2026-07-15

무속에서 기독교로 | 최길성 | キリスト教とシャーマニズム ――なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか

무속 에서 기독교로 | 최길성 | 알라딘
무속에서 기독교로
최길성 (지은이) 민속원 2025-03-22



책소개

나의 무속신앙과 기독교는 실체인 동시에 인생극이 중요한 테마이다.

목차
이 책을 시작하면서

1 무속신앙 속에서 태어나
샤머니즘이 나의 모태신앙
무녀도
무당들과 나
무속 연구자로서 출발
은사
내가 본 소놀이굿
일본유학

2 무속 사회
중부 무속에서 남부 무속으로
당골판
호남에서 영남으로
굿에서 본 여자의 한
유란하는 무당들
사후 결혼

3 기독교로 들어가는데
낙향
세례
처녀 잉태설
청교도 윤리
정조관
남자를 위한 정조관
남자의 정조

4 유교와 기독교
근대화론
조상 숭배
기독교와 유교의 충돌

5 기독교와 무속의 혼합
신탁과 방언
기도
예배와 굿
성찬식과 성계육
믿음
배신과 복수
신앙과 성전
사랑
인류애와 식민지

6 기독교의 급성장
순복음교회
교회의 급성장
성령 운동
난장판
부흥회

7 결론

참고문헌

접기
===
기독교와 샤머니즘 ――왜 한국에는 그리스도인 이 많은가 ( 치쿠마 신서) by 최요시성 (Author) 3.7 3.7 out of 5 stars (21) 
==


キリスト教とシャーマニズム ――なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか (ちくま新書)
by 崔 吉城 (Author)  Format: Paperback Shinsho
3.7 3.7 out of 5 stars   (21)

韓国文化に根付くシャーマニズムがキリスト教慎重につながり、クリスチャン大国となっていった。読めば、K-POP、韓国ドラマ、映画がもっとおもしろくなる。== 韓国はクリスチャン大国だ。韓国人の一九・七%がプロテスタント、七・九%がカトリックで、キリスト教が第一宗教である。近代以降、伝統的なシャーマニズムが形を変えてキリスト教伸張につながった。また、その独特な布教でも知られている。こうしたキリスト教の実態はいかなるものなのか。韓国シャーマニズム研究の第一人者である著者が、自身のシャーマニズム研究と韓国社会調査をベースに、わかりやすく解説する。


From Japan


  • From Japan

    Inoo Tanaka / 田中猪夫
    4.0 out of 5 stars K-POPはシャーマニズム!
    Reviewed in Japan on August 5, 2022
    Format: Paperback Shinsho
    副題が「なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか」となっており、李朝時代に儒教の一派である朱子学が浸透した韓国で、30%ものクリスチャンがいる(世界でもっともキリスト教化が進んだ)理由を知る日本人は少ない。この本は、その理由に韓国にはシャーマニズムの土壌があるという驚くべき内容なのだ。

     韓国には「ムーダン」という職業的宗教者(シャーマン)が「クッ」という神を憑依させ、個人の幸福を祈ったり、病気の治療、死者の供養を行う風習がある。 朱子学が国教とされた李氏朝鮮時代はムーダンが賎民とされるなど蔑視されていたが、戦後に韓国で国家主義的価値観とも連動し、巫俗こそが朝鮮固有の宗教であるという思想が生まれた。 戦後のムーダンは女性が多く、降神巫と世襲巫がある。(刑法で禁止されている北朝鮮にもシャーマニズムはあるようだ)
     古代の日本において、人間関係と天気を予測できる人はシャーマンとしてリーダーとなった。卑弥呼がその代表的存在だ。その後、青森のイタコ、沖縄のユタなどのシャーマンがいる。あるいは仏教の一派である密教にもシャーマン的な儀式がある。しかし、韓国ほど日常社会に定着していない。

     イスラームにスーフィズムという一派がある。これで有名なのはトルコの観光名物のセマ(スーフィーダンス)だが、白いスカート状の服を穿き、音楽に併せて1時間以上くるくるくるくると回り続けることは神に近づく(合一)の手段のひとつだとしている。同じように神に近づく(合一)の手段で、「アッラーハ!」「アッラーハ!」と休みなく呼び、瞑想三昧に入るもの(ズィクル)もある。イラクのクーファで生まれたスーフィズムは各地に広がり、オスマン帝国時代にトルコで一大勢力となった。つまり、トルコ民族はイスラーム以前はシャーマニズムが浸透していたため、現象的に似ているスーフィズムに強く共感したのだ。

     このようにイスラームは、土着のシャーマニズムと融合しスーフィズムを生み出したが、逆に韓国は、キリスト教をシャーマニズムに変化させたのだ。例えば、キリスト教の礼拝である祈り、賛美、説教、献金などは「クッ」の祭次と相応し、祭次をひとつの礼拝とみなしている。シャーマニズムの口寄せは、聖霊を受けて宗教的恍惚境におちいった人が語る異言(イゲン)と似ている。韓国ではシャマニズムが職業、結婚、留学、出国、離婚、事業、健康などの生活全般に深く関わっている。韓国シャーマニズムを最初に受け入れたのは、アメリカ人のジェームズ・スカルゲール牧師で、彼がキリスト教を土着宗教に昇華させた。(1888年から40年間)

     そして著者は、韓国のシャーマニズムの儀式は音楽の伴走でリズミカルに行われるが、K-POPの激しい歌や踊りはこれを引き継いでいるというのだ。韓国における統一教会の浸透もそこに理由がある。
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    M.AJIOKA
    5.0 out of 5 stars 著者の人生劇の一コマ、そして「愛」「平和」「感謝」を感じる著書。
    Reviewed in Japan on October 6, 2021
    Format: Paperback Shinsho
    普段の生活の中では気にも留めないキリスト教とシャーマニズム、特にシャーマニズムについては、多くの日本人にとっては全くと言って良いほど馴染みのない言葉。そして、『なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか』のサブタイトルも、これまで時々疑問に感じていた私の興味を大いに引いた。
    本書の前に読んだ同著者書『雀様が語る日本』もそうであったように、著者自身の実体験を基に自身の見解・意見を述べる内容となっており、本書ではさらに自身の研究・調査に加え、先駆者の研究内容にも触れられており、ある種の学術書として真実性、また共感する部分が多々あり、最後まで興味深く読むことができた。

    以下、本書を読み進める中で共感した箇所の抜粋。(私はクリスチャンではないが、著者は敬虔なクリスチャンである。)
    ・P.11 日本では表面的なクリスマス文化が盛んである。そこでは祈りと礼拝に信仰は意識されず、本質抜きの偽クリスチャン文化のように感じる。
    ・P.12 日本のクリスマスの賑わいは異様にも思えるが、これは単なる文化の一つに過ぎず、商店街で行われる祭りのようなものである。日本はクリスマスケーキなどの文化は受け入れたが、信仰は受け入れなかった。
    ・P.16 日韓は儒教、仏教などでは通じあうところもあるが、キリスト教に関しては相反する。
    ・P.117 人類愛をもって生きる人が増えれば民主主義はより進化し、平和になると信ずる。
    ・P.120 キリスト教は普遍的な世界宗教であるにもかかわらず、民族宗教的な色合いが強いのは残念である。・・・偏狭な愛国心による宗教ではなく、あくまで民族を超える宗教でなければならない。
    ・P.122 私はバスの運転手のやさしさに感動した。このような社会こそ理想的で、愛はキリスト教社会でなくとも存在する。
    ・P.155 儒教の倫理や伝統をもって近代化について語ることに、私は矛盾を感じる。
    ・P.180 日本のキリスト教信者は一%前後であるにもかかわらず、クリスマスが盛大に祝われるのは、宗教的な行事を文化として受け入れているからであり、これはキリスト教の世俗化現象ではない。
    ・P.188 現代人は寿命を延長することに熱心であるが、それと同時に死の迎え方についても考えるべきであろう。

    シャーマン・シャーマニズムについての内容のほとんど全て初見であったが、幼い頃からシャーマニズムに接してきた著者の詳細な記述により、容易に頭の中でその様子が想像できた。

    他の同著者書でもそうだが、文章の随所に(私の個人的好みの)素敵な表現、言い回しがある。
    ・P.28 私はこのような農村出身であることを恥じていない。むしろ石器時代からインターネット時代に至るまでの文化的な第一波、第二波、第三波を生きたことを誇りに思っている。
    ・P.122 彼女は日々の生活に感謝しているという。これは毎日の生活からふと現れる虹のような美しい言葉であった。感謝の心は「満足」「ポジティブ」につながり、「平和」の原動力である。
    ・P.148 私は死んでも愛する人やこの世界が反映することを願う。
    ・P.209 私自身にとっては、キリスト教によって生き方が否定的な態度から肯定的に変わったことは大きい。そして多くの人を愛せるようになった。
    ・P.209 最愛の妻の幸子にも愛情をもって感謝する。

    『キリスト教とシャーマニズム』という本を読んでいたはずが、著者の人生劇の一コマ、そして「愛」「平和」「感謝」を感じたのは私だけではないだろう。
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    Amazon カスタマー
    3.0 out of 5 stars エセ新興キリスト教が欠落
    Reviewed in Japan on May 21, 2023
    Format: Paperback ShinshoVerified Purchase
    韓国朝鮮はずっと儒教一辺倒で仏教が少しという時代が続き、元々宗教的な免疫の希薄な所だったのでアメリカの実質支配になった時にキリストを看板にする新興「宗教」が次々と生まれたのだろうと思っている。旧来からのキリスト教信仰圏でカトリックやプロテスタント以外の宗派や教団であっても殆どは信仰の内容や生活倫理でも一定の枠内にあるのだが、韓国にはその伝統がないので迷信的に拡散するのだろう。この本はそのエセ・キリスト教を全く無視している。或いはそれをあからさまに書くと、アメリカのトランプ流のように攻撃される心配があるのだろうか。
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    ika
    4.0 out of 5 stars 神秘主義と神学の調和
    Reviewed in Japan on October 30, 2021
    書評を書くのが難しい本である。著者による膨大な研究の蓄積と人生そのものが、この小さな本に押し込められているからだ。ポイントになる部分に線を引くという方法では読みにくい。一見すると全体との関連が無いように見える部分も、どこかでつながっている。それを意識し始めると集中して読めなくなる。

    「多くのクリスチャンはシャーマニズムを迷信と見なしており、キリスト教にシャーマニズムが潜んでいることに気づいていない」(44)。このことに気づかせるというのが本書の主題だ。

    キリスト教とシャーマニズムの共通点を箇条書きすれば、異言と口寄せ、伝道集会とクッ、神秘性、催眠的な現象、病気治癒、不幸な人格神を中心に形成されていることなど。クリスチャンはそれを聞いてギョッとするかもしれないが、大事なことはバランス感覚である。

    日本のキリスト教では神秘主義的要素が疎んじられるが、著者は「神秘主義を除けば宗教性が弱くなり、逆にそれを過度に強調すれば神学自体が無視される」ので「宗教の発展にはこれらの適切な調和が求められる」(178)とする。

    これは、信仰の本質が、「信じること」と「疑うこと」のバランスで成り立っていることとも重なる。妄信は危ういが、疑うだけでは信仰は成り立たない。宗教や信仰は、科学や知識のように理解するものではないが、疑って検証するという学問的な側面もある。

