朝鮮紀行
| 『朝鮮紀行』 (ちょうせんきこう) Korea and Her Neighbours | ||
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| 著者 | イザベラ・バード | |
| 訳者 | 朴尚得、時岡敬子、工藤重雄 | |
| 発行日 | ||
| 発行元 | ||
| ジャンル | 旅行記 | |
| 国 | ||
| 言語 | 英語 | |
| コード | ISBN 4-582-80572-8 ISBN 4-582-80573-6 ISBN 4-8099-0724-4 ISBN 4-06-159340-4 ISBN 978-4-8447-0011-1 ISBN 978-4-256-80572-5 ISBN 978-4-256-80573-2 | |
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『朝鮮紀行』(ちょうせんきこう、Korea and Her Neighbours)はイザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)を訪れた旅行の記録。当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料である。
概要
釜山の印象
日本探索を終えてから、日本経由で釜山に上陸したバードは、高台にある外国人居留地の周りの杉林が1592年からの文禄・慶長の役の際に日本の豊臣秀吉軍による植林によるものと記し、また釜山の旧市街が同じく文禄・慶長の役の占領の際に、日本人によって手がけられたと記している(「砦はとても古いものの、中の市街は三世紀前の構想に沿って日本人の手によって近代化されている」[1])。
狭くて汚い通りを形づくっていて、骨組みに土を塗って建てた低い上に窓がなく、屋根はわらぶきで軒が深く、どの壁にも地面から2フィートのところに黒い排煙用の穴があるあばら家の外側にはたいがい不規則な形の溝が掘ってあり、固体および液体のごみがたまっているために釜山は朝鮮の中でもみすぼらしいところなのだろうと思ったが、それらは朝鮮の街で一般的であることを後の体験で知ったと述べている[2]。
朝鮮の町並みとソウルの悪臭
バードは本書の中で、ソウル、条約港、幹線道路の周辺のはげ山は非常に目につき、儒教の影響で国内で見下されている手工業は不振で美術工芸は何もなく、国土の有様に関しても不幸な未来を抱かせると述べている。朝鮮半島南部の大部分は、墓地理由を除き皆無であったと記している。1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している[3]。また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。道といっても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」、小川というか下水というか水路について、「蓋のない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川底に堆積した排泄物やごみの間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」と記している[4]。1660年~1864年の間に死亡者が多数発生した疫病は79回あるとして、このうち一回で10万人以上が死亡した場合は6回もあったと不衛生さを述べている。また、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚いた。孔子廟と碑を除くと公認の寺院がひとつもなく、城内に僧侶が入ると死刑に処せられかねないため、清や日本ならどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとしている[5]。他方、金剛山の長安寺では「天国にいるような心地の二日間」を過ごすことができたと賞賛している[6][7]。
日清戦争後のソウル環境改善の印象
バードによると、ワシントンで市政運営について学んだ知性と手腕の市長(漢城府伴尹)李采淵が、1897年から税関長マクレヴィ・ブラウンの提案のもとに、市内環境改善を行なっており、「不潔さでならぶもののなかったソウルは、いまや極東で一番清潔な都市に変わろうとしている!(講談社学術文庫版p545)」「路地には悪臭が漂い、冬にはあらゆる汚物が堆積し、くるぶしまで汚泥に埋まるほど道のぬかるんでいた不潔きまわりない旧ソウルは、みるみる地表から姿を消そうとしている(同頁)」と記載し、改善点を具体的に列挙し、「首都修復は朝鮮式の法則に従ったもので、西洋化されているのではないことを念頭に置かなければならない(同p546)」と記している。その結果、ソウルの街並み環境は著しく改善し、バードは、1894年当時そのままの姿の残るスラムを写真に撮ろうとしたが、「そんな場所はどこにも見つからなかった」と記載する程の改善を見せた(同p546)。
乙未事変
1895年10月、乙未事変の一報に接すると、閔妃に愛情を抱いていたバードは、日本の当局の妨害をものともせず、漢城に向かう。これが3度目の朝鮮訪問となった。約2か月漢城に滞在し、閔氏殺害について子細に記録した。事件について「野蛮な殺害」、「乱暴な暗殺」、「悪魔的な殺害」と表現し、この流血の所業がソウル駐在日本公使館の手になる野蛮なクーデターであることを記載している首謀者の三浦梧楼と配下の蛮行とされている。
同族統治と他族統治下での朝鮮人の違い
また、ロシア国境部の沿海州ではロシアの影響により近代化が進んでおり、水路が整備され、衛生にも配慮され、そこに住む朝鮮人の家屋は朝鮮半島のものより立派、彼らは大半が飢饉から逃げだしてきた飢えた人々だっだと記述した上で、「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた」と朝鮮半島での朝鮮人たちと違う沿海州の朝鮮人でその考えを大いに修正しなければならなくなったことを明かした。朝鮮中の誰もが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食を賄う以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているのだと分析している。沿海州の朝鮮人の裕福さや品行のよさから「朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みをわたしにいだかせる」と朝鮮半島が他国の統治を受ければ半島の人々も沿海州の朝鮮人になることが可能であることとしている[9]。
