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1960年代は、在日朝鮮人文学が日本文学の中で認知され始めた時期である。日本の高度経済成長、在日社会の内部における政治的な変化、日本社会においての在日の地位の変化を土台として、この時期、在日朝鮮人文学において新しい試みが見られた。それは主に、在日二世世代の作家によって切り開かれた試みである。彼らの作品は、いわゆる在日一世たちとは異なる問題意識を描いており、その表現の根底に流れていたのは、「中間者」としての自己認識であった。金鶴泳(1938-1985)は、1966年、デビュー作『凍える口』をもって文藝賞を受賞し、これによって注目を浴びた。彼を皮切りに、李恢成(1935-)や高史明(1932-)などの二世作家の登場が相次ぎ、日本文学の中で在日朝鮮人文学というジャンルが、確固たる位置を築きはじめる。そしてその結果、いわゆる一世作家である金達寿(1919-1997)や金石範(1925-)などの作品が再評価されるなど、在日朝鮮人をめぐる文学環境が大きく変わっていった。金鶴泳は、『凍える口』の吃音に象徴される、外界に対する異質感、そしてそれに起因する閉塞した場所で苦しみつづける人間の姿を、冷静な視線をもって描いた。そうした描き方ゆえに、彼は、同世代の李恢成のような作家と大きく異なった評価を受けてきた。つまり、李恢成の描いたような外界との積極的な格闘の中から自らのアイデンティティを獲得する人間像が金鶴泳作品には見られない、とする評価である。そうした評価の多くは、金鶴泳は外界すなわち日本社会や祖国といったものから離れた地平で「個」の悩みにこだわり続けた、として下されたものだ。しかし、そもそも金鶴泳の吃音というテーマは、彼に纏わる父親や民族といったテーマと深く関わっており、作家自身その関わりに当初から注目していた、と本論では捉えたい。吃音がはじめて描かれた『凍える口』と、その三年後に再びそのテーマを取り上げた『まなざしの壁』を比較すると、吃音の描き方や感触、そして付随的に登場する他のテーマとの関わりに、大きな変化が現われている。それは、いわば「内」から「外」への変化であり、吃音それ自体にとどまらない他の諸問題に、この作家が正面から立ち向かうようになったことを意味する。『凍える口』から『まなざしの壁』へと至る過程において、象徴的に機能したテーマが、吃音であった。