作田啓一
作田啓一(2003年) | |
| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 | 1922年1月31日 |
| 死没 | 2016年3月15日(94歳没) |
| 国籍 | |
| 出身校 | 関西学院大学 京都帝国大学文学部哲学科 |
| 配偶者 | 折目博子 |
| 両親 | 父:作田荘一 |
| 学問 | |
| 活動地域 | 京都府立大学 京都大学 甲南女子大学 |
| 研究分野 | 社会学・ルソー研究等 |
| 特筆すべき概念 | 生成の社会学 溶解体験 |
| 主な業績 | 元日本社会学会会長 |
| 主要な作品 | 『恥の文化再考』(1967年)、『生成の社会学をめざしてーー価値観と性格』(1993年)他 |
| 学会 | 日本社会学会 |
| 主な受賞歴 | 第31回京都府文化賞特別功労賞 |
作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 2016年3月15日[1])は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一の長男。妻は作家の折目博子[2]。
人物
山口県山口市に生まれる。関西学院大学卒、1948年(昭和23年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、西京大学(現:京都府立大学)助教授を経て1959年(昭和34年)京都大学教養部助教授、1966年(昭和41年)教授。1985年定年退官、京都大学名誉教授となる。1985年から1995年まで甲南女子大学教授を務め、人間学としての社会学を追求した。
『恥の文化再考』『価値の社会学』
『恥の文化再考』(1967年)では、戦後の日本で広く受け容れられたルース・ベネディクトの「西欧社会は罪の文化、日本社会は恥の文化」という比較論に対し、稲作による地域共同体や幕藩体制以降の社会構造の特色から、日本人には外部の視線を気にする「恥」だけでなく、弱さの自覚から生まれる内面的な「羞恥」という特性があるとして、西欧的価値観に立った分析に反論し脚光を浴びた。一方、『価値の社会学』(1972年)では、人間の社会的行動は実利の次元だけでなく価値(理念)の次元においてもとらえうるとし、その後の社会学の方向を決定づけた。
ルソー研究から〈生成の社会学へ〉
京都大学人文科学研究所での「文学理論の研究」(桑原武夫班長)、「第二次ルソー研究」(同)、「プルードン研究」(河野健二班長)に参加、自らも「文学社会学研究会」を主宰し、「文学からの社会学」をめざした共同研究を進める。1980年発行の『ジャン‐ジャック・ルソー』では、自己の内面の探求を社会変革行動へと発展させたルソーの思想と行動を精神分析や行為理論から鋭く分析し、高い評価を得ている。また、近代小説から近代社会に生きる人間の行為や感情の深層を学ぼうとする立場を明確にし、文芸社会学/文学社会学の新しい道を開いた。
『生成の社会学をめざして』(1993年)以降、「生成の社会学」ないしは「生成の人間学」を標榜する。集団組織に参加しようとする「社会我」、自己の現状を超えてゆこうとする「独立我」、自然や人間あるいは宗教・芸術・スポーツなどをつうじて外界に溶け込んでゆく「超個体我」という自我の3相から人間をとらえようとする試みは、社会我と独立我のみを扱うこれまでの人間研究の射程を広げる理論枠組を構成したものである。
同人誌『Becoming』
最近では特に、人間の生活には、活動する「昼(明・生)の世界」と休息する「夜(暗・死)の世界」の両面があるにもかかわらず、合理性で説明しうる昼の世界だけに研究対象を限定する従来の社会学の一面性には欠落があると指摘するとともに、生成の社会学のヴァリアントとして「夜の世界」を視野に入れた広義の社会学の可能性を提唱した。一例として、今日頻発している無差別殺人などについての考察が挙げられる。
1998年から、同人誌『Becoming』を年2回発行。ラカン、レヴィナス、デリダなど現代思想の成果を積極的に取り入れ、人間を深層から動かす非合理的な力や超個体性の次元をめぐって人間学的探求を深めた。また、専門分野を越え自由に議論する研究会(「分身の会」)を独自に続けた。社会学、哲学、文学、精神分析の諸分野にわたり、精力的に総合的な人間知を追求する氏が、学術の進展に果した功績は極めて顕著である(第31回京都府文化賞特別功労賞受賞における紹介文を参照)。
『수치의 문화재고』 『가치의 사회학』
『수치의 문화재고』(1967년)에서는 전후의 일본에서 널리 받아들여진 루스 베네딕트 의 「서유럽 사회는 죄의 문화, 일본 사회는 수치의 문화」라는 비교론에 대해, 벼농사에 의한 지역 공동체나 막번 체제 이후 사회구조의 특색에서 일본인에게는 외부의 시선을 신경쓰는 '수치'뿐만 아니라 약점의 자각에서 태어나는 내면적인 '수치'라는 특성이 있다고 서구적 가치관에 섰던 분석에 반박해 각광을 받았다. 한편, 「가치의 사회학」(1972년)에서는 인간의 사회적 행동은 실리의 차원뿐만 아니라 가치(이념)의 차원에서도 파악할 수 있다고 하고, 그 후의 사회학의 방향을 결정화했다.
루소 연구에서 <생성의 사회학에>
교토대학 인문과학연구소에서의 「문학이론의 연구」(쿠와하라 타케오반장), 「제2차 루소 연구」(동), 「프루돈 연구」(고노 켄지반장)에 참가, 스스로도 「문학 사회학 연구회」를 주재해, 「문학으로부터의 사회학」을 목표로 한 공동 연구를 1980년 발행한 '장-잭 루소'에서는 자기의 내면의 탐구를 사회변혁행동으로 발전시킨 루소의 사상과 행동을 정신분석이나 행위이론에서 날카롭게 분석해 높은 평가를 얻고 있다. 또한 근대소설에서 근대사회에 사는 인간의 행위와 감정의 심층을 배우려는 입장을 명확히 하고 문예사회학/문학사회학의 새로운 길을 열었다.
