり[41]、この年前頭に転落し、有終の美を飾れなかった[41]。代わりに1975年版の「文壇酒徒番附」で梶山に代わり、西の横綱に番付を上げたのが黒岩重吾[41]。東の横綱は二年連続で野坂昭如[注 21]

梶山を恩師として挙げる広島大学の後輩・大下英治は梶山の十三回忌の頃に梶山の評伝の執筆に取りかかり[5]、「無頼派作家の華やかな女性関係にも触れざるを得ない」ことから梶山の妻に許可を得て取材に入ったが、やはり証言が生々し過ぎ、評伝としては刊行できなかった[5]。その後妻美那江をはじめ当時取材した関係者の多くが亡くなったことから、あらためて活字化する意義を感じ、2023年に加筆し、『最後の無頼派作家 梶山季之』を刊行した[5][43]

金離れがよく、誰と飲んでも相手に払わせない。仕事を抱えているときはスーッとトイレに行くように立ってそのまま消えるが、勘定は済んでいる。客の数に合わせてクルマまで呼んでおくという気配りで、長身で優しくきれいな遊びをするので女性によくもてた。夫人との間に「素人の女性に手を出さない。同一女性とは3回以上関係しない。女性の部屋に行かない」の『三ヵ条の御誓文』があったといわれる。

女性の名器の例え"ミミズ千匹"を一般に知らしめたといわれる[21]『女の警察』執筆は、中国地方で400万円のマンションを建てた温泉芸者に会いに行ったことがきっかけ。某有名人が毎月30万を送ってくれ、他にもいろいろ旦那がいて、その訳は「私のはミミズ千匹らしいのです」と答えた。さらに「30秒我慢できたら、私のマンションを差し上げます」とまで言われたが梶山は17秒フラットでダウンし、「お強い方ですわ」と言われた。女に対してもバイタリティー旺盛で、講演旅行4日間のうち3晩は女を変え、一晩に2人相手にすることもあったという。その体験は読者への情報とサービスになった。しかし律儀型浮気と言われ、生活の乱れも人に恨まれることもなかったという[21]

広島カープを優勝させる会

梶山はボクシングを除いて、スポーツに興味を示さなかったが、可愛がられていた松田恒次の影響もあり広島カープを熱心に応援するようになった[44]。1957年に広島県出身者の阿川弘之藤原弘達木村功桂芳久杉村春子で「7の会」を結成(または毎年故郷の銘酒「賀茂鶴」を呑む「カモツル会」)[7]。また成瀬数富と相談し、1965年に大宅壮一と梶山が発起人代表となって「広島カープを優勝させる会」を結成し(中心になって動いたのは前出の佐々木久子[45])、毎年激励会を開いた。1973年7月にホテルニューオータニで開かれたカープを励ますパーティでは、選手を鼓舞しようと「もし優勝できたら、カープ全員に、芸者を揚げて一晩遊ばせてあげる」と不穏当な発言をした[7][44]広島カープは梶山の没した1975年秋に初優勝を果たす。優勝を決めた後楽園球場のスタンドには夫の遺影を持った夫人の姿があった。

その他

1962年から都市センターホテルの一室を借り切って仕事場にし、死去まで続いていた。当時そこでフロントクラークとして勤めていたのが森村誠一で、原稿を預かって編集者に渡す時に盗み読みしていたという[46]。「俺の方が面白い」と思えて自信を持ったのが作家になった切っ掛けで、森村は「私は梶山さんのもぐりの弟子」と話している[47][48]

1974年の秋に欧州旅行へ出掛ける前に「万一のことがあったら」と遺書を書いていたが[7]、翌年急逝し開かれた遺書には当時14歳の長女へ、「美季、父親がポルノ作家などと呼ばれたために、ずいぶん辛いこともあっただろうが、気にしないでほしい。ここ数年の自分の性描写言論の自由についての闘いだった。自分では筋を通したつもりだ。いずれ、父の志は高きにあったことをわかってくれると信じている」と書かれていた。梶山は娘が学校で「ポルノちゃん」というあだ名をつけられているのを知ったとき酷く落ち込んでいたといわれる[7][11][49]

『漫画サンデー』に『非常階段』など4本を連載した縁で、実業之日本社で編集長だった峯島正行が1972年に『週刊小説』を創刊する際にも『日本人ここにあり』を連載するとともに、先輩の柴田錬三郎、黒岩重吾も紹介し、また広告面で京城中学からの友人である電通成田豊を紹介した。1975年に『週刊小説』に連載中だった「渡り鳥のジョー・北投の椿事」が最後の発表原稿となり、死後発売された掲載号では柴田、黒岩の対談も掲載された。

青地晨がある猥褻本出版の裁判で学識経験者として証人として出廷した際に、勉強にと地下出版の春本十数冊を貸した。返却された時、本は2冊多かった。[50]

生年について当時の資料には、大正生まれ、昭和2年、3年、4年など諸説が記載されており、これは当人が曖昧にしていたためでだが、その理由は明かさないままだった。

1963年に直木賞候補となって落選した夜、銀座で飲んでいると、選考委員の一人が近づいて来て「あんたと瀬戸内には、賞はやらんよ」と言われ、直木賞には縁が無いと振っきれたと語っている[51]

1971年に渋谷税務署の一日署長を務めた。1974年6-8月にはクイズ番組「ほんものは誰だ!」(日本テレビ)のレギュラー回答者として出演した。

再評価

死後30年が経ち、『赤いダイヤ』(2004年)『見切り千両』(2005年)がパンローリングから再刊。2007年には広島で、シンポジウム「時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す」開催。続いて同年、岩波現代文庫で『黒の試走車』『族譜・李朝残影』『ルポ・戦後縦断』が相次いで刊行、2008年には論創社から『彫辰捕物帖』が再刊された。

原作作品

梶山自身が「脚本」も書いた作品については、「2.15 ラジオドラマ脚本」から「2.17 映画脚本」の項目に別記。

映画

テレビドラマ

  • 赤いダイヤ』TBS 1963年
  • 『のるかそるか』日本テレビ 1964年 - 自身も流行作家の役でドラマ初出演した。

マンガ

  • 横山まさみち『と金紳士』芳文社 1973年(『週刊漫画TIMES』1973/1/6・13-51回)
  • 横山まさみち『色魔』芳文社 1973年(『週刊漫画TIMES』1972/5/13-26回)
  • 横山まさみち『悪人志願』
  • 横山まさみち『にぎにぎ人生』
  • 横山まさみち『はんこつ』
  • 上村一夫『苦い旋律』少年画報社 1973年(『ヤングコミック』連載 1973/6/10-21回)少年画報社 1973年 )
  • 上村一夫『雨靴物語』東京三世社 (『SMセレクト』連載、(原作:『青い旋律』『性科学XYZ』より ) - 女性の長靴フェチとゴムマニアを扱った劇画。

横山まさみちによるマンガ化作品は電子書籍で購入可能。

カセットテープ

  • 『と金紳士(1)歩の巻』 (制作:ニッポン放送/発行:ポニー[注 22]) 1971年
  • 『と金紳士(2)金の巻』 (制作:ニッポン放送/発行:ポニー) 1972年

脚注

注釈

  1.  五木寛之が南大門小学校の後輩とされることがあるが、五木が入学した小学校は御坂小学校である。南大門小学校には五木の父が勤務していた[8]
  2.  成田とは中学時代にはエロ小説を肉感的な挿絵付きでノートに手書きで書き、みんなで回し読みをしていたという[9][10]
  3.  1968年に大森実の太平洋大学講師で渡米した際に台風で帰国が遅れ、『小説・太平洋大学』の連載第1回の原稿を間に合わせるために船上からヘリコプターで吊り上げて運んだ[19]
  4.  「試走車」の読みは「テストカー」がオリジナル(角川文庫では振り仮名つき)だが、「しそうしゃ」とされる場合もある。
  5.  当時は、日産自動車が国際ラリーに積極的に参加していた。
  6.  「船渠」の読みは「ドック」がオリジナル(集英社では振り仮名つき)だが、「せんきょ」とされる場合もある。
  7.  bitterは「苦味ビール色」「灰茶色(grayish brown)」の意味もあり。
  8.  「レズビアン」という用語の、連載当時の雑誌での表記は「レスビアン」になっている。
  9.  当時、話題になった「男性も美しくなりたい」という願望。美しい羽の孔雀に例えている。
  10.  長沢節が「男子のスカートとブーツ」ファッションを銀座ワシントン靴店の協賛により開催。(「長沢節物語 セツ・モードセミナーと仲間たち」西村勝著、マガジンハウス(1996/10/24)など)
  11.  ブルー・フィルム」とは主としてポルノグラフィを題材とした、すなわち性的映像作品。かつて温泉宿などでの映会用に製作されていた。「ピンク映画」とも称されたが、「ピンク」は英米圏では「赤ちゃんの頬」など健康的なイメージがある。
  12.  当時流行の歌謡曲タイトル(北島三郎歌謡曲『函館の女(ひと)』や『加賀の女(ひと)』)との差別化のため、「女」の読みはそのまま「おんな」と読ませる。
  13.  レイモンド・チャンドラーさらば愛しき女よ』への返詞
  14.  集英社文庫では合本で全一巻。
  15.  連載時の表記は「殺人スコアー・ブック」。
  16.  現在では、米語音に近い「レズビアン」の表記が多い。
  17.  本作以前には、同人誌「新思想」に掲載した「米軍進駐」と「振興外貨」がある。
  18.  時期・掲載誌によっては「梶季彦(かじ としひこ)」名義または梶山季之本名の場合もあり。
  19.  小学校および大学で同期の坂田稔と共著の短編集。
  20.  山口の『男性自身』でも梶山が幾度か題材にされている[35]
  21.  大関山口瞳、西大関・藤本義一、東張出大関・立原正秋渡辺淳一、西張出大関・井上光晴早乙女貢、東関脇池波正太郎、西関脇・吉行淳之介、東張出大関・三浦哲郎、西張出大関・田辺聖子、東小結・吉村昭、西小結・川上宗薫、東張出小結・長部日出雄、西張出小結・小松左京三賞殊勲賞・藤本義一、技能賞森敦敢闘賞中山あい子[41]
  22.  キャニオンレコードがレコードとCD、ポニーがミュージックテープとビジュアルソフトと事業分野が分けられていたが、1987年に両社は合併し現在は「株式会社ポニーキャニオン」となっている。

出典

  1.  小池聖一; 菊池達也 (2018). “解題:梶山季之関係文書目録:上巻”. 広島大学文書館. 広島大学. 2024年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2024年3月29日閲覧.「梶山季之文庫」銘板除幕式を開催しました。
  2.  梶山季之』 - コトバンク
  3.  岩波現代文庫 ルポ 戦後縦断 トップ屋は見た”. 岩波書店 (2019年). 2024年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月29日閲覧。
  4.  黒木亮 (2023年1月20日). 13年間で300冊以上出版! 空前の速筆作家・梶山季之の疾走人生を活写 『最後の無頼派作家 梶山季之』著者 大下英治(作家)さくら舎 2200円”. エコノミストOnline. 毎日新聞出版. 2024年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月29日閲覧。
  5.  道面雅量 (2023年5月2日). “大下英治さん近著「最後の無頼派作家 梶山季之」 波乱と輝き 恩師45年の生涯”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2024年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2024年3月29日閲覧.
  6.  梶山季之は フケ(逃げ)るのが得意といわれた|文春写真館|「文藝春秋」(Internet Archive、写真は東洋工業(マツダ)本社工場内と思われる)
  7.  「徹底取材作家と昭和戦後史 梶山季之氏の『文学・酒・女』を語る5人の裸の証言 『人生はオ××だァ』と叫んで壮絶に生きた行動派作家の45年の秘められた軌跡」『週刊ポスト』1975年5月30日号、小学館、16–21頁。
  8.  五木寛之「流されゆく日々」連載10434回「記憶の曖昧さについて <3>」2018/06/20公開
  9.  「京城落第点中学入学に奮起、猛勉強」私の履歴書 成田豊③日本経済新聞2008年8月3日)
  10.  「1億円の接待費」「象1頭600万円」「ハードボイルドなパイプカット」……語り継がれる豪傑たちの伝説
  11.  山下勝利「愛娘への哀切な遺書にみる"怪物作家"梶山季之の素顔」『週刊朝日』1975年5月30日号、朝日新聞社、142-143頁。
  12.  関川夏央「梶山季之と種村季弘」『女優男優』 双葉社、2003年、ISBN 457529523X、247–254頁
  13.  「記者ノート トップ屋、硬派…再評価される梶山季之」『読売新聞』2007年8月21日23頁。
  14.  「芥川賞作家、高橋三千綱父子に見る"文才と商才"」『週刊サンケイ』、1979年3月22日号、30頁。
  15.  黒田征太郎「人間裁断 》第6回《 野坂昭如 『〈小型ノサカ〉といわれるオレだが、その差はあまりにも大きい。ホンモノの本質は何か。とにかく、必死で肉迫してみるー』」『平凡パンチ』1972年2月28日号、平凡出版、109–113頁。
  16.  日韓映画史から忘れられた作品 |韓国文化 |ニュース |東洋経済日報
  17.  加藤憲作「解説」(『鱶のような紳士』集英社文庫 1987年)
  18.  高橋吾郎「解説」(『狂った脂粉』光文社文庫 1987年)
  19.  橋本健午「解説」(『日本一匹狼』角川文庫 1980年
  20.  野坂昭如「解説」(『ミスター・エロチスト』徳間文庫 1983年)
  21.  有栖川寧「日本性豪列伝」東京スポーツ、2007年7月11日13頁。
  22.  武田徹『日本ノンフィクション史 ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで』中央公論社、2017年、97頁。
  23.  「作家の芸談」(尾崎秀樹対談集)
  24.  「黒の試走車」巻末解説(岩波現代文庫、2007年)など
  25.  「小説現代」1965年7月
  26.  勝谷誠彦ラサール石井『1.5流が日本を救う』 KKベストセラーズ 2001年 [ISBN 4584185891] 41頁
  27.  『女性セブン』連載時は「鞭と長靴」改題。
  28.  山口瞳解説(『小説GHQ』集英社文庫 1981年)
  29.  「NEWS OF NEWS あのデビ夫人がクビをタテに振るか?」『週刊読売』1975年10月4日号、読売新聞社、31頁。
  30.  デヴィ夫人と「言論の自由」 - BLOGOS(Internet Archive)
  31.  佐高信『経済小説の読み方』光文社 2004年
  32.  536夜『せどり男爵数奇譚』梶山季之|松岡正剛の千夜千冊
  33.  【赤字のお仕事】「糶取り」…ネットオークションでもおなじみのあれはこう
  34.  本との出会い、夏フェア多彩に AKB、1人1冊感想文
  35.  山口瞳『男性自身 英雄の死』新潮文庫 1987年)
  36.  立川談志『酔人 田辺茂一伝』講談社 1994年 p.187
  37.  三好淳之「解説」(『虹を掴む』角川文庫 1983年)
  38.  週刊ポスト』 2012年5月18日号 165ページ
  39.  【広島好き】ザ・ギース尾関の「銀座の伝説のバーのママはカープファンだった –J SPORTS
  40.  銀座の文壇バー、昭和の薫り健在 作家ら集い語り半世紀(Internet Archive)
  41.  「NEWS MAKERS 東・野坂昭如氏、西・黒岩重吾氏『文壇酒徒番附』両横綱のハッケヨイ」『週刊ポスト』1974年11月29日号、小学館、46頁。
  42.  立原幹 (2016年9月16日). 「文壇酒徒番付」で何度も“横綱”に選ばれた酒豪で美食家の作家Tとは……?”. 小説丸. 小学館. 2024年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月29日閲覧。
  43.  最後の無頼派作家 梶山季之
  44.  週刊サンケイ」臨時増刊 1975年11月1日号「優勝したら芸者の総揚げサービスといった夫 」故梶山季之夫人・梶山美那江・記、104-105頁。
  45.  酒豪で知られた「カープを優勝させる会」発起人 佐々木久子”. 伝説の記者コマさんのコラム 2017年7月20日号. プレスネット. 2020年9月13日閲覧。
  46.  森村誠一「解説」(『夜の配当』角川文庫 1979年)
  47.  その人の素顔|森村誠一(作家)×池上冬樹(文芸評論家)(Internet Archive)
  48.  生を賭けて戦争反対を貫く 森村誠一の原点|佐高 信の「一人一話」
  49.  竹中労『無頼の点鬼簿』 筑摩書房 2007年、ISBN 4480422854、29–37頁
  50.  青地晨「梶山季之とノンフィクションクラブ」(『別冊新評 梶山季之の世界』新評社)
  51.  高橋吾郎「解説」(山口瞳『男性自身 英雄の死』新潮文庫 1987年)