    「私はキリスト教が宣教によって土着化したとは思えない。そうではなくキリスト教がシャーマニズム化され、それが韓国のキリスト教を急成長させたのである」(199)は至言である。韓国のシャーマニズムは近代化と共に衰退したかのように見えるが、それはキリスト教の中で生き続けている。キリスト教がその受け皿となっているのである。

    一方、キリスト教はシャーマニズム的な要素によって急成長してきた。近年、韓国のキリスト教は衰退傾向にあるが、これはキリスト教そのものではなく、そこに根付いているシャーマニズムを忌避する傾向を反映した現象なのかもしれない。あるいは「神秘主義」と「神学」、「信じること」と「疑うこと」の調和、バランスを整えようと試行錯誤をしている過程なのかもしれない。
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    つくしん坊
    4.0 out of 5 stars シャーマニズムとキリスト教の親和性が、韓国でキリスト教の布教を成功させた
    Reviewed in Japan on November 21, 2021
    Format: Paperback Shinsho
    著者は1940年韓国生まれの韓国系日本人の社会人類学者である。韓国で学んだあと韓国と日本の大学で教鞭をとっている。本書で著者は自らの生い立ちを詳しく語っているが、それによれば母親がシャーマンで、著者も幼時から多くのシャマニズムの儀礼を体験している。その著者は学生時代に結核を罹患し、人生最大の危機を迎えた。その時期にキリスト教と出会い、信者になったという。シャーマニズムとキリスト教の両方を深く体験し、かつシャーマニズムの研究者となった著者でなければ本書は決して書けなかったであろう。

    著者が指摘しているように、通常は巫俗(シャーマニズム)は迷信、キリスト教は宗教と見做され、全く別物とされている。しかし著者がキリスト教信者となって驚いたのは、シャーマニズムとの多くの類似性だったという(違いはもちろんあるが)。第三者ではなく当事者の感想であるから信憑性が高い。神を信じること、儀礼を重んじること、音楽の伴奏やリズム運動があること(特に韓国の場合)、不幸な死者への関心が高い(儀礼で慰める)ことなど、本書には多くの事例が説明されている。著者は、韓国でキリスト教の布教に努めた宣教師たちがこのことを深く理解し、シャーマニズム風の儀礼を取り入れたことが布教の成功につながったと考えている。その結果、韓国人口に占めるキリスト教信者数は約30%に達し、韓国は戦後の世界で最も速やかにキリスト教が普及した国となった(ちなみに日本ではキリスト教信者数は人口のわずか2%程度に過ぎない)。

    本書を読み、日韓では儒教や仏教など共通性があるものの、キリスト教の普及に大差がある理由を知って考えさせられた。また、キリスト教としてシャーマニズムにも全く偏見を持たない著者に感銘を受けた。本書は宗教民俗学の優れた事例である。日本で明治以降、キリスト教が布教に成功したとは言えないのは、宗教民俗学的にも解明する価値があるのではないか。翻って、日本人がシャーマニズムに無関心かといえば決してそうではない。沖縄における今も盛んなシャーマニズムはもちろん、日本本土の神道、占いや霊能者、「パワースポット」人気などにもシャーマニズムの影がある。「どの民族の宗教も多層的であり、古い習俗の名残が残されている」ことに本書は注意を喚起したといえよう。
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    朴 仙容 1947年生、在日コリアン二世。㈱海龍 相談役
    5.0 out of 5 stars 読後感想
    Reviewed in Japan on January 15, 2022
    「キリスト教とシャーマニズム(著者:崔吉城・発行:ちくま新書)」を読み終えた。宗教的な知識が乏しく、読み続けるには辛いものがあった…そもそも、なぜ韓国にキリスト教が広まったのか?…それは米軍政が敷かれ、米兵の半島駐留が原因…日帝からの解放、そして6.25韓国動乱(朝鮮戦争)での救国…それは国連軍というよりもアメリカの力だった。アメリカは救世主、韓国人のその思いがキリスト教信奉に繋がった、と思っていた。一方、キリスト教が日本で広がらなかったのは、先の敗戦で天皇制が崩壊しなかった「神社神道」と無関係ではない、とも思っていた。
     だが本書は、それと異なる分析をしている。著者のシャーマニズム研究の始まりも知ることができた。その研究結果、たどり着いたのが「シャーマニズムとキリスト教の因果関係」だったようだ。その視点で見れば、著者がこの研究にのめり込むのも必然の結果だ。
     そういえば、昔の昔の大昔、「イエスキリストはシャーマンだった」との内容の本を見たことがある。記憶は定かでないが、漠然と覚えている。それが本書の分析と符合、韓国でのキリスト教が多少理解できた。宗教的なワードの理解もでき、興味がわいてきた。
     結論から言うと「本書は日本で宣教活動に携わる人たちの必読書」であろう。日本人の大多数は著者が最初に思ったと同じく、シャーマニズムは迷信・邪教と捉えている。
     正直、シャーマニズムの知識は本書で知り得たことしかないが、韓国の「恨」について考えると、その理解が多少でき、聖霊運動も分かってくる。そして著者が人と出会い、シャーマニズム研究へと導かれる、その過程も神がかり、何かに突き動かされ、研究者になって、テーマを深めていっている、それも必然な感がある。その研究体験が血となり肉となって骨になった。併せて、著者の研究者としての生き様が文面に脈々と流れ、著者の問題提議、宗教論に発展している。
     韓国から大勢の宣教師が日本に来て、宣教対象を在日コリアンにしている、と著者は言い、民族主義的な宣教だとも言う。著者の多くの問題意識の中、この問題が当事者(在日)として気になった。日本における宣教活動の入り口には都合のいい対象に見える在日教会だが、宣教者は在日教会の特質を知らなさすぎる。それは著者の懸念から推測できた。宣教が民族主義的な活動を捨て、多民族共生社会における教会活動に転じることができれば、日本における宣教活動の成果が出てくると、そんな著者の思いを感じた。
    本作も著者が常々言われる「民族主義との闘い」だろう。それを強く印象つけられた本だった。
     追伸:本書理解のために「聖霊運動」について辞書を引いてみた。聖霊運動:祝福・按手祈祷・治療・遂卑と訳されていた…キリスト教の一定の理解がないと本書の趣旨を正確に読み取ることは難しい。聖霊・異言・按手など等、キリスト教ワードが快読を妨げていた。それが少し残念だった。
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    閑人
    5.0 out of 5 stars 人生と研究が詰まった一冊
    Reviewed in Japan on November 6, 2021
    Format: Paperback Shinsho
    読んでいると授業を懐かしく思い出した。ひとつのテーマが縦横無尽に語られ、広く様々な話題に展開する。この本の骨子は、「韓国ではシャーマニズムがあってこそキリスト教が盛んとなった」(はじめに)に尽きる。そのことが、筆者自身の経験から、そして学術的な議論から展開される。韓国社会に私も時に触れるが、得心がいくものだった。そして、特に私が興味深く感じたのは、筆者の人生とこの二つがつながっていることである。人類学者は透明人間ではない。ある現象を見るとき、自分というフィルターを通してみる。だからこそ見えてくる問題もある(見落とすこともたくさんあるのだが)。それが感じとれる一冊である。筆者の人生と研究の歩みが絡んで、それらギュッと詰まった本だと思った。韓国のシャーマンたちの世界をうかがえることも、また、植民地時代の研究が戦後にどう展開するのかを知れることも、本書の魅力だ。
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    黙羊
    1.0 out of 5 stars こんな内容の本を「ちくま新書」として発行するのか・・・
    Reviewed in Japan on April 25, 2026
    Format: Paperback Shinsho
     韓国には、なぜキリスト教徒が多いのかという疑問は、50年以上前にさかのぼる。日本では対照的なほどクリスチャンが少ないのに、なぜ韓国なのか。本書を読んでその疑問が氷解した。韓国のキリスト教とは、米国南部で見られるあの熱狂的なリバイバリストに類似したものなのだ。
     しかし、さらに韓国では、シャーマニズムと融合しているとなると、さすがについていけないものを感じる。仏教でも現世利益をうたっている宗派もあるが、韓国の比ではない。プロテスタントがカトリックよりも多いという状況にも驚くばかりだ。
     プロテスタントと言えば、無教会主義を思い浮かべる私などは、あまりに時代遅れなのだろうか。
     筆者の愛という用語の語感につても、違和感がある。エーリヒ・フロムの「愛するということ」という書物の題名から、すぐに性愛についてについての記載だと思ったというのだが、韓国では「愛」には、精神的な要素は含まれていないだろうか?
     以下、気づいたままに問題個所を列挙する。
    p28
     著者の家には、電気も通わず、旧石器時代のような生活を送っていたとの記述がある。
     あるいは、別な書物に紹介されているだろうが、このような環境から著者が大学まで進学したことが信じられない。
    p34
     私は評論家を志してソウル大学校師範大学に入学した。
     韓国では、日本の大学にあたるものを大学校、学部を大学とよぶので、説明が欲しい。しかし、評論家になろうとするのに、教育学部に進学するということが理解できない。
    p36 シャーマンの「クッ」を『けばけばしい消費行事』と考えていた
     これは、「クッ」が踊り歌い、人々を集めて無駄な金を使わせているという意味か?
     とにかく、説明が不足しており意味不明である。
    P38 
    著者の健康についての記載の信憑性も、著しく低い。 
    著者は、1960年、大学2年生の頃、突然喀血し重症の結核と診断されたという。粗末な住居に隔離され、投薬治療を受けていたが、4年半で完全治癒したという。戦後の日本でも結核患者は多く特効薬が紹介されたが、回復は、はかばかしくなかったと記憶している。
     全般的に言って、著者がほんの少し開示している自己の情報が疑わしいのだが、私の疑問に答えてくれる方はいないだろうか。
    p94
    私がクリスチャンとして生活するようになってからの多いな違和感は祈りであった。
    クリスチャンになる前には、教会に通い、ある程度、その教義や儀式を理解してから受洗するのが定例であろう。信者となってから祈りに対し違和感を感じるということはどういうことだろうか?
    P103
     日本で、韓国人、在日、私で交友関係を築いてきたが、韓国人の友人が帰国することになり、送別会を開こうとしたが、在日の友人は、誘いに応じず、それ以降も昔の関係はきずけなかった。
     この文章に続いて友人関係では「信」を重視するがゆえに、大きく失望することもあるとやや意味不明な記載がある。それだけの交友であったのではないかと思うとともに、あえて記載するほどのことかとも思う。
    P109
     悲しくて泣くという人間の普遍的な現象は、韓国においては声を出して泣く儀礼的な「哭」にまで到達しており、これは日本とは大きく異なる。
     日本には、「哭」のような泣き方がないと言っているのだろうか?「涕」「哭」「泣」「号」と泣く行為を4分類するのは、中国由来のものであり、朝鮮半島には、「泣き女」の風習があったことで、特に芸術的な「哭」が発達したのだろう。日本にも、戦前まで周辺部に「泣き女」が存在したことが報告されており、特に朝鮮と日本で異なることはない。
    p109
    イエスは人間の救済のために活動したにもかかわらず無実の罪で十字架にかけられ、凄絶な最後を遂げたがゆえに、宗教的崇拝の対象となっている。この点において、イエスの信仰はシャーマニズムと結びつく。
     イエスの生のどこが、シャーマニズムと結びつくのか、理解できない。

