
From Japan
Inoo Tanaka / 田中猪夫
4.0 out of 5 stars K-POPはシャーマニズム!
Reviewed in Japan on August 5, 2022
Format: Paperback Shinsho
副題が「なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか」となっており、李朝時代に儒教の一派である朱子学が浸透した韓国で、30%ものクリスチャンがいる(世界でもっともキリスト教化が進んだ)理由を知る日本人は少ない。この本は、その理由に韓国にはシャーマニズムの土壌があるという驚くべき内容なのだ。
韓国には「ムーダン」という職業的宗教者(シャーマン)が「クッ」という神を憑依させ、個人の幸福を祈ったり、病気の治療、死者の供養を行う風習がある。 朱子学が国教とされた李氏朝鮮時代はムーダンが賎民とされるなど蔑視されていたが、戦後に韓国で国家主義的価値観とも連動し、巫俗こそが朝鮮固有の宗教であるという思想が生まれた。 戦後のムーダンは女性が多く、降神巫と世襲巫がある。(刑法で禁止されている北朝鮮にもシャーマニズムはあるようだ)
古代の日本において、人間関係と天気を予測できる人はシャーマンとしてリーダーとなった。卑弥呼がその代表的存在だ。その後、青森のイタコ、沖縄のユタなどのシャーマンがいる。あるいは仏教の一派である密教にもシャーマン的な儀式がある。しかし、韓国ほど日常社会に定着していない。
イスラームにスーフィズムという一派がある。これで有名なのはトルコの観光名物のセマ(スーフィーダンス)だが、白いスカート状の服を穿き、音楽に併せて1時間以上くるくるくるくると回り続けることは神に近づく(合一)の手段のひとつだとしている。同じように神に近づく(合一)の手段で、「アッラーハ!」「アッラーハ!」と休みなく呼び、瞑想三昧に入るもの(ズィクル)もある。イラクのクーファで生まれたスーフィズムは各地に広がり、オスマン帝国時代にトルコで一大勢力となった。つまり、トルコ民族はイスラーム以前はシャーマニズムが浸透していたため、現象的に似ているスーフィズムに強く共感したのだ。
このようにイスラームは、土着のシャーマニズムと融合しスーフィズムを生み出したが、逆に韓国は、キリスト教をシャーマニズムに変化させたのだ。例えば、キリスト教の礼拝である祈り、賛美、説教、献金などは「クッ」の祭次と相応し、祭次をひとつの礼拝とみなしている。シャーマニズムの口寄せは、聖霊を受けて宗教的恍惚境におちいった人が語る異言(イゲン)と似ている。韓国ではシャマニズムが職業、結婚、留学、出国、離婚、事業、健康などの生活全般に深く関わっている。韓国シャーマニズムを最初に受け入れたのは、アメリカ人のジェームズ・スカルゲール牧師で、彼がキリスト教を土着宗教に昇華させた。(1888年から40年間)
そして著者は、韓国のシャーマニズムの儀式は音楽の伴走でリズミカルに行われるが、K-POPの激しい歌や踊りはこれを引き継いでいるというのだ。韓国における統一教会の浸透もそこに理由がある。
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M.AJIOKA
5.0 out of 5 stars 著者の人生劇の一コマ、そして「愛」「平和」「感謝」を感じる著書。
Reviewed in Japan on October 6, 2021
Format: Paperback Shinsho
普段の生活の中では気にも留めないキリスト教とシャーマニズム、特にシャーマニズムについては、多くの日本人にとっては全くと言って良いほど馴染みのない言葉。そして、『なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか』のサブタイトルも、これまで時々疑問に感じていた私の興味を大いに引いた。
本書の前に読んだ同著者書『雀様が語る日本』もそうであったように、著者自身の実体験を基に自身の見解・意見を述べる内容となっており、本書ではさらに自身の研究・調査に加え、先駆者の研究内容にも触れられており、ある種の学術書として真実性、また共感する部分が多々あり、最後まで興味深く読むことができた。
以下、本書を読み進める中で共感した箇所の抜粋。(私はクリスチャンではないが、著者は敬虔なクリスチャンである。)
・P.11 日本では表面的なクリスマス文化が盛んである。そこでは祈りと礼拝に信仰は意識されず、本質抜きの偽クリスチャン文化のように感じる。
・P.12 日本のクリスマスの賑わいは異様にも思えるが、これは単なる文化の一つに過ぎず、商店街で行われる祭りのようなものである。日本はクリスマスケーキなどの文化は受け入れたが、信仰は受け入れなかった。
・P.16 日韓は儒教、仏教などでは通じあうところもあるが、キリスト教に関しては相反する。
・P.117 人類愛をもって生きる人が増えれば民主主義はより進化し、平和になると信ずる。
・P.120 キリスト教は普遍的な世界宗教であるにもかかわらず、民族宗教的な色合いが強いのは残念である。・・・偏狭な愛国心による宗教ではなく、あくまで民族を超える宗教でなければならない。
・P.122 私はバスの運転手のやさしさに感動した。このような社会こそ理想的で、愛はキリスト教社会でなくとも存在する。
・P.155 儒教の倫理や伝統をもって近代化について語ることに、私は矛盾を感じる。
・P.180 日本のキリスト教信者は一%前後であるにもかかわらず、クリスマスが盛大に祝われるのは、宗教的な行事を文化として受け入れているからであり、これはキリスト教の世俗化現象ではない。
・P.188 現代人は寿命を延長することに熱心であるが、それと同時に死の迎え方についても考えるべきであろう。
シャーマン・シャーマニズムについての内容のほとんど全て初見であったが、幼い頃からシャーマニズムに接してきた著者の詳細な記述により、容易に頭の中でその様子が想像できた。
他の同著者書でもそうだが、文章の随所に(私の個人的好みの)素敵な表現、言い回しがある。
・P.28 私はこのような農村出身であることを恥じていない。むしろ石器時代からインターネット時代に至るまでの文化的な第一波、第二波、第三波を生きたことを誇りに思っている。
・P.122 彼女は日々の生活に感謝しているという。これは毎日の生活からふと現れる虹のような美しい言葉であった。感謝の心は「満足」「ポジティブ」につながり、「平和」の原動力である。
・P.148 私は死んでも愛する人やこの世界が反映することを願う。
・P.209 私自身にとっては、キリスト教によって生き方が否定的な態度から肯定的に変わったことは大きい。そして多くの人を愛せるようになった。
