2026-10-11

《조선왕공족―제국 일본의 준황족》신조 미치히코 (2015) 요약과 평론

Amazon.co.jp: 朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書 2309) : 新城 道彦: Japanese Books



朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書 2309)
by 新城 道彦 (Author)

日本は韓国併合後、皇帝一族を王公族として「準皇族」に据える。敗戦まで厚遇を受け、日本に利用・翻弄された二六人の全貌を明らかに。
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From Japan

  • Reviewed in Japan on April 5, 2015
    韓国併合の際に、大韓皇帝一族や貴族がどうなったのかについて、
    このように読みやすくまとめられたものは無かったと思います。

    また、かなり中立的、公平な記述となっており、客観的事実を
    もとに当時の朝鮮王公族の様子を浮かび上がらせています。
    そうしたことからも、買って損はない良書だと思います。

    韓国併合は、日本の「帝国主義」によって、日清日露戦後に
    じわじわと植民地化が進んだ朝鮮半島への総決算という認識があり、
    どうしてもマイナスイメージを持ってしまいます。

    しかしながら、当時の国際関係や外交状況から判断せずに、
    現在の価値観から糾弾するのは歴史認識が深まりません。
    日本に国を売ったと韓国からも断罪される朝鮮王公族ですが、
    彼らの感覚や価値観を一生懸命拾い上げようとする姿勢には
    大変好感を持ちました。

    近代国家としての意識がまだまだ希薄だった李氏朝鮮王朝末期の
    感覚としては、統治者たる王・皇帝は、民族と一体というより
    自身の王朝や存在をどう保つかが関心事であったのでしょう。

    それを現在の感覚から糾弾しても何ら意味の無いことであって、
    価値観が激変していく歴史の変わり目における君主の状況を
    学びつつ現代を省みることができればと思います。

    本書を読んで特に印象に残った点は以下のとおりです。

    ★明治政府は日本を西欧のような近代国家であろうとし、
    国際法や列強の様子を常に気にかけていた。そのため、
    併合の際に無理に「親日内閣」を韓国に成立させるのを
    避けていた。主権国家体制のルールを守ろうとしたのだ。

    ★併合交渉には韓国側も粘り強く対応し、合法的な併合が
    成立することと引き換えに、韓国皇室の地位保全を確保し、
    称号や地位について大幅な譲歩を引き出した。
    「廃位なれど臣従でなく」という形式を勝ち取った。

    ★日本と韓国は主従関係でなく、日本の皇室を中心に
    かなり丁重な取扱いを行っていた。それが中国との冊封関係
    とはかなり異なっていた。もちろん西欧の植民地への対応
    と違うのは言うまでもない。

    ★韓国併合の時期には暴動など起きず、平穏だった。
    それまでの義兵闘争があった保護国時期と比べても意外である。

    ★李太王の葬儀は主要皇族以上の国葬とすることにしたが、
    日本式の葬儀方式を多く取り入れたため、朝鮮では不評であった。
    これに反省し、李王の国葬の際はほぼ朝鮮式で行った。

    ★李垠(2代李王)は日本に触れている時間も長く、自身が
    日本人であるという感覚が強かった。昭和天皇への尊敬の
    念があり、2・26事件の際にも率先して鎮圧行動に出ている。

    ★広島で被爆し死去した李偶公のお付き武官の中佐は
    生き残ったが、自責の念にかられ拳銃自殺している。

    ★朝鮮王公族は日本の皇室と同列の待遇を受けていたこともあり、
    日本の皇族と深い親交を持っていた。
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  • Reviewed in Japan on September 1, 2019
    日本が挑戦を植民地にしたという事実を善悪で単純に評価できない、史実が明らかにされていて興味深い。
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  • Reviewed in Japan on May 6, 2020
    本書のメインテーマは、、、

    一般には日本の大韓帝国併合は、国力で勝る日本が、韓国を強引かつ自国本位に植民地化した、というものだろう。
    ところが、両国の皇族の関係に着目すると、違った見方ができる、というもの。

    その違った見方、というのは、
    日本は、西洋列国や韓国知識人の目を気にし、
    あくまで韓国との「合意」で併合をやろうとした。
    そのためには、韓国で主権を持っている大韓帝国皇族のご機嫌取りをする必要があったので、
    いろいろ配慮した、ということだ。

    その配慮というのが、たとえば

    併合後の韓国皇帝は、李「王」を名乗ることがゆるされたこと
    日本の「王」である天皇がいるのに!

    「典憲二元主義」の例外を認めたこと
    典憲二元主義とは、戦前の日本の実定法の枠組みで、
    明治憲法・皇室典範をともに最高法典とみなして、
    皇族関連の法(宮務法)は後者、それ以外(国務法)は前者に法源を求めるものをいいますが、
    王公族は、国務法で「宮務法によって定める」と定めておいて、
    実質はは宮務法で定める、という
    分野横断型の法律になった、、んだそうです。

    国葬が、朝鮮の伝統を取り入れられたこと
    朝鮮人を懐柔するため、限られた国家功労者にしか与えられない「国葬」を、
    旧「大韓皇帝」が賜ることになるのですが、そのやり方が、日本の国葬の形式に、
    朝鮮式の式典を当てはめる、という面倒なことをしたのだそうな。

    感想。
    全体として、日本よりの見解が目立つ。これが「中立的」な本だという書評もあるが、
    どうだろう。。。
    また、王公族は、確かに知名度の低いカテゴリーだけど、
    この存在そのものを知るのであれば、wikiのほうがよほど詳しいと思う。
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  • Reviewed in Japan on November 30, 2016
    戦前の王公族について興味があり色々な本を読みましたが、一族の細部にわたりここまで詳しく書いてある本は珍しいです。そしてとてもよく分かりました。著者の公平な立場からの視点はどちらかに肩入れする文章ではなくとてもありがたく興味深かったです。さらに戦前の日本と朝鮮における関係性に興味を持ちました。
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  • Reviewed in Japan on September 19, 2015
    昔、朝鮮王朝の最後の王族に嫁入りした、日本の梨本宮から嫁入りした方が、おられました。 この方と偶然の機会からお近づきを戴きました。
    そんなことから、この本の内容に関心をもちました。
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  • Reviewed in Japan on April 15, 2018
    今現在の日韓関係を考えるのに、このような歴史があったのかと認識させられます。
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  • Reviewed in Japan on May 7, 2015
    従来の学説を完全に否定し新しい解釈・構想・理論を提示するのは学問の手法のひとつである。

    本書で否定されようとしているのは「日本を『日帝』(日本帝国主義)と表現」p244する「共産主義者が軍国主義や資本主義を否定するために体系化した」p3帝国主義論に基づく従来の学説である。なぜなら「皇帝が統治する国」だけが「帝国」だからである。日本が朝鮮を一方的な力で支配したという、または宗主国対植民地という単純な二項対立p8は無意味である。これまでの皇室や植民地統治に対するイメージは間違い。なにしろ1910年韓国併合に当たり異民族でありながら韓帝国皇室のために「王族」と「公族」の特別な身分を創設したのだから。それに当時韓国の経済は破綻しており収奪しようにも不可能で逆に援助する必要があった。貿易上も市場と言う点でもメリットはなく唯一の価値は対ロシア国防上の価値であった(日露戦争に勝利していてもなお、らしい)。穏便に併合を実現するために日本はあらゆる手段をとって韓国を<懐柔>しようとしたので、すでに外交権を奪い司法権・行政権を確立して保護国状態であったが、皇帝高宗を退位させ純宗を即位させ、また10歳に満たない皇太子を東京に留学させたのも、偏に韓国を近代化させ次世代の指導者を近代的立憲主義を理解できるものに育てようという日本の温かい配慮から生まれたのである。(それにしても併合交渉がわずか二週間弱というのは「交渉」に相応しいのだろうか。)