    P114
     ここもおかしい。
     孔子は男女関係について直接触れることはなかったが、君子の三つの禁忌のひとつとして「色」を挙げている。
     著者が、儒教に親しまなかったとは思えない。この全文は、以下のとおりだが、
    「孔子曰、君子有三戒。少之時、血氣未定、戒之在色。及其壯也、血氣方剛、戒之在鬪。及其老也、血氣既衰、戒之在得。」
     読み下し文では、
    「子曰く、君子に三戒有り。少き時は、血気未だ定まらず、之を戒むること色に在り。其の壮なるに及びてや、血気方に剛なり、之を戒むること闘に在り。其の老いるに及びてや、血気既に衰う、之を戒むること得るに在り」
    一生の禁忌として、「色」を挙げているわけではなく、少い時には、注意すべきだと言っているのである。

    総括
    *こんな内容の本を「ちくま新書」として発行するのかというのが偽らざる心境である。
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    reviewer
    3.0 out of 5 stars 不思議な混交物
    Reviewed in Japan on October 12, 2021
    Format: Paperback Shinsho
    韓国における「キリスト教」の存在の大きさは不思議な現象だ。どうもキリスト教や教会に日本人が抱く「荘厳」なイメージが韓国のキリスト教に伴うあの大声と仰々しさ、いわゆる濃厚な「カルト」の雰囲気にどうもうまく合致しないのだ。だいぶ前に、「韓国とキリスト教」という作品を読んだが、どうもこの謎はうまく説かれてはいなかった。というより、タブーなのか。

    というわけで、この作品のタイトル「シャーマニズム」を見た時には目を開かされた思いだった。そうか、キリスト教と思うから違和感を感じるのであって、これは東シベリアのツングースに起源を持つシャーマニズムにキリスト教の御化粧をほどこしたものと思えば、なにも違和感は起きないのだ。

    というわけでおおいに期待して読み始めた。が、この作品もどうも面白くない。最近の新書はどういうわけか質が低いものが散見される。作品の体をなしていないものや、新書のレベルを逸脱しているものが多い。

    この作品自体も不思議な混交物なのだ。著者の自伝的色彩も濃厚であるが、といって自身のシャーマニズムから信仰への転回の瞬間が語られているわけでもない。あくまでも断片的なエピソードの域を出ない。

    また戦前の京城帝国大学における韓国のシャーマニズム研究の源流が著者の研究と絡めて細かくたどられるのだが、といってその研究の中身や限界や現代的な意義がわかり易く語られるわけでもない。

    一方で、肝心のキリスト教とシャーマニズムの関係についても、両立や対立という矛盾した議論が整理されず繰り返し展開されている始末。けっきょく前後の論理的な脈絡もしっかりしておらず、議論や個人的なエピソードが、著者の思いのままに時間を越えてあちこちらに拡散していく。挙句の果てには、在日教会やKPOPまでに言及。この混沌こそが韓国なのか。それを楽しむべきか。

    本書を読んで、最後に思い出したのが、ローマ法王がセマウル号事件の際に「この事件を韓国人に霊的に道徳的に生まれ変わる機会」と発言したこと。まー、この発言も直接の原文(イタリア語、ラテン語?)にあたったことはなく、しょせん又聞きの域を出ないのだが、韓国のキリスト教は、はたしてキリスト教なのか?いや、そもそもキリスト教とは何なのか?同じような土着化は世界中で起きたはず。
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    Beltono Jam
    4.0 out of 5 stars シャーマニズムに生育した著者だが、今はキリスト者として信仰を持ち、日本と韓国のキリスト教を祖国愛を持って書いている。
    Reviewed in Japan on September 22, 2021
    私の読書はいつも遅いが、しかし、この「キリスト教とシャーマニズム』はすぐに読めた。
     著者は、シャーマニズムの中で生まれ今は、現場の取材をもとにその研究者としてのキリスト教徒である。私は、シャーマンという言葉は聞いたことがあるがそれが何であるのか説明できる力はない。漢字で書けば「巫女」という言葉に関係があるのかな、という程度で、なんとなく関心を持ちたくない言葉であった。このタイトルの本を読んでみたいと思ったのは、以前にこの著者の本を読んで、親しみというか尊敬の思いがあったからである。
     シャーマンとかシャーマニズムというのは宗教学、民俗学(民族学ではない)、人類学などで使われる用語であるらしい。韓国生まれで広島大学の名誉教授崔吉城(チェ・キルソン)さんが、生まれと体験を通してキリスト教と韓国のシャーマニズム、そして日本のキリスト教について書いている。図書館や書斎で書き連ねた著作ではない、現場に出かけ、時間をかけて彼らと共に時を過ごし研究し思考した内容であり、私と同じ年代を韓国で生き、母を尊敬し、今は日本で得た妻を大事にし、祖国韓国を日本と同じように愛している愛国者であることが本文の中で読み取れる。
     この本を読むうちに、私が数少ない日本のキリスト者のひとりとして歩んだ来たことに気づく。国内で、世界でキリスト者としてどういう位置に立っているのかも意識する。私は、この60年以上の中で、日本で宣教する韓国人宣教師の説教を聞いたこともあるし、ソウルへ行ったときは韓国教会の礼拝に出たり、突然ではあったが、ある牧師夫妻に迎え入れられ、言葉の不便があったが数時間を過ごしたこともある。そして特殊な例ではあるがピョンヤンの教会で礼拝に出席したことがあり、今回読んだ、韓国人の精神というか宗教事情を深く知っている著者がわれわれ日本人に対して書いてくれたこの著書は興味深く、素直に引き込まれた。
     本の中には、私が辛うじて知った韓国文化としても「春香伝」とかパンソリという民族芸能についても触れた箇所もあった。読書の苦手な私にとって慣れない漢字のヨミに戸惑うこともあるが、漢字だから意味は理解しながら読み進めた。句読点の位置に迷い、読み返す箇所もあって文章を遡ることもした。
     「シャーマン」と比較した場合、「キリスト教」の教会は学校のようである、という言葉にうなづく。プロテスタントやカトリックという教派を「改新教」とか「天主教」という言い方は日本語の「新教、旧教」というよりいい、「監理教」とか「安息教」という教派名も推測てきて興味深い。
     著者自身の目に触れるだろうことを前提にして読後感を書いたはじめての経験かもしれない。
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Inoo Tanaka / 다나카 이노부
4.0 out of 5 stars K-POP은 샤머니즘!
Reviewed in Japan on August 5, 2022
Format: Paperback Shinsho
부제가 '왜 한국에는 그리스도인이 많을까'로 되어있어 이조 시대 유교의 일파인 주자학이 침투한 한국에서 30%의 그리스도인이 있다

 한국에는 '무단'이라는 직업적 종교자(샤먼)가 '쿠'라는 신을 빙의시켜 개인의 행복을 기원하거나 병 치료, 죽은 자의 공양을 하는 풍습이 있다.
 그 후, 아오모리의 이타코, 오키나와의 유타 등의 샤먼이 있다. 혹은 불교의 일파인 밀교에도 샤먼적인 의식이 있다.

 이것으로 유명한 것은 터키의 관광 명물인 세마(슈피 댄스)이지만, 하얀 스커트 모양의 옷을 입고, 음악에 아울러 1시간 이상 빙글빙글 돌아다니는 것은

 이처럼 이슬람은 토착의 샤머니즘과 융합하여 수피즘을 낳았지만, 반대로 한국은 기독교를 샤머니즘으로 변화시킨 것

 그리고 저자는, 한국의 샤머니즘의 의식은 음악의 반주로 리드미컬하게 행해지지만, K-POP의 격렬한 노래나 춤은 이것을 계승하고 있다고 한다.
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M.AJIOKA
5.0 out of 5 stars 저자의 인생극의 한 컷, 그리고 "사랑" "평화" "감사"를 느끼는 저서.
Reviewed in Japan on October 6, 2021
Format: Paperback Shinsho
평상시의 생활 속에서는 신경 쓰지 않는 기독교와 샤머니즘, 특히 샤머니즘에 대해서는, 많은 일본인에 있어서는 전혀라고 말해도 좋을 만큼 익숙하지 않은 말.
본서 앞에 읽은 이 저자서 『작작님이 말하는 일본』도 그랬듯이,

이하, 본서를 읽어 진행하는 중에서 공감한 개소의 발췌. (나는 그리스도인이 아니지만
P.11 일본에서는 표면적인 크리스마스 문화가 활발하다. 거기에서는 기도와 예배에 신앙은 의식되지
・P.12 일본의 크리스마스의 활기가 이상하게도 생각되지만, 이것은 단순한 문화의 하나에 지나지 않고, 상가에서 행해지는 축제와 같은 것이다.
・P.16 한일은 유교, 불교 등에서는 통하는 곳도 있지만, 기독교에 대해서는 상반된다.
・P.117 인류애를 가지고 사는 사람이 늘어나면 민주주의는 보다 진화해, 평화가 된다고 믿는다.
· P.120 기독교는 보편적인 세계종교임에도 불구하고 민족종교적인 색조가 강한 것은 유감이다.
· P.122 나는 버스 운전사의 부드러움에 감동했다. 이런 사회야말로 이상적이고 사랑은 기독교 사회가 아니어도 존재한다.
· P.155 유교의 윤리나 전통을 가지고 근대화에 대해 말하는 것에, 나는 모순을 느낀다.
・P.180 일본의 기독교 신자는 1% 전후임에도 불구하고 크리스마스가 성대하게 축하되는 것은 종교적인 행사를 문화로서 받아들이고 있기 때문이며, 이것은 기독교의 세속화 현상이 아니다.
・P.188 현대인은 수명을 연장하는 것에 열심이지만, 동시에 죽음의 맞이 방법에 대해서도 생각해야 할 것이다.

샤먼 샤머니즘에 대한 내용의 거의 모두 첫견이었지만, 어릴 적부터 샤머니즘에 접해 온 저자의 상세한 기술에 의해, 쉽게 머리 속에서 그 모습을 상상할 수 있었다.

다른 저자들도 그렇다.
· P.28 나는 이런 농촌 출신임을 부끄럽지 않다. 오히려 석기 시대부터 인터넷 시대에 이르기
・P.122 그녀는 나날의 생활에 감사하고 있다고 한다. 이것은 매일의 생활에서 문득 나타나는 무지개 같은 아름다운 말이었다. 감사의 마음은 '만족' '긍정'으로 이어져 '평화'의 원동력이다.
・P.148 나는 죽어도 사랑하는 사람이나 이 세계가 반영하기를 바란다.
· P.209 나 자신에 있어서는, 기독교에 의해서 생활 방식이 부정적인 태도로부터 긍정적으로 바뀐 것은 큰다.그리고 많은 사람들을 사랑할 수 있게 되었다.
・P.209 사랑하는 아내 사치코에게도 애정을 가져 감사한다.

'기독교와 샤머니즘'이라는 책을 읽었을 것이다.
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Amazon 고객
3.0 out of 5 stars 에세 신흥 기독교 누락
Reviewed in Japan on May 21, 2023
Format: Paperback ShinshoVerified Purchase
한국조선은 쭉 유교 일변도로 불교가 조금이라는 시대가 이어져 원래
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ika
4.0 out of 5 stars 신비주의와 신학의 조화
Reviewed in Japan on October 30, 2021
저자에 의한 방대한 연구의 축적과 인생 자체가 이 작은 책에 밀려 들고 있기 때문이다.