イザベルは国王が事実上朝鮮政府そのものになっていて、憲法がなく議会も存在しないのである以上、国王の公布した勅令以外に法律はないことにある。朝鮮半島の朝鮮人が豊かになるためには2つの条件が不可欠であるとして 、「朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない」、「(王制を残すなら)国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」と結論づけている[10]。
朝鮮の農業・畜産業
バードによると日本人の細かなところにも目のいく几帳面さや清国人の手の込んだ倹約ぶりに比べると、朝鮮人の農業は無駄が多くてしまりがないと述べている[11]。
李氏朝鮮における宗教
バードによると朝鮮の都市には寺院や聖職者の姿がない。家々には神棚がなく、 村祭りには神輿もなければ、偶像を運ぶ行列もなく、婚礼や葬儀では聖職者が祝福をしたり冥福を祈ったりすることがない。朝鮮の仏教は日本の大きな仏教改革派の特色である正義を求める崇高な目的や向上心は何も見られないとして、朝鮮の修行僧たちはひどく無学で迷信深く、 自ら信仰している宗教の歴史や教義についてほとんど何も知らなかったと記している。 大半の修行僧からバードが受けた印象は、彼らは何の意味もなく宗教的な儀式や作業を行っており、何人かの例外を除いて、信仰を持っていないというものであった。 実際に朝鮮人からも僧たちは放蕩者だと考えられていて見下されていた[12]。
李氏朝鮮の両班・官僚・刑罰・民族性
朝鮮には実質階級が盗む側と盗まれる側の2つであり、両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4をゆうに占める非貴族は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となっていた。宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた[13]。
朝鮮の官僚については、日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していたとし、堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかったと述べている。朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底もないほどの腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食い物にする権利だけは存続していた[14]。
バードは朝鮮の災いとして、両班を上げている。彼らは自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、両班に求められるのは究極の無能さ加減として、従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない[15]。酔っぱらいが美名となることは朝鮮の特徴であり、酔っぱらって正気を失うまで酒を飲んだとしても、恥とはみなされない。食事が終わるころには酔いつぶれて床に寝転がっていても、地位を失うことはなく、酔いがさめれば、贅沢ができるほどゆとりがあるのはすばらしいと賛辞を受ける[16]。
朝鮮人の処罰方法が独特であり、役所の雑卒が罪人を殺傷する。 罪人が苦痛に叫ぶ声は近くのイギリス伝導館の中にまで聞こえてきたと記している[17]。また、身分制度に関して、両班は究極に無能であり、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪っているとしている。両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」と「盗まれる側」の二つの身分しかないと述べている。 貯金をしていると近所の人に告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってきて、貸せば元金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる[18]。「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた」と思わせていた朝鮮の不治の病は、「何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている」として、人の親切につけこむ体質にあり、たかることをなんら恥とせずに、非難する世論もないことだとしている。朝鮮ではある程度の収入のある男は、多数の自分の親族と妻の親族、更には自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならなかった。人々は多額のメリットある官職に就こうとし、職位は商品として売買されていた[19]。
男尊女卑・教育
漢江沿いの村々には私塾があり、生徒は文人階級の子弟に限られ、学習するのは漢文のみで、 これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足がかりとなっていた。ハングルは軽蔑されて使用されていなかった。 イザベラは朝鮮人を外国語をたちまち習得してしまい、清国人や日本人より流暢にまたずっと優秀なアクセントで話すと呑み込みが早く、その理解の速さと明敏さがあると高評価した一方、猜疑心・狡猾さ・不誠実さがあり、男同士の信頼はないと述べている。朝鮮半島にいる朝鮮人に蔓延している狭量、マンネリズム、慢心、尊大、 手仕事を蔑視する誤ったプライド、 寛容な公共心や社会的信頼を破壊する自己中心の個人主義、2000年前からの慣習と伝統に隷属した思考と行動、知識に関する視野の狭さ、浅薄な倫理観、女性蔑視と言ったものは朝鮮の教育制度の産物 と結論づけている[20]。