' 생성의 사회학을 목표로 '(1993년) 이후 '생성의 사회학' 또는 '생성의 인간학'을 표방한다. 집단 조직에 참가하려고 하는 「사회아」, 자기의 현상을 넘어서려고 하는 「독립아」, 자연이나 인간 혹은 종교・예술・스포츠 등을 겨우 외계에 녹아 가는 「초개체아」라고 하는 자아의 3상으로부터 인간을 파악하려고 하는 시도는, 사회아와 독립아만을 다루는 지금까지의 인간 연구
동인지 「Becoming」
최근에는 특히 인간의 생활에는 활동하는 '낮(명·생)의 세계'와 휴식하는 '밤(암·죽음)의 세계'의 양면이 있음에도 불구하고 합리성으로 설명할 수 있는 낮의 세계에만 연구 대상을 한정하는 종래의 사회학의 일면성에는 누락이 있다고 지적함과 동시에, 생성 사회학의 변형으로서 「밤의 세계」를 시야에 넣은 광의의 사회학의 가능성을 제창했다. 일례로서, 오늘 빈발하고 있는 무차별 살인 등에 대한 고찰을 들 수 있다.
1998년부터 동인지 『Becoming』을 연 2회 발행. 라칸 , 레비나스 , 데리다 등 현대사상의 성과를 적극적으로 도입해 인간을 심층에서 움직이는 비합리적인 힘과 초개체성의 차원을 둘러싸고 인간학적 탐구를 깊게 했다. 또 전문분야를 넘어 자유롭게 논의하는 연구회(「분신의 모임」)를 독자적으로 계속했다. 사회학, 철학, 문학, 정신분석의 여러 분야에 걸쳐 정력적으로 종합적인 인간지식을 추구하는 씨가 학술의 진전에 완수한 공적은 매우 현저하다(제31회 교토부 문화상 특별공로상 수상의 소개문 참조).
著書
単著
- 『恥の文化再考』(筑摩書房, 1967年、新版1976年)
- 『価値の社会学』(岩波書店, 1972年/岩波モダンクラシックス, 2001年/ちくま学芸文庫, 2024年)
- 『深層社会の点描』(筑摩書房, 1973年)
- 『ジャン-ジャック・ルソー――市民と個人』(人文書院, 1980年)
- 『増補 ルソー――市民と個人』(筑摩書房[筑摩叢書], 1992年)
- 『ルソー――市民と個人』(白水社[白水Uブックス], 2010年)
- 『個人主義の運命――近代小説と社会学』(岩波新書 黄版, 1981年)
- 『デュルケーム 人類の知的遺産57』(講談社, 1983年)
- 『ドストエフスキーの世界』(筑摩書房, 1988年)
- 『仮構の感動――人間学の探求』(筑摩書房, 1990年)
- 『生成の社会学をめざして――価値観と性格』(有斐閣, 1993年)
- 『三次元の人間――生成の思想を語る』(行路社, 1995年)
- 『一語の辞典 個人』(三省堂, 1996年)
- 『生の欲動――神経症から倒錯へ』(みすず書房, 2003年)
- 『現実界の探偵 ─ 文学と犯罪』(白水社, 2012年)
『Becoming』(BC出版)所収論文
- 「酒鬼薔薇君の欲動」『Becoming』1(⇒「酒鬼薔薇少年の欲動『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):独りで行った供犠の向こう側に、彼は何を求めていたのか。
- 「孤独論」『Becoming』1:人間は本性上社会的存在であると見る通説へのひとつのアンチ・テーゼ。デュルケームの『自殺論』を読み直す。
- 「フェリーニの『道』」『Becoming』2。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ジェルソミーナの無辜 (innocence) について。
- 「フロイト-ラカンによる昇華概念の検討」『Becoming』2:欲動の運動の終局に現実的他者(母)が象徴的父のもとへ到来する。
- 「超社会化の存在論的基底」『Becoming』3:ベルクソンとフロイトの接点を見いだし、社会化論の限界を明らかにする。
- 「ジョイスとシュレーバー――ラカンによる精神病へのアプローチ」『Becoming』4。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ボロメオの結び目の図形にもとづいて、2つの精神病の特徴を明らかにする。
- 「悪の類型論――ラカン-ジジェクによる」『Becoming』5。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):現実界、象徴界、想像界の崩れたバランスの中に悪の発生源を見る。
- 「真の自己と2人の大他者――ラカンとレヴィナスが交わる点」『Becoming』6。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ラカンとレヴィナスにおける大他者像を対照させることで、大他者との出会いにより真の自己が形成されるという、超社会化論へ向かう。
- 「倒錯としてのいじめ」『Becoming』7。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):いじめのサディズムの蔓延の中に倒錯の時代の到来を見る。周辺人の排斥というシステム論的説明の限界を指摘。
- 「ロマン主義・倒錯・アノミー」『Becoming』8。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ロマン主義の思想の検討をつうじて、社会学的概念であるアノミーの中に、精神分析の言う倒錯を見いだす。
- 「ナルシシズムという倒錯」『Becoming』9。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):ナルシシストは価値体系を否認して理想自我に魅入られる。
- 「愛の深層――ラカン-ジジェクを通して」『Becoming』10。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):現実界に根ざす愛の特徴を明らかにし、この観点からレヴィナス、エリス、竹田の説を取り上げる。