“많은 그리스도인들은 샤머니즘을 미신으로 간주하고, 기독교에 샤머니즘이 숨어 있다는 것을 깨닫지 못한다”(44).

기독교와 샤머니즘의 공통점을 글머리표로 쓰면 방언과 설득, 전도집회와 쿠, 신비성, 최면적인 현상, 질병치유, 불행한 인격신을 중심으로 형성되어 있는 것 등.

일본의 기독교에서는 신비주의적 요소가 휩쓸리지만, 저자는 “신비주의를 제외하면 종교성이 약해지고, 반대로 그것을 과도하게 강조하면 신학 자체가 무시된다” 때문에 “종교의 발전에는 이러한 적절한 조화가 요구된다”(178)로 한다.

이것은 믿음의 본질이 '믿는 것'과 '의심하는 것'의 균형으로 이루어지는 것과 겹친다. 망신은 위험하다.

"나는 기독교가 선교에 의해 토착화된 것 같지 않다. 그렇지 않고 기독교가 샤머니즘화되어

한편, 기독교는 샤머니즘적인 요소에 의해 급성장해 왔다.
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쓰쿠신보
4.0 out of 5 stars 샤머니즘과 기독교의 친화성이 한국에서 기독교 포교를 성공시켰습니다.
Reviewed in Japan on November 21, 2021
Format: Paperback Shinsho
저자는 1940년 한국에서 태어난 한국계 일본인의 사회인류학자이다.

30%에 달했고, 한국은 전후 세계에서 가장 빠르게 기독교가 보급된 나라가 되었다(덧붙여서 일본에서는 기독교 신자 수는 인구의 불과 2% 정도에 불과하다).

이 기념교로서 샤머니즘에도 전혀 휘두르고 일본인이 샤머니즘에 무관심이라면
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朴仙容 1947 학년, 재일 코리안 2세. ㈜해룡 상담역
5.0 out of 5 stars 독후 감상
Reviewed in Japan on January 15, 2022
'기독교와 샤머니즘(저자: 최길성, 발행: 치쿠마 신서)'을 읽었다. 조선전쟁에서의 구국…
 하지만 본서는 그것과 다른 분석을 하고 있다. 저자의 샤머니즘 연구의 시작도 알 수 있었다.
 그러고 보니 옛날 옛날 옛날 '예수 그리스도는 무당이었다'는 내용의 책을 본 적이 있다. 기억은 확실하지 않다,
 결론부터 말하면 「본서는 일본에서 선교활동에 종사하는 사람들의 필독서」일 것이다. 일본인의 대다수는
 솔직히, 샤머니즘의 지식은 본서에서 알 수 있었던 것 밖에 없지만, 한국의 「원한」에 대해서 생각하면, 그 이해를 다소 할 수 있고, 성령 운동도 알 수 있다.
 일본에서의 선교사가 일본에 와서 선교 대상을 재일 코리안으로 하고 있다고 저자는 말해
본작도 저자가 항상 말하는 '민족주의와의 싸움'일 것이다.
 추신:본서 이해를 위해서 「성령운동」에 대해 사전을 그려 보았다. 성령운동 : 축복·안수기도·치료·수비
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한인
5.0 out of 5 stars 인생과 연구가 담긴 한 권
Reviewed in Japan on November 6, 2021
Format: Paperback Shinsho
이 책의 골자는 “한국에서는 샤머니즘이 있어 기독교가 활발해졌다”(처음에)에 다한다. 그리고 특히 내가 흥미롭게 느낀 것은 있는 것도
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묵양
1.0 out of 5 stars 이런 내용의 책을 「치쿠마 신서」로서 발행하는 것인가・・・
Reviewed in Japan on April 25, 2026
Format: Paperback Shinsho
 일본에는 대조적인만큼 기독교인이 적은데 왜 한국인가.
 그러나 한층 더 한국에서는, 샤머니즘과 융합하고 있다고 한다면, 과연에 관해서는 안 되는 것을 느낀다.
 개신교라고 하면 무교회주의를 떠올리는 나 등은 너무 시대 늦었을까.
 에리히 프롬의 '사랑한다는 것'이라는 책의 제목에서 곧 성애에 대한 설명이라고 생각했지만
 이하, 눈치채는 채로 문제 개소를 열거한다.
p28
 저자의 집에는, 전기도 통하지 않고, 구석기 시대와 같은 생활을 보내고 있었다고 하는 기술이 있다.
 혹은, 다른 서적에 소개되고 있겠지만, 이러한 환경으로부터 저자가 대학에 진학한 것을 믿을 수 없다.
p34
 저는 평론가를 의미하며 서울대학교 사범대학에 입학했습니다.
 한국에서는 일본의 대학에 해당하는 것을 대학교, 학부를 대학이라고 하기 때문에 설명을 갖고 싶다.
p36 샤먼의 「쿡」을 「굉장한 소비 행사」라고 생각하고 있던
 이것은, 「쿡」이 춤추고 노래해, 사람들을 모아 쓸데 없는 돈을 사용시키고 있다고 하는 의미인가?
 어쨌든, 설명이 부족하고 의미가 알려지지 않았습니다.
P38 
저자의 건강에 대한 진술의 신뢰성도 현저히 낮다. 
저자는 1960년 대학 2학년 때 갑자기 객혈과 중증 결핵으로 진단됐다고 한다.
 전반적으로 말해, 저자가 조금 공개하고 있는 자기의 정보가 의심스러운 것이지만, 내 의문에 대답해 주는 분은 없을까.
p94
내가 기독교인으로서 생활하게 된 이후로 많은 위화감은 기도였다.
그리스도인이 되기 전에는 교회에 다니고 어느 정도 그 교리나 의식을 이해하고 나서 수세하는 것이 정례일 것이다.
P103 일본에서
 한국인, 재일, 나로 교우 관계를 구축해 왔지만, 한국인의 친구가 귀국하게 되어, 송별회를 열려고 했지만, 재일의 친구는, 권유에 응하지 않고, 그 이후에도 옛 관계는 끊어지지 않았다.
 이 문장에 이어 친구관계에서는 '신'을 중시하기 때문에 크게 실망하는 경우도 다소 의미불명한 기재가 있다. 그만큼의 교우였던 것이 아닐까
P109
 슬프고 우는 인간의 보편적인 현상은 한국에서는 목소리를 내며 우는 의례적인 '哭'
 '눈물', '哭', '울음', '호'로 울음행위를 4분류하는 것은 중국 유래의 것이며, 한반도에는 '울음녀'의 풍습이 있었기 때문에 존재한 것으로보고되어 있으며, 특히 조선과 일본에서 다르지 않다.
p109
예수께서는 인간의 구제를 위해 활동하셨음에도 불구하고 무고한 죄로 십자가에 못 박혀
 예수의 삶의 어디가 샤머니즘과 연결되는지 이해할 수 없다.

P114
 여기도 이상하다.
 공자는 남녀 관계에 대해서 직접 연락할 수 없었지만, 군자의 세 가지 금기 중 하나로 '색'을 들고 있다.
 저자가 유교에 친하지 않았다고는 생각되지 않는다. 이 전문은 다음과 같지만,
계명. "아, 군자에게 삼계 있음 어쨌든, 혈기 이미 쇠약해지는, 之






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리뷰어
3.0 out of 5 stars 이상한 혼잡
Reviewed in Japan on October 12, 2021
Format: Paperback Shinsho
아무래도 기독교나 교회에 일본인이 품고 있는 '장엄한' 이미지가 설득되어 있지 않았다. 보다는 금기인가.

그래서 이 작품의 제목 '샤머니즘'을 보았을 때는 눈을 뜨게 된 생각이었다. 그런가, 기독교

그래서 냄새에 기대해 읽기 시작했다. 하지만 이 작품도

저자의 자전적 색채도 농후하지만, 그렇다고 자신의 샤머니즘에서 신앙으로의 전회의 순간이 말해지고 있는 것은 아니다.

또 전전 경성제국대학에서의 한국의 샤머니즘 연구의 원류가 저자의 연구와 관련되어 세세하게 뒤따르지만, 그 연구의 내용과 한계나 현대적인 의의를 알기 쉽게 말할 수는 없다.

한편, 중요한 기독교와 샤머니즘의 관계에 대해서도, 양립이나 대립이라는 모순된 논의가 정리되지 않고 반복 전개되고 있는 시말.

이 책을 읽고 마지막으로 떠올린 것이 로마 교황이 새마을호 사건 때
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Beltono Jam
4.0 out of 5 stars 샤머니즘으로 생육한 저자이지만, 지금은 그리스도자로서 신앙을 가지고, 일본과 한국의 기독교를 조국 사랑을 가지고 쓰고 있다.
Reviewed in Japan on September 22, 2021
나의 독서는 언제나 느리지만, 이 「기독교와 샤머니즘」은 곧 읽을 수 있었다.
 나는 샤머니즘 속에서 태어나 지금은 현장의 취재를 바탕으로 그 연구자로서의 기독교도이다. 샤먼이라는 말은 들었던 적이 있다.
 샤먼이나 샤머니즘이라는 것은 종교학, 민속학(민족학이 아닌), 인류학 등에서 사용되는 용어인 것 같다. 한국 출생으로 아니,
 이 책을 읽는 동안, 내가 몇 안되는 일본 그리스도인 중 한 사람으로 걸어왔다는 것을 깨닫는다. 부부에게 맞이되어 말의 불편이 있었지만
 책중에는 내가 겨우 알았던 한국문화로도 '하루카덴'이라든지 판소리라는 민족예능에 대해서도 언급한 부분도 있었다. 독서의 서투른 했다.
 개신교와 가톨릭이라는 교파를 '개신교'라든가 '천주교'라는 말은 일본어의 '신교, 구교'
 저자 자신의 눈에 닿을 것이라고 전제로 독후감을 쓴 첫 경험일지도 모른다.
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치수철
4.0 out of 5 stars 한국과 한국 문화에 관심이 있는 사람에게는 독독을 추천한다
Reviewed in Japan on October 24, 2021
Format: Paperback Shinsho
평가가 어려운 책이다.
읽는 사람을 선택한다고 생각한다.
이 가격, 볼륨으로 한국의 종교 문화에 대해 가르쳐 주는 책은 본서 이외에는 좀처럼 보이지 않는다. 다만, 이야기가 영향을 받아 자라면서 성인 후 감히
'哭声'라는 쿠니무라 하야가 준주역을 맡아 한국에서 대히트했다는 영화를 보러 간 적이 있다.
한국문화를 이해하기 위해서는 토착의 샤머니즘, 그 안티테제로 국교하는 유교, 서양문화의 침식을 받아 기독교의 침투와 민족국가의 기와해
한국의 영화, 드라마, 음악 모두 일본에서는 인기가 있다. 한국과 한국 문화에 흥미가 있는 사람에게는 일독을 추천한다.
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미미쿠
4.0 out of 5 stars 붉은 십자가의 어머니 교회의 수수끼끼
Reviewed in Japan on November 9, 2022
Format: Paperback Shinsho
우로 숭배에 번거로운 신사 맹세하는 창가, 안수, 손길, 금식에 의한 방언 획득, 예언을 받는 장려,
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===
https://www.kirishin.com/book/51764/


https://www.kirishin.com/book/51764/

서평] 『기독교와 샤머니즘』 최요시기


 기독교인의 수가 인구의 30%를 넘는다고 하며, 아시아 유수의 '기독교 대국'이 된 한국. 그 요인이 샤머니즘에 있는 그리스도인 사회인류학자.