・P.209 最愛の妻の幸子にも愛情をもって感謝する。
『キリスト教とシャーマニズム』という本を読んでいたはずが、著者の人生劇の一コマ、そして「愛」「平和」「感謝」を感じたのは私だけではないだろう。
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Amazon カスタマー
3.0 out of 5 stars エセ新興キリスト教が欠落
Reviewed in Japan on May 21, 2023
Format: Paperback ShinshoVerified Purchase
韓国朝鮮はずっと儒教一辺倒で仏教が少しという時代が続き、元々宗教的な免疫の希薄な所だったのでアメリカの実質支配になった時にキリストを看板にする新興「宗教」が次々と生まれたのだろうと思っている。旧来からのキリスト教信仰圏でカトリックやプロテスタント以外の宗派や教団であっても殆どは信仰の内容や生活倫理でも一定の枠内にあるのだが、韓国にはその伝統がないので迷信的に拡散するのだろう。この本はそのエセ・キリスト教を全く無視している。或いはそれをあからさまに書くと、アメリカのトランプ流のように攻撃される心配があるのだろうか。
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ika
4.0 out of 5 stars 神秘主義と神学の調和
Reviewed in Japan on October 30, 2021
書評を書くのが難しい本である。著者による膨大な研究の蓄積と人生そのものが、この小さな本に押し込められているからだ。ポイントになる部分に線を引くという方法では読みにくい。一見すると全体との関連が無いように見える部分も、どこかでつながっている。それを意識し始めると集中して読めなくなる。
「多くのクリスチャンはシャーマニズムを迷信と見なしており、キリスト教にシャーマニズムが潜んでいることに気づいていない」(44)。このことに気づかせるというのが本書の主題だ。
キリスト教とシャーマニズムの共通点を箇条書きすれば、異言と口寄せ、伝道集会とクッ、神秘性、催眠的な現象、病気治癒、不幸な人格神を中心に形成されていることなど。クリスチャンはそれを聞いてギョッとするかもしれないが、大事なことはバランス感覚である。
日本のキリスト教では神秘主義的要素が疎んじられるが、著者は「神秘主義を除けば宗教性が弱くなり、逆にそれを過度に強調すれば神学自体が無視される」ので「宗教の発展にはこれらの適切な調和が求められる」(178)とする。
これは、信仰の本質が、「信じること」と「疑うこと」のバランスで成り立っていることとも重なる。妄信は危ういが、疑うだけでは信仰は成り立たない。宗教や信仰は、科学や知識のように理解するものではないが、疑って検証するという学問的な側面もある。
「私はキリスト教が宣教によって土着化したとは思えない。そうではなくキリスト教がシャーマニズム化され、それが韓国のキリスト教を急成長させたのである」(199)は至言である。韓国のシャーマニズムは近代化と共に衰退したかのように見えるが、それはキリスト教の中で生き続けている。キリスト教がその受け皿となっているのである。
一方、キリスト教はシャーマニズム的な要素によって急成長してきた。近年、韓国のキリスト教は衰退傾向にあるが、これはキリスト教そのものではなく、そこに根付いているシャーマニズムを忌避する傾向を反映した現象なのかもしれない。あるいは「神秘主義」と「神学」、「信じること」と「疑うこと」の調和、バランスを整えようと試行錯誤をしている過程なのかもしれない。
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つくしん坊
4.0 out of 5 stars シャーマニズムとキリスト教の親和性が、韓国でキリスト教の布教を成功させた
Reviewed in Japan on November 21, 2021
Format: Paperback Shinsho
著者は1940年韓国生まれの韓国系日本人の社会人類学者である。韓国で学んだあと韓国と日本の大学で教鞭をとっている。本書で著者は自らの生い立ちを詳しく語っているが、それによれば母親がシャーマンで、著者も幼時から多くのシャマニズムの儀礼を体験している。その著者は学生時代に結核を罹患し、人生最大の危機を迎えた。その時期にキリスト教と出会い、信者になったという。シャーマニズムとキリスト教の両方を深く体験し、かつシャーマニズムの研究者となった著者でなければ本書は決して書けなかったであろう。
著者が指摘しているように、通常は巫俗(シャーマニズム)は迷信、キリスト教は宗教と見做され、全く別物とされている。しかし著者がキリスト教信者となって驚いたのは、シャーマニズムとの多くの類似性だったという(違いはもちろんあるが)。第三者ではなく当事者の感想であるから信憑性が高い。神を信じること、儀礼を重んじること、音楽の伴奏やリズム運動があること(特に韓国の場合)、不幸な死者への関心が高い(儀礼で慰める)ことなど、本書には多くの事例が説明されている。著者は、韓国でキリスト教の布教に努めた宣教師たちがこのことを深く理解し、シャーマニズム風の儀礼を取り入れたことが布教の成功につながったと考えている。その結果、韓国人口に占めるキリスト教信者数は約30%に達し、韓国は戦後の世界で最も速やかにキリスト教が普及した国となった(ちなみに日本ではキリスト教信者数は人口のわずか2%程度に過ぎない)。
本書を読み、日韓では儒教や仏教など共通性があるものの、キリスト教の普及に大差がある理由を知って考えさせられた。また、キリスト教としてシャーマニズムにも全く偏見を持たない著者に感銘を受けた。本書は宗教民俗学の優れた事例である。日本で明治以降、キリスト教が布教に成功したとは言えないのは、宗教民俗学的にも解明する価値があるのではないか。翻って、日本人がシャーマニズムに無関心かといえば決してそうではない。沖縄における今も盛んなシャーマニズムはもちろん、日本本土の神道、占いや霊能者、「パワースポット」人気などにもシャーマニズムの影がある。「どの民族の宗教も多層的であり、古い習俗の名残が残されている」ことに本書は注意を喚起したといえよう。
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朴 仙容 1947年生、在日コリアン二世。㈱海龍 相談役
5.0 out of 5 stars 読後感想
Reviewed in Japan on January 15, 2022