- 「空虚感からの脱出――豊川市主婦刺殺事件の少年」『Becoming』11。(⇒ 『生の欲動――神経症から倒錯へ』所収):動機なき殺人の一事例の分析。この少年をアスペルガー症候群とする診断に疑問をいだく本論は、今日広がっている制度と感情のずれに照明を当てる。
- 「直接性の倫理――ベルクソンそしてバディウとジジェク」『Becoming』12:与えられた選択肢間の選択ではなく、選択するかしないかの選択に倫理を見いだす思想。
- 「無意味と空虚――ボロメオ結びからの発想」『Becoming』13:近代化に伴い広がった無意味感(ニヒリズム)に対処する教説として、予定説、永遠回帰説をとりあげる。さらに現代に広がる空虚感とそれに対処する思想についても言及する。
- 「ラカンを通してのニーチェ――A.ジュパンチッチ The Shortest Shadow を読む」『Becoming』14:ニーチェの哲学とラカンの分析理論との間には思いのほか共通性がある。力への意志と限りのない欲望、など。本論はこの斬新なアプローチの紹介。
- 「生の横溢と鬱屈――ニーチェ-シェーラーのルサンティマン論をめぐって」『Becoming』15:弱者への同情をすべてルサンティマンとみなすことはできない。シェーラーのこのニーチェ批判を通し、愛の2形態を、ラカンの言う欲望と欲動とに対応させる。
- 「羞恥論」『Becoming』16:しばしば恥の中に含まれてしまう羞恥の概念を確立する試み。恥は社会的劣位の露呈から生じるのに対し、羞恥はその劣位とはかかわりなく、主体の固有の自己の露呈から生じる。サルトル、シェーラーなどの羞恥論の検討を経て太宰治の事例に及ぶ。
- 「島尾敏雄・不安の文学」『Becoming』17(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):高名となった『死の棘』でこの作家は病んだ妻への絶対的な自己放棄を描いた。近代的自我を主張することの困難は、突然襲来する「不気味なもの」への不安と通底している。ラカン理論を手掛かりにした島尾文学の読解。
- 「究極の他者について」『Becoming』18:究極の他者は、象徴化から洩れ落ちた現実界に根をおろす。脆弱者、逸脱者、神秘家など。これらのイメージはアガンベンやドゥルーズ-ガタリの枠組の中にも対応物をもつ。
- 「武田泰淳――他者との遭遇」『Becoming』19(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):この人ほど戦場・戦後の体験が作品を書く動機づけとなった作家は珍しい。それはこの体験が自己中心的な世界の外に在る他者の体験であったからだ。彼は自律的であるとされる主体が他者により操られるという認識により、超近代的な作家となりえた。
- 「純粋な赦しを巡って」『Becoming』20:無条件の赦しは可能か。不可能だ。だがそれなしには不純な赦しも実現しない(デリダ)。純粋な赦しには純粋な正義が対応する。本論は純粋な赦しの底に苦悩の共有を見る。
- 「夢野久作――現実界の探偵」『Becoming』21(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):『ドグラ・マグラ』で知られる夢野の魅力は無意識の探求にある。それは予感、分身など時空軸上のトラブルにかかわる。しかし彼はその内的経験を反西欧のイデオロギーへと移し替えた。
- 「報復・正義・赦し」『Becoming』22:報復から正義の裁きに至る刑事的制裁の進化の過程は、その裁きの母胎の共同体そのものを裁く点まで到達する。その地点で正義は赦しに向かって開かれる。これが攻撃性の昇華である。
- 「殺人禁止の掟とその効力」『Becoming』23(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):近代前期から後期へ移るに従い、殺人禁止の掟の効力が更に弱まることを、ラカンの「言説」式を用いて表すと共に、動機なき殺人の実験型(『罪と罰』)とアノミー型を導出する。
- 「不特定多数を狙う犯罪」『Becoming』24(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):ここ10年間、不特定多数を狙う秋葉原事件に類する事件が5件発生している。その背景には階層的地位が人間のすべてであるとする 社会の一次元的価値観がある。犯行はこの社会への怨恨から始まり、その価値の覆いを人間から剥奪しようとする破壊で終わる。
- 「文学的感動と幻想」『Becoming』25:『カラマーゾフの兄弟』の中の1つの夢を手掛かりにフォースターは人物の広がりについて論じている。人物はその自我の外に出ることで広がる。本論はその観点から幻想の2タイプを区別する。
- :ルソーが自然の性向として仮定した自己愛と憐憫が、ドストエフスキーとニーチェにおいてどう展開されているか。この3人はデビュー当時の準拠集団への訣別という共通性をもつ。本論はドストエフスキーまで。
- 「自己愛と憐憫――ルソー、ドストエフスキー、ニーチェ(続)」『Becoming』27:時としてニーチェはエゴイズムを称揚した思想家であると言われているが、じつは力への愛を主張していたのだ。有機物に入り込んだ力は強者と弱者とを分化させる。力の流れは円環運動する方向と垂直下降する方向とに分かれる。この観点から存在の感情(永遠回帰の体験)やルサンチマンを 位置づける。
- 「対象不特定の報復」『Becoming』28(⇒ 『現実界の探偵――文学と犯罪』所収):秋葉原通り魔事件に見られるような不特定多数を狙う一連の事件の動機の1つに、承認の欲求を無視した社会への怨恨が見いだされる。このような場合、犠牲者とは的をしぼり切れなかったために拡散する報復の宛先にすぎない。本論は、この種の報復の観点から、児童虐待を、そしてパリ郊外の若者の暴動を検討している。
- 「「存在の感情」と憐憫」『Becoming』29:本論は2つの自我概念を検討したあと、ニーチェふうの自我の休息時に生じる「存在の感情」(ルソー)の一側面として、憐憫を位置づけている。続いて憐憫が、R.ローティの議論との照合において、社会統合の基礎となる可能性を見る。