    さらに本書では王妃を別にすると三名の王族と著名な公族を取り上げて<評伝>を記載している。李太王(高宗)の国葬(1919年)に乗じて起こされたのが三一独立運動であったり、三代目李ギンが日本の皇族梨本宮次女方子と結婚した話とか、政治でも生活でも素行不良の公族がいたり、陸軍軍人として仕えた次世代の者たち経歴、大磯と赤坂のプリンスホテルは李ギンの旧邸であったころなど興味ある事実が挙げられているのだが、ところどころ週刊誌のゴシップ記事並みの文章が混在していて首を傾げる。

    著者は「一定の感覚や価値観を前提として過去を断罪する手法」p5を批判しているが、それはそのまま本書に対して「過去を弁解・救済する手法」にとらわれているのでは、という読後感である。
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  • Reviewed in Japan on May 20, 2015
    朝鮮史や日本史の研究で全くかえりみられなかったマージナルなテーマ。日本人になろうとした朝鮮王族の歴史をしるした貴重な研究書。朝鮮語に訳して韓国人にも読んでもらいたい。
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  • Reviewed in Japan on October 9, 2016
    日清戦争の結果、晴れて冊封国の地位を脱し大韓帝国として独立するものの、
    古色蒼然たる宮廷には列強の狭間で独立国家を維持する力はなく、統監として
    乗り込んだ伊藤博文は併合を伴わない改革を進めますが、道半ばで凶弾に倒れ、
    次いで送られた寺内正毅統監のもと、併合が進められます。

    一時は皇帝を称した高宗には、はじめは欧州のモナコやルクセンブルクに倣って
    「大公」の称号を用意しますが、「王」へのこだわりから「李王」に落ち着きます。

    皇室典範には明記されないまま、皇族に準ずる地位を与えられ、李垠と梨本宮
    方子女王との縁談も、まったく王族どうしの自然なもので、皇族としての義務を
    果たすことには真面目に取り組んでいたようです。

    日本の皇族とは異なり、韓国民との関係は希薄であったようで、高宗の国葬で
    思い出したように三一運動が起こった程度で、結局終戦までは相応の地位を
    与えられ、比較的幸福な時期でもあったようです。

    戦後は、日本の皇室のようにこれを維持するのに熱心な人々もなく、法律に
    よっても保護されず、さらには、自ら李氏朝鮮の末裔を誇る李承晩によって
    入国を阻止され、不遇のままに終わってしまいます。

    歴史のイフとしても李朝の復活はあり得たかというと、やはりなかったのかな
    と思わざるを得ません。
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  • Reviewed in Japan on December 8, 2017
    あとがきで語られる研究の遠大な目的は「帝国って何」ということである
    その経緯が結構ユニークでほへーとなる
    併合しても相手を尊重しているという形を出すために
    準皇族として朝鮮王の一族を寓することにした
    朝鮮王一族も存続をかけてそれを受け入れることとなった
    そういう意味ではお願いベースで回ってる帝国なんだよな
    その時の世代はプラグマティズムであるのだが
    次の世代は皇室に強い親近感を抱く人もいれば独立運動に荷担する人もいた
    ただ前者が多く、それは皇族の近縁の人々として大事にされて
    東京で教育されて皇族との親交が強かったことによる
    そして終戦による「帝国」の周縁で日本側からの待遇は消滅するし
    韓国でも王家の復帰は受け入れられない話だった
    配慮と妥協の産物だった準皇族としての扱いが
    次の世代では本当に準皇族として定着してしまい
    それ故、帝国の崩壊で立場がなくなってしまったという皮肉
    「準」は「準」であって、縮小局面では力を失ってしまう
    準急が末端部では各駅停車となってしまうように
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  • Reviewed in Japan on April 11, 2015
    本書の主人公は、大韓帝国の皇帝とその家族たち。
    民衆とかけ離れた暮らしをしていた、ほんの一握りの特権階級の人たちです。
    彼らも、しかし国際政治と無関係ではいられませんでした。無力な国の特権階級として歴史の荒波に翻弄されます。

    その様子を本書は、「奇数章では朝鮮統治に、偶数章では王公族の動向に重点を置」いて描きます。
    ロシアに対する防衛の観点から朝鮮を支配した大日本帝国。
    その発想はM&A的というか、大韓帝国の収奪のシステム(つまり皇帝の求心力)をそっくり取り込み、資本を投入してテコ入れし富国強兵、将来的に自律的なコマンドとしてロシアをけん制しようとするものと言えます。

    その大日本帝国の構想を骨組みとして、そこに26名の朝鮮王公族のドラマをパネルとして張り込み、立体的に提示しようとしたのが本書です。

    朝鮮王公族は家名を懸け、本書では「処世術」と称してますが、懸命なサバイバルゲームを演じます。1905年から1945年にかけての彼らの波乱万丈の生き様は興味深いです。

    が、しょせんは政治的駆け引きです。
    だからこそ面白いとも言えますが、理想化してみても始まらない話です。

    また、朝鮮総督府の失敗に対し、GHQの日本占領が成功したのはなぜか? というのは応用問題として面白いのではないでしょうか。

    編集部へのお願いですが、先ほど本書は立体的に構成されていると申しましたが、それだけに見通しの悪い部分があります。
    朝鮮王公族26名くらいは一覧表にしてほしかった。彼らの名を確認するには、p84、p114、p131の3カ所に分かれた系図を見比べないといけません。

    また、年表と人名索引は標準装備していただけるとありがたいです。
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  • Reviewed in Japan on May 18, 2015
    一次史料の分析から、日韓併合で「王公族」とされた大韓皇帝一族を分析した本。国を失っても王族としての名分を重んじる李王家と、王公族へ大幅に譲歩する日本。両者が名称や儀典の一つ一つを巡って繰り広げる、緊張感あるやりとりは読み応えがある。

    日韓併合で、皇帝一家の処遇が問題になった。併合条約を結べるのは皇帝だけ。言葉は悪いが皇帝に無理やり判子をつかせれば、国際法上の合法性に疑義が生じるし、暴動になる可能性もあった。日本は当初、皇帝に「大公」の称号を賜うこととしたが、韓国側が「宗室の祭祀上、王号は譲れない」と主張した。単なる王では、「朝鮮王」になる危険があるため「李王」とし、実質皇族扱い、いわば「準皇族」にすることで決着した。歳費も日本の宮家の10万円と比べ、破格の年150万円を支給し、宮内省に「李王職」という部署を置いた。

    李太王・高宗の死去時、日本式の国葬を強要したことが朝鮮側の反発を招き、3.1運動も起きるなど大失敗に終わった。この反省から、李王・純宗の死去時には、なんと陸軍元帥に就け、朝鮮式としつつも日本陸軍の要素も交えた国葬とした。このように、王家行事は朝鮮統治を揺るがしかねないため、総督府、李王職の日本人・朝鮮人職員で一字一句協議するなど、細心の注意が払われていた。