「キリスト教とシャーマニズム(著者:崔吉城・発行:ちくま新書)」を読み終えた。宗教的な知識が乏しく、読み続けるには辛いものがあった…そもそも、なぜ韓国にキリスト教が広まったのか?…それは米軍政が敷かれ、米兵の半島駐留が原因…日帝からの解放、そして6.25韓国動乱(朝鮮戦争)での救国…それは国連軍というよりもアメリカの力だった。アメリカは救世主、韓国人のその思いがキリスト教信奉に繋がった、と思っていた。一方、キリスト教が日本で広がらなかったのは、先の敗戦で天皇制が崩壊しなかった「神社神道」と無関係ではない、とも思っていた。
だが本書は、それと異なる分析をしている。著者のシャーマニズム研究の始まりも知ることができた。その研究結果、たどり着いたのが「シャーマニズムとキリスト教の因果関係」だったようだ。その視点で見れば、著者がこの研究にのめり込むのも必然の結果だ。
そういえば、昔の昔の大昔、「イエスキリストはシャーマンだった」との内容の本を見たことがある。記憶は定かでないが、漠然と覚えている。それが本書の分析と符合、韓国でのキリスト教が多少理解できた。宗教的なワードの理解もでき、興味がわいてきた。
結論から言うと「本書は日本で宣教活動に携わる人たちの必読書」であろう。日本人の大多数は著者が最初に思ったと同じく、シャーマニズムは迷信・邪教と捉えている。
正直、シャーマニズムの知識は本書で知り得たことしかないが、韓国の「恨」について考えると、その理解が多少でき、聖霊運動も分かってくる。そして著者が人と出会い、シャーマニズム研究へと導かれる、その過程も神がかり、何かに突き動かされ、研究者になって、テーマを深めていっている、それも必然な感がある。その研究体験が血となり肉となって骨になった。併せて、著者の研究者としての生き様が文面に脈々と流れ、著者の問題提議、宗教論に発展している。
韓国から大勢の宣教師が日本に来て、宣教対象を在日コリアンにしている、と著者は言い、民族主義的な宣教だとも言う。著者の多くの問題意識の中、この問題が当事者(在日)として気になった。日本における宣教活動の入り口には都合のいい対象に見える在日教会だが、宣教者は在日教会の特質を知らなさすぎる。それは著者の懸念から推測できた。宣教が民族主義的な活動を捨て、多民族共生社会における教会活動に転じることができれば、日本における宣教活動の成果が出てくると、そんな著者の思いを感じた。
本作も著者が常々言われる「民族主義との闘い」だろう。それを強く印象つけられた本だった。
追伸:本書理解のために「聖霊運動」について辞書を引いてみた。聖霊運動:祝福・按手祈祷・治療・遂卑と訳されていた…キリスト教の一定の理解がないと本書の趣旨を正確に読み取ることは難しい。聖霊・異言・按手など等、キリスト教ワードが快読を妨げていた。それが少し残念だった。
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閑人
5.0 out of 5 stars 人生と研究が詰まった一冊
Reviewed in Japan on November 6, 2021
Format: Paperback Shinsho
読んでいると授業を懐かしく思い出した。ひとつのテーマが縦横無尽に語られ、広く様々な話題に展開する。この本の骨子は、「韓国ではシャーマニズムがあってこそキリスト教が盛んとなった」(はじめに)に尽きる。そのことが、筆者自身の経験から、そして学術的な議論から展開される。韓国社会に私も時に触れるが、得心がいくものだった。そして、特に私が興味深く感じたのは、筆者の人生とこの二つがつながっていることである。人類学者は透明人間ではない。ある現象を見るとき、自分というフィルターを通してみる。だからこそ見えてくる問題もある(見落とすこともたくさんあるのだが)。それが感じとれる一冊である。筆者の人生と研究の歩みが絡んで、それらギュッと詰まった本だと思った。韓国のシャーマンたちの世界をうかがえることも、また、植民地時代の研究が戦後にどう展開するのかを知れることも、本書の魅力だ。
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黙羊
1.0 out of 5 stars こんな内容の本を「ちくま新書」として発行するのか・・・
Reviewed in Japan on April 25, 2026
Format: Paperback Shinsho
韓国には、なぜキリスト教徒が多いのかという疑問は、50年以上前にさかのぼる。日本では対照的なほどクリスチャンが少ないのに、なぜ韓国なのか。本書を読んでその疑問が氷解した。韓国のキリスト教とは、米国南部で見られるあの熱狂的なリバイバリストに類似したものなのだ。
しかし、さらに韓国では、シャーマニズムと融合しているとなると、さすがについていけないものを感じる。仏教でも現世利益をうたっている宗派もあるが、韓国の比ではない。プロテスタントがカトリックよりも多いという状況にも驚くばかりだ。
プロテスタントと言えば、無教会主義を思い浮かべる私などは、あまりに時代遅れなのだろうか。
筆者の愛という用語の語感につても、違和感がある。エーリヒ・フロムの「愛するということ」という書物の題名から、すぐに性愛についてについての記載だと思ったというのだが、韓国では「愛」には、精神的な要素は含まれていないだろうか?
以下、気づいたままに問題個所を列挙する。
p28
著者の家には、電気も通わず、旧石器時代のような生活を送っていたとの記述がある。
あるいは、別な書物に紹介されているだろうが、このような環境から著者が大学まで進学したことが信じられない。
p34
私は評論家を志してソウル大学校師範大学に入学した。
韓国では、日本の大学にあたるものを大学校、学部を大学とよぶので、説明が欲しい。しかし、評論家になろうとするのに、教育学部に進学するということが理解できない。
p36 シャーマンの「クッ」を『けばけばしい消費行事』と考えていた
これは、「クッ」が踊り歌い、人々を集めて無駄な金を使わせているという意味か?
とにかく、説明が不足しており意味不明である。
P38
著者の健康についての記載の信憑性も、著しく低い。
著者は、1960年、大学2年生の頃、突然喀血し重症の結核と診断されたという。粗末な住居に隔離され、投薬治療を受けていたが、4年半で完全治癒したという。戦後の日本でも結核患者は多く特効薬が紹介されたが、回復は、はかばかしくなかったと記憶している。
全般的に言って、著者がほんの少し開示している自己の情報が疑わしいのだが、私の疑問に答えてくれる方はいないだろうか。
p94
私がクリスチャンとして生活するようになってからの多いな違和感は祈りであった。
クリスチャンになる前には、教会に通い、ある程度、その教義や儀式を理解してから受洗するのが定例であろう。信者となってから祈りに対し違和感を感じるということはどういうことだろうか?