- 「日本近代文学に見られる自我の放棄――伊藤整の枠組に従って」『Becoming』30(⇒ 亀山佳明編『記憶とリアルのゆくえ――文学社会学の試み』所収):今日、自我の評価をめぐり意見が分かれているが、この観点から伊藤整の昭和20年代の仕事である私小説論が検討されている。彼は西洋風の発想法による本格小説を高く評価する一方、日本風のそれによる私小説にも強い共感を示す。
- 「日本近代文学に見られる自我の放棄(続)――リアルの現れる場所」『Becoming』31(⇒ 亀山佳明編『記憶とリアルのゆくえ――文学社会学の試み』所収):「集団力学的認識」と「死または無による認識」という2つの発想法による作品において、それぞれリアルが現れる場所が異な る。前者では諸項目間の隙間にナッシングが、後者では現象の底にサムシングが現れる。梶井、太宰、漱石、古井由吉等様々の作品を用いての検討。
- 「チェーホフ――絶望と希望の文学」『Becoming』32:本論は I「絶望的な環境」 と II「絶望する主体」 の2部から成る。Iではチェーホフの描いた1880~90年代のロシヤの現実を農民、都市生活者など5つに区分して記述。IIではそれに対応して絶望しているチェーホフの主要作品を分析する。しかし、その環境のせいだけとは言えないメタフィジカルな彼の絶望の原因を、筆者はその宿痾に苦しんだ作家の死の強迫の中に見いだす。その観点から従来謎とされてきたサハリン旅行の動機を、一種のカタルシス説によって説明している。最後に、その絶望にもかかわらず抱かれていた希望は、作家の未来からの視線による、との解釈が示される。
- 「漱石における夜の思想――「夢十夜」と「坑夫」を巡って I」『Becoming』33:「夢十夜」を解読するために、筆者は「夜の思想」という概念を提唱する。それぞれの夜における他界(死)の現れ方とそれの作中人物の受けとめ方を分析した石原千秋の論をたどり、他界の外部性と夢幻性に立ち会う。
- 「漱石における夜の思想――「夢十夜」と「坑夫」を巡って II」『Becoming』34:自殺願望をもつ主人公の銅山入山から下山までのいきさつが書かれた「坑夫」を、夜の思想の観点から読み通す。死への親近性からくる主人公の放心を背景にして、雲の中を歩くがごとくに描かれた入山場面の景色は、一幅の動く絵画のように幻想的で美しい。
共著
共編著
訳書
作田啓一に関する研究
- 織田年和「解説」作田啓一『増補 ルソー――市民と個人』(筑摩書房, 1992年)
- 小丸超「作田社会学研究序説――生成の社会学の生成過程」『龍谷大学大学院研究紀要 社会学・社会福祉学』13(2006年)
- 亀山佳明「真の自己と大他者 作田啓一『真の自己と大他者』」井上俊・伊藤公雄編『社会学ベーシックス1 自己・他者・関係』(世界思想社, 2008年)
- 奥村隆「共同体の外に立つ—―『日本の社会学を英語で伝える』ことをめぐる試論」『社会学史研究』37号』(日本社会学史学会, 2015年)
- 佐藤裕亮「作田啓一における『羞恥』概念の検討――連帯のための切断へ」『立教比較文明学紀要』15(2015年),「作田啓一における“分裂”」『ソシオロジ』196号(2019年10月)
- 岡崎宏樹「文学からの社会学――作田啓一の理論と方法」亀山佳明編『記憶とリアルのゆくえ――文学社会学の試み』(新曜社, 2016年)
- 奥村隆編『作田啓一 vs. 見田宗介』(弘文堂, 2016年):9編のうち作田を論じた論考は、奥村隆「作田啓一 vs.見田宗介――「日本の社会学」を研究する」、出口剛司「戦後社会の生成と価値の社会学――作田啓一における「近代の超克」とその社会学的展開」、片上平二郎「「移行期」の思想――作田啓一と見田宗介の「個人」への問い」、小形道正「事件を描くとき――〈外〉からの疎外と内なる〈外〉」、鈴木洋仁「作田啓一/見田宗介の初期著作における「価値」――「一九六〇年代の理論社会学」をめぐる知識社会学」、岡崎宏樹「〈リアル〉の探求――作田啓一の生成の思想」、奥村隆「反転と残余――ふたつの「自我の社会学におけるふたつのラディカリズム」。
- 佐藤裕亮『作田啓一の文学/社会学――捨て犬たちの生、儚い希望』(晃洋書房,2022年)
- 岡崎宏樹『作田啓一――生成の社会学』(京都大学学術出版会, 2024年)
出典
- 社会学者の作田啓一さん死去 著作に「恥の文化再考」 朝日新聞 2016年3月17日閲覧
- 作田啓一(さくた けいいち)とは - コトバンク
外部リンク
- BC出版 - 作田の同人誌『Becoming』を発行する。
- 激高老人のぶろぐ - 作田本人が書いたウェブログの記録。2007年10月10日までの記述だが、それ以降のものはBC出版の新ウェブの右側「最近の投稿」欄で読むことができる。
제시된 자료를 바탕으로 일본의 대표적인 사회학자 사쿠타 케이이치(作田啓一, 1922~2016)의 시대적 배경, 관심 연구 주제, 주요 사상을 정리한 내용은 다음과 같습니다
1. 시대적 배경
전후(戰後) 일본과 근대화의 전개: 1922년에 태어나 1948년 교토제국대학 문학부 철학과를 졸업하며 전후 혼란기와 고도 경제성장기를 거쳤습니다
. 당시 서구 중심의 이론이나 근대화론이 지배적이던 분위기 속에서 일본 사회와 문화를 재조명하는 작업이 요구되던 시대였습니다 . 서구 중심 문화론에 대한 비판적 재검토: 전후 일본에 큰 영향을 미쳤던 루스 베네딕트(Ruth Benedict)의 《국화와 칼》 등에서 제시된 "서구는 죄의 문화, 일본은 수치의 문화"라는 이분법적 도식에 의문을 제기하며 일본인 고유의 심성과 사회구조를 새롭게 규명하고자 했습니다
. 후기 근대의 사회적 병리와 이상 현상: 1990년대 이후 일본 사회에서 발생한 청소년 범죄(예: 사카키바라 사건 등), 무차별 살인(묻지마 살인), 이지메(괴롭힘) 등 근대적 합리성이나 기존 사회학의 틀로 설명하기 어려운 비합리적이고 동기 불명의 사회적 병리 현상들이 급증하던 시기를 마주했습니다
.