 이조 시대에 팔천이라는 8종류의 봉민계급이 있었고, 한국의 샤먼 무당은 그 하나로 피차별 집단이었다.

 저자에 의하면, 샤머니즘과 기독교의 사이에는 많은 유사점이 존재한다.

 기독교를 토착 종교로 승화시키기 위해 노력한 미국인 선교사 제임스 스커스게일은 한국 민족은 감동하기 쉽고 기독교는

 하지만 유명한 사고방식도 뿌리깊다. 유교의 조상 숭배·우상 숭배 선언해

 저자는 “지성적 신학을 앞세워 포교에 실패한 일본의 개신교와 달리 한국교회에서는 샤머니즘과 기독교가 공존혼재해 주로

 최근에는 한국에서도 기독교의 기세가 왕시만큼은 아니라고 하지만 일본은 어떨까.
==
https://uselessasusual.hatenablog.com/entry/2021/10/16/103957



2021-10-16
'기독교와 샤머니즘 왜 한국에 기독교인이 많은가' 최길성(최길성)의 을 샀다
이런 책을 샀다


기독교와 샤머니즘 본서에 따르면 한국에서는 기독교가 '제일종교'이고 한국 국민의 30% 가까이가 본서다. 그리고 최씨가 발견한 '한국 기독교의 특징', 그것이야말로《샤머니즘과의 혼합 >>이다.


방금 전의 목사는 재삼에 걸쳐 “무병의 성령 체험을 통해 전도사가 됐다”고 말해, 나는 조금 흔들렸지만,
「제5장 샤머니즘 과 기독교 의 조화」(p.175)

 그리고, 「샤머니즘」이라고 하는 프리미티브인 종교 감정을 가진 한국인에 있어서는, 미국 태생의 기독교 , 「리바이벌」로 대표되는 것 같은 「열광」적인 기독교 가, 매우 맞는 것이었던 것 같다.

 그 증거에 '리바이벌' 운동이라는 '열광'적인 운동이 전국 규모로 퍼진 지역은 극동아시아 중에서는 '한국만'이었던 것 같다.


 1888년에 한국에 와서 약 40년간 사람들에게 복음을 전하고 그 경험 속에 한민족은 성령에 감동하기 쉬운
 기독교는 한국의 풍토에 적합했고, 한국 사람들에게는 기독교를 받아들이는 소지가 있었다. 이것은 한국의 기독교의 특징으로도 이어지고 있다.
「제5장 샤머니즘 과 기독교 의 조화」(p.175)

 이와 같이, 미국 출생의 「열광」적인 기독교는, 한국의 풍토에 매우 적합했던 것 같다.

 즉, 한국 사람들은 '머리'에 남는 것보다 '하트'에 울리는 것을 좋아한다는 것이다.
 그리고 그것은 어떻게 '하트'에 영향을 주는지가 판단의 기준이 된다는 것이다.

 이러한 특질을 가진 한국의 그리스도 교회이지만, 본서에는 그 예배의 모습이 다음과 같이 그려져 있다.


제가 1993년에 참가한 장로파에 속한 한 교회의 기우회에서는 다음과 같은 광경이 보였다.
 신자의 '통성기도', 손을 두드리면서 몸을 움직이면서의 찬양가합창, 목사는 치유의 기도를 행하고(그 때 목사는 신자의 머리나
「종장 샤머니즘 에서 기독교 로」(p.202)

 일본의 교회에서는 생각할 수 없는 일이지만, 한국의 교회에서는, 이렇게 「激렬하고」 「시끄러운」 예배가 행해지고 있는 듯하다.
 역시, 한국의 교회에서는, 「머리」에 남는 것보다, 「하트」에 울리는 것 쪽이 선호되고 있는 것 같다.

 그리고 이런 한국의 '열광'적인 예배의 모습은 미국의 '리바이벌' 때의 예배의 모습과 닮아 있는 것 같았다.
 그때 미국의 예배의 모습이 모리모토 안리씨의 저명한 '반지성주의 미국이 낳은 '열병'의 정체'에서는 다음과 같이 그려져 있었다.


교회 예배와 기도회는 대성황으로 모인 사람은 구원의 환기와 죄의 비탄에 울부짖는다.
 요컨대 집단 히스테리이다. 이 현상은 전염력이 강하다. 한 마을에서 옆 마을로 차례로 퍼져가서
「반지성주의 미국 이 낳은 「열병」의 정체」

 일본인의 감각으로부터 보면, 조금 당겨 버리는 것 같은 광경이다.

 그렇지만, 확실히 한국인도, 또 미국인도, 희로애락이라고 하는 「감정 표현」이 매우 풍부한(격렬한?) 사람들처럼 보인다.
 그와는 반대로, 우리 일본인은 그것을 표현하는 것이 약하다.

 그렇다면 이런 '열광'적인 신앙체계는 일본의 풍토에는 적합하지 않았고, 이웃 나라 '한국'에야말로 적합했을 것이다.

 그리고 이런 '열광'적인 신앙체계를 우리 일본인은 받아들이지 않는다고 해도 그것을 받아들이고 있는 '상대'를 이해하려고 하는 것은 매우 중요한 일이라고 생각한다.

 이 '열광'을 좋아하는 사람들은 '반지성주의'라고 하는 것으로 분류된다고 생각하지만, 이 '반지성주의'로 한 곳에서 제대로 이해하기에는 나름대로 수고가 걸리는
 자세한 것은, 호프스타터의 「미국 의 반지성주의」인가, 모리모토 안리씨의 「반지성주의 미국이 낳은 「열병」의 정체」를 읽어 주어져.

 그래서 그 모리모토 안리씨의 '반지성주의 미국이 낳은 '열병'의 정체'에는 다음과 같은 기술이 있다. 조금 길지만 인용해 보자.


그때까지 사람들이 들어온 설교라고 하면 대학출의 인텔리 선생님이 2시간에 걸쳐서 계속 얘기하는 난해한 교리의 진술이다.

 호프 스태터는 이를 "마치 무대 코러스 댄서의 최전열인 젊은 딸에게 마음을 빼앗긴 정주를 보고 있는 고녀방"에 비해 설명했다.
『반지성주의 미국 이 낳은 '열병'의 정체' 모리모토 안리의 신조 신서 (p.83-84)

 위와 같은 서술을 읽어 보면, 우리에게도 '반지성주의'라고 불리는 사람들의 심정을 잘 이해할 수 있는 것은 아닐까.

 그리고, 반복이 되지만, 「반지성주의」의 사람들에게는, 「머리」에 남는 교양적인 설교보다, 「하트」에 영향을 주는 열광적인 설교 쪽이 선호되는 것이다.
 그러므로 그들 '하트'를 중시하는 사람들에게 뭔가를 전하고자 할 때는 '정보' 운운보다 '감정'을 전면에 내놓는 것이 그들도 받아들이기 쉽다고 생각한다.
 요점은 상대방의 취향에 맞는다는 것이다.

 그리고, 이것은, 같은 것이 「한국 기독교」에게도 말할 수 있는 것 같다.
 그렇다고 하는 것도, 「한국 기독교」는, 세계를 향한 선교에 열심으로, 일본인에게의 전도에도 힘을 넣고 있는 것이다.


한국의 그리스도 교회는 일본인에 대한 전도에 힘을 쏟고 있지만 일본 문화와 사람들의 감정을 무시한 설교를 하는 목사도 많다.
「제5장 샤머니즘과 기독교 의 조화」(p.177)

 일본의 그리스도 신자들은 「머리」에 남는 교양적인 설교를 좋아하는 것 같기 때문에, 한국식의 「하트」에 영향을 주는 열광적인 설교에서는 잘 되지 않는 것 같다.

 그리고, 이러한 버튼의 엇갈림은, 일본과 한국의 일반적인 사이에도 있는 것은 아닐까.
 일본과 한국 사이가 뭔가 있을 때마다 기스기스하는 것도, 일본은 '머리'쪽을 좋아한다.
 그런 것을 본서를 읽으면서 느낀했을 것이다.

 이상, 끝.
==
https://book.asahi.com/jinbun/article/14502262


샤마니즘 · 완만한 정서 · 신신 종교 한국과 일본의 종교를 생각한다 기이쿠니야 서점원 추천 책


2021.12.20

샤마니즘 · 느슨한 정서 · 신신종 기이쿠니야 서점원 추천 본

기사 : 진부도 기획실한국은 국민의 30% 가까이가 그리스도인이며, 전후 세계에서 가장 기독교화가 진행된 나라다("기독교와 샤머니즘"보다) 지인의 권유로,

책 정보는 이쪽 Share




 최근 지인에게 권유되어 '이태원 클래스'라는 드라마를 보았습니다. 한국의 이태원이라는 번화가를 거점

 주인공이 시종일관적으로 타협하지 않는 신의, 가족이나 친구에 대한 두터운 신뢰, 그리고 절대적으로 복수를 한다는 단단한 신념.

 그런데, 거기서 신경이 쓰이는 것이, 현실의 한국 사회에 있어서의 「신」의 실태입니다.
한국에 그리스도인이 많은 이유

 원래 유교문화권이었던 한반도에서는 정조관념과 혈연관계를 중시하는 문화가 공유되고 있었습니다. 성을 가정내에 두어야 하고 이런 한반도에서


 한반도 사람들에게 샤머니즘은 일상생활을 지원하는 기도 의식으로 정착했습니다. '쿠'라는 의례를 하는 샤먼은 사람들 앞에서 도입으로 기독교는 한반도에서 보급되어 왔습니다.

 이런 경위도 있고, 인구의 30%가 신도인 현대 한국의 기독교에서는 신앙자의 집회가 열광적으로 고조됩니다.

 샤머니즘이라는 토대가 있었기 때문에 한국에서의 독특한 기독교 수요로 연결되어 갔다.그렇다면 일본은 어떠합니까?
정서에 근거한 일본 종교

 일본인의 대부분은 신도의 신사를 참가하고, 기독교의 크리스마스 파티를 개최하고, 불식에 의해 고인을 조롱합니다.

 『종교와 일본인 장례식 불교부터 영적 문화까지』(중공신서)에서는 '종교'라는 말의 의미를 확장함으로써

 우선 일본인의 「신앙」이라고 하면, 그 애매함이 알려져 있습니다. 체계적인 교리가 없고 하는, 신앙 없는 종교」

 다음에 「실천」의 예로서 꼽히고 있는 것은 장례입니다. 거기서 많은 사람에게 이미지 되고 있는 것은 종교적인 의례가 아니고,

 그리고 「소속」의 예로는 신사를 들 수 있습니다.우리에게 신사는 공공성을 가지는 장소, 지역사회의 상징의 장소로서의 기능을 실시하고 있습니다.

 이상과 같이 정서적인 '신앙'·'실천'·'소속'이야말로 일본적 '종교'를 구성하고 있다.
「신종교」와 「신신종교」

 계속 소개하고 싶은 것이, 「포스트 모던의 신종교 현대 일본의 정신 상황의 저류」(법장관 문고)입니다.