参考文献

  • 『別冊新評 梶山季之の世界 追悼特集号』新評社 1975年夏号
  • 橋本健午『梶山季之 20世紀の群像1』日本経済評論社 1997年
  • 梶山美那江編『積乱雲-梶山季之 その軌跡と周辺』季節社 1998年
  • 梶山季之資料室『梶山季之と月刊「噂」』松籟社 2007年

評伝

  • 編『時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す』中国新聞社、2007年。没後33年記念事業
  • 大下英治『最後の無頼派作家 梶山季之』さくら舎、2022年

関連項目

外部リンク

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카지야마 토시유키

출처 : 무료 백과 사전 "Wikipedia (Wikipedia)"
카지야마 시게유키카지야마 토시유키
『중일신문』 1967년 4월 25일자 석간부터
탄생1930년 1월 2일 일본 통치하 조선 경성
대일본 제국의 국기
사망1975년 5월 11일 (45세몰) 영국령 홍콩
홍콩의 국기
묘지즈이센지(가마쿠라시)
직업소설가 , 기자
언어일본어
국적일본의 국기 일본
최종 학력히로시마 고등 사범 학교 국어과
대표작빨간색 다이아몬드
리 아침 잔영
데뷔작맞지 않는 조개
배우자카지야마 미나에 [ 1 ]
템플릿 보기

(카지야마 토시유키, 1930년 1월 2일 - 1975년 5월 11일 ) 일본 소설가 · 저널 리스트 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] . 루포 라이터 로서 카지키 히코 , 소년 소녀용 추리· 모험 소설 ( 쥬부나일 작품)의 저자로서 카지 켄스케 펜네임이 있다 [ 2 ] .

주간지 창간 붐기에 대표적인 톱 가게 로서 활약 [ 2 ] [ 3 ] , 그 후 ' 검은 시주 ( 테스트 카)', ' 붉은 다이아몬드 ' 산업 스파이 소설 , 경제 소설 에서 베스트셀러 작가 되어 SF소설 , 시대소설 , 실록소설, 소년소녀용 모험소설 등과 모든 분야에 작품을 남긴 다재·다작의 작가였다 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 5 ] . 술의 과음에 의해 취재처의 홍콩에서 45세로 객사 [ 2 ] [ 4 ] [ 5 ] . 쇼와 1자리수 태생의 마지막 무뢰파적인 문사로 알려져 [ 5 ] , 이소다 코이치 는 "전후 문단의 자폭자"라고 평가했다 [ 2 ] .

인물

살아남다

토목기사의 아버지가 조선총독부 에 근무하고 있었기 때문에 조선경성 에서 태어났다 [ 6 ] [ 7 ] [ 주 1 ] . 어렸을 때부터 작가 지망으로, 초등학교 3년경에는 과학 모험 소설을 써 급우에게 읽게 하고 있었다. 1942년 경성 중학교 입학. 나리타 유타카 는 당시부터 가장 친한 친구 [ 주 2 ] . 패전 후 인양 부모의 고향, 히로시마 현 사에키군 지고젠무라 (현 하츠카이치시 )에서 자란다 [ 1 ] [ 7 ] . 히로시마 니나카(현 히로시마 관음고 )를 거쳐 히로시마 고등 사범학교 국어과에 입학 [ 1 ] [ 2 ] [ 7 ] . 재학 중에 동인지 『천사귀』를 창간, 뒤에 현지 동인지 를 규합해 히로시마 문학협회를 설립, 동인지 『히로시마 문학』에 참가하는 등 정력적으로 활동했다. 동인지의 멤버였던 미나에 부인과 만난다 [ 11 ] . 또 ' 중국신문 ' 학예부의 가네이 리히로와 알게 되어, 히로시마 펜클럽의 설립, 운영에도 참가했다 [ 1 ] . 『천사귀』에 한 문장을 전하고 있던 작가 원민희 의 자살에 충격을 받아, 가나이와 함께 하라를 기념하는 시비의 건립에 분주했다.

졸업 후 1953년, 양폐에 공동이 있는 것을 알지만 [ 11 ] , 가출동연히 상경 [ 7 ] . 뒤를 쫓아 상경한 미나에와 8월에 결혼. 요코하마 쓰루미 공업 고등학교 의 국어 교사를 맡은 후, 직을 전전하지만, 결핵의 전력을 숨기고의 취직 때문에, 건강 진단 의 시기가 가까워지자 어디도 그만두고 있었다 [ 7 ] . 그 후 스기나미구 아사 가야 에서 다방「아사가야 차랑」의 경영을 하면서 [ 7 ] , 「신와세다 문학」「희망」등의 동인지에서 활동. 1955년에 무라카미 효에 의 소개로 미우라 주몬 등이 있던 『신사시오』(제15차) 동인이 되어 소설을 쓴다 [ 7 ] , 1956년 『신시오』에 동인 잡지 추천 작품으로서 「맞지 않는 조개」가 게재되어, 이것이 최초의 상업지 게재가 되었다. 한편, 1958년에 프리라이터 전업이 되어 「문예춘추」 「주간신조」등에 기사를 쓰게 되어, 아사가야에서 다방 뒤 경영하고 있던 바를 접어 문필 한 개로 가는 것을 결의한다.

주간 명성』의 창간으로부터 관계 [ 3 ] , 또 「오야케 장 이치 논픽션 클럽」에도 참가. 세기의 특종이라고 불린 ' 황태자비마사다 미치코 씨'를 특종한 것도 카지야마였다 [ 7 ] . 1950년대 후반, 시대는 출판계에서도 급속히 움직이고, 시대 소설 중심의 클럽 잡지가 무너져, 고도 경제 성장기 에 맞는 새로운 타입의 유행 작가가 요구되었지만 [ 12 ] , 카야마는 1959년 『주간 문춘 』 창간 에 즈음해 사외 스탭 톱 가게 그룹 ' 카야마 군단 '이라 불리는 취재 기자의 한 군을 이끌고 초창기의 지면에 주간지 특유의 역동적인 저널리즘을 만들어 낸다 [ 1 ] [ 3 ] [ 5 ] [ 7 ] [ 12 ] . 루포 라이터로서 주간지 저널리즘에 있어서의 취재와 집필을 분업하는 시스템을 최초로 도입해, 「문춘포」의 기초를 구축한 혼자였다 [ 1 ] [ 3 ] . 『신사시오』의 동인이었던 아리요시 사와코 가 곧 팔렸기 때문에, 질투하고 있었다고 한다 [ 7 ] . 또 이 시기 '카이켄스케'의 펜네임으로 쇼가쿠칸 의 학년지 등에 많은 모험소설을 쓰고 미타니 하루미( 세토우치 외청 )와 쌍방의 인기라고 한다. 1958년에는 아사히 방송 에 있던 한다 히로오 의 의뢰로 라디오 드라마 각본 「히로시마의 안개」 「재녀 붐 이변」 「연애 작법( 요시유키 준노스케 원작)」 「외화 브로커( 원작 「진흥 외화」)」를 집필해, 「히로시마의 안개」로 1959년 민방 연맹상 우수상, 동 「나무가 찻잔을 안고 있었다」로 1960년 문부성 예술제 참가, 1961년 - 1962년 연속 드라마 '사랑의 소용돌이' 등 1964년경까지 집필했다.

유행작가에게

' 보석 ' 1966년 신춘 2월호에 '일본의 내막 7대 신흥 종교의 경제력'을 기고했다.

1961년에 결핵 을 앓고 약 3개월간의 입원 생활을 강요당하지만, 이를 계기로 톱 가게를 그만두고 본격적으로 소설의 집필에 나서, 다음 1962년, 자동차 기업간의 치열한 경쟁을 배경으로 한 경제 소설「검은 시주차」가 히트. 「기업 정보 소설」, 「산업 ​​스파이 소설」이라는 신분야를 개척했다 [ 1 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 13 ] . 많은 베스트셀러 소설과 루포 를 쓰고 고도성장기 의 조류를 탄 유행작가가 되었다 [ 5 ] . 1966년 『주간신쵸』 연재의 소설 ‘여자의 경찰’에 의해 형법 175조( 외설물배포 )의 혐의로 약식 기소되어, 잡지 편집 나가노 히라 켄이치 와 함께 벌금 5만엔의 유죄 판결을 받는다. 1969년에는 7786만엔의 수입을 얻고 [ 13 ] , 문단 장자 번호 제1위가 되었다 [ 1 ] .

저널리스트의 세계에서 기사 집필을 위한 데이터 수집을 전문으로 하는 ' 데이터맨 ', 그리고 데이터맨이 모은 정보를 바탕으로 기사를 집필하는 ' 앵커맨 '이라는 분업 체제를 확립한 것은 일본에서는 카지야마가 최초라고 한다 [ 1 ] .

1969년, 부인을 사장으로 주식회사 계절사를 설립. 작가가 프로덕션을 가진 것은 당시 드물게 [ 14 ] , 나중에 고기 히로유키 , 마츠모토 키요하라 등이 프로덕션을 가졌다 [ 14 ] . 1971년 문단 · 언론계 의 묻힌 일화를 기록하기 위해 월간 '소문'을 자비 창간하지만, 적자로 1974년 종간.

노자카 아키라 는 『평범 펀치』 1972년 2월 28일호의 인터뷰에서 카지야마를 평가해 「자주 모마, 이 10년간 소설 저널리즘의 세계를 지지해 왔다고 생각 그렇습니다. 출판사 는 그의 소설에서 올린 이익으로 순문학 을 내고 왔으니까요 . 15 ] .

1972년에 결핵이 재발해, 키타사토 연구소 부속 병원에 입원 후, 이즈 의 별장에서 요양. 이때 별장에 서재를 증축해 27일 만에 완성했기 때문에 '27일암'이라 이름을 붙여 지금 동광 에 편액과 문패를 써달라고 걸었다. 또 토지를 빌려 밭 일도 실시한다. 같은 해 국제회의 운영을 둘러싸고 일본 펜클럽 을 탈퇴. 1973년, 지금 히가시코의 문단노 료견회에 참가. 1974년에는 자민당 에서 참의원 전국구에서 입후보를 요청받았으나 사퇴하고 있다.

모든 장르의 작품을 다루었지만 평생 테마는 조선 · 이민 · 원폭 이라고도 불리며 [ 5 ] 한일병합조선 을 소재로 한 '족보' '이조잔영' 등의 작품 도 남기고 있다 [ 5 ] . ‘이조잔영’은 1964년 미공 히바리 주연으로 텔레비전 드라마화되고 [ 16 ] , 1967년 신상옥 감독에 의해 한일 최초의 합작영화로 계획됐으나 좌절하며 한국영화 로 제작됐다 [ 16 ] .

죽음과 그 후

1975년 5월 7일, 라이프워크인 장편 소설 『적란운』의 취재를 위해 방문한 홍콩만다린 호텔 에서 갑자기 토혈 [ 7 ] . 구급차로 운반된 카노사 병원에 적절한 설비가 없고 [ 7 ] , 한때는 용태가 안정되지만 그 후 급변, 5월 11일 이른 아침, 식도 정맥류 파열간경변 으로 사망 [ 7 ] . 지금 히가시코가 명명한 계명 은 '분려원 카지바 정심대 거사' [ 7 ] , 관에는 애음하고 있던 산토리 올드 를 쏟아져 깡통 조각 , 원고 용지와 몽블랑 의 만년필, '이아사잔영'이 납부되어, 오야케 쇼이치와 같은 가마쿠라 미즈 데라 . 전후 30년을 펜 한 개로 싸운 "문단의 전사"의 장절한 죽음처럼 보였다 [ 7 ] . 사람은 평하여 「마지막 행동파 작가의 특공적 전사」라고 한다 [ 7 ] . 매년 5월 11일은 카지바 기모 로 추격되고 있다 [ 1 ] . 또 이 직전에 참석했던 NHK TV 시민대학 강좌 ‘대중문학을 이렇게 쓴다’ 좌담회 녹화는 5월 12, 13일 방송됐다.

수집하고 있던 장서 1만7천점 가운데 조선·원폭·이민관계의 7천점은 1977년 하와이 대학 도서관에 기증되어 '카야마 계지 기념 문고'가 되었다 [ 1 ] . 그 밖에 잡지류 4천점과 서적 2천점이 오야케 장일문고 에 기증되었다 [ 1 ] . 1977년 12월에는, 생전 그려 모여 있던 유화나 스케치를 전시하는 「카지야마 계지유작전」을 쿄바시 도쿄 근대 미술 클럽에서 개최. 33회 기사에 해당하는 2007년, 히로시마 대학 문서관에 자필 원고, 장서 등이 기증되었다(카지야마 계지 문고) [ 1 ] .

10년간의 작가 활동이었지만 작품수는 많아 사후에도 인기는 쇠퇴하지 않고 12년 뒤까지 120권의 문고가 출판되어 1300만부의 매출을 올렸다 [ 17 ] . 서비스 정신의 왕성한 작가라는 평에 더하여, 편집자나 주위의 사람들에게의 배려에 대해서도 종종 말해지고 있다 [ 1 ] . 17회 기사가 되는 1991년 5월, 히로시마시의 나카 구 가고초아스텔 플라자 뒤에 6백수십명의 출자에 의한 카지야마 계지 문학비가 건립되었다. 비문에는 친필의 「꽃불어(꽃은 말하지 않고)」가 새겨져 있다. 이것은 본인이 자주 휘호에 사용한 말이다. 1992년에는 부인의 거출에 의한 「카야마 시게노문학비 ​​건립기념기금」이 설립되어 연구진흥에 충당되고 있다. 최근에는 잡지 등의 특집에 의해 그 방대한 작품군을 재평가하는 움직임이 나오고 있다 [ 1 ] [ 3 ] .

작가 활동

소설의 분야로는 원단인 조선을 테마로 한 것, 톱가게로서의 시점과 정보수집력을 살린 기업소설, 추리소설, 풍속소설, 시대소설 등이 있다 [ 3 ] . 재학 중인 1952년에 '히로시마 문학'에 일본 통치 시대의 조선의 창씨 개명을 다룬 '족보'를 발표, 같은 해 본작을 거둔 단편 편집으로 친구 사카타 료와의 공저 '샀치군네'를 자비 출판, ' 족보 '는 나중에 가필되어 19 . 1958년 '신사시오'에 종전의 날을 그린 '성욕이 있는 풍경'을 게재, 1963년에는 제암리 사건 을 거론한 '이조잔영'을 '별책 문예춘추'에 발표해 나오키상 후보가 된다.