P103
日本で、韓国人、在日、私で交友関係を築いてきたが、韓国人の友人が帰国することになり、送別会を開こうとしたが、在日の友人は、誘いに応じず、それ以降も昔の関係はきずけなかった。
この文章に続いて友人関係では「信」を重視するがゆえに、大きく失望することもあるとやや意味不明な記載がある。それだけの交友であったのではないかと思うとともに、あえて記載するほどのことかとも思う。
P109
悲しくて泣くという人間の普遍的な現象は、韓国においては声を出して泣く儀礼的な「哭」にまで到達しており、これは日本とは大きく異なる。
日本には、「哭」のような泣き方がないと言っているのだろうか?「涕」「哭」「泣」「号」と泣く行為を4分類するのは、中国由来のものであり、朝鮮半島には、「泣き女」の風習があったことで、特に芸術的な「哭」が発達したのだろう。日本にも、戦前まで周辺部に「泣き女」が存在したことが報告されており、特に朝鮮と日本で異なることはない。
p109
イエスは人間の救済のために活動したにもかかわらず無実の罪で十字架にかけられ、凄絶な最後を遂げたがゆえに、宗教的崇拝の対象となっている。この点において、イエスの信仰はシャーマニズムと結びつく。
イエスの生のどこが、シャーマニズムと結びつくのか、理解できない。
P114
ここもおかしい。
孔子は男女関係について直接触れることはなかったが、君子の三つの禁忌のひとつとして「色」を挙げている。
著者が、儒教に親しまなかったとは思えない。この全文は、以下のとおりだが、
「孔子曰、君子有三戒。少之時、血氣未定、戒之在色。及其壯也、血氣方剛、戒之在鬪。及其老也、血氣既衰、戒之在得。」
読み下し文では、
「子曰く、君子に三戒有り。少き時は、血気未だ定まらず、之を戒むること色に在り。其の壮なるに及びてや、血気方に剛なり、之を戒むること闘に在り。其の老いるに及びてや、血気既に衰う、之を戒むること得るに在り」
一生の禁忌として、「色」を挙げているわけではなく、少い時には、注意すべきだと言っているのである。
総括
*こんな内容の本を「ちくま新書」として発行するのかというのが偽らざる心境である。
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reviewer
3.0 out of 5 stars 不思議な混交物
Reviewed in Japan on October 12, 2021
Format: Paperback Shinsho
韓国における「キリスト教」の存在の大きさは不思議な現象だ。どうもキリスト教や教会に日本人が抱く「荘厳」なイメージが韓国のキリスト教に伴うあの大声と仰々しさ、いわゆる濃厚な「カルト」の雰囲気にどうもうまく合致しないのだ。だいぶ前に、「韓国とキリスト教」という作品を読んだが、どうもこの謎はうまく説かれてはいなかった。というより、タブーなのか。
というわけで、この作品のタイトル「シャーマニズム」を見た時には目を開かされた思いだった。そうか、キリスト教と思うから違和感を感じるのであって、これは東シベリアのツングースに起源を持つシャーマニズムにキリスト教の御化粧をほどこしたものと思えば、なにも違和感は起きないのだ。
というわけでおおいに期待して読み始めた。が、この作品もどうも面白くない。最近の新書はどういうわけか質が低いものが散見される。作品の体をなしていないものや、新書のレベルを逸脱しているものが多い。
この作品自体も不思議な混交物なのだ。著者の自伝的色彩も濃厚であるが、といって自身のシャーマニズムから信仰への転回の瞬間が語られているわけでもない。あくまでも断片的なエピソードの域を出ない。
また戦前の京城帝国大学における韓国のシャーマニズム研究の源流が著者の研究と絡めて細かくたどられるのだが、といってその研究の中身や限界や現代的な意義がわかり易く語られるわけでもない。
一方で、肝心のキリスト教とシャーマニズムの関係についても、両立や対立という矛盾した議論が整理されず繰り返し展開されている始末。けっきょく前後の論理的な脈絡もしっかりしておらず、議論や個人的なエピソードが、著者の思いのままに時間を越えてあちこちらに拡散していく。挙句の果てには、在日教会やKPOPまでに言及。この混沌こそが韓国なのか。それを楽しむべきか。
本書を読んで、最後に思い出したのが、ローマ法王がセマウル号事件の際に「この事件を韓国人に霊的に道徳的に生まれ変わる機会」と発言したこと。まー、この発言も直接の原文(イタリア語、ラテン語?)にあたったことはなく、しょせん又聞きの域を出ないのだが、韓国のキリスト教は、はたしてキリスト教なのか?いや、そもそもキリスト教とは何なのか?同じような土着化は世界中で起きたはず。
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Beltono Jam
4.0 out of 5 stars シャーマニズムに生育した著者だが、今はキリスト者として信仰を持ち、日本と韓国のキリスト教を祖国愛を持って書いている。
Reviewed in Japan on September 22, 2021
私の読書はいつも遅いが、しかし、この「キリスト教とシャーマニズム』はすぐに読めた。
著者は、シャーマニズムの中で生まれ今は、現場の取材をもとにその研究者としてのキリスト教徒である。私は、シャーマンという言葉は聞いたことがあるがそれが何であるのか説明できる力はない。漢字で書けば「巫女」という言葉に関係があるのかな、という程度で、なんとなく関心を持ちたくない言葉であった。このタイトルの本を読んでみたいと思ったのは、以前にこの著者の本を読んで、親しみというか尊敬の思いがあったからである。
シャーマンとかシャーマニズムというのは宗教学、民俗学(民族学ではない)、人類学などで使われる用語であるらしい。韓国生まれで広島大学の名誉教授崔吉城(チェ・キルソン)さんが、生まれと体験を通してキリスト教と韓国のシャーマニズム、そして日本のキリスト教について書いている。図書館や書斎で書き連ねた著作ではない、現場に出かけ、時間をかけて彼らと共に時を過ごし研究し思考した内容であり、私と同じ年代を韓国で生き、母を尊敬し、今は日本で得た妻を大事にし、祖国韓国を日本と同じように愛している愛国者であることが本文の中で読み取れる。