    後半は王公族の物語だ。遊び人で独立運動に巻き込まれて隠居した李'公などの第一世代と比べ、来日して軍人教育を受け、皇室に忠誠を尽くし軍務に精励した第二世代の3人が書かれている。李王垠は大戦中、本土防空を担う第一航空軍司令官となり、李'公は第二総軍参謀として広島で被爆死した。この中で驚いたのは、終戦間際でも、李王職や朝鮮軍からの強い要請で葬儀準備、叙勲などが行われ、玉音放送後に李'公の陸軍葬が、朝鮮総督や式部次長列席の元、京城で挙行されたことだった。李'公の兄・李鍵公は戦後の臣籍降下で「自分は日本語しかわからないので朝鮮に帰りたくない。日本人になりたい」といい、明治天皇稜から「桃山」姓を名乗ったという。

    ほかにも梨本宮が主導した李王家方子妃婚約の事情、王冊立時の勅使と李王の席の配置、李'公被爆時に御附武官が自責にかられ自殺した話など、興味深いエピソードは多い。本書から読むと、李王家に破格の厚遇をすることで、日韓合邦時の日本と李王家の関係は非常に良好だったことが伺われる。植民地支配で日韓が鋭く対立する中、実証的に論じつつ、朝鮮王朝儀軌引渡しなどの時評を交え、抗日でも親日でもない王公族を描いた本書はチャレンジングであり好感を持った。歴史問題に関心がある人も「問題」と距離感を持ちつつ読める日韓近代史として読む価値はあるだろう。
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  • Reviewed in Japan on April 17, 2015
    面白いですね。本家の韓国でもこの話題は一種タブーのような存在のようです。朝鮮王公族の存在自体は当時の日本ではそれなりによく知られていたはずです。しかし戦後の日本では週刊誌ジャーナリズムでのスキャンダル的な扱いが時たま忘れたころに出てくる程度で、このような存在が生み出された歴史的な経緯についてはほぼ無知なままに時代が過ぎていったようです。
    この歴史的な経緯を、公的な資料を基に、そこに著者の冷めた視角からの整理を加えて、冷静にこの「脆い」存在を再構成する作業は成功しています。そこでは日韓関係の「原型」ともいうべきものが浮き上がってきます。いつまでも時代遅れとなってしまった過去の「歴史的な儀式」の持つ意味合いにこだわる韓国と、もはやその儀式をあっさりとこえて合理的に実利を追いかけようとする近代日本。物理的にも朝鮮半島を離れた王公族は当時としては最先端の存在だったのです。ここには現在の日韓関係のずれた構図と重なり合うものが見受けられます。
    でも王公族は腐っても鯛です。儀式だけではなく実利と名分には異様にこだわる思考形態が背後には見え隠れします。もっともこれは韓国の王公族だけの現象ではなく、彼らのカウンターパートであった日本側にも見受けられるパターンです。だからこそ彼らは戦前の日本でそれなりの安定したニッチェを築くことができたのでしょう。もしれませんが。芸能記者顔負けの細やかさで著者はこの部分にも目配りを欠かしません。
    でもこの著者のクールな作業はおそらく韓国人が一番嫌うアプローチかもしれません。このアプローチの下では歴史は様々な拘束の下で動かざるを得ない人間としてとらえられ、淡々とその多面的な側面が描写されるだけですから。どの人物も、現代の価値観や「思いこみ」から、非歴史的に断罪されたり称賛されることはありません。どうしようもない拘束の中でどのように生きたのか、生きざるを得なかったのか、その時代に振り回された全体像が淡々と辿られていくだけなのです。
    彼らの戦後の生き様はおまけのようなものです。これらの人々、特に第二世代ともいうべき人々は2度死んだわけですから。曲がりなりにも近代の作法が出来上がった日本で人格的な成長を遂げてしまったこれらの人々が戦後の韓国で生きていく場所はもはやなかったのです。日本でも同じかもしれません。皇族・貴族といった存在が様々な歴史的な経緯を経て生存し続けていくということは本当に難しいことなのです。
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  • Reviewed in Japan on September 10, 2015
     日韓併合期の朝鮮王族についてつとめて客観的に、一次史料にもとづいて書かれたもの。
     日本でも韓国でもあまり知られておらず、一種のタブー視された感さえあるテーマであるが、冷静な視点と筆致である。
     日本の一部となってから、皇族に準ずる地位を占めることになった彼らの心中は我々の想像をこえるものがあろうが、その中で様々な生き方が示される。積極的に日本帝国の一員たろうとするもの、祖国の独立に傾くもの・・・「八紘一宇」や「内鮮一体」といったスローガンの実態を考えさせられる。また、取り上げられた呼称や名の読み方(李垠殿下)などの悶着など、安易な図式的な見方をさせないものである。
     終戦によって日本と朝鮮半島は切り離されるが、結局祖国で朝鮮に戻る、と言うわけにもいかず、南北朝鮮の分断の悲劇をまざまざと浮かび上がらせる。
     日本と朝鮮半島のしがらみは色々と存在するが、本書のような淡々とした事実を明らかにする姿勢がまずは求められるのかもしれない。
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  • Reviewed in Japan on September 1, 2019
    일본이 도전을 식민지로 했다는 사실을 선악하고 단순히 평가할 수 없는 사실이 밝혀져 흥미롭다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on May 6, 2020
    본서의 메인 테마는

    일반적으로 일본의 대한제국 병합은 국력으로 이기는 일본이 한국을 강인하고 자국 본위에 식민지화했다는 것이다.
    그런데 양국의 황족 관계에 주목하면 다른 견해가 생긴다는 것.

    그 다른 견해라고 하는 것은,
    일본은, 서양 열국이나 한국 지식인의 눈을 신경쓰고,
    어디까지나 한국과의 「합의」로 병합을 하려고 했다.
    그러기 위해서는 한국에서 주권을 갖고 있는 대한제국 황족의 기분을 끌 필요가 있었기 때문에
    여러가지 배려했다는 것이다.

    그 배려라는 것이, 예를 들면

    병합 후의 한국 황제는, 이 「왕」을 자칭하는 것이 느슨해진 것
    일본의 「왕」인 천황이 있는데!

    「전헌 2원주의」의 예외를 인정한 것
    전헌 2원주의란 전전 일본의 실정법의 틀에서
    메이지 헌법·황실 전범을 함께 최고법전으로 간주하여
    황족 관련 법(궁무법)은 후자, 그 이외(국무 법)은 전자에게 법원을 요구하는 것을 말합니다만,
    왕 공족은, 국무법으로 「궁무법에 의해 정한다」라고 정해 놓고,
    실질은 궁무법으로 정한다, 라고 하는
    분야 횡단형의 법률이 되었다, , 라고 합니다.

    국장이, 조선의 전통을 받아들여진 것
    조선인을 회유하기 위해, 한정된 국가 공로자에게 밖에 주어지지 않는 「국장」을,
    구 「대한황제」가 받게 됩니다만, 그 방식이, 일본의 국장의 형식에,
    조선식의 식전을 맞춘다는 면도한다.