2. 관심 연구 주제
수치(恥)와 가치의 사회학:
《수치의 문화 재고(恥の文化再考)》(1967년)를 통해 벼농사 공동체와 막번 체제 등 역사적 구조 속에서 일본인의 내면적 ‘수치(羞恥)’ 심성을 분석했습니다
. 《가치의 사회학(価値の社会学)》(1972년)에서는 인간의 사회적 행위를 단순한 실리·효용 차원만이 아니라 가치 및 이념의 차원에서 종합적으로 포착하고자 했습니다
.
장 자크 루소 연구 및 문학사회학:
교토대 인문과학연구소 활동 및 '문학사회학연구회'를 주재하며 근대 소설을 통해 인간의 깊은 행위와 감정 층위를 분석하는 "문학으로부터의 사회학"을 개척했습니다
. 《장 자크 루소(ジャン・ジャック・ルソー)》(1980년)에서는 루소의 내면 탐구가 사회 변혁 행동으로 발전하는 과정을 정신분석학과 행위이론으로 조명했습니다
.
현대 사상(정신분석학·철학)의 융합 및 이상 심리·범죄 분석:
자크 라캉, 에마뉘엘 레비나스, 자크 데리다, 슬라보예 지젝 등의 이론을 적극 도입하여 무의식, 욕동(Trieb), 악(惡), 도착(倒錯), 나르시시즘, 동기 없는 살인 등을 탐구했습니다
.
3. 주요 사상 및 이론적 특징
'생성의 사회학(生成の社会学)'과 삼차원적 자아론:
인간을 단순히 사회화된 존재로 규정하는 전통적 틀을 넘어, 끊임없이 생성(becoming)하는 존재로 파악하는 ‘생성의 사회학’(생성의 인간학)을 제창했습니다
. 자아를 다음의 세 가지 상(相)으로 나누어 인간학의 지평을 넓혔습니다
: 사회아(社会我): 집단과 조직에 참여하고 적응하려는 자아
. 독립아(独立我): 자신의 현 상태를 넘어서고자 하는 자아
. 초개체아(超個体我): 자연, 타인, 종교, 예술, 스포츠 등을 통해 외부 세계로 녹아들어 합일되는 자아(용해 체험)
.
‘밤의 세계(夜の世界)’를 포괄하는 광의의 사회학:
기존 사회학이 합리성으로 설명 가능한 '낮(밝음·삶)의 세계'에만 치중했다고 비판하며, 휴식·어둠·죽음·비합리적인 힘이 지배하는 ‘밤(어둠·죽음)의 세계’까지 시야에 넣어야 한다고 역설했습니다
.
동기 없는 범죄와 '욕동'의 인간학:
현대의 일탈이나 흉악 범죄를 단순히 환경적·사회구조적 요인의 결과로만 환원하지 않고, 인간 깊은 곳의 비합리적인 힘인 ‘욕동(欲動)’의 희생자이자 제도와 감정 사이의 괴리에서 비롯된 비극으로 분석했습니다
. 이를 통해 사회학의 경계를 넘어 철학·문학·정신분석을 아우르는 종합적 ‘인간학(人間学)으로서의 사회학’을 추구했습니다
.
전후 일본사회의 자기반성과 인간의 자유를 탐구한 사회학자
作田啓一는 전후 일본 사회학에서 독특한 위치를 차지하는 사상가이다. 그는 일본인의 집단주의와 도덕의식을 비판적으로 분석하는 데서 출발하여, 개인의 자유와 욕망, 타인과의 관계, 인간의 창조성과 정신적 해방을 연구하는 방향으로 나아갔다.
그의 사상적 발전을 이해하는 데 중요한 세 가지 질문은 다음과 같다.
일본인은 왜 개인의 내면적 양심보다 집단의 기대와 평가에 민감한가?
사회가 만들어 놓은 가치와 규범을 넘어 개인은 어떻게 자유로운 존재가 될 수 있는가?
사회학은 인간을 규제하는 제도만 연구해야 하는가, 아니면 인간의 욕망·상상력·창조성까지 연구해야 하는가?
사쿠타의 연구는 이 세 질문을 중심으로 발전하였다. 초기에는 전후 일본의 정신문화와 가치체계를 분석하였고, 중기에는 에밀 뒤르켐과 장 자크 루소를 재해석하였으며, 후기에는 문학과 정신분석을 결합하여 인간의 존재 자체를 탐구하였다.
1. 시대적 배경: 제국 일본에서 전후 민주주의로
사쿠타 게이이치(作田啓一)
1922년 야마구치현 출생
1948년 교토제국대학 문학부 철학과 졸업
1959년 교토대학 조교수
1966년 교토대학 교수
1985년 정년퇴임
2016년 94세로 사망
사쿠타는 일본 현대사의 거대한 단절을 직접 경험한 세대에 속한다.
1922년에 태어났으므로 1931년 만주사변 때 아홉 살, 1937년 중일전쟁 발발 때 열다섯 살, 1945년 패전 때 스물세 살이었다. 그는 군국주의 교육을 받으면서 성장했고, 청년기에 일본 제국의 붕괴를 경험하였다.
이것은 그의 지적 형성에서 중요하다.
전전 일본에서는 천황에 대한 충성, 가족과 국가의 일체성, 개인의 희생, 집단에 대한 의무가 공적인 도덕의 중심에 있었다. 그러나 패전 이후에는 민주주의, 개인의 자유, 인간의 존엄이라는 새로운 가치가 등장하였다.
사쿠타가 맞닥뜨린 문제는 단순히 일본의 정치제도가 변했다는 사실이 아니었다. 제도적으로 민주화한 일본인의 마음속에는 과거의 가치체계가 얼마나 남아 있는가 하는 문제였다.