1958년, 「신시오」에 「지면사」발표. 1960년 『주간문춘』에서 추리소설 『아침은 죽었다』를 연재. 1961년 키타사토 연구소 부속 병원에 입원 중에 ' 스포츠 일본 '의 연재소설 작가가 급병을 위해 신연재를 의뢰받아 아즈키 시세를 다룬 ' 붉은 다이아몬드 '를 연재 개시해 매우 호평이 되었다. 이어서 술집에서 알고 있던 당시 광분사의 시네 무라 시게히로고토 아키라 로부터 소개되어 쓰기 시작한, 쓰고 장편 「검은 시주차」를 1962년에 카파 노벨스로 출판. 같은 해에는 '푸른 사파이어', '그림자의 흉기', '밤의 배당', '남자의 계단', '여자의 사탑'과 연재를 시작해 월산 1000장이라고 하는 집필량이 되어 수년 후에는 1300장을 기록했다. 루포 라이터로서의 시점, 정보 수집력을 살린 『검은 선거』 『꿈의 초특급』 『소설 GHQ』 등을 발표. 1967년부터 다음 해에 ' 중간소설지 와 오락잡지의 발간이 잇따랐을 때에는 그 창간호의 대부분에 소설, 에세이, 논픽션을 집필, '창간호남', '돌파구'로 불렸다. 집필지는 “ 월간 현대 ” “ 월간 타운 ” “ 별책 아사히 예능 ” “ 빅 코믹 ” “ Pocket 펀치 Oh! ” “ 플레이 코믹 ” “ 소설 세븐 ” “마이웨이” “별책 선데이 매일 독물 전과” “ 소설 에이스 ” “ 소설 보석 ”. 1971년에는 휴필을 선언하고, 1972년 1년간은 월간지에의 소설을 쉬었지만 다른 집필은 계속해, 일량이 줄어듭니다.

또 루포 라이터 시대의 1960년, 가나이 토시히로의 의뢰로 「중국 신문」에 도리야마요 의 청춘 시대를 그린 「운야산야」(쿠모카야마카)를 연재. 또 시대 소설로서, 1970년 이후 「조각 포물첩」시리즈 전 6권, 「츠지 베기 비첩」등을 발표.

' 철도홍제 회 베스트셀러 작가'라고도 불리며 작품은 항상 신선한 시대 감각으로 넘쳐 독자 서비스에 철저히 했다. 서비스 정신의 부유한 채 재료를 담는 것은 아낌없이 돈을 쏟았다. 천성의 스토리 테러로 필력 발군, 게다가 희대의 속필가였다. 인쇄 가게에 발주 실수로 8만장의 네임들이 원고 용지를 구입하는 날개가 되었지만 10년 부족하고 거의 쓰지 않고도 다 사용해 버렸다 [ 18 ] , 3일 이틀 만에 300장의 장편을 쓴다(『미스터 에로티스트』), 단편 소설을 전화로 부탁하면 곧바로 찍어도 원고가 완성 되고 있다 . 한 문장마다 개행하는 스타일은, 때로 원고료목표의 매수 벌어도 조롱되었다.

후년은 에로티시즘 에의 경사를 깊게 해, 포르노 소설을 써 왔기 때문에, 세상으로부터 「포르노 작가」 「성호 작가」의 레텔을 붙였다 [ 4 ] . 1968년에 「별책 문예춘추」에 「미스터 에로티스트」 252장을 일거 게재. 당시는 '아무것도 저기까지 쓰지 않아도' '서비스 정신의 과도함' 등으로 알려져 1972년까지 단행본화도 되지 않았지만, 뒤에 '선구적 작품', '현재의 성을 다룬 소설의 모든 원형이 여기에 있다' 등으로 평가된다. 이것은 원래 아리마 요시요시 에게 원고를 의뢰하고 있던 것이 마감 일주일 전에 병에 쓰러졌기 때문에, 급행 카지야마에 의뢰되어 이틀 반으로 써낸 것이지만, 이전부터 구상을 따뜻하게 하고 있는 것이 그 후 취재 노트로부터 묻고 있다 [ 20 ] . 또 여성의 명기를 가리키는 '지렁이 천마리'를 일반적으로 알린 것은 '여자의 경찰'이라고 한다 [ 21 ] .

조선, 내지로 돌아가 자란 히로시마의 원폭, 어머니가 경험한 하와이 이민 이라는 3개의 테마를 라이프 워크로 하려고 하고 있어, 각각으로 3개의 장편 소설을 쓰자 야마구치 히토미에게 말했다 그런데 "세 가지 테마가 있다면 그것을 하나로 하여 대하 소설을 써야 한다"는 말을 듣고 1974년에 제목을 '적란운'으로 자료 수집, 취재를 진행하면서 집필을 시작했다.

원폭에 관련된 테마의 작품으로는 1970년 '눈물을 흘린 여자', 1971년 '켈로이드 심중'이 있다. 「켈로이드 심중」을 「소설 현대」에 발표했을 때에는, 히로시마현 원 수협 , 동 피단협 , 원폭 문헌을 읽는 모임 등으로부터, 피폭자 차별을 조장한다는 항의가 전해졌다. 이에 대해 카야마는, 피폭자의 입장에서, 실화를 모델로 해 썼다고 하는 코멘트를 「중국 신문」에 게재. 여러 번 항의 편지가 도착했지만, 그 이상은 되지 않았다. 1969년 가네이 리히로가 원폭재해자료연구회 에서 '원폭재해자료 총목록'을 간행하고 있었는데 자금원조를 하고 있던 것이 사후 밝혀졌다.

문학론으로 남아 있는 말에, “문학이라고 하면 곧 사랑의 사랑인 것을 쓴다. 의 소설은, 문장은 카사카사에 마르고, 수구가 붙어 있지만, 재료만은 자신이 있다--와 자랑해 둔다”(“나의 소설 작법”) 등이 있다. 철저한 조사를 바탕으로 한 작품은 '조사한 소설' 등이라고도 하며, 스스로는 저널리즘으로서 보도할 수 있는 한계가 있기 때문에 사실을 소설에 가탁해 쓴다는 방법으로도 생각하고 있었다고 한다.

현대의 여암굴왕이라고 하는 복수담 '죄의 야상곡'을 1973년부터 '주간 명성'에 연재했지만, 급사에 의해 72회로 절필이 되어 남은 메모를 의지해 부인이 결말을 가필해 완결되었다. 쓰고 있던 장편 『적란운』은, 10년간에 1만 2천장의 예정으로 신쵸샤로부터 신작으로 출판의 예정이었지만, 내보내기 부분의 유고 30수장분이 『별책 신평 가야마 계지의 세계』(1975년)에 게재되었다.

기자 활동

1958년에 「문예춘추」의 편집 나가타가와 히로이치에게 추천의 편지를 내, 르포라이터로서 채용. 최초의 기명 기사는 「문예춘추」1958년 5월호의 「마루 빌딩 이야기——샐러리맨의 고향」. 그보다 이전에는 사가히로 의 자전 「유전의 왕비」에 고스트 라이터로서 종사하고 있었다 [ 22 ] . 이어 같은 해 창간인 『주간명성』에도 기용되어 무서명으로 쓴 경직개정안 에 관한 「또한 힘들게 되는 경찰관-데이트도 방해하는 경직 ! 또 같은 해의 황태자비 결정에 즈음해서는 가켄스케 명의로 화제 소설 「황태자의 사랑」을 게재, 신문사간의 특종 금지의 협정을 깨고, 타사에 앞서서 철저히 뽑았다.

1959년의 『주간문춘』 창간에서는 이와 카와 타카시 , 나카타 켄오, 아리마 우사, 카토 헌작, 온다 공 의 5명으로 카지야마 그룹을 만들고, 「주간 문춘 특파원」으로서 특집 기사 만들기에 2년간 참가. 도쿄도 지사 선거 입후보자 아리타 하치로 를 낙선에 몰아넣은 괴문서 '반와쿠엔 마담 이야기'의 작자를 찾는 특종 등을 썼다.

1961년에 「주간문춘」에서 철수해 소설에 전념하지만, 그 후도 논픽션의 의뢰를 받아, 1963년에는 「소설 현대」로 「실력 경영자전」으로서, 혼다 소이치로 , 코사노 켄지 등 8명의 평전을 게재. 1965년에 창간한 ' 보석 '에서 '일본의 내막' 연재, 창간호에서의 방위청 의 미·일 공동 실전 계획 등을 루포, 다음 해에 외설물 전포 혐의로 적발된 것은 이들이 눈에 띄게 되었기 때문에 카지야마의 신용 실추를 노렸다고도. 1968년에도 '칸푸라친키' '스릴러의 거리'에서 동 혐의 조사를 받았고, 이것도 '소설 방위청'에서 내막 폭로의 되돌아온다고 했다.

1965년에 '소설·창가학회'를 '부인생활' 잡지에 연재하면 항의가 쇄도, 그 후 대규모 언론 출판 방해사건 으로 발전하고, 1970년에는 연명으로 창가 학회계 잡지에 집필 거부 선언을 한다.

1967년에 오야케 쇼이치 언론이 개강했을 때에는 실천 교육편의 강사도 맡았다.

톱 가게 의 호칭은, 오기타니 마사조에 신주쿠의 술집에서 「어이 톱 가게」라고 어깨를 두드린 것으로부터 붙었다 [ 7 ] . 이 말이 텔레비전 드라마 등에서 사용되어 널리 알려지게 되었고 카지야마 자신은 나중에 ' 주간공론 '에서 '톱가게 자신이 말한다'를 썼다.

월간『소문』

카지야마와 강연회에서 함께 된 이토 마사루 와 작가의 뒷 이야기를 모아 활자로 만들자는 상담을 하고, 카지야마의 담당 편집자가 매월 셋째 토요일에 모이는 「삼토회」를 편집 모체, 그 중 다카하시 우로편집장 으로서 1971 년 8월 「 월간 소문 창간했다 . 창간호 기사는 특집 「알 수 없는 대택 장일」, 「우치다 백섬 을 조롱하는 좌담회」, 「아베 정과 사카구치 안고 대담」(재록) 등. 발행 당초는 정재계인의 구독 신청이 많았다고도 한다 [ 23 ] . 1974년 3월까지 총 32권을 내고 5000만엔의 적자를 내고 종간.

또한 소문을 제정하고 수상자는 다음과 같습니다 :

제1회의 상금은 10만엔으로, 증정자는 지금 토코가 맡았다.

1972년에는 소문 발행소로부터 제15차 신사시오 동인의 자선 작품집 「사랑과 죽음과 청춘과」를 간행.

매월 1000장 이상의 원고를 쓰고, 몇 명의 여성들과 사귀면서, 13년간에 쓴 작품수는 300권을 우월하게 넘는다 [ 4 ] .

작품

경제소설

동인지 시대부터 행동력 왕성했던 카지야마는 '신사시오'에서도 영업부장을 자임해 광고취득 등 금책에 분주해 수출진흥 외화자금제도와 아즈키 시세도 이용하려는 정보를 모았다. 이 과정에서 소설화의 생각이 떠오르고, 1956년에 「진흥 외화(리텐션)」를 「신사시오」에 발표, 1958년 「신시오」에 기업 탈취를 취급한 「지면사」를 발표. 이어 루포 라이터 시대를 거쳐 소설에 전념하려고 한 1961년에 「붉은 다이아몬드」연재. 같은 해에 써 모은 자동차 업계의 산업 스파이를 다룬 ' 검은 시주차 '를 1962년에 새로 출판해 산업 스파이라는 소재의 새로움과 기존 소설과는 다른 정보가 담긴 소설로 주목받아 베스트셀러가 되어 산업계에도 큰 반향 을 가져다 '산업 스파이 ' . 또 영화화도 되어, 다이에이 의 「흑 시리즈」의 원이 되었다. 이것으로 일약 인기 작가가 되어, 계속해서 고도 성장기의 산업계를 그린 경제 소설을 잇달아 발표한다.

산업 스파이로 가전 업계의 '그림자의 흉기'(고단샤, 1964년), 조선 업계를 무대로 한 '바다 장미는 붉지 않다', 여성 산업 스파이 등장하는 'SEX 스파이' 등이 있다. 또 기업으로부터 일을 맡는 팔 익숙한 산업조사원인 쓰무라공과 경제계의 뒷사정을 통해 기업의 상담사를 쓰무라로 돌리는 하루노단조가 활약하는 연작 단편집 ‘허영의 관’을 비롯한 ‘조사자료(비)’ 시리즈도 있다.

또 기업의 뒷면을 그리는 경제 소설로서, 「붉은 다이아몬드」의 속편 「파란 사파이어」, 신칸센 부패를 취급한 「꿈의 초특급」, 1964년 도쿄 올림픽 을 둘러싼 토지 개발을 그리는 '노루카 소루카', 광고 업계를 무대로 한 '함정이 있는 계절', 검은 시주차의 속편에 해당하는 서스펜스 터치의 '상처 투성이의 경주차' 및 자동차 판매 전투를 그리는 중편 ‘검은 연소실’(1965년), 주식시세를 다룬 ‘간절 천양’ ​​‘모두 침묵’, 중동 분쟁에 의한 석유 위기를 다룬 ‘피와 기름과 운하’, 화장품 업계를 다룬 ‘미친 지분’ 등이 있다. 『테얀데아』에서는 『붉은 다이아몬드』의 주인공 키즈카 케이타가 미국에 나선다.

  • 흑의 시주 [4 ]분사 1962 The Black Test Car
  • 『흑의 연소실』(단편집) - 『흑의 시주차』의 주역들이 다시 등장하는 표제작 외 6편을 수록.
  • 붉은 다이아몬드 (위)(아래)」슈에이샤 1962, 63년
  • 푸른 사파이어』 코단샤 1963년(『스포츠 일본』 연재)
  • 「SEX 스파이」슈에이샤 1963년(1,2화는 「소설 중앙 공론」
    • “제1화·붉은 요정(SEX 스파이)”
    • 「제2화·영양 작전」
    • 「제3화·인어의 사랑」
  • "계속 SEX 스파이"슈에이샤
  • 「노루카 소루카」분예춘추 신사 1964년(1963년 5월-64년 2월, 지방지 게재)
  • 꿈의 초특급』 광분사 1963년 - 마스무라 보조 감독으로 『흑의 초특급』의 타이틀로 1964년에 영화화.
  • 『바다 장미는 붉지 않다』슈에이샤 1964년(『주간명성』 연재, 1965년 『검은 선거』와 개제) - 조선 업계를 무대로 한 국제적 산업 스파이의 암약을 그린다.
  • 「조사 자료(비)」시리즈
    • 『허영의 관 산업 미스터리 조사 자료㊙』 선케이 신문 출판국 1964년(단편집, 『주간 선케이』 연재)
      • ("눈부신 거탑" "어느 맹점" "인출 비법" "허영의 관")
    • 「달콤한 수액」산케이 신문 출판국 1964년(단편집)
      • (「괴문서」「담합입찰」「달콤한 수액」)
    • 「흰 폐액」산케이 신문 출판국 1965년(단편집)
  • 그림자의 흉기』 코단샤 1964년(『신주간』 연재 13회로 중단 후 대폭 가필) - 이노우에 아키 감독으로 1964년에 영화화.
  • 『함정이 있는 계절』 문예춘추신사 1965년(『주간문춘』 연재)
  • 『테얀데아』 광문사 1966년
  • '미친 지분' 광문사 1966년('시' 1964년 연재) - 전 고등학교 교사가 학생 폭력으로 사직, 미국 자본의 화장품 회사 협력업체에 스카우트된다.
  • 『상처 투성이의 경주차(래리·카)』 광분사 1967년(『별책 보석』연작) [ 주 5 ]
    • 「제1부 42호 알프스에 지워」
    • 「제2부 킬리만자로의 검은 눈」
    • 「제3부 푸른 해안의 괴」
    • 제4부 몬테카를로의 사투
  • 『신설・색 쿠라베』슈에이샤 1968년(단편집)
    • 「게으름 선전 부장」
    • "상륙작전은 끝나지 않는다"
    • 「환상의 오사 협정」
    • "추운 여름"
  • 『검은 선거(독)』[ 주 6 ] . 슈에이샤 1969년
  • 『화려한 함정』 쇼덴샤 2010년
  • 『화려한 복수』 쇼덴샤 2010년
  • 간단 치료』 코단샤 1971년(『별책 소설 현대』1970년)- 1970년 제2회 소설 현대 골든 독자상 수상
  • “모두 침묵(하늘의 장)(땅의 장)” 도쿠마 서점 1971-72년(“아사히 예능” 연재<소설 총회 가게>)
  • 피와 기름과 운하』슈에이샤 1975년(『주간 요미우리』 1974년 연재)
  • 푸른 집행인』 모모겐사 1972년

기업인물잡지

기업이나 경제를 무대로 한 작품 중에서도 실제 인물을 모델로 한 것도 포함하여 고도성장기를 배경으로 활약하는 인물의 삶에 초점을 맞춘 것도 많다. 특히 전후 혼란기를 살아남아 기업경영에 성공할 때까지 그 후의 좌절과 사생활까지를 포괄적으로 묘사하고 있다. 국회의 폭탄남의 이명을 취한 대의사를 모델로 한 장편 「색마」, 단편 「"불소" 신하치」, 또 르포 라이터 시대부터 도큐 그룹 창설자 고토 케이타세이부 그룹 창설자 제자 야스지로에 주목하고 있어, 제방을 모델 로 한 「악인 지원」이나, 전력 업계의 마츠나가 마츠나가안 사에몬이 있다. 『무성한 로카』는 의제를 모델로 한 약품 업계에서의 「도근성 출세담」이지만, 밤의 부분은 전혀 각색이라고 한다. 「무지개를 잡는다」는 아마추어 백성에서 입신 출세한 남자가 주인공으로, 모델은 미요시 흥산 사장의 미요시 아츠유키.