    감상.
    전체적으로 일본보다의 견해가 눈에 띈다. 이것이 「중립적」인 책이라고 하는 서평도 있지만,
    어떨까. . .
    또, 왕 공족은, 확실히 지명도가 낮은 카테고리이지만,
    이 존재 그 자체를 아는 것이라면, wiki 쪽이 상당히 상세하다고 생각한다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on November 30, 2016
    전전의 왕 공족에 대해 흥미가 있어 여러가지 책을 읽었습니다만, 일족의 세부에 걸쳐 여기까지 자세하게 써 있는 책은 드물습니다. 그리고 아주 잘 알았습니다. 저자의 공평한 입장에서의 관점은 어느 쪽에 어깨 넣는 문장이 아니라 매우 고맙고 흥미로웠습니다. 게다가 전전의 일본과 조선에 있어서의 관계성에 흥미를 가졌습니다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on September 19, 2015
    옛날, 조선 왕조의 마지막 왕족에 아내 들어간, 일본의 배 본궁에서 아내 들어가는 것이, 계셨습니다. 이 분과 우연한 기회에서 가까이 다가왔습니다.
    그런 점에서 이 책의 내용에 관심을 갖게 되었습니다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on April 15, 2018
    지금 현재의 한일관계를 생각하는데 이런 역사가 있었는지 인식하게 됩니다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on May 7, 2015
    종래의 학설을 완전히 부정하고 새로운 해석·구상·이론을 제시하는 것은 학문의 수법의 하나이다.

    본서에서 부정되고자 하는 것은 '일본을 '일제'(일본제국주의)로 표현' p244하는 '공산주의자가 군국주의와 자본주의를 부정하기 위해 체계화한' p3 제국주의론에 근거한 종래의 학설이다. 왜냐하면 '황제가 통치하는 나라'만이 '제국'이기 때문이다. 일본이 조선을 일방적인 힘으로 지배했다거나 종주국 대 식민지라는 단순한 이항 대립 p8은 무의미하다. 지금까지의 황실이나 식민지 통치에 대한 이미지는 실수. 어쨌든 1910년 한국 병합에 해당 이민족이면서 한제국 황실을 위해 '왕족'과 '공족'의 특별한 신분을 창설했으니까. 게다가 당시 한국의 경제는 파탄하고 ​​있어 수탈하려고도 불가능하고 반대로 원조할 필요가 있었다. 무역상도 시장이라고 하는 점에서도 장점은 없고 유일한 가치는 대러시아 국방상의 가치였다(일러전쟁에 승리하고 있어도 여전히, 같다). 온편에 병합을 실현하기 위해서 일본은 모든 수단을 취해 한국을 <회유>하려고 했으므로, 이미 외교권을 빼앗아 사법권·행정권을 확립해 보호국 상태였지만, 황제 고종을 퇴위시켜 순종을 즉위 시키며 또 10세에 못 미친 황태자를 도쿄에 유학시킨 것도 편하게 한국을 근대화시켜 차세대 지도자를 근대적 헌헌주의를 이해할 수 있는 것으로 키우자는 일본의 따뜻한 배려에서 태어난 것이다. (그렇다고 해도 병합 협상이 불과 2주간 약하다는 것은 '협상'에 적합한 것일까.)

    또한 본서에서는 왕비를 따로 하면 3명의 왕족과 저명한 공족을 거론하고 <평전>을 기재하고 있다. 이태왕(고종)의 국장(1919년)을 타고 일어난 것이 삼일독립운동이거나, 3대째 이긴이 일본의 황족 리본궁 차녀방자와 결혼한 이야기라든지, 정치에서도 생활에서도 소행불량의 공족이 있거나, 육군 군인으로 섬긴 차세대 사람들 경력, 오이소와 아카사카의 프린스 호텔은 이긴의 구저였던 무렵 등 흥미있는 사실을 꼽고 있는데, 이곳 주간지의 가십 기사와 같은 문장이 섞여 있어 목을 기울인다.

    저자는 ‘일정한 감각과 가치관을 전제로 과거를 단죄하는 수법’ p5를 비판하고 있지만, 그대로 본서에 대해 ‘과거를 변해·구제하는 수법’에 얽매이는 것은 독후감이다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on May 20, 2015
    조선사나 일본사의 연구로 전혀 돌아보지 못한 마지널 테마. 일본인이 되려고 한 조선 왕족의 역사를 한 귀중한 연구서. 조선어로 번역해 한국인에게도 읽어 주었으면 한다.
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    보고서
  • Reviewed in Japan on October 9, 2016
    닛신 전쟁의 결과, 맑고 책봉국의 지위를 벗고 대한 제국으로서 독립하지만,
    고색 창연한 궁정에는 열강의 틈새에서 독립 국가를 유지할 힘은 없고, 통 감으로
    타고 온 이토 히로부미는 병합을 수반하지 않는 개혁을 진행합니다만, 도중반에서 흉탄에 쓰러져,
    이어 보내진 테라우치 마사히로 통감의 아래, 병합이 진행됩니다.

    한때는 황제를 칭한 고종에게는, 처음은 유럽의 모나코나 룩셈부르크를 따라
    '대공'의 칭호를 준비합니다만, '왕'에 대한 고집에서 '이왕'에 침착합니다.

    황실전범에는 명기되지 않은 채 황족에 준하는 지위를 부여받았고, 이가라와 리모토
    궁방 여왕과의 인담도 전혀 왕족끼리의 자연스러운 것으로, 황족으로서의 의무를
    완수하기에는 진지하게 임하고 있던 것 같습니다.

    일본의 황족과 달리 한국민과의 관계는 희박했던 것 같고, 고종의 국장에서
    떠올린 것처럼 삼일운동이 일어난 정도로, 결국 종전까지는 상응의 지위를
    주어져 비교적 행복한 시기이기도 한 것 같습니다.

    전후에는 일본의 황실처럼 이를 유지하는데 열심한 사람들도 없고, 법률
    에 의해서도 보호되지 않고, 심지어 스스로 이씨 조선의 후예를 자랑하는 이승만에 의해
    입국을 저지되어 불우한 채로 끝나 버립니다.

    역사의 이프로서도 이조의 부활은 있을 수 있었는가 하면, 역시 없었던 것일까
    라고 생각하지 않을 수 없습니다.
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  • Reviewed in Japan on December 8, 2017
    나중에 말할 수 있는 연구의 원대한 목적은 '제국이란 무엇'이라는 것이다
    그 경위가 상당히 독특하고 호헤이 되는
    병합해도 상대를 존중하고 있다는 형태를 내기 위해
    준황족으로서 조선왕의 일족을 우화하기로 한
    조선왕 일족도 존속을 그래서 그것을 받아들이게 된
    그런 의미에서는 부탁 베이스로 돌고 있는 제국이지
    그 때의 세대는 플러그 마티즘이지만
    다음 세대는 황실에 강한 친근감을 안는 사람도 있으면 독립 운동에 하담하는 사람도
    단지 전자가 많아, 는 황족의 근연의 사람들로서 소중히 되어
    도쿄에서 교육되어 황족과의 친교가 강했던 것에 의한
    그리고 종전에 의한 「제국」의 주연으로 일본측으로부터의 대우는 소멸하고
    한국에서도 왕가의 복귀는 받아들일 수 없는 이야기였던
    배려와 타협의 산물이었다 준황족으로서의 취급이
    다음 세대에서는 정말로 준황족으로서 정착해 버려
    그러므로, 제국의 붕괴로 입장이 없어져 버렸다는 아이러니
    「준」은 「준」이며, 축소 국면에서는 힘을 잃어 버리는
    준급이 말단부에서는 각 역 정차가 되어 버리도록
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    보고서
  • Reviewed in Japan on April 11, 2015
    이 책의 주인공은 대한제국의 황제와 그 가족들.
    민중과 멀리 살고 있던, 단 한 줌의 특권 계급의 사람들입니다.
    그들도, 그러나 국제 정치와 무관하게 있을 수 없었다. 무력한 나라의 특권 계급으로서 역사의 황제로 농락됩니다.