여기에서 그는 전후 일본 지식인들과 공통된 문제의식을 갖게 되었다.
예컨대 마루야마 마사오는 <일본 정치문화에서 개인의 자율적인 정치적 주체성이 충분히 형성되지 못한 이유를 탐구>하였다. 반면 사쿠타는 <정치제도보다 일상생활 속에 뿌리내린 감정, 수치심, 죄의식, 집단의 기대와 인간의 가치판단을 연구>하였다.
두 사람 모두 전전 일본의 권위주의가 어떻게 가능했는지 물었지만, 접근 방식은 달랐다. 마루야마가 정치사상사에서 출발했다면 사쿠타는 문화사회학과 사회심리학에서 출발한 것이다.
이후 일본의 고도경제성장과 개인주의 확대, 1960~70년대의 사회운동, 소비사회 형성도 그의 문제의식이 변화한 중요한 역사적 배경이었다.
2. 첫 번째 연구 주제: 일본인의 수치심과 죄의식
사쿠타의 초기 대표작은 (1967), 곧 [ 恥の文化再考 ]이다.
이 책은 루스 베네딕트의 저서 국화와 칼에서 제시된 일본문화론을 비판적으로 검토한다.
베네딕트는 서양의 죄의 문화와 일본의 수치의 문화를 대비하였다. 이를 단순화하면 서양인은 내면화된 도덕규범에 위반했을 때 죄의식을 느끼고, 일본인은 타인의 시선과 사회적 평가에 민감하여 수치심을 느낀다는 구분이다.
사쿠타는 이러한 문명 간 이분법에 의문을 제기하였다.
그는 수치심과 죄의식이 동양과 서양을 나누는 고정된 속성이 아니라 개인이 사회와 맺는 관계, 소속집단의 구조, 사회적 규범의 형성 방식에 따라 달라지는 현상이라고 보았다.
또한 일본사회에는 집단으로부터의 배제를 두려워하는 심리와 집단적 동조가 강하게 작용하지만, 그렇다고 일본인에게 내면적인 도덕의식이 존재하지 않는 것은 아니라고 보았다.
이것은 두 가지 점에서 중요하다.
첫째, 일본문화가 본질적으로 집단주의적이라는 문화결정론을 상대화한다.
둘째, 수치심과 죄의식을 개인의 심리적 속성으로만 다루지 않고 사회적 관계 속에서 생성되는 감정으로 분석한다.
그의 관심은 결국 일본인의 민족적 성격을 규정하는 데 있지 않았다. 특정 사회에서 개인의 마음이 어떻게 만들어지는지 설명하는 데 있었다. 이러한 접근은 전후 일본문화론, 특히 일본인론(日本人論)의 고정된 민족성 개념을 비판하는 데 의미가 있었다.
3. 두 번째 연구 주제: 가치의 사회학
1972년 출판된 (価値の社会学)은 사쿠타의 이론적 입장을 보여주는 중요한 저작이다.
그가 제기한 핵심 문제는 인간이 어떤 가치를 선택하고 그 가치를 통해 자신의 행동을 정당화하는가 하는 것이었다.
인간은 단순히 경제적 이익을 극대화하는 존재가 아니다. 또한 사회규범에 기계적으로 복종하는 존재도 아니다.
인간은 자유, 정의, 공동체, 사랑, 명예, 행복 등 서로 다른 가치를 추구하며 때로는 그 가치들 사이에서 갈등한다.
그렇다면 가치는 개인이 자유롭게 선택하는 것인가, 아니면 사회가 개인에게 주입하는 것인가? 사쿠타는 이 문제를 사회적 관계와 개인의 주체성이라는 양쪽 차원에서 탐구하였다. 여기에서 중요한 구분은 <사회적 사실로서의 가치>와 <이상으로서의 가치>이다. 어떤 가치가 사회적으로 널리 인정된다고 해서 반드시 옳은 것은 아니다. 반대로 기존 사회에서 인정받지 못하는 가치도 새로운 사회변화의 출발점이 될 수 있다. 이러한 구분은 그가 전후 일본사회를 바라보는 방식과도 관련된다.
전전 일본의 <국가주의적 충성심> 역시 사회적으로 널리 승인된 가치였다. 그러나 그 사실만으로 그것이 정당화되지는 않는다. 따라서 사회학은 사람들이 무엇을 가치 있다고 여기는가를 설명하는 것에 그치지 않고, 사람들이 기존의 가치를 어떻게 상대화하고 새로운 가치를 만들어 낼 수 있는지도 연구해야 한다. 이 지점에서 사쿠타의 연구는 기존 사회질서의 재생산을 분석하는 사회학에서 인간의 해방 가능성을 탐구하는 사회학으로 확장되기 시작한다.
4. 세 번째 연구 주제: 뒤르켐과 개인주의의 재해석
사쿠타가 평생 깊이 연구한 사상가는 에밀 뒤르켐과 장 자크 루소였다.
대표적인 저서로는 (1981, )과 (1992, ) 등이 있다.
그가 뒤르켐에 관심을 기울인 이유는 개인과 사회 사이의 관계를 근본적으로 다시 이해하려 했기 때문이다.
일반적으로 뒤르켐은 사회가 개인에 우선하며 사회적 규범이 개인의 행동을 규제한다고 주장한 사회학자로 알려져 있다.
그러나 사쿠타는 뒤르켐에게 또 하나의 측면이 있다고 보았다. 뒤르켐에게 개인은 사회의 규범을 수동적으로 받아들이기만 하는 존재가 아니다. 사회생활을 통해 개인의 정신세계가 형성되고, 집합적 경험을 통해 자기 자신을 초월하는 능력을 획득할 수도 있다.
이와 연결하여 사쿠타는 루소의 사상을 새롭게 해석하였다.