  • “악인 지원” 코단샤 1966년
  • 『무지개를 잡는』 광분사 1966년, 코단샤 1976년 - 전후의 혼란 속에서 재물을 만들어 물 장사의 정점을 목표로 하는 주인공.
  • 『색마(청춘편)(노도편)(완결편)』 도쿠마 서점 1968-70(『아사히 예능』 연재)
  • 『무성한 로카』 도쿠마 서점 1974년(『아사히 예능』 1973년 연재)

사회소설

경제나 기업 이외의 분야(법률·정치·사회문제 등)를 다룬 작품을 본 항목에서 별기한다.

  • 『미끼』 선케이 신문사 1964년 - 연재시의 타이틀은 『아직은 이미 된다』. 게재지가 휴간이 되어, 단행본화를 위해 수정과 가필해, 개제 후 간행되었다.
  • 「어느 비서관의 죽음」광문사 1967년(단편집)
    • "라이벌"
    • "특종의 내막"
    • "한 비서관의 죽음"
    • 「유랑의 사람」
    • 「전락의 기」
  • 한마리 늑대 노래』 실업지 일본사 1967년
  • 『이혼 청부업』 아키타서점 1967년(단편집)
    • 「실각의 차트」
    • '배덕의 윤리'
    • "남자의 자부심"
    • '이혼청부업'
  • 『페텐사 이야기』 모모겐사 1968년(단편집)
    • "어느 함정"
    • "뭐든지 오세요"
    • 「페틴사 이야기」
  • 「밀폐 집단」코분샤 1969년
  • 『치리누루를』(단편집)
  • 『번개여, 분노』
  • 『명예기손』 모모겐사 1972년(단편집)
  • 호랑이와 늑대』 실업지 일본사 1975년

통쾌 소설

정계, 경제계에 있어서의 성공자 외에, 한마리 늑대적인 입장에서 금과 여자를 획득하는 인물이나, 임무계의 인물을 그리는, 샐러리맨 에게 있어서의 판타지적 작품도 많다. ‘밤 배당’과 속편 ‘비상계단’에서는 일류기업을 퇴직해 트러블 컨설턴트업을 열고 불법 합법하는 아이디어로 성공하는 인물, ‘야망의 청춘’은 관광 업계에서 활약하는 젊은이 3인조, ‘젖은 동전’에서는 ‘탈세의 귀신’으로 불리는 남자가 주인공. 『긴자 유노센』에서는 야쿠자의 이단아, 유텐의 텔을 그렸다. 『우부이 녀석들』은 우키요 에 붐, 『기다리지 않아』도 회화 업계가 무대. 『토 신사』는 문고판에서는 가장 팔리고 4권으로 85만 5천부, 이어 『야망의 청춘』(2권)이 40만 4천부. '와 김신사' '색마' 등은 나중에 만화화 되어 성인 만화의 선구가 됐다.

  • 『밤의 배당』 광분사 1963년(『주간 아사히』 연재)
  • 『비상계단』 광분사 1965년(『주간 만화 일요일』 연재)
  • 『동물 와』 모모겐사 1965년(『야마토 뉴스』 연재)
  • 『일반 2금』 모모겐사 1967년(단편집)
    • "악의 용사"
    • 「포켓 작전」
    • "어떤 복수"
    • 「밀어 두금(카네)」
  • 『적은 언제이다(애욕편)(복편편)』슈에이샤 1967-68년
  • 『젖은 돈』 산케이 신문 출판국 1969년(『주간 산케이』연재)
  • 『기다리지 않아(일본 탈출편)(안녕 파리편)』 광분사 1969년
  • 『과 신사』 문예춘추 1969-71년(『주간문춘』 1968-71년 연재)
  • 『긴자 유노센』 문예 춘추 1970
  • 『비카탄(코하단・받침입・편에쿠보)』 광분사 1970년(『소설보석』 게재, 1982년 카도카와 문고화시에 『비카탄・우케쿠치』로 개제)
    • 「제1부 아, 거리마」
    • 「제2부 앞으로 실례!」
    • 「제3부 코하 단수입 편인」
  • 『스케코마시(대망편)(완결편)』 도쿠마 서점 1970-71년(『아사히 예능』 연재)
  • 『우부이 놈들』 쇼덴샤 1971년(『주간 포스트』 연재)
  • 야라즈쿠타쿠 리(야라즈노마키)(부라쿠리노마키)』슈에이샤 1970-1971년(『주간명성』연재)
  • 「도망하지만 승리」실업지 일본사 1971년
  • 『니기니기 인생(질풍 노황편)(사자 분신편)(猪突猛進篇)(大願成就篇)』슈에이샤 1971-73년(『플레이보이』연재)
  • 칸푸라 친기』 도쿠마 서점 1972년(『주간 현대』 연재)
  • 『긴자 나미다 거리』 도쿠마 서점 1974년(『문제 소설』 1974/1-9월호 연재)
    • 긴자 호스테스의 회사를 만들어 풍속 업계에 신풍을 일으키려고 하는 아이디어 기업가의 통쾌 스토리.

풍속 소설

전후의 혼란기, 고도 성장에 농락되어 다양화하는 모랄 속에 색과 욕심에 살았던 남녀의 모습을 그린 작품군. 『남자를 기른다』는 SM , 여장 , 다양한 페티시즘 을 다루고 있다. '쓰라린 선율'은 레즈비언 , 쉬메일 의 실질적인 융화로 여성지 ' 여성 세븐 '에 연재되어 대반향을 불러 이어 에세이 '부세 여러가지', 소설 '파란 선율'을 연재. 그 밖에도 『장미의 피는 길』 등 여성을 주인공으로 한 풍속소설도 많이 썼다.

  • 「4개의 성」후유키사 1964년
    • '제1성' / '제2성' / '제3성' / '제4성' 및 '종장'으로 구성된 여자와 남자의 이야기
  • 『여자의 답화』 코단샤 1965년(단편집, 『소설 현대』1965년 게재)
    • 「야도카리의 시」
    • '깨어진 여자'
    • "밤의 프리즘"
  • 하얀 불꽃의 여자』 모모겐사(포퓰러・북스) 
    • "흰 불꽃의 여자"- 전신을 날개 와 붓, 브러시로 간지러워 즐거운 여자. 카야마는 “각색하고 있지만, 어느 배우 를 취재해 쓴 것”이라고 대답하고 있다 [ 25 ] .
    • 「요로메키의 계절」
    • '애정의 영수'
    • '겨울에 온 사랑'
    • '이혼성금'
  • 보라색 불꽃』(상・하) 1965년 주부와 생활사, 1981년 코단샤(코단샤 문고) 3-1・2(『주간여성』
  • 유희의 보상』 코단샤 1967년
  • " 사이케의 세계 " 
  • 미스터 에로티스트』 코분샤 1977년, 도쿠마 문고 1983년(『별책 문예춘추』 1968년 게재)
  • 『장미의 피는 길』슈에이샤 1968년(『부인 생활』1967-68년 연재)
  • 「청년이여 대녀를 안고」아키타 서점 1968년 - 180cm장신 여성의 매력에 대해 말하는 대녀 페티쉬.
  • 쓰라린 선율 (前篇・後編)』슈에이샤 1968년(『여성 세븐』1967-68년 연재) The Melody in Bitter [ 주 7 ] . - 우에무라 이치오 에 의해 극화 . 「쓰라린 선율」소년 화보 사 1973년(『영 만화』1973년)
    • 여장 취미의 사장이나 레즈비언화장 여성에 영향을 받아 관능의 포로가 되는 히로인.
    • 여자의 신발·코트·핸드백으로 여장하고 있는 회사 사장이 여자 친구와 데이트한다.
    • "남자의 동성애 를 다룬 소설은 많지만 왜 여성의 레스비안 [ 주 8 ] . 소설은 없는 것일까 하는 불만이 나에게 이 소설을 쓴 동기"라고 카지야마는 말하고 있다("여성 세븐"1967·9·6).
  • 남자를 기른다 (채찍과 노예의 장·뱀과 문신의 장)』슈에이샤 1969년(『주간 명성』1968-69년 게재)
    • 비벌리 힐즈의 저택에 사는 머리카락을 길게 늘리고 있는 미국의 여장 미소년이 레즈비언 여자에게서 가슴이 부풀어 오르지 않는다고 말해 브래지어 안에 둥근 스타킹을 넣을 수 있고, 역시 머리카락이 길게 여자말로 말하는 일본인의 여장 미소년과 여장 데이트한다.
  • 미남 노예』 광분사 1969년(『여성 자신』연재)
    • 남자에게 버려진 히로인이 이상성 사랑을 통해 남자를 정복해 간다.
    • 여장 미소년이 레즈비언 여자로부터 얼굴을 쓰다듬어 쾌감을 느낀다. 스타킹과 하얀 하이힐 을 신은 여장 미소년의 미각에 여자도 황홀해진다. 그리고 여자에게서는 레즈비언 놀아 보자 유혹된다.
  • 「 푸른 선율」 슈에이 샤 1970년(「여성 세븐」1969년 연재, 슈에이샤 문고) The Melody in Blue
    • 빨간색이나 파란색, 흰색, 노란색 등 선명한 색의 여물의 반짝반짝 장화 를 신는 것을 좋아하는 여장미 청년이 레즈비언 에서 "장화 모습의 미녀"를 좋아하고 견딜 수없는 레즈비언 여성과 여장 레즈플레이를 한다.
    • 연재 당시 유행한 '하이레인'이라는 길이가 길고 깨끗한 색의 반짝반짝 한 여성용 고무 장화를, 색 차이로 몇 발이나 가지고 있는 여장의 미형 남자가 여성과의 플레이를 하는 방에서 신으면, 「장화 여자」를 사랑하는 레즈 여성도 흥분했다.
    • 아버지의 성편력을 철자한 일기를 훔치는 아버지와 아파트에서 2명 생활의 파더 콤플렉스 기미의 여성. 등이 펼쳐지는 변태성욕 의 집대성이라고도 할 풍속 로맨스 소설.
    • 전작 ‘쓰라린 선율’에 전해진 여성 독자들의 요구에 부응해, 미소년, 여장, 레즈비언, 장화 페티쉬 , 고무 매니아, 간지럼 플레이, 여왕님 등 이른바 도착의 세계를 그린 당시로서는 상당히 반향을 띤 화제작이다. 연재시의 내용으로 단행본화에서는 할애된 개소나 독자의 투고 및 거기에 필자가 댓글을 달은 에세이 등 일부는 '성과학 XYZ'에 실렸다.
    • 라살 이시이 는 언니가 사던 '여성 세븐'에 연재된 '푸른 선율'을 읽고 성지식과 어려운 한자를 기억했다고 말했다 [ 26 ] .
  • 성과학 XYZ」(섹솔로지 XYZ) 슈에이샤 1970년 - 「여성 세븐」 「소설 세븐」 외 각지에 발표한 단편, 연재 에세이·여성지의 독자 투고 등을 정리한 것.
  • 검은 선율」(블랙・섹솔로지) The Melody in Black - 「파란 선율」의 속편.
  • 「중성약」
  • 「부츠와 장화」(부츠 여왕과 장화 공주) [ 27 ] - 「파란 선율」의 등장 인물 스핀 오프. 흑가죽의 롱 부츠 를 신어 채찍을 가진 SM 여왕님과, 여성용의 예쁜 색의 고무 장화를 신은 여장미 청년의 두 사람이, 여자들을 상대로 레즈 편력.
  • 「남성이 스커트를 애완하는 혁명」 - 「피콕 혁명」[ 주 9 ] 등을 테마로 화제를 제공. 「긴자에 미니 스커트와 롱 부츠로 벌어들인 미청년들」[ 주 10 ] 은 당시 충격을 주었다.
  • 채찍을 하는 여자
  • "채찍과 승마 신발"
  • 「부유세 여러가지」(우키세섹솔로지) - 여성지 독자에 의한 투고와 에세이를 모은 것.
  • 야망의 청춘 ”(상·하) 실업지 일본사 1969년 카도카와 문고 1981
  • 류성의 노래』(상・하) 1971년 모모겐사 1983년 카도카와 문고(『주간 실화』 1971년 연재)
  • 「기묘한 사람들」고단샤 1970년
    • '미녀를 묶어 30년' - 단귀록과 골짜기 나오미 등의 포르노 소설·사진·영화에 대한 열정에 대해 말하는 에세이.
    • 「블루 필름 선생님」[ 주 11 ]
  • 『교토의 여자(일본 여자 지도 1 서일본편)』(단편집, 『문제 소설』 게재) 『모레츠인 여자』개제 도쿠마 서점 1969
    • 「오사카의 여자」1975년
    • 「고베의 여자」
    • 「히로시마의 여자」
  • 「긴자의 여자(일본 여자 지도 2 수도권·도카이편)」(단편집) 「멜로멜로의 여자」개제 도쿠마 서점 1970년
    • 「신주쿠의 여자」
    • 「요코하마의 여자」
    • 「하마마츠의 여자」
  • “삿포로의 여자(일본 여자 지도 3 북일본·호쿠리쿠 편)”(단편집) “바츠군의 여자” 개제 도쿠마 서점 1970년
    • 「요네자와의 여자」
    • 「니가타의 여자」
    • 「가나자와의 여자」
  • 『하카타의 여자(일본 여자 지도 4 규슈·난카이편)』(단편집) 도쿠마 서점 1970년 『히이히이의 여자』개제 - 남자와 방에 들어가면서 전라가 되어, 반대로 다리를 펼치는 여자. 등 하카타에서 고치까지 남국 각지에서 펼쳐지는 성에 분방한 여자들을 그린다.
    • "시라하마의 여자"
    • 「고치의 여자」
    • 「나가사키의 여자」
  • 『서울의 여자(세계녀 지도 1 유라시아편)』 도쿠마 서점 1971년(단편집) 『베트베트의 여자』개제
  • 『라스베가스의 여자(세계 여자 지도 2 신대륙편)』 도쿠마 서점 1971년(단편집) 『박박의 여자』개제
  • 『채찍을 하는 여자』 모모겐사 1971년(단편집) - 서양인 미녀의 의외의 성 기호 에 농락되는 중년 남자의 비희극을 그린다.
  • 『요한 화원』슈에이샤 1972년
  • 『이파츠 승부』 모모겐사 1972년(단편집)
    • "음모와 꼬리"

관능 소설

풍속소설 가운데 직접적인 성묘사를 이용한 작품은 관능소설(포르노 소설)이라고도 불리며, 카지야마는 “어쩌면 새로운 섹스 지식이나 성행위 기술 등을 소개하고 있다”고 말했다. 또 외설죄로 3번 검거되어 자신도 "어디까지 쓰면 와이세츠 문서가 될지 실험 중이다"라고 말했다고도 한다. 시대적으로 성(セックス) 해방기 에 있어서 [ 7 ] , 카야마 특유의 서비스 정신도 있어 [ 7 ] , 그것이 짙게 나왔다 [ 7 ] .