    그 모습을 본서는 「홀수장에서는 조선통치에, 짝수장에서는 왕 공족의 동향에 중점을 두고」 그립니다.
    러시아에 대한 방어의 관점에서 조선을 지배한 대일본 제국.
    그 발상은 M&A적이라고 할까, 대한제국의 수탈의 시스템(즉 황제의 구심력)을 똑같이 받아들여, 자본을 투입해 테코 넣어 부국 강병, 장래적으로 자율적인 커맨드로서 러시아를 견제하려고 하는 것이라고 말할 수 있습니다.

    그 대일본 제국의 구상을 골조로, 거기에 26명의 조선왕 공족의 드라마를 패널로서 붙여 입체적으로 제시하려고 한 것이 본서입니다.

    조선왕 공족은 집 이름을 걸고 본서에서는 '처세술'이라고 칭하고 있지만 열심한 서바이벌 게임을 한다. 1905년부터 1945년에 걸쳐 그들의 파란 만장의 삶은 흥미롭습니다.

    하지만, 쇼센은 정치적 추구입니다.
    그렇기 때문에 재미있다고 할 수 있지만, 이상화해도 시작되지 않는 이야기입니다.

    또 조선총독부의 실패에 대해 GHQ의 일본 점령이 성공한 것은 왜일까? 그렇다고 하는 것은 응용 문제로서 재미있는 것이 아닐까요.

    편집부에의 부탁입니다만, 방금전 본서는 입체적으로 구성되어 있다고 말했습니다만, 그만큼 전망이 나쁜 부분이 있습니다.
    조선왕 공족 26명 정도는 일람표로 해 주었으면 했다. 그들의 이름을 확인하기 위해서는, p84, p114, p131의 3개소로 나뉘어진 계도를 비교해 봐야 합니다.

    또, 연표와 인명 색인은 표준 장비해 주시면 고맙습니다.
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  • Reviewed in Japan on May 18, 2015
    一次史料の分析から、日韓併合で「王公族」とされた大韓皇帝一族を分析した本。国を失っても王族としての名分を重んじる李王家と、王公族へ大幅に譲歩する日本。両者が名称や儀典の一つ一つを巡って繰り広げる、緊張感あるやりとりは読み応えがある。

    日韓併合で、皇帝一家の処遇が問題になった。併合条約を結べるのは皇帝だけ。言葉は悪いが皇帝に無理やり判子をつかせれば、国際法上の合法性に疑義が生じるし、暴動になる可能性もあった。日本は当初、皇帝に「大公」の称号を賜うこととしたが、韓国側が「宗室の祭祀上、王号は譲れない」と主張した。単なる王では、「朝鮮王」になる危険があるため「李王」とし、実質皇族扱い、いわば「準皇族」にすることで決着した。歳費も日本の宮家の10万円と比べ、破格の年150万円を支給し、宮内省に「李王職」という部署を置いた。

    李太王・高宗の死去時、日本式の国葬を強要したことが朝鮮側の反発を招き、3.1運動も起きるなど大失敗に終わった。この反省から、李王・純宗の死去時には、なんと陸軍元帥に就け、朝鮮式としつつも日本陸軍の要素も交えた国葬とした。このように、王家行事は朝鮮統治を揺るがしかねないため、総督府、李王職の日本人・朝鮮人職員で一字一句協議するなど、細心の注意が払われていた。

    後半は王公族の物語だ。遊び人で独立運動に巻き込まれて隠居した李'公などの第一世代と比べ、来日して軍人教育を受け、皇室に忠誠を尽くし軍務に精励した第二世代の3人が書かれている。李王垠は大戦中、本土防空を担う第一航空軍司令官となり、李'公は第二総軍参謀として広島で被爆死した。この中で驚いたのは、終戦間際でも、李王職や朝鮮軍からの強い要請で葬儀準備、叙勲などが行われ、玉音放送後に李'公の陸軍葬が、朝鮮総督や式部次長列席の元、京城で挙行されたことだった。李'公の兄・李鍵公は戦後の臣籍降下で「自分は日本語しかわからないので朝鮮に帰りたくない。日本人になりたい」といい、明治天皇稜から「桃山」姓を名乗ったという。

    ほかにも梨本宮が主導した李王家方子妃婚約の事情、王冊立時の勅使と李王の席の配置、李'公被爆時に御附武官が自責にかられ自殺した話など、興味深いエピソードは多い。本書から読むと、李王家に破格の厚遇をすることで、日韓合邦時の日本と李王家の関係は非常に良好だったことが伺われる。植民地支配で日韓が鋭く対立する中、実証的に論じつつ、朝鮮王朝儀軌引渡しなどの時評を交え、抗日でも親日でもない王公族を描いた本書はチャレンジングであり好感を持った。歴史問題に関心がある人も「問題」と距離感を持ちつつ読める日韓近代史として読む価値はあるだろう。
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  • Reviewed in Japan on April 17, 2015
    面白いですね。本家の韓国でもこの話題は一種タブーのような存在のようです。朝鮮王公族の存在自体は当時の日本ではそれなりによく知られていたはずです。しかし戦後の日本では週刊誌ジャーナリズムでのスキャンダル的な扱いが時たま忘れたころに出てくる程度で、このような存在が生み出された歴史的な経緯についてはほぼ無知なままに時代が過ぎていったようです。
    この歴史的な経緯を、公的な資料を基に、そこに著者の冷めた視角からの整理を加えて、冷静にこの「脆い」存在を再構成する作業は成功しています。そこでは日韓関係の「原型」ともいうべきものが浮き上がってきます。いつまでも時代遅れとなってしまった過去の「歴史的な儀式」の持つ意味合いにこだわる韓国と、もはやその儀式をあっさりとこえて合理的に実利を追いかけようとする近代日本。物理的にも朝鮮半島を離れた王公族は当時としては最先端の存在だったのです。ここには現在の日韓関係のずれた構図と重なり合うものが見受けられます。
    でも王公族は腐っても鯛です。儀式だけではなく実利と名分には異様にこだわる思考形態が背後には見え隠れします。もっともこれは韓国の王公族だけの現象ではなく、彼らのカウンターパートであった日本側にも見受けられるパターンです。だからこそ彼らは戦前の日本でそれなりの安定したニッチェを築くことができたのでしょう。もしれませんが。芸能記者顔負けの細やかさで著者はこの部分にも目配りを欠かしません。
    でもこの著者のクールな作業はおそらく韓国人が一番嫌うアプローチかもしれません。このアプローチの下では歴史は様々な拘束の下で動かざるを得ない人間としてとらえられ、淡々とその多面的な側面が描写されるだけですから。どの人物も、現代の価値観や「思いこみ」から、非歴史的に断罪されたり称賛されることはありません。どうしようもない拘束の中でどのように生きたのか、生きざるを得なかったのか、その時代に振り回された全体像が淡々と辿られていくだけなのです。
    彼らの戦後の生き様はおまけのようなものです。これらの人々、特に第二世代ともいうべき人々は2度死んだわけですから。曲がりなりにも近代の作法が出来上がった日本で人格的な成長を遂げてしまったこれらの人々が戦後の韓国で生きていく場所はもはやなかったのです。日本でも同じかもしれません。皇族・貴族といった存在が様々な歴史的な経緯を経て生存し続けていくということは本当に難しいことなのです。
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  • Reviewed in Japan on September 10, 2015
     한일병합기의 조선왕족에 관해 객관적으로 1차사료에 근거하여 쓰여진 것.
     일본에서도 한국에서도 별로 알려지지 않고, 일종의 금기시된 감마저 있는 테마이지만, 냉정한 시점과 필치이다.
     일본의 일부가 되고 나서, 황족에 준하는 지위를 차지하게 된 그들의 마음속은 우리의 상상을 넘는 것이 있을 것이지만, 그 중에서 다양한 생활 방식이 나타난다. 적극적으로 일본 제국의 일원이 되려고 하는 것, 조국의 독립에 기울이는 것···「하치코 이치우」나 「내선 일체」라고 하는 슬로건의 실태를 생각하게 된다. 또, 다루어진 호칭이나 이름을 읽는 방법(李垠殿下) 등의 기착 등 안이한 도식적인 견해를 하지 않는 것이다.
     종전에 따라 일본과 한반도는 분리되지만 결국 조국에서 조선으로 돌아온다는 말에도 불구하고 남북한의 분단의 비극을 꾸준히 떠올리게 한다.
     일본과 한반도의 시냇물은 여러가지 존재하지만, 본서와 같은 담담한 사실을 밝히는 자세가 우선 요구될지도 모른다.
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    보고서
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신조 미치히코(新城道彦)의 저서 <조선 왕공족 - 제국 일본의 준황족>에 대한 요약과 평론이다.