 이 책에 의하면 이 단어는 19세기 이후에 탄생한 새로운 종교 단체를 가리키며 역사가 긴 기독교와 불교, 이슬람 같은 세계 종교와 구별됩니다.

 시대가 내리기 전후가 되면, 풍부한 소비 사회가 일본에 방문합니다. 개인마다의 생활 방식이 존중되어, 타인과의 연결이 희박해져 갔습니다. '신종교'

 이상으로부터 「신신종교」는, 상호부조로서 기능하는 「신종교」와는 달리, 폐쇄적인 「격리형」인가, 자유를 중시하는 「개인 참가형」에 헤어져 버리는 케이스가 있는 것 같습니다. 많다,

 한국이든 일본이든, 시대와 함께 변화를 이루어온 종교의 토대에는 과거부터 계승되어 온 신앙이 있습니다.

이 칼럼을 쓴 인
나카지마 히로키(나카지마·히로키) 기이쿠니야 서점 요코하마점

2015년부터 기이쿠니야 서점 요코하마점에 근무. 문고·잡지·문예서 등을 담당. 2018년부터 「기이쿠니야 서점 진분 대상」의 전형 위원. 과거의 추천 서적에 
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진부도 기획실 (진부도키키쿠시츠)

진부도 운영위원회에서 구성하는 기획실입니다.진부도 특유의 시점에서
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서점원씨 칼럼

서점원씨가 엄선한 사람 문서를 소개하고 있습니다(격주 월요일 연재). 독서의 참고로 부디.
모두가 안고 있는 「약점」을 신경
쓰는 것 ――정치적 정확성과 '꾸짖는 의존' 기이쿠니야 서점원씨 추천 책
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1] 무속에서 기독교로 | 최길성 | 
2] 기독교와 샤머니즘 ――왜 한국에는 기독교인이 많습니까?
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이 두 책은 같은 책인가요?
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결론부터 말씀드리면, 질문하신 두 책은 같은 저서의 일본어판과 한국어 번역판 이 맞습니다.

두 책의 서지 정보와 구성을 비교해 보면 다음과 같습니다.

  • 일본어 원서: <기독교와 샤머니즘 - 왜 한국에는 크리스찬이 많은가> (기독교와 샤머니즘

  • 한국어 번역판: <무속에서 기독교로> (민속원, 2025년 출간)

목차 및 내용 비교

두 책은 고(최)성 최길성 교수가 자신의 학문적 여정과 한국 종교사를 결합하여 저술한 책으로,

한국어판 목차 (<무속에서 기독교로>)일본어판 목차 (<기독교와 샤머니즘>)
이 책을 시작하면서 (샤머니즘이 나의 모태신앙 등)서장 일본과 한국의 기독교 문화 / 제1장 샤머니즘에서 태어난
무속 사회 (중부·남부 무속, 굿의 여자의 한 등)제2장 샤머니즘 연구에
기독교로 들어가는데 (세례, 청교도 윤리 등)제3장 기독교와의 만남
유교와 기독교 (근대화론, 조상숭배와 충돌)제4장 유교와 기독교 갈등
기독교와 무속의 혼합 (방언 기도, 예배와 굿 등)제5장 샤머니즘과 기독교의 조화
기독교의 급성장 (순복음교회, 성령 운동 등) / 결론종장 샤머니즘에서 기독교로

핵심 문제의식

저는 한국기독교가 급성장할 수 있던 배경을 단순히 외부에서의 전파로만 보지 않습니다. 오히려 한국인의 심저에 흐르는 등에서

같은 텍스트이므로, 선호하시는 언어나 구하기 편한 판본으로 선택해 읽어도 좋습니다.


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<무속에서 기독교로> (<기독교와 샤머니즘 ―― 왜 한국에는 크리스찬이 많은가>)는 평생을 샤머니즘 연구에 바친 문화인류학자 최길성 교수

1. 내용 요약

이 책은 총 5장과 서장, 종장으로 구성되어 있으며 저자의 개인적 체험과 학술적 분석이 유기적으로 연결되어 있다.

서장과 제1~2장: 샤머니즘적 배경과 인류학적 투신 저자는 어린 시절 할머니의 손에 이끌려 굿판을 보며 자란 경험을 고백한다. 샤머니즘은 저자에게 학문적 대상이기

제3~4장: 기독교와의 만남과 유교적 갈등 특히 한국 사회를 지배하고 있던 유교적 가치관 깨뜨리는 근대화의 동력으로 작용했지만, 한편으로는 한국인의 심층 심리에 자리잡은 영적 욕구를 온전히 채워주지 못했다.

제5장 및 종장: 샤머니즘과 기독교의 융합, 그리고 급성장 책의 핵심은 기독교와 샤머니즘이 어떻게 조화를 이루었는가에 있다. 저자는 한국에서 기독교가 폭발적으로 성장한 원인을 통성기도

2.평론

기존의 한국 기독교사 연구가 주로 선교사들의 활동이나 정치사회적 요인에 집중했다면, 최길성은 한국인의

첫째, 자서전적 인류학(Auto-ethnography)의 탁월한 변주다. 저자는 관조적인 관찰자에 머물지 않는다.

둘째, 기독교의 폭발적 성장을 '샤머니즘의 연속성'으로 해석한 혜안이 돋보인다. 한국 기독교, 특히 대형교 기독교가

셋째, 일본어판 신서로 먼저 기획된만큼, 저자는 '왜 일본에는 기독교가 전파되지 않았는데

결론적으로 <무속에서 기독교로>는 종교 간의 경계를 허물고 한국인의 정신사적 뿌리를 추적한 역작이다. 기독교를 믿으면서도

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<무속에서 기독교로> 요약과 평론

최길성 지음, 민속원, 2025

2025년 민속원에서 출간된 이 책은 자전적 회고, 무속 현지조사 기록, 기독교 비판, 한국종교문화론이 결합된 저술이다.

1. 무속신앙 속에서 태어나다

최길성은 샤머니즘이 자신의 모태신앙이었다고 말한다. 여기서 모태신앙이라는 표현은 오늘날 기독교인이 사용하는 의미와 다르다.

그가 무속을 연구하게 된 것도 외부인의 호기심 때문에만은 아니었다. 무속은 그가 떠나온 세계이면서도 완전히

최길성은 1968년부터 1972년까지 한국민속 종합조사에 참여하면서 남부지역 무속을 접했으며, 무당집단과 굿을 사회구조 속에서 연구했다.

책에는 중부 무속과 남부 무속, 전라도의 당골판, 호남과 영남의 차이, 유랑하는 무당, 굿에 나타나는 여성의 한, 사후결혼 등의 주제가 등장한다.

전통사회에서 공식적으로 발언하기 어려웠던 여성과 가난한 사람, 억울하게 죽은 사람의 목소리가 굿에서는 신령의 말로 표현될 수 있었다.

2. 무속을 미신으로 여기고 기독교로 들어가다

근길성은 무속을 연구했지만 어느 시점에는 그것을 미신으로 판단하고 기독교로 개종한다.

그러므로 무속에서 기독교로 간다는 것은 한 종교에서 다른 종교로 옮기는 것만이 아니라 농촌에서 도시로, 전통에서 근대로, 미신에서 이성으로 이동한다는 의미를 가졌다.

책의 목차에 처녀인태설, 청교도 윤리, 정조관, 남성용 정조관과 남자의 정조 등이 포함된 것은

특히 성윤리에 대한 그의 관심은 한국기독교가 여성에게 순결과 희생을 강요하면서 남성의 성적 행위에는 상대적으로 관대했던 이중성을 겨냥한다.

3. 유교와 기독교의 충돌과 결합

책은 기독교와 무속의 관계뿐만 아니라 유교와 기독교의 관계도 다룬다. 의례였다.

기독교는 개인이 하나님 앞에 직접 서는 신앙을 강조했지만 유교사회에서 개인은 조상과 자손으로 이어지는 혈연 공동체속에 존재했다.

그렇다고 기독교가 유교를 완전히 몰아낸 것은 아니다.

4. 교회 안에서 다시 무속을 만나다

이 책의 가장 중요한 주장은 저자가 무속을 떠나 기독교로 들어갔지만 교회 안에서 다시 무속을 만났다는 고백이다.

교회에서 이루어지는 방언과 예언, 안수기도, 치유기도는 형식과 해석은 다르지만

새벽기도와 철야기도, 통성기도에서는 감정을 절제하는 것보다 큰 소리로 울고 외치며 몸을 흔든다. 이런 집단적 급성장 할 수 있었다.

저자는 순복음교회와 성령운동, 부흥회를 중요하게 다루는 것도 이 때문이다.

기독교의 하나님은 무속의 신령과 다르지만, 신앙을 통해 건강·재산·입시·사업의 성공을 얻고자 하는 태도는 무속의 복구하기와 크게 다르지 않을 수 있다.

5. 한국 기독교 급성장의 문화적 배경

한국 기독교의 급성장은 흔히 선교사의 헌신, 성경 중심 신앙, 교육과 의료사업, 산업화와 도시화로 설명된다.

목사는 무당과 같지 않았지만 초월적 권능을 중개하는 인물로 받아들여질 수 있었다.

이 해석은 서기화의 결과로만 보는 관점을 수정한다.

6. 평론: 개종기가 아니라 한국종교의 순환사

최길성 개인은 무속에서 태어나 무속을 연구하고, 무속을 미신으로 판단하여 기독교로 들어갔다가 교회에서 다시 무속적 요소를 발견했다.

둘째, 저자는 무속과 기독교를 선악이나 진위의 단순한 대립으로 보지 않는다.

특히 저자가 <사랑, 인류애와 식민지>를 함께 다루는 것은 중요하다. 기독교는 사랑과 구원을 말하면서도 제국주의의 확장과 식민지 지배에 협력한 역사가 있다.

셋째, 이 책은 한국 기독교의 무속성을 단순한 조롱으로 소비하지 않는다. “한국 교회는 무당집단과 같다”

무속과 기독교의 유사성을 지나치게 강조하면 서로 다른 역사와 교리, 윤리적 지향을 축소할 위험이 있다.

식민지시대의 교육·의료 활동, 해방과 한국전쟁, 반공주의, 미국의 영향, 산업화와 도시 이주, 대형교회의 조직력 등을 함께 고려해야 한다. 무속은 중요한 문화적 토대였지만 유일한 원인은 아니다.

7. 종합 평가

<무속에서 기독교로>는 기독교로 개종한 사람이

이 책이 던지는 가장 불편한 질문은 다음과 같다.

<한국 기독교는 한국의 무속을 극복했는가, 아니면 무속의 욕망과 의례를 기독교의 이름으로 재편했는가?>

기독교는 무속을 이단과 미신으로 배척하면서도 무속이 담당했던 치유, 신탁, 복, 감정 해소와 공동체 결속의 기능을 흡수했다.

그러나 이것을 기독교의 타락으로만 볼 필요는 없다. 모든 종교는 새로운 사회에 들어갈 때 토착문화를 받아들여 변화한다.

따라서 이 책은 무속과 기독교 중 어느 것이 참된 종교인지 판단하는 것보다, 종교가 인간의 불안·욕망·한·권력관계를 어떻게 담아내는지를 묻는다. 최길성의 생애는

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<무속에서 기독교로> 요약과 평론

최길성 지음, 민속원, 2025

2025년 민속원에서 출간된 이 책은 자전적 회고, 무속 현지조사 기록, 기독교 비판, 한국종교문화론이 결합된 저술이다.