  • 『소설 바람고고』 산케이 신문사 1965년(단편집) 노히로제도 출판 1968년
  • 『테얀데아』(상・하) 광문사 1966년(『북국신문』『에히메신문』 외 1964-65년 연재)
  • 『5년 전의 여자(사람)』(단편집) 모모겐사 1967년 1984년 카도카와 문고
    • 「혼혈의 딸」
    • "사랑의 항로는 허무하다"
    • 「요로메키의 계절」
    • 「5년 전의 여자(사람)」
  • 「하렌치인 여자」토쿠마 서점 1968년 이후 케이븐샤 문고 1994년 「파렴치한 여자」
    • "공포의 공포"
    • "어리석은 여자"
    • "파렴치한 여자"
  • “밤의 전무” 코단샤 1968년(단편집)
    • "흰색 파티"
    • 「색의 고생」
    • 「밤의 전무」
  • 『우리 온 고고』 도쿠마 서점 1968년
  • 『여행』보치신문사 1968년(단편집)
    • 「불륜 삼중주」
    • 「정사의 방」
    • 「여행」
  • 『하렌치 작전』 모모겐사 1968년(단편집)
    • 「가루이자와 비밀 클럽」
    • "사이케의 세계"
    • 「하렌치 작전」
  • 「쾌락의 실험」카와데베스트셀러즈 1968년
  • 『현대 악녀전』 코단샤 1968년(단편집)
    • 「원색의 여자」
    • 「거짓말쟁이의 천재」
    • '가장장이의 여자'
    • 「신주쿠 아마존족」
  • 『위장 결혼』 코단샤 1969년(단편집)
    • '럭키보이'
    • 「망상 일기」
    • '위장결혼'
  • 「성욕이 있는 풍경」광풍사 출판 1969년(단편집)
    • 「식욕이 있는 풍경」
    • 「환청이 있는 풍경」
    • 「성욕이 있는 풍경」
    • "바람이 없는 달밤"
  • 『인간의 탐험』 KK 베스트셀러즈 1969년(단편집, 『보석』 게재)
    • 「실신」
    • 「명도」
    • "최음"
    • "음성"
    • "성구"
    • 「비본」
  • 『쇼와 모토 로쿠 문학(푸른 소용돌이 장)(홍색 볶음 장)』슈에이샤 1969-70년(『플레이보이』연재)
  • 『에로구로 연부채』 코단샤 1970년(단편집)
    • '했어 베이비'
    • "다음 두 사람이 손해"
    • 「여중 가면」
    • 「에로구로 연 부채」
  • 『군주 풀림(전편)(후편)』슈에이샤 1970년
  • 에어 (전편)(후편)』슈에이샤 1970-71년(1972년 『 백정주·지원』
  • 『현대악처전』신쵸샤 1971년(『소설신조』연재) - 12편으로 구성된 연작집. 『현대악녀전』의 자매판.
    • 「취급 아내」 1971년 1월
    • '출입 아내' 1971년 2월 - 가난한 미남이 부자의 딸에게 처음 시작된 사위들이. 하지만 그 아내는 다른 남자를 쫓아 집을 나간다.
    • 「어린 아내」 1971년 3월
    • '계약 아내' 1971년 4월
    • '음란 아내' 1971년 5월
    • 「흑인 아내」 1971년 6월
    • 「허언 아내」 1971년 7월
    • 「미용 아내」 1971년 8월
    • 「이상 아내」 1971년 9월 - 요도에 카테터나 면봉을 넣거나 내보내는 자위 플레이를 좋아하는 여자. 남편에게 요도 자위를 목격하고 부끄러워한다.
    • 백인 아내 1971년 10월
    • 「술난 아내」 1971년 11월
    • '길가 아내' 1971년 12월 - 아이가 할 수 없는 몸으로 알게 된 아내가 개 사육에 열중한다.
  • 「용서해, 당신」토쿠마 서점 1972년(단편집)
  • 『포루노 성담』 쇼덴샤 1972년
    • 콘체른의 오조지의 애인 편력 스토리. 장제에도 「키리 항」 「준기」등 「원씨 이야기」의 권명이 붙여져 있다.
  • 『그 이름은 창녀』 모모겐사 1974년(단편집)
    • 「호도 갈기 인형」
    • 「그 이름은 창녀」
  • 『침업사』 코단샤 1975년(단편집)
  • 『아아, 성전』 카도카와 서점 1984년
  • 『스타라만치 유소 소설 걸작집』 1987년 광문사 문고(단편집) We'll Meet Again My Lovely [ 주 13 ]
본작은, 「소설 보석」1974/9-1975/5월호에 「일본 종단 염소 천일밤」의 제목으로 게재. 그 중 「시코쿠의 여자」는 생전 미발표.

추리소설・서스펜스

1960년에 '주간문춘'의 '신예 작가 다섯 명에 의한 경작 추리 소설 시리즈' 제3탄으로 '아침은 죽었다'를 연재, 당시 실제 카지야마 그룹을 방불케 하는 기자팀에 의한 범인 조사를 그렸다. 현실에 일어난 사건을 소재로 한 작품집 '지능범', 산요 신칸센 의 용지 인수에 관련되는 의옥 사건을 다룬 '여자의 경찰', 가상의 나라에서의 경제 성장의 그림자에 있는 음모를 그리는 '대통령의 살인자', 시모야마 사건을 소재로 한 '내가 죽었다', 방위 방위청', 건축학회를 무대로 한 복수 이야기 '여자의 사탑' 등이 있다. 반환 직후 오키나와 를 무대로 한 '나하심 중', GHQ 보도 통제화의 '스와핑 심중 사건' 등 세정에 깊이 관여하는 작품도 있다. '여자의 사탑'을 '여성명성'에 연재하는데 있어서는, 전국의 대본점 에서 어떤 멜로 드라마 가 받고 있는지를 조사해, 어린 젊은 여성을 모아 마케팅·리서치해 스토리, 등장 인물을 결정했다.

  • 균열 속하출서방 1962년(『별책 소설 신시오』 연재) - 자살한 증권맨은 경제 기자의 동급생이 된 스푸핑의 별인이었다. 기자는 경찰과 함께 사건을 쫓지만 타살로 밀실로 위장한 것은 아닐까 의심한다.
  • 『아침은 죽었다』문예춘추신사 1962년
  • 『지능범』 모모겐사 1964년(『별책 만화 선데이』 연재 「지능범 시리즈」)
    • 만우절의 범죄
    • "무서운 두뇌"
  • 『도시의 호수』 카도카와 서점 1964년(1989년 쇼덴샤 문고 『화려한 함정』으로 개제)
  • 여자의 사탑 (애욕편)(복편편)』[ 주14 ] 슈에이샤 1964, 66년(『여성명성』1964년 연재)
  • 『어두운 꽃길』 문예춘추사 1965년
  • 『허상의 여자』 모모겐사 1967년(단편집)
    • "저주받은 침대"
    • 「살인 스코어북」[ 주 15 ]
    • '사건의 밤'
    • '애정의 영수'
  • 「4개째의 열쇠」 모모겐사 1967년
  • 『여자의 경찰』신쵸샤 1967년(『주간신조』 1967년 연재)
  • 아름다운 납치」 1967년(『미스터리 걸작선 3 조금 살인을』/코단샤 문고/1974년에 수록) - 회사 중역의 딸의 납치 사건. 가족에게 범인의 요구를 전달하는 방법이 수수께끼.
  • ‘긴자 축제 살인 사건’ 1968년
  • 『바다의 살육』 문예 춘추 1969년(단편집)
  • 『어떤 완전범죄』 1969년 (1991년 勁文社文庫)
  • 『범죄 일지』 신시오샤 1970년(단편집)
    • 「부란 시체의 경우는」
    • 「명사극 살인 사건」
    • '유한 마담과 소년' - 일본의 미스터리에서는 드문 '범인이 마지막으로 승리하는' 완전 범죄를 그린다.
    • '범죄 일지'
  • 『함정의 숙녀』 모모겐사 1971년(단편집)
    • "레스비안 살인 사건" [ 주 16 ]
    • "러쉬 아워의 천사"
    • 「함정의 숙녀」
  • '괌섬 미인모델 살인사건' 1971년
  • 『대통령의 살인자』 광문사 1974년(『올사물』, 『소설보석』1974/1월호) - Z국에서 의옥사건을 쫓는 일본인 기자의 현지 친구가 수수께끼의 메모를 남기고 살해되었다. 범인은 대통령 직속으로 갓 죽이는 것 같다. 사회파 신비.
  • 『죄의 야상곡(상・하)』슈에이샤 1975년(『주간 명성』 1973-75년 연재)
  • 『내일 생각하자』 모모겐사 1975년
  • 「지면사」코분샤 쇼와 미스테릴 르네상스(단편집)
    • 「지면사」 - 표제작이지만, 사기를 취급하고 있는 미스터리 단편.
    • 「유서가 있는 풍경」(『미스터리 선집 3
    • 「세토의 우즈시오」(『일본 대표 미스터리 선집 7 살인자에게 장미의 꽃다발』/카도카와 문고/1976년에도 수록) - 세토우치의 여관에서의 신혼 신부의 실종 사건.
    • "냉혹한 보상"
  • 『나하 심중』 코단샤 1976년(단편집, 표제작, 「스와핑 심중 사건」 등. 1989년 코단샤 문고판 에서는 「켈로이드 심중」수록)
  • 「호바의 도박」(『일본 미스터리 걸작선 3 살인 선언 도시』/토쿠마 문고/1981년에 수록)
  • 『오직 씨즈이』 카도카와 문고 1987년(단편집, 「내가 죽였다」 「소설 방위청」수록)

SF소설・실험소설

  • 『카야마 호색 기계학·뿌리 퓨다』 도쿠마 서점 1971년(단편집) - 당시 일본에서 본격적으로 도입 개시된 컴퓨터를 둘러싼 인간 모양의 작품집.
  • 「실험 도시」 1973년
  • 「가공의 나라의 이야기」 1974년
  • 『괴녀 적두건담』 문예춘추 1975년 - 주인공의 창대는 한 번도 등장하지 않고 그녀와 관련된 사람들의 이야기에서 창대의 인물상이 떠오른다는 실험작.
  • 「암 인간」( 도요타 유 항편 「일본 SF 쇼트 쇼트 선 유머 편」문화 출판국 1977년)에 재록

역사 소설

  • 맞지 않는 조개」 1956년(가와데 문고 『맞지 않는 조개』 소수) - 가상의 전서 「코나베 부인 각서」를 바탕으로 마츠오 바쇼 의 성향과 무가를 폐기한 인사를 그린 것. 카지야마의 사실상 처녀작 [ 주 17 ] .
  • 『이조잔영』 문예춘추신사 1963년(단편집) - 조선물 속 편집, 표제작은 제49회 나오키상 후보.
    • "왜곡된 영광"
    • '족보' - 1979년 한국에서 영화화. → 족보 (영화)
    • '이조잔영'
  • “게이죠 쇼와 11년” 모모겐사 1969년(단편집)
    • 「암선」
    • 「소설 금우로
    • 「게이죠 쇼와 11년」
  • 구름 인가 인가
  • 『카야마 겐지(이로하・노마키)(호헤토・노마키)』문예춘추 1972년(『주간문춘』연재, 1983년의 카도카와 문고판에서 『호색원씨 이야기(이로하노마키)(호헤토의 권)』에 개제)

시대 소설

역사의 가운데, 작자가 창조한 캐릭터나 가상의 인물을 주인공으로 한 것, 주로 에도가 무대의 시대극의 작품군.

  • 『조각 포물첩(一)-(六)』 요미우리 신문사 1972-74년(『주간 요미우리』 1970/10/23-1973/10/27호 연재)
  • 1972년 2월(요미우리 신문사 후에 도쿠마 서점, 논창사) - 쭉 여자로 키워진 여장의 미소년들이 여자의 모습을 한 채 에도성 오오쿠에 들어가 여자의 모습으로 오오쿠의 여자들의 상대를 한다. 손에 의해 남성기를 애무되어 쾌감에 기뻐하며 절정에 이르는 여장 미소년들의 이야기. 라고 하는 여장 매니아 서늘의 작품.
  • '젊은 길' 1972년 4월(요미우리 신문사 후에 도쿠마 서점, 논창사) - 아내가 있는 환전상 남편이 가부키 배우에게 열을 올리지만, 세간체를 신경쓰고 표향은 배우에게 열중하고 있는 것은 아내라고 한다.
  • 『쓰지 베리 비첩』상전사 1974년(「소설 현대」1970년 10월-12월호 연재)

국제 소설 · 해외 물건

해외를 무대로 한 작품으로서 미국 을 무대로 한 「카포네 많이 울다」 「루즈벨트 많이 웃는다」 「메리켄 무주쿠」의 3부작, 멕시코 를 무대로 한 「달콤한 폐갱」, 미국에서 비즈니스를 성공하는 남자를 그린 「일본인 여기에 있다」, 남미 개추를 소재로 했다. 이 글을 위해 당시에는 드문 해외로의 취재 여행도 자주 갔다.

  • 다이아몬드 헤드의 여자 1967년 - 미국(하와이)
  • 카포네 크게 울다코단샤 1971년(중편집) - 1985년에 하기와라 켄이치의 주연으로 영화화.
  • "루즈벨트 많이 웃는다"
  • '붉은 나라의 술' 1971년 - 소련(러시아 공화국)
  • 『메리켄 무주쿠』 1973년(단편집)
    • 「달콤한 폐갱」
    • 알로하 하와이
  • '만한전석담' 1973년 - 홍콩
  • 『일본인 여기에 있어(立志編)(성공편)』실업지 일본사 1974년(『주간 소설』 연재)
  • 『번개여, 분노』 신쵸샤 1975년

실록 소설·모델 소설

당시의 사건이나 세상, 화제의 인물 등을 모델로 한 소설을 많이 발표. 다만 내용은 허실이 섞인 것도 있었다. '소설 GHQ'는 전후의 점령 정책, 재벌 해체 의 내실을 대중 소설로 쓴 것으로, '주간 아사히' 연재 중에는 카와모리 호조 에서 ' 대 듀마 '에도 유혹되었다. 연재 종료 후에 개고하려고 했지만 완수하지 않고, 단행본화는 된 것은 사후인 1976년이었다 [ 28 ] .