내용 요약

1910년 한일병합 이후 대한제국의 황실은 소멸했으나, 일제는 그 구성원들을 완전히 배제하지 않고 <이왕가(李王家)>라는 새로운 특수 신분층으로 재편했다. 이 책은 순종, 고종, 영친왕(이은), 의친왕(이강), 이우 등 구 대한제국 황족들이 일제강점기 동안 점유했던 특수한 법적·정치적·사회적 신분인 <왕공족(王公族)>의 실체와 궤적을 실증적으로 추적한 연구서다.

일제는 병합 당시 대한제국 황실을 화족(일본 귀족)의 하위로 두지 않고, 천황가의 바로 아래이자 화족보다 상위인 <준황족> 대우를 부여했다. 이들에게는 막대한 세비(세출 예산)가 지급되었고, 일본 육군사관학교 입학과 군 복무, 일본 황족 여성(예: 나시모토노미야 마사코/이방자 여사)과의 정략결혼이 강제되었다. 이는 일본 제국이 표방한 <내선일체(內鮮一體)>의 상징적 쇼윈도이자, 식민지 조선인들의 저항감을 무마하기 위한 고도의 유화책이었다.

저자는 왕공족의 법적 지위가 지닌 이중성과 모순에 주목한다. 이들은 명목상 화족보다 높은 예우를 받았지만, 일본 제국 헌법상 완전한 황족도 아니었고 그렇다고 일반 식민지 조선인과 같은 신민도 아닌 회색지대에 놓여 있었다. 참정권이나 정치적 실권은 철저히 박탈당한 채 궁내성의 엄격한 감시와 통제를 받았다. 즉, 호화로운 물질적 특권과 극진한 의전은 이들의 자율성과 정치적 위험성을 거세하기 위한 <황금의 새장>이었던 셈이다.

태평양전쟁 패전과 1947년 일본의 신헌법 시행으로 신분제가 철폐되면서 왕공족 제도는 공식적으로 해체되었다. 이들은 막대한 재산세를 부과받아 몰락했고, 귀국길마저 순탄치 않았다. 해방된 조국(대한민국)에서 이승만 정권은 구 황실 세력을 정치적 경쟁자이자 친일 굴레의 대상자로 경계하여 입국을 거부하거나 홀대했다. 제국 일본의 선전 도구로 소비되다가, 전후에는 제국과 식민지 양쪽 모두로부터 버림받은 비극적 귀결을 맺었다.

비평 및 평가

이 저작의 가장 큰 학술적 미덕은 민족주의적 도덕론의 덫에서 벗어나 제국주의 지배 메커니즘을 제도사적 관점에서 냉철하게 해체했다는 점이다. 한국 근현대사 담론에서 구 황실에 대한 평가는 대체로 양극화되어 왔다. 나라를 팔아먹고 호의호식한 <반민족적 부역자>라는 단죄, 혹은 일제의 감시 속에서도 독립을 꿈꿨던 <비운의 저항자>라는 낭만적 신화가 그것이다. 신조 미치히코는 방대한 공문서, 궁내성 기록, 일기, 서간 등을 통해 이러한 이분법적 감정론을 걷어내고, 식민 권력이 피지배층 엘리트를 포섭하고 훈육하는 냉혹한 시스템을 복원해 냈다.

특히 영친왕을 비롯한 왕공족 구성원들의 내면적 분열과 구조적 한계를 설득력 있게 드러낸다. 그들은 독립운동에 투신할 수도, 그렇다고 제국 일본에 온전히 동화될 수도 없었던 탈국가적 경계인이었다. 일본 군복을 입고 일본어로 생활하면서도 태생적 출신 성분 때문에 끝내 완전한 일본인이 될 수 없었고, 고국에서는 식민 지배의 부역자로 낙인찍히는 딜레마를 겪었다. 저자는 이들을 단순한 가해자나 피해자로 규정하기보다, 제국주의적 통치 공학이 빚어낸 필연적 모순체로 응시한다.

다만 이 책은 제도와 일제 측 문서에 대한 높은 의존도로 인해, 왕공족을 바라보던 식민지 조선 민중의 시선이나 당시 복잡다단했던 사회적 여론과의 상호작용을 충분히 다루지 못했다는 한계를 지닌다. 또한 제국 내부의 기록이 지닌 편향성을 해체하는 과정에서, 이들이 누렸던 막대한 경제적 혜택과 특권이 식민지 수탈 구조와 어떻게 직결되었는가에 대한 비판적 중량감이 다소 가볍게 처리된 측면도 존재한다.

결론적으로 <조선 왕공족 - 제국 일본의 준황족>은 근대 동아시아사에서 오랜 기간 감정과 이념의 장막 뒤에 가려져 있던 특수 신분 집단을 학술적 논의의 장으로 끌어올린 역작이다. 지배와 포섭, 특권과 감시, 정체성의 균열이라는 제국주의의 복합적 폭력성을 다각도로 이해하는 데 필수적인 통찰을 제공한다.

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신조 미치히코 《조선왕공족―제국 일본의 준황족》(2015) 요약과 평론

新城道彦, 《朝鮮王公族―帝国日本の準皇族》, 中央公論新社, 中公新書 2309, 2015년 3월, 256쪽(본문 기준)

1. 문제의식: 나라를 빼앗긴 황실은 어떻게 되었는가?

1910년 8월 일본이 대한제국을 병합하면서 조선왕조는 500년 넘게 유지해 온 국가의 지위를 상실했다. 그러나 조선의 황실 자체가 사라진 것은 아니었다. 일본은 대한제국의 황제와 황족들을 새로운 신분체계 안에 편입시켰다. 이것이 이다.

신조 미치히코의 이 책은 이 독특한 제도를 중심으로 일본 제국주의의 통치 원리를 분석한다.