7歳で男女別々になり、女子は厳しく奥にこもらされて結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性とは全く会えなくなる。婚期を逃した朝鮮の未婚女性は、尼寺に追いやられてしまう。 7歳の時から父親の家の内庭で外界とは一切の接触なしに育った朝鮮女性は、17歳頃義父の家に移され、完全に家から出ない。出生時から息子の方が家での格が上であり、先祖の祭祀を中心とする男子単系血族集団である宗教の称号であった「姓」にも入れてもらえず、息子が結婚して嫁の手助けを得るまでは一人で朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった。女性の中では、出産した女性のみが許される胸を出した格好(乳出しチョゴリ)こそ一人前扱いされた。実家の両親から出生してすぐに授かった名前は結婚後には使われなくなり、花嫁は「○○の奥さん」や「○○のお母さん」としか呼ばれなくなる。 夫は妻をヨボと呼ぶが、これは朝鮮語で「こちらを見よ」という意味であり、夫に対する妻の明確な男尊女卑の上下関係を示唆している。沈黙は妻の務めの第一と考えられていて、 結婚式の日は特に花嫁は終日彫像のごとく無言でいなければならないと決まっていた。義実家で反抗した非貴族階層の女の場合、厳しく打ちすえられて命令に従わされた[21]。
朝鮮の非貴族女性について、「粗野で礼儀を知らず、日本の同じ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそ程遠い 」として、着ている白い服は茶色く汚れていて、夜遅くまで休みなく洗濯するのは自分たちでも、綺麗な服を着るのは男の専売特許と考えているみたいだとしている。名誉殺人があり、故意と偶然に関わらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親、妻は夫に殺され、更には自害する女性すらいた。女性で教育を受けることが出来るのは妓生(キーセン)のみであった。大事な賓客をもてなす伎生は客と同じレベルの話題についていけるように、国の運営する養成学校で歌舞などとあわせて教育を受けた。伎生を除く女向けの教育機関はなく、上流階級の女性は文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は1000にひとりと記している。朝鮮の女性は白丁という最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの夫人は家の奥に押し込められていて、住んでる街並さえも見たことがない人が多いと述べている。朝鮮人には家はあっても家庭はないとし、夫婦は別個に暮らし、社交や家の外の関心事と言った共通の絆が夫婦にない。 夫の遊興の仲間や相手は、同性の友人知人や伎生、その夫婦関係はある朝鮮人紳士がバードに語った「結婚するのは妻、惚れているのは妾」という簡潔な言葉に要約されると結論づけている[22]。
翻訳
日本語訳は、1993年(平成5年)から1994年(平成6年)に朴尚得訳が、平凡社東洋文庫 全2巻で出版された。
時岡敬子訳が、1995年(平成7年)に図書出版社で、1998年(平成10年)に講談社学術文庫で改訂再刊された。※は電子書籍版も刊行。
なお戦前の1925年(大正14年)に、抄訳版が『三十年前の朝鮮』の題で出版され復刻再刊もある。
- イサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』 1巻、朴尚得訳、平凡社〈東洋文庫572〉、1993年12月。ISBN 4-582-80572-8。※
- イサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』 2巻、朴尚得訳、平凡社〈東洋文庫573〉、1994年1月。ISBN 4-582-80573-6。※
- イサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』 1巻、朴尚得訳、平凡社〈ワイド版東洋文庫572〉、2009年9月。ISBN 978-4-256-80572-5。
- イサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』 2巻、朴尚得訳、平凡社〈ワイド版東洋文庫573〉、2009年9月。ISBN 978-4-256-80573-2。
- イザベラ・ビショップ『朝鮮紀行』時岡敬子訳、図書出版社〈海外旅行選書〉、1994年1月。ISBN 4-8099-0724-4。
- イザベラ・バード『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』時岡敬子訳、講談社学術文庫、1998年8月。ISBN 4-06-159340-4。※
- バード・ビショップ 編『三十年前の朝鮮』工藤重雄訳(復刻版)、龍溪書舎〈韓国併合史研究資料66〉、2008年1月。ISBN 978-4-8447-0011-1。抄訳版、東亜経済時報社(1925年)版を復刻。国立国会図書館デジタル化資料
原著(新版)
- Isabella Lucy Bird (May 24, 2004). Korea and Her Neighbours: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country. Adamant Media Corporation. ISBN 14021-44970
- Isabella Lucy Bird (December 17, 2008). Korea and Her Neighbours. Slusser Press. ISBN 14437-85075
- Isabella Lucy Bird (March 8, 2012). Korea and her Neighbours 2 Volume Set: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country. Cambridge University Press. ISBN 978-1108045773
脚注
- バード、時岡 1998、39-40頁。
- バード、時岡 1998 22頁
- バード、時岡 1998、58-60頁。
- バード、時岡 1998、169-170頁。
- バード、時岡 1998、84-85頁。
- バード、時岡 1998、11章。
- のりまき (2004年5月5日). “19世紀末〜日本植民地時代の長安寺について”. norihuto.com. 2012年2月25日閲覧。
- バード、時岡 1998、93-94頁、「南漢江旅行に際して」。
- バード、時岡 1998、305-307頁、「第十九章 朝鮮の国境」。