この本を読むうちに、私が数少ない日本のキリスト者のひとりとして歩んだ来たことに気づく。国内で、世界でキリスト者としてどういう位置に立っているのかも意識する。私は、この60年以上の中で、日本で宣教する韓国人宣教師の説教を聞いたこともあるし、ソウルへ行ったときは韓国教会の礼拝に出たり、突然ではあったが、ある牧師夫妻に迎え入れられ、言葉の不便があったが数時間を過ごしたこともある。そして特殊な例ではあるがピョンヤンの教会で礼拝に出席したことがあり、今回読んだ、韓国人の精神というか宗教事情を深く知っている著者がわれわれ日本人に対して書いてくれたこの著書は興味深く、素直に引き込まれた。
本の中には、私が辛うじて知った韓国文化としても「春香伝」とかパンソリという民族芸能についても触れた箇所もあった。読書の苦手な私にとって慣れない漢字のヨミに戸惑うこともあるが、漢字だから意味は理解しながら読み進めた。句読点の位置に迷い、読み返す箇所もあって文章を遡ることもした。
「シャーマン」と比較した場合、「キリスト教」の教会は学校のようである、という言葉にうなづく。プロテスタントやカトリックという教派を「改新教」とか「天主教」という言い方は日本語の「新教、旧教」というよりいい、「監理教」とか「安息教」という教派名も推測てきて興味深い。
著者自身の目に触れるだろうことを前提にして読後感を書いたはじめての経験かもしれない。
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寸鉄
4.0 out of 5 stars 韓国と韓国文化に興味がある人には一読を薦める
Reviewed in Japan on October 24, 2021
Format: Paperback Shinsho
評価の難しい本だ。
読む人を選ぶと思う。
この価格、ボリュームで韓国の宗教文化について教えてくれる本は本書以外にはなかなか見当たらない。ただ、話が著者の思うがまま徒然にあちこち飛ぶので論旨を追うのが難しい。特に言及されていないが著者にとって外国語である日本語で書かれたのではないかと思った。シャーマニズムを信奉する母のもとに生まれ、その多大な影響を受けて育ちながら、成人後、敢えてクリスチャンとなった個人史を縦軸に据えているので何とか読み切ることができた。
「哭声」という國村隼が準主役を務め韓国で大ヒットしたという映画を見に行ったことがある。一家全員惨殺という事件から始まるミステリドラマが、あれよあれよという間にホラーになり、最後には形而上学な疑問を突き付けられるというトンデモナイ映画だったが、恐ろしく面白かった。この映画で中盤から前面に出てくるのがまさにシャーマニズムとキリスト教である。理解できなくはなかったが、本書を読んで腹に落ちた感じがした。
韓国文化を理解するには、土着のシャーマニスム、それのアンチテーゼにして国教たる儒教、西洋文化の浸食を受けてのキリスト教の浸透と民族国家の瓦解、キリスト教の韓国的な変容が重要である点が理解できた。
韓国の映画、ドラマ、音楽いずれも日本では人気がある。韓国と韓国文化に興味がある人には一読を薦める。
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みみく
4.0 out of 5 stars 赤い十字架の母教会の謎解き
Reviewed in Japan on November 9, 2022
Format: Paperback Shinsho
仕事で悩んでいたとき、友人の招きで100人規模のプロテスタント教会に初めて行った。偶像崇拝に煩く、神社仏閣・仏壇、シャーマン(ユタ)の全てに強い嫌悪感を持っている教会だった。けれども、彼が信者を惹きつけようとするときに使うテクニックのほぼ全てが「聖霊運動」だった。神を讃え忠誠を誓う唱歌、按手、手かざし、断食による異言の獲得、預言を受けることの奨励(牧師の個別「解き明かし」付き)、奇跡的な治癒祈祷などなど、戸惑うこと非常に多く答えを探していたらこの本に助けられた。解毒として、キリストと釈迦の同居マンガを読んでいるナウ。
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https://www.kirishin.com/book/51764/書評】 『キリスト教とシャーマニズム』 崔 吉城

クリスチャンの数が人口の3割を超えると言われ、アジア有数の「キリスト教大国」となった韓国。その要因がシャーマニズムにあるとする説は以前から主張されてきたが、本書はそれを追認し、具体例を挙げて論証する。日本に留学し、文学博士の学位を取得した著者は、長年シャーマニズムを研究してきたクリスチャンの社会人類学者。
李朝時代に八賤という8種類の賤民階級があり、韓国のシャーマン巫堂(ムーダン)はその一つで、被差別集団だった。巫堂は世襲によりシャーマニズムの儀礼や舞踏などを受け継いできた。また朝鮮半島南部には司祭(priest)の機能を持つタンゴルが存在する。被差別集団であるため、1960年代までは身分を明かすことがタブーとされてきたが、70年代になると民族主義が高まり、巫俗は伝統的な固有文化と考えられるようになった。最近では、巫堂が「先生」と呼ばれ、子どもたちも「巫堂になりたい」と言うまでに。
著者によれば、シャーマニズムとキリスト教との間には多くの類似点が存在する。神託であるコンス(口寄せ)はペンテコステの異言と似ており、霊魂不滅説も共通している。「通声祈祷」(声を出して自由に祈る。その際、異言を語る信徒もいる)「聖霊臨在」「治病」「按手治療」「接神」など、韓国の聖霊運動はシャーマニズムから影響を受けており、キリスト教会で行われる集会はシャーマニズムと区別できないほどよく似ているという。
キリスト教を土着宗教に昇華させるため努力したアメリカ人宣教師ジェームズ・スカスゲールは、韓国民族は感動しやすく、キリスト教は韓国の風土に合っている、韓国にはもともとキリスト教を受け入れる素地があったと述べている。著者も自身の研究を踏まえ、シャーマニズムがあったからこそキリスト教が盛んになったという結論に至った。
一方で、韓国社会には儒教的な考え方も根強い。儒教の祖先崇拝・偶像崇拝とキリスト教との葛藤が大きかったため、カトリックの尹持忠や李承薫らが殉教することとなった。しかし1939年、ローマ教皇は教書を通して、儒教の祖先崇拝はあくまで市民儀礼であり、宗教的儀礼ではないと宣言し、問題が「解消」された。プロテスタント(改新教)は今も祖先崇拝問題に直面している。現在、カトリック、メソジストなどは祖先崇拝を市民儀礼として寛大に受け入れ、長老教会も多少はこれに賛成する立場をとっているが、ほとんどの改新教は否定しているのが現状だ。