  • 『상양은행 사건』 아사히 예능 출판 1963년(단편집)
    • "파업의 끝"
    • 야쿠자의 훈장
    • '상양은행 사건'
  • '생제' 덕간서점 1967년('아사히 예능' 1966/5/29-67/1/23일호) - 클럽 호스테스 로부터 재계 의 제물로 제공되며, 이윽고 모국 대통령 부인에게 올라가는 여성의 반생을 그린다 [ 29 ] . '아사히 예능'의 연재가 시작되면 데비 부인 을 모델로 한 것과 큰 반향을 불러 [ 29 ] , 마츠 타케 가 데비 부인 주연으로 영화화를 계획하고 있다 으로 보도되어 [ 29 ] , 세상의 관심이 높아진 것으로부터 [ 29 ] , 데비 부인이 화를 내고 , 카야마와 출판원인 도쿠마 야스요시 토쿠마 서점 사장을 명예훼손 으로 호소했다 [ 7 ] [ 29 ] . 아울러 책의 증쇄 , 영화, 텔레비전, 연극 금지의 가처분도쿄 지재 에 신청했다 [ 29 ] . 재판 에 의하여 카야마 사이드가 패해 「위반하면 위약금 1000만엔을 지불한다」라는 조건으로 화해 했다 [ 29 ] . 증쇄 금지 때문에 [ 29 ] , 그대로 절판했다 [ 30 ] . 다만 가처분까지의 사이에 10만부 정도 나왔다고 한다 [ 31 ] . 위약금 1000만엔이 그다지 고액도 아니기 때문에 ' 금환식 '의 대히트로 의기 오르는 다이에이 재건 중인 도쿠마 야스요시가 영화화에 의욕을 불태우고 '데비 부인을 말설 떨어뜨리다' 등으로 불었다 [ 29 ] . 히트작이 적은 당시의 방화계에 있어서 ' 전쟁과 인간 '이나 ' 화려한 일족 ' 등 내막은 히트하기 쉬운 상황에 있었다 [ 29 ] .
  • 『실명 소설 회전목마 마키』 1968년
    • 「실명 소설 캐러셀 마키」(『소설 세븐』1968/7월 창간호)
    • '겨울에 온 사랑'
    • "노린 여자에게"
  • 『푸른 군상・소설 전학련』슈에이샤 1969년(『소설 세븐』1969/6-11월호)
  • 「불꽃은 흐른다 - 소설 대택 장일」
  • 「광 클럽의 붕괴」 1973년
  • 『소설 GHQ』 광분사 1976년(『주간 아사히』 1964-65년)

노벨라이즈(소설화) 작품

  • 『유부녀이니까』 광분사 1969년(라디오 드라마 「사랑의 소용돌이」의 소설화)

논픽션 에세이

  • 『실력 경영사전』 코단샤 1963년
  • 『성공자의 의자』 아사히 예능 출판 1964년( 무라지마 켄이치 와 공저)
  • 『마츠다 시게지로 일업 1인전』 시사통신사 1966년 - 마쓰다 창업자 마츠다 시게지로 의 전기.
  • 『바람기의 노래』 문예춘추 1966년(에세이, 일본 국내편)
  • 『바람기심의 여행』문예춘추 1966년(에세이, 『주간문춘』 1966/3-연재, 「바람기심의 노래」의 속편으로 해외편) - 카지야마의 체험한 해외의 풍속점에서의 진사건.
  • 『바람기심의 밤』 문예춘추 1966년
  • 『사지마! 』 모모겐사 1966년(에세이, 『만화독본』1968/1-연재)
  • 『놀이의 모험』 모모겐샤 1970년
    • "스파이는 옆에있다"
    • 「창에서 튀어나와」(「신시오」게재 1966/5월호)
    • 「조사의 묘미」
    • 「일본의 신상류 계급의 비밀」
  • 『여방훈』상전사 1972년
  • 『카야마 시게노의 당치라스』 산케이 신문사 1972년(에세이, 『석간 후지』 1971년 연재)
  • 『포루노 일본사』 모모겐사 1973년 치카쿠가와 문고(『주간신조』 연재) - 역사상의 일화집, 일본인 여성의 긴 흑발과 맨발의 아름다움, 서양인의 스타킹을 신은 미각과 하이힐과 부츠 고무 장화의 매력. 일본사에 있어서 의 남색 이나 여장. 여수나 유곽에서의 삼각 목마·간질 비난 등 사드·마조. 특수한 성 기호의 역사와 문학 등을 말하는 에세이.
  • 『머리에 온 왜 나도』 모모겐샤 1974년
  • "인간 알몸으로 태어나 - 우리 인생관 시리즈"야마토 출판 1977년
    • 「오구치 기부자를 서훈하라」
    • 「자연을 모르는 자의 무서움」
    • 「결혼에 이의가 있다」
  • 『여행과 그 세계』 산과 계곡사 1977년
  • 『 “톱 가게 전사”의 기록 무서명 논·픽션” 계절사·상전사 1983년
    • "아무도 모르는 일본 정복지도"
    • 「최상의 날―천황가의 재출발」
    • '상점은 항의한다'
  • 지금 히가시코와의 대담 「무엇이 그들을 잔인한 살인으로 쫓아냈는가」(「주간 소설」1972/3/31호, 아사마산소 사건 에 대해서)
  • 「카야마 시게유키 논픽션 선집」(전 5권) 도쿠마 문고
    • 1 “일본의 내막” 1985년 - 1965-66년에 “보석” 게재
    • 2 「실력 경영자전」1985년(1963년 코단샤판의 재간) - 1963년에 「소설 현대」연재의 11명 중 8명 수록.
    • 3 『일본 사건 열도』 1986년
    • 4 『쇼와 인물전』 1986년
    • 5 「루포 전후 종단」 1986년 - 1958-68년에 「문예춘추」, 「주간요미우리」, 「중앙 공론」, 「주간문춘」, 「문예아사히」에 게재. 2007년의 이와나미 현대 문고 에서 재간, 「주간 명성」게재 「황태자의 사랑」도 수록.

주브나일 작품

카지 켄스케 (카지 켄스케) 명의의 소년 소녀를위한 작품
  • 『그 열쇠를 쫓아』 /삽화=가메야마 히로시 [중학생의 친구 1년 1959-04]
  • 「수수께끼의 한 마스트」 [중학생의 친구 1년 1959-06]
  • 「암흑의 총성」[중학생의 친구 2년 1960-01]
  • 「수수께끼의 일기장」[중학생의 친구 1년 1960-02]
  • 「금괴의 비밀」[중학생의 친구 2년 1960-04]
  • 『사라진 승객』 /삽화=가메야마 히로시 [중학생의 친구 1년 1960-05]
  • 『권유 마에게 와나를 걸어라』 [중학생의 친구 1년 1960-08]
  • 『악마가 좋아하는 불꽃』 /삽화=나카니시 타치타 [중학생의 친구 1년 1961-01]
  • 「검은 땀을 흘리는 남자」[중학생의 친구 2년 1961-01]
  • 『얼굴이 없는 남자』 /삽화=나카무라 히데오 [중학생의 친구 1년 1961-04]
  • 「악마의 계약서」[중학생의 친구 2년 1961-05]

여성 소설·여성론 등

카지 켄스케 (카지 켄스케) 명의의 기혼 · 미혼 여성을위한 작품 [ 주 18 ]
  • 『긴자 비트족』 [마드모아젤 1960-04]
  • 『인간사랑에 사는 숭고한 여성상』 [마드모아젤 1960-05]
  • 『괴상한 결혼의 개척자들』 [마드모아젤 1960-05]
  • 『사랑의 어리석음』 [부인 공론 1963년-01]

기타 작품

'우리 진혼가'는 자전적 장편 소설로, 고등 사범 시대부터 '신사시오'의 시기가 무대. 다만 사후에 부인에 의해 많은 "환골탈태"가 있었음이 밝혀지고 있다. 이와 같은 나카야마 슌요시를 주인공으로 한 자전적 작품에 ‘머리결의 정주’(1970년), ‘패견’(1975년), ‘인생 이르는 곳에’(1975년), ‘소설·카야마 교우록 효종죽’(1975년)이 있다.

  • 『작전-파랑(블루·오퍼레이션)』 문예 춘추 1967년(단편집)
    • 「해야 한다」
    • 「작전-파랑(블루・오퍼레이션)」
  • 『꿀의 맛』 코분샤 1968년(단편집)
    • '복어의 계절'
    • "꿀의 맛"
  • 『밤의 GHQ』 모모겐사 1968년(단편집)
    • "인간 증발"
    • '밤의 GHQ'
  • 『병 같은 신사』 모모겐사 1968년
  • 『우리 진혼가』 코단샤 1968년(『월간 현대』1968/3-8월호)
  • 『호이호이호이』 모모겐사 1969년(단편집)
    • 「치리누루를」
    • '지혜의 세상'
    • 「호이 호이 호이」
  • 『내기하는 남자』 모모겐사 1970년(단편집)
    • 「챠란포란」
    • 「쿠로코 인생」
    • "내기하는 남자"
  • 『명인에서 후』 도쿠마 서점 1970년(단편집)
    • 「출세의 명인」
    • 「바람의 명인」
    • "고무의 명인"
    • 「증발의 명인」
    • '주가의 명인'
  • 『간담 명인 열전』 도쿠마 서점 1971년
  • 『피라멘네』 광분사 1972년
  • 「달콤한 도초」중앙공론사 1972년
  • 『눈물은 닦지 않고』 코단샤 1974년(1987년 재간으로 『여자의 나선계단』으로 개제
  • 세도리 남작수기담』 모모겐샤 1974년 본작을 계기로 「전매」를 의미하는 「세도리」라는 말이 세상에 퍼졌다고 한다 [ 32 ] [ 33 ] .
본작은 2011년 간행된 미카미 연저 ' 비브리아 고서당의 사건 수첩 '의 영향으로 매출이 늘었다고 한다 [ 34 ] .

작품집

  • 『카야마 계지 걸작 시리즈(전 7권)』 코단샤 1965-66년
(『어떤 복수』『SEX 스파이』『패배』『괴상한 대상』『왜곡된 영광』『냉혹한 보상』『어둠의 여자』)
  • 『카야마 시게유키 자선 작품집(전 16권) 슈에이샤 1972-73년
  • 『카야마 계지 집성(전 30권)』 모모겐사 1972-75년
  • 『현대조편문학전집 48·카지야마 시키유키(“무지개를 잡는다” “그림자의 흉기”)” 코단샤 1969년
  • 『카야마 계지의 쾌미 감각(“비상 계단” “미끼”)』 KK 베스트 셀러스 1971년
그 밖에도 생전 출판된 단편을 재편집한 선서와 문고판이 많이 나와 있다.

자비출판

  • 『 사치 군네 』[ 주 19 ] 분예 사시오 사 1952 년
(카지야마의 수록 작품 : 「충장기」, 「소년」, 「요지 절 가을색」, 「전설」, 「족보」)

라디오 드라마 각본

  • 『히로시마의 안개』 1958년 (아사히 방송)
  • 「외화 브로커」 1958년 (아사히 방송)
  • 『바람과 빛과 그림자』 1959년 (중국 방송)
  • 『나무가 찻잔을 안고 있었다』 1961년(아사히 방송) - 오사카만에 자위대의 연습 해역이 생겨, 고뇌하는 센슈의 어부. 해저에서 찻잔을 잡고 뗄 수 없는 장어에 어장에 고집하는 자신의 삶을 투영한다.
  • 사랑의 소용돌이』 1961-62년 아사히 방송(TBS와 공동 제작 )
  • 『울지 않는 맥스』 1962년(도쿄 방송)

TV 드라마 각본

  • 『잠입 스파이』 1964년(NHK 오사카)
  • PR노로』 1964년(후지TV)

영화 각본

  • 『사랑 의 소용돌이』 도호 1962

교우·행동록

친구 관계

술을 통한 교우 범위도 넓게 [ 1 ] , 심친이라고 부른 야마구치 히토미 는 르포 라이터 시대(야마구치는 산토리 선전부)로부터의 교제로, 강연 여행에서도 자주 동행했다 [ 주 20 ] . 자민당의 출마 요청을 멈춘 것은 유키 마사하루 로 '소문' 편집 고문에게 유키에의 의뢰를 생각하고 있었다. 또 의형제의 계승을 맺었다는 쿠로이와 시게고 , 서울 중학의 동학년으로 나중에 덴츠 최고 고문 나리타 유타카 , 타나베 시게 이치 , 오에테 소이치 , 시미즈 일행 등 교우가 넓게 [ 1 ] [ 4 ] [ 7 ] [ 9 ] , 유언에 따라 성대한 통야 를 기획했지만, 시바타 연산부로 가 「아마, 2~3000명을 넘는 회합이 되기 때문에 정리는 힘들다」라고 말했다고 한다 [ 7 ] .

술고 & 성호

' 마시는 치는 사는 남자의 증표'가 쏟아져 부인은 '좋든 나쁘든 남자다운 남자였다'고 평했다. 담배는 통조림 조각 전문으로 하루 2개(100개). 일본 술 이라면 가볍게 일조술호 [ 7 ] . 아침의 맥주로 시작해, 손님이 있으면 시간을 선택하지 않고 위스키. 맑아도 내려도 긴자에 출진이 일과. 출진은 평균 월에 30회라고 했다. 지금 히가시코 는 "지난 날, '술을 마시지 마라, 자살 행위야"라고 주의했지만, 카지야마는 게라게라 웃어라. 하지 않는 예술원의 놈들이 10마리 죽기보다, 카지야마 혼자를 죽은 것이, 어떻게 일본의 소설에 타격인가, 생각해 봐라 오늘 출해 , 평암궁 가지 , 쿠로이와시고 등과 시코쿠 마츠야마 에 문화 강연에 나갔을 때, 카지야마는 전날부터 마시지 않고, 동료에게 차례라고 촉구되어 연단에 서 있었지만, 무엇을 말해도 좋은지 모르는 정도로 취해 있다고 거기서 카지야마는 『인생은 오× 이고 7 ] .

이것에는 이설이 있어 [ 7 ] , 시바타 연사부로의 『대장』의 모델이 된 평내 슈부가 오쿠 도고 온천 세운 호텔 의 개업 기념식전에 내빈으로서 초대되었지만, 전야 시바타에 도본 으로 계속 져서 다액의 빚을 만들어 버려, (여성기의 비어)라고 하면 빚을 깎아 준다"고 말해져, "나는 포르노 작가 의 카지야마 시노유키입니다. 인생은, ××××입니다"라고 인사했다"라고 말해진다 [ 36 ] [ 37 ] .

「물기록이 출세 지불로 마실 수 있는 가게를 하지 않을까」라고 긴자의 젊은 엄마에게 이야기를 들고 1962년 4월, 긴자에 바 「마리」를 개점 [ 4 ] [ 38 ] [ 39 ] . 이후 수많은 작가들이 모여 영업을 계속하고 있었지만 [ 40 ] , 2021년 1월, 엄마의 오오쿠보 마리코가 죽어 60년 가까운 역사에 막을 내렸다 [ 4 ] . 오오쿠보는 "카야마가 죽어서 섹스는 하지 않았다"고 말했다 [ 38 ] .