- バード、時岡 1998 563頁
- バード、時岡 1998 166頁
- バード、時岡 1998 148頁
- バード、時岡 1998 558頁
- バード、時岡 1998 56頁
- バード、時岡 1998 137頁
- バード、時岡 1998 125頁
- バード、時岡 1998 29頁
- バード、時岡 1998 433頁
- バード、時岡 1998 556頁
- バード、時岡 1998 406頁
- バード、時岡 1998 120頁
- バード、時岡 1998 439頁
関連項目
- カナダのジャーナリストで『朝鮮の悲劇』(平凡社東洋文庫)を著す
外部リンク
- Korea and her neighbors; a narrative of travel, with an account of the recent vicissitudes and present position of the country 原文(英語)
- 4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮 - ウェイバックマシン(2001年1月24日アーカイブ分) - 講談社学術文庫版『朝鮮紀行』からの引用が掲載されている。
- en:Isabella Lucy Bird (1898), Korea and Her Neighbours: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country - Google ブックス
- バードの朝鮮における旅のルート、写真など スコットランド国立図書館
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| 『조선기행』 (초선키코) Korea and Her Neighbours | ||
|---|---|---|
| 저자 | 이사벨라 버드 | |
| 역자 | 박상득 , 토키오카 케이코 , 쿠도 시게오 | |
| 발행일 | ||
| 게시자 | ||
| 장르 | 여행기 | |
| 국가 | ||
| 언어 | 영어 | |
| 코드 | ISBN 4-582-80572-8 ISBN 4-582-80573-6 ISBN 4-8099-0724-4 ISBN 4-06-159340-4 ISBN 978-4-8447-0011-1 ISBN 978-4 978-4-256-80573-2 | |
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『조선기행』(조선기코, Korea and Her Neighbours )은 이사벨라 버드 가 1894년 (메이지 27년)부터 1897년 (메이지 30년)에 걸쳐 4번에 걸쳐 최말기 이씨 조선 ( 조선왕조 )을 방문한 여행 기록. 당시 조선의 풍속, 사회, 정치정세 등을 알 수 있는 역사적 자료이다.
개요
부산의 인상
일본 탐색을 마치고 나서, 일본 경유로 부산에 상륙한 버드는, 고대에 있는 외국인 거류지 주위의 스기린이 1592년부터의 문록·경장 의 역시 일본의 도요토미 히데요시 군에 의한 식림에 의한 것이라고 적고, 또 가마솥 산의 구시가가 같이 문록·경장의 역 의 점령 때에, 일본인에 의해서 다루어졌다고 기록하고 있다(「요새는 매우 낡았지만, 안의 시가는 3세기전의 구상에 따라 일본인의 손에 의해 근대화되고 있다」[ 1 ] ).
좁고 더러운 거리를 형성하고 있어, 골조에 흙을 바르고 세운 낮은 위에 창이 없고, 지붕은 짚으로 처마가 깊고, 어느 벽에도 지면으로부터 2 피트의 곳에 검은 배연용의 구멍이 있는 아바라가의 외측에는 대단히 불규칙 법칙적인 형태의 홈이 파고 있었고, 고체 및 액체의 쓰레기가 쌓여 있기 때문에 부산은 조선 가운데서도 초라한 곳일 것이라고 생각했지만, 그들은 조선의 거리에서 일반적인 것을 나중의 체험에서 알았다고 말했다 [ 2 ] .
조선의 거리와 서울의 악취
버드는 이 책에서 서울, 조약항, 간선도로 주변의 대머리산은 매우 눈에 띄며 유교의 영향으로 국내에서 내려다보이는 수공업은 부진하고 미술공예는 아무것도 없고, 국토의 유양에 관해서도 불행한 미래를 안게 한다고 말하고 있다. 한반도 남부의 대부분은 묘지 이유를 제외하고 전무했다고 적고 있다. 1894년 방문시 서울 에 관해서, 길은 소가 틀리지 않을 정도로 가늘고 미로인 것 같고, 집에서 나온 오물에 의해 악취가 심해, 베이징을 볼 때까지 “서울 여기 세상에서 가장 불 깨끗한 마을 '이라며 ' 소흥에 갈 때까지 서울의 악취가 세상에서 가장 끔찍한 냄새' 3 ] . 또, 인공의 길이나 다리도 적고, 「있어도 여름에는 흙먼지가 두껍고, 겨울에는 따뜻함, 하지 않는 경우는 울퉁불퉁한 지면과, 튀어나온 바위 위를 곳곳이 다니고 있다. 길이라고 해도 짐승이나 인간의 통행으로 아무래도 식별 가능한 정도에 있던 통로에 지나지 않는다", 개울이라든지 하수라고 하는지 수로에 대해서, "뚜껑이 없는 넓은 수로를 어둡고 어지러운 물이, 한때는 자갈이었던 강바닥에 퇴적한 배설물이나 쓰레기 사이를 악취를 풍기면서 천천히 흘러 간다"라고 적고 있다 [ 4 ] . 1660년~1864년 사이에 사망자가 다수 발생한 역병은 79회 있다고 하며, 이 중 한 번에 10만명 이상이 사망한 경우에는 6회나 있었다고 불위생을 말했다. 또 서울에는 예술품은 전혀 없고 고대 유적도 작고 공원도 없으면 드문 예외를 제외하면 볼 이벤트도 극장도 없고 구적도 도서관도 문헌도 없고 종교에 무관심했기 때문에 사원도 없고 미신이 영향력을 갖기 때문에 묘지도 없다고 놀랐다. 공자묘와 비를 제외하면 공인의 사원이 하나도 없고, 성내에 스님이 들어가면 사형에 처할 수 있기 때문에, 청이나 일본이라면 어떤 초라한 마을에 있는 당당한 종교 건축물이 주는 박력이 서울에는 없다고 한다 [ 5 ] . 한편, 금강산의 장안사에서는 「천국에 있는 것 같은 기분의 이틀간」을 보낼 수 있었다고 칭찬하고 있다 [ 6 ] [ 7 ] .