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<무속에서 기독교로> 요약과 평론
최길성 지음, 민속원, 2025


최길성의 <무속에서 기독교로>는 무속을 버리고 기독교인이 된 사람의 단순한 개종기가 아니다. 이 책은 무속을 생활세계로 경험하고 평생 한국 무속을 연구한 문화인류학자가 기독교인이 된 뒤, 교회 안에서 다시 무속과 닮은 종교 현상을 발견하게 되는 지적·신앙적 여정을 기록한다. 자전적 회고와 무속 현지조사, 기독교 비판, 한국 종교문화론이 결합된 책이라고 할 수 있다.


무속신앙 속에서 태어나다


최길성은 무속을 자신의 모태신앙이라고 표현한다. 여기서 모태신앙은 오늘날 기독교인이 사용하는 의미와는 다르다. 그는 무당과 굿, 신령과 점복, 조상과 한이 일상생활 속에 살아 있던 환경에서 성장했다. 어린 시절의 무속은 선택할 수 있는 하나의 종교가 아니라 가족과 마을의 생활 전체를 감싸고 있던 세계관이었다.


그가 무속을 연구하게 된 것도 외부인의 호기심 때문만은 아니었다. 무속은 그가 떠나온 세계이면서도 완전히 떠날 수 없는 내면의 고향이었다. 그는 무녀와 무당을 만나고 굿을 관찰하면서 무속을 단순한 미신이나 사라져야 할 잔존문화로 보지 않았다. 무속을 신화와 상징의 집합으로만 다루기보다 무당집단의 사회관계, 경제적 기반, 의례의 기능과 지역적 차이를 현지조사를 통해 분석했다.


책에는 중부와 남부 무속의 차이, 전라도 당골판, 호남과 영남의 무속, 유랑하는 무당, 여성의 한, 사후결혼 등의 주제가 등장한다. 이러한 사례를 통해 저자는 무속이 개인의 비합리적인 믿음만이 아니라 가족관계, 성차별, 질병, 죽음, 빈곤과 억울함을 처리하는 사회적 장치였음을 보여준다.


무속에서 중요한 것은 <한>을 말하고 풀어내는 기능이다. 전통사회에서 공식적으로 목소리를 내기 어려웠던 여성과 가난한 사람, 억울하게 죽은 사람의 목소리가 굿에서는 신령의 말로 표현될 수 있었다. 굿은 신에게 복을 구하는 의례이면서, 억눌린 감정을 드러내고 가족과 공동체의 갈등을 조정하는 무대였다.


무속을 미신으로 여기고 기독교로 들어가다


최길성은 무속을 오랫동안 연구했지만 어느 시점에는 그것을 미신으로 판단하고 기독교로 개종한다. 이 전환에는 교육과 근대화의 영향이 있었다. 해방 이후 한국 사회에서 기독교는 흔히 근대적이고 합리적이며 문명화된 종교로 이해되었다. 반면 무속은 낡은 전통이자 여성 중심의 미신, 극복해야 할 전근대성으로 취급되었다.


그의 개종은 영적인 결단인 동시에 근대적 인간이 되려는 문화적 이동이었다. 무속에서 기독교로 간다는 것은 한 종교에서 다른 종교로 옮기는 것만이 아니라 농촌에서 도시로, 전통에서 근대로, 미신에서 이성으로 이동한다는 의미를 가졌다.


그러나 기독교에 들어간 최길성은 기독교 교리와 문화에도 의문을 제기한다. 그는 처녀잉태, 청교도 윤리, 정조관, 남성을 위한 성윤리 등의 문제를 문화인류학자의 시선으로 살핀다. 기독교 교리를 무조건 믿는 것이 아니라, 그 교리가 실제 사회에서 어떻게 작동하고 어떤 권력관계를 만들어내는지를 분석한다.


특히 성윤리에 대한 그의 관심은 한국 기독교가 여성에게는 순결과 희생을 요구하면서 남성의 성적 행동에는 상대적으로 관대했던 이중성을 겨냥한다. 무속이 억눌린 여성의 한을 말하게 하는 통로였다면, 가부장적 기독교는 때때로 그 한을 만들어내거나 침묵시키는 제도가 될 수도 있었다.


유교와 기독교의 충돌과 결합


책은 기독교와 무속의 관계뿐 아니라 유교와 기독교의 관계도 다룬다. 한국에서 기독교가 확산될 때 가장 큰 갈등 가운데 하나는 조상제사였다. 기독교 선교사들은 제사를 우상숭배로 규정했지만, 한국인에게 제사는 단순히 죽은 조상을 신으로 섬기는 행위만은 아니었다. 그것은 가족의 연속성, 효, 친족관계와 사회질서를 확인하는 의례였다.


기독교와 유교의 충돌은 교리의 대립인 동시에 가족관과 인간관의 대립이었다. 기독교는 개인이 하나님 앞에 직접 서는 신앙을 강조했지만, 유교사회에서 개인은 조상과 자손으로 이어지는 혈연 공동체 속에 존재했다.


그렇다고 기독교가 유교를 완전히 몰아낸 것은 아니다. 오히려 한국 교회는 유교적 위계질서와 장유유서, 남성 중심의 권위주의를 교회 조직 안에 흡수했다. 목사는 가부장적 권위를 가진 가장처럼 행동하고, 교인은 위계에 복종하며, 교회 직분은 사회적 신분처럼 받아들여지기도 했다. 교리는 기독교였지만 조직문화는 유교적인 경우가 많았다.


교회 안에서 다시 무속을 만나다


이 책에서 가장 중요한 부분은 저자가 무속을 떠나 기독교로 들어갔지만 교회 안에서 다시 무속을 만났다고 말하는 대목이다. 그는 신탁과 방언, 기도와 굿, 예배와 무속의례, 성찬과 희생제의, 믿음과 복수, 신앙과 성전 등을 비교한다.


교회에서 이루어지는 방언과 예언, 안수기도와 치유기도는 형식과 해석은 다르지만 무당의 신내림, 공수, 치병의례와 기능적으로 유사한 면이 있다. 신자가 방언을 말하고 예언자가 하나님의 뜻을 전달하며, 병든 사람이 안수기도로 치유를 구하는 모습은 무속의 신탁과 치병굿을 연상시킨다.


새벽기도와 철야기도, 통성기도에서는 감정을 절제하기보다 큰 소리로 울고 외치며 몸을 흔든다. 이러한 집단적 열광은 굿판의 음악과 춤, 울음과 신명에 가까운 종교 경험을 만들어낸다. 교회는 무속을 미신이라고 배척하면서도 한국인이 익숙하게 느끼는 무속적 감정과 의례구조를 받아들임으로써 성장할 수 있었다.


저자가 순복음교회, 성령운동, 부흥회를 중요하게 다루는 것도 이 때문이다. 한국의 오순절·성령운동은 성령 체험, 방언, 치유, 축복과 성공을 강조했다. 이는 질병을 고치고 재앙을 막으며 자손의 번영과 물질적 복을 구하던 무속의 현실적 욕구와 쉽게 연결되었다.


기독교의 하나님은 무속의 신령과 다르다. 그러나 신앙을 통해 건강, 재산, 입시, 취업과 사업의 성공을 얻으려는 태도는 무속에서 복을 구하는 태도와 크게 다르지 않을 수 있다. 교회가 무속을 제거한 것이 아니라 무속이 담당했던 기능을 기독교의 언어로 번역하고 흡수했다는 것이 최길성의 핵심 해석이다.


한국 기독교 급성장의 문화적 배경


한국 기독교의 급성장은 흔히 선교사들의 교육과 의료 활동, 성경 중심 신앙, 산업화와 도시화, 한국전쟁과 반공주의 등으로 설명된다. 최길성은 여기에 무속문화라는 토착적 기반을 추가한다.


한국인은 기독교를 완전히 낯선 서양 종교로만 받아들인 것이 아니라 기존의 종교감정과 의례적 습관을 통해 이해했다. 목사는 무당과 같지 않지만 초월적 권능을 중개하는 인물로 받아들여질 수 있었다. 부흥회는 굿과 다르지만 집단적 열광과 감정 해소를 제공했다. 헌금은 복채와 다르지만 무엇인가를 바치고 복을 기대하는 심리가 결합하기도 했다.


이러한 해석은 한국 기독교의 성공을 단순히 서구화의 결과로 보는 관점을 수정한다. 한국 기독교는 서양 종교를 그대로 옮겨놓은 것이 아니라 무속과 유교, 조상문화와 공동체주의를 선택적으로 흡수한 혼합적 종교였다.


평론: 개종기가 아니라 한국 종교의 순환사


이 책의 가장 큰 장점은 저자의 개인적 생애와 한국 종교사의 변화를 연결한다는 점이다. 최길성은 무속 속에서 태어나 무속을 연구하고, 무속을 미신으로 판단해 기독교로 들어갔다가 교회에서 다시 무속적 요소를 발견했다. 이 궤적은 해방 이후 한국 사회가 전통을 부정하면서 근대화를 추진했지만, 결국 전통의 변형된 형태를 근대적 제도 안에서 다시 생산한 역사와 겹친다.


둘째, 저자는 무속과 기독교를 선과 악, 진리와 미신의 단순한 대립으로 보지 않는다. 무속은 비합리성과 상업성, 공포를 이용하는 측면을 지니지만 억눌린 사람들의 고통을 표현하고 공동체의 갈등을 조정하는 기능도 했다. 기독교는 사랑과 인류애를 가르치지만 가부장주의, 배타주의, 식민주의와 결합하기도 했다.


종교는 자신이 선포하는 교리만으로 평가할 수 없다. 실제 역사 속에서 어떤 권력과 결합했고, 누구에게 이익을 주었으며, 누구의 목소리를 침묵시켰는지를 물어야 한다. 이러한 점에서 최길성의 접근은 신학적 판단보다 사회인류학적 관찰에 가깝다.


셋째, 이 책은 한국 기독교의 무속성을 단순한 조롱으로 소비하지 않는다. “한국 교회는 무당집단과 같다”는 식의 비판은 피상적이다. 방언과 신탁, 치유기도와 굿 사이에는 유사점이 있지만 신학적 의미와 제도적 구조에는 차이도 있다. 중요한 질문은 어느 종교가 더 미신적인가가 아니라, 사람들이 왜 초월적 힘을 필요로 하며 종교가 그 불안과 욕망을 어떻게 조직하는가이다.


다만 이 책의 분석에는 한계도 있다. 무속과 기독교의 유사성을 지나치게 강조하면 두 종교의 서로 다른 역사와 교리, 윤리적 지향을 축소할 위험이 있다. 굿과 예배가 모두 집단의례라고 해서 동일한 종교 현상은 아니다. 기독교의 방언과 예언은 성서와 교회 전통 안에서 해석되며, 무속의 공수와 신탁은 신령과 무당의 관계 속에서 이해된다. 기능적 유사성과 종교적 동일성은 분명히 구별해야 한다.


또한 한국 기독교의 성장을 무속적 친화성만으로 설명해서도 안 된다. 식민지시대의 교육과 의료사업, 해방과 한국전쟁, 반공주의, 미국의 영향, 산업화와 도시 이주, 대형교회의 조직력 등이 함께 고려되어야 한다. 무속은 중요한 문화적 토대이지만 유일한 원인은 아니다.