루소에게는 두 가지 인간상이 있다.
첫째는 공동체의 시민으로서 공공의 삶에 참여하는 인간이다.
둘째는 기존 사회질서의 허위와 경쟁에서 벗어나 자기 자신으로 살고자 하는 인간이다.
사쿠타는 이 두 인간상 사이의 긴장을 중요하게 생각하였다. 사회에 참여하는 일과 사회의 지배적인 가치에서 자유로워지는 일이 반드시 일치하지 않기 때문이다.
이 문제는 전후 일본의 민주주의를 이해하는 데도 적용할 수 있다. 국가주의적 집단주의를 극복하기 위해 개인의 자유를 주장해야 하지만, 개인의 자유만을 절대화하면 타인과 사회에 대한 책임이 약해질 수 있다.
사쿠타가 찾으려 했던 것은 개인과 공동체 중 하나를 선택하는 방식이 아니라, 인간이 타인과 함께 살아가면서도 자신을 잃지 않는 가능성이었다.
5. 네 번째 연구 주제: 생성의 사회학(生成の社会学)
사쿠타 후기 사상의 핵심은 이다.
1993년 출판된 ()은 그의 사상적 전환을 보여준다.
여기서 '생성'은 인간이 이미 완성된 존재가 아니라 끊임없이 변화하고 새롭게 만들어지는 존재라는 의미이다.
전통적인 사회학은 주로 사회가 어떻게 질서를 유지하는가에 관심을 기울였다. 가족, 학교, 종교, 국가 등 사회제도는 개인의 행동을 일정한 방향으로 조직한다.
그러나 사쿠타는 이러한 질서 중심의 사회학만으로 인간을 충분히 이해할 수 없다고 생각하였다.
인간은 사회규범을 따르기도 하지만 그것을 위반하기도 한다. 타인과 협력하는 동시에 기존의 공동체에서 벗어나려 한다. 합리적으로 행동하는 동시에 설명하기 어려운 욕망과 충동에 따라 움직이기도 한다.
그는 이러한 인간의 모순적인 측면을 사회학의 정당한 연구대상으로 끌어들이려 하였다.
특히 다음과 같은 주제에 관심을 확장하였다.
소속집단에서 벗어나 독립적인 자아를 형성하는 과정
개인의 욕망과 사회의 규범이 충돌하는 과정
종교·예술·스포츠 등에서 나타나는 자기초월의 경험
사랑과 우정을 통해 자기중심적인 자아의 경계를 넘어서는 경험
사회적 질서를 유지하려는 힘과 그 질서를 변화시키려는 힘의 상호작용
여기서 중요한 것은 인간의 자유를 단순히 사회적 간섭이 없는 상태로 이해하지 않는다는 점이다.
자유란 자신에게 이미 주어진 정체성과 역할에 갇히지 않고 새로운 가능성을 만들어 가는 능력이다.
이러한 의미에서 사쿠타의 생성의 사회학은 사회질서의 유지보다 인간의 변화 가능성에 주목하는 사회학이라고 할 수 있다.
6. 다섯 번째 연구 주제: 정신분석학과 문학을 통한 인간 이해
1980년대 이후 사쿠타의 연구는 전통적인 사회학의 영역을 넘어 정신분석학과 문학으로 확대되었다.
대표작으로는 (1988, ), (1990, ), (2003, ) 등이 있다.
그에게 문학은 사회현상을 설명하기 위한 예시가 아니었다. 인간의 내면을 이해하는 독자적인 인식의 방법이었다.
도스토옙스키의 소설에서 나타나는 죄책감, 자기파괴, 반항, 구원에 대한 갈망은 단순히 등장인물 개인의 심리만이 아니라 인간이 사회적 존재로 살아가면서 경험하는 근본적인 갈등을 드러낸다.
사쿠타는 이러한 문제를 정신분석학과 연결하여 탐구하였다.
특히 자크 라캉과 에마뉘엘 레비나스의 사상을 활용하였다.
라캉을 통해 인간의 욕망이 의식적이고 합리적인 선택만으로 설명되지 않는다는 점에 주목하였다. 레비나스를 통해서는 타인을 단순히 자신의 욕구를 충족시키는 대상으로 환원할 수 없다는 문제를 다루었다.
이러한 관심은 그의 후기 연구가 전통적 사회학에서 인간학(人間学)으로 확장되었음을 보여준다.
7. 여섯 번째 연구 주제: 낮의 세계와 밤의 세계
사쿠타 후기 사상에서 특히 흥미로운 구분이 있다.
그는 인간의 삶에는 '낮의 세계'와 '밤의 세계'가 공존한다고 보았다.
낮의 세계는 합리성, 생산, 노동, 사회제도와 질서의 세계이다. 반면 밤의 세계는 꿈, 죽음, 욕망, 불안, 상상력과 같은 경험의 세계이다.
기존 사회학은 주로 낮의 세계를 연구하였다. 인간이 노동하고, 가족을 구성하고, 정치에 참여하며, 경제적 교환을 수행하는 과정이 사회학의 중심이었다.
그러나 인간의 삶은 그것만으로 이루어지지 않는다.
사람들은 꿈을 꾸고, 죽음을 두려워하고, 설명하기 어려운 욕망에 사로잡히며, 때로는 합리적인 삶의 경계를 넘어서는 경험을 한다.
사쿠타는 이러한 밤의 세계 역시 사회학에서 다루어야 한다고 주장하였다.
이것은 단순히 사회학의 연구대상을 추가한 것이 아니라 사회학의 인간관 자체를 확대하려는 시도였다.
사회학이 인간을 제도와 규범 속에서 행동하는 합리적인 개인으로만 이해한다면, 인간의 삶에서 매우 중요한 부분을 놓치게 된다.
그가 후기 연구에서 정신분석학, 종교, 문학, 죽음의 문제를 함께 다룬 이유도 여기에 있다.