화폐 · 통화 의 유통에 대해서는, 은행이 마을에 없다고 기록하고 있으며, 또 일본의 엔이 서울과 조약항에서 통용한 것을 기록하고 있다 [ 8 ] .
닛신 전쟁 후 서울 환경 개선 인상
버드에 따르면, 워싱턴에서 시정 운영에 대해 배운 지성과 수완의 시장(한성부 반윤) 이구연이, 1897년부터 세관장 맥클레비·브라운의 제안하에, 시내 환경개 선을 행하고 있어, 「불결함이 되지 않는 서울은, 지금 극동에서 제일 청결한 도시로 바꾸려고 하고 있다!(코단샤 학술 문고판 p545)」 「골목에는 악취가 감돌다 , 겨울에는 모든 오물이 퇴적해, 빙글빙글 슬러지에 묻힐 정도로 길의 따뜻하고 있던 불결한 구 서울은, 미루미루 지표로부터 모습을 지우려고 하고 있다(동 페이지)”라고 기재 하고 개선점을 구체적으로 열거하고 “수도 복구는 조선식의 법칙에 따른 것으로 서양화되고 있는 것이 아니라는 것을 염두에 두어야 한다(동 p546)”라고 적고 있다. 그 결과 서울의 거리 풍경은 현저하게 개선되었고, 버드는 1894년 당시 그대로의 모습이 남아 있는 슬램을 사진에 찍으려고 했지만 “그런 장소는 어디에도 발견되지 않았다”고 기재할 정도의 개선을 보였다(동 p546).
을미 사변
1895년 10월, 을미사변 의 일보에 접하면, 민비 에 애정을 안고 있던 버드는, 일본의 당국의 방해를 초래하지 않고, 한성으로 향한다. 이것이 세 번째 조선 방문이 되었다. 약 2개월간 한성에 머물며 민씨 살해에 대해 자세하게 기록했다. 사건에 대해 '야만적인 살해', '난폭한 암살', '악마적인 살해'라고 표현해 이 유혈 소업이 서울 주재 일본 공사관의 손이 되는 야만적인 쿠데타임을 기재하고 있는 수모자의 미우라 유로 와 부하의 만행으로 여겨지고 있다.
동족통치와 타족통치 하에서의 조선인의 차이
또한 러시아 국경부의 연해주 에서는 러시아의 영향으로 근대화가 진행되고 있어 수로가 정비되어 위생에도 배려되어 거기에 사는 조선인의 가옥은 한반도의 것보다 훌륭한, 그들은 대부분이 기근에서 도망쳐 온 굶주린 사람들이라고 설명 그러고 나서 “조선에 있을 때 저는 조선인이라는 쓰레기 같은 민족으로 그 상태는 원치 않는다고 생각하고 있었다”고 한반도에서의 조선인들과는 다른 연해주의 조선인에서 그 생각을 크게 수정해야 했다는 것을 밝혔다. 조선중의 누구나가 가난함은 자신의 최선의 방위 수단이며, 자신과 그 가족의 의식을 붐비는 것 이상의 것을 가지면, 욕심으로 부패한 관료에게 빼앗겨 버리는 것을 알고 있다고 분석하고 있다. 연해주의 조선인의 부유함과 품행이 좋기 때문에 “조선 본국에서도 진지한 행정과 수입의 보호만 있으면 사람들은 서서히 온화한 인간이 될 수 있을까 하는 소망을 내게 주겠다”고 한반도가 다른 나라의 통치를 받는다면 반도 사람들 도 ] .
이사벨은 국왕이 사실상 조선정부 그 자체가 되어 있어 헌법이 없고 의회도 존재하지 않는 것 이상으로 국왕의 공포한 칙령 이외에 법률이 없는 것에 있다. 한반도의 조선인이 풍요롭게 되기 위해서는 두 가지 조건이 불가결하다고 해서, “조선에는 그 내부에서 보지 않고를 개혁할 능력이 없기 때문에 외부에서 개혁되어야 한다”, “(왕제를 남긴다면) 국왕의 권한은 엄중하고 항상적인 헌법상의 억제를 받아야 한다”고 결론 을 내렸다 .
조선의 농업·축산업
버드에 의하면 일본인의 섬세한 곳에도 눈이 가는 꼼꼼함이나 청국인의 정교한 절약 만에 비하면, 조선인의 농업은 낭비가 많아 버리지 않는다고 말하고 있다 [ 11 ] .