종합 평가


<무속에서 기독교로>는 기독교로 개종한 사람이 과거의 무속신앙을 부정하는 간증집이 아니다. 오히려 무속을 떠났다고 생각한 연구자가 기독교 속에서 무속의 변형된 생명력을 발견하고 자신의 개종을 다시 성찰하는 책이다.


이 책이 던지는 가장 불편한 질문은 다음과 같다.


<한국 기독교는 한국의 무속을 극복했는가, 아니면 무속의 욕망과 의례를 기독교의 이름으로 재편했는가?>


최길성의 대답은 후자에 가깝다. 한국 기독교는 무속을 이단과 미신으로 배척하면서도 무속이 담당했던 치유, 신탁, 복, 감정 해소와 공동체 결속의 기능을 흡수했다. 그 결과 기독교는 한국인에게 완전히 낯선 서양 종교가 아니라 익숙한 종교감정을 새로운 언어로 표현하는 종교가 될 수 있었다.


그러나 이러한 현상을 기독교의 타락으로만 볼 필요는 없다. 모든 종교는 새로운 사회에 들어갈 때 토착문화를 받아들이며 변화한다. 문제는 혼합 자체가 아니다. 그 혼합이 인간의 고통을 치유하고 자유를 넓히는 방향으로 이루어지는가, 아니면 공포와 권위, 물질적 욕망을 강화하는 방향으로 이루어지는가가 중요하다.


따라서 이 책은 무속과 기독교 가운데 어느 것이 참된 종교인지 판정하기보다, 종교가 인간의 불안과 욕망, 한과 권력관계를 어떻게 담아내는지를 묻는다. 최길성의 생애는 무속에서 기독교로 나아간 직선적인 진보의 이야기가 아니다. 그것은 무속을 떠나 기독교로 갔다가 그곳에서 다시 무속을 발견한 순환적 여정이다.


바로 이 역설 때문에 <무속에서 기독교로>는 개인의 회고록을 넘어 한국 근현대 종교문화에 대한 날카로운 자기성찰이 된다.
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이 책의 일본어 판은 대단히 인기가 많았고, 일본 아마존 서점 웹싸이트에 많은 서평이 실렸는데, 한국에서는 잘 팔리지도 않았고, 서평도 핲 편도 찾을 수가 없는데, 그 이유가 뭘까요?
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일본에서 지쿠마신서(ちくま新書)라는 대중적인 학술 문고본으로 출간되어 큰 반향을 일으킨 것과 달리, 한국판인 <무속에서 기독교로>가 대중의 주목을 받지 못하고 서평조차 찾기 힘든 현상은 양국의 종교적·학술적·출판 시장적 환경 차이에서 기인한다. 그 구체적인 이유는 다음과 같이 크게 세 가지로 분석할 수 있다.

1. 수요의 차이: '기이함'에 대한 지적 호기심 vs '일상적'인 현상

일본 독자들에게 "왜 한국에는 크리스찬이 많은가?"라는 질문은 대단히 매력적인 지적 수수께끼다. 일본은 기독교 전래 역사가 길음에도 불구하고 인구 대비 신자 수가 1% 미만에 불과한 '기독교의 황무지'다. 반면 바로 이웃 나라인 한국은 단기간에 아시아에서 가장 역동적인 기독교 국가가 되었다. 일본인들에게 이는 매우 신기하고 탐구하고 싶은 문화 인류학적 주제이며, 이 의문을 명쾌하게 풀어낸 최길성 교수의 책이 일본 아마존 등에서 인기를 끈 것은 자연스러운 결과다.

반면, 한국 독자들에게 기독교의 부흥이나 교회 안의 열성적인 기도 문화는 너무나 익숙하고 일상적인 풍경이다. 한국인들은 이를 '분석해야 할 신비로운 현상'으로 체감하지 않기 때문에, 책이 던지는 질문 자체에 대한 대중적 호기심과 구매 동기가 일본에 비해 현저히 낮을 수밖에 없다.

2. 한국 기독교계의 '샤머니즘'에 대한 반발과 외면

이 책의 핵심 논지는 "한국 기독교의 급성장은 기독교가 무속(샤머니즘)을 흡수하고 무속화되었기 때문"이라는 것이다.

한국의 주류 기독교계는 전통적으로 무속신앙을 '타파해야 할 미신'이나 '우상 숭배'로 강하게 배척해 왔다. 따라서 성령 운동이나 축복 기도를 무속의 '굿판'이나 '현세구복'과 연결 짓는 문화인류학적 분석은 기독교 신자나 교회 지도자들에게 심리적 불편함을 줄 수 있다. 기독교 신자층이 두터운 한국 시장에서 이 복음주의적 자부심에 균열을 내는 논조의 책은 기독교계의 추천을 받기 어렵고, 결과적으로 대형 교회를 중심으로 한 도서 시장에서 외면받기 쉽다.

3. 출판 형태와 유통 시장의 한계

일본판과 한국판은 책이 소비되는 유통 구조와 가격 진입장벽에서 큰 차이가 있다.

  • 일본어판: 접근성이 높고 가격이 저렴한 '신서(新書)' 형태로 출간되었다. 일본의 신서 시장은 일반 대중이 출퇴근길에 부담 없이 사서 읽는 지적 소비문화가 정착되어 있어 서평이 활발히 축적된다.

  • 한국어판: 대중 출판사가 아닌 학술·민속학 전문 출판사인 '민속원'에서 출간되었다. 전문 학술 도서의 성격이 짙다 보니 발행 부수 자체가 적고, 일반 대중 요약본이나 온·오프라인 대형 서점의 메인 매대에 노출될 기회가 거의 없었다. 2025년에 비교적 최근 출간되었다는 점을 감안하더라도, 학술 서적의 유통 한계로 인해 대중적인 온라인 서평(아마존이나 교보문고 리뷰 등)이 전무하다시피 한 것이다.

요약하자면, 일본 독자에게는 **"이웃 나라의 미스터리를 푸는 흥미진진한 인류학서"**로 소비된 반면, 한국 독자에게는 **"등한시되던 전문 학술서"**이자 기독교계 입선 불편할 수 있는 **"거북한 거울"**이었기 때문에 양국의 반응이 극명하게 갈렸다고 볼 수 있다.

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흥미로운 대조입니다. 저는 그 이유가 책의 질보다는 두 나라의 독서문화와 종교문화의 차이에서 나온다고 봅니다. 몇 가지 요인을 생각해 볼 수 있습니다.

첫째, 일본에서는 최길성이 '한국 연구자'로 받아들여졌지만, 한국에서는 '무속 연구자'로만 받아들여졌습니다.

최길성은 일본에서 오랫동안 연구한 한국 문화인류학자로 알려져 있습니다. 일본 독자들은 그의 책을 <한국 사회를 이해하는 창>으로 읽었습니다. 일본인은 한국의 무속과 기독교를 자신들의 종교와 비교하면서 "한국 사회는 왜 이렇게 되었는가?"라는 호기심으로 접근했습니다.

반면 한국에서는 "최길성 교수가 무속에서 기독교로 개종했다"는 개인적 이야기 정도로 읽힐 가능성이 컸습니다. 즉, 사회 전체를 읽는 책이라기보다 종교 경험담으로 오해되기 쉬웠습니다.

둘째, 일본에는 '종교를 외부에서 관찰하는 문화'가 있지만, 한국에는 '종교 안에서 읽는 문화'가 강합니다.

일본 아마존의 서평을 보면 많은 독자들이 "무속과 기독교를 비교한 문화인류학적 분석" 자체를 흥미롭게 평가합니다.

한국에서는 이 책을 읽는 사람의 상당수가 이미 기독교인이거나 무속을 부정적으로 보는 사람들입니다. 그러면 책의 핵심 논지인 "한국 기독교는 무속을 배척하면서도 무속적 요소를 흡수했다"는 주장 자체가 불편하게 받아들여질 수 있습니다.

반대로 무속 연구자들은 기독교 부분에 큰 관심을 갖지 않을 수도 있습니다.

즉 독자층이 양쪽으로 갈라집니다.

셋째, 일본은 한국 무속에 대한 오랜 학문적 관심이 있습니다.

일본 민속학과 문화인류학에서는 식민지 시기부터 조선 무속 연구가 축적되어 왔습니다. 야나기타 구니오 이후 민속학 전통, 오리구치 시노부의 종교론, 미야타 노보루 등의 연구 속에서 한국 무속은 중요한 비교 대상이었습니다.

그래서 일본 독자는 최길성의 책을 기존 연구의 연장선에서 읽습니다.

한국에서는 무속 연구가 민속학 안에서는 활발하지만 일반 독자의 독서시장까지 이어지는 경우는 많지 않습니다.

넷째, 한국에서는 종교 비판서가 의외로 잘 읽히지 않습니다.

한국 사회는 종교 논쟁은 많지만, 종교를 사회과학적으로 분석하는 책은 베스트셀러가 되는 일이 드뭅니다.

기독교인은 신학서를 읽고,

불교인은 불교서를 읽고,

무속 연구자는 민속학 논문을 읽습니다.

이들을 연결하는 문화인류학적 종교론은 독자층이 매우 좁습니다.

반면 일본에는 종교학·민속학을 일반 교양으로 읽는 독자층이 꾸준히 존재합니다.

다섯째, 출판과 홍보의 차이도 있었을 것입니다.

일본판은 한국문화에 관심 있는 독자층을 겨냥해 소개되었고, 아마존 리뷰 문화도 활발합니다.

반면 한국판은 민속원 출판사에서 나왔습니다. 민속원은 학계에서는 매우 중요한 출판사이지만 일반 서점 유통과 대중 홍보에서는 한계가 있습니다. 따라서 책의 내용과 관계없이 일반 독자에게 거의 알려지지 않았을 가능성이 큽니다.


그러나 저는 더 근본적인 이유가 하나 있다고 생각합니다.

이 책은 한국인의 자기이해를 건드리는 책입니다.

최길성은 "무속이 중요하다"고만 말하지 않습니다. 더 나아가 한국 기독교도 한국 무속과 깊은 문화적 연속성을 가진다고 주장합니다.

이것은 한국 기독교인에게는 불편한 이야기이고,

무속을 미신으로 보는 사람에게도 불편한 이야기이며,

민족주의적 시각에서는 서구 종교와 토착 종교의 경계를 흐리는 이야기이기도 합니다.

반면 일본 독자는 이 논의를 '한국 사회를 이해하는 하나의 문화인류학적 사례'로 상대적으로 거리감을 두고 읽을 수 있습니다. 오히려 그 거리가 이 책을 흥미롭게 만든 측면이 있습니다.

결국 이 책이 일본에서는 비교적 넓은 독자층의 토론을 불러일으켔지만, 한국에서는 거의 반향을 얻지 못한 것은 책의 완성도 차이 때문이라기보다, 종교를 둘러싼 사회적 환경과 독서문화의 차이가 더 큰 이유라고 생각합니다.

오히려 지금의 한국 사회에서는 이 책이 출간 당시보다 더 읽힐 가치가 있습니다. 한국 기독교의 성장과 변화, 무속의 재조명, 그리고 종교와 문화의 관계를 둘러싼 논의가 과거보다 훨씬 활발해졌기 때문입니다.

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