著者は「知性的神学を前面に出し布教に失敗した日本のプロテスタントと異なり、韓国教会ではシャーマニズムとキリスト教が共存混在し、主に宗教的熱狂主義を根元とする心霊復興会によって大きく成長した」(『韓国教会聖霊運動の現象と構造』クリスチャン=アカデミー編)を引用し、「韓国のプロテスタントはキリスト教が一般的に忌避するシャーマニズムの神秘主義を取り入れ、これが韓国の風土と合致し、教会の急成長をもたらした」と分析する。
最近は韓国でもキリスト教の勢いが往時ほどではないと言われるが、日本はどうだろうか。隣国の歩みと日本への指摘をヒントに、考えるべき課題は多い。
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https://uselessasusual.hatenablog.com/entry/2021/10/16/103957
2021-10-16
「キリスト教とシャーマニズム なぜ韓国にクリスチャンが多いのか」崔 吉城(チェ・キルソン)著 を買った
こんな本を買った
【ザックリとしたまとめ】韓国のキリスト教は一風かわっていて、その特徴は「シャーマニズムとの混合」にあるという。そして、この韓国人の「熱狂」的な信仰は、アメリカ生まれのキリスト教と馬が合っていたようである。今回の記事では、森本あんり氏の『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』を引き合いに出し、韓国とアメリカの「熱狂」的な信仰について考えてみた。

キリスト教とシャーマニズム ――なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか (ちくま新書)作者:崔 吉城
筑摩書房Amazon「キリスト教とシャーマニズム なぜ韓国にクリスチャンが多いのか」崔 吉城(チェ・キルソン)著 ちくま新書1598 2021年9月10日初版
本書は「韓国」における「キリスト教の特徴」を取り扱った新書である。
お隣の国、韓国は「キリスト教大国」であるらしい。
本書によれば、韓国においては、キリスト教が「第一宗教」であり、韓国国民の30%近くがクリスチャンであるという(本書の記述によればプロテスタント=19.7%、カトリック=7.9%)。
筆者の崔 吉城(チェ・キルソン)氏は、韓国の「シャーマニズム」を研究している人物である。
同時に崔氏は、プロテスタントの「キリスト教徒」でもある。
そんなが経歴を持つ崔氏が、自身のキリスト教徒としての経験をふまえながら、韓国のキリスト教を分析したものが本書である。
そして、崔氏が見いだした「韓国キリスト教の特徴」、それこそが《シャーマニズムとの混合》なのだ。
韓国においてシャーマニズムは消滅せず、キリスト教会の中核部分に息づいている。先ほどの牧師は再三にわたって「巫病の聖霊体験を通して伝道師になった」と言い、私は少々辟易したが、信者たちの反応は非常に良かった。私にとってこれは、シャーマニズムが韓国の人々の潜在的な宗教感情であることを確認する良い機会となった。
「第5章 シャーマニズムとキリスト教の調和」(p.175)
そして、「シャーマニズム」というプリミティブな宗教感情を持つ韓国人にとっては、アメリカ生まれのキリスト教、「リバイバル」に代表されるような「熱狂」的なキリスト教が、とても合うものだったようである。
その証拠に、「リバイバル」運動という「熱狂」的な運動が全国規模で広がった地域は、極東アジアの中では「韓国だけ」であったようなのだ。
アメリカ人のジェームス・スカスゲール牧師(韓国名ギイル、一八六三〜一九三七)はキリスト教を土着宗教に昇華させるために努力した。彼は一八八八年に韓国に来て、約四〇年間にわたり人々に福音を伝え、その経験の中で韓民族は聖霊に感動しやすいという点を指摘した。韓国では聖霊運動的な宣教をすればすぐに一〇〇〇人以上集まるが、日本では同様の宣教をしても一〇人ほどしか集まらず、中国では四〇年間宣教しても一〇人も集まらないだろうと言っている。
キリスト教は韓国の風土に適しており、韓国の人々にはキリスト教を受け入れる素地があった。これは韓国のキリスト教の特徴にもつながっている。
「第5章 シャーマニズムとキリスト教の調和」(p.175)
このように、アメリカ生まれの「熱狂」的なキリスト教は、韓国の風土に非常に適していたようである。
つまり、韓国の人々は、「頭」に残るものよりも、「ハート」に響くものの方を好む、ということなのだろう。
そして、それはいかに「ハート」に響くかが判断の基準となるということである。
このような特質を持つ韓国のキリスト教会であるが、本書にはその礼拝の様子が次のように描かれている。
私が一九九三年に参加した長老派に属するある教会の祈禱会では次のような光景が見られた。
信者の「通声祈禱」、手をたたきながら、身体を動かしながらの讃美歌合唱(太鼓やトランペットが参加する)、大きな声で「アーメン」と言い牧師の説教に同意を唱える。献金を入れた封筒に名前を書いて入れると、牧師は会衆の前で献金者の名前を読みあげる(これは信者にとって特別な意味がある)。牧師は癒しの祈禱を行い(その際、牧師は信者の頭や肩に手を置いて祈る)、儀礼的に悪魔を追い払う。
「終章 シャーマニズムからキリスト教へ」(p.202)
日本の教会では考えられないことであるが、韓国の教会では、こんなにも「激しく」かつ「騒々しい」礼拝が行われているみたいなのである。
やはり、韓国の教会では、「頭」に残るものよりも、「ハート」に響くものの方が好まれているようである。
そして、このような韓国の「熱狂」的な礼拝の様子は、アメリカの「リバイバル」の時の礼拝の様子と酷似しているように思われた。
その時のアメリカの礼拝の様子が、森本あんり氏の著した『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』では次のように描かれていた。
教会の礼拝や祈禱会は大盛況で、集まった人は救いの喚起や罪の悲嘆にむせび泣く。ひきつけや痙攣などの身体的症状を起こす人もある。とにかく、町をあげての大騒ぎである。恍惚状態に陥ったまま、一日まったく身体を動かさない人もあった。人びとは集会が果てた後も祈り、讃美歌を歌い、夜を徹して語り合う。家路に着いた人も、大声で泣きながら通りを歩いていった。当時人びとが交わす挨拶の言葉は、「もう経験されましたか」だったという。こうした状況が数ヶ月ほど続く。
要するに集団ヒステリーである。この現象は伝染力が強い。一つの町から隣の町へと次々に広がってゆき、地域一帯がしばらくの間騒然となる。