이씨 조선의 종교
버드에 따르면 조선 도시에는 사원이나 성직자의 모습이 없다. 집에는 신선함이 없고, 마을 축제에는 신여도 없으면 우상을 운반하는 행렬도 없고, 혼례나 장례식에서는 성직자가 축복을 하거나 명복을 기도하는 일이 없다. 조선의 불교는 일본의 큰 불교개혁파의 특색인 정의를 추구하는 숭고한 목적이나 향상심은 아무것도 보이지 않기 때문에 조선의 수행승들은 몹시 무학하고 미신 깊고, 스스로 신앙하고 있는 종교의 역사나 교리에 대해 거의 아무것도 몰랐다고 적고 있다. 대부분의 수행 승려로부터 버드가 받은 인상은, 그들은 아무런 의미 없이 종교적인 의식이나 작업을 하고 있었고, 몇몇 예외를 제외하고, 믿음을 가지고 있지 않다는 것이었다. 실제로 조선인에게서도 스님들은 방탕자로 여겨지고 있어 내려왔다 [ 12 ] .
이씨 조선 양반·관료·형벌·민족성
조선에는 실질계급이 훔치는 쪽과 훔치는 쪽의 2개이며, 양반에서 등용된 관료계급은 공인의 흡혈귀이며, 인구의 5분의 4를 가로질러 차지하는 비귀족은 말 그대로 「아래의 인간」으로, 흡혈귀에 피를 제공하는 것이 그 존재 이유가 되고 있었다. 종주국 중국의 영향하에 조선 양반들은 귀족사회의 전체적 풍조인 착취와 폭정을 지금까지 사실상 원한 채로 해 왔다 [ 13 ] .
조선의 관료에 대해서는 일본의 발전에 흥미를 가지는 사람도 소수는 있었지만, 많은 사람은 착취나 부정 이득을 할 수 없게 되는 사리 사욕 때문에 개혁에 반대하고 있었다고, 타락한 조선의 관료 제도의 정화에 일본은 착수했지만, 그것은 어려움이 없었다고 말하고 있다. 조선 국내는 전토가 관료주의에 짙게 물들고 있다. 관료주의의 악당이 엄청나게 흩어져 있을 뿐만 아니라, 정부의 기구 전체가 악습 그 자체, 바닥도 없을 정도의 부패의 바다, 약탈의 기관으로, 모든 근면의 새싹이라는 새싹을 부수어 버린다. 직위와 상벌은 상품처럼 매매되어 정부가 급속하게 쇠퇴해도 피지배자를 먹이로 할 권리만은 존속하고 있었다 [ 14 ] .
버드는 조선의 재앙으로 양반을 올리고 있다. 그들은 스스로 아무것도 가지지 않는다. 자신의 키셀조차이다. 양반의 학생은 서재에서 학교에 가는데 자신의 책조차 갖지 않는다. 이 계급에 속하는 자는 여행을 할 때, 많은 동행을 끌어 모을 수 있을 뿐만 아니라 모아 끌려가게 되어 있다. 본인은 종종에게 끌린 말을 타는 것이지만, 양반에 요구되는 것은 궁극의 무능함 가감으로서, 종자들은 근처의 주민을 위협해, 기르고 있는 닭이나 계란을 빼앗아, 돈을 지불하지 않는다 [ 15 ] . 술취한 것이 미명이 되는 것은 조선의 특징이며, 술에 취해 정기를 잃을 때까지 술을 마셨다고 해도 부끄러워하지 않는다. 식사가 끝날 무렵에는 술에 취해 바닥에 잠들어 있어도, 지위를 잃지 않고, 술에 취하면, 사치스럽게 할 수 있을 정도로 여유가 있는 것은 훌륭하다고 찬사를 받는다 [ 16 ] .
조선인의 처벌방법이 독특하고 관공서의 잡졸이 죄인을 살상한다. 죄인이 고통에 외치는 목소리는 근처의 영국 전도관 속에까지 들려왔다고 기록하고 있다 [ 17 ] . 또한 신분제도에 관해서 양반은 궁극적으로 무능하며, 그 종자들은 돈을 내지 않고 주민을 위협하여 닭과 계란을 빼앗고 있다고 한다. 양반은 공인 흡혈귀이며 서울에는 '훔치는 쪽'과 '훔치는 쪽'의 두 가지 신분밖에 없다고 말했다. 저금을 하고 있다면 이웃 사람에게 고문받을 것이라면 관료가 그것을 빌려주고 와서 빌려주면 원금도 이자도 상환되지 않고, 빌려주는 것을 거절하면 죄를 쫓아내어 투옥되며, 본인 혹은 신내가 요구금액을 준비하지 않는 한 수수께끼로 친다 [ 18 ] . “조선에 있을 때, 저는 조선인이라고 하는 쓰레기 같은 민족으로 그 상태는 원치 않는다고 생각하고 있었다”라고 생각하게 했던 조선의 불치의 병은, “수천명의 오체 만족한 인간이 자신들 보다 살기 좋은 친척이나 친구에게 의지하고 싶어한다”며, 사람의 친절에 붙어 있는 체질에 있어, 하는 것을 아무리 부끄러워하지 않고, 비난하는 여론도 없는 것이라고 하고 있다. 조선에서는 어느 정도의 수입이 있는 남자는 다수의 자신의 친족과 아내의 친족, 심지어 자신의 친구, 자신의 친족의 친구를 부양해야 했다. 사람들은 엄청난 이점을 가진 관직을 취하려고 노력했고, 직위는 상품으로 매매되었습니다 [ 19 ] .