8. 사쿠타 사상의 발전 과정
시기 | 중심 관심 | 대표 저작 |
|---|---|---|
1950~60년대 | 일본인의 수치심, 죄의식, 집단의식 | (1967) |
1970년대 | 사회적 가치와 개인의 가치판단 | (1972) |
1980년대 | 개인주의, 뒤르켐, 루소, 문학 | (1981) |
1990년대 | 인간의 자기초월과 생성 | (1993) |
2000년대 이후 | 욕망, 정신분석, 타자, 죽음 | (2003), (2012) |
이 발전 과정에서 변하지 않은 것은 개인과 사회의 관계에 대한 문제의식이다.
그러나 그 관계를 바라보는 시야는 점차 확대되었다.
초기에는 사회가 개인의 가치관을 어떻게 형성하는가를 물었다. 중기에는 개인이 사회를 넘어 자유로운 존재가 될 수 있는가를 질문하였다. 후기에는 그러한 자유와 변화가 인간의 욕망, 상상력, 타인과의 관계 속에서 어떻게 가능한가를 탐구하였다.
9. 사쿠타 사상에 대한 평가와 비판
사쿠타의 가장 중요한 공헌은 전후 일본 사회학의 인간 이해를 확장한 데 있다고 평가할 수 있다.
그는 사회구조와 제도, 집단의 규범을 연구하는 일에 머무르지 않고 그 속에서 살아가는 인간의 주관적 경험에 주목하였다.
특히 일본인의 집단주의를 고정된 국민성으로 이해하지 않고 사회적 관계가 만들어 내는 현상으로 파악한 점은 중요하다.
또한 사회를 단순히 개인을 억압하는 장치로만 보지 않고 개인의 자유와 창조성을 가능하게 하는 관계적 조건으로도 이해하려 하였다.
그러나 그의 사상에는 몇 가지 비판적 질문이 남는다.
첫째, 인간의 욕망과 내면적 해방을 강조하면서 계급, 노동, 자본주의, 국가권력과 같은 구조적 문제의 분석은 상대적으로 약해졌다고 볼 수 있다.
둘째, 후기의 문학적·정신분석학적 연구는 인간 이해의 깊이를 더했지만, 그 이론이 구체적인 사회현상을 얼마나 체계적으로 설명할 수 있는가라는 방법론적 질문을 제기한다.
셋째, 인간의 자유와 생성 가능성을 강조할 때 그러한 자유를 실제로 누릴 수 있는 사람과 누리지 못하는 사람 사이의 사회적 불평등을 충분히 설명해야 한다는 과제가 남는다.
이것들은 그의 사상을 부정하기보다는 사회학적 인간학이 사회구조 분석과 어떻게 연결되어야 하는지를 묻는 비판이다.
10. 종합평론: 전후 일본의 집단주의 비판에서 인간의 생성으로
사쿠타의 사상적 여정을 하나의 관점에서 읽으면, 전후 일본의 자기반성에서 출발하여 인간이 자기 자신을 어떻게 넘어설 수 있는가라는 보편적 질문으로 나아간 과정이라고 할 수 있다.
그는 일본인의 수치심과 집단의식에 대한 분석에서 시작하였다. 그러나 일본인의 특수성을 해명하는 것에 머무르지 않았다.
오히려 일본사회에 대한 연구는 사회적 가치가 어떻게 인간의 마음속으로 들어가고, 개인은 그 가치를 어떻게 내면화하며, 또 어떻게 그것을 넘어 새로운 삶의 가능성을 만들어 가는가라는 질문으로 발전하였다.
이런 의미에서 사쿠타는 전후 일본의 집단주의를 비판한 사회학자이면서 동시에 근대 개인주의의 한계를 탐구한 사상가였다.
그는 집단으로부터 독립하는 자유뿐 아니라 자기중심적인 개인주의를 넘어 타인과 관계를 맺는 자유에도 주목하였다.
그의 사상이 오늘날에도 의미 있는 이유가 여기에 있다.
현대사회에서 인간은 여전히 국가, 조직, 시장, 가족 등 여러 제도 속에서 살아간다. 그러나 동시에 그러한 제도가 자신에게 부여한 역할과 정체성을 넘어 새로운 삶을 만들어 가려 한다.
사쿠타가 추구한 사회학은 바로 이처럼 사회에 의해 형성되면서도 사회를 변화시킬 수 있는 인간을 이해하려는 학문이었다.
따라서 그의 사상을 대표하는 개념은 단순한 '일본인의 집단주의'가 아니라 '생성(生成)'이다.
그에게 인간이란 이미 결정된 존재가 아니라 타인과의 관계, 욕망, 갈등, 상상력 속에서 끊임없이 새롭게 형성되는 존재였다.
더 깊이 연구할 만한 비교 주제
사쿠타 게이이치를 이해하는 데 특히 유익한 비교 대상은 세 사람이다.
마루야마 마사오: 전전 일본의 권위주의와 자율적 주체의 문제
쓰루미 슌스케: 전후 민주주의, 일상적 경험과 지식인의 역할
미타 무네스케: 현대 일본사회의 의식구조, 욕망과 인간해방의 문제
특히 사쿠타와 미타 무네스케의 비교는 주목할 만하다. 두 사람 모두 일본사회에 대한 경험적·역사적 분석에서 출발하여 인간의 자유, 욕망, 공동체와 삶의 가능성을 탐구하는 방향으로 나아갔기 때문이다.
이 둘을 비교하면 전후 일본사회학이 어떻게 사회의 구조와 의식에 대한 분석에서 인간해방과 존재론적 질문으로 확장되었는지를 이해할 수 있다.
자료: 첨부하신 일본어 위키백과 , 1~6쪽의 약력과 저작 목록, 연구 방향 설명에 기초함. 시대적 해석과 비판적 평가는 별도로 구성한 분석임.
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