같은 히로시마 출신으로 같은 해 태어난 잡지 『술』 편집자 사사키 히사코 는 공사 모두 친해졌고, 매년 같은 잡지의 항례 기획이었던 정월호에서의 「문단주도번부」에서는 서쪽의 요코즈나 를 계속 붙였다 [ 7 ] [ 41 ] [ 42 ] . 사사키는 “정말 술은 강했다. 히로시마까지의 신칸센 에서 식당차 의 술을 칼라로 한 적이 있습니다”라고 말하고 있다 [ 7 ] . 「문단주도번부」에서는 1965년판부터 1974년판까지 10년간 서쪽의 요코즈나를 계속 붙인다 [ 41 ] , "영원의 요코즈나"라는 칭호 를 받았지만, 1974년경부터 술량이 눈에 띄게 떨어지고, 위스키를 맡는 정도로 , 「문단주도번부」는 1975년판에서 마지막이 되고 [ 41 ] , 이 해 전두 에 전락해, 유종의 아름다움을 장식할 수 없었다 [ 41 ] . 대신 1975년판의 「문단주도번부」에서 카지야마를 대신해 서쪽 요코즈나에 번부를 올린 것이 쿠로이와 시게고 [ 41 ] . 히가시노 요코즈나는 2년 연속으로 노사카 아키라 [ 주 21 ] .

카지야마를 은사로 꼽는 히로시마대학 의 후배 오오 시타 에이지 는 카지야마의 13회기의 무렵에 카지야마의 평전의 집필에 걸려 [ 5 ] , 「무뢰파 작가의 화려한 여성 관계에도 접할 수밖에 없다」는 점에서 카지야마의 아내에게 허가를 얻어 취재에 들어갔지만, 역시 증언이 너무 생생해, 평전으로서는 간행할 수 없었다 [ 5 ] . 그 후 아내 미나에를 비롯해 당시 취재한 관계자의 대부분이 사망한 것으로부터, 다시 한번 활자화하는 의의를 느끼고, 2023년에 가필해, 「마지막 무뢰파 작가 카야마 시게유키」를 간행했다 [ 5 ] [ 43 ] .

금이 멀고, 누구와 마셔도 상대에게 지불하지 않는다. 일을 안고 있을 때는 멋지게 화장실에 가도록 서서 그대로 사라지지만, 계정은 끝나고 있다. 손님의 수에 맞추어 자동차까지 불러 둔다는 배려로, 장신으로 상냥하고 예쁜 놀이를 하기 때문에 여성에게 잘 대접했다. 부인과의 사이에 「아마추어의 여성에게 손을 내지 않는다. 동일 여성과는 3회 이상 관계하지 않는다. 여성의 방에 가지 않는다」의 「삼조의 맹세문」이 있었다고 한다.

여성의 명기의 비유 " 지렁이 천마리 "를 일반적으로 알렸다고 한다 [ 21 ] '여자의 경찰' 집필은, 중국 지방 에서 400만엔의 아파트를 세운 온천 게이샤를 만나러 간 것이 계기. 모 유명인이 매월 30만을 보내주고, 그 밖에도 여러가지 남편이 있어, 그 번역은 “내는 지렁이 천마리인 것 같습니다”라고 대답했다. 게다가 “30초 참을 수 있으면, 나의 맨션을 드립니다”라고까지 말해졌지만 카지야마는 17초 플랫으로 다운해, “강한 편이에요”라고 말했다. 여자에 대해서도 바이탈리티 왕성하고, 강연 여행 4일간 중 3밤은 여자를 바꾸고, 하룻밤에 2명 상대로 하는 일도 있었다고 한다. 그 체험은 독자에 대한 정보와 서비스가 되었다. 그러나 율의형 바람이라고 말해, 생활의 혼란도 사람에게 원한 일도 없었다고 한다 [ 21 ] .

히로시마 잉어를 우승시키는 모임

카지야마는 권투를 제외하고 스포츠에 흥미를 보이지 않았지만, 귀여워하던 마츠다 항지의 영향도 있어 히로시마 잉어 를 열심히 응원하게 되었다 [ 44 ] . 1957년에 히로시마현 출신자의 아가와 히로유키 , 후지와라 히로타리 , 기무라 공 , 가쓰라 요시히 사 , 스기무라 하루코 에서 “7의 모임”을 결성(또는 매년 고향의 명주 “ 가모쓰루 ”를 삼키는 “카모툴회”) [ 7 ] . 또 나리세 수부와 상담해 1965년에 오야케 장이치와 카지야마가 발기인 대표가 되어 「히로시마 잉어를 우승시키는 모임」을 결성해(중심이 되어 움직인 것은 전출의 사사키 히사코 [ 45 ] ), 매년 격려회를 열었다. 1973년 7월에 호텔 뉴 오타니 에서 열린 잉어를 격려하는 파티에서는 선수를 고무하려고 "만약 우승할 수 있다면 잉어 전원에게 게이샤를 튀겨 하룻밤 놀게 해준다"고 불온당한 발언을 했다 [ 7 ] [ 44 ] . 히로시마 카프 는 카지야마가 몰린 1975년 가을에 첫 우승을 이룬다. 우승을 결정한 후 낙원 구장 의 스탠드에는 남편의 유영을 가진 부인의 모습이 있었다.

기타

1962년부터 도시센터호텔 의 한실을 빌려 일장으로 삼아 사망까지 이어졌다. 당시 거기서 프런트 클라크로서 근무하고 있던 것이 모리무라 세이이치로 , 원고를 맡아 편집자에게 건네줄 때 훔쳐 읽고 있었다고 한다 [ 46 ] . "내가 재미있다"고 생각하고 자신감을 가진 것이 작가가 된 계기로, 모리무라는 "나는 카야마 씨의 모구리의 제자"라고 말하고 있다 [ 47 ] [ 48 ] .

1974년 가을에 유럽 여행에 나가기 전에 "만일의 일이 있으면"이라고 유서 를 썼지만 [ 7 ] , 다음 해 급속히 열린 유서에는 당시 14세의 장녀에게, 「미계, 아버지가 포르노 작가 등이라고 불렸기 때문에, 상당히 괴로운 일도 있었겠지만, 신경 쓰지 말고 싶다.여기 수 나이의 자신의 성묘사는 언론의 자유에 대한 싸움 이었다 . 스스로는 근육을 통한 생각이다. 카지야마는 딸이 학교에서 '포르노'라는 별명을 붙이고 있는 것을 알았을 때 심하게 우울해졌다고 한다 [ 7 ] [ 11 ] [ 49 ] .

「만화 선데이」에 「비상 계단」등 4개를 연재한 인연으로, 실업지 일본사 에서 편집장이었던 미네시마 마사유키 가 1972년에 「주간 소설」을 창간할 때에도 「 일본인 여기에 있다」를 연재하는 것과 동시에, 선배의 시바타 연산부로 , 쿠로이와 시게고도 소개해, 또 광고면에서 경성 중학으로부터의 친구인 덴츠나리타 유타카 를 소개했다. 1975년에 『주간 소설』에 연재중이었던 「철새 조·북투의 동백사」가 마지막 발표 원고가 되어, 사후 발매된 게재호에서는 시바타, 쿠로이와의 대담도 게재되었다.

청지원 이 있는 외설본 출판의 재판에서 학식 경험자로서 증인으로 출정했을 때, 공부에 지하출판의 춘본십수권을 빌렸다. 반환될 때 책은 2권 많았다. [ 50 ]

생년에 대해서 당시의 자료에는, 다이쇼 태생, 쇼와 2년, 3년, 4년 등 여러 설이 기재되어 있어, 이것은 당인이 모호하게 하고 있었기 때문이지만, 그 이유는 밝히지 않았다.

1963년에 나오키상 후보가 되어 낙선한 밤, 긴자에서 마시고 있으면, 전형위원의 한 명이 다가오고 「당신과 세토우치에는, 상은 하지 않아」라고 말해져, 나오키상에는 인연이 없다고 흔들렸다고 말하고 있다 [ 51 ] .

1971년 시부야 세무서의 하루 서장을 맡았다. 1974년 6-8월에는 퀴즈 프로그램 「정말은 누구다!」(일본 TV)의 레귤러 응답자로서 출연했다.

재평가

사후 30년이 지나 『붉은 다이아몬드』(2004년) 『간단 치히로』(2005년)가 팬 롤링 으로부터 재간. 2007년에는 히로시마에서 심포지엄 “시대를 선취한 작가 카지야마 시게유키를 지금 검토한다” 개최. 이어 같은 해 이와나미 현대 문고 에서 '검은 시주차' '족보·이조잔영' '루포 전후 종단'이 잇따라 간행, 2008년에는 논창사 에서 '조각 포물첩'이 재간되었다.

원작 작품

카지야마 자신이 「각본」도 쓴 작품에 대해서는, 「2.15 라디오 드라마 각본」에서 「2.17 영화 각본」의 항목에 별기.

영화

TV드라마

  • ' 붉은 다이아몬드 ' TBS 1963년
  • '노루카 소루카' 일본 TV 1964년 - 자신도 유행 작가의 역으로 ​​드라마 첫 출연했다.

만화

  • 요코야마 마사미치 '와 김신사' 호분 1973년(' 주간 만화 TIMES ' 1973/1/6·13-51회)
  • 요코야마 마사미치 『색마』 호분샤 1973년(『주간 만화 TIMES』1972/5/13-26회)
  • 요코야마 마사미치 「악인 지원」
  • 요코야마 마사미치 「니기니기 인생」
  • 요코야마 마사미치 「한코츠」
  • 우에무라 이치오『쓰라린 선율』 소년 화보사 1973 년(『영 만화』 연재 1973/6/10-21회) 소년 화보사 1973년
  • 우에무라 카즈오 '비구두 이야기' 도쿄 3세사 ('SM 셀렉트' 연재, (원작: '푸른 선율', '성과학 XYZ'에서) - 여성의 장화 페티쉬와 고무 매니아를 다룬 극화.

요코야마 마사미치에 의한 만화화 작품은 전자 서적에서 구입 가능.

카세트 테이프

  • 『와 신사(1)보의 권』 (제작: 일본 방송 /발행: 포니 [ 주 22 ] ) 1971년
  • 『토 김 신사(2) 금의 권』 (제작: 일본 방송/발행: 포니) 1972년

각주

주석

  1.  고기 히로유키 가 남대문 초등학교의 후배로 여겨지는 일이 있지만, 고키가 입학한 초등학교는 미사카 초등학교이다. 남대문 초등학교에는 이목의 아버지가 근무하고 있었다 [ 8 ] .
  2.  나리타와는 중학교 시절에는 에로소설을 육감적인 삽화 첨부로 노트에 필기로 써, 모두 돌려 읽고 있었다고 한다 [ 9 ] [ 10 ] .
  3.  1968년에 오모리 씨 의 태평양대학 강사로 미국을 휩쓸었을 때 태풍 으로 귀국이 늦어져 『소설·태평양대학』의 연재 제1회의 원고를 사이에 맞추기 위해 선상에서 헬리콥터 로 매달아 옮겼다 [ 19 ] .
  4.  「시주차」의 독해는 「테스트카」가 오리지날(카도카와 분고에서는 흔히 가명 포함)이지만, 「해보자」라고 하는 경우도 있다.
  5.  당시에는 닛산 자동차가 국제 랠리에 적극 참여했다.
  6.  「선거」의 독서는 「독」이 오리지날(슈에이샤에서는 흔히 가명 포함)이지만, 「선교」라고 하는 경우도 있다.
  7.  bitter는 "쓴맛 맥주 색" "회 갈색 (grayish brown)"의 의미도 있습니다.
  8.  "레즈비언"이라는 용어의 연재 당시의 잡지에서의 표기는 "레스비안"으로 되어 있다.
  9.  당시 화제가 된 "남성도 아름다워지고 싶다"는 소망. 아름다운 깃털의 공작에 비유하고 있다.
  10.  나가사와절이「남자의 스커트와 부츠」패션을 긴자 워싱턴 구두점의 협찬에 의해 개최. (“나가사와 절 이야기 세츠·모드 세미나와 동료들” 니시무라 카츠저, 매거진 하우스(1996/10/24) 등)
  11.  블루 필름」이란 주로 포르노그래피를 소재로 한, 즉 성적 영상 작품. 한때 온천 숙소 등에서의 영회용으로 제작되어 있었다. '핑크영화'라고도 불렸지만 '핑크'는 영미권에서는 '아기의 뺨' 등 건강한 이미지가 있다.
  12.  당시 유행의 가요곡 타이틀( 기타시마 사부로가요곡 '하코다테의 여자(사람)'이나 '가가의 여자(사람)')과의 차별화를 위해서, 「여자」의 독서는 그대로 「너」라고 읽게 한다.
  13.  레이몬드 챈들러 " 사라바 사랑하는 여자 "에 대한 답변
  14.  슈에이샤 문고 에서는 합본으로 전일권.
  15.  연재시의 표기는 「살인 스코어・북」.
  16.  현재는, 미어음에 가까운 「레즈비언」의 표기가 많다.
  17.  본작 이전에는 동인지 ‘신사상’에 게재한 ‘미군 진주’와 ‘진흥 외화’가 있다.
  18.  시기·게재지에 따라서는 「카지키 히코(카지 토시히코)」명의 또는 카지야마 시게노모토명의 경우도 있다.
  19.  초등학교 및 대학에서 동기의 사카타 료와 공저의 짧은 편집.
  20.  야마구치의 '남성 자신'에서도 카지야마가 몇번이나 소재로 되어 있다 [ 35 ] .
  21.  히가시 오세키 · 야마구치 히토미 , 니시오세키 · 후지모토 요시 이치 , 히가시하리 데오 세키 · 타치하라 마사아키 · 와타나베 준이치 , 니시하리 데오세키 · 이노우에 미츠 하루 준노스케 , 히가시하리 데오오 세키・미우라 테츠로, 니시하리데오오세키・타나베 세이코 , 히가시코유키요시무라 아키라 , 니시코유리・카와카미 무네 가오루, 히가시하리데 소결・장부 히데오 , 니시하라데코유키・고마쓰 사쿄 . 삼상 특별훈상 ·후지모토 요시이치, 기능상 · 모리 아츠시 , 감투상 · 나카야마 아이코 [ 41 ] .
  22.  캐니언 레코드가 레코드와 CD, 포니가 뮤직 테이프와 비주얼 소프트와 사업 분야가 나뉘어 있었지만, 1987년 양사는 합병해 현재는 「주식회사 포니 캐니언」이 되고 있다.