남존녀비·교육
한강을 따라 마을에는 사학원이 있었고, 학생들은 문인계급의 자제에 한정되어 학습하는 것은 한문만으로, 이것은 모든 조선인의 야심적인 관직에 대한 발판이 되었다. 한글 은 경멸되어 사용되지 않았다. 이사벨라는 조선인을 외국어를 곧바로 습득해 버려, 청국인이나 일본인보다 유창하게 또 계속 우수한 악센트로 말하면 삼키기가 빠르고, 그 이해의 속도와 명민함이 있다고 고평가한 한편, 의심·교활함·불성실함이 있어, 한반도에 있는 조선인에게 만연하고 있는 좁은 양, 만네리즘 , 만심 , 존대, 수공예를 멸시하는 잘못된 자존심, 관대한 공공심 과 사회적 신뢰를 파괴하는 자기중심 의 개인주의 , 2000년 전부터의 관습과 전통에 예속된 사고와 행동, 지식에 관한 시야의 좁음, 얕은 윤리관, 여성 멸시라고 말한 것은 조선의 교육제도의 산물이라고 결론짓고 있다 [ 20 ] .
7세에 남녀별로 되어, 여자는 엄격히 안쪽에 담겨 결혼 전은 아버지와 형제 이외, 또 결혼 후에는 친가와 아내 앞의 친족 이외, 남성과는 전혀 만날 수 없게 된다. 혼기를 놓친 조선의 미혼 여성은 아마 데라 로 쫓겨 버린다. 7세 때부터 아버지의 집 안뜰에서 외계와는 일체의 접촉 없이 자란 조선 여성은 17세경 장인 의 집으로 옮겨져 완전히 집에서 나오지 않는다. 출생시부터 아들이 집에서의 격이 위이고, 조상의 제사를 중심으로 하는 남자 단계 혈족 집단인 종교의 칭호였던 「성」에도 넣어주지 못하고 , 아들이 결혼해 아내의 도움을 얻을 때까지는 혼자 아침부터 밤 늦게까지 일해, 옷차림에 신경을 쓰는 것 등. 여성 중에서는, 출산한 여성만이 허락되는 가슴을 낸 모습(유출 초고리 )야말로 혼자 취급되었다. 친가의 부모로부터 출생하자마자 준 이름은 결혼 후에는 사용되지 않게 되고, 신부는 「○○의 부인」이나 「○○의 엄마」라고 밖에 불리지 않게 된다. 남편은 아내를 요보라고 부르는데, 이것은 조선어로 '이쪽을 보라'는 뜻이며 남편에 대한 아내의 명확한 남자 존녀비의 상하 관계를 시사하고 있다. 침묵은 아내의 의무의 제일이라고 생각되고 있어, 결혼식의 날은 특히 신부는 종일 조각상과 같이 무언이어야 한다고 정해져 있었다. 의실가에서 반항한 비귀족계층의 여자의 경우 엄격히 쳐서 명령에 따랐다 [ 21 ] .
조선의 비귀족 여성에 대해서, 「조야에서 예의를 모르고, 일본의 같은 계층의 여성의 시원함이나 청국의 농부의 절도나 친절심으로부터는 대략 멀다」로서, 입고 있는 하얀 옷은 갈색으로 더러워져, 밤늦게까지 쉬지 않고 세탁하는 것은 자신들도, 예쁜 옷을 입는다. 명예살인이 있어, 고의와 우연히 관계없이, 그 남자와 손이 닿은 것만으로도, 딸은 아버지, 아내는 남편에게 죽이고, 심지어 자해 하는 여성조차 있었다. 여성에서 교육을 받을 수 있는 것은 요생 (키센)뿐이었다. 소중한 빈객을 대접하는 伎生는 손님과 같은 수준의 화제에 대해 갈 수 있도록 국가가 운영하는 양성학교에서 가무 등과 함께 교육을 받았다.伎生를 제외한 여성을 위한 교육기관은 없고, 상류계급 여성은 문자를 읽을 수 있지만, 읽고 쓸 수 있는 조선여성은 1000명에 혼자 기록하고 있다. 조선의 여성은 백정 이라는 최하층의 사람이 밖에서 일하는 일이 있어도, 대부분의 부인은 집 안쪽에 밀려 있어, 살고 있는 거리 풍경도 본 적이 없는 사람이 많다고 말하고 있다. 조선인에게는 집이 있어도 가정은 없다고 해, 부부는 따로 살고, 사교나 집 밖의 관심사라고 말한 공통의 유대가 부부에게 없다. 남편의 유흥의 동료나 상대는 동성의 친구 지인이나 伎生, 그 부부 관계는 한 조선인 신사가 버드에게 말한 '결혼하는 것은 아내, 반하는 것은 녀석'이라는 간결한 말에 요약된다고 결론 내리고 있다 [ 22 ] .