『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』森本あんり著 新潮新書(p.58)
日本人の感覚からしてみれば、ちょっと引いてしまうような光景である。
とは言え、しかしながら、確かに韓国人も、またアメリカ人も、喜怒哀楽といった「感情表現」がとても豊かな(激しい?)人々のように思われる。
それとは逆に、われわれ日本人はそれを表現するのが苦手だ。
であればこそ、このような「熱狂」的な信仰体系は、日本の風土には適していないのであり、お隣の国「韓国」にこそ適していたのであろう。
そして、こうした「熱狂」的な信仰体系を、われわれ日本人は受け付けないとしても、それを受け入れている「相手」を理解しようとすることは、とても大切なことだと思う。
この「熱狂」を好む人々は「反知性主義」というものに分類されると思うのだが、この「反知性主義」にしたところで、ちゃ〜んと理解するにはそれなりに手間がかかる、とっても深〜い現象なのである。
詳しくは、ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』か、森本あんり氏の『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』を読んでくだされ。
で、その森本あんり氏の『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』には、次ような記述がある。ちょっと長いが引用してみよう。
それまで人びとが聞いてきた説教といえば、大学出のインテリ先生が、二時間にわたって滔々と語り続ける難解な教理の陳述である。それに比べて、リバイバリストの説教は、言葉も平明でわかりやすく、大胆な身振り手振りを使って、身近な話題から巧みに語り出す。既成教会の牧師たちがいくら警告を発しても、信徒たちがどうしてもそちらになびいてしまうのも無理はない。溌剌とした語り口に惹かれて行く信徒たちを見て、街の権威だったはずの牧師たちは、深刻な引け目を感じたことだろう。
ホフスタッターはこれを「あたかも、舞台のコーラスダンサーの最前列の若い娘に心を奪われた亭主を見ている古女房」にたとえて説明した。見事にぴたりとくるたとえ方である。そして、このやや低俗とも思われるたとえ方自体が、アメリカの底流をなす反知性主義を適切に表現していると言ってよい。われわれがゆっくりとその歴史を追いかけている反知性主義の原点とは、要するにひとことで言うと、このぴちぴちとしたコーラスダンサーが振りまく魅力でありこの若い娘たちに見とれている亭主の心持ちなのである。難しい話はさておき、ともかく思わず見とれてしまう、そのうっとり感。古女房の冷たい視線を脇に感じながらも、それで何が悪い、という一種の開き直り感、これである。
『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』森本あんり著 新潮新書(p.83−84)
上記のような叙述を読んでみると、私たちにだって「反知性主義」と呼ばれる人びとの心情がよく理解できるのではなかろうか。
そして、繰り返しになるが、「反知性主義」の人びとには、「頭」に残る教養的な説教よりも、「ハート」に響く熱狂的な説教の方が好まれるのである。
だから、彼ら「ハート」を重んじる人びとに何かを伝えようとするときは、「情報」云々よりも「感情」を全面に出した方が、彼らも受け入れやすいだろうと思う。
要は、相手の好みに合わせる、ということである。
そして、これは、同じことが「韓国キリスト教」にも言えるらしい。
というのも、「韓国キリスト教」は、世界に向けての宣教に熱心で、日本人への伝道にも力を入れているのであるが、そのやり方が「熱狂」的な韓国式なので、まったくうまくいっていないというのである。
韓国のキリスト教会は日本人への伝道に力を入れているが、日本の文化や人々の感情を無視した説教をする牧師も多い。これは西洋の宣教師たちが伝道の傍ら、その土地の風習について研究するのとは対照的であり、彼らに大いに学ぶべきであろう。日本では感情的な説教を避け、人々の理解が得られるようにしなければならない。
「第5章 シャーマニズムとキリスト教の調和」(p.177)
日本のキリスト信者たちは「頭」に残る教養的な説教の方を好むようなので、韓国式の「ハート」に響く熱狂的な説教ではうまくいかないようなのである。
そして、こうしたボタンの掛け違えは、日本と韓国の一般的な間にもあるのではなかろうか。
日本と韓国の間が何かあるごとにギスギスするのも、日本は「頭」の方を好むが、韓国は「ハート」の方を好むといった、「好みの違い」に関わってくるもののように思われる。
そんなことを本書を読みながら感じたのである。
以上、おしまい。
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https://book.asahi.com/jinbun/article/14502262
シャーマニズム・ゆるやかな情緒・新新宗教 韓国と日本の宗教を考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
2021.12.20
シャーマニズム・ゆるやかな情緒・新新宗教 韓国と日本の宗教を考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
韓国は国民の三割近くがクリスチャンであり、戦後世界で最もキリスト教化が進んだ国である(「キリスト教とシャーマニズム」より) 知人の勧めで、韓国のある人気ドラマを見た紀伊國屋書店の中島宏樹さん。作品から受けた印象をきっかけに、韓国において「信じる」とはどういうことか、また、日本においてはどうなのか、と考えを巡らせたといいます。韓国と日本の宗教について考える3冊を紹介してもらいました。書籍情報はこちらShare
最近、知人に勧められて「梨泰院クラス」というドラマを見ました。韓国の梨泰院(イテウォン)という繁華街を拠点に、主人公のセロイと仲間たちが「タンバム」という居酒屋を経営する物語です。
もしこのドラマを漢字一文字で表すなら、「信」という字ではないでしょうか。主人公が終始一貫して妥協しない信義、家族や友に対する厚い信頼、そして絶対に復讐を果たすという固い信念。私にとってこのドラマの主人公は、「信」という字が示す様々な側面を体現しているように見えました。