출처

  1.  코이케 세이이치 ; 키쿠치 타츠야 ( 2018 )「카야마 시게노 분고」명판 제막식을 개최했습니다.
  2.  카야마 시게유키 』 - 코트뱅크
  3.  이와나미 현대 문고 루포 전후 종단 톱 가게는 보았다 ”. 이와나미 서점 (2019년). 2024년 3월 29일 시점의 오리지널 보다 아카이브. 2024년 3월 29일에 확인함.
  4.  쿠로키 료 (2023년 1월 20일). “ 13년간 300권 이상 출판!공전의 속필 작가·카지야마 계지의 질주 인생 활사 2024년 3월 28일 시점의 오리지널 보다 아카이브. 2024년 3월 29일에 확인함.
  5.  도면 마사량(2023년 5월 2일). “오시타 에이지 씨 근저 “마지막 무뢰파 작가 카야마 시게유키” 파란과 빛 은사 45년의 생애” . 히로시마 평화 미디어 센터 . 중국 신문사 . 2024년 3월 29 일 시점의 오리지널 보다 아카이브 .
  6.  카지야마 시게유키는 비듬(도망치는 것이 자랑이라고 한다)|분춘 사진관| 「분예 춘추
  7.  「철저 취재 작가와 쇼와전 후사 카지야마 시게유키씨의 『문학・술・여자』를 말하는 5명의 알몸의 증언 『인생은 오××다아』라고 외쳐 장절하게 살았던 행동파 작가의 45년의 숨겨진 궤적」 『주간 포스트』 1975년 5월 30 일호 ,
  8.  고기 히로유키 「흐르는 날들」연재 10434회 「기억의 모호함에 대해 <3>」 2018/06/20 공개
  9.  「경성락 제점 중학 입학에 분기, 맹공부」나의 이력서 나리타 유타카 ③ 일본 경제 신문 2008년 8월 3일)
  10.  「1억엔의 접대비」 「코끼리 1마리 600만엔」 「하드 보일드인 파이프 컷」…
  11.  야마시타 승리 「애녀에 대한 애절한 유서에 본다"괴물 작가"카야마 계지의 모습"『주간 아사히』1975년 5월 30일호, 아사히 신문사 , 142-143쪽.
  12.  세키카와 나츠오「카야마 시게유키와 타네무라 시게히로」 「여배우 남배우」후타바샤 , 2003년, ISBN 457529523X , 247-254페이지
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  16.  한일영화사에서 잊혀진 작품 | 한국문화 | 뉴스 | 동양경제일보
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  24.  「흑의 시주차」권말 해설(이와나미 현대 문고, 2007년) 등
  25.  '소설현대' 1965년 7월
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  27.  「여성 세븐」연재시는 「채찍과 장화」개제.
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  30.  데비 부인과 "언론의 자유" - BLOGOS (Internet Archive)
  31.  사다카 노부「경제 소설을 읽는 방법」광분사 2004 년
  32.  536화 밤 '세도리 남작 수기담' 카지야마 시게유키
  33.  【적자의 일】 「챠토리」… 인터넷 경매에서도 친숙한 것은 이렇게
  34.  책과의 만남, 여름 페어 다채로운 AKB, 1인 1권 감상문
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  40.  긴자의 문단 바, 쇼와의 향기 건재 작가들 모임 이야기 반세기 (Internet Archive)
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  43.  마지막 무뢰파 작가 카지야마 시게유키
  44.  주간 산케이」임시 증간 1975년 11월 1일호 「우승하면 게이샤의 총 튀김 서비스라고 하는 남편」
  45.  주호로 알려진 “카프를 우승시키는 모임”발기인 사사키 히사코 ”. 전설의 기자 코마씨의 칼럼 2017년 7월 20일호 . 프레스넷. 2020년 9월 13일 열람.
  46.  모리무라 세이이치 「해설」(『밤의 배당』 카도카와 문고 1979년)
  47.  그 사람의 모습 | 모리무라 세이이치 (작가) × 이케가미 후유키 (문예 평론가) (Internet Archive)
  48.  삶을 걸고 전쟁 반대를 관철하는 모리무라 세이이치의 원점 |
  49.  다케나카노『무뢰의 점귀부』 쓰 쿠마 서방 2007년, ISBN 4480422854 , 29-37면
  50.  아오지 토모 「카지야마 시게유키와 논픽션 클럽」
  51.  다카하시 고로 “해설”(야마구치 히토미 “남성 자신 영웅의 죽음” 신시오 문고 1987년)

참고문헌

  • 「별책 신평 카지야마 계지의 세계 추도 특집호」신평사 1975년 여름호
  • 하시모토 켄오「카야마 계지 20세기의 군상 1」일본 경제평론사 1997년
  • 카지야마 미나에 편 「적란운-카지야마 시게유키 그 궤적과 주변」 계절사 1998년
  • 카지야마 시노유키 자료실 「카야마 시게유키와 월간 「소문」」 마츠노샤 2007년

평판

  • 편 『시대를 선취한 작가 카지야마 시게유키를 지금 재검토한다』 중국 신문사, 2007년. 몰후 33년 기념사업
  • 오시타 에이지『마지막 무뢰파 작가 카지야마 시게유키』 사쿠라사, 2022년

관련 항목

외부 링크

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Toshiyuki Kajiyama

From Wikipedia, the free encyclopedia
Toshiyuki Kajiyama
Kajiyama Toshiyuki
Born2 January 1930
Seoul, Korea
Died11 May 1975 (aged 45)
Occupations
  • Novelist
  • essayist
  • journalist
Writing career
GenresMystery novel, spy novel, historical novel, erotic novel

Toshiyuki Kajiyama (梶山 季之, Kajiyama Toshiyuki; 2 January 1930 – 11 May 1975) was a Japanese novelist, essayist and journalist active during the Shōwa period of Japan.

Early life

Kajiyama was born in Keijo (present day Seoul) in Japanese-occupied Korea, where his father was a civil engineer. He lived in Korea to the end of World War II, when he was repatriated together with his parents to his father's home town of Hatsukaichi in Hiroshima Prefecture. He was a graduate of the Hiroshima Higher Normal School (the predecessor to Hiroshima University). After graduation, he worked as an investigative reporter, and submitted short stories and small articles to literary magazines such as Shukan Shincho and Shūkan Bunshun. In 1961, Kajiyama was hospitalized with tuberculosis for three months.

Literary career

In 1962, Kajiyama published his first novel, Kuro no shis ōsha ("The Black Test Model"), which he wrote in a documentary style. The novel was an all-time bestseller in Japan for several years, and started the genre of the industrial espionage novel in Japan. The story involves two motor companies vying to produce a new sports car. The intense competition in the Japanese automobile industry causes the companies to resort to industrial espionage to gain an advantage. The protagonist of the story even sacrifices his girlfriend in order to beat the other company. However, eventually he realizes the futility of sacrificing his personal life for the uncaring corporation, which regards him as only a disposable cog in a huge machine. The novel was made into a film by Daiei Motion Picture Company in 1962, Black Test Car, directed by Yasuzo Masumura. Its success was such that Daiei subsequently released ten more thriller-action films with similar themes, each using the word "black" in its title. Kajiyama also followed up on the novel's success with a number of bestsellers, including a series of "police woman novels" which were serialized in the Shukan Shincho magazine in 1966. By 1969, he was one of the highest paid authors in Japan. However, in 1972, he had a relapse of his tuberculosis, and retired to his villa in Izu, from which he continued to write, and to participate in the activities of the Japanese chapter of the PEN International.

However, few of Kajiyama's popular novels have been translated into English, and he is known more in the West for his works on Korea under Japanese rule. Kajiyama was awarded the prestigious Naoki Prize in 1963 for a work on Korea, The Remembered Shadow of the Yi Dynasty (Richō zan'ei).

In 1965 he began serializing a novel about Soka Gakkai, but a flood of complaints from Soka Gakkai supporters caused the editor of the magazine so much stress that he went missing; the series was never completed.

Kajiyama died suddenly of cirrhosis of the liver while at a hotel in Hong Kong, where he was researching materials for a new book.

After his death, his library was donated to the University of Hawaiʻi at Mānoa. Because of his background, Kajiyama was attracted both to the culture and people of Korea and the question of Japanese overseas migration. He collected more than 1,000 volumes of materials, some of which were classified documents of the Governor-General of Chōsen in preparation of an epic on the history of Japanese migration, but the project was never completed due to his untimely early death.

Selected works

  • 1961: The Clan Records (Zokufu)
  • 1962: Kuro no shis ōsha
  • 1962: Akai daiya
  • 1963: The Remembered Shadow of the Yi Dynasty (Richō zan'ei)

See also

Bibliography

  • Kajiyama, Toshiyuki (1995). "The Clan Records, Seeking Life amidst Death: The Last Day of the War, When the Hibiscus Blooms, The Remembered Shadow of the Yi Dynasty, A Crane on a Dunghill: Seoul in 1936". The Clan Records: Five Stories of Korea. Translated by Dykstra, Yoshiko. University of Hawai'i Press. ISBN 0-8248-1532-7.
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카지야마 토시유키

최근 수정 시각:
1. 개요2. 생애3. 특징4. 기타

1. 개요[편집]

梶山季之

일본소설가. 기업소설에서부터 추리소설에 에로물 성향의 소설들까지 오가며 온갖 작품을 써내기로 유명한 인물. 오야부 하루히코처럼 한국의 서울특별시 태생이다.

2. 생애[편집]

1930년경성부(현 서울특별시)에서 태어났으며 어린 시절부터 작가가 될 운명을 타고 났는지 초등학생 때 자기가 직접 쓴 공상과학소설을 반 아이들에게 직접 읽어주기도 했다는 일화가 전해진다. 1942년에 경성중학교(오늘날의 서울고등학교)에 입학했다가 일본이 패망하면서 아버지의 고향으로 돌아갔다. 중학교를 거쳐 히로시마고등사범학교(현 히로시마대학)의 국어교육과에 입학했는데 여기서도 문학 동인 활동에 열심이었다고 한다.

학교를 졸업하고 요코하마 쓰루시공업고등학교에서 국어교사를 하면서 찻집을 같이 경영했지만 더 중요하게 생각한 것은 역시 소설로 결국 1958년에 교사와 찻집 경영을 모두 접고 자유 기고가로 활동했다. 한편으로 필명을 달리해 청소년 대상 모험소설을 집필하기도 했는데 꽤나 인기가 있었다고 한다. 또한 다른 편으론 라디오 드라마의 각본가로도 활동했는데 이런 다양한 집필 경험이 인기작가의 밑바탕이 되었다고 할 수 있을 듯하다.

1961년, 결핵을 앓아 한동안 모든 활동을 중단한 후 본격적으로 소설가로 변신을 꾀했다. 당시 일본은 고도성장기로 기업활동에 대한 관심이 높다는 점을 착안해서 기업소설을 집필했는데 대박을 쳤다. 많은 취재를 바탕으로 해서 기업간 암투와 이면을 다룬 소설을 쓰는 한편, 주인공이 기업에서 성공을 거듭하면서 여자들과 떡질도 가득한 내용들로 남자의 로망을 대리만족 시켜준 소설로 큰 인기를 끌었다. 즉 시마 과장 스타일의 원조. 그리고 카지야마 토시유키의 이런 기업소설들은 알게 모르게 대한민국에 들어와 상당한 인기도 얻었다.

그뿐만 아니라 소설 내 성묘사도 꽤나 세게 나갔으며, 작품활동 후반기에 아예 에로 중심으로 쓴 소설들은 일본 내에서도 너무 나갔다고 말이 많을 정도였다고 한다. 1966년에 집필한 <여자경찰>은 너무 수위가 높았던 탓인지 주간 신초 편집장과 함께 음란물 유포혐의로 약식기소되어 벌금 5만 엔을 물기도 했다.

다작으로도 이름을 날렸는데, 한참 죽어라 쓰던 시절에는 주간지 연재만 6개, 거기다 신문 연재가 둘, 또 월간지 연재 2개, 그것도 모자라 소설 전문지에도 연재를 하는 짓을 벌였으며, 그러면서 매달 원고지 1천 장에서 1천2백 장 분량을 써냈다고 한다. 이틀 사이에 252장을 썼다는 말도 있는데 더 골때리는 건 일본의 원고지는 200자 원고지가 아니라 400자 원고지란 것. 즉 한국 기준으로 치면 한 달에 원고지 2000장 분량을 써내는 미친 짓을 한 격.

이렇게나 글을 썼던 건 그만큼 씀씀이가 헤퍼서였다는 말도 있다. 알아주는 호색한이라 여자들 있는 술집 가서 쓰는 돈이 엄청났다나. 또한 도박에도 미쳐서 시바타 렌자부로(柴田鍊三郞)에게 거액의 도박빚을 진 걸 탕감받겠다고 공식석상에서 변태적인 발언도 서슴지 않았다고 한다.(...)

결국 저렇게 살다보니 몸이 축나는 게 당연했던 모양. 죽기 3년 전인 1972년에 전에 앓았던 결핵이 재발해 요양하기도 했지만 너무 과로한 생활과 술과 여자를 밝히는 생활 스타일을 버리지는 못했다. 1975년 작가 자신의 필생의 주제들을 다 담아내려던 소설 <적란운>과 관련해서 취재차 홍콩으로 갔다가 피를 토하고 쓰러지더니 불과 45세로 타계했다.

3. 특징[편집]

생전의 카지야마가 소설들 중 히트친 대중 통속소설들과는 달리 아이러니하게도 이 소설가가 필생의 주제로 삼았던 건 조선, 원폭, 이민이라는 세 가지 소재였다.

조선이란 주제는 조선에서 태어났고 자라나는 동안 그가 본 식민지 시대 조선인들의 아픔을 1963년에 발매한 단편집 《이조잔영李朝残影》에 담았다.[1]《이조잔영》은 나오키상 후보에 오를 정도로 작품성을 인정받았고 신상옥 감독이 1967년 영화화했다.


《이조잔영》에 실린 단편 중 <족보>를 1978년 임권택 감독이 영화화했다. 제목은 동일하게 족보


영화를 본 사람들 중에선 이 영화들의 원작을 일본인이 썼다는 사실을 알고 놀라는 이들도 많다. 어색함을 전혀 느낄 수 없을 정도로 한국인의 정서를 그대로 담았다. 족보와 이조잔영으로 '카지야마 토시유키'라는 소설가를 알게 된 사람들은 그 이름으로 소설들을 찾아보다가 그 사람이 바로 떡치는 내용으로 기업소설을 쓴 사람이란 걸 알고 또다시 뜨억하며 놀란다고 한다. 또한 권희로 사건을 소재로 한 <나는 반도인俺は半島人>[2]도 썼는데, 영화 김의 전쟁을 비롯한 권희로를 호의적으로 바라보는 시각은 대개 저 소설에서 시작된 게 많다.

아버지 고향이 히로시마현이었던 탓에 조선에서 돌아와서 히로시마 원폭의 처참한 광경에 깊은 충격을 받았고 쓴 글이 후에 나온 "홀린 여자", "케로이드 심중" 같은 작품들이다. 그러나 원폭피해자 단체들은 이 소설들이 원폭 피해자들을 차별한다고 비판했고 카지야마는 실화를 바탕으로 쓴 것이라고 해명했다. 후에 카지야마 사후에 그의 지인이 "원폭 재해 자료 총목록"을 간행할 때 자금지원을 했다는 사실이 드러나기도 했다. 이민은 어머니가 하와이 이민자 출신이라는 것이 큰 영향을 미쳤다.

이 필생의 세 주제를 모두 엮어서 집필하려 한 소설이 "적란운"인데 그의 사망으로 인해 집필되지는 못했다. 주간 신쵸에 10년간 원고지 1만 2천 매 분량으로 연재될 예정이었지만... 서두 부분에 해당되는 원고지 약 30매 분량만 썼다고 한다.

의외로 저널리스트로도 활동했다. 몇몇 기사나 논픽션은 사회적으로 반향을 일으켰을 정도. 특히 방위청의 미일공동 실전계획등을 취재한 것 때문에 일본 정부에 찍혀서 음란물 유포로 약식기소되었다는 소문도 있었을 정도다. 저널리스트로서 취재하며 보고 겪은 일 들이 수많은 기업소설 등 통속소설들의 집필에 중요한 역할을 했던 듯하다.

그가 죽었을 때 그의 관에 들어간 것은 원고지와 몽블랑 만년필, 그리고 <이조잔영(李朝残影)>이었다고 한다.

4. 기타[편집]

  • '족보'와 '이조잔영'을 비롯한 식민지 조선 관련 9편의 중단편을 모아 번역한 "경성이여, 안녕"이 2021년에 출간되었다. #
[1] 단편집에 실린 글 중에서도 책 제목과 동일한 <이조잔영李朝残影>, 그리고 <족보族譜>가 대표적이다.[2] 1969년 발매한 《경성 쇼와11년(京城昭和十一年)》에 실렸다. 쇼와 11년은 1936년.
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