번역
일본어 번역은, 1993년(헤세이 5년)부터 1994년(헤세이 6년)에 박상득 역이,平凡社 동양 문고 전 2권으로 출판되었다.
토키오카 케이코 역이, 1995년( 헤세이 7년)에 도서 출판사로, 1998년(헤세이 10년)에 코단샤 학술 문고 에서 개정 재간되었다. ※는 전자서적 판도 간행.
또한 전전인 1925년(다이쇼 14년)에 초역판이 『30년 전의 조선』의 제목으로 출판되어 복각 재간도 있다.
- 이사벨라 버드『조선 오쿠지 기행』 1권, 박상득역, 평범사 <동양문고 572>, 1993년 12월. ISBN 4-582-80572-8. ※
- 이사벨라 버드 『조선 오쿠지 기행』 2권, 박상득역, 평범사 <동양문고 573>, 1994년 1월. ISBN 4-582-80573-6. ※
- 이사벨라 버드 『조선 오쿠지 기행』 1권, 박상득역, 평범사 <와이드판 동양문고 572>, 2009년 9월. ISBN 978-4-256-80572-5.
- 이사벨라 버드 『조선 오쿠지 기행』 2권, 박상득역, 평범사 <와이드판 동양문고 573>, 2009년 9월. ISBN 978-4-256-80573-2.
- 이사벨라 비숍 「조선 기행」시오카 케이코역, 도서 출판사 <해외 여행 선서>, 1994년 1월. ISBN 4-8099-0724-4.
- 이사벨라 버드『조선기행――영국부인이 본 이조말기』 시오카 케이코역, 코단샤 학술문고, 1998년 8월. ISBN 4-06-159340-4. ※
- 버드 비숍 편 「30년 전의 조선」쿠도 시게오 번역(복각판), 용계 서사<한국 병합사 연구 자료 66>, 2008년 1월. ISBN 978-4-8447-0011-1. 초역판, 동아경제시보사(1925년)판을 복각. 국립국회도서관 디지털화 자료
원저(신판)
- Isabella Lucy Bird (May 24, 2004). Korea and Her Neighbours: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country . Adamant Media Corporation. ISBN 14021-44970
- Isabella Lucy Bird (December 17, 2008). Korea and Her Neighbours . Slusser Press. ISBN 14437-85075
- Isabella Lucy Bird (March 8, 2012). Korea and her Neighbours 2 Volume Set: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country . Cambridge University Press. ISBN 978-1108045773
각주
- 버드, 토키오카 1998 , 39-40 페이지.
- 버드, 토키오카 1998 22면
- 버드, 토키오카 1998 , 58-60 페이지.
- 버드, 토키오카 1998 , 169-170쪽.
- 버드, 토키오카 1998 , 84-85 페이지.
- 버드, 토키오카 1998 , 11장.
- 노리마키 (2004년 5월 5일). “ 19세기 말~일본 식민지 시대의 장안사에 대해서 ”. norihuto.com. 2012년 2월 25일 열람.
- 버드, 토키오카 1998 , 93-94쪽, “남한강 여행시”.
- 버드, 토키오카 1998 , 305-307쪽, 「제19장 조선의 국경」.
- 버드, 토키오카 1998 563쪽
- 버드, 토키오카 1998 166면
- 버드, 토키오카 1998 148면
- 버드, 토키오카 1998 558쪽
- 버드, 토키오카 1998 56면
- 버드, 토키오카 1998 137면
- 버드, 토키오카 1998 125면
- 버드, 토키오카 1998 29면
- 버드, 토키오카 1998 433면
- 버드, 토키오카 1998 556쪽
- 버드, 토키오카 1998 406쪽
- 버드, 토키오카 1998 120면
- 버드, 토키오카 1998 439쪽
관련 항목
- 캐나다 저널리스트에서 '조선의 비극'(평범사 동양문고)
외부 링크
- Korea and her neighbors; a narrative of travel, with an account of the recent vicissitudes and present position of the country 원문
- 4명의 외국인이 본 한국 병합 전 조선 - 웨이백머신 (2001년 1월 24일 아카이브 분) - 코단샤 학술문고판 '조선기행'의 인용문이 게재되어 있다.
- en:Isabella Lucy Bird (1898), Korea and Her Neighbours: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country - Google 도서
- 조류 조선에서의 여행 경로, 사진 등 스코틀랜드 국립 도서관
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