핵심 질문은 세 가지이다.

  • 일본은 왜 대한제국을 없애면서도 황실은 존속시켰는가?

  • 조선왕공족은 일본의 황족이었는가, 아니면 지배받는 민족의 상징이었는가?

  • 왕공족들은 일본 제국 안에서 어떻게 자신의 정체성과 삶을 유지했는가?

저자는 고종과 순종, 영친왕 이은 등을 비롯하여 왕공족 신분에 속했던 26명의 삶을 통해 이 문제를 추적한다.

이 책의 중요한 특징은 조선왕공족을 단순한 친일파나 민족적 희생자로 분류하지 않는다는 것이다. 오히려 식민지 지배라는 특수한 정치적 조건 속에서 서로 다른 선택을 했던 사람들의 삶을 복원한다.

中央公論新社
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2. 왕공족 제도의 탄생: 황제의 폐위와 신분의 보존

일본이 한국을 병합하면서 해결해야 했던 민감한 문제는 대한제국 황실의 처우였다.

황실을 완전히 해체하면 조선인들의 저항을 자극할 위험이 있었다. 그렇다고 대한제국 황제를 일본 천황과 동등한 군주로 인정할 수도 없었다.

그 결과 만들어진 것이 왕공족이라는 절충적 제도이다.

순종은 이왕(李王), 고종은 덕수궁 이태왕으로 불렸고, 황실의 다른 계통에는 공(公)의 지위가 부여되었다.

왕공족은 일본의 일반 귀족인 화족(華族)보다 높은 지위를 부여받았지만, 일본 황족과 완전히 동일한 존재는 아니었다.

이러한 신분구조는 일본의 식민지 통치가 단순히 한국인을 일본인으로 동화시키는 정책만으로 이루어지지 않았음을 보여준다.

일본은 차이를 없애는 대신, 그 차이를 관리하는 통치체제를 만들었다.

특히 주목할 점은 조선의 왕이 일본 천황에게 일반적인 신하의 예를 취하도록 하는 방식이 채택되지 않았다는 사실이다. 저자의 관련 연구에 따르면, 일본은 전통적인 동아시아의 책봉관계를 그대로 재현하지 않고 별도의 제국적 신분질서를 구축했다.

CiNii Research

이것은 중요한 역설이다. 일본은 조선의 국가주권을 완전히 부정하면서도 조선왕조의 역사적 권위는 정치적으로 활용했다.

3. 준황족이라는 모순적 지위

왕공족의 생활은 일반 조선인의 생활과 크게 달랐다.

일본 정부는 왕공족에게 상당한 경제적 지원과 사회적 특권을 제공했다. 이들은 천황가와 교류하고 일본의 귀족적 의례에 참여했으며, 남성들은 군 복무 등 황족에 준하는 의무를 부담했다.

그러나 왕공족은 결코 독립적인 정치적 권력자가 아니었다.

그들의 재산과 지위, 결혼, 교육, 의례 등은 일본의 법률과 정치적 판단에 영향을 받았다. 특히 왕공족의 신분을 규정하는 왕공가궤범(王公家軌範)의 제정 과정은 일본의 법체계 자체가 이러한 존재를 어떻게 다루어야 하는지 혼란을 겪었음을 보여준다.

여기서 신조의 중요한 통찰이 나타난다.

조선왕공족은 일본 제국의 통합을 상징하는 존재였지만, 동시에 제국이 결코 완전하게 통합되지 않았음을 증명하는 존재였다.

그들은 일본인과 같은 황족이 될 수 없었고, 그렇다고 일반 조선인으로 돌아갈 수도 없었다.

이런 의미에서 이란 명칭은 단순한 특권적 신분이 아니라 제국적 위계질서의 모순을 드러낸다.

4. 왕공족 26명의 서로 다른 선택

이 책의 흥미로운 부분은 왕공족 구성원들이 일본 제국에 대해 동일한 태도를 보이지 않았다는 점이다.

일본의 질서에 순응하거나 적극적으로 협력한 사람도 있었고, 일본의 지배를 거부하거나 독립운동과 관계를 맺은 사람도 있었다.

대표적인 대조가 영친왕 이은과 의친왕의 아들 이우, 그리고 의친왕의 또 다른 아들 이강 계열에서 나타나는 다양한 태도이다.

영친왕 이은은 어린 시절 일본으로 건너가 일본식 교육을 받았다. 일본 육군 장교가 되었고, 일본 황족 출신의 나시모토노미야 마사코(이방자)와 결혼했다.

그의 삶은 일본 제국의 체제 안으로 깊숙이 편입된 조선 왕족의 전형적 사례이다.

그러나 이러한 경력을 그의 자유로운 정치적 선택으로만 해석할 수는 없다. 어린 시절부터 일본 정부의 감독과 영향 아래 성장했기 때문이다.

반면 의친왕 이강은 독립운동 세력과 접촉했고, 1919년에는 상하이로 망명하려다 실패했다.

의친왕의 아들 이우는 일본 육군 장교로 복무했지만, 일본인으로의 완전한 동화와는 거리를 둔 인물로 알려져 있다. 다만 그의 개인적 태도를 곧바로 조직적인 항일운동과 동일시해서는 안 된다.

여기서 중요한 것은 왕족이라는 공통된 신분이 공통된 정치적 정체성을 보장하지 않았다는 사실이다.

제국의 지배를 받는 사람도 자신의 위치와 경험에 따라 서로 다른 방식으로 대응했다.

5. 황제의 죽음과 식민지 지배의 정당성

이 책의 제3장은 특히 흥미롭다. 저자는 대한제국 황제의 죽음과 장례 문제를 통해 일본 식민지 통치의 정치적 모순을 분석한다.

1919년 고종의 죽음은 3·1운동이 일어나는 중요한 역사적 배경이 되었다. 많은 조선인에게 고종은 이미 정치적 권력을 잃은 군주였지만, 여전히 상실한 국가주권을 상징하는 존재였다.

일본 정부가 왕공족의 장례를 중요하게 취급한 이유도 여기에 있었다.

장례는 단순한 가족행사가 아니라 국가의 정치적 정당성을 드러내는 의례였기 때문이다.

일본은 조선 황실을 예우하면서도 과거 대한제국의 독립적인 황제 지위가 되살아나는 것은 막으려 했다. 황제라는 칭호를 묘비나 조기 등에 어떻게 표시할 것인가 하는 문제조차 정치적 논쟁이 되었다.

신조는 이러한 갈등을 통해 일본 제국이 조선왕조의 권위를 이용하면서도 그 권위의 독립성은 인정할 수 없었던 모순을 보여준다.

版元ドットコム

이 부분은 사회학적으로도 중요하다.

국가의 정당성은 법률과 군사력만으로 유지되지 않는다. 역사적 기억과 상징, 의례의 통제 역시 지배의 중요한 수단이 된다.

6. 일본 제국의 붕괴와 왕공족의 운명

1945년 일본의 패전으로 왕공족을 유지하던 정치적 기반이 사라졌다.

이들은 일본 제국의 특권적 신분을 상실했지만, 그렇다고 새롭게 독립한 한국에서 과거의 정치적 지위를 회복한 것도 아니었다.

대한민국은 군주제가 아니라 공화국으로 출발했다. 조선왕조의 복원을 국가적 과제로 삼지 않았다.