さて、そこで気になるのが、現実の韓国社会における「信」の実態です。現代の日本社会ではあまり見られないこの濃厚な「信」の存在が、どのように韓国の人たちに共有されているのか。日本とは決定的に違う要素が韓国にはあるのだろうか。そんな疑問を抱きながら出会った本、『キリスト教とシャーマニズム なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか』(ちくま新書)を紹介します。
韓国にクリスチャンが多い理由
そもそも儒教文化圏であった朝鮮半島では、貞操観念や血縁関係を重視する文化が共有されていました。性を家庭内に留めるべきものとし、父母や祖先を敬うことに大きな価値を置いていたのです。そうした儒教に対し、キリスト教は対照的です。超越的な神の前で隣人を愛するように訴えるキリスト教の普及が、儒教では抑圧されていた女性や子どもの権利向上を後押ししました。そうした朝鮮半島における価値観の大きな変更を可能にしたものこそ、人々の生活に根付いていたシャーマニズムであると著者は述べています。
朝鮮半島の人々にとってシャーマニズムは、日々の生活を支える祈りの儀式として定着していました。「クッ」と呼ばれる儀礼を行うシャーマンは、感情豊かな歌と踊りを人々の前で披露します。人生における恨みや悲しみ、祝福や祈願にともなう感情を、シャーマンが「クッ」を通して演劇的に表現する。人々の生活に根ざしていたシャーマニズムを取り入れたことで、キリスト教は朝鮮半島で普及していったのです。
そうした経緯もあって、人口の3割が信徒である現代韓国のキリスト教では、信仰者の集会が熱狂的に盛り上がります。シャーマニズム的な手法を教会での説教に取り入れたことで、信徒の感情に強く訴えることに成功したのです。この「土着化」したキリスト教に対して著者は、かつて馴染むことのできず距離を置いたはずのシャーマニズムにキリスト教徒となることで出会い直したようだ、と皮肉交じりに語っています。
シャーマニズムという土台があったからこそ、韓国における独特なキリスト教の需要へと結びついていった。では、翻って日本はどうでしょうか。日本の宗教の実態を改めて考えるための、ヒントとなる2冊を紹介します。
情緒にもとづく日本の宗教
日本人の多くは神道の神社をお参りし、キリスト教のクリスマスパーティを催し、仏式によって故人を弔います。こうした外形的な行動が内面的な信仰よりも優先される行動に、私たちは自然と馴染んできました。
『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中公新書)では、「宗教」という言葉の意味を拡張することで、こうした無宗教ともアニミズムとも形容されがちな日本人の宗教観が分析されています。本書に則して、日本人の「宗教」を再定義するために必要な、「信仰」·「実践」·「所属」のあり方を順に見ていきましょう。
まず日本人の「信仰」といえば、その曖昧さが知られています。体系的な教義がなく天国や神に対する実感はとても薄い。一方で初詣や神社の宗教行事を身近に感じ、あの世を意識して死者に思いを馳せる。「信じる」と言い切るまではいかない、「ゆるやかな情緒や関心を基調とする、信仰なき宗教」と言うことができるでしょう。
次に「実践」の例として挙げられているのは葬式です。そこで多くの人にイメージされているのは宗教的な儀礼ではなく、「故人をきちんと弔った」という実感ではないでしょうか。まさに、「死者への思いという漠然とした情緒に基づいて葬式は実践されているのである」。
そして「所属」の例としては、神社が挙げられています。私たちにとって神社は公共性を帯びた場所、地域コミュニティの象徴の場としての機能を果たしています。そこに宗教儀礼は無くとも日本的な普遍性がある、そんな意識が共有されています。だからこそ地域に暮らす多くの人々が、「どの神社に対しても、漠然とした所属意識を持てる」のです。
以上のように、情緒的な「信仰」·「実践」·「所属」こそが日本的「宗教」を構成している。そうした観点を持つことで、日本のあいまいな宗教的現象を、「宗教」の名の下に語ることができるのです。
「新宗教」と「新新宗教」
続いて紹介したいのが、『ポストモダンの新宗教 現代日本の精神状況の底流』(法蔵館文庫)です。この本では、現代の日本社会と宗教がどのような関係を持っているのかが論じられます。
まず「新宗教」という言葉です。本書によればこの語は、19世紀以降に誕生した新しい宗教団体を指し、歴史の長いキリスト教や仏教やイスラームといった世界宗教とは区別されます。そんな「新宗教」と呼ばれる教団は主に、庶民のための相互扶助という特徴を持っていました。多くの人が貧しい生活を送っていた時代では、人と人のつながりや助け合いが不可欠だったからです。
時代が下り戦後になると、豊かな消費社会が日本に訪れます。個人ごとの生き方が尊重され、他人とのつながりが希薄になっていきました。「新宗教」の時代には日々の貧しい生活を助け合うことが求められていたのに対し、この時代は個人主義的な傾向が重視されていきます。1970年代以降の、こうした傾向の変化に合わせて誕生した教団を「新新宗教」と呼びます。
以上のことから「新新宗教」は、相互扶助として機能する「新宗教」とは異なり、閉鎖的な「隔離型」か、自由を重んじる「個人参加型」に別れてしまうケースがあるようです。ただいずれにせよ、「「旧」新宗教と比べてみると、新新宗教は現世(現代社会)の秩序や人間関係に親しみが薄いものが多」く、「そこには「空しさ」の感情が漂っている」と著者は分析しています。社会が変化するなかで、豊かな物に囲まれても決して満たされることのない心の空洞が「新新宗教」の救いの対象となったのです。
韓国にしろ日本にしろ、時代と共に変化を遂げてきた宗教の土台には、過去から受け継がれてきた信仰があります。そうした背景を知ることは現代を生きる私たちにとって、現在の宗教や社会や文化を深く理解することにつながります。ドラマから始まり、回りまわって韓国と日本の宗教を考える。こんな行き当たりばったりな読書ができるのも、多様な文化を享受し理解することができる現代社会の恩恵なのかもしれません。
このコラムを書いた人
中島宏樹(なかじま・ひろき)紀伊國屋書店 横浜店
茨城県出身。2015年より紀伊國屋書店横浜店に勤務。文庫・雑誌・文芸書などを担当。2018年より「紀伊國屋書店じんぶん大賞」の選考委員。過去の推薦書籍に『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)、『天然知能』(講談社)、『文化人類学の思考法』(世界思想社)などがある。

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