특히 영친왕 이은의 경우는 이러한 변화의 비극성을 보여준다. 일본 제국의 황족에 준하는 대우를 받았던 그는 해방 이후 곧바로 한국에 정착하지 못했다. 1963년에야 귀국할 수 있었다.

일제강점기에는 일본 체제에 편입된 조선 왕족이었지만, 해방 후에는 독립국가 한국에서도 정치적 역할을 찾을 수 없었던 것이다.

왕공족의 역사는 제국의 해체가 반드시 피지배국의 옛 지배층에게 권력의 회복을 가져오지는 않는다는 사실을 보여준다.

7. 평론: 이 책의 역사학적 공헌

이 책의 가장 큰 공헌은 식민지 지배를 통치자와 피통치자의 단순한 이분법으로 설명하지 않는다는 데 있다.

일본 제국은 조선왕조를 파괴하면서 그 왕조의 권위를 이용했다. 왕공족에게 특권을 제공하면서 정치적 자유를 제한했고, 일본 제국의 일부로 편입하면서도 일본 황족과의 차별을 유지했다.

이것은 제국주의 통치가 얼마나 복합적인 제도와 상징을 필요로 했는가를 보여준다.

특히 신조의 연구는 일본 천황제 자체의 역사에도 새로운 질문을 제기한다.

조선왕공족의 편입은 일본 천황제를 단순한 일본 민족의 군주제에서 복수의 민족을 지배하는 제국적 군주제로 변화시키는 과정의 일부였다. 저자는 별도의 연구에서 왕공족의 법적 지위를 정하는 과정이 기존 일본 제국의 법체계에까지 모순을 일으켰음을 지적했다.

CiNii Research

따라서 이 책은 조선왕조의 마지막 황족에 관한 전기적 서술인 동시에 일본 제국의 통치구조에 관한 연구이기도 하다.

8. 비판적 검토: 왕공족은 피해자인가, 협력자인가?

그러나 몇 가지 문제를 더 깊이 생각할 필요가 있다.

첫째, 왕공족의 특권과 식민지 조선인의 삶 사이의 간격이다.

왕공족이 정치적으로 무력했던 것은 사실이지만, 그들은 일반 조선인과 비교할 수 없는 경제적·사회적 특권을 누렸다.

이러한 특권은 조선 민중의 정치적 권리가 박탈된 상황에서 일본 제국이 제공한 것이었다.

따라서 왕공족을 일방적인 피해자로만 이해하는 것은 적절하지 않다.

둘째, 개인적 선택과 구조적 강제의 관계이다.

영친왕 이은처럼 어린 시절부터 일본에서 교육받고 일본군 장교가 된 인물의 행위를 어디까지 자발적 협력으로 볼 수 있는가?

이 문제에는 단순한 대답이 없다. 개인의 선택은 실제로 존재했지만, 그 선택이 이루어진 정치적 환경은 극도로 제한되어 있었다.

셋째, 왕공족의 시각으로 식민지 역사를 바라볼 때 발생할 수 있는 엘리트 중심적 편향이다.

왕공족의 운명은 흥미로운 역사적 주제이지만, 식민지 조선의 대다수 민중이 겪었던 수탈과 차별을 대표하지는 않는다.

이 점을 의식하면서 읽을 필요가 있다.

9. 한국의 왕정복고 문제와 연결하여

이 책은 한국에서 왜 왕정복고 운동이 강력하게 등장하지 않았는가라는 질문과 연결할 때 더욱 흥미롭다.

1910년 조선왕조의 국가주권은 사라졌지만 황실은 존속했다. 그런데 1945년 독립 이후에는 왕조를 회복하려는 대중적 정치운동이 유력한 세력으로 성장하지 못했다.

여기에는 몇 가지 역사적 원인이 있었다.

조선왕조는 이미 19세기 말부터 정치적 정당성이 약화되어 있었다. 대한제국은 근대적 국민국가를 충분히 구축하지 못했고, 일제강점기를 거치면서 민족독립운동의 중심은 왕실이 아니라 공화주의적 독립운동 세력으로 옮겨갔다.

특히 1919년 대한민국임시정부의 수립은 한국 민족주의가 군주제의 복원이 아니라 국민주권에 기초한 공화국 건설을 지향한다는 것을 제도적으로 보여주었다.

여기에 왕공족이 일본 제국의 제도 안에 편입되었다는 역사적 사실도 작용했다.

물론 왕공족 전체를 친일 세력으로 규정할 수는 없다. 그러나 황실이 독립운동의 구심점으로 기능하지 못했다는 사실은 분명하다.

이 점에서 한국의 왕실은 일본의 천황가와 매우 다른 역사적 경로를 걸었다.

일본에서는 패전 이후에도 천황제가 헌법적 상징으로 존속했지만, 한국에서는 독립과 국가건설의 정당성이 왕조의 계승이 아니라 왕조와의 단절을 통해 형성되었다.

다만 왕공족 제도가 왕정복고 실패의 직접적 원인이었다고 단정해서는 안 된다. 공화주의의 성장, 해방 후 정치세력의 구성, 왕실의 정치적 약화가 함께 작용했다.

10. 종합 평가

신조 미치히코의 《조선왕공족》은 한국 근대사에서 자주 간과되는 집단을 통해 일본 제국주의의 본질을 새롭게 이해하도록 하는 연구이다.

이 책의 가장 중요한 통찰은 일본 제국이 식민지의 전통적 지배층을 단순히 제거한 것이 아니라 자신의 정치질서 안에 편입하여 활용했다는 사실이다.

이러한 통치방식은 강제와 회유, 동화와 차별, 특권과 종속이 동시에 작동하는 구조였다.

왕공족은 높은 지위를 누렸지만 주권을 갖지 못했다. 일본의 황족에 가까웠지만 동등한 황족은 아니었으며, 조선의 왕족이었지만 조선을 대표할 정치적 권력도 없었다.

그들의 존재 자체가 제국주의 지배의 모순을 상징한다.

사회학적 관점에서 보면 왕공족은 국가와 민족, 신분과 정치적 충성 사이의 관계가 역사적으로 어떻게 구성되는지를 보여주는 사례이다.

또한 왕공족의 운명은 한 왕조의 종말이 반드시 왕족의 생물학적 소멸이나 문화적 소멸을 의미하지는 않는다는 점을 일깨운다. 조선왕조는 정치적으로는 끝났지만, 그 구성원들은 새로운 제국의 질서 속에서 살아남았다. 그리고 그 제국이 붕괴하자 다시 새로운 국민국가에 적응해야 했다.

결국 이 책을 읽으면서 가장 중요하게 제기되는 질문은 다음과 같다.

신조의 연구는 이 질문에 대한 중요한 역사적 설명을 제공한다.

다만 이 평론은 확인 가능한 출판사 소개와 상세 목차, 저자의 관련 연구에 기초해 재구성한 것이다. 책 전문을 대조한 장별 정밀 요약은 아니므로, 구체적인 해석과 필자의 비평은 구분해서 읽을 필요가 있다.

덧붙여 이 책을 더 깊이 연구하려면 신조 미치히코의 앞선 학술서 《天皇の韓国併合―王公族の創設と帝国の葛藤》(2011, 《천황의 한국병합―왕공족의 창설과 제국의 갈등》)을 함께 읽을 가치가 있다. 왕공족 제도가 만들어지는 과정을 더욱 상세하게 논증한 연구이다.

天皇の韓国併合 : 王公族の創設と帝国の葛藤

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